それに、キリトのステが付録としてついてました。
そして、愕然としました。
恋愛運が限界突破しているっ!?
それは、驚くほど自然に立ち上がった。
まるで初めからそうであったかのように。
まるで始まるのは今からであるかのように。
御身には傷一つ無く。
そう。それはちょうど、時が戻ったような。
唯一、以前との相違を挙げるとするならば、頭と腕の数がそれぞれ倍になったくらいであろうか。
「────グルウアァァアッ!!」
頭が二つになると声量も二倍になるのか。双頭の巨人は、雷声の如く空を震撼させた。
理性の流動が堰き止められる。誰もが状況を理解出来ず、棒立ちの有様だった。
打倒した筈の巨人の王。それが、双頭四手にパワーアップした挙句、体力を満タンにして立ち上がったのだ。これで、冷静でいられる奴の方がどうかしている。
だが、そのどうかしている奴が、プレイヤーの中には存在した。
「B隊、盾構えなおせ!その後ろにA隊とC隊で並べ!」
ユウの怒号が、ボスの挙動より数瞬疾く飛来する。
藁にも縋る思いで、プレイヤー達はユウの指示通り体制を立て直す。
一際甲高い金属音が鳴り響く。
それはつまり、盾による防御が成功したということだ。
安堵を覚えつつ、僕は前線へと駆け出した。
体制を立て直せたならば、ボスが更なるパワーアップを残していない限り、戦闘は安定する筈だ。
走りながら、右手をぐっと握る。
どこまで行っても、僕の戦闘スタイルはただ一つ。体術のみ。
それで出来る事と言えば、皆の援護だけなのだ。
故に、僕はそれを全力でこなす。
それが、勝利へ繋がると信じて。
自然と脚に力が篭る。
自らを奮い立たせ、僕は双頭の巨人へと一足飛びに移動した。
────合戦の最深部へと到達した時、僕は我が目を疑った。
拮抗していた筈のせめぎ合いが、ものの数秒で瓦解していたのだ。
このとき、B隊の持つ盾の半数が、大槌の威力の前に、為す術もなく破壊されていた。
「ローテェッ!!」
力一杯に叫ぶ。
僕の声を聞きつけたのか、後方でD隊が、一列になって走り寄って来る様が見てとれた。
だが、そんな助けを待っていては、命が幾つあっても足りはしない。
得体の知れぬ恐怖を抑え、僕は巨人の王との間を走破した。
双頭の王は、握り締めた大槌を、盾が破壊されたプレイヤーに振り下ろす。
まずい!
歯を食いしばり、間に合えと念じながらスキルの予備動作にはいる。
まずは、王の右腕に閃打を叩き落とす!
一瞬の跳躍。
僕の腕は、首尾よく巨大な腕を痛打した。
それで威力が減衰したのか、狙われたプレイヤーは剣の鎬で、大槌の一撃を防ぎ切った。
そこではたと気がついた。
そうだ。今、ボスの腕は四本になっているんだ。それはつまり、単純に攻撃回数が倍になる訳で…………
第二の右腕が、握ったハンマーを全速力で薙いだ。
「────かっ……はぁッ!」
物理法則の埒外に在る衝撃が、僕の身体に見舞われる。
それは、跳ぶ、というより、飛ぶ、という感じだった。
大槌を揮われた矮躯は、面白いようにぶっ飛んでいく。三十メートルの飛翔の末、アバターは陸へと降り立った。
慣性力が、大理石の床を爆音と共に穿つ。
体力残量を確認する。
瑞々しい青葉のようだったソレは、血の真紅へと変貌を遂げていた。
直ぐに腰のポーチへ手を延ばす。その中を弄って愕然とした。回復ポーションが残り二つにまで減少していたのだ。
たった二個の回復薬でほぼ無傷のボスと、僕はどこまで戦えるのだろうか。
元のボスの体力を全損させるまでに、僕はポーションを十二個も使った。今のボスには、単純に見積もって倍ほどの強さがある。
レイドリーダーが慎重派のリンドだったなら、時間はかかりこそすれ、使うポーションは七から八個程度だったろう。
つまり今回の場合、ユウの肉を切らせて骨を断つ戦法が仇となったのだ。
リーダーの方針がジリ貧の原因ならば、その状況がレイド全体に当てはまるのが道理だ。
今、殆どのプレイヤーは、激しい損耗に身を奴していることだろう。
となると、戦闘続行は難しい。残された選択肢は逃げる事しか無いだろう。しかし、それも不可能だ。
相手は、たった数合打ち合っただけで盾を破断する化け物だ。そんな相手に背を向ければ、どれほどの犠牲が生まれるかは、想像に難くない。
きっとユウも、僕と同じ結論に辿り着き、解決策を練っている筈だ。
かつて神童と呼ばれたあの男ならば、この貧窮した現状を、打破する一手を立案してくれる筈。
……いや、ダメだ!
そんな他力本願でどうする!
この闘いは、ユウのものである以前に、僕の闘いでもあるんだ。
だからこそ、思考停止をしてはならない。それは、死亡と同義にしかならない!
思考しろ、思索しろ、思案しろ!
全速力で解決案を導き出せ!
ぐるぐるぐるぐると、脳みそを掻き混ぜる。脳内領域を隅々までつつき回し、使える情報を引っ張り出す。
だが幾ら考えたところで、僕程度の知恵で思いつく策など一つしか無かった。いや、それは策というにはあまりに無謀過ぎた。
僕が全力でボスの攻撃を防ぎ、その隙に皆が撤退する。
つまり、ただの根性論だ。
バカ丸出しだとは分かっている。だが、それで良いと思う。
こういうのは決めた者勝ちだ。
出来るか出来ないかじゃない。
────よし。覚悟は決まった。やってやる。
す、っと仮想の空気を偽りの肺から押し上げる。
体力が七割まで回復したところで、僕は一気に駆け出した。
「────なっ!待て、ライト!」
僕の意図を汲み取ったユウが、悲鳴にも似た命令を出す。
そんなユウに、僕はアイコンタクトで、逃げろ、と送った。
一番賢い選択は、きっと、僕も一緒に逃げ帰ることなんだろう。
けど、それはしない。
いや、しないのではなく、僕には出来ない。
今、僕が逃げればB隊の面々はどうなる?
僕の身一つで救える命があるんだ。なのに逃げたら、僕は自分を許せない。
────意識は収斂する。
脳細胞が焼き切れそうな感覚だった。
急激な加速感。
僕が速いのでなく、周りが後ろへ遠ざかっていくようだった。
風景は色彩を失った。
僕の自己は失われた。
心象にあるものは、尚も濃度を上げる双頭の巨人が御身だった。
ユウが放つ命令も、今の僕には、微かな残響としか届かなかった。
そのよりよっぽど小さい筈の、巨人王の荒い鼻息が、耳元に音源があるかのように大きく響く。
一人佇む巨人の王は、今の僕には独活に見えた。
☆
アタシの腕に、華奢な指が絡みついた。
数度、強めにぐいっと腕を引く。にも関わらず、その手は動こうとしなかった。
ため息をついて、アタシを掴む手の主を目線で辿る。案の定、そこには綺麗な黒髪を、ポニーテールにしたメイサーが佇んでいた。
「何してるの、アレックス?」
「優子さんこそ、一体何しようとしてるんです?」
アレックスは、いつに無く真剣な瞳と口調で、アタシをしっかりと見据えている。
瞳の奥は不透明で、アレックスが一体何を考えているのか、てんで分からない。
だからと言って、このままでは埒が明かないので、とりあえず質問の答えを正直に述べる。
「何しようとって……逃げようとしてるに決まってるじゃない。そういう命令なんだから」
先ほど、ユウはアタシ達に全軍撤退の命令を下した。
アタシは、ただそれに従っているだけなのだ。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「ええ、聞くなら早くして」
意図せず、苛立ちの篭った語調になってしまった。
少し悲しげに目を伏せて、アレックスは小さく呟いた。
「優子さんは、あそこで一人戦っているライトさんが、どうでもいいんですか?」
「そんな事言ってないわよ。ライトが戦っている。だからこそ逃げようって言ってるの」
「それこそ、仰っている意味がわかりません!ちゃんと言葉にして説明してください!」
アレックスの瞳に怒りの色が宿った。
いや違う。宿ったのではない。今まで押し殺していたのだ。
これはただ、堪忍袋の緒が切れて、感情が露呈したに過ぎない。
アレックスを逆上させないように、アタシは出来るだけ淡々と意見を述べた。
「アタシ達は子供じゃないのよ。自分の命は自分で守りなさい。だからこそユウは全軍撤退を決定した。そして、ライトもそれは弁えている筈。
それを弁えて尚、彼は皆を守ろうとしてる。そしてアタシは、彼にそれだけの能力があると信じてる。
だからこそ、今ここで助けに入ることは彼への冒涜だと思うし、それでアタシ達が死んだら、何より彼が報われない。
これでも、アタシの言ってる事が理解出来ないかしら?」
後半へ向かうにつれ、少し喧嘩腰になりながらも、アタシは行動原理を説明した。
それに対し、アレックスは苦虫を噛むような顔をする。
「いいえ、分かりました。確かに、優子さんの言い分は正しい」
「なら……」
逃げよう、と言いかけた瞬間、被せるようにアレックスは言った。
「でも私は、私が間違っているとは思わない。どれほどの意味が無くたって、私はライトさんの所へ行きます。行かなきゃいけないと思うんです。
優子さんは、ライトさん一人でこの状況を打破できると言いましたが、私にはそうは思えません。彼はそんなに強くない。ヒーローになれるような力を持った人じゃないんです。
彼の力は、他人を支えるものであって、自分を守れるものじゃない。
だから優子さんは逃げて下さい。それが、貴方の決定なんですから」
そう言って、アレックスはアタシに背を向けた。
暫し、その背中を呆然と見つめる。
アレックスは、アイテムストレージからポーションを取り出し、腰のポーチに詰めた。
そうして、ライトの方へ向かおうと、アレックスが身体を前傾にした瞬間。
「そんな……なんで……!」
とにかく、彼女を止めなきゃいけないと思った。何故かは分からないけど、そう思った。
だから、止めようと思って言葉を発した。
だけども、言いたい事は、明確な言葉にならなかった。
アレックスは振り向いて、向日葵のような笑みで言う。
「なんでってそりゃ、私はライトさんが大好きですからっ!」
ボスへと駆け出していく彼女は、アタシにはあまりに眩しかった。
☆
もう、数十分も攻防を続けている気がする。
でも、気がするだけだ。それは錯覚でしかない。
その証拠に、先ほどまで前線を張っていたB隊は、まだ門に辿り着いてすらいない。
それを確認し、視線をボスへと戻そうとする。
その途中。
僕の目はあり得ないモノを知覚した。
「アレックス!?」
瞬間。
痛烈な風切りを、電子の肌が知覚した。
上体を全霊で反らす。鼻先に大槌がかする。ただそれだけで、体力ゲージが目に見えて減った。
たが、そんな事に構ってられない。アレックスがすぐそこまで来ている。
何で!
どうして!?
ユウは僕の考えを理解して、皆を逃がしてくれた筈!
なのに、何故ここにアレックスがいるんだ!?
いや、いるものはいるんだからしょうがない。
きっとそれは、彼女の独断なんだろう。
なら僕は彼女に命令して、逃げ帰さなきゃいけない。
でも、だけど────
度し難い筈のその事実が
憤るべき筈のその行為が
僕には、堪らなく嬉しかった。
やっぱり心細かったんだろう。一人で強大な敵に対峙することが。どれだけ強がっても、僕は心の何処かで援軍を待ち望んでいた。
そんな待望の助っ人が、あのアレックスなのだ。これが嬉しくない筈が無い!
でも、だからこそ、僕は心を鬼にして言わねばならない。
帰れ、と。
アレックスは、僕にとって大切な仲間だ。
そんな相手を、みすみす死地へ赴かせる訳にはいかない。
「今すぐ逃げろ!アレ……」
剣戟。
いや、その何倍も重かった。
地響きとも取れる炸裂が、僕の横顔に殺到した。
それは打撃音。
死色の槌と、紫色のメイスが奏でる
「余所見禁止ですっ!ライトさんっ!」
巨人のハンマーと比べれば小枝に見えてしまう武器で、アレックスは堂々と渡り合う。
その口元は、無邪気な子供のように笑っていた。
「さ、一緒に帰りましょっ!」
僕を討つべく振り下ろされたハンマー。それをアレックスは難なく退け、右手を差し伸べてきた。
うん、と首肯してしまいそうになる。そんな弱い自分を即座に否定した。
ダメだ。頷いてはいけない。
ここから、アレックスを送り返さなきゃ。僕はそのために、ここに立っているんだから。
「なんで来たんだ、アレックス!逃げろって言われた筈だろ!?」
巨大なハンマーを避けながら、僕はアレックスに怒鳴りつけた。
そんな喚きを物ともせずに、アレックスは笑顔で言う。
「だって、私が逃げたら、ライトさんが死んじゃうかもしれないじゃないですかっ!」
「……あ」
忘れてた。
皆を逃がすことに必死で、自分の逃げ道を作ることを。
もしアレックスが来なければ、僕はどうやって逃げていたんだ?
ボスを倒す?
論外だ。僕の攻撃力で倒すなんて不可能だ。
一気に逃げる?
無理だ。幾ら全プレイヤー中最速と言ったって、背中を見せた瞬間、叩かれるのがオチだ。
防御しながら後退する?
これが一番可能性があるかもしれない。だが恐らく門に辿り着く前に削り殺されるだろう。
そうか。アレックスは、僕が生きて帰れる可能性を、作りに来てくれたんだ。自分の身を犠牲にしてまで。
僕を助けに来なければ、アレックスは何事もなく逃げおおせただろう。それを諦めたアレックスの選択を、僕はどう感じればいいのだろう。
この後に及んで、まだ逃げろなんて言うつもりはない。そんなことを言えば、アレックスは怒るに決まってる。
だから僕は、素直に喜ぼうと思う。
アレックスがここに来るという選択をしたことに。
アレックスと共に闘えることに。
アレックスは、心底楽しげな笑みを見せる。いや、嬉しげなのか。
そんな感情の機微は、僕には感じ取れないけれど、ただこれだけは言える。
アレックスが、僕の仲間で良かった。
「行きますよ、ライトさんっ!初めての共同作業ですっ!」
「その結婚式みたいなノリ、いらないから!」
そんな軽口で互いに笑い合う。
アレックスが魅せた笑顔は太陽とも月とも比喩出来ぬものだった。
そうして僕らは、徹底防戦を開始した。
まさかこんなに二十五層のボス戦が長引くとは……。
自分では結構文章を削ってるつもりなんですけどね……。
まあ、次で終わる事は確かなんで、生暖かく見守って下さい。