いやぁ、盛り上がる盛り上がる。
これぞ文化祭。これぞ青春。って感じでしたね。
ライトは、ピンと立てた人差し指を、アタシの唇に寄せ当てた。
それはきっと、静かにしろという合図なのだろうが、こんな状況で落ち着けるワケが無い!
唇に!人差し指!当てられた!
ぷにってなった!ぷにって!
何で!?何で無自覚にこういう事出来るの!?
アタシの唇を触った指で、ライトはアタシ達の来た道を指差す。そこには、数人のプレイヤーが談笑しながら遊歩する姿があった。
けど、そんな事はどうでも良い!
ともかく、何故そんな凶行に及んだのかを、この男から聞き出さなければ!
「ちょっと、ア……」
「ホントに静かにしてってば!」
ライトは、小声でまくし立てる。
そしてアタシの首に手を回し、自分の胸にアタシの顔を無理矢理押さえつけたのである。
?!!???!?!!!?
頭がショートした。
いやいや待て待て。冷静になろう。そして、しっかりとこの状況を吟味するんだ。
そうすれば、こんな事になってしまった原因も垣間見える筈。
アタシはライトに抱擁されている。
考察終了。
あれ?
解釈の余地が無い……。
ま、まあ大丈夫だ。ライトに抱かれるという経験は、前にも、体験したのだから。そう。あの件の鎧の時にも…………
いや、やっぱムリ!
あの時とは、状況とか心構えとか恋愛感情とかが違い過ぎるもん!
ああ、もういいや。開き直って堪能しよう。
ふふふ。ライトの胸の中、暖かいなあ。
ふふふ。あはは。
「良かった。気づかれなかった」
緊張の解けた溜息を洩らしながら、ライトはアタシを強く抱いていた腕を、ゆっくりと緩めた。
「え?何で?」
思わず聞いてしまった。
「いや、何でって何で?」
「ああ、分かった。次はあすなろって事なのよね?」
「ほぇ?あすなろってどういう意味?」
いや、マジで何言ってるんだ、アタシ。
ブンブンと頭を振って、お花畑になっていた脳内を整理する。
何はともあれ詰問だ。
ライトは何故こんな事をしたのか。
人が来たくらいで、アタシに抱き着く筈が無い。
むしろ、そうされたらこちらの心臓が保たない。
だからこそ、ライトには何かしらの理由が在る筈だ。そう思いたい。
「ねえ、ライト。あの人達がどうしたの?」
特に意識もせず聞いた。
そんなに重大な事だとも思わずに。
ただ、さっき通った人達と仲が悪いとか、そんな単純な理由なのだろうと考察していた。
だが、そんな安寧は、続く一言でぶち壊された。
「あいつらは、恐らく、犯罪者達の…………いや、殺人者達のギルドだ」
ジェットコースターのように、脳髄の熱が降下する。
あれほど激しかった恋の乱心は、無理解の混乱へと遷移していた。
多様な憶測が、脳裏を掠める。
殺人者のギルド。
それは、あまりに突飛な言葉だった。
ライトがそう言った意味も、そんなモノが存在する理由も、解釈すら及ぬ代物だ。
思考する事すら憚られるモノでありながら、それは本能的に度し難い。
「完全に予想の範疇は出ないんだけどね。一応、説明しておくと、あの集団の内、一人に見覚えがあったんだ」
「どこで?」
刹那の間隙も作らずに、アタシはそう切り返した。
それに対し、ライトも間髪入れずに答えを示す。
「二十五層のボス部屋だよ」
チクリ、と胸を刺されるようだった。いや、引っかかった骨が喉に刺突した、と言った方が正しいか。
無意識に伏せた虹彩には、どろりとした意識が篭る。
それは、言ってしまえば、とても簡単な感情だ。
アタシは、アインクラッド第二十五層のボス部屋に、どうしようもない心残りを置き捨ててしまった。
アタシはあの時、アレックスと一緒にライトを助けなかった。それ自体は正しい判断だと思う。全体の指示に従い、的確な行動を取ったに過ぎない。
だが、それは理性の上での話だ。アタシの本能は、ライトを置き捨て逃げる事など望んではいなかった。
なのに逃げた。
それは後悔すべき事なのか、それすらも分からないのだ。
ただ、攻略組プレイヤー達の波に飲まれながら、広間を後にした時。アタシは、自分が恥ずかしかった。
ライトを助けに行かなかったから────じゃない。
アタシは、アレックスが羨ましかったのだ。
いや、違う。そんな言葉で足りるほど、アタシが感受したモノは、清廉ではなかった。
そう。アタシは、嫉妬していた。
ライトの隣に立つアレックスを敵視していた。
アレックスはライトの為に、命を賭して闘いへと臨んだのだ。
彼女の、そんな尊い姿勢を顧みず、アタシの中に真っ先に産まれた感情が羨望であり、嫉妬であった。
それを自覚した時、芽生えたのは羞恥だった。
ああ、アタシは何故こうも醜い性格なのか。
男を助けに行かなかった女が、そうした女を恨んだのだ。
全く、救いが無いにもほどがある。
その後、アタシには、敵からの塩が叩きつけられた。
その時、吼えたのは負け惜しみ。
その時、感じたのは劣等感。
アタシの安っぽい自尊心は、ズタズタに引き裂かれた。
だからアタシは、形振り構わないのだと決めた。
女々しく引き摺るくらいなら、アレックス以上の事をすれば良い。そう。単純なことだ。
ライトの命を救ってしまえば、こんな感情とはおさらばなのだから。
そしていつか、アタシが本当に素直になれたなら、そんなアタシをライトが愛してくれたなら、その時は胸を張って告白しよう。
だから、アタシは今ここに居る。
ライトと共にする為に、重い瞼をこすり、部屋の合鍵まで譲渡した。
今のアタシは、恋する乙女だ。
ライトは、どんな風にアタシを想っているのか。もし今、告白すればライトは何と答えるのか。そんな妄想がたまらなく楽しい。
「…………って訳で、さっきのプレイヤー達は殺人ギルドだと思うんだ。……優子、聞いてた?何かボーっとしてるみたいだけど」
懐疑の視線に晒され、思索を一時停止する。
殆ど聞いていなかった……。
再度解説を請うべく、自失を呈したまま、徐に口を動かす。だが乙女脳の余韻は引いておらず、発した言葉は、あまりに素っ頓狂な物だった。
「……へ?いや、あ、当たり前じゃない!聞いてたに決まってるでしょ!」
前言撤回。
未だ自尊心は崩れ去っていないらしい。
全く聞いていなかったにも関わらず、聞いていたと豪語してしまうアタシって……。
だがしかし、断言した手前、聞き返す事も出来ないので渋々、勝手に脳内補完する。
恐らく、二十五層のボス部屋で、ライトは殺されそうになったか、それに準じた行為を受けたのだろう。
そして、ライトに危害を加えた人物が、先ほどの集団に在籍していた訳だ。
「あれ?それって結構マズくない?」
「うん。本当に何を考えてるんだろうね。アインクラッドで人をHPが全損すれば、本当に死んじゃうかもしれないのに……」
「そっちじゃなくて!」
アタシの無自覚な叫び声に、ライトはびくりと肩を震わせた。
はっとして、取り繕うようなセリフを漏らす。
「えっとね、当然そっちも心配なんだけど。ライトは実際に殺されかけたんでしょ?それで、何と言うか、大丈夫なのかなって……」
らしくないセリフなのかもしれないけど、こう言うべきだと思った。
全体よりも個を優先するというのは、アタシの中で、価値観の大きな変動が起こっているからなのだろう。
ライトは、面食らったようにアタシの顔を見ていたが、ふと……
「うん。心配してくれてありがとう。優子」
そう言って、アタシの頭にそっと手を置いた。その腕は、羽毛を弄ぶように、そっと動かされた。
俗に言う頭ナデナデである。
その状況にアタシが閉口したことは言わずもながなだ。
「ん……あれ?優子、ほっぺが赤くない?」
頭上に触れていた手は、こめかみを伝い、頬にまで降りてきた。
それに応じ、更に両頬が赤熱する。
必要のない呼吸が荒くなる。
ライトの一挙一動に、脳みそがくらりと揺れ動く。
ライトから発された言葉は須く、甘い蜜を注がれているような甘美さを伴っていた。
「……あ、いや、ちが…………」
逆らうように否定の言葉を発したものの、それは言語の体を成していなかった。
「いや?そっか、男にベタベタ触られるなんて、嫌だよね」
呟くと、ライトはゆらりと手を引いた。
母の腕から剥がされた、赤子のような感覚だった。渇きとも言うべき熱情の奔りが、アタシの身体を突き動かす。
気がつくと、ライトの手をしっかりと握っていた。
初めて、手を握った。
華奢に見える指は、実のところ巌のように鍛え上げられている。ありもしない脈動が、角ばった手の甲からひしひしと伝わる。
そしてアタシは、ライトの澄んだ双眸に、引き込まれるように言葉を発した。
「違うの。嫌じゃない。だから、止めないで」
思いがけぬ懇願に、ライトは男子にしては長い睫毛を数度瞬かせる。
たが、それも一瞬だった。
雪解けのような柔らかい笑みを作ると
「うん」
とだけ言って、アタシの頭を撫で続けた。
何故か、安堵の吐息を洩らす。
それは、嬌声であったのかもしれない。
ライトの肌に触れている。ただそれだけの事が、あまりに大事件で。
神様からの贈り物にも思えるような……
☆
「違うの。嫌じゃない。だから、止めないで」
その請願は、突飛に過ぎた。
普段の優子からは、想像も許されぬ程しおらしく発せられた言葉。
その光景に、僕は種を付けんとする白百合を想起した。
なんだかんだ言っても、やっぱり優子も女の子なのだ。殺人ギルドなんて、無遠慮な発言が悪かったのかもしれない。
今の優子は、不安と焦燥に駆られ、思考すらもままならないのだろう。
僕が撫でるという行為は、幾らでも代替が利く嗜好品に過ぎない。だがそれでも、一時の清涼剤になるのならば、僕は優子の望みを叶えよう。
「うん」
と、承知の意を呟いて、僕は優子をゆっくりと撫で続けた。
今回のお話は、男性にとっては何気無い仕草でも、女の子にとっては大事件なんですよ、みたいな感じです。
男性の皆さん。一挙一動に細心の注意を払いましょう!