「あれ? でもどうして私の知らない
覗き込むみたいに顔色を伺ってくるアリシャに、僕は背筋を竦ませた。
本来ALOでは、プレイヤーは選択した種族のホームタウンからゲームを開始することになっている。だが僕は違った。海上高度数千メートルの位置に出現させられ、急に落下したのがスタートだった。
バグの原因がなんなのかは分からない。もしも僕がSAO
僕の出自にケットシーの人が疑問を呈するの至極真っ当だ。ケットシーの新人が、ケットシー領以外からやってくるなんてあり得ないんだから。
しかしアリシャの情報網が完璧と言うわけではないだろう。ならばいくらでも言い訳のしようはある。
「たまたま見逃してたんじゃないかな……? 僕は普通にフリーリアから……」
「そんなはず無いヨ」
強い語調。自分に道理があることを確信している人間だけが出せる威圧感だ。押しに負けて目が泳いでいまう。
「な、なんでそんな……」
「ケットシーの新規アカウントがログインしたことが、私の耳に入らないはずは無いんだヨ。だって、私がケットシーの領主なんだからネ!」
なっにいいい!?
アリシャは可愛らしく耳をピコピコ動かすが、練られた罠には愛らしさの欠片もない。
確定的な状況証拠は僕の退路を鮮やかに絶った。
じゃあもう嘘なんてつかない方が良いだろう。バグったならバグったって正直に言おう。
「…………実はバグっちゃったみたいで、いきなり空から落っことされちゃったんだよ」
「アハハ〜、それは大変だったネ。じゃあ、なんで最初からそう言わなかったのかナ? バグったって言えない理由でもあったのかナ?」
うわぁ……この人、尋問のやり口が頭良いぞ!?
僕の頭が悪いだけとか言ってはいけない。
アリシャは笑顔でいるものの、目だけは笑わす僕を見定めている。狩り赴く肉食獣を思わせる視線には、首根っこを掴まれるような錯覚を想起する。
勝てる気しないなあ……。SAO生還者だって言っても良いか。変に嘘を重ねるよりはマシだろう。
「あのー、ですね。実は僕、SAOプレイヤーで、その関係で変な位置からスタートになっちゃったのかも……なんて」
「ははあ! なるほど。それは予想外だヨ! にしてもまさかSAOプレイヤーだとはネ〜。動きが滑らかだから、他のVRゲームをプレイしてたんだろうな、とは思ってたけどネ。ごめんね、疑って。他の種族────スプリガンあたりが幻惑魔法でスパイごっこしてるかもしれないと思って、ちょっと鎌かけちゃった」
だから僕の嘘に拘ってたのか。アリシャはケットシーの領主なのだから、余人が些事と見逃すことであろうと気を張っているのだろう。アリシャに無駄な心労を負わせたことに罪悪感が湧く。
「こっちこそごめんね、アリシャ。あんまりSAOプレイヤーだったってこと広めたくなくって……」
「うむ。その気持ちはわかるヨ! ライトクンは素直ないい子だネ〜! あ、あとSAOプレイヤーだったからバグったわけではないと思うヨ」
「へ? なんでわかるの?」
「1人だけSAOプレイヤーの友達がいるんだけど、その子はなんともないしネ。たぶんキミのバグは同じIPから接続して混信しちゃったんじゃないかナ? 私もやっちゃったことあるし。心当たりある?」
「あっ……」
そっか。キリトと同じパソコンに繋いでログインしたから……。そういえば説明書に注意書きがあったような、無かったような。
待てよ。じゃあキリトはどうなったんだろう? 僕と同じようにバグったのか、それとも普通に選んだ種族のホームタウンに召喚されているのか。考えても詮無いか。ログアウトしてみれば分かる話だ。
(ビロロロロン)
温度の無いコール音が鼓膜を揺らす。僕の思考がテレパシーで伝わったのか、現実世界からのコールサインが視界の中に現れた。『外』との通信は本来のナーヴギアが持つ機能の1つだが、SAO状況下にては当然ながら封印されていた。緑色の電話マークが左下で点滅しているのを見ると、むず痒い感慨を抱く。
呼びかけてきているのは、十中八九キリトだろう。やはりキリトにも問題が発生していたんだろうか。
「ごめんアリシャ。ちょっと現実から呼ばれてるや」
「はいな。またいつでもおいでヨ!」
「うん。またその時はよろしくね。あ、そうだ! ヘラちゃんにも挨拶しとかなきゃ!」
ALOで死亡しても実際に死ぬわけではないとは言え、一応は命の恩人だ。礼は尽くしておかないと。
後方へ振り返ると、まだヘラちゃんには人だかりができていた。むしろ減るどころか今も増え続けており、いつの間にやらケットシー以外の妖精の姿もちらほらと見かけるほどだ。わざわざ飛行してまでヘラちゃんを一目見ようとするプレイヤーも、少なからず存在する。衆目は一様にヘラちゃんへと注がれ、熱気と活気が
ヘラちゃんの存在がそんなに珍しいのだろうか。
「ねえアリシャ。ヘラちゃんってあんまり帰ってこないの?」
「うーん、今回は長かったからネ。2ヶ月はお留守だったんじゃないかナ〜」
「2ヶ月!?」
そりゃ人が集まるわけだ。
トッププレイヤーならばログイン時間は膨大なはず。長大な時間の中、誰にも会わずに過ごしていたというのなら、延々とダンジョンに潜りっぱなしだったということだろうか。
「すごいね……その間ずっと誰にも会ってなかったってこと?」
「一応ヨツンヘイムの邪神狩り部隊からは、目撃情報あがってたんだけどネ。…………ヨツンヘイムでソロプレイって時点で意味わからないヨ」
「ヨツンヘイム?」
「ああ、ごめんごめん! そりゃ知らないよネ! ヨツンヘイムはALO最高難度の地下フィールドの名前だヨ。最近──3ヶ月くらい前かな? 実装されたんだヨ」
「な、なるほど」
文脈から察するに、普通はパーティとかレイド単位で攻略するフィールドなんだろう。集団戦用マップを単騎駆けとは、ヘラちゃんらしい無茶苦茶さだ。そもそも一介のプレイヤーにそんな事ができるのか、と思わないでもないが、ヘラちゃんの戦闘を見ていないからまだなんとも言えない。
「ともかく、頑張ってヘラちゃんに声かけてくるよ!」
「うん。いってらっしゃ〜い」
さて、どうしたものかと考えながら、リュータローの尻尾を撫でた。リュータローにも助けられたのだから、お礼の気持ちを手に込めた。僕の心が伝わったのかは分からないが、
「クルルゥ」
リュータローは細く喉を鳴らして応えてくれた。
リュータローの鳴き声に反応したのか、ヘラちゃんの方が僕に気づいてくれた。人壁の中でピョンピョンと飛び跳ねながら、僕に手を振ってくれている。
「ごめんねみんな! ちょっと道を開けて欲しいのだよ!」
ヘラちゃんのお願いを無碍にする者はいなかった。天然少女が歩む先が順々と開かれていく様子は、モーセの海割りを連想させられる。
手が届くくらいの至近距離にまでヘラちゃんが走ってきて、僕を幼気な瞳で見上げた。
「わざわざ来てくれてありがと。あと、さっき助けてくれたのもまだお礼言ってなかったよね。ありがとう、ヘラちゃん」
「良いってことなのだよ! たまたま通りかかっただけなのだし!」
「うん。たまたま通りかかってくれて本当に良かった。じゃあ一旦ログアウトするね。また会ったらその時はよろしく!」
「またね! ワタシはしばらくここらへんのフィールドをうろうろしてるから、ライトくんがログインしたら飛んでくるのだよ!」
「フィールドをうろうろって、ホームには入らないの?」
「そういうタチじゃないのだな、ワタシ」
どういうタチだ。まあヘラちゃんの言うことを真に受けても仕方がないだろう。
最後にもう一度手を振ると、ヘラちゃんは満面の笑みで振り返してくれた。
メニューを開いて、下にスクロールする。ログアウトボタンの存在を確認し、自然と安堵のため息が漏れ出た。大丈夫。ちゃんとALOは『遊び』のゲームなんだ。
微細に震える人差し指で僕がログアウトを選択したのとほぼ同時に、恰幅の良いおじさんケットシーがヘラちゃんに話しかけた。
「ところで彼とはどういう関係なんだい?」
「ん? ライトくんはワタシの新しい相棒なのだよ!」
「「「ええええぇぇ!?」」」
民衆の驚愕がケットシー領に地震を起こした。
いや驚きたいのはこっちだよ! 非常に聞き捨てならないんだけど!?
少しでも弁明を……あ、ダメだ。もう声帯の接続が切れてる。下手したらヘラちゃんとずっとタッグを組む流れでしょ、これ。色んな意味で厳しいなあ……。
悩んでも仕方ないし、もっとポジティブに考えよう。ヘラちゃんは戦闘能力も土地勘も先人として頼れるはず。ハイランカーが相棒になってくれるんだから、むしろ喜ばないと損だ。もうそう思おう。
半ばヤケクソな思考は、視界の暗転と共に打ち切られた。
瞼越しの光を、視神系がぼんやりと感知する。仮想世界には目を閉じても届く光など無い。つまり、ここは現実だ。
細目を開くと、モヤがかかった景色が急速に解像度を上げていく。五感が外界に馴染み始める。僕の部屋が、はっきりと輪郭を持って現れる。
聴神経が空気の振動を拾い始めたとき、聞き慣れた声が流れてきた。
「明久、起きたか?」
「んあ…………あ、キリト……じゃなくて和人か。どうしたの? 何か問題でもあった? もしかして海にでも落ちた?」
和人は目を丸くする。図星っぽいな。やっぱりアリシャの言う通り混信してたのかも。
「な、なんでわかったんだ? あ、まさか明久も……?」
「うん。海に落ちかけた」
「かけた? ってことはなんとかなったのか?」
「たまたまヘラちゃんって子に助けてもらったんだ。そのヘラちゃんがまた凄い天然でね────」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
僕の語りを遮った和人は、悪霊にでも取り憑かれたような有様だった。動悸は荒く、目つきは鋭い。僕の言葉が、まるで決定的な何かを孕んでいることに気がついたような過剰反応だ。和人の緊張が移ったのか、僕の筋肉まで硬直する。
続く和人の言葉は、石橋を叩くように臆病な語気だった。
「ヘラちゃんってのは、正式な名前は『ヘラクレス』か?」
「う、うん。そうだよ」
和人が生唾を飲む音が、不自然なくらいに大きく響く。眼前に立つ親友の瞳に映るのは、明確な焦りと────湧出する希望だった。
「アスナの写真を撮影したプレイヤーの名前は、『ヘラクレス』なんだ」
はい。原作改変です。ヘラちゃんだからね。しょうがないね。
冒険は次回からガッツリになりますかね。ライトとヘラちゃんの珍道中、お楽しみに!