第75層ボス攻略日当日。回廊結晶を使い、攻略組はボス部屋の前へと転移した。白亜の大扉は荘厳な佇まいで、勇者達に開かれる刻を待っている。
灯篭の篝火だけが薄暗い廊下をぼんやりと照らす。冷えた空気を肺いっぱいに吸い込むと、溢れる闘気が冷やされ、洗練されていく感覚があった。
「いや〜、しかし優子さんとライトさんがくっついて良かったですっ!」
洗練された闘気とかぶち壊れた。
僕の右側に立つアレックスが言うと、優子はギョッと目を見開く。
「な、なんで既に知ってるのよ!?」
「ライトさんに教えてもらいましたからっ!」
優子は僕へと振り返ってキッと睨んだ。ほおが真っ赤で恥ずかしがっているのがありありと分かる。コロコロと表情が変わる様が実に可愛らしい。けど迸る殺意は可愛くない。
なんと釈明、もとい説明しようかとあぐねていると、僕の代わりにアレックスが口を開いた。
「そもそもライトさんの告白はアレックスちゃんプレゼンツなんですよっ!」
あー、言っちゃった。
口をあんぐりと開けて優子が固まった。次の瞬間、僕の胸ぐらを掴みあげて剣幕にまくしたてた。
「ど、どどどういうことなのよ! 説明しなさいよ!!」
「ちょ、ゆらさなっ! しゃ、しゃべっ……ない!」
「私から説明しますねっ!」
快活に言うアレックスを羞恥を瞳に宿して睨む優子。優子の様子などお構いなしにアレックスはつらつらと説明していく。
「いつまでもうじうじしてるのを見かねて、私がライトさんに告白してって頼んだんですっ!」
「ちょ、ちょっと待って! アレックスってライトのこと好きじゃないの!?」
「好きですよっ! でもそれとこれとは話が別と言いますか。まあまあそんなことどうでもいいじゃありませんかっ!」
「よくないと思うんだけど……」
冷静にツッコミを入れる優子。ついでに冷静に僕を降ろしてくれないだろうか。さっきから持ち上げられたまんまなんだけど。
「それでですねっ! とりあえず甘いセリフはいて、誠意こめて告白して、ちょっとシニカルに笑っとけって言ったワケですっ!」
「そう言われると自分の単純さにムカついてくるわ」
そう言いながらついでのように僕を絞める力を優子は強める。八つ当たりはよそにして欲しい。いや、八つ当たりでもないか……。
「とにかく! ライトはもうアタシのものだから! 今更返してって言ってもあげないからね!」
顔を熟れた林檎のように紅潮させながら優子が凄む。恥ずかしいなら言わなきゃ良いのに……。嬉しいけど。
言葉を発すると同時にやっと僕を地上に降ろしてくれた。そのままぎゅっと僕の腕に抱きついてくる。僕を自分のものだと主張するよに僕の腕を引き寄せながら、優子はアレックスを睨んでいる。優子も色々吹っ切れたなあ、などと謎の感慨に耽っていると、アレックスが下世話な笑顔を浮かべていた。
「うっふっふ。言いますね〜、優子さんっ! 無理してでもそういうこと言っちゃう優子さん好きですよっ!」
「む、無理なんかしてないわよ!」
「おい、お前ら。痴話喧嘩ならよそでやれ」
注意したのは僕らの後からワープしてきたユウだった。バカを見る目で僕らを眺めてから、周囲に視線を向けさせるためにユウはぐるりと手を回した。
ニヤニヤであったりイライラであったりするプレイヤー達が、僕らを一様に見ている。
「ほら、緊張感足りねえから士気に関わるんだよ。分かったら気合入れ直せ」
「はいはい。ほら、優子、アレックス、ボス情報の確認しよ」
そう言って優子の方に振り向くと、優子は顔を手で覆ってゴロゴロと地面を転がっていた。周囲からの視線を意識して、今になって恥ずかしさが来たのだろう。かくいう僕も恥ずかしいが、周囲からの奇異の視線には慣れている。優子は猫被ってたもんなあ。そういうのにはまだ免疫がなさそうだ。
気持ちがある程度落ち着いたのか、優子が勢い良く立ち上がり、僕を指差して詰め寄ってきた。
「というか! アレックスに告白を頼まれたって言ってたけど、じゃああの告白は嘘だったわけ!?」
「嘘じゃないよ! 優子が好きなのは本当だって!」
「本当に本当?」
「うん! 僕が嘘つく人間に思える!?」
「はあ……」
否定でも肯定でもツッコミでもなく、ため息。なかなか堪える。
拗ねた表情のまま優子は僕を上目遣いで見た。
「じゃあどのくらい好きか言ってみてよ」
こ、これは! 恋人同士が良くする質問じゃないか!?
不思議な感動を覚えつつ、僕の語彙力の限りを尽くして応答する。
「大きさで言ったら100メートルくらい好きだよ!」
「え、なんか、微妙」
そうだろうか。わりと大きいと思うんだけどなあ、100メートル。
アレックスは僕の答えにやれやれと首を振っている。
その時、広間をリンドの声が貫いた。
「さて、事前に配布した資料はみんな読み込んでくれたかな?」
リンドの呼びかけに個々人が応答する。
リンドから言葉を引き継いだのはヒースクリフだった。
「この75層ボスは、今までに無い激戦となるだろう。命を落とす者も現れるかもしれない。だが、止まらないで欲しい。これまでも我々は幾多の命を失ってきた。その上をひたすらに走ってきた。それは何のためだ? それよりも多くの人々を救うためだ! そしてそれこそが、死した英雄達の弔いともなろう! ならば我らに止まることは許されない! さあ、行くぞ諸君! また1つ、我らが先へと進む刻だ!」
『うおおおおお!!』
広間全体が勝鬨の声で震え上がる。
待って。さっきまでふざけてたからまだテンションが追いついてないんだけど。
とにかく! しっかり緊張感高めていこう!
ここに集ったのは万夫不当の
「行きましょうっ! ライトさんっ! 優子さんっ!」
「ええ! さっくり倒して帰るわよ! …………あとね、ライト」
「ん、なに?」
「死ぬんじゃないわよ。もし死んだら八つ裂きにしてやるから」
「……うん!」
八つ裂きにされたら死ぬとか言わないでおく。
最後に優子の手を思いっきり握る。どうか、離れないように。
そんな僕と優子の様子を見て、アレックスは色々混ぜこぜになった複雑な笑顔を作る。
その目尻には涙が浮かんでいた。
「ど、どうしたのアレックス!?」
「な、なんでもないんですっ! なんでもっ!」
アレックスは涙を拭いながら、首と手をぶんぶん振って否定する。アレックスに何と言えば良いのか分からない。そんな不甲斐ない僕の代わりに、優子は怒気混じりに声を上げた。
「アレックス。アンタ、なんで逃げたのよ。泣くほど悔しいなら、なんでアタシに告白してなんてライトに頼んだわけ? それなら最後までアタシと戦えば良いじゃない!」
「違うんですっ! 私は、そうじゃなくて……」
「じゃあなんで泣いてるの? それって……」
優子が何かを言いかけたとき、僕の背中を誰かがポンと叩いた。
「よっ! ライト! ……って、お邪魔だったか?」
「キリト! どうしたの?」
「戦う前にさ、お前と会っときたかったんだ」
横に立つ黒の剣士の表情は、猛獣のような笑みだった。
「やろうぜ。俺たちで」
「ああ。しくじるなよ?」
「お前こそ」
そうして、僕とキリトは拳を打ち付けあう。
それ以上は言葉も行動も必要無い。
さあ、75層決戦だ!
と、その前に
「ね、アレックス」
「はい?」
「僕は君がどんな決意をもってここにいるのか分からない。けど、応援するよ。たとえ何が起こっても、アレックスが正しいんだって信じてる」
アレックスははっと息をのんだ後、寂寥を感じる瞳で俯いた。聞こえるか聞こえないかという音量で、アレックスが口を動かす。
「……私は、幸せですね」
「ん? なんて?」
「いいえ、なんでもっ! さっ、ライトさん。戦いましょうっ!」
「うん!」
前を見ると、ちょうどヒースクリフが扉を開けたところだった。
一斉に進む軍団の中から飛び出して、一足飛びにボス部屋へと入る。
「僕は右の鎌に行く! キリトは左をお願い!」
「おう!」
大理石のタイルを蹴って疾駆する。久しぶりの全速力で、周囲は流星のように後方へと流れていく。
前を見ると巨大なポリゴンデータが構築されていく真っ最中だった。それはどんどんと細長く発展し、巨大なムカデの形をとる。
地獄の焔を思わせる真紅のマーカーが浮かび上がる。同時に表示された名前は《The Sukull Reaper》。その名に違わず巨大な髑髏を模した頭部、そこから連なる背骨のような体軀。その背骨の節それぞれから地面を這う脚が伸びる様はまるで節足動物だ。そして何より目を引くのは腕の延長に備えられた巨大な鎌だ。ただの情報体であるはずのソレは、現実の刃物など軽々と凌駕する死の気配を濃密に孕んでいる。
「まずは1発!」
ボスが動き出す前に巨大な頭の前に飛ぶ。めいいっぱいに振りかぶる。そのまま思いっきり眉間に拳を撃ち込んだ。拳術スキル正拳突き『封炎』。だが、その程度で骨ムカデはびくともしない。出現していくボスの体力ゲージを見ても、1ミリほど削れたか、というくらいだ。
だがこれで充分。もとより僕はアタッカーじゃない。真の初撃は、少し遅れてやってきた。
「うおおおお!」
キリトが雄叫びをあげる。僕と同様にボスの前に飛び上がる。手に握られた二刀で斬り払うような一撃を叩き込む。今度はゲージが目減りした。やはり筋力ステと武器の差は大きい。
痛撃を受けた大ムカデは仰け反るように上を向いて、大音量の咆哮を放つ。
「グウゥゥゥギギギィッッ!!」
そのまま振り上げた鎌を一息に振り下ろしてきた。
先ほどの打ち合わせ通り、僕はボスの右側へ、キリトは左側へと避けながら移動する。
そこで遊撃隊が到着した。アスナ率いる遊撃隊は、統制の取れた動きでボスの顔や胴体を攻撃していく。キリトの1撃がライフルとするなら彼らの連撃はショットガンか。
そのダメージは僕とキリトが与えたものより大きかったらしく、スカルリーパーのヘイトが遊撃隊へと向く。そこですかさず、僕は手を打ち鳴らした。挑発スキルをマスターしているために、この程度のモーションでヘイトはひっくり返る。
憎悪の炎が僕を焼き尽くす錯覚。さながら蛇に睨まらたカエルだ。だが泣き言なんて言ってられない。殺戮の具現たる鎌が刻一刻と近づいているのだから。
「グゥッ!」
「…………ふん!」
僕に向かってくる鎌の威力を、閃打で弾くことで削ぎ落とす。軌道を逸らされた大鎌は地面に追突し、花火にもにたライトエフェクトと爆音を撒き散らす。横目でキリトを見ると、二刀流で真正面から受け止めて弾き飛ばしていた。
「なんでアイツ、ボスと普通に打ち合ってるんだ……」
自分の非力さに少々腑甲斐なくなりつつ、目の前の仕事に集中する。
弾く、いなす、避けるを繰り返しているうちに、ボス部屋は2レイドで埋め尽くされた。
軍勢に漲る闘志は際限無く、それそのものがダメージ判定を持っているのではと感じるほどだ。
「第2部隊右へ、第3部隊は左へ散開! 遊撃隊はそのまま正面取り続けろ! 第1タンク部隊も正面に! ランス隊はタンクの後ろから攻撃! 第4、5、6部隊はスイッチ待機!」
張り裂けんばかりの声量でユウは全体に指示を出し続ける。デスゲームを生き抜いてきた強者達は一寸の無駄もなく指示に従う。その統制は一種の美しささえ伴っていた。
ボスの攻撃はほとんどが僕とキリトで無効化され、たまに防ぎ漏らしたぶんはアタッカーとともに動くタンクが受け止めてくれていた。
たまに状況を打開しようとスカルリーパーは搦め手を繰り出すが、それで揺らぐほど攻略組は軟弱ではない。
ローテは怖いくらいに順調で、ゲージ1本目を削り切ろうという現在、まだ体力半分を割ったプレイヤーは数人程度だ。これは、いける!
「ゲージ1本目無くなるぞ! 全部隊一旦退避!」
ユウが飛ばした指示にしたがって、僕とキリトを除く全員が後方に下がる。ここからは未知の領域だ。まずは行動を確認し、事前に立てたパターン別の作戦をユウが指示する手筈になっている。
そして僕らは、残りを削り切る役割だ。
「ったく! ユウも無茶言ってくれるよな!」
「今更だね。さっさと削り切ろう!」
「ああ、行くぜ!」
キリトは正面に陣取り、僕はボスの真下に潜った。無数の脚で浮いた胴体をしたから蹴り上げる。キリトはキリトで器用に鎌を避けながらのヒットアンドアウェイを繰り返していた。
そして遂に1本目のゲージを削り切ったとき
「キイィィグゥゥゥ!!」
骨が擦れ合うような音で骸骨の死神が喚くと、巨体を一息に起こした。まるで立ち上がったような姿勢だ。頭頂部は天井につこうかという高さまで上がり、太陽の塔みたいに見えた。その姿勢のまま、ボスは鎌を深く構えた。そして雷もかくやという速さて切りつけた先は、このボス部屋の天井だった。プレイヤーではフィールドには傷1つつけることすら叶わない。だが死神の鎌は深々と天井に突き刺さっている。ボスモンスターとしての特権だろう。
しかしその行動の真意は不可解だ。わざわざ天井を切りつけて一体何がしたいのか。
「あいつ、何してるんだろう……」
「いや……そんな、まさかな……」
僕の疑問に、キリトは答えとも言えない独り言を返した。
次の瞬間、唐突に骨ムカデの図体が宙に浮き出したのだ。
「なっ!?」
「やっぱりか!」
驚く僕を横目に、キリトは合点がいったようだった。状況を再度考慮して、僕にも事の次第が理解できた。
つまり、天井に刺した鎌によってボスは自分を持ち上げているのだ。スカルリーパーは逆上がりのような動作で身体を天井へと這わせていく。最後にはまるで天地が逆転したかのように天井に立っていた。
2割ほど困惑が混ざった笑みを浮かべて、キリトがポツリと呟いた。
「ゲームだとよくある演出だけど、現実でやられるとビビるな、これ……」
「これゲームだよ」
「げ、ライトにツッコミ入れられた。死のう」
「ちょっと待って。死を決意するほど僕につっこまれるのが屈辱なの?」
「いやだなあ。1割冗談だって」
「ほとんど本気じゃないか!」
ボス戦の最中のくだらない会話を打ち切ったのは、ボス部屋の隅々まで届くほどのユウの指示だった。
「スタンプの可能性がある! ボスの真下と軌道上には近づくな!」
ユウの言葉通りに、全員が頭上の死神を注視する。しっかりとボスの動きを見定めて、誰もが適切な対処をするだろうと確信できる。
「とりあえず攻撃するか。ライト、援護頼む」
「はいよ」
僕とキリトは腰を深く落とした。反動をつけて飛ぶためだ。先にキリトが、次いで僕がボスに向かって跳躍した。天井までの30メートル程度のジャンプ、今の僕とキリトのステータスなら造作もない。瞬く間にボスの側面へと陣取ると、キリトはソードスキルを発動させた。
二刀流上位技────
「スターバースト……ストリーム!」
迸るライトエフェクトは花火のよう。流麗なる連撃は一分の無駄もなく、その苛烈さは鬼神に通ずる。
キリトが鬼神なら対するは冥府神か。スカルリーパーもやられっぱなしなはずがなく、強大な鎌の一太刀を浴びせんと振りかざす。絶対にして必殺の一撃。ソードスキルを発動させているキリトでは避ける術もない。
さて、ここからが僕の出番だ。
「跳ぶよ、キリト!」
「おう! 任せた!」
キリトの脇腹を抱えて、僕だけに許された絶技を放つ。拳術スキル特殊技『神耀』。完全なる瞬間移動。万物を寄せ付けぬ僕だけの最速だ。
跳躍距離を3メートルに設定し、死神の鎌を間一髪で避ける。
あとはこのまま降りるだけ───
そう思っていた僕が浅はかだった。
「キシャッ!!」
怒り狂う死神は冷徹な追撃を繰り出した。身体を大きくクネらせ、下半身で僕らを叩きつけようとしてきたのだ。ボスの胴体はムチを思わせるしなりで間を詰めてくる。
うっわ……どうしよ。
背筋に寒気が走る。神耀はクールタイムに入っている。完全に避ける方法は無い。だったら………
「うおりゃ!」
「ぐおっ!? ライト、お前!」
僕はキリトを蹴飛ばした。これでキリトは当たり判定内から外れた。せめてキリトだけでも戦線を離脱させないための処置だった。けど僕はモロ受けだなあ……。死ななきゃいいけど。
せめてもの抵抗として身体を丸め、胸の前で腕を十字に交差させる。
スカルリーパーの長い胴体が音速にも届こうかという速度で迫り来る。そうしてつくられた勢いは、余すところ無く僕に叩きつけられた。
五体が粉砕するのではないかという衝撃だ。スカルリーパーが片手間に出したこの攻撃が、僕がアインクラッドで受けた中でも最強だった。
景色が流星のように流れていく。はたから見れば僕こそが流星なのだろう。地響きのような音とともに着地する。いや、不時着するの方が正しいか。
地面に当たったときに受け身を取ってみたものの、勢いはほとんど殺せずにゴロゴロと回転した。壁に追突してようやく僕の動きが止まる。
体力は────残り2割。
助かった! 鎧がユイから貰った《The Destiny》じゃなければ確実に死んでた。
「いてて……神耀のワープ距離、ケチらなきゃよかった……」
今更悔いてもしょうがないんだけどね。
石造りの壁に背を預け、腰のポーチから取り出したポーションを一息に呷る。
「ライトさんっ! 大丈夫ですかっ!?」
近くにいたアレックスが心配そうに駆け寄ってきてくれた。僕がポーションを飲んでいるのを見て、アレックスは胸を撫で下ろしていた。
「うん。なんとかね。───アレックス! 上!」
スカルリーパーだった。
死んでいない僕を見てトドメを刺しにきたのか。死神は天井を伝い、一直線に僕めがけて移動していた。
周囲では僕を守るためにタンク部隊が挑発モーションを取っている。それを一顧だにぜず、死神は僕に憤怒の眼光を爛々と燃やす。
「キシャッ!」
怒気のこもったような奇声をあげて骸骨の死神は落下してくる。まず、逃げることではなく押し潰されないことを考えなきゃ。差し迫る巨体の動きをしっかりと視認して、堅実に避ける。
アレックスを脇に抱えてバックステップ。2メートルの後退により当たり判定を抜ける。
ボスが落下した風圧で危うく倒れかける。白煙を吐き目を赤く光らせるスカルリーパーの姿は濃厚な死の匂いを撒き散らす。
体力が削られたせいでやっと危機感が出てきた。こいつめちゃくちゃ強い。一撃必殺の攻撃力やフィールドを縦横無尽に駆ける機動力は勿論のこと。こいつの真の強さはAIだ。スカルリーパーは明らかに、僕を潰せば戦線が決壊することを理解している。タンクの挑発モーションでヘイトが管理できていないのがその証拠だ。
スカルリーパーは大鎌を僕とアレックスを取り囲むように左右に広げた。
どう逃げる? 神耀はまだまだ回復していない。両方の鎌を僕が防ぐ? 無理だ。体力がもたない。今度こそ死ぬだろう。避ける? それができる速度ではない。死神の鎌は文字通り神速なのだから。それぞれの鎌を僕とアレックスが1人づつ担当する? これが一番現実的だが、正直アレックスの技術とレベルに不安が残る。二刀流スキルを持ち、アレックスより5レベル高く、技術もより優れているキリトでやっと鎌を捌けているのが現状だ。たとえ一撃と言えど、アレックスが対処できる保証がない。そして失敗すれば、僕とアレックスの2人とも確実に死ぬ。
考えろ。考えろ。考えろ!
考え尽くして1秒後の未来を切り開く!
────ドン。
「え?」
景色が傾く。いや、傾いているのは体の方だ。押されたのだ。僕の体は宙に浮き、既に鎌の攻撃範囲を離脱している。突き飛ばされた。誰に? それは────
「アレックス! なんで!?」
態勢を立て直しながら振り向いた。
「う……そだ……」
見えた光景、それを脳みそが拒絶する。
脳内が真っ白に染まる。何も考えられなくなる。あり得ることのはずなのに、そんな可能性など微塵も考えていなかったかのよう。
────死だ。
鮮やかなまでの死。
アレックスの体は、胴を境に両断されている。
頭がスパークする。
ふざけるなふざけるなふざけるな!
こんな終わりであっていいもんか! 救いたいものがあると彼女は言った! その想いを、僕なんかのために無駄にしていいはずがない!
僕は……僕はアレックスに何もしてあげられていないのに!
血が沸騰する。息もできない。石油みたいな真っ黒い感情が、心にどんどんと注がれていく。
助けなきゃ。もう助からない。
理性と本能が乖離する。ぐちゃぐちゃに魂が攪拌される。
それでもと足を動かして。アレックスの方に。
堕ちゆく彼女の上半身。回転するそれは僕の方を向いて、笑った。
それは、美しい笑顔だった。