僕とキリトとSAO   作:MUUK

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ALO編って全ての話が地続きだから切りどころが難しいですね。着地点を探してたらちょっとが長くなっちゃいました。


第四話「剣と体と魔法と羽と」

結局、またすぐログインしてしまった。

理由は明確。ヘラちゃんともう一度接触しなければならないからだ。優子とアスナへの道を拓くためにも、あの天然竜騎士に聞くべきことは山ほどある。

キリトはと言うと、混信の影響によるバグの可能性を伝えたところ、僕に平謝りしてから家へと帰っていった。自宅でログインし直すのだろう。置き土産とばかりにヘラちゃんへの言伝を頼まれた。『アスナの写真を撮ったのは君なのか?』。キリトの質問は、僕も真っ先に問うつもりだ。

ヘラちゃんは難なく見つかった。アリシャと2人で、リュータローに背を預けながら語り合っていたのだ。リュータローは身を丸めて、不安など欠片も知らぬかのような穏やかさで眠っていた。

ヘラちゃんを囲んでいた集団は、この30分弱の間に霧消してしまったらしい。勝手に散っていったのか、それとも静かに喋るためにお引き取り願ったのか。喧騒は薄れ、残っているのは一面の草原を撫でる風の音だけだ。

とにもかくにもヘラちゃんと話さなければ。2人に向かって、両手を頭上で大きく振った。

 

「おーい! 2人とも!」

「あ、ライトクン! お早いお帰りだネ!」

「ちょっとヘラちゃんに急用ができてね」

 

たった30メートルの距離すらもどかしくて、全力疾走でヘラちゃんに近づいてしまう。

走ってみて実感したが、SAOでの速度と比べて半分くらいの走力になってしまっている。今の僕の最高速は、だいたい高速道路での乗用車くらいだろう。

近づいてきた僕を見て、アリシャは呆気にとられたようだった。

 

「ライトクン、今の速度なに……?」

 

そっか。ALOはレベルが無いスキル制のRPGだ。AGI極振りという概念も無い以上、劣化した僕の速度でも充分に早いんだ。

SAOからALOにスキルが引き継がれているのなら、疾走スキルなどの走行性能補助スキルもカンストのまま引き継がれているはず。

あとは走り方だろうか。仮想世界に適応できていなければ須く走力は下がる。正しいフォームを維持できないのだ。その点2年間走り続けた僕の身体は、むしろ現実以上に仮想現実に馴染んでいる。

だとすると、僕は始めたてながらサーバ内最速のプレイヤーとなる。

だがそんな理屈をどう説明したものか。

 

「いやー……そのー……えっと……」

「スゴイねライトくん! トリタローと同じくらい速かったのだよ!」

 

さすがヘラちゃん。流れがブチ壊しだ。

 

「トリタローって?」

「あ、紹介してなかったのだね!」

 

うっかりしてた、と言わんばかりにヘラちゃんは手を打った。か細い指を咥えて、最高の獣使いたる女の子は甲高い口笛を鳴らす。

突如、ドタドタと地を鳴らす足踏みが重機にも勝る振動音を打ち鳴らす。地響きは聞こえてきたのは、後方に広がる草原からだった。音のする方に振り返ると、巨大な鳥が車もかくやという速度で地面を踏み抜いていた。遥か昔に絶滅したジャイアントモアを思わせる体躯に、人を裂くなど容易かろう爪とクチバシを備えている。怪鳥の突進には、本能的な恐怖感が発起させられる。

ヘラちゃんが手前に右腕を突き出して、広げた手の平をトリタローに向けた。たぶん『止まれ』の合図だろう。さすがはビーストテイマーといったところか。ヘラちゃんのサインに反応して、トリタローはピタリと疾走を止めた。

 

「ただいま! トリタロー!」

「クエェーー!!」

 

ヘラちゃんが横に両腕を広げると、トリタローはヘラちゃんに触れ合う距離まで踏み入った。ダチョウじみた風貌を持つ巨鳥の首に、ヘラちゃんは腕を回して抱きしめる。トリタローは心地よさそうに目を細めて、ヘラちゃんへと頭を預けた。

抱擁の様子を見ていると、主従というより対等な友達のようでもある。きっとヘラちゃん自身の認識も同じだろうと予感する。

しかし、ネーミングセンスだけはどうにかならなかったのか……。

本来なら和むであろう情景を見ても、急いた心は理性の背中を押し続ける。トリタローとの再会中に悪いが、本題を切り出させてもらおう。

 

「ねえ、ヘラちゃん。ヘラちゃんがこの写真を撮ったって本当?」

「うにゃ?」

 

メニュー画面に添付した画像を、他人が見られるように設定する。写真を一瞥したヘラちゃんは、すぐに首を縦に振った。

 

「うん! リュータローでビューンと飛んで撮ってきたのだね!」

 

なるほど。確かにそれならプレイヤーに課せられた飛行時間制限の問題はクリアできる。今更だが、ドラゴンには飛行時間の制限が無いのか。竜のテイミングって、もしかしなくても滅茶苦茶チートなのでは?

 

「ヘラちゃん以外にもドラゴンのテイミングに成功した人っているの?」

「うーん……わかんないのだね!」

「私が知ってる限りじゃいないヨ。条件を最高に整えても、成功確率は小数点以下。そもそも普通にプレイしてたらドラゴンがポップすることがまず少ないから、本当に幻だネ」

「へええ……あ、いや本題はこれじゃないんだった。────ヘラちゃん。僕と一緒に世界樹を攻略してくれないかな……?」

「よいよ!」

「軽っ!?」

 

わりと無茶なお願いだと思っていたが、すんなり通ってしまった。世界樹までの道のりがどの程度なのかはわからないが、リュータローに乗って上空から見た限りでは10キロや20キロでは効かないように見受けられた。長丁場の旅路に時間を割いて、初心者プレイヤーの補助を同時に行うなんて、ベテランプレイヤーからしたら割に合わないだろう。

ヘラちゃんは二つ返事で了承してくれたが、僕の何が彼女に気に入られているんだろう。ヘラちゃんは下心なんか持つタイプじゃないと分かっているが、僕を相棒にするという発言の真意がどうしても気になってしまう。

 

「ありがとう、ヘラちゃん。お願いしておいて言うのもなんだけど、なんでヘラちゃんは僕をパートナーに選んでくれたの?」

「うーんとね……ライトくんはわたしと似てるからなのだね! 一緒にいてて楽しいのだよ!」

 

似ている……だと? そんなはずは……。僕には天然要素なんて一つもないのに!?

 

「確かにネ。方向性は違うけど、天然さはわりと似た者同士だヨ。というか、今のヘラちゃんは天然が加速してるから、ちょっと前のヘラちゃんに似てるって感じかナ?」

 

アリシャにお墨付きをもらってしまった。僕ってそんなに天然さ出てるだろうか?

というか、ヘラちゃんの天然さって悪化してたのか……。いったい彼女の身に何が。

悶々とする僕を横目に、アリシャは南東に向かって首を回す。ALOの中央を望む目は山猫よろしく細められた。

 

「本当に世界樹に行くつもりなの? 普通に高度制限で弾かれると思うヨ」

「ほえ? 高度制限?」

「うん。ヘラちゃんが世界樹に進入してからすぐだったかナ。慌ててアップデートされたんだけどネ、世界樹の外側から上部へは、システム的に進入不可になってるんだヨ」

「じゃあ中から攻略すれば良いんじゃ……」

「それも無理。一体一体が手練れのプレイヤーくらいも強いエネミーが、無限にポップし続ける極悪フィールドだからネ。ALOが始まって1年以上、誰にも攻略されてないってのは伊達じゃないんだヨ」

 

混じりけなく真剣なアリシャの言葉が、重く双肩にのしかかる。当たり前だ。ぽっと出の僕が今日明日に着いて攻略できるような難易度なら、もうとっくに攻略されている。

なら僕はどうしたら良い? どうすれば前に進める?

せっかくここまでやって来たんだ。挑戦することすらせずおめおめと、このまま引き下がれるはずがない!

 

「それでも、僕は行くよ。なにもできずにログアウトするわけにはいかないんだ」

 

意図せずして語気が荒くなった。頭に血が上ってるっていうんなら、その勢いのまま突っ走ってやる。

刹那の森閑が立ち込める。草を薙ぐ風音が一層大きくざわめいた。

アリシャは笑いも怒りもせず、ただ僕の目を見た。

 

「うん。良い目だネ。カッコ良い男の子の目だ。だったら私には止める権利は無いヨ。なにか、君にとって大切なモノがあるんデショ?」

「うん。何よりも大切なものが」

 

胸の前で拳を握る。僕が自分の気持ちに嘘がつけない人間だってことは、僕自身が1番よくわかってる。

今すぐにでも走り出しそうな衝動を抑えていると、ヘラちゃんが背中を元気よく叩いてきた。

 

「大丈夫! いざとなったらワタシがなんとかするのだよ!」

「あ、ありがとう」

 

男らしい……! ヘラちゃんにかかればなんとかできちゃいそうなのが、また凄いところだ。

僕たちの話し声が喧しかったのか、リュータローが気怠そうに頭を上げてあくびした。眠気が移ったみたいに、トリタローも座り込んで瞼を落とす。2匹ともヘラちゃんにピッタリとついている様がなんとも微笑ましい。

かくいう僕も、小春日和の陽気にあっては睡魔が忍び寄る気配を感じる。思わず舟をこぎそうになったところで、ALOには《寝落ち》というシステムがあったことを思い出した。ゲーム内で寝ると、そのままログアウトされてしまうという機能だ。

自分の種族の領地内でなら寝落ちしても全く問題は無いのだが、どこの縄張りにも属さない中立域だと話は別だ。中立域でログアウトすると、意識の無い体だけが残される。つまりは攻撃受け放題。

自殺行為を好むプレイヤーは存在してもごく少数だろうから、どうしても中立域でログアウトしなければならないなら、普通はパーティーメンバーが空っぽの身体を守ることになる。その点相棒がヘラちゃんだというのは、この上無い安心感だ。

脱線した思考を打ち切って、頭をブルブルと振るわせる。眠気を無理矢理に追い出してから、ヘラちゃんへと顔を向けた。

 

「じゃあ、早速出発できる? それとも明日からにする?」

「今からでも大丈夫なのだよ!」

「オッケー! じゃあ……」

「あー、こめんね2人とも。世界樹に行くのは明日まで待って欲しいかナ〜なんて」

「ほえ? いいけど、どうして?」

 

正直もう居ても立っても居られないのだが、僕にも自制心くらい残っている。明日までならまだ待てるだろう。

 

「明日の深夜に、ここ(ケットシー領)でシルフとの同盟の会議があって、そこにヘラちゃんも出席して欲しいんだヨ。何が起こるか分からないからネ。手札は多い方が良いでショ?」

「よいよ!」

 

またも即答でヘラちゃんは了承する。

もしかしてヘラちゃんは、否定することを知らないのではないだろうか。どれほど無茶なお願いをすれば却下するのか、むしろ興味が湧いてきた。

正直、このほわほわ感でトッププレイヤーであるとは俄かに信じ難い。

 

「リュータローに乗りながら会議に出てもよい?」

 

真っ白な耳をピクピクと動かしながら、ヘラちゃんは条件をつけた。なぜにリュータローに乗りながら?

 

「良いヨ」

「ありがとうなのだよ!」

 

なんでわざわざ騎乗するのかって聞かないんだ。喜ぶヘラちゃんを見てアリシャは苦笑している。聞いてもしょうがないから諦めてるのかな。

晴天の雲みたいに白い尻尾を左右に振って、ヘラちゃんはいかにも上機嫌だった。

スキップしながら僕に近づいてきたヘラちゃんは、僕の手を取って引っ張った。

 

「じゃあ今日は暇だしちょっと練習するのだよ! ワタシが色々教えてあげるのだね!」

「あ、じゃあお願いします」

 

ちょうど良かった。ゲームシステムは知っているが、実際の戦闘に魔法や飛行をどう取り入れるのかが、まだ不透明だったのだ。チュートリアルを熟練プレイヤー手ずから敢行してくれるとは、中々の幸運に恵まれている。

 

「ライトクン、頑張ってネ〜」

 

ヘラちゃんに引っ張られる僕に、アリシャはヒラヒラと手を振った。アリシャが浮かべる小悪魔っぽい悪戯な笑顔の真意を、僕は直後に知ることとなった。

 

 

「Ek vera hre……」

「ちーがーう! 呪文(スペル)ミスは本番でやらかすと命取りなのだよ!」

「そ、そんなこと言われても、すぐには覚えられないし……」

「うむむ……じゃあ覚える数を絞ろ! ライトくんの戦闘スタイルなら身体能力強化系が良いのだね! 慣れてきたら滞空制御とかも使って欲しいのだけど、この前ヨツンヘイムで発見した新スペルが……」

「オーケー分かった。まずは身体能力強化系ね」

 

放っておいたらタスクがどんどん追加されそうなので、無理矢理にでもヘラちゃんの言葉を打ち切った。まさかヘラちゃんがスパルタだったとは……。いつもの雰囲気みたく、ざっくりふわふわ教えてくれるものだとばかり。

戦闘指導のときだけ、ヘラちゃんのIQが3倍くらいになっている気がする。今は仮想敵相手に演舞をしてるのみだが、もしモンスターが現れたら更に厳しくなりそうだ。

しかしなんでゲームに入ってまで、英単語の暗記みたいなことしなきゃいけないんだ。もっと短くスパッと唱えられるので良いじゃないか。

教育に対する嘆きを抱きながら教えられた呪文を詠唱していると、僕の不注意さをヘラちゃんは感じ取ったようだった。

 

「手足が止まってるのだよ! 走って攻撃しながら詠唱もする! 体術に集中し過ぎて魔法が間に合ってない! あとで空中戦術の特訓もするから、そこまでに攻撃と同時詠唱はある程度形にするのだよ!」

「ひいい……」

 

やること多すぎて頭がパンクしそうだ。なんとか休む口実を……。

不純な思考を働かしていた僕の耳に、ガサガサと草を掻き分ける物音が届いた。背の高い草原が視界を遮るが、何者かが接近していることは明白だ。SAOから引き継がれている聞き耳スキルを発動させ、対象の位置を補足する。

 

「敵がいるのだね。ライトくん、ちょっと応戦してみて」

「う、うん」

 

アリシャと喋っていたときよりワントーン低いヘラちゃんの言葉にドギマギする。もうモンスターは迫ってきていると自分に言い聞かせて、耳を立てることに思考を向けた。

土が踏まれて沈む音から、体重は70キロくらいと推測する。擦れるような金属音が伝わるので、武具を装備した人型モンスターであることは容易に分かる。

以上の情報から、ステップ草の高さ1メートルよりも身長が低いとは思えないので、身を屈めて隠密する知能があると予想可能だ。

SAOで培った、対モンスターの経験が蘇る。暗殺を目論むようなMobの場合、狙ってくるのは背後からの一撃必殺。

SAOでなら閃打か封炎で迎撃するところだが、ALOにソードスキルは無い。スキル自体は存在するが、これらは体術の速度や攻撃力上昇といった副次的なもの。攻撃にシステムアシストはかからず、タイミングは自力で調節せねばならない。

相手の力量と自分の速度を省みて、呼吸を合わせ、意識を一点に絞る。

 

「ここだ!」

 

敵の攻撃は大上段の振り下ろしとヤマを張り、手刀を2メートルの高さで後ろに回す。

結果、僕の右腕は古式ゆかしいリザードマンの、短剣を持つ右腕とかち合った。

ビンゴ!

初撃を阻まれた竜人は、狼狽を露わにしながら3メートルほど僕から距離を取る。

さて、ALOでの初戦闘、どう切り抜けるか。

あ、いいこと思いついた。

 

「ヘラちゃん、お願い! ちょっと戦闘のお手本見せてよ!」

 

よし。我ながら完璧な言い訳だ。ちょっと休めるし本物の戦闘も見られる。

ヘラちゃんからの返答は、つり上がった口角だった。唇の端から獰猛な牙が覗く。

大腿筋が引きしぼられ、白亜の体躯が僕の前から姿を消した。いや違う。超高速で走り出しただけ。初速の勢いに、僕の神経が追いつけていなかった。

風を裂くような突進に、リザードマンは未だ反応を開始できていない。下級AIでは辿り着けぬ高みに、トッププレイヤーたる少女は君臨する。

足を運びながら、腰の短剣を抜き身にする。

刃が照り返す光が目に入った瞬間、心臓を切り裂かれる映像が鮮やかに僕の脳裏を犯す。ヘラちゃんの放つ莫大な殺気が、相対していない僕の意識までも混濁させたのだ。

その段に至って、リザードマンは身の危険を認識した。いや、させられた。だがもう遅い。

ヘラちゃんは既に、竜人を間合いに捉えている。リザードマンが剣を高速で振り下ろす。しかし間に合おうはずも無い。至高の白猫が至るは音速。リザードマンの剣速程度は、亀にも等しい愚鈍さだ。

煌めく凶刃が放つのは、正確無比の2連撃。肋骨の合間を縫って、抵抗無く心臓を穿つ一撃目。

辻斬りめいて、通り過ぎざまに首筋を抉る二撃目。

哀れなトカゲ男には、断末魔を上げる暇も無く。

短剣を鞘に収める音と、竜人がポリゴン片と爆散する音が、同時に僕の耳へと届いた。

走り出しから決着まで、この間わずか2秒。

 

「ざっとこんなもんなのだね!」

 

ヘラちゃんはニッカリ笑顔とVサインで、勝負疲れなど微塵も感じさせない。

ようやく実感を持って、ヘラちゃんが最強の一角たる所以を理解できた。今の戦闘では魔法と飛行は使用しなかったが、それは使う必要すら無かっただけのこと。体捌き1つとっても、並のSAOプレイヤーを軽々と凌駕している。現実と身体の勝手が違う仮想世界において、システムアシスト無しに神速で急所だけを攻撃する流れは、息を呑むほどに美しかった。

もう確信を持って言える。ヘラちゃんは全盛期のキリトにも比肩しうる実力者だ。これでトッププレイヤーにならないわけがない。

 

「すごいねヘラちゃん……魔法とかを使ったらもっと強いんでしょ?」

「そうなのだけどね。諸事情によりちょっと封印中なのだよ!」

 

諸事情ってなんだ。よく分からないけど、ヘラちゃんに一々ツッコミ入れてもしょうがないか。

さて、良いものも見せてもらったし、そろそろログアウトするか。ちょうど陽も落ちてきたところだし……。

 

「あれ? なんで今夕方なの?」

 

当然ながら現実世界はとっくに深夜だ。そもそもログインした時刻からして夜だったのに、海上にはしっかり太陽が浮かんでいた。

首を傾げる僕に、ヘラちゃんは存外しっかりと応えてくれた。

 

「ALOは1日が16時間なのだよ! 視界の右下に時計があるから見てみるのだね」

 

言われた通りに目線を動かすと、デジタル形式の時計が2つ、上下に並んでいた。上段の時刻は『3:32』、下段の一回り大きな表記の時刻は『11:32』と示している。

上側の小さな時刻は間違いなく現実世界のものだ。だとすると『11:32』がALOでの時刻になるが、11時で夕方? あ、そうか。16時で真夜中なんだから11時なら陽が落ちるくらいの頃合いだ。

頭がこんがらがってくる……。ALO式時計に慣れるのには時間がかかりそうだ。

 

「なんでこんな面倒な仕様なんだろうね」

「毎日決まった時間にしかログインできない人のためらしいのだよ」

「ああー、なるほど」

 

夜しか入れない学生や社会人でも、ALO内では昼夜を楽しめるわけか。SAOだと全員ログインしっぱなしだから、必要無かったシステムなんだ。

同じ仮想世界の異なるシステムに思いを馳せていると、斜陽は徐々に力を失っていった。昼間のお返しだとばかりに、西の空からは巨大な影が手を伸ばしてくる。

 

「じゃあそろそろログアウトするよ。ありがとう、ヘラちゃん。ログイン毎に探すのも手間だし、フレンドになっておかない?」

「それはちょっとワタシの矜持に関わるのだよ」

 

つまり拒否ってことか。分かりやすい性格なように思えて、ヘラちゃんは意外と忖度できない。あえてフレンドにならないことにどんな意味があるのかは分からないが、本人が嫌がっているのだから深追いはやめておこう。

 

「オッケー。じゃあ僕はフリーリアに戻るけどヘラちゃんは?」

「ワタシはもうちょっと探索するのだよ。ケットシー領は久しぶりなのだからね」

「了解。それじゃあまた明日」

「じゃあね!」

 

ヘラちゃんに手を振って、背中の羽を展開する。現在のフィールドからケットシー領の首都フリーリアまでは直線距離で約2キロほど。せっかくなので練習も兼ねて、僕は岩山の街へと飛び立った。

 

 

如月市民病院の個室で、ジェル状のベッドに痩せ細った肢体が横たわっている。秋の終わりを連想するブラウンの髪は、見慣れたボブを大きく通り越して、もう肩よりも下まで伸びてしまっている。

何をしても反応の1つも返さない優子が、微かに吐息を漏らすことだけが、僕の唯一の支えだった。

薄い群青のカーテンが風に吹かれた。開け放たれた窓から病室に、命を鈍らすような冷風が流れ込む。もう昼下がりだというのに気温は高まらず、冷めた大気が病室の空気を蝕んでいく。

換気のために看護師さんが開けたのだろうが、寒さで優子に鳥肌が立ってしまっている。窓を閉めて、寝床の横に置いた座椅子に腰掛け、優子の右手を包み込む。両手で持ち上げた優子の手に、僕はすがるように頭を預けた。

 

「優子……僕は……」

「お! 明久じゃねえか。うんこ漏らしそうな顔してどうした?」

「そんな顔してないよ!」

 

荒々しい所作で優子の病室に踏み入ってきたのは、旧来の悪友にしてサーヅァンツのリーダー、ユウこと坂本雄二だった。

ログアウトして最初にあったときこそ雄二は瘦せぎすだったものの、1か月の間にモリモリ筋肉が増量している。たぶん時間の許す限り筋トレに勤しんでいるのだろう。

普通に挨拶するつもりだったが、いつもの癖でつい悪態をついてしまう。

 

「なにしにきたんだよ?」

「見舞いに決まってんだろ。俺が来たら迷惑か?」

「ああ迷惑だね! せっかく僕がシリアスイケメン風味を醸し出しながらたたずんでいたのが台無しじゃないか」

「シリアルソーメン風味?」

「すっごいマズそう」

 

2年も使ってなかったから、雄二の耳は腐っているのかもしれない。

わざわざ僕の隣に腰掛けて、不躾な悪友はやにさがった。

 

「しかし初めての優子の見舞いでお前に会うとはツイてないな」

「そりゃ毎日来てるからね。会う確率は高いだろうね」

「え……毎日? 女々し……」

「ガチトーンはやめて!!」

 

ありありと見て取れるドン引きの表情だ。

というか、好きな人のお見舞いなんだから毎日来たって構わないだろ!

しかし、もう少しで病院に通う日々も終わる。いや、終わらせてみせる。優子に取り付く暗い影は、僕が絶対に取り去ってみせる。

 

「なにニヤニヤしてんだ。気持ち悪いな。お前なんか隠してるだろ?」

「ややややだなあ。なにもかくしちぇないよ!」

「笑いを通り越して悲しくなるな。いいから吐きやがれ。今なら腹パン一発で許してやらんこともない」

「それ許してないよね!?」

 

まあいいか。別に隠匿する必要もない。記憶の残滓を手繰りながら、僕はことの顛末を詳らかにした。

キリト、改め和人が家に来たこと。

まだ目覚めていないアスナが映った写真がALO内で撮られたこと。

優子もALOに囚われている可能性を感じ、僕と和人はALOにログインしたこと。

黙って聞いていた雄二は、話が進むにつれて段々と眉宇を寄せ出した。終いには舌打ちまで聞こえてくる始末だ。謎の緊張感の中、僕は30分に渡るあらすじを締めくくった。

 

「って感じなんだけど……」

「てめえ明久! なんでそんな面白そうなことに俺を巻き込まねえ!」

「えええ! そこ!?」

「当たり前だろ! リハビリばっかで飽きてきたところだ。学校始まるまでの暇つぶしがてら、サクッと優子とアスナを救ってやろうぜ」

 

げええ……変なのに絡まれたなあ……。

 

「めんどくさそうな顔するんじゃねえ。ともかくその世界樹ってとこに行けばいいんだな? いつ待ち合わせる?」

「うーん……明後日の正午とかでどう?」

「よしきた」

 

無理矢理に約束を取り付けられた形だが、戦力が増えて困ることはないだろう。

適当に予定を決めちゃったけど、和人は大丈夫だろうか? 一度連絡して日程を調整しておいた方がいいかもしれない。

ALOの中央に峻厳な佇まいで茂る世界樹。母なる大木にたどり着く場面を思い描くと、に不意に憂いが心中に注がれた。僕らが世界樹へ行って何ができるのだろう。ヘラちゃんはどうにかするって言ってくれたけど、ただの一般プレイヤーに何かできるとは思えない。

いや、だめだ。こんな弱気じゃ何もできやしない。システムがなんだ。グランドクエストがなんだ。そんなもんで止まってられるかってんだ!

決意を重ねたのに、僕はまた立ち止まってしまった。目覚めてからの2ヶ月は、僕の心を押し縮めたんだろう。

だから、今度は突っ走れるように、優子の寝顔を目に焼き付ける。

 

「待っててね、優子」

 

弱っちい僕を好きになってくれた彼女のためにも、僕はもう止まれない。

確かめるように、優子の右手を強く握った。

 




このあとめちゃくちゃ雄二にバカにされた。

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