僕とキリトとSAO   作:MUUK

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今回の話は、とあるお話のオマージュ、というかラブレターのつもりで書きました。読んだことのある方はすぐに分かると思います。とても素敵な、悲しいお話なのでいつか見て欲しいと思うのですが、タイトルを出してしまうとネタバレになりますので伏せさせていただきます。


第八十二話「幕間──《運命》」

森に飛び出したファルコンは、荒れる心に任せて一心不乱にモンスターを狩り続けた。ふるう剣が血を吸う度に、自らの血が滾りを抑えていくようだった。倒したモンスターの数が50を超えた頃、レベルアップのファンファーレが鳴り響いたところでやっと正気を取り戻す。

 

「何やってんだ、僕は」

 

あまりに自分が情けない。隠し事されたくらいでなんだ。そんなことで情動に身を委ねてしまうから子どもなのだ。ユイの元へ帰ろう。そして謝ろう。

決めてからの足取りは軽やかだった。ユイは拗ねているだろうか。お詫びに甘いものでも買ってあげれば、案外すぐ機嫌を直す気もする。

もっと嫌なのは泣いて待っていることだ。

ユイの濡れた顔を想像して自然と歩調が早まる。ユイをいつまでも1人にしておけない。はやる気持ちが滲み出して、いつのまにか緑が生い茂る地面を蹴って走り出していた。

ごめん。ちょっとだけ待っててくれ、ユイ!

宵闇が垂れ込み、街の明かりは遠くで輝く。爛々と灯る生活の息吹は、こぼれ落ちそうなほど小さく見えた。

 

 

時は少し遡る。

ファルコンを追ってユイは森へと踏み込んでいた。

丸腰の自分が1人で圏外に出る危険性を、ユイは重々承知していた。圏内外の狭間で逡巡していたユイに声をかけた男がいた。その男はフーデッドローブを被り、軽妙な声でユイに声をかけた。

 

『お嬢ちゃん。1人で圏外へ出るのが怖いなら、オレが連れてってやろうか?」

 

これは僥倖とばかりにユイは頷き、身の上を説明した。それを親身に聞いた男は、ファルコンを共に探すことを快諾した。

そうして森の奥深くへと入り込んだとき、男は牙を剥いた。ユイを力任せに組み伏せ、地を這わせたのだ。

男は端のボロくなったポンチョを目深く羽織り、魔性を放つ肉切包丁でユイを牽制している。

2人を照らすのは幽かな月光のみ。深夜、誰も通らない森の奥での誘拐事件だった。

 

「なあ、ユイちゃん。きちんと質問に答えてくれよ? 君はGM権限を持っているのかい?」

 

男は優しい声音に質問を乗せる。口調は優しいはずなのに、溢れ出る狂気を抑えられてはいなかった。いや、抑えようともしていないのか。

その質問内容自体が、ユイには衝撃的だった。この男はユイがAIであることを知っている。ファルコンにも教えていない自分の秘密を。その事実がどうにも悔しかった。

黙り込むユイに見せつけるように、月光の照る刃を男はちらつかせる。幼子であろうと見て取れる殺気。小刻みに震えながらも、ユイは努めて冷静に返答した。

 

「……いいえ、今の私は一般AIと同程度の権限しか与えられておりません」

「やっぱりかー。こりゃアテが外れたな。となると管理者権限でなくインカーネイトシステムの流用で実体化したわけだ」

「…………」

 

黙秘するユイの首元に、男は真顔で包丁を切り込ませた。

 

「…………っ!」

「ほら、わかるだろう?」

 

男が笑う。ユイは確信した。この男は、情報が得られないとわかったのならすぐさま殺す。

ユイは自分の命など惜しくは無かった。けれど生きていたかった。ユイを突き動かしたのはもう一度ファルコンに会いたい。ひたすらに純粋なその想いだ。

歯を食い縛るユイは、訥々と口を動かし始めた。

 

「……はい。健康管理AIとして集めたイマジネーションをインカーネイトシステムに読み取りさせることで事象のオーバーライドを引き起こしました。このアインクラッドにおいてはカーディナルシステムとインカーネイトシステムは対立関係に存在するため、インカーネイトシステムでオブジェクト化した私に管理者権限は与えられておりません」

 

男の口角がつりあがる。それがユイには不思議だった。ユイの推測する限り、今のユイの返答は男の目的にとっては落胆すべきもののはず。なのになぜ、笑っているのか。

男はクツクツと笑うと、おかしさが堪えきれないように語りだした。

 

「ありがとうな、ユイちゃん。ようやく確信が持てたぜ!」

「…………」

「何がって顔してるな。分からないか? このアインクラッドにインカーネイトシステムが搭載されてるって確信だよ!」

「…………!」

 

カマをかけられていた!

この男はシステムの存在を知って話しかけていたのではなく、システムの存在を確かめるために話しかけていたのだ。

まんまと術中に嵌った自分に不甲斐なさを感じつつも、その存在を確かめることにどれほどの意味があるのかにはユイは懐疑的だった。その事実を1プレイヤーに教えてしまったことは管理者側として度し難いことではあるが、だからといって何ができるわけでもないのだ。

 

「さて、そんなら電子の海に還ってくれよ」

 

男が包丁を振り上げる。死を確信する。

後悔が胸に滲む。あの時、どうしていればよかったのだろうか。自分がAIであり、ファルコンと一緒に現実には帰れないと、素直に伝えるべきだったのか。そう言ったら、ファルコンは何て返したのだろう。

初めて会ったときからずっと、ファルコンはユイのために戦い続けていた。早く力をつけるために。ユイにゲームオーバーという結末をもたらさないために。その努力はユイも知っていた。そしてそれが、たまらなく嬉しかった。何のためらいも無く、彼と歩む道を選べるほどに。

 

「幸せ、だったよ」

 

どこかにいる恋した人に向けて、ユイはポツリと呟いた。

たった数日の間だったけれど、ユイは確かに救われた。健康管理AIとして押し付けられた負の感情達が全て吹き飛ぶくらいに、ファルコンと過ごした日々はユイの心を暖めたのだ。ケンカしてしまってもその事実は変わらない。

外套の男はつまらなさそうにユイを見下ろして、

 

「チッ」

 

軽い舌打ちと一緒に斬刑の刃を振り下ろす。

逃れようも無い濃密な死のカタチ。それがユイの首筋へと至る、その直前────

キィィイィィン!!

力強い金属音が闇を破るように響いた。

 

 

ファルコンが来た道を戻っていると、何やら話し声が聞こえてきた。大人の男と少女の声だ。こんな夜更けにどういう状況なのかと気になったファルコンは、身を隠しながらその声の主を窺い見た。見えたのはフードの男に組み伏せられたユイだった。

ユイが襲われている。そう認識した瞬間に、何も考えずにファルコンは走り出していた。最高速で近づいて、黒い外套の男が奔らせた刃を力の限りうち払う。

急な展開に男は数度瞬きすると、破顔してファルコンへと話しかけた。

 

「オマエ、この子と一緒にいたヤツだよな?」

「…………」

 

ファルコンは無言のまま、男の腹を容赦無く蹴った。男の身体が1メートルほど後ずさった。

 

「へへ……いい表情だ。まあそう怒るなって。たかが────」

 

言いかけた男へとファルコンは居合切りを放つ。間一髪で反応した男は更に一歩身を引いた。

 

「たかが、なんだ? ユイを罵倒するなら僕も本気でお前を倒すぞ」

「倒す、か」

 

男がいかにも愉快そうに笑う。その笑い声に反響するように、男の背後からわらわらと人影が現れた。その数10人ほど。その男たちのだれもが2人で寄り添うファルコンとユイを見て獲物を前にした獣のように興奮している。

 

「……ファルコン、逃げて」

 

言ったユイの声は震えている。

そんなユイを守るように背に回してファルコンは言った。

 

「ごめん、ユイ。これは飛び出してユイを置き去りにした僕の責任だ。だからせめて、君のために戦いたい」

「そんなことどうでも良いよ! それより早く……」

 

言いかけたとき、外套の男の部下らしき1人が、小柄な身体を走らせてきた。男は握るダガーを滑らかにファルコンの首へ切り込ませる。

 

「がっ────!?」

 

呻いたのはダガー使いの方だった。

刃が首筋へ至るより一瞬速く、ファルコンは男の脇腹を蹴り飛ばしていた。

すかさず第2第3の男がファルコンへと襲いかかる。しかし、それは少年の敵ではなかった。ファルコンは剣の腹で先にきた片手剣使いを払い、続くメイス使いを一蹴に伏させた。

 

「なんだこのガキ! 強えぇ!」

 

ダガー使いが賞賛とも悪態ともつかぬセリフを吐く。対するファルコンの顔を努めて冷静、いやそれを通り越して冷酷とさえ言えた。吹き抜ける夜風が少年の髪を揺らす。佇む少年の姿には、どこか空寒さまで感じる。

実際、ファルコンのレベルは男達の平均レベルより5は高かった。この低レベル帯でその差は圧倒的となる。昼夜問わずユイのために戦い抜いたその経験が、しっかりと活かされていたのだ。

 

「テメェら揃いも揃ってザコばっかりか!? クソガキ1人くらいさっさと殺せ!」

 

副リーダーらしき男が怒鳴りちらした。下された命令に、男達は辟易した様子を見せる。男達の反応からも、副リーダーの男は普段から傲慢で嫌われているのだろうことはありありと見て取れた。

横暴な副リーダーの背後では、黒ポンチョのユイを殺そうとした男がニヤニヤと不敵に傍観していた。副リーダーの肉付きの良い肩に手を置いて、外套の男は囁く。

 

「いいぜ。その調子だグランプ。お前の最高の指示をみんなにガンガン飛ばしてやってくれ」

「おうよ! 見ていてくれよボス!」

 

グランプと呼ばれた恰幅の良い副リーダーはおだてられて機嫌が良くなったのか、隊員達を怒鳴り散らす声を大きくした。

嫌々ながらも男達は指示に従い、ファルコンへと切り込んでくる。それをファルコンはいとも簡単にいなしていく。

 

「今のうちだ、ユイ! こっから逃げて街へ戻って!」

「やだよ! ファルコンも一緒に……」

「ある程度時間を稼いだら後を追う! 任せて! こいつらくらいなら……」

 

言いかけたファルコンの視界に映ったのは、猛進するグランプの姿だった。大方『ボス』の口車に乗せられたのだろう。グランプの瞳にはファルコンを射抜く闘気が満ちていた。

 

(でもそんなに速くない。簡単にいなせる速度だ。その分筋力全振りだとすると一撃でもくらうのはやばい)

 

冷静に判断したファルコンは襲い来るならず者達相手に立ち回りながらも、グランプへと意識を向ける。地響きのような音を立てながら巨漢がファルコンへと接近していく。

グランプの腰に携えられていたメイスが高々と掲げられる。大仰な動作の分、威力は上がるがタイミングは読みやすい。いつ攻撃されるのかが分かれば、あとは動作に合わせて迎撃してやるだけだ。

剣を握る手に緊張が走る。グランプの巨影がファルコンを飲み込む。先程までそれほど危険視していなかったはずなのに、急に本能が警鐘を鳴らす。立ち向かうな、逃げろと囁く。臆病風に吹かれたこころを理性で奮い立たせる。

握りこんだ剣で空を斬る。狙うはメイスの横腹だ。メイスと片手剣が今にも火花を散らそうとする────その瞬間。

グランプが、急に、近づいてきた。だらしない腹に深々と剣がささる。

グランプが自ら接近した? いや、違う。()()()()のだ。誰に?

ぐったりとグランプが項垂れて、巨体に隠されていた向こう側が見える。

 

そこには笑う死神がいた。

 

最初にユイを殺そうとした男。この集団のリーダー。フーデットケープの殺人鬼。

その男が、グランプを蹴り飛ばしたのだ。

 

「ボス……なん……」

 

言いかけたグランプがポリゴン片となって砕け散る。

それを見た男は、相も変わらず笑っている。

森が忘れていた静寂を宿した。ファルコンを囲む男達の誰もが、息をするのも忘れて眼前の所業に魅入っていた。

ふと、ダガー使いの男が雄叫びを上げた。

 

「最ッッ高だぜボス!! 前からあのグランプの野郎が気に食わなかったんだ!!」

 

その感想は男達の誰もが共有していたようで、口々に死んだグランプを罵り、自分達のボスを讃えた。まるで集団そのものに悪魔が巣食っているかのような、混沌の熱狂だ。

その只中にいるファルコンは地にへたり込んでいた。剣を握っていた右手首を、左手で千切れんばかりに握りしめながら震えている。

 

「僕は……僕は人を……」

 

殺す気なんて無かった。けれど、自分の手で、自分でとった剣が命を奪ったことは、目の背けようも無い純然たる事実だった。殺した。その人生を終わらせた。いまにも吐きたくなった。仮想の胃は何も放り出してはこなかった。ガチガチと歯が鳴る。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

謝罪の言葉だけが頭の中でぐるぐると回り続ける。目から伝う涙はどれほど流しても止まらない。

なんの変哲も無い自分の右手が穢れたモノのように見えて、切り離したくて堪らない。平凡な小学5年生にとって、人殺しは余りに重い罪だった。

 

「そこで寝てろ、ファルコン」

 

嗜虐を宿すリーダーは、スキップでもするような軽やかさでファルコンの横を通り過ぎた。それをファルコンは、目で追うことしかできなかった。

ファルコンの後ろで青ざめていたユイ。その触れれば折れそうな細い首根を、リーダーが掴んで持ち上げる。ユイは明確に苦悶を浮かべる。

ユイを助けなくちゃ。

そう思って立ち上がろうとするのに、ファルコンの身体はピクリとも動かない。

なんで!? なんのために僕はここにいるんだよ! ユイを助けるためだろ! なのに、なんで……動けよ! クソッ! クソクソ!

ユイの白い首筋に、獰猛な刃が添えられる。

ユイ! 嫌だ! やめてくれ! ユイだけは殺さないで! 僕はどうなっても良いから! やめてくれ……お願い……だから……。

どんなに強く思っても、ファルコンの身体は動かない。その理由を知っているのは、この場ではフーデットケープの殺人鬼、PoHただ1人だった。

 

「It's show time」

 

待ち侘びたお菓子を前にした子どもみたいに、PoHは舌舐めずりをする。

締め上げられているユイはファルコンを見つめていた。一生懸命に笑顔を取り繕おうとしてるのに、辛苦に歪む顔は上手に笑えていない。

 

「さあて仕上げだ。精々色っぽく鳴いてくれよ?」

 

そうして殺人鬼は、告死の刃を横薙ぎに────

 

「あああああ!!!」

 

それは弾丸のような速度だった。

ファルコンが跳ね飛び、命を摘んとする刃の鎬を殴りつけたのだ。剣はグランプを刺したところに置いてきていた。

PoHはヒュウと口笛を鳴らす。

 

「全員、こいつを押さえつけろ。殺すなよ?」

 

号令一下、男達が一斉にファルコンへと群がってくる。殴る蹴るで男達を退けながら、ファルコンは鬼気迫る表情でユイへと進む。だが、さすがに物量には勝てず、地へと叩きつけられた。

 

「うらぁ!」

 

大剣使いが威勢良くファルコンの右足を切り落とした。それに倣って片手剣使いの男も左足を両断する。

痛かった。足がじゃない。ファルコンは心が痛かった。ユイを置いて駆け出したバカな自分が、女の子1人満足に救えない弱い自分が恨めしかった。

それでも、まだ諦めるつもりは無い。

 

「うああああ!!」

 

上から押さえられながらも、ファルコンは残った手で地面を這う。赤になった自分の体力ゲージなど目にも入らず、瞳に映るのはユイただ1人だった。

 

「この野郎! まだ動くのか!」

 

ダガー使いの男が、恐れ交じりの声音で短剣を構える。ファルコンの左手すらも断じようというのだろう。それを仮面を被った男が制止した。

 

「やめとけ。それ以上やったら死ぬぜ?」

 

ダガー使いはバツ悪そうに引き下がる。

ファルコンを見下ろしながら、PoHが子分達へと声をかけた。

 

「もうほっとけ。何もできねえよ」

 

鶴の一声で男達の誰もが大人しく身を引いた。

ファルコンは進む。もはやどうして動けるのかも分からない有様で、ただ想いに突き動かされて。自分が希望の光を見た、甘く青臭い恋のために。恋した彼女のために。

 

「ユイ……助ける、から……」

 

想いは溢れる。もうどうしようもないと分かっていても。それでも。この心は捨てられない。貫き通さなきゃ嘘だ。彼女のためなら命を張れると言った。その覚悟だけは、譲れない。

地面に指を食い込ませて、身体を引っ張る。あとたったの5メートル。一瞬だ。一瞬で彼女の下へ────

 

「健気だなあ! 吹けば消し飛びそうなナリしてよ! 思わず感涙しちまうぜ! ────ほら、お前のモンだ。受け取れよ」

 

ニタニタと笑いながら、PoHは無造作にユイを投げた。投げられたユイは転がるようによろめきながらも、懸命にファルコンへと駆け寄る。

ユイはファルコンの頭を膝に乗せると、包み込むように抱きしめた。

 

「……ファルコン。ありがとう」

「お礼なんて、僕に言われる資格は……」

「ううん。ファルコンと一緒にいれて、すっごく楽しかった。だから、ありがとう」

「────」

 

言葉に詰まる。口を開けば嗚咽が出そうで。決壊しそうな感情を必死になって飲み込んだ。

 

「僕も……僕もユイと一緒で楽しかった! 今までの人生で、って言っても短いけど……それでも、ユイといられて良かった!」

「うん……うん!」

 

2人とも泣いているのか笑っているのか分からないような有様だった。ただ1つ分かるのは、幸せを噛み締めているということ。この瞬間に、2人が巡り合った運命をもう一度確認した。

最期を悟ったファルコンが吐き出すのは、有りっ丈の想いだ。

 

「ありがとう」

 

僕と歩んでくれてありがとう。僕に恋を教えてくれてありがとう。僕に生きる意味をくれて、ありがとう。

それにユイが返すのは、たった1つの気持ちだけ。

 

「愛してる」

 

今まで一度として言葉にしなかった想い。それでも、この瞬間だけは。

 

「僕も、君を愛してる」

 

ファルコンの頭を愛おしそうに撫でながら、ユイは最期に最高の笑顔をファルコンに見せた。

 

「生きて、ファルコン」

 

天上の福音にも聞こえた言葉。それが

────ズブリ。

鈍色の不快音が搔き消した。

ユイの小さな胸を、深々と貫く凶刃。

彼女が消えていく。刹那ごとに彼女という存在が遠ざかっていく。彼女を編んだテクスチャは解け、情報の海へと還元される。そうして、0になる。

理解するのにそう時間はかからなかった。むしろ、すとんと腑に落ちた。なぜPoHが死の暇を許したのか。それはこの瞬間を穢すためだ。

分かってる。理解している。それでも尚、燃え滾る憎悪は止まらない。

周囲から輪唱のように醜悪な笑い声が拡散する。もうファルコンには、誰が笑っているなんて見えていなかった。

ユイが消えた。否、殺された。誰に? 目の前の男にだ。だったらどうする?

ピロン、という無機質な機械音が耳障りに聞こえる。同時に、システムメッセージが表示される。

 

『新たなアイテムを取得しました』

 

それがまるでユイが残した置き手紙みたいで、狂ったようにファルコンはウィンドウを操作した。

そこにあったのは鎧だった。名を《The Destiny》。これはきっと、彼女の想いだ。ユイは生きて、とファルコンに言った。そうして、生きるための鎧を託した。

だったら、生きなくちゃ。生きて───

 

「装備、《The Destiny》」

 

こいつら全員、殺してやる。

 

「な、なんだあの鎧!?」

 

ダガー使いの男が、狼狽を露わにしてファルコンを指差した。

ファルコンの装着した鎧は光り輝く白銀だった。それが、ファルコンの落とす影を吸い込むように、どんどんと暗黒に染まっていく。高貴さすら感じさせる優美なフォルムのフルプレートアーマー、だったものが形状すら変化させ、エッジは鋭く尖っていく。

鎧を侵食し尽くした影は、瘴気となってファルコンの周囲に渦巻いていく。

 

「それも、インカーネイトシステムか。チート臭えな、オイ」

 

PoHが放った飄々とした声など、もはやファルコンには届かない。憎しみは少年を突き動かす。

 

「う……あ、ああ…………!」

 

自分が自分で無くなっていくのが分かる。

鎧は更に変化を見せ、籠手は鉤爪となる。鎧のあちこちがヒビ割れて、ボリューム感は増していく。

 

「気持ち悪ぃ……さっさと死んじまえ!」

 

半ば恐慌した大剣使いが、大振りな動作でファルコンの首を狙う。通常なら痛打となる一撃、それをファルコンは右手だけで受け止めた。

 

「なっ……」

 

大剣使いが混乱を見せ、武器を構え直そうと身を引く。だが、肝心の大剣は微動だにしない。まるで氷漬けになったような武器に、変化の兆しが訪れた。

ピシ。刀身にヒビが入った。そう認知した次の瞬間には、大剣は粉々に砕けていた。

 

「ひっ、ひいいぃぃいぃっっ!!?」

 

理解の範疇を超えたのか、大剣使いは踵を返して逃げ出した。その姿に見向きもせず、ファルコンはPoHへと向き直って言った。

 

「答えろ。何故ユイを殺した」

 

脅迫に近い質問だった。膨れ上がる闇のオーラを無理にでも押さえつけて、ファルコンは静かに怒りをぶつける。PoHは冗談めかして肩を竦ませた。

 

「確認したい事は確認できたし、殺す必要は無かったんだが、まあ、なんとなくだ」

「なん……となく……?」

 

理性が砕ける音がした。

 

「そんな……そんなくだらない理由で……お前は! お前はァ!!」

 

ファルコンを取り巻く闇は、爆発する怒りを代弁するように荒れ狂う。まるでその闇自体が攻撃力を持っているかのように地面を削り、木立を切り倒した。

環境オブジェクトは破壊不能じゃないのか。そんな当然の疑問さえ闇の彼方へと忘却される。

戦いを、殺し合いを望んだのはこの殺人鬼達だ。だったら、それに応えよう。武器には武器を。残虐には、残虐を。

 

「殺す……殺して、やる!!」

 

眼前のPoHがニヒルに笑う。その笑顔を壊したくて堪らなかった。

少年はもはや、自分が完全に壊れていることを理解した、自分はもうファルコンではない。ファルコンという名の少年はユイと一緒に死んだのだ。

少年は憎悪と怒りの化身となった。

それはこの男達に対する憎悪であり、この世界そのものに対する憎悪でもあった。浮遊城アインクラッド。こんなものが無ければ、ユイが命を落とすことは無かったのだ。

ならば破壊しよう。

この世界が憤怒の源だと言うのなら、僕は世界そのものを破壊してやろう。この世界全てに災厄と呪いを振り撒こう。

そしてこの世界最後の1人となったなら、僕はユイを助けられなかった僕をこそ殺そう。

殺して殺して殺し尽くして。殺すことに何も感じなくなるくらい殺したのなら。

もしも生まれ変われるのなら、その時はユイを救えるだろうか。

いや、もはや僕にユイを救う資格は無いか。

少年は自嘲し、立ち竦むダガー使いを片手間のように殺した。

少年は未来永劫、世界を呪い続ける。その身が朽ちようと、呪いは形となって世界を穢す。この狂った世界を殺すために。




第二十五話へ続く。

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