いや、ね、提出物とか、セミナーとか、色々忙しかったんだってば!
見苦しい言い訳はこのくらいにして、本編、どうぞ。
ノック音が、宿屋の一室に響く。
木音が終息してから、どこか事務的な声が聞こえた。
「シリカ。入ってもよいかの?」
「ん、あ、はい!今あけます!」
小動物を連想させる跫音を鳴らしながら、シリカは、この寝室に備えられた唯一のドアに手を伸ばす。
見えたのは、いつも通り穏やかな秀吉の顔。それが、驚愕にすり替わる過程だった。
「な…………お、お主!なんという格好をしておるのじゃ!?」
秀吉は声を上げながら、シリカの身体を指差した。
そこに見えたのは、白金が如く透き通った柔肌だった。それが、パンツとブラジャーのみで覆われている。
「え?ああ、ごめんない。ちょっとはしたなかったですかね?」
言いながら、立て付けの悪い扉を閉める。
「どうしたんですか、秀吉さん?」
秀吉の顔は、熟れた林檎の色だった。
怒られる要素がどこにあっただろうか、と訝しんでいると、秀吉から叱りつけるような声が投げられた。
「お主は……もうちょっと貞操観念というものを養わんか!人前で肌を露出するなど、年頃の女子としての自覚に欠けておる!」
「そ、そんな大袈裟な……。秀吉さんがあたしに何かするでもあるまいし……。あ、もしかして秀吉さんって、ソッチ系の人だったりするんですか?」
冗談めかしたシリカのセリフ。
それを聞いた秀吉は、何かを得心したかのように目を見開き、嘆息と共に呟いた。
「…………まあ、知らぬ方が幸せなこともあるじゃろう」
「?」
頭をフル回転させてみても、秀吉の言いたい事は皆目見当がつきそうになかった。
秀吉になら、下着姿を見られても、それほど恥ずかしくない。それがシリカの思考回路である。だがそれはあくまで、眼前の侍が同性であった場合の話だ。
今のシリカにはあずかり知らぬことだが、秀吉の性別は、戸籍上、男性なのだ。
もしそのことを話してしまえば、シリカ狼狽は目に見えている。
ならば、わざわざ教える必要もないだろう。それが、秀吉の判断だった。
「…………とりあえず、服を着たらどうじゃ?」
「あ、はい。今ちょうど、パジャマに着替えようと思っていたところでして」
「うむ……なら、わしの間が悪かったと取っておこう」
「そうしてくれれば嬉しいです。自堕落だなんて、思われたくないですしね」
手早くシステムウィンドウを操り、水色の部屋着を着込む。
着替えを見届けると、ばつが悪そうに秀吉が言った。
「して、本題なんじゃが……」
「あ、はい。どうぞどうぞ」
「うむ」
視線を腰のポーチに移しながら、茶髪の侍は、玲瓏な結晶アイテムを取り出した。
傷一つない人差し指で、備え付けのボタンを押す。
途端に現れたのは、見たこともない──恐らく、四十七層の──地形、そのホログラムだった。
「綺麗……」
シリカの口から知らず、声が漏れた。
それは、四十七層の風景を指して言ったのではない。元よりこの地図には、詳細な地形は表記されない。抽象的な凹凸の塊を、美しいとは思わない。
シリカはただ、このマップそのものが美しいと想ったのだ。
二人きりの空間に、大きく映し出される電子の地形図。それは、巨大な水晶を連想させた。
「この立体地図を見るのは初めてかの?」
シリカはゆっくりと首肯した。
そんな少女の頭に手を置くと、秀吉は、緩慢に撫で始めた。
「これはこれで、なかなかに高価なアイテムじゃからの。中層ではそうそうお目にかかれんじゃろう」
「ですね。あたしも、もっとレベル上げ頑張って、上の層に行ってみたいです」
「うむ。それがいいじゃろ。上に行けば、綺麗な物も場所も、山ほどある。いつか、シリカがもっと強くなったのなら、上の層に行って、色んなものを見てくると良い」
そう言って、秀吉は愛撫の手を止めた。そして、皮肉まじりの笑みを浮かべる。
「この世界はきっと、わしらを飽きさせてはくれんじゃろうからな」
冗談めかした言葉に、自然と笑いが零れる。
ふと思った。
何故この人は、こんなにもあたしに優しく接してくれるのだろう。
秀吉とシリカの関係は、未だ見ず知らずの他人とも言える。そんな希薄な間柄でしかない。
シリカは秀吉に助けられた身だが、秀吉からすれば、そんな相手に固執する義理はない。
それでも、あたしを助けてくれるというのなら、その理由は────
だから、きっと、とても単純に、この人は、優しいヒトなんだ。
シリカには、秀吉の忖度を計る術などない。下心に、どんな腹積もりをしているかなど分かったものではない。
けれど、信じようと思った。
いや、少し違う。
信じたいと思ったのだ。
思えば、この世界に幽閉されてから、プレイヤーの友人など、出来た試しがなかった。誰もが、たった一クエストだけの付き合い。
幼いシリカが孤独に押し潰されなかったのは、ひとえに、ピナのおかげだったのだ。
目前の侍は、凛とした視線で遠くを眺めている。
吸い込まれそうなほどの深淵を醸す瞳。
そこには、一片の濁りもなく、只管に自身の裡に向けた精神のみが内在する。
その在り方が、尊いと想った。
だからこそ、あたしはこの人を、信じたいと思ったのだ。
シリカは、秀吉の細指をぎゅっと握り、翡翠の瞳を見据えた。そして、啼くような声で言った。
「そんな絶景を前に、隣に秀吉さんが居てくれたなら、あたしは、きっと幸せです」
心からの言葉だった。
秀吉となら、ずっと一緒に居たいと、ずっと友達のままで居られると、どこか予感めいた確信があった。
「な……っ!お、お主はいきなり何を……そんな、恥ずかしいことを……」
秀吉の頬が赤熱する。
いままで見たのは、静謐な表情ばかりだったので、しどけない姿も新鮮で可愛らしい。
かく言うシリカも、少し気恥ずかしい気もあるが、秀吉の表情を見る楽しさが勝った。
時が流れる。
抗いようの無い奔流は、ゆっくりと夜の帳を奪い去っていく。
ただ、この瞬間だけは、一秒でも永く秀吉の貌を目に焼き付けたかった。
もしかすれば、明日だけで終わってしまうかもしれない、この人との関係。それを、惜しむように、慈しむように、ずっと、ずっと……。
☆
「うーーりゃぁっ!」
下ろしたてのダガーが、その鋒で、魔物の身体を両断した。
昨日までとは段違いの攻撃力に、シリカは破顔を禁じ得なかった。
何故、こんな短期間で装備が強化されたのか。理由は明白だ。攻略組たる侍の、所持品の余りを頂戴したのである。
秀吉の主武器は、あからさまにカタナだ。ドロップしたダガーなど使い道がないということで、シリカに無償譲渡してくれたのだった。
それと同時に、防具も貰った。どうやら美麗の侍は、ファンシー系の鎧とは反りが合わないらしく、絶対に使わないからと、こちらも無料で譲ってくれた。
水玉を意匠した、黄色基調の鎧だった。確かに、ちょっとアレなデザインだが、これほど露骨なものも、シリカは嫌いではなかった。
だが内心、秀吉が着ても確実に似合うと感じたのは内緒だ。
「結構歩きましたよね。あとどれくらいなんでしょう、思い出の丘まで?」
「距離にすれば、あと一キロといったところじゃろうな。まあ、この層は景勝地でもある。道中も楽しみながら、ゆっくり進むべきじゃろう」
「ええ、ホント、素敵な景色ですよね」
秀吉の言うとおり、ここは天国と比喩しても名前負けしないほどの絶景だった。
色とりどりの花々が沿道を囲み、蝶は羽をはためかせ、優雅に飛翔している。
ただ、一つ気がかりなのが……
「カップル、多いですね……」
見渡す限りの男女ペア。
この光景を見ていると、少々気が滅入ってしまう。
「この景色では、必然的にそうなってしまうじゃろうな」
面映そうな苦笑を晒しながら、秀吉は応答した。
聞けば、この層はアインクラッド随一のデートスポットなのだそうだ。
女性二人の身としては、場違い感が半端じゃない。
「連れがわしでは不満かの?」
イタズラっぽい笑みを見せながら、秀吉はそんな質問をシリカにぶつけた。
即座に、ブンブンと腕を振って否定する。
「い、いえ!不満なんかじゃありません!むしろ、秀吉さんと来れて、すごぶる嬉しいです!」
「うむ。そうか、それは良か──シリカ、Mobじゃ。武器を構えよ」
「は、はい!」
短刀の刃を光らせる。
鈍色の卑金は、植物型モンスターの触手を深々と穿った。
部位欠損ダメージにより、敵の体力は三割を損失した。
更に連撃。
「うおーーりゃぁーーっ!」
ノックバックした相手に、ダガー三連続技『ラピッドバイト』を炸裂させる。
しかし、そこで敵のノックバックは終了し、怪植物は、攻撃のモーションを開始した。
「シリカ、スイッチ!」
緊張感のある秀吉の声。
「はい!」
と返答し、シリカは右脚で全力のバックステップをする。
次の瞬間。秀吉の踏み込みは、モンスターの猛攻撃を掻い潜り、一足飛びに本体を間合いにおさえた。
いや、掻い潜るというのは適切ではない。
秀吉は、斬ったのだ。
相手の攻撃手段である触手を、刻みながら歩を進めたのである。
秀吉は、いとも簡単にそれをやってのけたが、並大抵の剣術ではない。高速で襲い来る触手の軌道を完全に見切り、尚且つ、それにソードスキルを当てる技量が無ければ完成しない神業だ。
緑色のモンスターのHPは滑らかに減少し、底をつくと同時に、二メートルはあろうかという巨体を爆散させた。
「ナイスです、秀吉さん!」
労いながら、秀吉に掌を挙げる。
カタナを鞘に納めた侍は、優しく微笑み、シリカのハイタッチに応じた。
パチン、という響音の後、そろそろ聞き慣れたファンファーレが聞こえた。
顔を下げるとそこには、案の定、ポップアップウィンドウに、レベルアップという文字が記載されている。
「レベルアップおめでとう、シリカ」
「はい!あ、しかも丁度レベル四十ですよ」
「うむ。ピッタリわしの三十下じゃな」
「うぇぇっ!秀吉さんって、七十なんですか!?」
「攻略組は大体そんなものじゃぞ。低い奴でも、六十五はある」
「うぅー……レベリング頑張ります……」
劣等感の籠った決意を表明したところで、二人は再度、目的地へと歩き出した。
そこから、植物型モンスターとの戦闘を三度経たのち、ついに『思い出の丘』がその全容を見せた。
白亜の大理石に彩られた石碑は、荘厳な気配を匂わせる。
象牙色の台座上には、一盛りの土が取り残されたように乗せられていた。
「ここが、『思い出の丘』ですか?」
「うむ。もう少し近づいてみるといい。恐らく、アイテムが自動生成される筈じゃ」
震えるように、小さく頷いた。
呼吸を整えて、一歩一歩、噛みしめるように空間を消費する。
りん、と何処からともなく音が響いた。
瞬間。
青白い光が、純白の台座に凝集する。
そして────柔らかな色彩を湛えた、人差し指ほどの花が、一輪だけ開花した。
「これ……ですか?」
「そうじゃ。根元から千切るれば、アイテムストレージに格納される筈じゃ」
たった今生まれたばかりの命に、心の中で謝りながら摘み取る。
それと同期して、『プネウマの花を取得しました』という報告が為された。
「これで……これで、ピナは生き返るんですよね?」
ゆっくりと、だが、力強く秀吉は頷いた。
込み上げてきた熱い物を必死になって抑える。涙に濡れた瞳の所為で、手元も覚束ない有様だった。
アイテム一覧からプネウマの花とピナの心を選択し、オブジェクト化。
プネウマの花をタップし、『使用する』ボタンを押し込もうとした、その時。
背後から、
今回は、ちょっと展開を飛ばし気味にしちゃいましたね。
原作にあるシーンも幾つか削っちゃいましたし……。
書きたい事が次回につまっているので、ここらへんはサクサクいきたかったんですよねー。
という訳で、次回、シリカ編終幕です。