魔法少女 リリカルなのはStS,EX   作:ラナ・テスタメント

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「父――親父と、兄弟で一番長く接したのは、結局の所、俺だった。兄者は、天使事件の時だけ。シオンに至っては会った事すら無い。俺は、生まれ落ちて二年程は共に居た。次の再会は、天使事件の時……俺が、その命を奪った時だった。魔法少女リリカルなのはStS,EX、はじまります」


第四十五話「墓前の再会」(前編)

 

「神、無」

 

    −撃−

 

 呟かれた一言と共に、胴の真ん中を拳で撃ち抜かれて、男は笑った。

 

 ……決まったな。

 

 そう、一人ごちる。同時に、自分の最も重要な何かが砕けた事を理解した。

 笑うその男に、拳を撃ち込んだ少年はただ呆然としている。信じられないと、その大きく見開いた瞳は語っていた。

 

「親、父……何故……? なんで!?」

「そう、叫ぶんじゃねぇよ」

 

 にっと笑い。拳を引く事を忘れた少年の頭を撫でてやる。そう言えば、息子の頭を撫でたのは初めてだった。思わず苦笑する。

 何度も。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も!

 そうしてやりたいと思っていたのに。それが叶うのが、こんな形でとは。

 

 ……皮肉、だよなァ。

 

 あるいは、これが罰なのか。自分が犯した、罪の。もしくは褒美なのか。最後の最後に、それだけは叶えてくれた、男が最後まで抗い続けたカミの。苦笑する男に、少年は泣きそうな程に顔を歪めた。

 

「避けられた筈だ……! あんたなら、今の一撃を! なのに……!」

「……無理だろ。あれは、躱せやしねぇよ」

 

 言いながら、男は崩れ落ちた。地面に倒れる前に、少年がその身体を抱き留める。

 

「おや、じ……! 親父!」

「……まだ、そう呼んでくれるんだな」

 

 それが、たまらなく嬉しかった。いつの間にか、自分を抱えられる程大きくなった息子が誇らしかった。

 男は満足気に笑う。だがその顔には、あまりに生気が無い。

 

「父上……」

「おぅ、お前か」

 

 ふらりと背後に現れた少年にも、彼は笑う。もう一人の息子、一番上の子供だ。彼もまた、泣きそうな顔で立ち尽くしていた。男は、そんな彼に手招きする。

 それでさえも、全力を込めなければならなかった。少年も、男に縋り付く。

 

「なんでだ、ね。なんで……!」

「……お前には、いつも辛い役を任せちまうなぁ。悪い……」

 

 彼の頭も撫でてやる。その手を必死に彼もかき抱いた。啜り泣くような彼に、男は笑う。笑い続ける。

 

「ここまで来たら、一番下の顔も見たかったもんだな……」

「シオン、だ」

 

 男を抱き留める少年が、俯きながら告げる。男は問い返す前に少年は続けた。

 

「神庭、シオン。それが、あんたの息子の、俺達の弟の、名前、だ」

 

 ところどころ、詰まりながら少年は最後まで告げる。一瞬だけ呆然として、やがて満面の笑いを浮かべた。

 

「そうか……はは、そうかそうか、シオン……アサギは良い名前をつけたな。顔見たかったもんだがなぁ」

「まだ、見れる。このまま生き残れば――」

「そいつぁ、無理だな」

 

 男は力無く首を横へと振と、そのまま続けた。

 

「俺が生き残っちゃあ、矛盾は生まれねぇ。魔王が魔王を滅ぼしたっつぅ、矛盾がな。殲滅者システムも、調律者システムも、そのまま、残っちまう」

「だからって!」

 

 少年は、叫ぶ。もうどうにもならないと分かっていながら。それでもと。だが、男は構わず笑い続けた。

 

「終わらせなきゃ、ならねぇんだ。誰かが、な。こんな、下らないシステムをお前達がしょい込む必要はねぇさ」

「……もう、いい。もういいから……!」

 

 これ以上喋るな。そう言おうとして、だが男はそれにも首を振る。

 

「この矛盾を持って、殲滅者システムは完全に崩壊する。元々無理があるシステムだからな。壊れるのは、簡単、だ」

 

 告げられる言葉に、少年二人は全く何も言えなかった。全力を尽くして、男が何かを伝えようとしている事を理解したか。

 全く、反論の余地も何も無い言葉。それを、何と言うか。

 妄言。もう一つある――遺言。

 男の言葉は、明らかに後者だった。

 

「これで、お前達が殺し合う事は、なく、なる。……はは、最後の最後に親父らしい事をしてやれたかなぁ……?」

「最後、とか、言うな……!」

 

 男の頬に落ちるものがある。水滴、あるいはこう呼ぶ。涙だ。生まれて初めて、少年は涙を流していた。

 母の腹から産み落ちた時でさえ、泣かずにヒトを虐殺していた、少年が。

 それは確かな感情の発露。幸せを喪失ってしまった筈の少年が、未だ壊れきっていない確かな証であった。

 男はそれにも微笑むと、直後、その身体がさらさらと塵へと化していった。

 

「親、父……!」

 

 少年達が、男に縋り付く。だが、男は構わず微笑み続けた。

 

「俺は、幸せものだな」

 

 息子の腕で逝けるなんて思っていなかった。最低最悪の死に様が自分を待っていると思っていた……野垂れ死にが正しい姿だと。

 だが終わってみれば、こうして息子達の腕の中にいる。それが嬉しいと同時に、ひどく寂しかった。

 ああ、そうだ。本当はこんな人生なんて嫌だった。家族と一緒に居たかった。息子達と共に暮らしたかった。伝えたい事が、たくさんあった……愛していると、ずっと言いたかった。

 今更、そんな事に気付くなんて。

 だが、死は待たない。男の身体は塵となって消えて逝く。

 

 ……カミさん、カミさんよ。ひどいじゃねぇか……今更、こんな事に気付かせるなんて。

 今更、こんなに死にたくないなんて思わせるなんて!

 

 もう、声に出す事もできない。ただ視界に映る息子達の泣き顔しか見れなくて。

 息を吐く。まるで全ての人生を注ぎ込んだような、そんな長い息を。

 

 ……殺生、だなぁ……。

 

 呟き。ぐっと息を、飲んだ。

 最後でいい。これが最後でいい。ただ一つだけ、息子達に遺したい言葉がある。だから、男は声を紡いだ。

 

「いつまでも、元気で、な。幸せで、な」

 

 笑顔で、たった一つの言葉を遺して。

 そうして、男は完全に塵となり世界から消えて逝った。

 少年達は、それでもしゃがみ込み、悲しみに打ち震える。

 喪失ったものがあまりに大きくて。そして、二人は同時に絶叫を上げた。痛みに震えながら、悲しみに涙しながら。

 ただただ、その場で泣き叫んでいた。

 ――伊織コウマ。

 魔王と恐れられ、運命に抗い続けた男の人生はこうして幕を閉じた。

 そして、これより始まる。

 『天使事件』と呼ばれた事件の、最後の戦いが。

 

 静かに、幕を開けた。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

    −戟!−

 

 神庭家、道場。敷板を敷き詰められた床を二条の影が疾る。

 一つの影は模擬刀を、もう一つの影は模擬槍を握っていた。

 神庭シオン。エリオ・モンディアル。

 おそらくアースラの中では最も刃を重ねた二人が、朝も早くから模擬刀と模擬槍で模擬戦をしていた。

 すっと擦り足でシオンが踏み込むのに合わせて、エリオが模擬槍を横薙ぎに払う。だが、それをシオンは模擬刀で受けながら斬り上げる。

 

    −閃−

 

「っ……!」

 

 模擬槍があっさりとエリオの頭上に跳ね上げられた。驚きに目を見張るエリオに、シオンはそのままの流れで踏み込む。斬り流した模擬刀を勢いのままに翻して、一気に降り落とした。

 エリオは顔をしかめながら、模擬槍を回転。石突きを跳ね上げ、模擬刀を受け止めようとして――眼前のシオンの姿が、唐突に消失した。

 

「え……!?」

「――瞬動・湖蝶」

 

 思わず驚きの声を上げるエリオの”背後”から、ぽつりと名を告げる声が響く。

 

    −閃−

 

 直後、エリオの足が綺麗に模擬刀で払われた。一瞬の浮遊感をエリオは感じて、一瞬後には重力に捕まり身体を横にしたまま落ちる。

 

 ……くっ!?

 

 呻きと共にエリオは空間に足場を展開しようとする。その前に、更なる声が降って来た。

 

「ほい、終わり」

 

    −撃−

 

 同時に額に模擬刀による一撃を受けて、エリオは敷板に叩き付けられた。

 

 

 

 

「あたたた……!」

 

 床に座り込んで、額を押さえながら痛がるエリオを見ながら、シオンは模擬刀を肩に担いで苦笑した。

 

「今のが湖蝶。そして、空歩の合わせ技だ。湖蝶は神覇ノ太刀、固有歩法の一つで、緩急方向転換自在の移動法。空歩は、カラバ式の使い手用の特殊歩法だな」

「……はぁ」

 

 生返事を返すエリオに、半眼の視線を送りながら肩を竦めると、続ける。

 

「空歩は踏み込みの反動を分散させる歩法だな。これで、地面を下手に踏み砕かずに踏み込んだり出来る」

 

 シオンを始めとする位階上位者達が近接戦を陸戦でやろうものならば、地面を数百m単位で踏み砕く。トウヤやタカト辺りならば、その単位がKmにまで昇る事は確実だ。

 だが、自ら足場を崩すと言う事は、それだけで近接戦を行う者にとっては致命的に成り兼ね無い。

 踏み砕かれた足場では、打撃、斬撃問わずに、その威力を分散する事にしかならないのだ。その為に生み出されたのが、この歩法であった。

 

「ようは踏み込み、蹴り出しの反動を単一から全体に変えるのがこの歩法のミソだな。上手く使えば、ガラス窓の上を走りながら戦うなんて真似も出来る」

「……ガラス窓って……」

「ついこの間、そんな戦いをしちまったからな。まぁ、この歩法は覚えといて損はねぇだろ」

 

 そこまで言うと、シオンは言葉を切った。苦笑すると、座り込む。そして悪戯めいた笑いを浮かべた。

 

「……どうだ? お前の希望通り。刀術の戦い方で模擬戦してみたけど。感想は?」

「あ! な、何というか……シオン兄さん凄かったんだなぁって……」

「それは――とどの詰まり、今までは凄くなかったって事か?」

 

 あたふたと答えるエリオに、シオンは笑いながら続けて問う。彼は更に慌てた。

 

「いえ! そんな事はないですよ!」

「……本音は? 怒らんから言うてみ」

「もっと早く使えば良かったのに、て思いまし――痛い痛い!」

 

 思わず真面目に答えるエリオに、シオンはこめかみを拳で抉る、通称ウメボシを敢行。エリオから悲鳴が上がった。

 

「これは怒ってるんじゃないぞぉ。ただ虐めたくなっただけだ」

「もっとタチが悪いです!」

「聞こえない。聞こえないなぁ」

「あぁあああああああ!」

 

 悲鳴を上げるエリオにシオンは笑い、しばらくして手を離す。そして、涙目となって上目づかいでこちらを見るエリオに再度苦笑した。

 

 やれやれ、だな。

 

 肩を竦めて苦笑し、問うべき事を問う事にした。

 

「……で? なんでまた刀術での戦い方を見てみたいだなんて思ったんだ?」

「えっと……」

 

 シオンの問いに、エリオは戸惑う。少しの間、迷う素振りを見せて、やがて切り出した。

 

「……このままじゃ、ダメだって思ったんです」

「何がよ?」

「僕自身が、です」

 

 怪訝そうな顔となるシオンに、エリオは続けて話す。だが、シオンは変わらずに疑問符を浮かべていた。

 

「……なんで?」

「その、シオン兄さん。最近人が変わったように強くなりましたし、だから、その……置いていかれたような気になって……」

 

 しどろもどろにエリオは言う。恐らく、自分の中で上手く言葉に出来ていないのだろう。それを理解して、シオンはエリオの頭をぽんぽんと叩いてやった。

 

「急に人が変わったりするかよ。俺は何も変わっちゃないさ。……強いて言うなら、取り戻しただけってなとこか」

「取り戻した……? 何を、ですか?」

「いろいろさ」

 

 言いながら、様々な事が頭過ぎっていく。思わず再び苦笑してしまった。エリオの頭から手を離す。

 

「そう、いろいろさ」

 

 そして立ち上がると、エリオに手を貸して立たせてやった。

 

「さて、もう一戦……と、言いたい所だけど。俺、今から用事があるから今日はここまでだな」

「え? 今から、ですか?」

 

 立たせて貰いながら、エリオがその台詞に怪訝そうな顔となる。

 それはそうだろう。現在、朝の五時半。早朝も早朝である。こんな朝っぱらから何の用事があると言うのか。シオンは苦笑して、でも答えない。

 

「ちょっとな。んじゃ、俺風呂入ってくっから」

「あ、僕も行きます!」

 

 模擬刀を片付けるシオンに倣ってエリオも模擬槍をなおすと、二人は並んで道場を後にした。

 そこで、エリオはふと気付く。いつもシオンの近くに居る筈の存在がいない事に。何気なく聞いてみた。

 

「シオン兄さん。イクス、どうしたんですか?」

 

 問うた瞬間、シオンの足が止まった。その分エリオが先に進んでしまい、振り返る。……その頃には、表情を戻していた。

 

「シオン兄さん……?」

「……何でもねぇよ。俺も一昨日から姿を見てねぇ」

「そうなんですか?」

 

 その台詞に、ちょっと驚きながらエリオは聞く。シオンは肩を竦めた。

 

「まぁ、あいつの事だからすぐ帰って来るだろ」

「そう、ですか……?」

 

 その言葉に、何か引っ掛かるものを感じてエリオはシオンを見上げる。シオンはエリオの頭を叩いてやりながら、先に進んだ。

 

「……大丈夫、だろ」

 

 エリオに言いながら……自分に言い聞かせながら、シオンは前へと歩いた。

 

 あの、バカ師匠はどこほっつき歩いてやがんだ……!

 

 胸の中だけで叫びながら、シオンは神庭家、温泉へと向かった。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 つむじ風が落ち葉を舞い上げいく。

 それにつられて視線を上に向けると、鰯雲(いわしぐも)がたなびく秋の青空が広がっていた。

 彼女――姫野みもりは、髪を軽く押さえながら、暫く穏やかな秋空を見上げる。

 十一月に入って、やや朝は肌寒くなった頃合いに、みもりはそこに居た。

 墓地だ。彼女の手にはピクニック用のバスケットが握られている。しかし、中に入っているのはお弁当ではなかった。

 ブラシや雑巾、小振りな園芸道具、煎茶を入れた魔法瓶、少量のお菓子、蝋燭(ろうそく)、マッチ、線香。それらが入ったバスケットを手に、みもりは美しく紅く染まる並木道を歩き出す。

 暫く進むと、辺りの木々は常緑樹の榊(さかき)に変わる。まるで季節を忘れてしまったかのような榊の並木道は緑色に染まっていた。だが、吹き抜けていく風に舞い上がるのは、色とりどりの落ち葉達であった。

 そうして歩いて行くと、山門が彼女を迎える。そこを抜けると、老齢の竹箒(たけぼうき)を持った住職が彼女を待つようにそこに居た。

 

「お久しぶりです」

 

 みもりは足を止めて、頭を下げる。住職は穏やかな笑みを浮かべて、無言で頷き返した。茶封筒を差し出し、もう一度頭を下げて、みもりはぐるりと回ると閼伽桶(あかおけ)や箒を借り受けに行く、と――。

 そこに人影が差しているのに気付いた。片手を上げて、こちらに笑い掛けてくる。

 みもりは、ぽつりと彼の名を呼んだ。

 幼なじみの、名を。

 

「シン、君……」

「よ」

 

 幼なじみの少年。神庭シオンは、一昨日あった事を忘れたかのように軽い調子で、みもりに呼び掛けた。

 

 

 

 

 シオンはみもりと連れ立って手を合わせる。姫野家と書かれたお墓だ。

 久しぶりに、このお墓の前に立つなぁと一人ごちると、シオンは立ち上がり、持って来た菊の花を手元で弄ぶ。

 

「……まずは掃除だっけ?」

「はい」

 

 みもりはシオンに微笑みながら頷く。そのあまりにもいつもと変わらない彼女の調子に、シオンは若干肩透かしを喰らったような感覚を覚えながら頷き返す。そして、二人でお墓の掃除を始めた。

 

「とりあえず、指示頼むわ。みもりのが得意だしな」

「はい。じゃあ、まず……」

 

 みもりが出す指示に従い、てきぱきと掃除する。丁寧に、少しずつ。全てが終わったのは、二人が訪れてから一時間半程してからの事だった。

 みもりはお墓にお菓子を供える。シオンもそれに倣い、菊の花を供えた。

 最後に、みもりは蝋燭(ろうそく)を立て、線香をあげる。それを見ながら、シオンは持って来たビニール袋から小さな紙包みを取り出した。

 みもりの目が、軽く驚きに見開かれる。

 

「それは……」

「ああ、好きだったろ?」

 

 取り出したのは、草餅であった。シオン達が住む町から隣町にある老舗和菓子屋の草餅である。

 このお墓の住人が好きだった事を思い出して、シオンは朝早くからその和菓子屋に買いに行ったのだった。

 なにせ、毎日限られた数しか売っておらず、予約も受け付けていないと言う超人気商品の為、朝早くから並ばないと手に入らないのだ。シオンが知る限りでも十数年前からそうなので、老舗のブランド力は侮れないものだなぁと、最初苦笑した程であった。

 シオンはそれをみもりに差し出す。みもりは、はにかむような笑みを浮かべて受け取ると、包装を解いて、お墓に供えた。

 そして、二人並んでお墓の前にしゃがみ、両手を合わせる。五分程、互いに無言で手を合わせ続けて、やがてシオンがぽつりと呟いた。

 

「十年、か。おばさん。二年も来れなくて、ごめんな」

 

 みもりは、そのシオンの言葉を黙って聞いていた。

 姫野、綾音(あやね)

 それが、みもりの母親の名である――十年前に亡くなった。

 流行り病だったそうだが、シオンも詳しくは知らない。ただ、無性に悲しかったのだけは覚えていた。

 優しい女性(ひと)だった。だが、ときたま天然な事を言う人でもあった。アサギがあれなので、それが良く際立っていた事を思い出す。

 思わず苦笑する。懐かしくて、そしてちょっとだけ寂しくて。

 暫くそうした後、静かに立ち上がった。

 

「みもり」

「はい」

 

 みもりも頷きながら立ち上がると、シオンに真っ直ぐに向き直る。

 ちょっとだけ、シオンは罰の悪そうな顔となると鼻をかいた。

 だが意を決すると、みもりに視線を合わせた。口を開く。

 

「この間の、告白の事なんだけど、よ……」

 

 言い澱みながら、しかし続ける。もう決めた事を、伝えるために。

 

「返事なん――」

「返事は、いいんです」

「――だけ、ど……はい?」

 

 告げられた言葉に、思わずシオンの目が点となる。そんな彼に微笑みながら、みもりは続けた。

 

「返事はいいんです」

「え? な、何で?」

「シン君の答え、分かっちゃいますから」

 

 にっこりと笑うみもりに、シオンは呆然となった。あーと呻き、頭をかく。

 

「……一応、その、みもりが分かってるって言う俺の返事って……?」

「返事は待ってて欲しい、だと思います」

 

 見事に大正解である。あうっとまた呻いたシオンに、みもりはクスクスと微笑んだ。

 

「シン君真面目ですから。多分、ルシアさんの事とか、全部終わってからじゃないと、そう言うの考えちゃいけないと思いそうでしたから」

「…………あー」

 

 それだけしか、言えない。大正解と言うか、どこまで心の中を読まれているんだろうと、頭を抱えて、シオンは若干不安に襲われた。

 そんな風に、頭を抱えるシオンに、みもりは微笑みながら前に進んだ。つまり、シオンの真っ正面に。

 吐息が掛かるような距離に、シオンが面喰らっていると、みもりがぽつりと呟く。

 

「今は、いいんです――でも」

 

 シオンの胸に手を当てた。見上げる。大きく見開いた、シオンの目を。言葉を、続ける。

 

「まだ、好きでいてもいいですか?」

「…………」

 

 紡がれた言葉。みもりの言葉に、シオンは言葉を失う。まだ好きでいていいのか、問う言葉に。

 自分なんかを、そんな風に想ってくれるみもりに。

 やがてシオンは苦笑すると、こちらを見上げるみもりの頭に手を置いた。

 

「……こう言っていいのかどうか分かんねぇけど、俺が、こんな事を言っていいのか分かんねぇけど。みもりが、そう想ってくれるなら。俺は嬉しいよ」

 

 だから。そう続け、シオンはにっと、笑いかけると、そのまま答えた。

 

「これからも、よろしくな。みもり」

「はい♪」

 

 そんなシオンの精一杯の答えに、みもりは優しく微笑んだ。

 シオンが見惚れる程の、可愛い笑顔がそこにはあった。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 蝋燭が短くなり、線香が燃え尽きる頃に、二人は道具類を片付ける。そして、シオンはうーんと伸びをした。みもりに振り返る。

 

「んじゃ、帰るとするか」

「え? でもシン君。今日は――」

 

 そんなシオンに、みもりは小首を傾げる。その反応に、シオンは疑問符を浮かべて――歌が風に乗って響いた。穏やかな歌が、この歌は、この声は。

 

「母、さん……? あ……!」

 

 母、アサギの歌声に、シオンは一瞬だけ呆然となる。だが、すぐに思い出した。母が月に一度だけ、ここでこの歌を歌う日を。シオンの反応に、みもりも頷く。

 

「……はい。今日は――」

「……そっか」

 

 続いて響く歌声に、シオンは苦笑した。すっかり忘れていた。今日の日付は――。

 

「父さんの、月命日だっけ」

「……はい」

 

 みもりが、こくりと頷き、シオンは肩を竦めた。

 歌が風に溶けて流れていく。それを聞きながら、シオンはまた頷いた。

 

「そっか……」

 

 そう、頷いた。

 

 シオンは父の顔を見た事が無い。声も聞いた事は無い。もっと言ってしまうと会った事すらなかった。

 『天使事件』が終わった後に、異母兄達から聞いただけだ。……父が死んだ事を。

 頭をかいて、また苦笑いを浮かべる。

 

「こう言うのも、親不幸って言うのかなぁ」

「どうなんでしょう?」

 

 シオンの台詞に、みもりも珍しく苦笑した。命日では無く、月命日。だからだろう。あまり気にしなかったのは。

 続いて響く歌にシオンは聴き入り、やがて頷いた。

 

「……ちょうどいいか。どうせだし、父さんの墓参りもして行くか」

 

 そう言うと、みもりに振り返る。彼女も微笑みながら、シオンをみつめていた。それに笑い、シオンは続ける。

 

「一緒に来るか?」

「はい」

 

 即座に頷く。そして、二人は連れだって歩いて行った。父の墓がある、区画へと。

 

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 シオンは手に持っていた閼伽桶を取り落としそうになった。その光景を見て。隣のみもりも言葉を失っている。

 父のお墓は、何て事は無い墓であった。墓地の一画にある墓。

 そんな二人を、母の歌声だけが通り過ぎて行く。それを、どこか遠くで聞いているような感覚でシオンは前を見続けた。

 父の墓を。父の墓の前に、居る人を。

 風が薙ぐ。さわさわと、秋の風が。その風の中を一人の青年がしゃがみ込み、父の墓を静かに見つめていた。

 シオンの異母兄にして追い掛けている人物。世界にたった一人で喧嘩を売った青年が。

 伊織タカト。彼が、そこに居た。

 まるで時間が凍結してしまったように誰も彼もが動かない中で、アサギの歌声だけが響いて行く。

 秋空の下。ゆるりと吹く秋風の中で、母の歌声に包まれながら、シオンはタカトと再会した。

 

 

(中編1に続く)




はい、第四十五話前編であります。
墓前の再会と言うと、某ナデシコの復讐鬼と電子の妖精さんを思い出しますな。あれは感慨深かった。
さて、次回は中編1。お楽しみにー。ではでは。

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