その灰は勇者か? それとも…… 作:人間性の双子
銅で作られた剣。金属としてはやや強度に難がある銅であるが、ある意味ではこの上なく優秀な面を有している事はあまり知られていない。
装備としては旅の初めに手に入れる物として上位の武器であり、これを手に出来る事が一種新人の卒業を意味していると言えるだろう。
もし天候が荒れている日は、これを持ち歩かない事だ。銅とて金属。神が鳴らす一撃を引き寄せてしまうだろう。
「私の名はライド。職業は見ての通りさ」
戦士殿が女性であった事に驚いていた二人が落ち着いたところで、ライドと名乗った戦士殿は飲んでいた酒の入ったジョッキを片手に椅子へと座り直した。
「で? そっちの名は?」
「ああ、紹介が遅くなってしまったな。こちらの僧侶がステラ、武闘家がフォンだ」
「ステラとフォン、ね。ま、私の事は好きに呼んでくれ。ライドでもいいし、あんたでもお前でもいい」
そうあっさり告げると戦士殿はジョッキを傾け酒を飲み干していく。豪快な飲み方だ。
「な、何で男の振りなんてしたのよ?」
「ん? 私は別に男の振りなんてしてないぞ。元々声は低めだし、言葉遣いも親父殿に育てられたからこうなっただけだ。それに、一度でも私が自分で男と言ったか?」
「ぐぬっ!」
「ははっ、その点坊やは大したもんだ。私を女と最初から分かっていたのだろう?」
「正確には、途中で気付いたのだ」
「途中、か。どの辺りで?」
「何も貴女とのやり取りではない。階段を上がったところで声をかけてきた女性が、私にこう言った事を思い出しただけだ。今夜は私だけしか男が来ないかもしれない、と」
私がそう言った瞬間、フォンとステラが小さく声を出し、戦士殿は一瞬面食らった後で楽しげに笑みを見せた。
「だから貴女が女性だと思ったのだ。そう思って見てみれば、腰回りなどが以前見た戦士の男に比べて若干細い印象を受けた。なので貴女が兜を取った時も驚きではなく納得だったのだ」
「……大したもんだ。お前さん、年はいくつだ?」
「十六だ」
「十六、とはね。いや、さすがは勇者ってとこなのかね。まるでその倍は生きてる気がするよ。ふむ、これはちょっと考えてもいいかね」
私を腕組みしながら見つめ、戦士殿は何か企むような顔をする。それがどことなく感じが悪いように思え、私は雰囲気を変えるべく話を打ち切ろうと思った。
「では、まずは場所を変えよう。戦士殿、宿を取っていないならついて来て欲しい。我が家に案内する」
「我が家、か。食事も出るのかい?」
「このっ、どこまで厚かましいのよっ!」
「別に私は構わないんだ。一人、宿を取ってもさ」
「っ!」
戦士殿の言い方にフォンが拳を握った瞬間、私はフォンの前に移動し戦士殿と向き合った。
「戦士殿、何故そうやってこちらを煽る? いや、言い方を変えよう。何故試す? 仲間として信頼に足るかどうかを見るならば、魔物との戦いなどで判断すれば十分だろう」
「甘いな。こういうところでの反応なんかが戦い方とかに出るもんさ。で、そういう意味で言えばその武闘家はちょっと短気だね。僧侶の方は多少忍耐があるみたいだけど……」
「何か言いたい事があるのならどうぞ」
「じゃあ一つだけ。そんなに険しい顔してたら我慢してないのと同じだよ」
「っ……ご忠告ありがとうございます」
私でも分かる。この雰囲気は不味い。戦士殿の言う事も分からないでもないが、これでは以前の私以上に性質が悪い。
これでは戦士殿を仲間に入れない方がいいのではないかと思ってしまう程だ。だが、今更そんな事を言っても仕方ない。あそこまで言った以上、勇者としてナジミの塔から帰ってくるまでは戦士殿も信じてみなければならない。
「戦士殿、食事の方も母に言えば用意してくれると思う。もし無理だとしても、私の方で料金を出して食事を御馳走しよう」
「「勇者(様)っ!?」」
「さすがは仮にも勇者を名乗るだけあるか。じゃあ、お言葉に甘えるとしようかな」
戦士殿はそこでやっと椅子から立ち上がって動き出した。フォンとステラが若干睨むような眼差しを向けるが、戦士殿はそれを気にもせず通り過ぎる。
やはり、こうなるとフォンやステラは戦士殿の言うように素直なのだろう。だが、私はそれを悪い事と思わない。この世界ではその方がいいのだと、そう思うからだ。
「フォン、ステラ、言いたい事は分かる。だが、ここは私を信じてくれないか? あの戦士殿は、人柄はともかく冒険者としては優れていると思う。向こうがこちらを仲間とするかどうかを見極めるように、二人も戦士殿を仲間にするかどうか見極めて欲しい」
「勇者はどうするのよ?」
「私は、私についてきてくれた時点で信じようと決めている。二人が私に人を信じる勇気を教えてくれた。だからだ」
「裏切られても構わないと、そういう事ですね?」
ステラの確認に迷う事無く頷いた。その瞬間、ステラだけでなくフォンも小さく苦笑して息を吐いた。
「そ。じゃあ、あたしもそうするわ。たしかにむかつく奴だけど、間違いなくあの下品な奴らよりもマシだもの」
「そうですね。私もそこに賭けてみます」
真っ直ぐな眼差しで私を見つめてくる二人に胸が騒ぐ。ああ、何と強く気高いのだこの二人は。私が時間をかけて持つに至った決意を、こんなにも早く抱けるとは。
この眩しさを持つのがこの世界の者達か。であれば、やはりここは光の世界だ。人の闇を恐れず受け止めるだけでなく、包み込んで輝くのだから。
「……二人に感謝を。では、行こう」
「「はい(ええ)」」
階段の近くで待っている戦士殿へ合流するように私達も動き出す。揃って一階へ降りると、女主人がこちらに気付いて微笑みかけてくれた。
「どうやら上手く行ったみたいだね」
「いえ、まだです。戦士殿はこちらの仲間になるかを留意しています」
「留意? どういう事だい?」
「簡単だよルイーダさん。私はまだこの”勇者様ご一行”が力を貸すに足りる奴らが分からないのさ。で、ナジミの塔へ行って帰ってくるまでで判断してくれって言われてね」
戦士殿の言い方にフォンが表情を引きつらせ、ステラでさえ表情を一瞬硬くした。それに気付いているのかいないのか分からないが、戦士殿は少しだけ楽しげに笑みを浮かべている。
女主人はその言葉で何か理解したらしく、若干苦笑して私達を見回す。だが、急に優しい笑みを浮かべると後ろの棚へ目を向けた。
「あんた達、食事はもう済ませたかい? まだならここで軽く食べていきな。今なら飲み物を一杯目タダにしてあげるから」
「一杯目って、ルイーダさん、ちょっとケチじゃない?」
「何言ってんだよ。こちとらこれも大事な商売なんだ。それも、何を飲んでも一杯目は金を取らないって言ってんだよ。十分太っ腹じゃないか」
「それもそうだ。なら私は一番高い酒をもらおうかな」
憮然とするフォンとは対照的に戦士殿は小さく笑みを浮かべて近くのテーブルへ近寄って行く。どうやら今日の夕食はここで済ませるのが良さそうだ。そう思って私も同じテーブルへと向かう。
「ゆ、勇者様?」
「ステラ、フォンも座ってくれ。母はまだ私達が帰ってきている事を知らない。なら、食事の支度は厳しいと思う。だから、ここで夕食を済ませながら戦士殿と明日の事を話し合う方がいい」
「それは、そうかもしれないけどさ」
「フォンさん、座りましょう。ルイーダさんのご厚意を無下にしたくありませんし、勇者様もああ言っているんですから」
「……分かったわよ」
戦士殿と向かい合う位置に私が座り、ステラとフォンが空いている場所へ腰かける。すると、テーブルに一本の瓶とグラスが四つ置かれた。
「はいよ。遥かポルトガからやってきた葡萄酒さ。旅の扉が使えなくなった今、高いんだよ、これ」
「旅の扉が、使えない?」
「どういう事ですか?」
「何かあったの?」
「まさか魔物に破壊されたか?」
女主人の言った言葉に私達は揃って疑問符を浮かべる。戦士殿さえも同様だ。
「違うよ。何でもいざないの洞窟の旅の扉へ続く道で崩落があったらしくてね。今、旅の扉への道は岩で塞がってるって話さ」
「撤去にどれぐらいかかりそうですか?」
「さてねぇ。聞いた話だと、人の手じゃどかすのは難しいぐらい岩があるそうだよ。まほうのたまがあれば話は早いらしいけどね」
「まほうのたま?」
初めて聞く名だ。おそらく魔術関係だと思うのだが?
「使うと大きな爆発を起こす玉だ。たしかレーベにそれを作れる老人がいる」
瓶から中身の酒をグラスへ注ぎながら戦士殿がそう言った。美しい赤色の液体がグラスへと流れて行く。あれが”ぶどうしゅ”と呼ばれる酒か。まるで血のようだと思ってしまうのは、あの世界で見てきた光景故だろうな。
女主人へ目を向ければ、小さく頷いてくれたのでどうやら戦士殿の言葉は本当らしい。それにしてもレーベにいた時、そんな話は聞かなかった。いや、もしかすれば聞いたかもしれないが”まほうのたま”の事までは聞いた覚えがない。
「戦士殿、一体どこでそれを?」
「長く旅をしてると色んな場所で離れた場所の話を聞く事もある。そういうことさ」
暗に詳しい話をするつもりはないと言われた。だが、今の話が本当だとすると困った事になった。おそらく、その旅の扉を使わなければ魔王へと近付く事は出来ないはずだ。
そうなるとまずはレーベに行くべきだろうか? いや、それでは戦士殿との約束を破る事になる。ここはまずナジミの塔を優先しよう。
「まずはナジミの塔へ向かおう。まほうのたまに関してはその後でも遅くはない」
「いいの?」
「ああ。レーベで聞き込んだ時にまほうのたまに関して聞く事はなかった。ならば、今行っても仕方ないだろう。それよりも今は戦士殿からの信頼を得る方が先だ」
「私からの信頼、か。ま、優先順位の付け方としては合格だ。今の自分達に出来る事やしなければいけない事。それらを考えて一番に何をするか。その辺り、坊やは分かってるようだ」
グラスに注いだぶどうしゅを一気に呷り、戦士殿は二杯目を注ごうとして、酒瓶を女主人に取られていた。
「二杯目からは有料だよ」
「……しっかりしてるよ、ルイーダさんは」
「褒めてくれてありがとよ。ほら、あんた達も飲みな」
「いや、私は」
フォンやステラはいいかもしれないが、アルスはまだ酒を飲める年齢ではない。そのため断ろうとしたのだが……
「いいからアルスも飲みな。一杯だけなら神様も見逃してくれるさ。それに、これはあんた達の無事を願っての酒なんだから」
「私達の無事を……」
「何となく分かるんだよ。これであんた達はもうここにしばらく来ないってね。だからあたしからの餞別さ」
「ルイーダさん……」
「そういう事だったんだ。だからこいつは……」
瞳を潤ませるステラとどこか悔しげに戦士殿を見るフォン。戦士殿は何食わぬ顔でグラスに少しだけ残ったぶどうしゅを名残惜しそうに飲んでいる。
それが私には照れ隠しのように見えた。もしかすると、戦士殿は素直でないだけで二人と同じく優しい者なのかもしれない。
「そういう事ならいただきます。貴女に感謝を」
「あははっ! アルスのそういうとこは変わらないんだね。もっと砕けた言葉遣いでもいいんだよ? まぁ、その方が舐められないかもしれないけどねぇ」
グラスを差し出すと女主人は、いやルイーダ殿は楽しげに笑ってぶどうしゅを注いでくれた。その後、フォンとステラも注いでもらい、私はある事に気付いてGの入った袋を取り出してテーブルへ置く。
「これは?」
「ルイーダ殿、戦士殿へもう一杯そのぶどうしゅを注いでもらえぬだろうか? 料金はここから取っていって欲しい」
「おいおい、別に私は」
「一時とはいえ仲間として同じ場所へ向かうのだ。なら、その縁を大事にしたい。この酒はそのために使いたいと思うのだ」
隠す事なく本心を告げる。私の脳裏にはあのカタリナの騎士との一時が過ぎっていたのだ。
―――貴公の勇気と、我が剣、そして我らの勝利に太陽あれ!
不死でありながら酒を飲み、エストでスープを作っていたあの騎士。その大らかさと温かさを思い出し、私はあの時受けたものを継げるように、グラスを掲げて戦士殿やフォンにステラを見る。
「さあ、乾杯しよう。戦士殿の勇気と、我が仲間、そして我らの出会いに太陽あれ」
「太陽あれ?」
「独特な乾杯の音頭ですね」
「でも、何かいいじゃない。魔王なんて闇が世界を包もうとしてるんですもの。なら、太陽あれって言うのはあながち間違ってないわ。光あれって事でしょ?」
私の言葉に戦士殿とステラが不思議そうな顔をする中、フォンだけが嬉しそうに笑みを見せてくれた。ああ、そうだな。この世界には太陽があるのだ。
だが、それを覆い隠そうとする魔王がいる。それを闇とするのなら、この言葉程相応しいものはない。その太陽に私達はならねばならないのだから。
だからフォンの問いかけに迷う事なく頷く。そう、あの世界には光がなかった。その象徴こそ太陽だったのだから。
「ほら、ステラもグラス掲げなさい。そっちも、これぐらいは構わないでしょ? ルイーダさん、注いで注いで。儲けるチャンスよ?」
「はいはい。ほら、グラス出しな」
「ちょっとちょっと……ったく」
「クスッ、いいじゃないですか。二杯目のタダ酒ですよ?」
「……いいか? 世の中、タダより高いものはないんだよ」
「いいじゃないか。その御代はどうせもう自分で払うって決めた事なんだ。なら、遠慮するだけ損ってもんだよ」
そう楽しそうに言い放ち、ルイーダ殿は私へ片方だけ瞬きをする。器用なものだ。
「ほら、勇者。もう一回音頭をお願いするわ」
「分かった」
答えて一度そこにいる者の顔を見て行く。フォン、ステラ、戦士殿。程度の差はあるが、誰もが笑みを浮かべていた。それに私も笑みを浮かべグラスを掲げる。
「我らの出会いに太陽あれ!」
「「「太陽あれ(!)」」」
明るく声を出すフォンとステラ。戦士殿はそうではないが、それでもこちらに合わせてくれた。やはり悪い人間ではないようだ。
軽くグラスを当て、私は初めてぶどうしゅを飲む。口の中に広がる酸味と微かな苦み、だが甘さもあって最後に芳醇な香りが鼻を抜けて行く。それと飲み下すと喉が微かに熱くなった。
見ればフォンが少し頬を赤くしていたし、ステラは美味しいと言って頬に手を当てて表情を緩ませている。戦士殿は特に何か言うでもなく淡々とグラスを空にしようとしていた。
「フォン、大丈夫か? 顔が赤いが」
「う~っ、あたしあんまりお酒強くないのよ。でも、これは美味しいって分かるわ。飲み易いもの」
「そうですね。私もここまで美味しいと思う葡萄酒は初めてです」
「ふぅ……ちなみにルイーダさん、これは一杯いくらなんだい?」
飲み終えた戦士殿がグラスを片手で弄りながらルイーダ殿へそう問いかけた。すると、ルイーダ殿は口の端を微かに吊り上げて笑った。それが、私には酷く恐ろしく見えた。
「20G」
「にじゅっ!? 嘘でしょ!?」
「そ、そんなにするんですか!?」
「と、言いたいとこだけど、未来の勇者の心意気に免じて一本20Gにしてあげるよ。てな訳だからこれ、全部飲み切っていきな。その間に軽く摘むもんを出してあげるから」
そう告げてルイーダ殿はテーブルから離れて行く。戦士殿はと言えば、ならばとばかりにぶどうしゅの瓶を抱えるようにして飲み始めていた。抜け目がないな。
「あ~、びっくりした。まさか一杯で20Gなんて」
「本当です。払えない訳ではありませんが、かなり高いですし」
「何言ってるんだ。もっと高い酒なんていくらでもあるよ。それこそポルトガのワインやエジンベアのウイスキーなんて上物なら100Gは取る」
「わいん? ういすきー? 戦士殿、もし良ければ詳しく教えてくれないだろうか? 私はあまりにもこの世界の事を知らな過ぎるのだ」
私がそう言って戦士殿を見つめると、彼女はこちらへチラリと視線をやってからグラスを口へつけた。
「……ワインってのは葡萄酒の事さ。ウイスキーは蒸留酒で麦とかの穀物を使う酒だ。私は飲んだ事ないが、北国の方じゃウォッカっていう火のような酒があるって話だ」
「火のような?」
私にとっては聞き逃せない言葉だ。あのカタリナの騎士なら聞けば必ず飲もうとしただろう。
「ああ。何でも喉が燃えるような代物らしい」
「うわぁ、あたしなら絶対飲めない奴だわ」
「ちょ、ちょっと興味があります」
「何だ? 僧侶の方はいける口か?」
「え、えっと、はい……」
恥ずかしそうに俯くステラだが、いける口というのはどういう意味だろうか? 話の流れからして、酒関連の言い方だとは思うのだが……。
と、そんな私の疑問を察したのか、フォンが呆れた表情で耳打ちしてきた。
「要するに、酒好きって事。ステラ、多分だけどかなり飲むわよ」
「……飲む事はいけない事なのか?」
「え? 勇者って、お酒に酔った人見た事ないの?」
問われて記憶を辿る。私が見た酒飲みは、後にも先にもあのカタリナの騎士だけだ。だが、彼は飲む事はあっても何か様子が変わった事はなかった。ただ、飲んだ後はよく寝ていたが。
と、そこでふと思い出す。あの罪の都での戦い。あの後、彼はいつものように乾杯した後、眠ると言っていた。しかし、そこで彼は寝息を立てていなかった事を。
もしや、あの時それが意味する事に私が気付いていれば、彼はあの後も心折る事なくいてくれただろうか? 私を時に助けてくれただろうか?
「どうしたのよ? 何か辛そうな顔してるわよ?」
「っ」
心が沈みそうになったところでフォンの声が聞こえて我に返った。顔を動かせば、そこには私を心配そうに見つめる赤い顔をしたフォン。
「多分、初めての酒でそうなったのだろう。本来であれば飲んでいい年齢でもない」
「あー、そっか。じゃ、勇者はそれで飲むの止めておきなさい。ルイーダさ~んっ! お水もらえる~っ?」
私の手からグラスをそっと奪い、フォンはそのままテーブルから離れて行く。その背を見送り、私は安堵の息を吐いた。
もし普段であれば間違いなくフォンは気付いただろう。私のこれが酒によるものか否かを。幸い今の彼女は酒で注意力が散漫になっているようだ。
「あれが”酔う”という事か」
よく見れば足取りも普段よりは些か覚束無い。あの状態では、とてもではないが魔物と戦わせられないだろうぐらいだ。
「あれ? 勇者様、グラスはどうされたんです~?」
フォンの様子を眺めていると、ステラが私を覗き込むように顔を出した。その頬は赤くなっていて、吐息からは嗅ぎ慣れぬ匂いがしている。
「ああ、私は本来酒を飲んでいい年齢ではないのでフォンが持っていってくれた」
「そうなんですかぁ。ん? という事は、勇者様のグラスは空じゃない?」
「そうだな。まだ残っていた」
それがどうしたのかと思っていると、ステラは顔を私から後ろへ、フォンがいるであろう方向へ向けた。
「フォンさ~ん、勇者様のお酒、どうしたんですかぁ~?」
そう尋ねたかと思うと、ステラはフラフラと歩きながらフォンのいる場所へ向かって行く。危ない気もするが、意外にもそんな足取りでもテーブルなどをちゃんと避けている。
もしかすると、普段よりも酔った方がステラは転ぶ事などが減るのではないだろうか。そんな事を考えながら私はステラとフォンを眺めていた。
「なぁ」
そんな時、私にしか聞こえないような大きさで戦士殿が声をかけてきた。顔を向ければ戦士殿はグラスをテーブルに置いてこちらを見つめていた。どこか、私の事を見定めるように。
「何か?」
「お前、本当に十六の見習い冒険者か? さっきから見てれば、店の中だってのに隙がない。勿論気を張り詰めてる訳じゃないが完全に抜いてもいないとか、まだ冒険者となって一月足らずの新米に出来る事じゃない」
戦士殿の言葉は自身の中で確固たる何かを抱いたからこそのものだと思った。つまり、私が未熟者らしくないと言いたいのだろう。
それも、無理からぬ事だ。あの世界では、篝火の前以外では心から休まる時などなかった。その名残なのだろうな。今もどこかで周囲を警戒しているのは。
「戦士殿、失礼だがこの町での私の立場をお分かりだろうか?」
「立場?」
だが、今はそれを誤魔化すべきだ。そう思って戦士殿へ問いかける。思った通り戦士殿は分からぬようで、素直に疑問をぶつけてきた。
「私は勇者と呼ばれたオルテガの子だ。そして、その遺志を継いで魔王退治の旅へ出ようとしている。そんな私が迂闊な事を言ったりしたりすれば周囲はどう思うか。更にこの町には私の家族が住んでいる。私は何か失態を犯しても旅に逃げる事が出来るが、家族はそうはいかない。であれば、私はこの町では注意深くいなければと、そう思ってしまうのだ」
「……ま、そういう事にしておくか」
明らかに納得していない顔でそう返し、戦士殿は微かに笑みを見せる。これは困った事になった。フォンやステラが気付かなかった事に戦士殿は気付いているようだ。
私があの世界での時間で染み付いてしまった、常に警戒するという習慣を。これは、やはり不味いのだろうな。何せあの世界での私も最初の頃はよくふとした事で驚き、戸惑い、そして死んだものだ。
これも、やはりあの世界での経験が悪い方へ出た結果と言える。かと言って、今更不死として甦った当初のようにはなれないだろう。
その後、フォンがステラを連れて戻ってきた。その手に水が入ったグラスを持って。それを私は受け取り、ルイーダ殿が運んできてくれた軽い食事を食べた後、私はアルスの生家ではなく宿へと向かった。
フォンだけでなくステラも酔ったらしく、戦士殿と三人で宿へ泊まってもらうべきと判断したのだ。
「勇者様ぁ~、ヒックッ……ここ、お家じゃないですよ~?」
「では、これが宿代だ」
「たしかに受け取った」
宿の前で大きな声を出して笑っているステラを視界に入れながら、私は戦士殿の手へ三人分の宿代を手渡した。フォンは既に眠っていて、戦士殿の肩に担がれている。これならフォンの言ったような攻撃も可能だろう。
「その、後の事を頼む」
「仕方ないけど引き受けた。ま、こいつに関しては完全にこっちのせいだしな」
「す~……」
フォンが眠ってしまったのは、戦士殿が酒に弱い彼女を煽ってしまったためだ。何と、フォンは負けず嫌いを発揮して、戦士殿に言われるまま強いと言われる酒を飲んだのだが、その直後まるで糸が切れた人形のように眠ってしまったのだ。
「ただ、あっちに関しては自業自得なんだが……」
「勇者様~っ! 無視しないでくださ~いっ!」
「戦士殿が、これも美味いあれも美味いと言って勧めていたと記憶しているが?」
「……飲んだのはあいつの勝手だろ」
「ですが飲むよう仕向けたのは戦士殿だ」
こちらへ手を大きく振っているステラを見ていると、今度酒は飲ませないようにするべきと思う。戦士殿も私の視線を追って顔を動かし、若干の間の後ため息を吐いた。
「分かった。このままじゃ宿の者達にも迷惑だしな」
「そうだな。では、私はこれで」
そう言って戦士殿へ背を向け、宿から離れるように歩き出す。だが少しだけ歩いたところで腕を誰かに引っ張られた。
「勇者様ぁ、ヒックッ、なんで私とフォンさんを置いてくんですかぁ?」
「ステラ……」
振り返れば、そこには泣きそうな顔をしたステラがいた。どうしたのかと思って言葉に詰まっていると、ステラは私の目をしっかり見つめてくる。
「今夜からぁ、お勉強しましょって、そう言ったじゃないですかぁ。私っ! 密かに楽しみにしてたんですよ?」
「ステラ、すまない。今夜はゆっくり休んだ方がいいと思う。酒のせいでフォンも貴女も様子がおかしい。明日の朝に影響が出ないとも限らない以上、今は早く休むべきだ」
「む~っ」
「私から頼んでおいてすまないが、貴女の事が心配なのだ。どうか宿でゆっくり体を休めてくれないだろうか?」
頬を膨らませ私を睨むステラがどこか子供のようにも見え、私は出来る限り声を優しくした。すると、その甲斐があったのかステラは表情を笑顔へ戻して大きく頷いたのだ。
「わかりましたっ! じゃあ、私はフォンさんと一緒に宿で休ませてもらいますね!」
「ああ、そうして欲しい。また明日迎えに来る」
「ぜったいですよ? あっ! そうだ! 指切りしましょ!」
「指切り……?」
満面の笑みでステラが私へ小指を差し出してくる。これは一体何のジェスチャーだろうか? 生憎あの世界では見た事のないものだが。
そう思って私は首を捻っていると、ステラが業を煮やしたのかその小指を強引に私の右手の小指を絡ませてくる。
「勇者様はぁ、ぜ~ったい、明日の朝に迎えに来るっ! いいですね?」
「ああ、約束する」
「あはっ、約束ですからね~? それじゃあ、おやすみなさ~いっ!」
絡まっていた指が離れ、ステラがフラフラとしながら宿へと戻っていく。戦士殿はもういないようなので、フォンを連れて宿の中に入ったのだろう。
やがてステラも宿の中へと消えて、私は久しぶりに一人となって歩き出す。アルスの生家へ向かう中、何とも言えない寂しさを感じて私は足を止めた。
「……知らず一人を寂しいと思うようになっていたのだな」
それだけステラとフォンが私にとって大きな存在となっていたのだ。まだ出会って一週間になるかならないか。だが、その間にあった幾多もの戦いと時間が、何もなかった私に色々なものを与えてくれた。
こうして一人になってみて、どれだけあの二人が私にとって大事な者達かを強く感じ取れる。仲間というのは得難いものなのだな。あの世界では、常に行動を共にする者などいなかったから当然ではあるのだが。
夜道を一人歩き、アルスの生家へと辿り着く。こうして一人でここへ来るのは二度目だな。静かに扉を開ければ、そこには今にも明かりを消そうとしていた女性の姿。
「あら? アルスじゃない。こんな時間に来るなんてどうしたの?」
喋らない訳にはいかないか。
「その、実は酒場で……」
可能な限り短く要点だけを告げた。酒場で新しい仲間となってくれそうな相手を見つけた事。その者を含めて酒を飲んだ事。その結果、ステラとフォンが酔ってしまったので宿へ泊まらせてきた事。
それらを聞いたアルスの母は小さく笑うと私へこう言ってきた。
―――アルスもあの人と同じね。そこで下心を持たないんですもの。
懐かしそうに、思い出すようにそう告げてアルスの母は静かに席を立つと歩き出す。
「さぁ、もう夜も遅いし、アルスはまた旅に戻るのでしょ? なら早く寝なさい。もし寝坊するようなら母さんが起こしてあげるわ」
「……ありがとう」
出来る限り優しい声で感謝を述べると、アルスの母はとても優しい微笑みを返してくれた。母とはこうも優しく温かな存在なのだな。そう思って私も階段を上がって二階へと向かう。そしてアルスの部屋へ入り、装備を外してベッドへ横となった。
「母、か。私にも、いたのだろうな……」
そう呟いて目を閉じると、思いの外あっさりと睡魔が襲ってきて、気付けば朝を迎えていた。
出来る限り静かに部屋を出て下へ降りると、アルスの母はもう起きて朝食の支度を始めていた。
「アルス? もう起きたの?」
頷く事で返事とする。昨日は言葉で告げなければならない事があったために話をしたが、本来であれば彼女とは言葉を交わさぬ方がいいのだ。
「そう。ご飯はどうする? 食べていくの?」
首を左右に振る事で答える。正直に言えば彼女の作る食事は好きだ。何より、今まで食べてきたどの食事よりも心が満たされる感じがする。
その理由は分からないが、彼女がアルスの母なのが関係しているとは思う。以外にこの事を説明出来る部分が見当たらないためだ。
身支度を整え、私は静かに玄関の扉を開けた。そんな時、背中から声が聞こえた。
「いってらっしゃい。気を付けて」
思わず閉めようとした手が止まった。私の意思ではない、と思う。勝手に手が止まったとしか思えなかった。
私には、それがアルスの意思のように感じられた。もうしばらく会えなくなるだろう母へ、息子が別れを惜しんでいるのだと。
「……必ず魔王を倒して戻ってきます。だから、母さんも体に気を付けて」
「っ……ええ。アルスもね。怪我とかしないように、祈っているわ……っ!」
気付けば口が動いていた。その言い方は、普段の私のものではないように聞こえる。きっと、それがアルスなのだ。そうだと思う。
アルスよ、君の想いはよく分かった。必ずや魔王を倒し、ここへ君を戻らせてみせる。どうかその時まで私を君でいさせてほしい。あの世界で得た事の全てを使い、必ず君の体を守り抜いてみせよう。
そう心に改めて誓い、私は家の外へと歩みを進めて扉を閉める。
「……そうだな。私はアルスの体を借り受けているだけだ。彼の魂も、私と共にある」
噛み締めるように呟くと、何故か少しだけ寂しさが薄れた気がした。私は一人でいても一人ではないと、そう思えたからだろうか。そんな不思議な心境のまま、私は宿屋を目指す。
まだ幾分時間が早いからだろう。町も静かで陽射しも弱く、ほとんどの家が静まり返っている。だが、宿はそうではないようだ。煙突から煙が出ているのが見える。朝食の支度をしているのだろう。
「もう起きているだろうか?」
思い出すのは昨夜のステラとフォンの様子。片や子供のようになっていたステラと、糸が切れたように眠るフォン。あれで本当に今日ナジミの塔へと向かえるのだろうか?
宿屋の扉を開ければ、そこには宿帳を眺めているだろう主人がいた。静かに中へと入りフォンやステラが泊まっている部屋を聞こうとした時だ。
「おや、随分早いお越しじゃないか」
「……戦士殿」
受付から少し離れた場所にあるテーブル。そこに鎧姿ではない戦士殿の姿があった。
おそらく”ぬののふく”だろう物を着ていて、印象が変わっているから一瞬誰かと思った程だ。その手には湯気を立てるカップがある。何を飲んでいるのだろうか。
「あの二人なら部屋で死んだ顔してこれを飲んでるよ」
「これと言うと?」
「どくけしそうを混ぜて淹れたお茶だ。二日酔いにはこれが効くんだよ」
「ふつかよい?」
知らぬ言葉だ。それに”どくけしそう”を混ぜるとはどういう事なのだ? もしや酒には弱い毒でも入っているのだろうか?
「何だ、二日酔いも知らないのか。ま、簡単に言えば酒の酔いが翌日にも残ってる状態だ。で、酷く気分が悪い。私はそうじゃないが今日はナジミの塔へ向かうんだろ? なら酔いを残してたら何かあった時に困る。で、どうせならとあの二人にも振舞ってきたのさ」
「それは有難い。戦士殿に感謝を。それで、二人はどうなのだろうか?」
「武闘家は死んだような顔をしてる。僧侶の方は多少辛そうだがマシな方だ」
それを聞いてフォンが酒に弱いと言っていた事を思い出した。まさか死んだような顔になるとは。酒には生者を亡者にするような効果もあるのだろう。必ず今後は飲酒を制限しなくては。
「それにしても、戦士殿は物知りと見える。その茶の事も旅の中で知ったのだろうか?」
「……ま、そんなもんだよ」
一瞬だがしまったという顔をした戦士殿に違和感を覚えた。何か今の問いかけに戦士殿が不味いと思う事があったのだろう。だが、一体何がそう思わせたのか分からない。
そこから戦士殿が黙ったので、私も特に話す事がないため黙る事に。すると、そこへ主人の奥方と思わしき婦人が現れた。
「お客様、朝食のご用意が出来ました」
「そうか。なら、私の分は私の部屋へ頼む」
「かしこまりました。お連れ様の分はいかがしますか?」
「それはあの二人の部屋へ運んでやってくれ」
「はい、ではそのように」
一礼してまた戻って行く婦人を見送り、戦士殿は私へ視線を向けた。
「で、そっちはどうする?」
「私は私で食事をしてきます。酒場への道がある方の出入り口で待ち合わせましょう」
「分かった。じゃあな」
話は終わりだと言うように戦士殿は椅子から立ち上がると、カップをテーブルに置いて部屋の方へと歩き出す。
「……さて、私も行くか」
奥の方から漂ってくる匂いで腹の音が鳴りそうだと感じ、私は宿を後にした。外へ出ると幾分町が賑やかになっていて、道行く人の数も増えている。陽射しも僅かではあるが強くなっていて、朝が本格的に始まったと感じられた。
そんな中を歩きながら、私は昨日昼食を食べた店へと向かう。店へ近付くにつれ、パンを焼くような香ばしい香りが漂ってくる。
「……生きているとは、いいものだ」
匂いを嗅げば、パンの匂いだけではない事が分かってくる。スープのものなのだろう優しい匂いもあれば、行き交う人々の巻き上げる砂埃だろう匂いもあった。
視線を上へ向ければ二階の窓から顔を出し、衣服を干している者などもいる。どこを見ても活気があった。生命の息吹があった。
店に到着すると、中には数人の客の姿があった。私も扉を開け中へと入る。
「いらっしゃいませ。あれ? 今朝は一人?」
私に気付いて店員が声をかけてきた。昨日も応対してくれた少女だと思い出して私は頷く。
「そう。じゃあ、好きなところに座って。あっ、注文は決まってる?」
「いや、まだだが、昨日のように貴女の勧めに従おうと思うのだ。いいだろうか?」
「あたしのオススメね。じゃ、産み立て卵のパン粥かな」
「ではそれを一つ」
「はーい」
椅子に座り、店内を見回す。誰もが笑顔で食事を楽しんでいる。それが、私に笑みを浮かばせてくれる。これこそが平和であり平穏なのだ。これを守りたくてオルテガ殿もアルスも魔王を倒そうと誓ったのだろう。
そうやって店の中や店の外を眺めている内に腹から空腹を告げる音が鳴り、私は視線を厨房へと向ける。すると先程の店員が何かの料理を持って近付いてくる。あれが私の注文の品なのだろうか。
「はい、お待ちどうさま。産み立て卵のパン粥です」
「おおっ……」
乳白色のスープに少し焼いたのだろうパンが浸かり、その上に太陽を思わせるように卵が乗っている。
共に運ばれてきた匙を使い、私はその料理の味を楽しんだ。御代を払い、店を出るとすっかり町はいつもの様子となっていた。
活気に溢れる街中を歩き、私は待ち合わせ場所である方の出入り口へと向かう。
「勇者様~っ!」
視線の先に出入り口が見えてくると、私を待っていただろう戦士殿達の姿が見え、ステラなどは大きく手を振ってこちらを呼んでいた。
軽く駆け足をして彼女達と合流すると、フォンだけ顔色があまり良くないように見えた。
「フォン、大丈夫か? 顔色が優れないようだが……」
「正直まだ本調子じゃないわ。でも、あいつのくれたお茶のおかげでかなりマシになった方よ」
「はい、よく効きました!」
辛そうにだが笑みを浮かべるフォンと、明るく笑顔を見せるステラ。こうも違うとは驚きだ。酒に弱いというのはかなり大きな事なのだな。
「ま、昼ごろには武闘家も復調するだろう。で、このままナジミの塔へ向かうのか?」
「正直言えばフォンの体調が良くなるまで待ちたいですが、昨日ルイーダ殿から聞いたナジミの塔への裏道へ行ってもみたい。戦士殿の腕前を見せていただきたいし、こちらの力量も見ていただきたいと言う気持ちもある。ただ……」
「フォンさん、どうです?」
「どう、ね……」
ステラがフォンを心配そうに見つめる。戦士殿はわれ関せずとばかりに空を眺めていた。
そしてフォンが私の方へ顔を向ける。その表情はやはり辛そうに見えた。
「ごめん、勇者。出発、遅らせてもらっていい?」
「いや、構わない。それなら、まず私が戦士殿と二人でこの近くの魔物を相手に力量を見てもらう事にしよう。ステラ、フォンの傍にいてやってくれ。それと、これを。何か必要になったら使ってくれ」
”ふくろ”からGの入った袋を取り出してステラへ渡す。何かあればそこから要る物を調達出来るようにだ。
「分かりました。フォンさんの体調が良くなったら合流すればいいですか?」
「いや、私と戦士殿が互いの力量を見たら戻ってくる。おそらくそんなに時間はかからないだろう。だから、どこかで待っていてくれ」
「宿屋にいるといい。受付近くのテーブルについて、そこで僧侶が何か頼んで飲めば向こうも邪険には扱わないだろう。武闘家には水を飲ませてやれば幾分酔いも早く抜ける」
「成程。ステラ、だそうだ。フォンと共に宿屋で待っていてくれ」
「そうですね。では、そのように。フォンさん、行きましょう」
「うん……。勇者、ごめんね。それと、そっちもありがと」
ステラに寄り添われながらフォンはゆっくりと歩き出す。その背をある程度見送り、私は戦士殿へ向き直って一礼をする。
「感謝する戦士殿。正直呆れられて、昨夜の話をなかった事にされても仕方ないと思った」
「ま、それも思わなくはなかった。だけど、私にも責任の一端はあるからな」
「そう言ってもらえると助かる。では、行こう」
「ああ」
私が動き出すのと同時に戦士殿も歩き出す。隊列も何もなく、二人で横並びで歩いて外へと出た。さて、まずは私が先に腕を見せるべきだな。
「戦士殿、先に私の腕を見てもらいたい。いいだろうか?」
「いいよ。で、相手はどうする? 選ぶか?」
「いや、実戦であれば選ぶなど有り得ない。最初に遭遇した魔物で構わない」
そう告げて私は”どうのつるぎ”を手にする。念のために”こんぼう”をすぐ装備出来るようにしておき、私は周囲を注意しながら歩き出す。
戦士殿は私から少し距離を取ってついてきていた。そうやって城下町を囲う壁に沿って少しだけ歩いていると、やがて前方にいっかくうさぎが二匹とスライムが一匹の群れを見つけた。
「……やるか」
幸い向こうはまだこちらに気付いていない。静かに接近し、まずいっかくうさぎを先に仕留める。そう考えて私は動き出す。
周囲へも意識を配り、他の魔物がいないかどうかを確認し、私はその場から走り出した。そして勢いを乗せたまま跳び、近い方のいっかくうさぎへ斬りかかる。
「っ!」
まずは一匹。”どうのつるぎ”の攻撃力によって一撃で仕留める事が出来た。そのままでは他の魔物から攻撃されるので、すぐにローリングで移動を兼ねた回避を行い距離を取る。
顔を上げれば、残ったいっかくうさぎが怒りに燃えているようにこちらへ突進してきた。すかさず”こんぼう”を取り出して投擲する。それが突進してきたいっかくうさぎへ当たり、勢いを殺した瞬間、素早く駆け寄って一撃。
「残りは……っ!」
いっかくうさぎが立て続けに倒れた事でスライムは逃げ出していたが、その動きはただ真っ直ぐに逃げているだけ。なので出現したGを拾い、逃げるスライム目掛けて投擲。見事それがスライムを貫いて戦闘は終わった。
「……こんなところか」
空を飛ばず呪文も使えないこの付近の魔物相手なら、複数いても一人で対処出来るようになっているようだ。そこに装備の強化と肉体の成長を感じ取り、私は小さく頷いた。
「やるじゃないか。というか、初めて見たな。武器やGを投げて攻撃に使う奴は」
私が”こんぼう”やGを拾っていると、戦士殿が感心するようにそう言って近づいてきた。その反応はフォンやステラで慣れているので別段驚く事ではない。
「生き残る事を優先している私としては、最悪Gなどは失っても構わないからだろうな」
「成程ね。まぁ、父親に死なれた奴としては分からなくない発想か」
私をどこか挑発するような言い方だ。おそらくフォンであれば怒りを露わにしていただろう。だが、生憎私にはそこまで感じる事はない。
「では、次は戦士殿の腕前を見せていただけるだろうか?」
「ああ、いいよ」
そう返して戦士殿は金属製の斧と盾を手に持ち、周囲を軽く確認するや私へと向かってきた。
「っ!? 戦士殿! 何をする!」
振り下ろされた一撃を何とか回避し私は戦士殿へ叫ぶ。だが、それに返ってくる言葉はない。代わりに再度戦士殿の一撃が襲い掛かってきた。
「くっ!」
ローリングでかわし、再度ローリングを二回して距離を稼ぐ。起き上がれば戦士殿がこちらへ向かって走ってきていた。
「気でも触れたかっ!」
「私は正気だよっ!」
まともに打ち合ってはこちらが負ける。そう察して私は後ろへと下がった。間合いをずらしたおかげで戦士殿の一撃は空を切って地面へと刺さる。
その間に私は壁まで距離を取る事が出来た。回避する方向が限られるが、上手く壁へ斧の一撃を誘導できれば大きく隙が出来る。
「壁を背にする、か。普通なら怖くなっての行動だと思うだろうが、お前はそうじゃない。目が怯えていないし諦めてもいないからな」
「戦士殿、何故こんな事をする? せめて訳だけでも教えて欲しい」
じりじりと距離を詰めてくる戦士殿へ私はそう問いかけた。ここがあの世界であれば戦士殿も正気を失い亡者と化したと判断出来るが、この世界に亡者となる不死は存在しない上にダークリングの呪いもない。
だからこそ聞きたいのだ。何故突然私を襲ってきたのかを。その理由と意味を、知りたいと思ったのだ。
「こんな時でも冷静か。ああ、いいよ。とはいっても、訳なんて簡単さ。お前が言ったように腕前を見せてるんだ。そして、お前の本当の腕前もな」
「一つ間違えばただ事では済まないぞ」
「だからこそこれ以上ない腕の見せ所だろ? ああ、言っておくが私はお前を殺すつもりでいく。そっちは好きにしな」
その言葉に私は”どうのつるぎ”を握る手が震えた。それは恐れからのものではない。怒りからの震えだ。
何故人間同士で殺し合いをしなければならないのか。どうしてそんなにも簡単に人を殺すと言えるのか。あの闇に包まれた世界ならばともかく、この光溢れる世界で何故そんな悲しい事を告げ、行おうと出来るのか。
そう思った瞬間、ある事に気付いて、私は空いている片手に”こんぼう”を握った。
「へぇ、両手に武器とはね。珍しい事をするもんだ」
私の行動を見て興味深そうな声を出す戦士殿だが、その顔は警戒心を見せている。こちらとしてもその方が助かると言うものだ。私がやろうとしている事を成功させるには、戦士殿の注意を両手にある武器へ惹き付けるしかないのだから。
その場から動かない私へ、ゆっくりと距離を詰める戦士殿。私は視線を戦士殿の目から逸らさず、ただ時を待った。行動を起こすべき、その時を。
「……何を考えてるか知らないが、鉄で出来たこれなら、こんぼうどころかどうのつるぎさえもその一撃を防げない。大人しく降参すれば命だけは助けてやるよ」
「その代わり戦士殿は仲間にならない。それでは意味がないのだ」
「……こんな事をするような奴でも?」
「ああ、そうだ。逆に言えば、こんな事をしてまでも私の力量を知りたいと思ってくれたと考える事も出来る。それだけ私、いや勇者というものへの期待の表れなのだろうな」
「…………残念だ。もしお前がもっと早く生まれていれば、私はお前の望む形で仲間になっただろうに」
心の底から悲しそうな声を出して戦士殿は一瞬だけ目を閉じる。が、すぐに目を開けると私との距離を一気に詰めてきた。
「ここだ!」
私は手にしていた”こんぼう”を踏み込んできた戦士殿の顔へ投げる。が、それを読んでいたのだろう。戦士殿が手にした盾でその一撃を弾く。
「やはりそうきたな!」
読みが当たった事で戦士殿が勝利を確信するかのような声を上げる。だが、私は慌てず次の行動を取った。空いた片手で先程拾ったGを全て握り締めて戦士殿へと投げつけたのだ。
「なっ!?」
盾で顔を守れば視線が僅かでも遮られる。その隙を突いてGを握り、狙いをしっかりつけず戦士殿目掛けて投げつければどうなるか。
狙いはバラバラだが戦士殿へとGは向かい、顔や武器を持つ手へと迫る。盾をどかした瞬間、そんな光景を見れば大抵の者は多かれ少なかれ動揺する。
それに、一つであれば盾で防げるだろうが、それが複数で同時に襲い来れば盾では防ぎきれない。目晦ましと牽制をかねた攻撃に戦士殿もさすがに狼狽えたようだ。
それでも盾で防ぎながら、斧で顔に飛んできたGを弾き落とす辺りは凄いと言える。ただ、その優秀さ故に戦士殿は気付いたようだ。私が何を狙ったのかを。
「……これで終わり、として良いだろうか?」
「…………ああ、終わりでいい」
飛んでくる攻撃へ咄嗟に反応して、顔を守るために意識を私ではなくGへ向けた事。その隙に私は戦士殿の懐へ入り込んでその心臓辺りへ剣の切っ先を突き付けたのだ。
「そうか。……ならば、ナジミの塔から帰ってくるまでは仲間でいてもらえるか?」
「それでいいのか?」
剣を収め、私が戦士殿の意思を確認すると、軽く驚きを含んだ声が返ってきた。だが、私とすればそれでいい。
「ああ、それでいい。私は、この太陽の光に胸を張れる生き方をしたいのだ」
「っ……」
最初に交わした約束はそうだった。ならば、この結果を以ってそれを変えさせるのは違うと思う。例えだまし討ちに似た事をされても、相手を憎む事も恨む事もしたくない。
あの世界で、そんな事は嫌と言う程してきたのだ。この光溢れる世界では、そんな闇を抱えたくない。馬鹿にされても、傷付いても、それでも私は光に向かって胸を張れる者でいたいのだ。
「さあ、戦士殿、宿へ向かおう。フォンの様子が気になる」
「待ちな」
そう告げて私は先んじて歩き出すも、戦士殿から呼び止められる。何事かと思って振り向けば、戦士殿は手に何かを持って見せてきた。
「G?」
「拾っていかないでいいのか? この大陸を越えた場所で売ってる武器や防具はどれも高いぞ」
告げられた内容に私は首を捻る。どういう事だろうか。この大陸を越えるなど、まだ先の事になるというのに。
そんな私を無視するように戦士殿は近くのGを拾い集め、こちらへと差し出してきた。せっかく拾ってくれたのだ。有難く受け取ろう。
「戦士殿に感謝を。それで、先程の話なのだが」
「この大陸にはアリアハンとレーベぐらいしか人の住む場所はない。いざないの洞窟にある旅の扉を使ってロマリアへ行けば、はがねのつるぎが売っている。ただし、1300G必要だ」
金額を聞いた瞬間、私は頭を抱えたくなった。320Gのくさりがまでさえ大金と思っていたところへ告げられたのが四桁の販売額だ。
一体どれだけの魔物を倒せば手に届くのだろう。そうやって思い出せば、戦士殿の装備はこちらで見た事のない物ばかりだ。つまり、他の大陸で手に入れた物なのだとそこで気付いた。
「戦士殿の装備もそこで?」
「いや、これはまた違う場所で買ったものだ。さて、じゃあ宿へ向かうとしようか。で、少し早いが昼食を食べてナジミの塔を目指すぞ。塔の中なら昼も夜も関係なく魔物が蠢いているからな」
「そうか。戦士殿、貴重な情報に感謝を。まだ私は知らない事が多い」
道中は夜間の行動を避けるべきと教えてもらったが、まさか建造物の中は関係ないとは思わなかった。ただ、おそらくだが昼間の方が視界などは良いだろうから、出来る限りその時間帯を狙うべきだろうとは思う。
「別にいいって事さ。それにしても、お前はよく分からない奴だよ、やっぱり」
「そうだろうな」
「は?」
私自身も私が分からない時があるのだ。そう思っての反応に戦士殿が訝しむような顔をする。それに私は思わず笑みが浮かんだ。
「いや、何でもない。意外と自分の事は自分が一番分かっていないかもしれないと、そう思っただけだ」
「……やっぱり分からない奴だよ、お前は」
先を歩く私の後ろを戦士殿が続きながら小さく苦笑したのが聞こえた。やがて町への出入り口が見えたところで、戦士殿からこんな事を言われた。
―――それにしても、よくあんな思い切った事が出来たな。私が顔への攻撃を防がなかったらお前は死んでいたのに。
―――戦士殿も女性故、顔は傷を作りたくないと考えるかと思ったのだ。
その時はそう返したが、本当は違う。戦士殿からは殺意を感じられなかったのだ。殺気までは出せても、人相手に殺意までは出せないのだろう。
故に私はあんな行動に出られたのだ。あの世界で嫌と言う程味わった、殺意と言う名の圧力。それを欠片として出していなかったから、戦士殿がまだ人を殺した事はないと分かったために。
願わくば、私もこちらでは殺したくないものだ。人を殺す感触や感覚は、あまり良い物ではないからな……。
仲間は戦士を入れて固定とはいきません。ただ、ルイーダの酒場で仲間を加えるのは当分ないとだけ。
ドラクエ3をクリアした方ならお分かりでしょうが、途中どうしても商人を入れる事が必要ですし、可能ならば全職業を何らかの形で仲間に加えて描きたいと思っています。
ただ、可能ならば、ですが。