色々リアルが立て込んでおりまして、投稿が遅く……
次回も少しお待たせすることになるかもです……
何はともあれお楽しみください!
「順を追って説明しますね」
ユイちゃんの口調は冷静そのものだ。まるで取り乱す僕を置き去りにするみたい。
「私の記録している限りで、プレイヤーの記憶を改ざんするプログラムはSAOに存在しません。ですので、パパがアレックスさんを覚えていない可能性は2つ考えられます。
1つは、私か権限を与えられていない領域の問題。
もう1つはパパ個人の問題です。
前者であれば不整合が生じる危険性を考慮していましたが、ライトさんが覚えていらっしゃるということは、どうやら後者であったようです。杞憂だったみたいで……」
「違うんだ、ユイちゃん!」
自意識と乖離して声が荒ぶる。
妖精の少女は、小さな身体をびくりと震わせたものの、立ち直りは早かった。
真剣な表情に促されるままに、僕は話を続けた。
「……僕も覚えてないんだ。アレックスのことを。名前と顔しか思い出せないんだ」
言った瞬間、胸の真ん中を風が吹き抜けたような気がした。
日差しが強い。喉が乾く。目眩がする。
最後に残ったアレックスの見目さえ、陽炎に揺れ消えてしまいそうで、閉じ込めるように強く瞬きした。
ユイちゃんは僕の発言を受けて、小さな肩を落とした。
「そう……ですか」
ユイちゃんはため息にも似た、細い息を吐いた。
「でしたら、SAOプレイヤー全員が記憶の操作を受けている可能性が高いですね。確か、あとでユウさんもいらっしゃるのですよね?」
「う、うん。そうだけど」
「じゃあユウさんにも聞いてみましょう! 覚えていらっしゃらなければほぼ確定で、みなさんがアレックスさんのことを忘れていると考えてよさそうです」
みんなが忘れている。事務的な一言が胸を突く。
「ユイちゃんは、原因が見えてたりするの?」
「はい。恐らくは。私の管轄外かつ、みなさんの記憶領域に介入できる可能性のあるシステムは、SAOには1つしか存在しません」
「心意システム、だよね」
ユイちゃんはハッと息を飲んで僕を見た。
僕は自然と口から出した答えを吟味する。
そも、プレイヤーの記憶を一斉に操作する、なんてことが可能なのか。疑問は尽きないが、心意システムならばあるいは、と思えてしまう。
心を読み取り具現化させる、なんて離れ業を為せる心意システムならば、記憶への介入すらも容易にこなしてしまいそうな気がした。
妖精少女は首を捻る。
「プレイヤーのみなさんは、インカーネイトシステムを、心意システムと呼称しているのですか?」
「いや、そもそもみんなは心意システムを知らないよ」
「そうですよね。インカーネイトシステムは公開情報ではありませんでした。だったら、なぜライトさんはお知りなのですか?」
「なぜって、それは……」
あれ? 思い出せない。
待てよ。僕が思い出せないことは、全てアレックスに関することだ。そして今、僕は心意システムの名前の出所を回想できない。
なら、心意システムという名称を教えてくれたのはアレックスなんじゃないか?
我ながら頭良いな……。
ユイちゃんへ返答しようと口を開きかけたとき、後ろからがしりと肩を組まれた。黒の剣士サマが面白くなさそうな声を出す。
「なに内緒話してるんだよ?」
「いやいやいや! なんでもないよ!?」
僕の反応を、キリトは鼻で笑う。
「隠し事できない才能あるよな、ライトって」
「キリトはオークのウ○コ入りカレー食べても気づかなかったし、鈍感の才能あるよね」
「ちょっと待て! それいつやりやがった!!?」
嘘だ。バラさないけど。
嘲笑にイラッとしたのでお返しだ。
キリトが僕の胸ぐらを掴んでがなり立てていると、キリトの妹さん、改めリーファがなぜかニコニコと笑っていた。
僕と同じ疑問をキリトも抱いたらしく、懐疑的な声を出す。
「スグ……じゃなくてリーファ。なんでそんな笑顔なんだ?」
「いやあ、お兄ちゃん、ちゃんと友達いたんだなって、ね?」
「そりゃいるよ、友達の1人や2人。俺をなんだと思ってるんだよ」
「え?……コミュ障?」
「…………っ!」
言い返せないキリト。自覚はあったのか。
リーファは僕に向き直って、甲斐甲斐しく頭を下げた。
「ちょっとヤンチャで、だらしの無いお兄ちゃんですけど、これからもどうかよろしくお願いします、ライトさん」
「うん。こちらこそ。これからは兄妹ともどもよろしくね」
改めて顔合わせも済んだ途端だった。
────ザザザザ。
さざ波を思わせる、大量の羽音が僕の耳をざわつかせた。
首を後ろに回すと、おびただしい数で森の上を飛行する、妖精達の姿があった。総数は50を下らない。
僕、キリト、リーファは一斉に臨戦態勢をとる。
戦ったところで多勢に無勢だ。蹂躙されて終わるだけ。だけど、戦士としての本能が戦闘への手順を構築する。
種族も性別も様々で、集団に共通点があるとは思えない。色彩豊かな妖精の軍団は、アソートされたキャンディみたいだった。
意図も集団の結成経緯も不明瞭なのが、根源的な不安を煽る。握る拳が強くなる。汗が染み出す感覚を覚える。
迫り来る数十の圧に押しつぶされそうになる。
緊張が際限なく高まっていたその時、不意にキリトが構えを解いた。
黒の剣士は柔和な笑みを浮かべる。
「心配の必要はないよ。あれはたぶん……」
キリトの説明に被せるように、集団の先頭にいたサラマンダーが、羽をカワセミみたく震わせた。
「お前ら、キリトとライトだろ!?」
火竜妖精が興奮気味に問うてくる。
この展開にも慣れてきた。つまり、彼は知り合いのうち誰か。サラマンダーを選ぶ悪趣味さと、アバターのゴツゴツしたブサイクさを鑑みるに……
「ユウか!」
「お、さすがのライトでも察しがつくか」
意外さ半分、納得半分、といった調子で、着陸するユウが鷹揚にうなずく。
ずっと一緒に過ごしてきたんだ。すぐ分かるに決まってる。だって、
「うん。アバターがブサイクだったからね」
「ケットシー領に死に戻りしたいのか?」
さすがに遠慮願うので、これ以上藪をつつくのはやめておく。
2人目に到着したのは闇妖精の小柄な少年だった。目以外の全身黒装束で、腰にクナイと小刀をたずさえる様子は、忍者と比喩する他ない。
闇妖精の忍者は、僕とキリト、そしてリーファを交互に見てからボソリと一言。
「……殺す」
「待ってムッツリーニ。久々に再会した友人に、その挨拶は無いと思うんだ」
「……
「いったい何が大丈夫なのか、僕にはてんで分からないよ」
殺意が高すぎる忍者を尻目に、次なる来訪者を見やる。
美丈夫だった。整った顔立ちと、美しさと勇壮さを兼ね合わせた切れ目は、それだけで人を射殺せそうなほど。肩を越す長い緑髪は、臙脂の紐で無造作に束ねられている。浅葱色の着物を仕立てられ、腰に二本の長刀をぶら下げる姿は、流浪の侍を連想させた。
流麗な風妖精族の侍は、甘い笑顔で僕を見る。
「これはまた、随分と愛らしい姿になったものだのう、ライトよ」
「秀吉……だよね?」
「相違無い。しかしまた、猫耳とは……」
秀吉の熱視線が僕の頭上に刺さる。好きなのだろうか、猫。
「触ってみる?」
「よいのか!? い、いや! やめておく!」
「え? 遠慮しなくてもいいのに」
「手出しせぬとも。武士たるものが猫耳なぞにうつつを抜かせん!」
どうやら、姿形が変わったことで役者魂に火がついたみたいだ。イケメン浪人を演じ切ろうと必死である。
秀吉におあずけしているみたいで忍びない。なんとか説得を試みようと思い立つも、良い案が浮かばない。
そうこうしている間にも、プレイヤー達は次々と僕らの周りに降り立ってきた。
その中の1人、小柄で小麦色の肌をした猫妖精族の女の子が、僕と秀吉に近づいてきた。
「猫耳好きなお侍さんがいても良いと思います! むしろ、ギャップが可愛いんじゃないでしょうか!?」
女の子はずいずいと秀吉に詰め寄った。ただならぬ気迫に、秀吉はたじろく。
「しかしのう、シリカよ……」
「え? シリカちゃん!? 久しぶり!」
「あ、すみませんライトさん! ご挨拶遅れました! ケットシー仲間ですね!」
SAOでの印象とそう違わない、屈託無い笑顔でシリカちゃんは笑いかけてくれた。かわいい。
ここにきて、鈍感な僕でもやっと妖精軍団の背景が分かった。つまり彼らはSAO
この時間、この場所に顔見知りばかりが集まったということは、僕たちの手助けをしてくれるということなのだろう。
それからも続々と、2年間をともに戦った仲間たちが馳せ参じてくれた。エギルにクライン、ボルト、月夜の黒猫団やレジェンドブレイブス。出来上がったのは、総勢54名の大部隊だった。
1人1人と挨拶をしていきたいのはやまやまなのだが、状況が状況なだけに自重する。皆んなもそれを理解してくれているようで、過分な会話もせず、次なる指示に耳を傾けてくれている。積もる話もあるだろうに、本当にありがたい……。
きっと集めてくれたのはユウだ。重い腰を一度上げれば、とことんまでやる男だということを、僕は嫌というほど知っている。
サラマンダーとなった悪友の顔を眺めながめていると、感謝の念が芽生えた。
左隣でキリトと情報交換をしている、我らがリーダーに声をかける。
「ねえ、ユウ。みんなユウが集めてくれたんだよね」
「ああ。菊岡さんに手伝ってもらったけどな」
菊岡さん? ああ、生還者達に会って回ってる役人さんか。姉さんが追い返しちゃったから、僕は会ってないんだけど。
考えてみれば、そりゃそうか。みんなの連絡先を、ユウが直接知っているわけじゃないもんね。
改めて、ユウが集めてくれた面々を見回す。三々五々と集うプレイヤー達には、揺らめくような熱気が伴っていた。死地を潜った勇者達には、一線を画す自信を感じる。
紛うことなき歴戦の猛者達だ。彼らが協力してくれたのなら百人力だろう。だからこそ、みんなを束ねたユウの活躍が際立つというもの。お役所を動かして個人情報を引き出すなんて大変そうなことを、よく実行してくれたものだ。
「けど、よく役人さんが手伝ってくれたよね」
「ああ。まだ目覚めていないSAOプレイヤーが結構いるだろ? その事件をあっちも追ってるらしい。真相に近づく一助になるのなら、と手を貸してくれたんだ」
「なるほどねぇ……ところで、なんでみんな結構レアリティの高そうな装備してるの?」
「そりゃ買ったからだろ」
「買った? コル……じゃなくて、あれ。えーっと……」
「ユルドか?」
「そう! そのお金を稼ぐ暇なかったくない?」
「お前、SAOから資金の引き継ぎできてなかったのか?」
「あ」
その手があったかぁ~~~!
そういえば、メニューを開いたとき、えらく莫大な数字があるなー、とか思っていたけど、あれが引き継ぎしたお金だったらしい。
優子のもとに早く着くことに精一杯になって、気がついていなかった。初期装備のままなんだけど……。バカか? バカだった。
「バカの顔してるな」
「どんな顔だよ!」
そのとき、馬鹿話をする僕の脇腹に、爪楊枝で押されたような感覚があった。目を向けると、ユイちゃんが小突いていた。
妖精になったユイちゃんの、物言わぬ瞳を見て、肝心なことを思い出す。
「そうだ! アレックスってこの中にいる?」
「……アレックス? そりゃ誰だ?」
……っ。
ああ、クソ。予想はしてたけど、改めて突きつけられるとしんどいなぁ……。
ユウの記憶にも無いとなると、これでほぼ確定だ。やっぱりみんな、アレックスのことは覚えていないのだろう。一体誰が、どんな目的で記憶の消去を行なったのか。そして、なぜ僕だけ中途半端にしか消されなかったのか。
どうせなら全部消してくれれば良かったのに、なんて魔がさしたことを思う。記憶はないくせに、彼女に抱いた感情だけが、心の中で燻っている。大切な人だったのだろう。
親愛の情が、空っぽの心を串刺しにする。
けれど、いくら記憶を探ろうと、なにも思い出せやしないのだ。
分からないことが多過ぎて、容量の小さい頭がパンクしてしまう。
僕の左肩にちょこんと座ったユイちゃんは、目を伏せて首を横に振った。打つ手無しか……。
ユイちゃんがいなければ、もうとっくにアレックスの記憶を勘違いだと切り捨てていたはずだ。あやふやな記憶の上に立つ僕にとって、肩に座る妖精少女は命綱そのものだった。
「ありがと、ユイちゃん」
「ほえ? いきなりどうしたんですか、ライトさん?」
「いや、ユイちゃんがいなかったら、僕はアレックスのことを妄想か何かと思ってたと思うんだ。だから、なんていうか……うまく言えないけど、ありがとう」
たどたどしい僕の語りに、ユイちゃんは真摯な様子で聞き入ってくれた。
小さな目を閉じて何かを考え出したかと思うと、ユイちゃんは小声で捲し立てた。
「ライトさんは『ライトキューブ』に接触を……いえ、それだけでは足りません……。だとするとアレックスさんが呼んだのでしょうか? それほどの権限を?」
「ユイちゃん……?」
「ああ! ごめんなさい! ライトさんに確認をしたいのですが……いえ、記憶がないのなら……」
ユイちゃんは何を言っているんだろう?
さきほどから羅列する単語は、ほとんどが意味不明だ。僕に何かを確認したいけど、僕の記憶が無いから意味が無いってことかな?
「ダメ元でも話してみてよ。もしかしたら何か思い出すかもしれないし」
「そう……ですね。ではライトさん。大きな光る立方体に見覚えはありますか?」
「うーん……無いね!」
「ですよねー……」
やっぱりどうにもならなかった。
光る立方体? それがなんだというのだろう。それと僕の記憶とアレックスに、なにか関係があるのか?
理解と対極にある僕の思考を遮ったのは、またもや大量の羽音が織りなす不協和音だった。今度はなんだと北西の空を見上げると、紫を基調とした極彩色の軍団が見て取れた。
その中にはケビンやサマンサの姿があった。まず間違いなく味方だろう。
僕を視認するや否や、ケビンは一気に速度を上げて、僕の身体スレスレに着地した。
「おっす! ライト!」
ケビンが右手を掲げるので、ハイタッチしながら笑いかける。
「ケビン! 来てくれたんだね。ありがとう! それはそうと、よくここまでプーカの人集められたね」
ケビンの背後に続々と降り立つ奇々怪々な個性派集団を目にして、まず感謝が先に立った。
ケビンは僕の肩をバンバン叩いてニカッと笑う。
「そりゃ集まるって! 音楽妖精なんてロマンチストばっかだぜ? 英雄譚を特等席で見物できるとなっちゃ、誰も彼もがこぞってたかるさ!」
ケビンは大仰に両手を開く。
このギタリストこそ誰よりロマンチストだな、なんてほおを綻ばせていたのも束の間。爆音と打楽器が、僕の背中に張り手を打った。
振り向いた先にいたボディービルダーのようなティンパニストは、半月みたくニッカリ笑って太鼓を鳴らす。
「テンション上がってきだぜぇ! マレット振る手も昂ぶるってもんよ!」
「あ! ずるーい! 私も引いちゃお!」
「じゃあ……僕も……」
「オレもオレも!」
あっという間にカルテットの出来上がりだ。
即興などとはにわかに信じがたい和音が、世界樹の広場を鷲掴む。
楽曲は軍歌のようだった。地響きのように迫り上がる音は、緊張に固まっていた心胆を叩き上げるほど鮮烈だった。
ステータスバーの下には攻撃力アップのバフマークが光る。確かに攻撃力が上がりそうな曲調だ。急造でもバフがつくのは、システムが曲の雰囲気を把握しているということなのだろうか。
飛び交うを音に揺さぶられながら、となりのケビンに耳打ちする。
「すごいね。プーカはいつもこんな感じなの?」
「おう! みんな単純に演奏が好きなんだ。プーカ領はいつだってお祭り騒ぎさ!」
ケビンは胸を張って言う。それは彼自身も例外ではないらしい。セッションにノリながら、制動の効かない手を背中のギター(のようなもの)に伸ばした。
見れば音楽妖精の一人残らずが、餌を待つ子犬のような表情で、各々の『相棒』に手をかけていた。
今から大合奏が始まる予感。それはそれで楽しそうなのだが、今は1秒でも時間が惜しい。
やめて欲しいのはやまやまだが、どうやら押し寄せる波を止めることはできなさそうだ。
まあいっか。バフもかかるし。
楽観的思考のまま迎え入れようとしていた合奏。それは唐突に断ち切られた。
2度の拍手と
「────静粛に」
鋭い静止の命令によって。
声は高く、細く、だけども鋭く。優雅と威厳を同居させたのなら、なるほどこんな声にもなるだろう。
集団から僕に向かって踏み出してきたのは、初老の男性型音楽妖精だった。
その出で立ちは異質が凝り固まったようだった。紫のスーツ。紳士的な立ち振る舞い。それらを裏切るような、大きな目隠しが、顔の半分を覆っている。腰より長い銀髪は毛先を束ねられ、ひょうたんの形をしていた。
奇抜な服飾は美しく調和され、男性に芸術的なまでの気品をもたらしていた。
和やかだったプーカたちが一斉に押し黙り、公演前のような緊張感が場を支配する。
誰もが磔にされた寂寂の中、目隠しスーツの男性だけが悠然と歩を進める。
僕と相対し、一言。
「君が、この楽団の指揮者だね?」
「は?」
楽団? 指揮者? 何を言っているんだ、この人は。
「い、いやいや! 僕は指揮者なんかじゃないですよ!?」
「いいや、君は指揮者だとも」
力強く肯定されてしまった。どうやら僕は指揮者らしい。
目隠しおじさんは胸の前で拳を握りしめると、ワントーン高い声で朗らかに言った。
「そも、指揮者とは? それは先を照らす者だ。先を走る者だ。君は先を走った。君の胸の火で先を照らした。そんな君に、ここにいる皆はついてきたのだ。なら、君は指揮者に相違あるまい?」
「は、はあ」
ちょっと何言ってるか分からない。
戸惑う僕と指揮者おじさんの間を割ってケビンが入ってきた。
「ハンスさん! そういう言葉使いやめましょ? 普通に伝わりませんから!」
「む……しかしだなケビン。やめてしまえば、それは虚飾になってしまう。虚飾は靄となり、いつかぼくのタクトを曇らせる。それを許せるか? 否だ。断じて否だ。だからこそぼくは、常にぼくの言語野をフィルター無く音声化するのだよ」
「じゃあせめて比喩を減らしましょう! ライトが困ってますから!」
ケビンが常識人に見える……!
言動を改める気はさらさらないらしいハンスさんは、ケビンを押しのけて僕に軽く頭を下げた。
「すまない。申し遅れたね。ぼくの名はハンス。『ハンス・フォン・ビューロー』だ。音楽妖精領の領主をしている。そこなケビンと同様、ハンスさんとでも呼んでくれたまえ。もちろん呼び捨てでも構わないよ。呼び名に美しい音が伴っていればなお良いね」
「ぼ、僕はライトです! よろしくお願いします!」
反射的に名乗り返してから気づく。
え……領主? めっちゃ偉い人じゃないか。
目隠し指揮者おじさんとか声に出さなくて良かった。
というか領主がこんな場所にきて大丈夫? 奇襲されたりしたら大事件だよ?
領主が他種属に倒されると、領地だったり予算だったりが剥奪されるんじゃなかったっけ。
目隠ししたままに僕の心配を感じ取ったのか、ハンスさんは朗々と語る。
「ぼくの心配をしてくれているのかい? 暗殺されれば領地が取られるんじゃないかって?」
「え!? どうして分かったんですか!?」
「わかるとも。君の息が語っていた。憂慮の音色だったのさ」
やっぱりこの人、何言ってるかわからない……。
「それにね、心配には及ばないよ。そもそもぼくらは根無し草だ。どこでだって楽器を奏でられればそれでいい」
「な、なるほど……ですけど、予算も何割か取られるんですよね?」
「それも心配ご無用だ。プーカ領の金庫には1ユルドたりとも入っていないのだから!」
自信満々にハンスさんは言ってのける。それって領地として成り立ってるのだろうか?
「ぼくのモットーは『金は楽器のためにある』だ。蓄えたところで意味は無い。それに領民からは税金を一銭も取っていない。ぼくが死んだところで、失うものは微々たるものさ。
ま、それはそれとして殺されて良いって話にはならないよ?」
「うん……まあ良い気はしないですよね」
「そうなんだよ! 肉を切られるときの、身体の中に響く音が大嫌いなんだ!」
ハンスさんは『わかってるぅ~』とでも言いたげに僕の背中をバンバン叩いた。音が嫌いなんてつもりで言ったんじゃないんだけども。
僕にはお構い無しで、目隠し指揮者は満足げにうなずく。
「さあて! うら若き指揮者よ! 君の裡なる炎を見せておくれ!」
「うちなるほのお?」
「ああー……つまりな、ライト。ハンスさんはこう言いたいんだよ。さっさとおっぱじめようぜ、ってな!」
ケビンの補足でようやく理解が追いつく。
なるほど。言ってることはよくわからないが、アツい人だってことはわかる
ならばその期待に応えねば。
「ええ! 行きましょう! ここにいるみんなで!」
ケビンとハンスさんは鷹揚に首肯する。
「さあてケビン。打ち合わせだ。今日の構成だが……」
さきほどのような即興ではなく、本番では決められた曲を使うのだろう。綿密な打ち合わせを語り込みながら、ケビンとハンスさんはプーカの集団へと去っていった。
2人と入れ替わりになるように、キリトが僕の横にまで歩いてきた。
「落ち着いてるんだな」
「そう見える?」
「ああ。俺なんて、さっきライトが来る前に取り乱して、高度制限にまで飛んでって頭ブツけたんだぜ?」
キリトは恥ずかしげに頬をかく。
たしかに、僕の反応は周囲からは淡白に見えてしまうかもしれない。恋人が命の危機に瀕しているかもしれないのに、自分でも呑気なものだと思う。少なくとも、キリトみたいにキレて周りが見えなくなるようなことはない。
その理由は、自分できちんと分かってる。
「信頼してるからだよ」
「へ?」
「ああ! 違うよ!? キリトがアスナのこと信頼してないって言うんじゃないんだ!
なんていうかさ……優子が仮に囚われのお姫様だとして、彼女なら自分で檻を突き破りそうっていうか……」
なんなら、自分だけで魔王を倒して、間に合わなかった僕に『あら、遅かったじゃない』とまで宣いそうだ。
まあそんなわけで、僕は優子の屈強さを全面的に信頼しているのだ。
キリトは病気の犬でも見るような顔で、曖昧な笑顔を浮かべていた。なにかおかしなことを言っただろうか。
さて、無駄話もこのくらいにして、とっとと開戦といこう。
世界樹の根元に堆く立つ扉の前に仁王立ちとなり、僕は数十のプレイヤー達を見渡した。
やっぱり士気を上げるには、代表の演説がなきゃ始まらないよね!
世界樹に備え付けられた大門の、両脇にそびえる二体の巨像。騎士然とした石膏像は広場より数段高く設置されていて、その間に陣取ると、色とりどりの仲間たちを一望できた。
気持ちが昂ぶる。
ハンスさんにおだてられて鼻の高くなった僕は、柄にもないことを恥ずかしげもなくしてしまうのであった。
「えーっと、みんな! ちょっと聞いてね!」
僕の声に、みんなが一斉に振り向く。ちょっと気持ちいい。
「今から始めるグランドクエストなんだけど、すっごく難しいらしいんだ。だからまあ、失敗してもしょーがないやって気持ちでぶら!?」
言いかけたところで顔面にハイキックが飛んできた。ブサイク火竜妖精の仕業である。
「バカかお前は。バカだったな」
「人の演説中になにするんだよ!」
「そんなもんは演説って言わねえよ。代われバカ」
バカを連呼しながら、ユウは僕の場所と取って代わる。何様だ。
まあいい。リーダー様のお手並み拝見といこうじゃないかっ!
ユウは最大限の呼気で胸を膨らませ、鷹の如き視線でSAO生還者達を睨めつける。
「問おう。俺たちは、SAOをクリアしたか?」
質問の意図が分からない。
僕らはあのデスゲームをクリアした。だから今ここにいる。
生還者たちが恐る恐る、不揃いに首を縦にふった。
瞬間。
「そんなわけねえだろうが!!」
怒髪天を衝くとはこのことか。
物理ダメージを発生させそうなほどの爆音で、ユウは怒りに任せた否定を放った。
緊張が走り、静寂が濃くなる。
残響が遠ざかり、一切の音が立ち消えた広場で、ユウが訥々と語り出す。
「RPGってのは魔王を倒して終わりか? そうじゃねえだろ。エンドロールは囚われの姫を救ったときに流れ出すんだ」
ユウは視線をプレイヤー達から外し、真上へと向けた。つられて僕らも上を見る。
視界を覆うのは深く繁る世界樹のみ。姫を囚う神域の鳥籠だ。
この木の上に優子が、アスナが、そして未だ帰らぬ多くの仲間たちがいるのだという事実が、まざまざと突きつけられる。
世界樹の広場に集った元SAOプレイヤーの誰もが、ひとつの共通認識を抱いたその瞬間に、ユウの次なる言説が炸裂した。
「この闘いがSAOのラストバトルだ。俺たちの2年間のオーラスだ。存分に楽しんで、きっちり全クリしてやろうじゃねえか!!」
『おおおおおおおッッ!!』
広場は沸き立つ。
SAO生還者のみならず、ノリの良い音楽妖精達も一緒くたに鬨の声を上げる。
渾然一体となったまま、熱気だけを残してプレイヤー達の叫び声が落ち着き始めたとき、ユウは大剣を抜き放ちながら短く告げた。
「さあ、開戦だ!」
数百の妖精たちは、一斉に前を向く。見つめるのはただ一点、世界樹の大扉。
歴史に姿を与えたような威厳を持つ白亜の門へ、僕らは毅然と踏み出した。
次回予告!!
原作より少し遅れているレコン。彼は戦いに間に合うことができるのか!?
次回「レコン死す!」デュエルスタンバイ!