魔法少女 リリカルなのはStS,EX 作:ラナ・テスタメント
秋空の下。ゆるりと吹く風の中で、銀髪の少女と見まごう女性が丘の上で歌っていた。
目を閉じて、胸に手を当てて。風を感じながら、風を楽奏にしながら、彼女は歌い続ける。優しく、切なく、歌い続ける。
眼下に見えるはお墓。そこには彼女の親友と、そして彼女が生涯ただ一人愛したヒトが眠っている。
だが、彼女は墓参りをしない。ただ、歌い続けるだけである。
生前、彼が好きだったこの歌を、彼がよく口ずさんでいたこの歌を、月に一度、ここで歌う事が彼女にとって当たり前となっていた。そして最後まで歌い終わると、彼女――神庭アサギは、頬を撫でて行く風に歌の余韻を感じながら、そっと目を開けた。目に映るのは、眼下に広がる墓地では無い。雲がたなびく、青空であった。暫く、そうやってジっとして。やがて、いつもの微笑を浮かべて後ろを振り向いた。
今の今まで、ずっとただ一人、自分の歌を聞いていた観客へと。
「どうだったかな? イクス君?」
ニッコリと笑いながら、その”人物”に問い掛けた。
彼女の息子たる神庭シオンが融合騎剣、イクスカリバー、略称イクスは、その問いに頷く。
【いい歌だった。奴の好きな歌だったな】
「……うん♪」
はにかみながら笑う。それを見て、イクスは眩しそうに目を細めて苦笑する。笑いを顔に張り付けたまま立ち上がった。
【久しぶりに聞けて良かった。これで、心置き無く行ける】
笑いながら告げる言葉に、今度はアサギの顔が曇る。イクスが困ったように再度苦笑した。
「どうしても、行っちゃうの?」
【……ああ】
簡潔な一言と共に頷く。そして、アサギの顔を見ないように空に視線を向けた。
感傷では無い。
のどかな昼前の秋空は、気持ちのいい静寂を奏でる。
……感傷では、無い。
でも、泣きたくなった。
だから、その前に続ける。
【シオンは刀を抜いた。そして決意したんだ。今のあいつならば、十二分に資格がある。俺の真なるマスターになり得る、資格が】
だから――笑いながら、イクスは続ける。アサギの顔を見ないようにしながら。
【……だから、俺はイクスと言う仮の名を捨てよう】
何処までも、その言葉が響いて行く。それが意味する事は、たった一つであった。それをアサギは知っている。あるいは、前マスターであったタカトも。
アサギは少しだけ俯くと、一つ頷いて、顔を上げる。イクスを真っ直ぐに見据えた。
「シオン君に、課すの? あの、”試練”を」
【……ああ。その為に、トウヤに頼み込んだのだから。あいつのEU行きをな】
イクスは笑いながら、頷く。アサギは一つだけ息を吐くと、笑った。それは、彼女にしては珍しい苦笑と言う名の笑いであった。
「……そっか」
【ああ、そうだ】
イクスもまた頷く。二人の間に風が走り抜け、暫く二人はそのまま佇んだ。やがてイクスは踵を返すと、彼女に背を向けて歩き出した。
【ではな、アサギ。次会えるかどうかは分からないが――その時を楽しみにしていてくれ】
「うん……待ってるよ。あなたにまた会える日を」
イクスは笑い。ゆっくりと歩いて、その場を去って行った。アサギはその背が見えなくなるまで見送り、さてと墓参りに来ている筈のシオンと合流しようと、眼下に視線を向けて。
「え?」
これまた珍しく、唖然としてしまった。アサギが見る先、そこに信じられ無い人物が居たから。
それは二年前から姿をくらまし、ずっとずっと、自分に会おうとしなかったヒトだったから。
呆然とするアサギは、そのままぽつりと名を呼ぶ。”彼”によく似た容姿の”息子”の名を。
「タカト、君……?」
呆然と告げられた人物。伊織タカトがアサギの見る先に居た。
シオンと真っ直ぐに対峙しながら、そこに。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
歌が響く中で、シオンはその人物を呆然と見ていた。こちらに気付いていないかのように、全く視線を寄越さず、声も掛けて来ない、人物を。
……伊織タカトを、ただ見ていた。隣のみもりも、呆然と見ている。
なんで? そんな疑問が頭を過ぎる。だが、そんなものは考えるまでも無かった。
墓参りに来たのだ。恐らくは。
だが、その事実が酷くシオンには信じられなかった。
なんで? もう一度、己の中で問う。だが、答えは当然出ない。誰もが身動きしないままに、歌は流れ続け。
「シオン――――!」
どのくらい経ったか、いきなり響いた大音声に場の硬直が解けた。……正確には、たった一人だけ、みもりの硬直が。
シオンは相変わらず、タカトを見続け。彼は墓から一切視線を動かさない。みもりは、あたふたと背後に振り返る。
そこには、こちらに駆けて来る彼女達。スバル・ナカジマやティアナ・ランスター、彼女達を始めとしたアースラ一同が向かって来ていた。
みもりは彼女達を見て、隣のシオンに視線を移す。シオンは振り向きもしない。ただ、前を見続ける。
やがて、スバルが最初にシオンの元に到着した。
「もーシオン、何処行ったかと思った……」
「どうしたの? スバ――」
台詞の途中でスバルが硬直し、次に到着したティアナも続けて硬直する。
エリオ、キャロ、N2Rの面々、そして隊長陣と、シオンの元に来るなり次々に固まっていく。
正確には、その視線の先に居るタカトを見て。
最後に高町なのはが到着するなり、ぽつりと呟いた。
「タカ、ト、君……?」
その声は、静かな墓地において大きく響く。
だが、タカトは全く振り向かない。振り返る事をしない。真っ直ぐに。
ただひたすらに、ひたむきに、真っ直ぐに、墓を見続けた。父の墓を。
水を掛けたりしない。
お供え物もしない。
手も合わせない。
ただ、見つめるだけ。
秋風に揺られながら、それだけをタカトはずっと続けて。
やがてゆっくりと立ち上がる。そして視線だけをこちらへ寄越した。
「……お前達か。また大層な人数だな」
「あ、えっと……シオン君が朝から見えなくて、トウヤさんに聞いたら、ここだって言われたから――」
なのはがしどろもどろに答える。だがタカトは彼女に視線を合わせる事をしなかった。シオンただ一人に、視線を合わせ続ける。彼も受けてたつように目を逸らさない。沈黙の時間だけが過ぎて。
「タカ兄ぃ」
やがて、シオンがぽつりと呼び掛けると、一歩を踏み出して歩き出した。タカトはそれを見ながら頷く。
「なんだ?」
「聞きたい事があるんだ」
歩く、歩く――ゆっくりと二人の距離が狭まる。同時に、場に緊張が満ち始めた。シオンもタカトも構わず続ける。
「タカ兄ぃは、紫苑の事を知っていたのか?」
「それがドッペルゲンガーの事を指しているならば、答えは是だ」
頷く。シオンは、歩きながら続ける。場の緊張が二人の距離に比例するかのように高まっていく。
「ならこの間の、秋尊学園での戦いも?」
「ああ、近くで見ていた」
その答えに、スバル達は仰天しそうになった。タカトが近くに居たなぞ、全く気付かなかったのだ。果たして、何処に居たと言うのか。
タカトもシオンも周囲に構わ無い。ただ、その距離が狭まり、三mを切った。最後の問いを、シオンは告げる――。
「なら、”みもりが掠われた時も、見ていたのか?”」
『『っ!?』』
その問いに、二人を除く全員が目を見開いた。まるで予期していなかった問いだったのである。だが、タカトは全く顔色を変えない。変えないままで、口を開いた。
「ああ、”見ていた”」
――堪忍袋の緒をぶち切った。
−ブレイド・オン!−
−閃!−
響くは鍵となる言葉。同時に、右手から生えた刀をシオンは横薙に振るう! ――だが、タカトは少しも動かなかった。ぴくりともしないままに、刀は吸い込まれるように首へとひた走って。その首に触れる直前に止まった。
凄まじい形相で自分を睨むシオンを、タカトは涼しい顔で見る。
時が凍り付いたように二人は硬直して、シオンは怒りを一息に込めて吐き出した。睨んだままに叫ぶ。
「なんで……! なんでみもりを巻き込ませた!?」
「俺が助ける必要性を感じ無かったのでな」
「っ……!」
刀が震える。押し込めた怒りが、再び表面化しそうだったからだ。タカトは、それに構わず告げる。
「勘違いするな、シオン。”あれ”は”お前”のミスだ。みもりを掠われた、お前のな」
「ンなもんは分かってるんだよ……!」
誰が、勘違いなんかするか……!
胸中だけで、シオンはそう叫ぶ。みもりを巻き込んだのも、掠われたのも、全部自分のせい。そんな事は、とうに分かっている。
だからと言って、”それ”を黙って見ていたなんて言われて! ……納得出来る筈が無い。
「黙って見ている必要なんか無かっただろ……!? あんたが助ければ、みもりを巻き込むような事はせずに済んだ!」
「逆に言えば、それでお前は一つ過去を乗り越える事が出来た」
タカトはあくまでも淡々と答える。
至近で、刀を向け、刀を向けられながら、二人は互いを見続けた。
ぎりっと刀を握る手に力が篭る。タカトを睨む視線が、嫌が応にもきつくなって行く。そして。
「そこまでにしておきたまえ」
−閃−
響く声と共に、シオンとタカトが睨む中間点に”槍”が突き刺さる!
二人の殺気めいた緊張が、まるで槍に吸い込まれるように霧散した。
二人は、そして場に飲まれていた一同は、ゆっくりと声が響いた方向に振り向く。
「やれやれ……父上の墓の前で、お前達は何をやっているのだね?」
そこにはピナカを投げ放った姿勢で、ユウオを伴った礼服姿の彼が居た。
叶トウヤ。神庭家の異母長兄が。
昼前の墓地。静かな静かな、この場所で。異母兄弟達は、久しぶりに顔を合わせる事となった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『『兄者/トウヤ兄ぃ』』
二人の弟から全く違う言葉を持って、しかし同じ意味の呼び名で彼は呼ばれる。トウヤは一つだけ肩を竦めると、苦笑しながら二人に歩み寄った。
そして迷う事無く、二人の頭頂にげんこつを落とす。……いかな威力がそれに込められていたか、タカトは顔を僅かばかりに歪め、シオンは打ち据えられた頭を抱えてしゃがみ込む。そんな二人へと、彼はこれ見よがしに嘆息して見せた。
「墓前で喧嘩をするとはどう言う積もりだね? 阿保共め。……父上の墓前では一切の喧嘩をせぬ事と決めてあっただろうに」
「う……」
「む……」
シオンとタカトが同時に呻く。トウヤはそのまま説教へと移行する。指をぴんっと立てた。
「大体だね。お前達がいろいろしてくれたお陰で、『暴走弟損害弁済費』なんぞが組まれたりしたのだよ? こんな所で喧嘩なぞして、また私の財布を軽くする積もりかね、お前達は。墓を壊したりしたらどうする積もりだ――」
「兄者兄者」
「トウヤ兄ぃトウヤ兄ぃ」
二人に対して長々と説教が続けられようとして、だが当の二人から呼び掛けられて遮られた。トウヤは眉を寄せる。
「なんだね? 言い訳でもあるのかね? あっても聞く積もりは無いよ?」
『『これこれ』』
そんなトウヤに二人はびしっと指を父の墓に差し向ける。”ピナカが突き刺さった墓”に。
二人を止めんと放たれたピナカは、見事に墓のド真ん中に突き立っていたのであった。それを視認するなり、トウヤが固まる。
一秒二秒、と呼吸すらも忘れたかのように硬直して。
「誰だね!? 父上の墓にこんなモノを突き刺したのは!?」
『『あんただ! あんたぁ――――!』』
そんな事をのたもい出したトウヤに一斉にツッコミが入った。タカトも呆れたように額を押さえる。
だがトウヤはそんな一同からのツッコミに、えへんと胸を張ってのけた。
「ふ……! 甘いね君達。確かにこれは私のピナカだが、私が投げた証拠でもあるのかね!?」
「いや、それがあんたのだって時点でアウトだろ」
「無い筈だ!」
シオンの半眼でのツッコミも問答無用に無視する。更に続けて高々と演説(?)を続けた。
「私が投げた現場も誰も見てはいまい! つまり、私は無実!」
「言い切ったなぁ」
一同の後方、八神はやてが苦笑しながら呟く。ある意味感心に値する程の言い切りっぷりであった。興が乗って来たのか、固く拳を握りしめてトウヤは締め括り入る。
「さぁ! 私がやったと言う証拠があるならば言って見るがいい……! だが、証拠が無く私を責める事なぞ出来無いと思いたまえ!」
「うん。でもトウヤ。ボク、後ろで全部見てたから。トウヤが投げる瞬間も、ピナカがお墓に突き刺さる瞬間も」
そんな風に熱く弁舌を奮うトウヤの肩に、ポンっと手を置いてユウオがニッコリと笑いながら告げる。
……場が再び固まった。
ひゅるりーと風が吹いて、一同も含めトウヤは再び硬直し。やがて、ふっと空を見上げた。
感傷では、ない。
雲がたなびく青空は気持ちのいい風が吹いている。……何故か、からすの『かぁー』と鳴く声が間抜けに響いた。
……感傷では、ない。
でも、泣きたくなった。
だから、トウヤはそのまま続けた。
「……認めたく無いものだね。若さ故の過ちと言うものは」
−撃!−
有名過ぎる名台詞を堂々と吐く馬鹿野郎に、ユウオの腰の入った綺麗な一撃が鳩尾へと叩き込まれた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「さ、さて……では……」
ユウオの鉄拳。もとい、愛の鞭でズタボロになった感があるトウヤが、汗ジトになった弟達に並ぶ。一同は若干コケた肩のままに、そんなトウヤに憐憫の目を向けた。
「兄者? 無理はせぬ方が」
「そ、そうそう。もう、何かいっぱいいっぱいっぽいし」
「まぁ、いかにも崩れ落ちそうだがね。フフ……ユウオの愛はいつも過激だよ。どうだ? うらやましいだろう?」
『『いや、全然』』
異口同音に、兄弟達だけでは無くアースラ一同も一緒に告げた。だが、そんな彼達に構わずトウヤはしゃきっと背筋を伸ばす。それだけで汚れた筈の礼服も綺麗に見えるから不思議である。
ともあれ、そうやってしゃんとしたトウヤを見て、シオンは盛大にため息を一つ吐いた。刀の切っ先を右手の掌に突き入れ――そのまま、刀が埋没していく。やがて鍔まで進むと『キンっ』と納刀し切った音が響いて、刀は消えた。タカトをじろりと睨む。
「タカ兄ぃ」
「……皆まで言うな。分かっている」
結局の所、そうなのだ。シオンは謝って欲しいだけなのである。
自分にではない、もう一人に向かって。
タカトはくるりとみもりに向き直る。そして、頭を下げた。
「……済まなかったな、みもり」
「え、え?」
突然、謝られてみもりは目を白黒させる。だが、タカトは続けた。
「いざと言う時は助ける積もりではあったが。……それまで、お前を利用した。済まない」
「あ……」
漸く得心したようにみもりが声を漏らした。タカトがずっと見ていたと言う事は、つまりみもりを助ける事はいつでも出来たと言う事である。それをあえてせずにいたのは、シオンに過去を乗り切らせるキッカケとして、みもりを利用したと言う事であった。
一同も、同じく納得する。同時にもう一つ、みもりとスバル、ティアナ達は気付いた。
あの時、紫苑と、そして過去の自分へと想いをぶち撒けて泣き続けていたシオンの元に、みもりが現れた理由に。あれは、タカトが原因だったのだ。
恐らく縮地あたりでみもりを運んだのか。道理でいきなり姿が消えた筈である。近くに居たアサギやイクスすらも欺いてみせたのだから大した物であった。
納得すると、謝ったままでいるタカトをみもりは見て。
「……はい」
ただ大人しく頷いた。いくら利用した等と言われても、みもりはタカトを恨む積もりは毛頭ない。
そのおかげで自分の気持ちを、シオンに伝える事が出来たのだから。
今までずっと。そして、あの一件が無い限りは伝える事が出来なかったであろう自分の気持ちを。だから、ただ頷く。
タカトはそれを聞いて、ゆっくりと頭を上げた。横のシオンを見る。彼は半眼で、そんなタカトを見ていた。嘆息しながら、みもりに視線を移す。
「……いいのか?」
「はい」
みもりは即答。すぐに頷く。シオンは暫くそんなみもりを見遣って、やがてもう一度ため息を吐いた。
「みもりがいいなら、俺から言う事は無いよ。でも」
すっとタカトを静かに、真っ直ぐ見据える。一瞬、先と同様の殺気めいた威圧を出した。
「次は、許さない」
そう、言い放った。タカトに対して、真っ直ぐに。そんなシオンに、タカトは目を細め、口の端を僅かに歪めた。笑ったのである。ほんの少しだけ。
しかし、すぐにまた元の無愛想な顔に戻る――戻りがてら、頷いた。
「その言葉、覚えておこう」
そう言うと、タカトは僅かに後ろに下がる。そのまま、目はトウヤに向いた。
「兄者。墓参り、するのだろう?」
「そうだね。では……」
頷き、トウヤはしゃがみ込む。シオンもそれに倣い、隣にしゃがみ込んだ。タカトは、立ったままである。ただ、二人の横で父の墓を見るだけ。
そんな三人を見て、一同はふと気付く。普通ならば違和感しか無い筈の、敵、味方に別れた三人が並ぶ姿が、ひどく自然に見えたのだ。今の今まで気付かなかった程である。
異母兄弟達三人が並んでいるのが、ごく当たり前に思えてしまったのだ。だが、これが本来の姿なのである。三兄弟が、並ぶ姿が。
五分程、シオンとトウヤは手を合わせて、立ち上がる。トウヤがそのまま笑顔を浮かべて、後方に居る皆に目を向けた。
「よかったら、君達もどうかね?」
「え? いや、でもな――」
思わぬ提案に、はやてが若干うろたえる。だがトウヤは微笑して場所を開けた。
「……いいのだよ。父上も喜ぶ。出来たら、線香をあげてやって欲しいね」
そう言うトウヤに一同は少しだけ逡巡を見せて、すぐに頷いた。
「……はい」
そして一人一人、墓の前にしゃがみ込む。それを見ながら、タカトは踵を返そうとして。
「タカト」
いきなり振り向かないままにトウヤに呼び掛けられた。タカトの動きが止まる。一同の視線も、自然に二人に集まった。そして
「……戻って、来ないかね?」
そう、トウヤはタカトに告げた。その言葉が何を意味するか、分からぬ者はここにはいない……そして、それが無理な事も。
シオンが目を伏せる。だが、トウヤは構わず続けた。
「お前には、何もかもを背負わせ過ぎたよ。シオンの事も、ルシアの事も……父上の事ですらも」
だから。そう、告げようとして。しかし直前に、タカトが首を横に振った。苦笑すると、少しだけ嬉しそうに笑った。
「……それも俺の望んだ事だよ、兄者。あんたには、”俺”を、そしてグノーシスを背負って貰っていた」
「弟達の事を背負うのは、長兄の役目だよ」
タカトの台詞に、トウヤはきっぱりと答える。それが、自分の役目……義務だと。だが、タカトは首を再び振る。
「……そうだな。確かに、そうかもしれない。兄は弟の事を背負うもの。その通りだよ兄者。だから」
言いながら、タカトはシオンを見る。その目に、シオンは何も言え無かった。
――言いたい事はあるのに、言葉に出来ない。そんなもどかしさを感じて顔を歪める。
タカトは一つだけ苦笑した。そんなシオンを見て、続きをトウヤに告げた。
「だから、俺は――俺”が”背負うよ。シオンの事を」
「タカト……!」
珍しく。本当に珍しく、トウヤが呻くように叫ぶ。その叫びには、切望する何かが込められていた。たが、タカトはあくまでもそれを拒絶する。
首をまた振って、今度こそは完全に背を向けた。
「……私は、お前の兄なのだよ?」
「そうだな。俺は、あんたの弟だ。でも」
――今は、敵だ。
そう告げてタカトは歩き出した。振り向かないままに。そんなタカトにシオンは追い縋ろうとして、でも出来なかった。
トウヤに手を差し出されて、遮られたから。タカトは振り向かないままに手を上げた。
「兄者。例の情報は皆に見せろよ。でないと持って来た意味が無い。ではな。兄者、シオン」
最後にそう言いながら、タカトは歩いて行った。そんな背中に、最後にトウヤは言葉を送る。たった一つだけの言葉を。
「……なら、私はお前を再び背負う覚悟を決めるよ。タカト」
その意味をシオンは分からない。分からないままに、タカトの背中を見続けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
去って行くタカトを見送るシオンとトウヤ。そんな二人を見ながら、なのはは迷う――タカトを追うべきか、どうかを。
結局の所、自分には何も話さないでタカトは去ってしまった。
それが、何故か悲しかった。そして、ちょっとだけ腹立たしかった。
でも、話しをしたいだけでタカトを追うべきなのか、なのはは迷う。
あの時――ナルガから転移して、逃避行を終えた時、言いたい事は全部言った筈だった。伝える事は、全部伝えた筈だった。
でも、だからと言って、こんな風に話しもしないと言うのに、なのはは嫌な感覚を覚えていた。
……シオン君やトウヤさんとは、いっぱい話したのに――。
その感情を何と言うか。なのはがそれに思い至る前に、トウヤがくるりと振り返る。その顔には苦笑が浮かんでいた。
「行きたまえ」
「……え?」
いきなり言われた事になのはは疑問符を浮かべる。他の皆もだ。だがトウヤは構わず告げる。
「あれと話したいのだろう? ならば追いたまえ。はっきり言って、次はこんな風に話しを出来る機会は無いだろう」
そんな風にトウヤは笑いながら告げる。少しだけ、寂しそうに。そんな顔を、なのはは何処かで見た事があった。
それは、精神世界で会ったルシアの表情に何処か似ていた――。
「早く行かねば、アレはさっさと帰ってしまうよ?」
「あ……!」
その台詞に、なのははタカトが去って行った方向に目を向ける。タカトの姿は随分と小さくなっていた。
それを見てなのはは意を決したか、トウヤにぺこりと頭を下げると、一気に駆け出した。
「あ! なのは!?」
「なのはちゃん!?」
後ろからフェイトとはやての声が響く。それに首だけ向けて、なのはは叫んだ。
「ごめんね! ちょっと行ってくる!」
後ろからまた声が飛んで来るが、なのはは構わない。そのまま、走ってタカトを追って行った。
「あ〜〜もぅ……!」
駆け出したなのはを見て、はやてが呻くような声を上げる。そしてフェイトの方に視線を送ると、頷き合い。一緒にトウヤに頭を下げた。
「あのままやったら心配やし……なのはちゃんを私達も追います!」
「すみません……!」
「構わないよ。では、また後でね」
非礼を詫びるはやて達に、トウヤは苦笑を一つ漏らして頷く。そして、はやてとフェイトもなのはを追って走って行った。それをしばし見て、シオンはトウヤに目を向ける。
「……いいの?」
「構わないさ。タカトも今日は彼女達と事を構える事もないだろうしね。それに……」
「それに?」
首を傾げてシオンはトウヤを見上げる。そんな彼に、トウヤはふっと笑いながら告げた。
「彼女なら、タカトを変えられるかも知れないのでね」
「……タカ兄ぃ、を……?」
「ああ。前のあいつなら、あそこまで私達と一緒に居る事すらしない筈だよ。あいつは変わって来ている」
自分達では変えられなかったがね。と、トウヤは続けて肩を竦める。
シオンは思わず、タカトが去って行った方向に目を向けた――そして。
「……シオン? なんかいきなり不機嫌になったけど。何で?」
「……別に」
――面白く無い。
スバルの台詞に、シオンはぶっきらぼうに答えながら。そう、思う。その感情を何と言うか――。
それは、嫉妬と呼ばれる感情であった。
結局、後から母、アサギが到着するまで、シオンはふて腐れていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
なのはは、タカトの背中を追って走る。走って、走って――彼の背中に追い付くまで、そんなには掛からなかった。すぐにたどり着く。そして。
「……お前な」
なのはがタカトに声を掛ける直前に、彼は嘆息しながら振り返った。
呆れたようになのはを見る。それに、彼女は何かを言おうとして、盛大に咳込んだ。走って追い掛けて来たので、息が切れていたのに話そうとした為である。そんななのはにタカトは苦笑した。
「……大丈夫か?」
「けほっ……けほっ……! う、うん、ちょっと、待って……!」
手を上げて待ったを掛けながら、なのはは言う。胸に手を当てて、深呼吸を一つ、二つ……そうやって息を整える。やがて落ち着くと。タカトへと向き直った。
「えとっ……。ひ、久しぶり……?」
「そこで疑問符を使うな。さほど久しぶりでも無い」
何と言ったらいいか分からないなのはに、タカトから痛烈なダメ出しが来る。思わず『あうっ』と呻いたなのはに、タカトはため息を吐いた。
「それで、わざわざ何の用だ?」
「えっと、タカト君とさっき全然お話し出来なかったから、話したいなって思って」
「……あのな」
今度はタカトが額に手を当てて呻く。半眼でなのはを見据えた。
「この間、俺はお前に『嫌いだ』ときっぱり言った筈だが? ついでに宣戦までした」
「うん」
「なのに、話しをしたくて追い掛けて来た、と?」
「うん」
こくりこくりと大人しく頷くなのはに、タカトはもう一度嘆息する。今度の嘆息は、先より長い嘆息だった。
「……お前と話しをしていると、真面目にお前を避けていた自分がアホらしく感じる」
「えっと……ダメ、だったかな?」
意図的に自分を避けていたと言うタカトに、なのはは少したじろぎながら聞く。タカトは暫く沈黙。やがて、もう一度だけ嘆息して。
「「なのは――――!/なのはちゃ――――ん!」」
答える前に別の所から声が来た。え? と、なのはが振り返ると、そこにはフェイトとはやてが居た。
「フェイトちゃん? はやてちゃん?」
「漸く追い付いた……!」
不思議そうな顔となるなのはに、フェイトが息を荒げながら呟く。そして、はやてと一緒に息を整えると、なのはに向き直った。その向こうに居るタカトにも。口を開こうとして。
「ところでお前達、誰かに恨みを買った覚えはあるか?」
『『……え?』』
いきなりそんな事を言われ、三人は顔を見合わせる。同時にタカトへと目を向けた。
「……いや、そんな覚えは無いよ。あんたやあるまいし」
「ふむ。なら、誰かに”待ち伏せ”されているならば、それは俺のせいか?」
「そうなるね」
はやての問いに、タカトは答え。フェイトが頷き――。
「「「待ち伏せ!?」」」
−軋−
三人が叫んだと同時に、空間が確かな軋みを上げるような音を立てた。三人は顔色を変える。これは―――。
「結界……!?」
「それだけやない! 全然魔力が結合せぇへん!」
ぐるりと見渡しながら叫ぶなのはに、はやても悲鳴じみた声を出す。魔力が結合しないと言う事は、つまり。
「AMF……! しかも、相当強力な……!」
フェイトが呻くようにその正体に呟いた。
アンチ・マギリング・フィールド。これについては今さら説明も要らない。魔力結合を阻害する特殊フィールドが、この結界に展開していた。それは、一つの事実を意味する。
「敵、襲……!」
「さて、どうだかな――そこに居る奴に聞いてみれば良いのでは無いか?」
「「「え?」」」
事もなげに答えるタカトに、三人は一緒に声を上げる。直後、ぽつりと呟く声が辺りに響いた。
「……”IS”。インビジブル・キャンセラー」
そんな、あまりにも聞き覚えのある単語が、一同の耳に届いたのであった。
(中編2に続く)
はい、第四十五話中編1でした。日常話、で終わらせない(笑)
次回もお楽しみにー。