フィフティ!ハーフハンドレッド!
そして、もう一つご報告が。
なんと、お気に入り数が五百を突破致しました!めでたい!
ここまでモチベーションが維持されているのも、ひとえに読者の皆様のおかげです!
今一度、心の底からの感謝を。
このような拙作を読んで頂き、本当にありがとうございます!
「お願いだよ……あたしを独りにしないでよ……ピナ……」
か細く響いた少女の声は、棍棒の風切り音に掻き消された。
ふわりふわりと虚空に乗る、淡い水色の羽。
つい先ほどまで、シリカの周囲を元気に飛び回っていたブルーリドラは、空色の尾羽だけを残し、ポリゴン片と成り果てた。
必殺の一撃からシリカの命を護る為、青龍はその身を盾に窶した。
瞳に涙を湛えながら、少女は足早に竜の亡骸へと駆け寄る。子竜の尾羽は、決壊を許した水滴を二、三弾いた。
手中の羽を護るが如く、空洞を作った掌に力を籠める。
瞬間。
地響きとも取れる足踏みが、気を塞ぐシリカの耳朶を打った。
彼女の眼前に屹立するのは、三体のドラゴンエイプだ。
悪鬼が如き容貌を呈する化物共は、倒れ伏すシリカに、じわりじわりとにじり寄る。
「あぁ……来ないで……」
力無い拒絶は、少女を護る壁には成らない。
大猿が喉を鳴らした。
アインクラッドと云う名のシステムは、この瞬間、うら若き少女の魂を貪らんと狂喜する。
「いや………誰か!誰か助けて!」
彼女自身、心底では理解していた。
月光すらも届かぬ樹海の奥では、誰も助けに来る筈などないのだと。
龍猿は、天衝くように己が得物を振りかぶる。
シリカはぐっと目をつぶり、訪れる死の恐怖に堪えた。
刹那。
白刃一閃。
蛇の刺突が、魔物の心を貫いた。
いや、猿の心臓を刺したのは、実のところ蛇などではなく、凶器の類に他ならない。
だがしかし、その刃は生物と見紛うほど滑らかに、ドラゴンエイプの命を刈り取った。
硝子が砕け散る音。それが立て続けに三つ響く。
次いでしゃらん、という金属音。血糊を払うと、侍はカタナを鞘に収めた。
森がさざめく。
突如現れ、シリカの命を救ったその人物は、空のような、とも形容すべき麗人だった。
中性的な顔立ちに、肩口で切り揃えられた茶髪の髪が、出来過ぎなほど似合っている。
置かれた状況も忘れ、シリカはじっとその人物に魅入っていた。
「ピナ、というのはご友人かの?
すまなんだ。もう少しでも迅ければ、散らずに済む命もあったというのに……」
唐突に発せられた声は、自分の身を案じた物なのだとシリカは気づいた。
古風な喋り口調に意表を突かれながらも、訥々と謝辞を口にする。
「い、いえ……助けてくれて、ありがとうございます…………」
大きく息を吐いた。
今はもう、何もする気力が起きなかった。
自分は、この世界における、唯一無二にして最愛のパートナーを失ったのだ。
目の前で起きた殺戮に、対処することも出来ず、いやむしろ、ピナの死に様は、シリカを庇ってのものだった。
心の裡に残留する、暖かな日々の記憶。そして、絶望的なまでの喪失感。
それらは、シリカの生きる意味を剥奪するのには充分すぎた。
「む……よもや、ビーストテイマーのシリカ殿ではあるまいか?」
そんな折、驚嘆と懐疑を混ぜこぜた声が、目の前の麗人から発せられた。
自分の名前を見知らぬ相手が知っている、という状況は、シリカにとって、それほど稀有なことでもなかった。
シリカは、ただでさえ珍しいビーストテイマーなのに、それに輪をかけて珍しい女子小学生なのだ。
中層で活動するプレイヤーならば、彼女の名に聞き覚えが無い者の方が少ない。
「ええ、そうです。あたしが、ビー……シリカ、です……」
口元まで出たビーストテイマー、という単語を、言葉にすることは出来なかった。
胸が痛い。
羽ばたきの音が、嬉しそうな鳴き声が、滑らかな羽毛が、記憶の残滓がシリカの心を痛めつける。
ただ、もう一度だけ会いたい。
死別するしか無いというのなら、せめて、心からのごめんなさいと、精一杯のありがとうを。
けれど、もう、遅い。
ピナはもう、シリカのもとへと帰ってくることは無いのだから。
「となると、青いドラゴンはどこへ行ったのじゃ?」
あまりに無神経な質問に、憤りの視線を命の恩人へと向けてしまう。
シリカも、頭では理解しているのだ。この人は何も悪くない。ただ、事情を知らないだけなのだと。
だが、そう簡単に割り切れるほど、シリカは大人ではなかった。
二人の間で、嫌な間が空いた。
数秒後、やっと事の真相に合点がいったらしく、翡翠眼のカタナ使いは目を見開いた。
「もしや、先程洩らしておったピナというのが、その竜なのかの?」
「ええ、そうです……」
鈍いセリフに、否応なく眉根をひそめた。
この人は、何故こんなにも神経を逆撫でするのだろうか。
助けてもらっといてアレだが、早く向こうに行ってもらえないものか。
「そうか。それならよかった」
「…………っ」
喉元までせり上がった罵詈雑言を、躍起になって噛み殺した。
何が、よかった、だ。
本物の人間じゃないからか。
死んだのが、ただのデータだからか。
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな!
ポリゴンデータでしかなくても。本物の命が宿っていなくても。ピナは、あたしにとって大切な友達だったんだ!
「それならまだ、救う方法があるぞい」
「え…………?」
反射的に声を漏らす。
突然の言葉に、思考が追いつかない。
喉が詰まる。
指先に熱が篭っていくのが、確かに感じとれた。
絶望から希望への相転移は、暗く淀んだシリカの心を、慈しみをもって救い上げた。
そんなシリカを見て、女方の侍は頬を緩める。
「テイムされたモンスターは、死亡時に『心アイテム』という物を落とすんじゃが、確認出来るかの?」
「は、はい!たぶんこれです!」
縋るように両手を差し出す。強張った手をわななかせながら開いた。
中から現れたのは、青玉の尾羽。
それを見ただけで溢れ出しそうになる涙をぐっと堪える。
もしかすると、ピナは助かるかもしれないのだ。こんなところで泣いてられない。涙は、再会の喜びにとっておこう。
「うむ、確かに」
美形の武人は、力強く頷いてみせた。そして、軽く咳払いをしてから、流暢に解説を始めた。
「蘇生の手順をかいつまんで説明すると、四十七層に、『プネウマの花』というアイテムがあるんじゃ。それを心アイテムに対して使用すると、同じ個体が記憶もそのままに生き返る」
四十七、という数字に愕然とした。
この層、三十五層よりも十二も上の層。
こんな低層でも、ピナをみすみす死なせるような有様なのだ。四十七層を進めるようになるまで、どれほどの時間が必要なのか、推し量ることすら叶わない。
だが、希望は見えた。立ち止まってなどいられない。
いかほどの困難が待ち受けていようとも、絶対にピナを生き返らせてみせる。絶対に。絶対に……。
だが、そのためにはまず────
「あのー、この森から出たいんですけど、助けてくれませんか?」
苦笑いで言ったシリカに、茶髪の侍は、朗らかな笑みを向けた。
☆
主街区に戻る途中、いろいろな話を聞いた。
彼女は秀吉という名であること。
普段は攻略組の一員であること。
四十七層の地形や、アイテムの取得条件。
そして、プネウマの花は、使い魔の死後三日以内でないと、効果がないということ。
三日なんて冗談じゃない。そんな短期間で四十七層にまで登れ、だなんて、無理難題にもほどがある。
狼狽するシリカに、秀吉は
『安心せい。乗りかかった船じゃ。わしも最後までお供しよう』
と微笑んで見せた。
その言葉には、ピナは生き返ると確信させる力強さがあった。
執務的な話が終わると、身の上話がよく弾んだ。
秀吉は、シリカの話の随所で、興味深そうに相槌を打つ。そんな秀吉の態度は、話し手としては、これ以上ないほど心地よい。
ついついシリカは饒舌になり、命の危機に感じた恐怖も、今ではほとんど和らいでいた。
そんな時。
「あら、シリカじゃない」
背中からかけられた毒々しい声に、ほんの少し憂鬱になりながら、シリカはにべもなく応じた。
「……どうも」
声の主は、案の定、ロザリアという名の女性だった。
数時間前まで、彼女とシリカは共にダンジョンを探索していた。
だが、報酬の取り分という些細なことから発展し、結局、喧嘩別れをしてしまったのだ。
「へぇーえ、森から脱出できたんだ。よかったわね」
ニコニコとした笑顔を浮かべるロザリア。それは、玩具を見つけた子供のように、非道く、愉しそうだった。
「でも、今更帰ってきても遅いわよ。ついさっきアイテムの分配は終わっちゃったわ」
決めつけるようなロザリアの言い草。それに、シリカは珍しく噛み付いた。
「要らないって言ったはずです!──急ぎますから」
苛立ちが混ざった声音と共に、シリカはロザリアに背を向けた。
しかし次の瞬間、ロザリアの顔は嗜虐に歪んだ。
「あら?あのトカゲ、どうかしちゃったの?」
びくりと、肩が震えた。
「あらら、もしかしてぇ……?」
とっくに理解しているであろう事柄を、わざと抉るように訊ねてみせる。
それに負けじと、ダガー使いの少女は、相克の相手をねめつける。
「死にました……。でも、ピナは、絶対に生き返らせます!」
「へえ、てことは、《思い出の丘》に行く気なんだ。でも、あんたのレベルで攻略できるの?」
至極不快な圧力が、シリカの反発を抑えつけた。
喉が渇く。
的確に急所を突く言論に、嘔吐感さえ催した。
嫌だ。やっぱり、この人は嫌いだ。
恍惚的な笑みを浮かべるロザリア。
今にも泣き崩れそうなシリカ。
其の間に割って入ったのは、他でもなく────
「ロザリア殿といったか。すまぬな。このシリカは、今日明日とわしの連れなんじゃ。立ち話なら、他をあたってくれんかの」
猫撫で声で秀吉は言う。誰が聴いても、嫌味にしか聞こえない声音。
それはごくごく単調に、ロザリアをヒートアップさせる。
「なに、あんた?シリカのオトモダチってわけ?」
「ふむ、そうじゃの。何か、と問われれば、わしは友人に値するのじゃろうな」
冗長なほど回りくどく、芝居がかった口調で応える。
ロザリアは奥歯を擦り、ふうと息を吐いたあと、一転して静かに言った。
「そう。でもね、これはあたしとシリカの会話よ。ただの友達が、口出しする謂れはないんじゃなくて?」
すると美形の侍は、端正な顔立ちにシニカルな笑みを浮かべた。
「いや、謂れならあろう。単純に、わしはお主が気に食わん」
「そう。その意見には、全くの同感だわ」
両者の間で、火花が散った。比喩でもなんでもなく、シリカにはそう視えたのだ。
数刻の間隙。
それは、初対面のこの二人を決別させるには十分な時間だった。
「何なら、デュエルでもして決着をつける、というのは如何かの?」
「へえ、いい気前じゃない。望むところよ。初撃決着モードでいいわよね」
その確認に、秀吉は、背筋が凍るほど邪悪な笑みを浮かべた。
「いや、完全決着モードじゃ」
「は?なに冗談言って……」
目が据わっている。笑ってなんかいない。
こいつは、本気で、完全決着モードを行おうとしているのだ。
「あ、あんた、正気?頭おかしいんじゃないの……?」
もはや闘争の体すら成していない。二者の相関は、今や、一方的な蹂躙とないつつあった。
殺される。
確信めいた予感が灯る。
殺される。
眼前の女は、アタシの命を躊躇なく切り刻むだろう。
殺される。
自然、呼吸が荒くなる。
殺される。
相対するは圧倒的な恐怖。死を孕む視圧。
殺される。
脚が震える。とても立ってなんかいられない。
殺される。
女の目は、何の感情も宿していない。あるのは、品定めでもするかのような機械的な理性。
ただ単調に理解した。
自分と相手の間には、力量という言葉では埋まらない差があるのだと。
「い、嫌よ。あ、あたしは街中で殺人なんてしたくないもの!ふん!せいぜい夜道には気をつけなさい!」
そんな捨て台詞を吐いて、ロザリアはそそくさと立ち去った。
まだ脚の震えは止まらない。
だがしかし、なるべく早くこの場から立ち去らねば。今度こそ彼奴に、喰われてしまう。
あんなやつに、一人で勝つ自信など、あろう筈もない。
ロザリアのなさけなくよろめく逃げ姿を見送ってから、シリカは秀吉を不安げに見上げた。
シリカの怯えを見てとった秀吉は──
「ハッタリを吐けば、大抵のバカは逃げて行く、と何処かの誰かが言っておっての」
そう言って、シリカへと笑いかけた。
数瞬間、呆けた表情で固まってしまう。
どうしたのかと、秀吉はシリカの頭に手をおいて、覗き込むように、中腰で顔を伺った。
そんな秀吉と目があってすぐ、シリカはぷっ、と吹き出して
「秀吉さんって、見た目によらず大胆なんですね」
と、大胆な笑顔で微笑んだ。
ついに始まりましたね。シリカちゃんパート。
お相手は、僕らのアイドル秀吉君です。
いやあ、可愛らしいですね、秀吉ってば。思えば、僕の新天地を開拓したのは秀吉でした。
どうでもいいですね。