無と無限の落とし子(にじファンより移転)   作:羽屯 十一

5 / 69
今回は割りと早く上げられました。

この話からどんどん読む人を選ぶ作品になると思います。
ですので

・信仰心の厚い方、又はそれに順ずる方
・主人公による一方的な暴力行為の表現を嫌う方
・超級の奇跡が連発するご都合主義な展開を嫌う方

に該当する方には、あまり本作品をお勧めできません。

長くなりましたが、それでは『第零章 下編』をどうぞ。


第零章 下編

 

 風が駆け抜けた。

 

 

 

 

 ふと、目が覚めた。

 草花の強いにおいがする。

 人によっては青臭いという緑のにおい、だけじゃない。ハーブ等の胸が()くような香りもした。なにか……とても好ましい香りだった。

 

 頭が軽かった。

 安心できる空間で、ぐっすりと睡眠をとった後のようだった。

 

(何、だっけ? えっと、なんか……、今、朝か?)

 

 いつもの様にアームで目覚まし時計を取ろうとして、今、自分が身に着けているのが、普段装着している義体でない事に気付く。

 

(そうか、そうだ。確か竜巻の中で最後に少しでも距離を稼ごうとして跳躍して……、そこからの記憶が無いから、そこで気絶したか。でもこの匂い、それに未だに生きているって事は、あの最後の跳躍で竜巻を抜け出せたって訳か)

 

 

 それにしても、どれ程の時間気絶していたかは義体を起動しないと分からないが、こうして体の調子が復帰しているというのが信じられなかった。

 二日分しか蜘蛛に積み込めない薬が()うに尽き、体内に埋め込まれた人工臓器の調整も出来ない状況では、遅くとも三日目の昼には死ぬ所まで自分の体は来ていたのに。

 

 

 しかし幾ら訝しかろうと生きていて文句が出ようはずがない。

 それに現在のこの状態では(ほとん)ど何も分からなかった。やらねばならぬ事がある。

 とにかく情報を集めよう。

 

 匂いを嗅ぐ。

 必死に追いかけていた薄い匂いではなく、まるで春の山で寝転んだような濃厚な緑の匂いがする。

 

 すぐさま蜘蛛とのリンクに意識を集中する。

 幸いにして蜘蛛のメイン回路に異常は無く、衝撃でエンジンが停止しシステムが、自身の保護のために非常シャットダウンしただけだった。

 

 

 蜘蛛のメインシステムが再起動を果たし、義体とのリンクが次々と確立する。

 安堵のため息。何をするにしても蜘蛛がやれればお終いなのだ。

 だが確認したところ、蜘蛛の状態も良いとは言えない。

 最後の跳躍で跳んだ直後に意識を失ったために、まともな着地が出来ず、かなりの勢いで地面に叩き付けられたらしい。手足である八本の脚の内、三本が完全に折れ、二本は手酷く歪んだらしく異音がして出力が出ず、完全な動作をするのはたった三本のみ。

 知覚センサー類も半数が完全に沈黙し、残り半数も万全に機能するものは無い。

 燃料も残り少ない。太陽光発電システムなど、とうに飛んで来た石で砕けて壊れていて、残りと言えばバッテリーセルに残された僅かな電力と、同じくほとんど残っていないが、高純度の圧縮液体燃料のみだ。

 ボロボロを体現したかのような有様であり、ここまできたら直すよりもスクラップにして新造した方が絶対に早い。

 

(完全には壊れてないのは幸運だが、これは碌に動けなくなったな)

 

 厳しい状態だが、少なくとも最悪ではない。

 まだ周囲を知れるし移動も出来る。

 動かないよりは遥かにまし≪・・≫なのだ。

 どうやら運が良かったらしい。これは幸先いいのだろうか?

 

 

 とにかく周囲を探査する。

 

(これは……、正直予想外だな)

 

 今まで追いかけて来た匂いのように、人間の五感ではないセンサーには反応しないと思い、あまり期待はしていなかったのだが、送られてくる情報は明らかに、ここ三日程歩いて来た高地とは違っている。

 

 そこは丘の上だった。

 光学センサーからの映像にはレンズが傷だらけとはいえ、ハッキリと緑の草原と、ところどころに生えたたわわに実をつけた樹木が映っていた。

 

 柔らかく地を照らす陽光の元、草花は咲き誇り、木々は|梢(こずえ)をいっぱいに広げて日の恵みを受け、風が涼やかに吹き抜けてゆく。

 のんびりと草を食む草食動物に、それを襲うでもなく過ごしている肉食動物達。木々の梢には様々な種の鳥達が羽を休め、大空には大きな鳥たちが羽を広げ舞っていた。

 互いに争う事も無く、生態系の序列に関わらず、見る限り捕食行為が行われている様子が無い。

 捕食は生命の活動で最も重要行為のひとつで、それが行われていないとなると、考えるだけでここに住む生き物は浮世離れしている。もっとも、おかしいのはこの場所に居るからなのかも知れないが。

 

 

 

(ここが俺の目的地。神が隠した『東の楽園』か)

 

 

 『東の楽園』

 神が自らの創造した生き物達を最初に住まわせた、地上の楽園。

 最初の人間が蛇に(そそのか)され、神に食す事を禁じられた知恵の樹の実を食べてしまった事で、神に追放されてしまった地。

 争いが無く、無垢な者達が幸福に包まれて永遠を生きるという場所。 

 

 (都市からそれなりに離れているとは言え、前人未到の秘境等ではなく、生活圏から車で行ける様な距離にあるとは……)

 

 自分でここだと当たりをつけて来ておきながら、やはり意外も意外である。

 

(”神が隠した”、か。

 これだけの広さにこの地形、この環境……アルメニア共和国の標高では考えられないな。まぁどうなっているのかは分からないが、いずれにせよ俺は入れた)

 

 そう。

 そこが重要な鍵の一つだった。

 

 様々な伝承では楽園に棲んでいた生物の内、追放処分になったのは”人間”くらいだ。

 あの蛇でさえ、罰は受けたが追放されたという記述は見当たらない。

 なら楽園に入るには”人間”では入れないのではないか?

 だからこそ”人間”に見付からなかったのではないか。

 

 こう考えた場合、二つの条件が浮かぶ。

 一つ。 ”人間”と判断された存在では楽園を知覚出来ない。

 二つ。 生物ではない存在は、同じく楽園を知覚出来ない。

 

 一は良いとして、二は今まで衛星等の観測機器に、欠片の異常も感知されていない原因として考える。

 

 

 

 ……始めからそうだったが、予測に推測を重ね、妄想で肉付けしたような論理だな。

 まぁ、それでここまで来れたのだから良しとしよう。

 

 

 その仮定の上で”楽園”に進入するために講じた策。それが今使用している蜘蛛型の義体だ。人間かどうかの判断が、どのような基準なのかは分からないし、どうやって判断しているのかも分からない。

 ぶっちゃけ神様系列の謎パゥアーで判別されてたら、これはもうどうしようもなかった。

 救いとしては、神話では楽園の守護者について、人間の追放後に神によって『天使階級の第二位であるケルビムと“きらめく炎の剣”とやらが置かれた』とあり、神の管理が続いているとは無い事か。

 

 解釈するに『きらめく炎の剣』とは、太古の昔から天上に居る神々が投げ落とした炎とされる『雷』の事だろう。『雷』とは、日本でも元来の意味を『神鳴り』といい、天上の神々がおこすものと考えられていた。

 この『雷』については、伝承通りに剣の形をした物から雷が(ほとばし)るのか、それとも単純にただの雷なのかは知りようが無い。どちらにしろこれだけではなく、天使を一緒に置いたからには、天使の方が判断を下していると考えた方が自然な気がする。剣が判断するって考えるよりも。

 

 天使階級の第二位、ケルビムについては、良く知られているところの別名を知天使という。

 ここで非常に重要な点が一つ。

 この”()天使”。 この”知”は真っ先に考えてしまうだろう、知識を(つかさど)るという意味ではない。実はこれ、神の御姿を見る事が出来るから、知る天使と書いて知天使なのである。

 順当に考えれば、この天使が侵入しようとする存在を、人間であか否かと判断しているのだろう。しかしこの天使が司るのはあくまでも神との橋渡しである。高位存在とされ、人間にはその存在を感じる術の無い神を、ワンランク低い天使から神は実在するとして語るための、いわば宗教における”巫女”の役目であると考えられた。

 

 だからこそ、人間というには機能の狂い過ぎた俺が蜘蛛の外見をした義体に乗れば、何とか誤魔化せるのでは? と、精一杯の偽装の上で挑んだのだ。

 結果、ここに至って未だに雷に打たれる気配は無い。

 今のところは、何とか誤魔化せているからこそ、ここまで進入出来たのだろう。

 

 

 付近の情報の解析が終了するシグナルが届いた。

 目指すは生命の樹。

 ところが肝心の樹の方角が分からなかった。

 そもそも方位磁石が正常に機能していない。今までの進路と義体の倒れていた方向から、正面やや南よりと思われる方角に遠く一際大きな樹が見えるが、もしやあれだろうか?

 判断に足るものが他に無く、残りの義体の稼働時間が少ない現在、あの樹を目指す以外に選択肢はあるまい。

 

 

 どうか、あの樹が生命の樹でありますように、と、祈る場面なのだろうが、祈ったって何も変わらないって事は、俺にとって持論を通り越して経験で学んだ事実でしかない。

 だから俺は何にも願わず祈らず、ただ目標に向かって、いつも通りに黙々と歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(流石に他の樹に比べて大きいな)

 

 大樹の下まで辿り着き、頭上を覆う梢を見上げる。

 大きいも大きいが、それ以外にも普通の木と違った点も目に付いた。

 こういった木は年数と共に上も伸びるが下も太る。俗に言う幹と呼ぶ部分が太くなる。それは表面付近が成長するのでなく最も内側から成長するもので、古く硬い表皮の部分には新しい枝は生えてこない。

 もちろん元は枝があった節などには生えるが、しかしこの木は様子が違った。

 大きく茂った梢の下であり、(ろく)に日光も当たらないただの幹の場所でありながら、あちらこちらに緑芽が芽吹き、若くしなやかな枝が伸びているのだ。

 そして大樹の枝で、その先端にのみ、赤く色付いた林檎にも似た実がたわわに実っていた。

 

 

(林檎に似た実、だと?)

 

 ソレは伝承の中で語られている。

 最初の人間が食べた禁じられた木の実。

 

 ”知恵の樹の実”

 

 林檎に良く似た実と語られる事の多い実。

 だが自分が求めている物はこれではない。

 もちろんこれがやっぱり”生命の樹の実”だった、という可能性もあるが……

 

(時間が無い)

 

 電力が心もとなかった。

 別の場所に心当たりがあるなら別だが、宛も無く探して回るだけの余裕など何処にもなかった。

 

 心を決める。今悩んだところで時間の浪費にしかならない。

 蜘蛛の腹部の先端を地面に突き刺す。

 微かな作動音と共に先端部がアンカーとなってより深く地面に突き刺さり、そこから腹部までにちょうど蜘蛛が糸を吐くように、透明で細いワイヤーが(つな)がっている。

 

 このワイヤーは蜘蛛の糸以上を目指して研究された試作品だ。性能は蜘蛛の糸と同程度だが、それでも強度は鋼鉄の五倍、伸縮率はナイロンの二倍である。この強度は鉛筆位の太さで巣を作れば、理論上は飛んでいる飛行機を受け止める事が可能な強靭さだ。事実、大人の親指大の蜘蛛は空飛ぶ小鳥すらも、その巣で受け止め捕食してみせる。

 蜘蛛型義体は実際の蜘蛛とは大きさが桁違いで、装備している糸はいくつか太さはあるが、その(ほとん)どが蜘蛛の糸よりも太い品だ。その分だけ強靭さも跳ね上がっていた。体重を支えるに不足はない。

 

 まるでこれからこの巨大な蜘蛛が巣を張ろうとしているかの様に、糸を繋げたまま、残されているたった五本の脚を器用に使い樹の幹を上っていく。

 八足の内の三本を失ったとはいえ、もともとが樹も登れる様にと設計した義体だ。脚の先端部に(そな)えられた強力な機械式のスパイクは、本来の用途とは別に、ここに来るまでに竜巻の中でその性能を発揮してくれた一品でもある。

 

 えっちらおっちらと登っていく。

 

 ようやく実の生った枝の所まで登ったが、この枝はかなり若い。頭上のがっしりした太い枝に比べれば明らかに柔らかそうで、この義体で乗ったりしようものなら一発で()し折れるだろう。

 糸を上手く幹に引っ掛け、蜘蛛が巣を作るように降りて登ってを幾度か繰り返して樹の実を採るための足場を確保する。

 一回登ってしまえば後はワイヤーを利用して登坂すれば良い。稼動部位の少なさは消耗に直結する。エネルギー量にすれば微々たる物だった。

 

 

 

 

 とうとう樹の実が目の前にある。

 

 そろそろと前足を伸ばす。

 喉がゴクリと緊張からか、はたまた瑞々しい果実を前に水分を欲してか鳴る。

 

 

 ゆっくりと前脚を伸ばし、スパイクを折り畳んだ内側に仕込んだアームで実に触れる。

 やはり近くで見てもかなり林檎に似ている。細かく違いを言えば、先端に向かって先細りになっておらず、球形に近い形をしている点だろうか。アームで触れた感じでは、かなり柔らかい果肉のようだ。

 

 実を傷付けないように、慎重に枝からもぐ。

 

 蜘蛛の口に当たる場所へ持っていくと、その部分に穴が開き樹の実を飲み込んでゆく。

 微かにモーター音が聞こえ、蜘蛛の中にいる俺自身の口元に冷たく瑞々しい物がくっついてくる。蜘蛛の口から呑まれた樹の実だ。

 この機能は蜘蛛に乗っている時に自力で外部から食事が出来るようにとつけたもの。もちろん何でもは食えないが、小振りな林檎台の樹の実を食べるのには十分だ。

 

 

 皮ごとそのまま一思いに齧った。

 

 

(何だ、これ? 知る限りの食べ物の味が混じってるのに、それぞれの味がハッキリしてる)

 

 何味? と聞かれても、とても答えようの無い味が口いっぱいに広がる。

 うまいか? と聞かれれば、もう良いや、としか言えない味だ。

 舌が飛びそうな天上の美味を自然と想像していた身からしたら、なんともいえない落胆の味だった。

 

 

 どくん

 

 

(あグッ!?)

 

 どくん、どくん

 

 

 まるで病気の発作のように心臓が強烈に脈打ちだす。

 血液が焼けた鉄のような熱をもち、鼓動と共に全身へ駆け巡った。

 

(ア、ぁア”、ギ、ぃガあああぁぁあぁぁぁぁあッッ!!!!!)

 

 体を体内から焼かれる感覚に身を捩り身悶えした。今まで痛みは数え切れないほど経験したが、これほどの、全身の血管が毛細血管に至るまで痛みの塊になったような激痛は、一度も経験した事がなかった。

 どくん。

 鼓動と共に苦痛そのものが全身を駆け巡る。

 更に体内を焼いた熱が脳まで廻り、そこで比較にならない程の熱を生み出した。脳に神経は無いにも関わらず、そのあまりの灼熱感に意識までが赤熱してゆく。

 

 音にならない絶叫を口から吐き散らし、ワイヤーを踏み外してそのまま意識諸共落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ゆらり………ゆらり………ゆらり………

 

(ぉあーーーー……)

 

 今度の気絶はかなり短かったのだろうか。まだ逆さ吊りの蜘蛛は転げ落ちた勢いを残してぶらぶら揺れていた。

 

(気持ち悪い。これはきつすぎる……)

 

 さっきの熱の後遺症なのか、頭の奥に強烈な異物感があり、ガンガンと激しい頭痛も襲ってくる。

 この程度の痛みならば慣れているが、異物感の方はどうにも駄目だ。

 この体には機能を失った内臓などに代わって機械が埋め込まれているが、頭の奥にこれほどの異物感を出す代物を抱えた事は無い。

 

(だが、収穫はあった)

 

 やはり今食べた実は”知恵の実”の方だったらしく、求めていた方では無かったものの、予想もしない変化が自分の体に起きていたのだ。

 その変化が頭の奥の異物感であり、自身の持つ知識に起きたもの

 この楽園の存在自体があの伝承を肯定するならば、人類は既に一度、その身に知恵の実を取り込んでいる。俺の場合はこれで二度目になるからなのか、”知恵”ではなく、それを支える”知識”を得ていたのだ。

 

 人類が辿ってきた真実の歴史。

 今まで人類が積み上げ、自身も研鑽した科学という分野。

 文化に芸術。

 政に戦。

 

 知るはずの無い様々な知識を、まるで知っていたかの様に思い浮かべる事が出来た。

 これらの知識は全て今より過去の物。それこそ太古の昔といって良い時代の知識もあるが、これより未来に起こる事柄や発明される技術を得た訳ではない。

 だがそれで十分以上に今の自分には役に立つ。

 

 

 知識の中に原初の、遥か(いにしえ)の”始まりの人間の知識”がもつ、”この楽園”の情報があったのだから。

 

 

 この幸運に比べれば痛みや異物感など何ほどの物か。

 すぐさま知識の中にある生命の樹の場所へ移動を開始した。自動(オート)での移動に設定し、自らは義体の制御システムの最適化を開始する。残りの電力では生命の樹まで辿り着けない。故に、辿り着くためには迅速かつ確実な今以上の効率化が必要だ。

 

 入手した人類最先端の電子工学、及び機械工学の知識を元に、蜘蛛型義体の動作システムを書き換えていく。

 この作業は絶対に失敗出来ない。現状で予想距離に保有エネルギーが足りないのだから、僅かな失敗が数秒の稼働時間をふいにしただけで致命的な遅れになってしまう。

 

 

 草地を抜け、森の中を進んで行く蜘蛛の動きが見る間に滑らかになってゆく。

 それ以前は折れてぶら下がった脚を引き摺り、何とか立っているような状態で慎重に進んでいたが、今ではその折れた脚すら使って滑る様に木々の根や、苔むした岩を越えて行く。

 その滑らかな動きはまさに生物としての蜘蛛に酷似していた。

 

 

 

 やがて目的地が近付いて来た。

 信号化された視界に、森の木々が途切れ、ぽっかりと開いた土地が映った。

 日の光が差し込み、樹木の代わりに色とりどりの花が咲き乱れるその中心に、(つた)とコケに覆われ朽ち果てた石造りの小屋。

 

(あそこか)

 

 蜘蛛は勢いのままに半ば外れて傾いた扉を突き破り、小屋内へ飛び込んだ。

 

 

 そこは、一種異様な光景が広がっていた。

 

 敷石が破れ大きく土が剥き出しになった地面に、そこから生えた一本の樹。

 幹も枝も細く、(たけ)も大人ほどしかない見るからに弱々しい樹が、しかし(ほの)かに蒼と(みどり)の光を放ち、窓も無く暗い室内を神秘的なグラデーションで照らしていた。

 その揺らめきは、まるで澄み切った川床にいるかの様な美しさ。

 魅了されるとはこの事だろう。言葉もなく見惚れた。

 

 

 はっ、と我に返った。神秘的な空間に引き込まれ、随分長い間抗していたように感じた。

 しかしゆらり、ゆらりと揺らめく光と影に心を奪われていたのは、実際は五・六秒だったろう。

 視界の隅に映るカウンターが赤く染まって残り十五秒を示し、はっと我に返る。

 

(呆けている場合じゃなかった)

 

 するすると樹に近づく。

 よくよく見れば、まるで()りガラスで出来ているかの様な樹だ。

 その樹の天辺に、夢に見るほどに求めた物が実っていた。

 

 その実は確かに林檎に似た果実だったが、それは形だけでしかない。

 実自体が水の様に美しく透き通り、内に蒼と翠の光を放つ種子を持つ。これこそ類い稀なる宝石と呼びたくなる存在だった。

 

 

 樹が折れないように注意しながら支えにして後足で立ち上がり、アームでそっと、”生命の実”をもぎ取る。

 

 そのまま蜘蛛の口に運び入れ、実が自分の口元に触れたその瞬間。

 自分の背中側、扉の破れた入り口で光が(またた)き――

 

 

 

 ドドオッッッッッッッッ!!!!!!

 

 

 

 水平に(・・・)奔った落雷に吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……ぁ………、ぅぁ……ぐぅ)

 

 激しく石の壁に叩きつけられた義体の中で呻く。

 幾ら緩衝材があるとはいえ、かなりの衝撃が俺の体を痛めつけていた。

 

(ヅぅ……今のは雷か? やはり、両方の実を食べる事こそが、最も警戒されていた、か。

 だが雷に対策をしていなかったら、これは即死していたな)

 

 例の”きらめく炎の剣”とやらへの対策は勿論していた。

 義体が強力な電撃を受けた際の保護機構を幾つも組み込み、且つ、危険そうな行動ではそれなりの用心をしてきた。

 攻撃を受けるとしたら最も可能性が高いのはこの小屋だ。だから入る手前の地点から腹部のアンカーを地面に突き刺し、そのままアースとして備えておいた事が命運を分けた。

 損傷した脚部が誤作動し、跳ね飛んで壁に叩きつけられたのは流石に誤算だが、命を落とし義体を棺桶にせず済んだ。

 しかしそれとて、あれだけのエネルギーを連続では無理に違いない。後は何秒耐えられるかの勝負になるかなのだが……

 

(――二発目が来ない? どういうことだ?)

 

 正直な所、死ぬまで雷が落ちる物と思っていたが……

 素早く立ち直ったシステムを操りセンサーを入り口の方へ向けると、そこには大きな純白の羽が舞っていた。

 正視しかねる程に神々しい一点の曇りなき純白の二対四羽の大翼。

 

 

(あれが知天使か)

 

 知天使。

 『天使の階級』において第二位に位置し”神の玉座”、”神の乗り物”とされ、古き名を『ケルーベイム』、中世には『ヘルヴィム』と呼ばれる。

 伝承に四つの顔と四つの翼を持ち、翼の陰に人に似た腕を持つと伝えられた天使。

 その姿は人、獅子、牛、鷲の四面を持ち、一対の翼は天を指して交差し、一対の翼は存在しない自らの体を覆い隠している。そして翼の陰にある人に似た腕は”神の手”だとされる。

 この天使の仕事はたった二つしか伝えられていない。

 一つは『楽園』の守護。

 もう一つは『契約の箱』の守護者。

 

 神の手を持ち、神から重要な守護を任される天使とされる。

 

 

 

 その天使が今、白い光としか形容できない光輝を纏い、そこに(たたず)んでいた。

 

(しかし、これは幸運と言えば良いのか必然と言えば良いのか)

 神罰の雷撃は降りない。

 翼の陰から覗いた造形美の極地を現した手。その手には”きらめく炎の剣”と記された(つるぎ)が握られていたのだが、

 

(あの剣、腐ってやがる)

 

 そう。神が大昔に用意した剣は長い時に蝕まれ、もはや錆びの棒と化していた。

 しかも今の一撃の代償か、あまりに脆くなった刀身が崩れ、中ほどから先が地面へ落ちていた。

 

(なるほど。神話の神々が作る武器って大抵は……)

 思い起こせば、古今東西の伝承には神々の打った武具が多く記されている。その多くは鉄や青銅といった金属で作られ、鍛冶の神がその腕を振るう事で強力な存在となった。

 この剣もいくら性能が良くても、所詮は神ならぬ金属の武具。

 神すらも変えることの出来ない時間という概念は、一本の剣を朽ち果てさせるには十分すぎたのだ。

 

(何にしろチャンスだ)

 

 義体の中でシェイクされた体を必死で動かし、”生命の実”に喰いついた。

 

 

 どくん

 

(ぬっ、ぐぅ!!)

 

 どくん、どくんと先程に食べた知恵の実と同じ現象が起こる。

 血管を流れる血液が堪えられないほどの熱をもち、全身を駆け巡りながら焼いていく。

 だが今回は心臓だった。激しく脈打つ心臓はどんどんそのスピードを上げ、それと共に焼け爛れた鉄の塊だと言わんばかりに熱くなる。

 自分に腕があれば、いっそこの胸を裂いて抉り出したい。

 そんな事をすれば当然死んでしまうが、それでも検討してしまう程にその痛みは身を(さいな)む。

 

 だがどれ程だろうか、そうは長引かず熱と痛みは収まりだす。

 て鼓動の異常な細動も緩くなり、血の熱も随分と引いてきた。

 これで俺の体は治ったのだろうか?

 手足が生えたり目が見えたりは無い。何が変わったとも分からないが、しかしやり遂げたという喜び総身を満たしていた。

 

 

 

 

 ドズッ

 

 

 

 

 いきなりだった。

 何か、身体の中から異音がした。

 

 まるで尖った物が突き刺さったような――そのまま無理矢理押し込まれるような振動が体の中(・・・)で響いた。

 

(なん、ッごぷっ!!??)

 

 認識を待たず、熱い塊が喉を駆け上り口からあふれ出した。

 (えふっ、ふ、ごふっ!)

 酷く生臭い血臭を嗅ぎ、自分の胸を貫く何かをハッキリと感じて、ようやく悟った。

 (何かが背中から貫通してる!?)

 

 動く事も出来ず、義体の中で血を口と胸から(こぼ)していた身体が、この胸を貫いた物と持ち上げられる。どうやら壁に叩きつけられた時に背中の上部ハッチが開いていたらしい。

 

 べちゃべちゃと、ぼとぼとと、吊り上げられた体から血が零れ落ちていく。

 

 もとよりろくに動かない体は力を失い、その首を持ち上げる事すら出来なくなっていた。

 (ち、くしょう……いったい……何が、刺さった?)

 未だに首筋を含め体の各部に繋がったままの義体のライン。そのラインを通じて蜘蛛の瞳を開く。

 

 そこには四枚の翼にしか見えない天使が、翼の下から伸ばした細い手で朽ち果て折れた剣を握り、四肢の無い男を、まるで百舌のハヤニエのように串刺しにした姿だった。

 その姿は胴だけの身体から幾本も垂れ落ちるケーブル、そして袋に穴を開けたように流れ落ちる血液で、まるで現実感がなかった。

 

(くそっ、たれ、が……っ!)

 

 そうだ。

 鉄だ。

 たとえ錆びの塊になろうと、アレは金属。

 それなりの力があれば十二分に武器に成り得る。

 まして対象が筋肉も脂肪もおよそまったくと言って良いほど無いのなら尚更だ。

 

 ごぶごぶと喉に血液が詰まり呼吸が殆んど出来ない。

 視界の先の自分の体は既に弱弱しく痙攣している。

 

(邪魔、ばっかりしやがって・・・!)

 

 そんな状態でも意識だけはハッキリしていた。

 それこそ、コレも生命の樹の実の恩恵かもしれない。

 だがそんな事はどうでもよかった。

 

 

 ぐつぐつと、心が煮え滾る。

 

 

 これでハッキリした。

 あの手の持ち主、神様とやらは俺が両方の実を食った後(・・・・)に殺しに来やがった。

 

(あくまでソレは自分一人でいいってか?)

 

 唯一神様とやらは存在した。

 全てを司る神様とやらはいた。

 

(だったら、このポンコツの体に縛られた生も貴様の仕込みか!)

 

 挙句にわざわざ俺達が死ぬ思いで掴んだ後に殺すだと?

 

 

 

「ふざけんなよ…………

 

   ―――――――どこまで邪魔しやがる!!!!!!!」

 

 

 発病してから呼吸音しか出せなかった喉が声を取り戻す。

 怒りのままに絶叫した口から<ruby><rb>蘇芳≪すおう≫が散った。

 横倒しになっていた俺のもう一つの体、俺自身が設計し、愛する弟と造り上げた八足の狩人が跳ね起きる。とうにエンジンは止まり、電力も尽き果てていた筈が、猛然と知天使に飛び掛った。

 

 左右の前脚に装備されたスパイクが体を隠すといわれる翼を貫き、未だに俺の体を串刺しにする剣を握る細腕を重量と速度に任せて切り落とした。

 

《―――――――――――――――ッッッッッッ!!!???》

 

 傷を負う事などありえん。そう言わんばかりに傲慢にも微動だにせずにスパイクを受けた瞬間、凄まじい音量の、しかし人間には理解出来ない異様な言語の悲鳴が二重に響き渡った。

 体が開放され剣とそれを掴んだ腕ごと地面に叩きつけられるが、それを無視して蜘蛛はさらに脚を振るう。

 

 自分の体を翼しか持たない者の抵抗がなにほどの物か。

 存分に四翼を貫き切り刻む。

 反対側の翼の陰から伸びてきた腕に脚を一本千切られはするが、即座振り落とされた反撃によって左腕と同様に叩き落される。

 血ではない、見えない命が飛び散った。

 

 純白の翼は羽根を削ぎ落とされ、美しく伸びた骨を無残に折られた。

 翼の陰から伸びる”神の手”はその両椀を肘より先から失い、純粋な“命”を(ほとばし)らせている。

 もはや天使は死に体であった。

 永遠の存在を自らのみとした以上、その被造物である天使が永遠の存在であるはずが無い。

 

 

  「死ね」

 

 

 串刺しでうつ伏せに地に横たわったまま、

 どれほど振りにか開いた目で見詰めつつ、

 今までの人生で初めて覚えた心底からの害意を込めて宣告した。

 

 同時、組み付いていた蜘蛛が翼を、虚空に繋がる根元から二翼纏めて引き千切った。

 

《――――――――――――!!!!》

 

 壮絶な断末魔。

 謳い上げられるそれは、今の俺には耳障りでしかない。

 

 翼の下にはやはり何も無かった。

 僅かに覗いていた肘までの千切られた腕も掻き消えていき、天を指していた二翼もその光輝を失い地に落ちる。

 

 

 

 

 

「っは。」

 

 息が漏れる。

 目の前には無残な四枚の翼と、機械の蜘蛛と人と似た存在の千切れた腕。

 蜘蛛は各坐したまま動かない。

 俺は、もう動けなかった。

 

(目と口が治ったが、義体つけるのに自分で切り落とした手足は生えてこない、か)

 

 おかげでこの胸を貫いた”神の手”つきの錆び剣を抜く事も出来ず、起き上がる事も転がる事もできない。もっとも生命の樹の実の恩恵で、心臓と肺を抉ったと思われる傷でも、こうして死なずにいられる。

 だが怒りが過ぎ、気が抜けた今、抗い難い闇が意識を呑み込もうとしていた。

 

 (あぁ、今の心臓に剣が刺さった状態で死なかったのは良いが、このまま落ちると、もう目覚めないんじゃないかな……)

 

 瞼を開けている力も無い。

 意識に靄が掛かり、思考が回らなくなっていく。

 これは、抗えない。

 でも。

 でも――

 

(い、きるんだ。生きて、目覚めるんだ)

 

 意識に、

 心に、

 死に物狂いで刻み込む。

 肉に、釘で文字を刻むように、刻んだ。

 落ちる寸前まで繰り返し、そして最後の最後。

 たった一人の、残った家族の事が浮かんだ。

 

 

 

「――・・、・――」

 

 

 

 

(……しあわせ、なって……)

 

 

 

 

 

 




※注意事項

 この小説に出てくる神話や伝承は、実在するお話を作者によって一部創作、又は改変された物です。本来の物とは違う記述がかなりあり、作者の憶測なども混じっていますので、その点はご理解ください。

(例)
 作中の『東の楽園』はエデンの園をモチーフにしておりますが、かの地は『楽園』等としか呼ばれません。
 では『東』というのがどこから出てきたかというと、神の使わした番人である知天使と”きらめく炎の剣”が楽園の『東』に置かれた、という記述を、何で『東』なんだよどういう理屈だ訳ワカメ。 といった具合で改変してあります。

 ここら辺も『東』の解釈の仕方で色々な考えが出てくるんでしょうが、ここでは単純に方角として表現しました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。