その灰は勇者か? それとも……   作:人間性の双子

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せいすい

神の祝福を受けたとされる清水。
周囲へ振り撒けばその水分が乾くまで弱い魔物を退ける効果を発揮する。
似た効果の呪文があるらしいが、使い手がいなくなって久しいため分からないと言う。

魔物へ直接振り掛ければ、どんな相手だろうと必ず傷を負わせる事が可能であり、噂では従来の方法では倒し辛い魔物相手にもその効力を発揮するとか。

値段は決して安くはないが、多くの災いを退けられる代償ならば妥当であろう。
万が一に備え、一つは持っておくといいかもしれない。


戦士として

「転職って……もしかしてあれ? ダーマ神殿ってとこで出来るって言う?」

 

 ステラの告げた単語をフォンが教えてくれた。どうやら有名な話なのだろう。アンナ殿はその言葉に頷いている。

 

「ああ、そうだよ。私はそこで魔法使いから戦士へ転職した。適性があったんだよ」

「適性?」

「そうさ。誰だって魔法使いになれる訳じゃないし僧侶だってそうだ。向き不向きってのが人にはある。その職業への適性がなければ転職は認められないんだよ」

 

 そう言ってアンナ殿は視線を私の後ろへ向けた。つられるように私も視線を動かすと、カンダタの手が小さく動いている。どうやら生きているらしい。

 

「しぶとい奴だ。ま、おかげで目的を果たせそうだな」

「目的って……」

「きんのかんむりだ。勇者、ホイミをかけてやれ。きっとその傷ならホイミ一回程度じゃ満足に動けないが、話す事は出来るだろうさ」

「分かった」

 

 言われるままカンダタへホイミをかける。すると、カンダタがゆっくりと目を開けてこちらを見てきた。

 

「っ!?」

 

 そして大きく怯えるように目を見開いて震えだした。

 

「きんのかんむりを返してもらおう」

「わ、分かった……。盗んだ、もんは……返す」

「……それだけか?」

 

 ステラの優しさを、慈愛を踏み躙った事への怒りが沸々と湧いてくる。もしあそこで今の言葉を告げていれば、私とてメラを使う事はなかっただろう。

 声に殺気を込めてカンダタへ迫ると、その目の怯えがより大きくなった。

 

「ひっ! に、二度と盗みはしませんっ! 絶対しませんっ!」

「……もしした場合、今度はその代償がどうなるかは分かっているな?」

「も、勿論っ!」

「ならいいだろう。事情はどうであれ、盗みを働く事は悪事だ。それに、お前はあれだけの力があるのだ。それを使って正しい仕事をすればいいだろう。心さえ腐っていなければ、やり直しは出来るはずだ」

「へい……へいっ!」

 

 ステラの慈悲を少しだけ借りるようにそう告げ、私はカンダタから離れた。次にその手下達へと視線を向けると、その者達も一様に怯えるように体を震わせる。

 

「お前達もだ。一つだけ言っておくが、私はお前達を殺す事に躊躇いはない。盗みを働いたのだ。それも一度や二度ではない。何度もだ。悪事というのは事の大小を問わず罪になる。そして、小さいからと言って繰り返すのなら、それは最早大きな悪事と変わらぬ。いや、もっと性質が悪い。それをやったのがお前達だ」

「も、もう二度としませんっ!」

「お、おかしらと一緒に盗みからは手を引きますっ!」

「な、なので命ばかりはお助けをっ!」

 

 揃って命乞いをする者達を見下ろし、私はカンダタへ視線を戻す。

 

「きんのかんむりを置いて、その者達と共にいずこへと行くがいい。だが、もしまた悪事を働いた場合は……」

 

 私はそこで手にした”どうのつるぎ”を握り締め、カンダタ達を見回した。

 今回はステラの慈悲とその願いに免じて見逃そう。ただし、それ故に次回があれば容赦はしない。魔物同様に、いやそれ以上の化物としてこの手で息の根を止めてくれる。

 

「ここで死んだ方が良かったと、そう思う事になるだろう」

 

 私の言葉に周囲が息を呑むのが聞こえた。それでいい。私は、やはりこういう生き方しか出来ないのだろう。

 ステラのように慈愛を持ち続けるのは無理だ。私に出来るのは、精々が威圧し大人しくさせるだけなのだから。

 

「さあ、きんのかんむりを置いて去れ」

「あ、ああ……最上階のアジトにある宝箱に入ってる。そこから持っていってくれ」

 

 そう言ってカンダタはゆっくりと立ち上がると手下達の傍へと向かって歩き出す。何という体力だ。いくら回復させたとは言え、この短時間で歩けるまでなるとは。

 

「お前ら、もうそろそろ立つぐらい出来るだろ。行くぞ」

「「「おかしらぁ」」」

「泣くな! ……最低な手段使った上に命を二度も助けられちまったんだ。もう俺達の負けだ。さっさと逃げるしかねぇんだよ」

 

 手下達へ背を向け、カンダタは私達の前から去っていく。その背中から目を離し、私はアンナ殿へと視線を向ける。アンナ殿には聞きたい事が色々あるからだ。

 ステラやフォンも同じ気持ちらしく、アンナ殿をじっと見つめていた。するとアンナ殿も分かっているのだろう。諦めるように息を吐くと上を指さした。

 

「ここじゃ落ち着いて話も出来ない。とりあえず上の階へ戻ってきんのかんむりを回収してからだ」

「分かった。二人もそれでいいだろうか?」

「はい」

「ええ」

 

 こうして私達は再び最上階へと向かった。

 が、その途中の階へ上がったところは見張りの者達がいた場所であり、椅子が置いてあったためにそこで一旦休憩がてらアンナ殿の話を聞く事になったのだ。

 

「私は、エジンベアで生まれ育った。父は戦士で母は魔法使いだったからかな。小さい頃から母は私に呪文を教えてくれた。幸いにしてそちらの才能が少しはあったらしくてね。十歳になる頃には基本的な呪文は使えるようになった」

「基本的って……」

火炎呪文(メラ)氷結呪文(ヒャド)炸裂呪文(イオ)だ。それとは別に父の力も譲り受けたのか、女にしては力が強かったんだよ」

「それが戦士の適性に繋がるんですね?」

「多分な」

 

 そこまで聞いて私はふと気になる事を思い出していた。たしか、アンナ殿はその口調についてこう言っていたはずだ。親父殿に育てられたからだと。あれは一体どういう意味なのだろうか?

 

「アンナ殿、ではその父上が今のような喋り方をしていたのだろうか?」

「……お前は本当によく覚えてるな。違うよ。十歳で基本的な呪文を覚えたと言ったろ? そこで私は修行に出されたのさ。母はもう現役を退いていた魔法使いだったから、その母の師であった魔法使いの下へ単身連れていかれたんだ」

「そうなんだ。それってどこ?」

「サマンオサってとこだ。そこは魔法使いを多く輩出しているとこでね。母もそこの出身だったのさ」

 

 そう言ってアンナ殿は懐かしそうに目を細めた。修業の日々はそれまでと違って苦しく辛い事の連続だったらしい。

 魔法の師はとても荒っぽい老人だったようで、それまで大切に育てられたアンナ殿にはかなり酷い時間だったようだ。

 

 それでも魔法の才を褒めてもらえると嬉しく、その時の師の笑顔だけを励みに修行に励んでいたらしい。

 そして、十五歳になった時に一人前と認められてアンナ殿は腕試しを兼ねてナジミの塔へと赴いたそうだ。

 当然アンナ殿には塔にいる魔物達は敵ではなかったらしい。だが、それも魔力があればこそ。

 

「バカだったんだよ、私は。親父殿は一度故郷へ帰って報告をしてから今後の事を考えろって言ってくれたのにさ。魔法力を回復させる事も忘れて、帰る前に父さんや母さんに自慢話の手土産でもって、そんな事を考えて移動呪文(ルーラ)でナジミの塔へ向かったんだ」

「ルーラで行けるの?」

「あの頃は今よりも魔王の影響力が弱かったからね。今じゃ魔物が多く生息してる場所は、周囲の魔法力の流れが乱れてるせいで移動呪文(ルーラ)じゃ行けないよ」

 

 フォンへそう返してアンナ殿は苦い顔をした。そうか、アリアハンへもルーラで来たのだ。だから旅の扉が使えなくなった事も知らず、ロマリアへ寄る事もなくルイーダ殿の酒場へやって来れたと言う訳だ。

 

「ライドさんとは、その時に?」

「……ああ。私が魔法力を使い過ぎて脱出呪文(リレミト)さえ出来なくなったところへ、あいつは、ライドは現れたんだ。魔物を蹴散らし、疲れから一歩も動けない私に肩を貸してくれてね」

 

 どこか嬉しそうな笑みを浮かべてアンナ殿は遠い目をした。思い出しているのだろうか?

 

「ただ、ライドは完全に駆け出しの武闘家だった。勝気で生意気で、私の事も年下だからって俺が守ってやるなんてさ。レベル3の癖に、レベル12の私を守るって、本当に……生意気だった」

 

 そこでアンナ殿は言葉を切って目を閉じる。そうだ。アンナ殿は言っていた。ライドというのはナジミの塔で行動を共にしていた武闘家の名だと。

 

「駆け出しって言ってたけど、レベル12って駆け出しのレベルじゃ」

「冒険者として一人で動き出したのはそこからなんだよ。だから駆け出しさ。レベルだけあっても一人での実戦経験は皆無だったからな」

「組んでたと言っていましたけど……」

「そこでコンビになったんだ。組んでたって思うのはおかしいか?」

 

 フォンとステラの言葉にアンナ殿はどこか悲しそうな声を返した。何故だろうか。何故悲しんでいるのか私には分からない。

 

「そして、私とライドは塔の最上階を目指した。私は塔を出るべきだと思ったんだけど、ライドは後少しで最上階ならそこで休めばいいって聞かなくてね。私一人じゃ二階と一階を無事に出れない事は分かってたから、仕方なく二人で一つ上を目指したんだ」

「そして、ライドさんは亡くなった……」

「正確には、私を庇って死んだんだよ。忘れもしない。上への階段付近でさそりばちに襲われてね。最初は二匹だったけど、仲間を呼ばれてあっという間に倍になったんだ。でも私はそこで階段の上から結界の魔力を感じ取った。そこにさえ入れば魔物は寄って来れない。ライドは私を守るように戦ってたから、私さえ逃げ切れれば何とかなるってそう思って急いで上がろうとした時、さそりばちが私の方へ迫ってきたんだ。その尾にある針を突き出すように、ね。当然私に避ける事は出来なかったし、撃退する魔法力も体力もなかった」

 

 もう流れは分かった。アンナ殿をライド殿は庇ったのだろう。

 

「死を覚悟して目を閉じた私へライドの声が聞こえた。俺を信じろよって。目を開けるとライドの左腕にさそりばちの針が刺さってた」

「それで、ライドさんはそのまま?」

「いや、そこでライドは目の前のさそりばちを倒して、残った奴らを威圧したんだ。多分だけど瀕死のライドが出した決死の気迫にさそりばち達は怖気づいたんだろうね。そこで逃げ出したんだよ。そして私はライドへ肩を貸しながら階段を何とか上がって……」

「あのご老体に救われた?」

 

 私の問いかけにアンナ殿は無言で頷いた。これで分かった。だからこそアンナ殿はご老体と顔を合わせようとしなかったのだろう。

 

「ライドって人は助からなかったの?」

「……さそりばちって名前で察してくれ」

「毒、ですね」

「ああ。私が僧侶だったら、きっと解毒は間に合った。レベル12なら解毒呪文(キアリー)が使えるからな。それぐらいの魔法力は少し休めば回復出来た。私が、私が僧侶だったらライドは死なずに済んだ。あるいは戦士だったら一緒に戦って生き延びれた。呪文で戦う事しか出来ない魔法使いだったから、私が自身の役割や戦い方をちゃんと考えていたらっ、ライドは死なずに済んだんだっ!」

「アンナ……あんた……」

「あの時の私への助言はその経験からなんですね……」

 

 その職業としての役割を果たせ。それはアンナ殿が実体験で刻み込まれた忘れる事の出来ない教訓だったのか。

 そして、何故アンナ殿が戦士となったのかも分かった。何があっても最後まで戦力となれるようにだ。魔力がなくても戦える存在。己が命を賭けてアンナ殿を守ったライド殿のように。

 

「…………あの場所で体力や魔法力を回復させた私は、ライドの遺体と共にリレミトで脱出した。そしてルーラでサマンオサまで戻り、そこの墓地にライドを埋葬した。その日から私はレベルを上げる事に専念した。親父殿の下で経験を積み、転職出来るレベルまで自分を鍛えた」

「だから私達にレベルを言いたくないって言ったのね。言えば、装備や実力と見合わないレベルだって分かるから」

「ああ。勇者だけなら言ってもいいが、お前やステラは転職したと分かると思った」

「でも、何故それを知られたくなかったのですか?」

 

 そう、私もそれが分からない。何故魔法使いであった事を隠したいのか。それを知られて不味い事などあるのだろうかと。

 

「私は魔法使いを捨てたんだ。両親の期待を裏切り、親父殿の期待までも裏切って。それに、ライドを死なせたのは私が魔法使いだったからだ。それも自分の就いた職業の在り方も分かっていない馬鹿者さ。そんな奴が魔法戦士なんて名乗るのはおこがましいし、何より私自身が許せなかった」

「ライドって名前を偽名に使ったのは前言った理由だけなの?」

「……そうだ。戦士に転職した時、アンナなんて名前じゃ女過ぎて舐められそうだと思って、登録名を変える事が出来る老婆のところですぐに浮かんだのがそうだっただけさ。深い意味はないよ」

 

 私達から顔を逸らしてアンナ殿はそう言った。だが、今ので私は確信した。決してそれだけではない理由があるのだろうと。

 命がけで自身を守ってくれた存在の事を忘れたくないと思ったのかもしれない。あるいは、自身が転職する切っ掛けになった悲劇を忘れないためかもしれない。

 アンナ殿にとってライド殿の事は、永遠に忘れる事の出来ない存在となったのだけは間違いないだろう。

 

 そして、私と手合せした際の言葉の意味もやっと正しく意味が分かった。

 

―――残念だ。もしお前がもっと早く生まれていれば、私はお前の望む形で仲間になっただろうに。

 

 あれは、魔法使いを求めていた私達に魔法使いとしての自分で仲間になれたと言う意味だったのだ。

 

 しばらくそこから会話はなかった。アンナ殿は顔を誰にも見られないように背けたまま黙り込み、ステラやフォンでさえ何も言えずに黙っていた。

 私も何と言っていいのか分からず、ただアンナ殿を見つめるしか出来なかった。自身の未熟さで誰かを死なせてしまう。それに近しい経験を私もしていたからその心情はある程度理解出来たのだ。

 

 何度も自問するのだ。ああすれば良かったのではないかと、こう出来たはずだと、何度も何度も思い返しては自分を責める。助けられたはずだと、守れたはずだと、そう自責の念に駆られ続ける。

 その時には、そんな判断も出来ずそんな力もなかったはずなのに。だからこそそうなってしまったのに。その事を忘れ、見ないふりをしながら、延々と自分で自分を責め続けるのだ。

 

 どれぐらいそうしていただろう。気付けば外は夜の闇に包まれ、吹き込んでくる風はその冷たさを増していた。と、そこで私の腹から音が鳴った。

 

「そろそろ上に行こう。きんのかんむりを取り戻して、キメラの翼でカザーブへ戻って食事にしたい」

「クスッ、勇者様らしいです」

「そうね。うん、そうしましょ。ね、アンナ」

「……ああ」

 

 私の言葉に誰もが笑みを浮かべて立ち上がる。そして階段を上がって最上階へ辿り着くと、そこには何と先客がいたのだ。

 

「良かった良かった。これで王様に良い報告が出来る」

 

 その人物は鎧を着ており、雰囲気や言葉からロマリアの兵士であろう事が分かった。ただ、一体いつの間にここへ来たのだろうか? 先程まで私達はこの下の階にいたが、一度として誰も上がってこなかったのだが……?

 

「いやぁ、それにしても運が良かった。盗賊達のいる階へ行く途中に開けられぬ扉があった時は思わず天を仰いだものだが、眠っている間に扉が開いて、しかも盗賊達まで出払っているとはなぁ。ただ、安心してまた眠ってしまったのはいただけなかったか」

 

 どうやら私達がカンダタ達と戦っている間にここへ来て、そこから寝ていたらしい。何とも豪胆な御仁だ。

 その手におそらく”きんのかんむり”だろう物を持って一人ブツブツと言葉を呟く戦士殿。すると、予想外の事から立ち直ったであろうフォンが戦士殿へと歩み寄っていく。

 

「ちょっとちょっとっ! それはあたし達のおかげで取り戻せたのよっ!」

「ん? そなたたちは何者だ?」

「私達は、ロマリア王の依頼でここへ盗賊討伐と盗まれた物を取り戻しに来た勇者アルスの一行です」

「勇者アルス?」

「アリアハンのオルテガの息子さ。ほら、勇者」

「戦士殿、合流が遅れてしまい申し訳ない。ですが、もうカンダタ達はこの塔から逃げ出しましたのでご安心を」

 

 私がそう言うと、戦士殿は大層嬉しそうに破顔した。何というか、髭などあって見た目は立派な武人と見受けられるが、そうやって笑っていると鎧姿に似合わぬ人に思えてくるような方だ。

 

「そうかそうか。それは助かる。私も腕に覚えはあるが、多勢に無勢では不安もあったのだ。そうか、貴公らが盗賊を退治してくれたか」

「えっと、失礼だけどそっちの名前を聞かせてもらえる?」

「ん? おおっ! これは失礼した。私の名はドルバ。ロマリアで騎士団長をしておった」

「え? しておった?」

「いやはや、情けない話だが歳もあってな。つい先月職を辞したのだ。騎士団長は兵士達の手本でなくてはならん。それが歳のせいとはいえ、みっともない剣さばきなどをしていては示しがつかんとな」

 

 がははと豪快に笑うドルバ殿だが、見た感じでは衰えているようには見えない。もしや、そういう事にして後進に職を譲ったのかもしれぬ。

 少しの間笑っていたドルバ殿は、やがて手にしていた”きんのかんむり”を見て小さく頷くとこちらへそれを差し出してきた。

 

「ドルバ殿、何のおつもりか?」

「ん? いや、これを取り返したのは貴公らだ。私は、ただこれを箱から出しただけに過ぎぬ。それに、私への王様の命はあくまで盗賊達の足取りを調べてその動向を見張る事。今回の事は私の独断によるものだ。手柄は、貴公らにこそ相応しい」

 

 そう言って笑みを浮かべる姿は、まさしく一国の騎士団長となっただけの事はあるだけの威厳と凛々しさを備えていた。

 ステラはおろかフォンやアンナ殿でさえ何も言わないのが何よりの証拠だろう。私は、差し出された”きんのかんむり”をしばし見つめてから受け取った。

 

「ドルバ殿、貴公の心遣いに感謝を。その返礼として、ロマリアまで我らも同行します。あの山道を一人で越えるのは骨でしょう」

「おおっ、それは助かる。一人であの辺りの魔物を相手するのは疲れるのでな」

「じゃ、まずはカザーブへ戻りましょ」

「そうですね。勇者様、キメラの翼をどうぞ」

 

 ステラから手渡された”キメラの翼”を手にし、私はドルバ殿を見た。

 

「ドルバ殿、少々信じられぬ話かもしれぬが聞いて頂きたい事がある」

「何だろうか?」

 

 そこで私達は塔からの脱出法を説明した。既にナジミの塔で実証済みであるためか、ドルバ殿もならばと信じてくれ、私達は最上階から飛び降りた。

 その瞬間に”キメラの翼”を投げると体が上昇を始めて、気付けばカザーブの村の前に立っていた。その事に気付いてドルバ殿は大きく驚き、嬉しそうにこう呟いていた。

 

―――これを兵達に教えれば塔からの帰還率が上がるな。

 

 聞けば、どうやら武闘家達の修行場であったシャンパーニの塔は、かつてはロマリアが海の向こうから攻めてくるかもしれぬ他国を見張るための場所だったらしい。

 そのため今も時折修繕や点検に赴く事があるらしく、最近の活発化してきた魔物達によって命を落とす者も少なくないとの事。

 

「そこにきて、最近では盗賊達がねぐらにしてしまった。私率いる調査隊はここカザーブまで足取りを追い、塔へと向かった事を突き止めたので他の者達を城へ返して援軍を呼んで欲しいと頼んだのだ」

「でも、待てど暮らせど来なかった?」

「うむ。私とてどこかで分かってはいたのだ。王様は何よりも自国の民の安全を重んじる。いくら盗賊達が騒ぎを起こすとはいえ、誰かを殺した訳ではない以上多くの兵を動かすはずはないとな」

 

 宿へと入り、部屋を三部屋押さえてから私とドルバ殿の寝る部屋に皆で集まっての話し合い。そこでドルバ殿が話してくれたのは、あの王の人柄がよく分かる話だった。

 

 何と、あの王は時々王の職務を別の者へ任せて退位してしまうらしい。そして、市井の者達と接して過ごすため、民達からも半分呆れられつつも半分親しまれているのだとか。

 あまりにもな話に私は驚きを禁じ得なかった。王位にこだわるどころかそれを他者へ譲り渡す事に抵抗なく、しかもその後民達と同じ場所へと向かい過ごすとは。

 

―――良き王とは思っていたが、まさかここまでとは……。

 

 あの薪の王ならばその座を捨てるのに躊躇わないだろうが、普通の王座であれば話は別だ。だからこそ、私にはあのロマリア王がより良い王と映った。

 ドルバ殿もそんな王だからこそお仕えし守る事を誇りに思うのだと言い切った。成程、ドルバ殿のような者が騎士団長の座を譲るはずだ。おそらくドルバ殿もまた王のように生きているのだろう。

 権威や権力に固執するのではなく、人として正しくあろうと。

 

「っと、そうだった。アルス殿、一つだけ助言をしておこう。おそらく王様はそのきんのかんむりを返した時に貴公へ自分の代わりに国を治めてみないかと持ちかけるだろう」

「「「「は?」」」」

「故に、王様が諦めるまで断り続ける事をオススメする。なぁに、心配いらん。大臣殿や私や近衛兵長も通った道だ。だからこそその抜け道を教えておこう。いいか? 諦めるまで断るのだ。がははっ!」

 

 ドルバ殿の笑い声だけが室内に響く。何というか、ロマリア王の事がよく分からなくなってきた。もしや、人が善いだけで職務には不真面目なのだろうか?

 

「ねぇ、もしかしてロマリアの王様って無責任?」

「ふぉ、フォンさんっ?!」

「無責任ではないぞ。ただ、隙さえあれば王を辞めようとなさる。ただ、王様の凄いところは決してその責を果たせぬ者にはその話をしない事だ。王になっても、悪政を敷かず、我を通さず、民や国の事を思って政務に励む者にしかその話をなさらんのだ」

 

 そう告げるドルバ殿の声は、まるで自慢するかのようなものだった。いや、自慢なのだろう。自国の王が人を見る目はたしかであり、そしてその職の重責をしっかりと理解している事なのだ。

 そして、そんな王から話をされたドルバ殿もまた善き王になれると言う事なのだから。これを自慢と言わずして何になる。何とも羨ましい主従の関係なのだろうか。

 

 仕える者はその主人を誇りに思い、従える者はその臣下達を誇りに思っているのだ。仕えるべき王と、王を任せられる者達として。

 

 と、そこでノックの音が聞こえた。おそらくだが食事の支度が出来たのだろう。

 

「どうぞ」

「失礼します。お食事の用意が出来ましたが、どういたしましょう?」

「ここへ運んでもらえるだろうか。全員分だ」

「かしこまりました」

 

 そうして運ばれていく食事を眺め、ドルバ殿が少々渋い顔をした。

 

「どうかされたか?」

「ん? いやなに、ここにしばらく逗留していたために食事に飽きていてな。これも私には見慣れたものなのだ」

「ああ、そういう事ね。じゃ、少しぐらい新鮮味を感じてもらおうかしら」

「フォンさん?」

 

 そう言うとフォンはドルバ殿の食事からあのチーズをフォークに刺すと部屋を素早く出て行った。成程、あの焼いたチーズを食べさせるのか。

 

「一体あの少女は何をしに部屋を出たのだ?」

「あんたに故郷の味を嫌な思い出にして欲しくないのさ」

「故郷の? そうか、あの少女は武闘家であったな」

 

 首を捻ったドルバ殿へアンナ殿がフォンの行動の意図を伝えると、ドルバ殿は得心したように手を打った。

 そして、程なくしてフォンが焼けたチーズと共に部屋へと戻ってきた。その匂いにドルバ殿はその髭を興味深そうに触っていた。

 

「ほほう、これは良い匂いだ。山羊のチーズを焼くと美味いというのは聞いてはいたが、匂いさえもここまでとはな」

「そうでしょそうでしょ! さぁ、食べてみてよおじさん」

「フォンさん、さすがに少し失礼が過ぎませんか?」

「いいんだよ。そんな小さな事で怒る様な騎士じゃないさ。それに、見な?」

「え?」

 

 アンナ殿に言われてステラがドルバ殿へと顔を向ければ……

 

「ほふほふっ…………おおっ! これは何とも美味いっ! 酒が欲しくなる味だ!」

「でしょ? あたしのお気に入りの食べ方なんだから!」

「うむ、これはいい事を教えてもらった。感謝するぞ、少女よ。わざわざ私のためにここまでしてくれるとは、そなたは良き妻になると見た。どうだ? 我が息子の嫁に来ぬか? 今は騎士団の末席だが、将来はきっと騎士団長となるだろう男だ」

「ええっ!? お、お嫁さんってのは惹かれないでもないけど、さすがにまだ早いだろうし……」

 

 急に顔を赤くして髪を弄り出すフォンを見て、ステラとアンナ殿が揃って苦笑する。何故だろうか? 私としてもドルバ殿の意見に賛成なのだが……?

 

「そんな事はない。私の妻は十六で我が家に嫁いできた。そなたは今いくつだ?」

「じゅ、十八だけど……」

「ならば妻が我が子を産んだ歳だ。十分嫁ぐに適しておるぞ」

「う、ううっ……あ、あたしには勇者と魔王を倒すって言う目標が」

「何もすぐにはとは言わん。そなた達の旅が無事終わった後でよい。どうだ? 一度会うだけ会ってみては。息子は幸い妻に似て顔立ちも私より端正だ」

「……会うだけならね」

 

 フォンが恥らうように告げた答えに、ドルバ殿はまるで父のような笑みを浮かべて深く頷いた。心なしか、あの神父殿がフォンへ見せた笑みに近いものを私はそれに感じた。

 

 

 

 ロマリアへの道は行きよりも格段に楽になっていた。ドルバ殿はアンナ殿よりも力があり、また剣技も素晴らしかったのだ。

 更にロマリアで騎士団長をしていただけあり、この辺りの魔物の事も熟知していたため、私達がまだ知らぬ事も教えてくれたのだ。

 

 行きは二日かけた道を一日で終えたとなればその凄さが分かるだろうか。おかげで野宿する事なく、夜も深い時間だったがロマリアへと辿り着いた。

 

「もう宿でも食事は望めまい。酒場も閉まっているだろうし、貴公らさえよければ我が家に来るか? 客間もあるし、食事は無理だがスープぐらいは出せるぞ」

「それは有難い。ドルバ殿、感謝を」

「なぁに、我が息子の未来の妻もいるのだ。それぐらい安いものだ。がははっ」

「あ、会うだけだから! 結婚するって決めた訳じゃないからねっ!」

「フォンさん、さすがに時間も時間ですので声を抑えてください」

「それとあんたもだ。あまりフォンをからかうんじゃない」

「むぅ、別にからかってはいないのだが……」

 

 アンナ殿の嗜めるような声にドルバ殿が不本意そうな顔をする。そんな会話をしながら私達は深夜のロマリア城下を歩く。

 ドルバ殿の家は城からほど近い場所にある大き目の二階建てだった。門構えも立派であり、ここがそれなりの身分である事を示している。

 

「いいとこに住んでるんだな、あんた」

「これでも代々騎士団長を務めてきた家なのだ。ただ、何も家柄でなった訳ではない。実際、今の騎士団長は我が息子ではない者が務めている」

「それなのですが、何故ご子息へ後を譲らなかったのですか? 聞けばもう騎士として働かれているそうですし」

「神官殿、それでは騎士の誇りが守れぬのだ。騎士の務めは、国を、王を、民を守る事。その長たる者が実力と人柄ではなく家柄だけで決まってしまえば、誰がその腕を、技を磨こうと出来るだろうか? 誰が騎士を志そうとするだろうか? この国を、民を守ろうと立ち上がるだろうか?」

 

 ステラの問いへドルバ殿は優しく諭すようにそう返した。成程、あの王ありてこの騎士ありか。この国はこのような者達がいる限り安泰だろう。

 

「その、失礼な事を聞いてしまいました」

「いや、いいのだ。幸い我が子も凡愚ではなかったらしくてな。私の後任が自分ではないと聞くや、必ずやいつか私のように騎士団長になってみせると決意を新たにしてくれたのだ。本当に、私は出来た息子をもった」

 

 心の底から嬉しそうにそう言ってドルバ殿は門を開ける。キィーと音を立てるが、これも普段であればそこまではっきりと聞こえないのだろう。

 玄関まで着くとドルバ殿は懐を探り、おそらく鍵だろう物を取り出した。

 

「普段であれば妻が出迎えてくれるのだが、さすがにこんな時間では寝ているのでな。出来るだけ静かに頼む」

「分かっています。重ねて感謝を」

「何だか盗賊になった気分ね」

「ふぉ、フォンさん……」

「思っても言わなかった事を言うんじゃない」

 

 こうして私達はドルバ殿の案内で暗闇の中を歩く、はずだったのだが……

 

「これで少しは見やすいだろ」

「おおっ、感謝するぞ戦士殿」

 

 アンナ殿がドルバ殿の横へ立ちその指先に火を灯したのだ。おそらく魔法の火だろう。

 

「……便利ね」

「いえ、そうでもないはずです。回復や治療などと違って、攻撃は威力の調整をする場合凄まじい集中力を必要とすると聞いています。あれは見たよりもかなり難しいかと」

「アンナ殿に魔法使いとしての才があったのはたしかなのだろうな」

「それを捨てるぐらいに、ライドって人の事は大きかったって事か……」

 

 先を歩く二人に聞こえぬようにフォンが呟く。そして私達は炊事場に辿り着いた。

 

「さて、ではそこで座って待っていてくれ。すぐにスープの用意をしよう」

「え? ドルバさんが作るの?」

「うむ、と言いたいところだが既に出来てはいるはずだ。我が家に伝わる特製スープは必ず毎朝飲む事にしているので、毎晩寝る前に仕込んでおく事になっている。それと、今では妻が作るようになったが元々私が教えていたものでもあるので味の心配は無用だ」

 

 そう言ってドルバ殿は大鍋へと近付き、その蓋を開けた。

 

「おおっ、さすがは我が妻。しっかりと仕込まれているな。では、念のため味見を」

「何者だっ! そこで何をしているっ!」

「「「「っ!?」」」」

 

 突然背後から聞こえた声に振り返った。私だけでなくフォンさえも驚いていたので、どうやら完全に気配を殺していたらしい。振り向いた先には、寝間着姿の栗色の髪をした青年が立っていた。その手に握られているのは、もしや”はがねのつるぎ”か?

 

「おおっ、マイヤーか。私だ。ドルバだ」

「父さん? では、この者達は?」

 

 ドルバ殿が嬉しそうに私達の間を割って姿を見せるや、マイヤーと呼ばれた青年はその手にしていた剣を下げ、不思議そうに私達を見回した。

 

「うむ、何とあのオルテガ殿の息子のアルス殿達一行だ。何でも王様の命により私の援軍としてシャンパーニの塔へ来てくれたらしく、盗賊達を塔より追い払いここまで同行してくれたのだ」

「ああ、噂には聞いています。たしかに王様が勇者一行に盗賊討伐を依頼したと」

「夜分遅くに申し訳ない。私はオルテガの子、アルス。つい先程ロマリアへ到着したのだが、父上殿にスープならば馳走出来ると言われ有難くここへ招かれたのだ」

「そうでしたか。たしかにこんな時間では宿も火は落としているでしょうし、酒場も閉まっています。成程、我が家の特製スープなら翌朝のために用意されていますからね」

 

 そこでマイヤー殿は手にしていた剣を鞘へしまい、申し訳なさそうに頬を掻いた。

 

「それにしても、父さんも普通に帰ってくれればいいんですよ。何故盗賊騒ぎが起きている中でその盗賊のように気配を殺して帰宅するんですか」

「いやぁ、お前やリンデを起こしてはなんだと思ってな」

「何を言ってるんですか。どうせ父さんの事だ。客間があるからとアルス殿達を泊めるつもりでしょう。そうなればいやでも母さんが起きます。母さんもこのジーク家の人なのですよ?」

「ううむ、やはりそうか。だが、スープだけ出して後は宿へというのもどうかと思ってなぁ」

 

 親子の会話を聞いていると、何と言うか胸が騒ぐ。このアルスも、きっとこんなやり取りをオルテガ殿としたかったに違いないと、そう思って。

 と、そこでふと気付く。先程から皆が静かだと。顔を向ければステラとフォンが揃って同じ顔をしている。どこか呆けているのだ。

 

「どうしたのだ、ステラ、フォン。眠気がやってきたのか?」

「勇者、分かってやれ。あの息子がハンサムだからさ」

「? はんさむ?」

 

 良く分からないが、どうやらマイヤー殿が原因らしい。ドルバ殿と似ている部分は、ああ目付きは似ているかもしれない。穏やかで人を不快にする事ない真っ直ぐな眼差しをしている。

 

「おおっ、そうだ。マイヤー、すまぬがリンデを起こしてくれるか? こうなった以上アルス殿達を紹介しておこうと思う」

「う~ん……しょうがないか。じゃあ、これを部屋に置いてくるついでに母さんを起こしてくるよ。アルス殿、他の方達もごゆっくり」

「マイヤー殿の心遣いに感謝を」

 

 こちらへ笑みを向け、マイヤー殿は来た方へと戻って行った。おそらく自室へと向かったのだろう。

 それにしても、私達の気配を察知して目を覚ますや剣だけを装備しここへ気配を殺してやってくるとは、マイヤー殿はかなりの腕を持っていると見える。

 あれ程の腕でも騎士団長になれぬのか。であれば、ドルバ殿は一体いか程の腕を持っているのだ? 生憎カザーブからここまでの戦いでは分からなかったが……。

 

 そうしていると、食欲をそそる匂いが漂ってきた。顔を動かせばアンナ殿が大鍋の下にあるかまどへ火を点けていた。

 

「これでいいだろ」

「重ね重ねすまんな、戦士殿」

「いいって事さ。この力は、出来れば戦闘には使いたくないんでね」

「ふむ、何やら訳ありのようだが、まあいいだろう。己の力をどう使うかはその者の自由だ。ただ、それが他者を苦しめ傷付けるのならば、必ず誰かに止められるだけの事」

「……ああ、よく分かってるさ。実際、私は止められたからな」

 

 そう言ってアンナ殿は立ち上がるとこちらへ振り向いた。その時のアンナ殿の顔は、どこか嬉しそうに見えた。

 

 その後、ドルバ殿からスープを振舞われていると、先程と同じ姿のマイヤー殿が寝間着姿のご婦人を連れて炊事場へ現れた。

 ご婦人の髪色はマイヤー殿と同じ栗色でややつり目の綺麗な方だった。そのご婦人、リンデ殿は夜更けの客である私達に嫌な顔一つせず、むしろドルバ殿を無事に家へ帰してくれたと感謝さえ述べてきた。

 

 そこに、私は品の良さと言う物を感じ取った。上流階級と言われる者達をそこまで見た事がある訳ではないが、紛れもなくリンデ殿はそう呼ぶに相応しい人物だと思ったのだ。

 

「それでアナタ? アルスさん達をお泊めするのはいいですけど、客間は二つだけですよ?」

「ベッドは大き目の物だったと記憶しているが?」

「まぁ、アナタは女性が三人いる事をお忘れですか? アルスさんがいくら立派な方だとはいえ、妻でもない女性と寝床を共にするなどいけません」

「ならば、アルス殿は僕の部屋を使ってください。客人をお泊めするには心苦しいですが、リビングのソファでなど余計心苦しいので」

「だが、それではマイヤー殿が」

「構いません。僕は今から着替えて城へ向かいます。仮眠室を借りて過ごす事にしますよ。そうすれば朝の訓練に遅れる事もありませんのでね。はははっ」

 

 そう言って笑う顔は、紛れもなくドルバ殿に似ていた。成程、ここにも共通点があったのか。そして、マイヤー殿は鎧などを装備し私達へ挨拶するや家を出て行った。

 何だろうか。接していて清々しくなる程良い人物だ。ドルバ殿がいずれ騎士団長になると言い切るはずだと思う。

 

「フォン、どうだ? いっそ本当に嫁になるか?」

「っ!? あ、あたしの一存で決められる事じゃないでしょ!」

「あの、フォンさん? それではフォンさん自身は嫁ぐ事に異論はないと聞こえますが……?」

「そ、そんな事言ってないじゃない!」

 

 初めてみるぐらいにフォンが慌てふためいていた。こんなにも落ち着きがないフォンを見るのは初めてかもしれない。

 

「あの、どういう事でしょうか?」

 

 そこへ話が分からないのであろうリンデ殿が小首を傾げて問いかけてきた。アンナ殿に説明を頼もうと見れば、フォンの様子を眺めて微笑んでいるので諦める。あのようなアンナ殿も珍しいからだ。

 

「実は、ドルバ殿がここにいるフォンへ御子息の、マイヤー殿の妻にならないかと話を持ちかけたのです」

「まぁ、そうだったのですか。あの人は本当に……」

 

 リンデ殿は苦笑しながらドルバ殿を見る。ドルバ殿は私達に振舞って無くなった分のスープを新しく作るため、鎧を脱いで野菜などを切っていた。その背中を、リンデ殿は優しい眼差しで見つめていたのだ。

 

「リンデ殿は十六歳で嫁いだと聞きましたが、ドルバ殿はその時おいくつだったのですか?」

「そんな事も話したのですね。もう、あの人ったら」

 

 そう言いながらもリンデ殿はどこか嬉しそうに見える。その眼差しはドルバ殿を見つめ続けていた。

 

「私がこの家へ嫁いだ時、ドルバは二十五でした。騎士団の副団長に任じられ、周囲からそろそろ嫁をと言われての婚儀だったのです」

「では、ドルバ殿は結婚に乗り気ではなかった?」

「どうも初めはそうだったらしいのです。ご両親を亡くしていた事もあってか、その頃のドルバは家の事など考えず、ただ生きていくためにと剣を振るっていたと聞きました」

 

 話しながら思い出しているのだろう。リンデ殿の横顔はとても懐かしむような笑みを浮かべていた。

 

 リンデ殿はドルバ殿と会った事もなく、ただ親の言う通りにこの家へと嫁いできたそうだ。

 そこで初めて対面した際、リンデ殿の愛らしさにドルバ殿が一目惚れ。

 可愛い妻をこの国一の騎士の妻にしたいと、そう決意したドルバ殿はより一層腕を磨き、マイヤー殿が生まれた翌年に遂に騎士団長へと任じられたそうだ。

 

 それから十八年以上、ドルバ殿は騎士団長の座であり続けたと、そう言ってリンデ殿はこう私へ告げた。

 

「ドルバは、私やマイヤーという家族を得て、より強くなれたと言ってくれました。何よりも大事な者達が、自分が命を賭けて守りたい者達が出来たからこそ、どんな苦労も乗り越えられたのだと」

「家族……自分の命を賭けて守りたい者……」

 

 オルテガ殿が旅に出た理由も、それだったのではないだろうか? 聞けば、オルテガ殿が魔王退治に出たのはアルスが生まれてからだと言う。

 ドルバ殿と同じで、オルテガ殿もアルスを、我が子を魔王という脅威から守るために旅立ったのではないだろうか。自分の命を賭けて、恐ろしい存在に挑めたのはそのためだったのではないだろうか。

 

 そして、それを知っているからこそ、ドルバ殿はマイヤー殿へ妻をとらせようとしているのだろう。自分しか守る者がいない家族。それを得て強くなれた自分のように、マイヤー殿も妻を得て更に高みへと登れるように、と。

 

 その答えを知る者は、黙って鍋と格闘していた。何故かその背中は、私には大きく見えた……。




父から子へ。これが明確に描かれたのはドラクエⅤですが、ドラクエⅢもそういう描写はあります。
容量の問題かもしれませんがしっかり描かれたのは終盤も終盤のみ。ですが、パパスが主人公へ想いを託すように、オルテガもまた勇者へ想いを託していくシーンはまさしく最終決戦へのテンションを高めるイベントだったと思います。

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