魔法少女 リリカルなのはStS,EX 作:ラナ・テスタメント
シオンが紫苑と戦闘を開始した頃。神庭家、母屋ではうろうろとさまよう影があった。
スバル・ナカジマである。シオンが向かった後、じっとしてもいられず、こうやってうろうろしていたのだ。
……シオンの言う事は、分かるよ。
スバルは考え込みながら歩く。みもりが人質に取られているのだ。下手に手出しは出来ない。
しかも今、自分達にはデバイスも無いのである。同行をシオンが許さないのは当然と言えた。
理屈では納得している。でも、感情はまた別であった。
みもりは友達だ。短い付き合いだが、少なくともスバルはそう思っている。その友達が人質に取られているのに、じっとなんかしていられない。
ましてやシオンは自分より強いと断言した相手と一人で戦いに行ったのだ。
シオンの事は、スバルも信じている。必ず帰って来ると、そう思ってる。
でも、だからと言ってここでじっと動かず、待っているのは違う気がした。
動きたいけど、動けない。そんなもどかしい気持ちのまま歩いていると、曲がり角から突然、親友でありパートナーである、ティアナ・ランスターが現れた。何やらぶつぶつと呟きながら歩いている。
……ひょっとして、ティアも?
その様子に自分と同じ感じをスバルは受ける。取り敢えず、声を掛ける事にした。
「ティア〜〜?」
「……ん? あ、スバルか」
スバルの呼び掛けに、ティアナは俯いていた顔を上げる。スバルは頷くとティアナへと駆け寄った。
「どうしたの? 考え込んでたみたいだけど」
「うん。ちょっと、ね。あんたこそ、ここ。部屋じゃ無いでしょ?」
「……うん。私も、ちょっと」
考えている事は一緒。二人は長年のパートナーだった事もあり、即座にそれを悟る。
互いに罰の悪そうな顔となりながら、肩を並べて歩き出した。
「シオン、大丈夫かな……?」
「さぁね……」
スバルがぽつりと呟いた疑問に、ティアナも気の無い返事を返す。そのまま、黙り込んでしまい、歩いて行くと。
「「あ……」」
二人は思わず声をあげた。行き着いた先は、玄関だったから。
……まるで二人の心を表すように、そこに辿り着いてしまったのだ。勿論、意識しての事では無い。暫く二人は玄関を迷うように見る。
今すぐ、行きたい。だが、来るなと言ったシオンの言葉が二人を止めていた。
恐らくみもりが人質に取られて無くても、シオンは一人で戦いに向かっただろう。
そう言った相手なのだ。シオンにとって、あの紫苑は。シオンが一人で向き合い、戦わなければならない存在。
だからこそ、シオンはスバル達に来るなと言ったのではないか。
そう思いながら、しかし引き返す事も出来ずに、二人はじっと玄関を見つめ続ける。すると。
「……スバルさん? ティアさん?」
「二人共、どうしたんですか?」
突如、そんな声が背中から掛けられた。二人は思わず振り向く。そこには、エリオとキャロが居た。
「エリオ、キャロ……」
「あんた達こそ、どうしたの?」
いきなり現れた二人に驚きつつも、スバルとティアナは聞き返す。
それに、エリオもキャロも先の二人と同じく、罰が悪そうな顔となった。
「その……シオン兄さんの事が気になって」
「部屋にじっと出来なくて、エリオ君と歩いてたら、ここに……」
視線を外すようにして答える二人に、スバルも、ティアナも思わずため息を吐いた。
考えている事は、皆一緒だと言う事である。助けに行きたい。けど、行けない。
そんな気持ち。
ただ待つと言うのが、ここまで辛いものだと、四人は初めて知った。
暫く、向き合ったまま黙り込む四人。やがて、ふっとスバルが不意に微笑した。ティアナを、エリオを、キャロを見て、そしてもう一度玄関を見る。ぽつりと呟いた。
「……行こう」
「「「え……?」」」
その呟きに、三人は思わず目を見張る。スバルは、そんな三人に微笑んで告げる。
「行こう、みんな。シオンの所に」
「……スバル。あんた、自分が何言ってるか分かってる?」
その言葉に、ティアナが問い返す。それが何を意味するか分かっているのかと。
彼女達が行くと言う事は、取りも直さずシオンの意思を無視すると言う事であった。
エリオやキャロも不安気な表情でスバルを見つめる。ティアナの問いに、しかしスバルはすぐに頷いた。
「……うん、分かってる。私達が行くと、シオンが嫌がるって事も」
「じゃあ、なんで――」
「でもね、ティア。我が儘かも知れないけど、私、行きたいんだ」
ティアナに最後まで言わせず、スバルは告げる。玄関へと視線を移した。
「……シオンが今、一人で戦ってる。その結果が、ひょっとしたらって考えると……怖いんだよ。嫌なの」
「スバル……」
まるで、自分に言い聞かせるように呟くスバルの言葉。それに、ティアナは呆然となる。エリオや、キャロもだ。スバルは構わず続ける。
「シオンの戦いの邪魔なんて、多分出来ない……でも、待ってるだけなのも絶対出来ない」
だから。最後だけ言葉にはせずに、スバルはティアナを、エリオを、キャロを振り返る。
スバルが告げた言葉は違う事が無い四人全員の気持ちであった。
しばしスバルと三人は見つめ合い。そして。
「……みもりを私達で助ければ、あいつも気兼ね無く戦えるかもね」
「ティア!」
ぽつりとティアナが告げた言葉に、スバルが歓声を上げる。彼女は苦笑した。
「……どうせ、最後にはあんたの我が儘を聞く事になるんだから。言っても聞かないだろうし。なら、出来る事を考えた方が無難よね?」
「ですね。これなら、シオン兄さんの戦いの邪魔にもなりません!」
「みもりさんが怪我してたら、ちょっとだけでも私が治せます!」
ティアナの言葉に、エリオやキャロも乗って来る。スバルは三人に頷きながら、満面の笑みを浮かべた。よしっ、とティアナが大きく頷く。
「そうと決まったら、みもりを助け出す作戦練るわよ! まずは――」
「その前に、一人は戦える人もいるよね」
意気込む四人に、やけに陽気な声が掛けられた。その声に飛び上がりそうな程驚き、四人はそろりそろりと後ろを振り向く。
そこには、実年齢を思わず確かめたくなる少女のような外見の女性が居た。にっこりと笑う、彼女が。
四人はその人を見て、呆然と名を呼ぶ。
『『アサギ、さん……?』』
「うん」
シオンの母、アサギが、そこに居た。
似合わない刀をその手に持って、変わらない微笑みを浮かべて、四人の前に居たのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【……オン! シオンっ!】
暗い――暗い、場所。
その中で、シオンは聞こえて来た声に意識を繋いだ。
数秒か、あるいは数分か、気を失っていたらしい。目を開く、と。
「ぐっ!? かは! あっぐ……!」
【シオン!?】
肩から胸にかけて凄まじい激痛が走り抜けた。まるで骨をバールで一本一本、こじ開けるような、そんな太い痛み。
暫く痛みに喘ぎながらも、シオンは床に手をついて立ち上がる。
シオンが倒れていた場所は、暗い教室の中だった。一階には教室は無かったので、二階か三階まで吹き飛ばされたのか。先程から自分を呼ぶ相棒に目を向けた。
「……大、丈夫だ。イクス」
【そうは見えんがな……】
イクスのそんな返答に、シオンは苦笑する。イクスは大剣形態、つまりノーマルフォームに戻っていた。当然、自分も。
それを確認するなり、ぐっと息を飲みながら問う。
「何を俺はかまされた?」
【剣牙だ】
イクスは即答する。だが聞いた本人、シオンは、その答えに怪訝そうに眉を潜めた。
「剣牙、だと? あの状況で……右腕は叩き折ってた筈だろ?」
いくら再生能力があるとは言え、骨折が治るにしては早過ぎであった。その状況で剣牙なぞ、使える筈も無い。なのに。
【違う。奴は”左手”に刀を持ち替えて剣牙を放ったのだ。俺に出来た事はノーマルに戻って、この身体で剣牙を防ぐ事だけだった】
「……それで神空零無付きの剣牙を喰らっても俺、生きてたって訳か――て、左手? あいつの左手は」
自分が生き残った理由に、シオンは納得。どうやらイクスが瞬間的に戦技変換する事で、ノーマルに戻り、大剣状態で剣牙を受けたらしい。そうでなければ、自分の身体は真っ二つになっていただろう。
だがここに至り、もう一つの疑問が生まれた。紫苑の左手は出血で、握力が戻っていなかった筈である……少なくとも、あの短い時間で刀を握れる程、握力が戻る筈が無い。しかも少なからず反動がある剣牙すらも放ってみせたのだ。これは、どういう事か。
【シオン。俺達は、そもそも思い違いをしていたのかも知れん。奴は――】
「そうだね、イクス。僕の正体は貴方の思っている通りだよ」
イクスの台詞を遮り、いきなり声が来た。
来たか……!
それだけを思い。シオンは痛む身体を押してイクスをひっ掴み、立ち上がる。
ぐっと前を見据えると、そこに彼が、紫苑が居た。すでに右腕の骨折すらも治ったのか、変わらない姿のままで。
実質切り札2枚は無意味に終わった事をシオンは歯噛みしながら悟る。そんなシオンに、紫苑は微笑み、周りを見渡した。
「懐かしい教室だろ?」
「……ああ」
シオンは静かに頷く。今居るこの教室は、シオンがかって通っていた教室であったから。
それを見越して、ここまで吹き飛ばしたのか。あるいは、偶然か……答えの出ない疑問を、シオンは頭を振って追い出す。微笑し続ける紫苑を見据えた。
「いい加減、はっきりしときたいんだけどよ……お前、一体何なんだ?」
「それを聞かれるのも三回目だね。イクスには気付かれたようだし、もういいかな? 教えてあげるよ、僕の正体について」
言うなり、左手に刀を携(たずさ)えたままシオンは両手で自らの胸に手を押し当てた。
にこりと笑う。無邪気な、そんな笑みを。
「……とある世界、魂の研究や、神に近付こうとした世界があった。アルハザードって言う世界。貴方も知ってるよね?」
シオンは黙って頷く。それを満足そうに見ながら、紫苑は笑う。
「その世界では不死の研究として、魂や遺伝子、魔法の研究。独自の学問が進められていた。……けど、アルハザードは当時、平和とは言い難い状況でね? その為に、いろいろな兵器が生み出されたんだ――」
例えば、巨大なる戦舟。
例えば、様々な破壊力を誇る武器達。
例えば、魂をエネルギー結晶に変換した、極大エネルギー装置。
「その兵器の中に、対人としては最高傑作と謳われた暗殺兵器があったんだ。それは、特定人物の『魂』の波紋データを元に自らをその人物と全く同じ存在に変換し、オリジナルを殺す事で入れ代わり、敵対組織を内部から切り崩す事を目的として作られた”殺人人形(キリング・ドール)”……もう、分かるよね?」
「て、事は。お前は――」
紫苑の言葉を黙って聞いていたシオンの目が見開かれる。紫苑は――”シオンの姿を取った人形”は、こくりと頷いた。
「貴方達の概念では、ロストロギアって呼ぶんだったね。改めて自己紹介しよう。
ロストロギア、”ドッペル・ゲンガー”。
……これが、僕の正体だ」
人間じゃ無かった訳か――。
どうりで、今まで殺人に対する忌避も無かった訳である。
紫苑のその正体に、シオンは静かに納得した。だが、まだ疑問は尽きない。シオンは紫苑の顔を見つめて、更に問う。
「魂の波紋データを拾得して、お前は他の誰かの姿を取るっつったな? ……いつ、誰が、何の為に、”わざわざ五年前の俺”の姿なんぞをお前に取らせた?」
「質問ばかりだね? でもどうせ最後だし、いいかな。貴方の姿を取ったのは僕の意思だ。最初は貴方の魂の情報を持ってた”彼”になろうとしたんだけどね」
「”彼”だと……?」
”あの人”。そう言われるとばかり思っていたシオンは新たに出た呼び名に思わず聞き返す。
わざわざ分けたと言う事は、”あの人”とは別人だと言う事か。紫苑はくすりと頷いた。
「貴方の良く知ってる人だよ? 分からないかい? ”貴方の記憶を略奪”した彼さ……」
「っ――――!」
記憶を略奪した存在。そんなもの、一人しかいない。つまりは。
「タ、カ兄ぃ……」
「そう、彼さ」
何が楽しいのか、紫苑は嬉し気に笑いながら、再び頷く。シオンはぐっと息を飲んだ。
タカトはシオンの記憶を忘れさせる為に、略奪した。それに、”魂”の波紋データがあった訳だ。つまり、こいつは――。
「タカ兄ぃに、作られたって訳か……!」
「ちょっと違うね。僕はたまたま遺跡に来た、彼から魂の波紋データを手に入れて自分からこの姿を取ったのさ。……彼の魂は”傷”を負ってたから、彼にはなれなかったんだけどね」
「傷……?」
「貴方が知る必要は無い事さ」
新たに出た単語に聞き直すシオンだが、紫苑はそれもばっさりと切って捨てた。すっと目が細まる。
「彼から貴方を、今までの貴方で最強であった五年前の、この姿を取って僕は生まれた……けどね? 彼は、伊織タカトはそんな僕を、生まれて来たばかりの僕を、”容赦無く殺したのさ”……壊したとも言うけど」
「タカ兄ぃが、お前を……? そうか!」
一瞬、紫苑の台詞に疑問符を浮かべたシオンであったが、即座に悟る。紫苑が先程言ったでは無いか。
ドッペル・ゲンガーは、その姿を取った本人(オリジナル)を殺して成り代わる、と。
……自慢でも何でも無いが、”あのタカト”がそれを知って、紫苑を生かして置く筈が無い。紫苑は肩をひょい、と竦めた。
「容赦無かったよ。僕も抵抗したんだけどね。まるで、意味が無かった。四肢は引きちぎって一つ一つ、念入りに潰して、胴体と顔は八つ裂きにして、完全に破壊された。……あそこまでやると、もう破壊なんて言葉が可愛く見えるくらいだよ。――でもね、そんな破壊され尽くした僕を、”あの人”が救ってくれたのさ」
また、”あの人”か――。
シオンは苦々しく思う。そのあの人とやらが、この紫苑を甦らさせ、自分に向かわせたのだ。
それは誰かとシオンが問う前に、紫苑がまるで歌うかのように呟き始めた。
「……黄金の仮面を被り、神の名。真名を持ち得た偉大なる人――貴方は知ってる筈だよ? 何せ、”天使事件”を起こした人物だからね」
……今、こいつは何と言った?
シオンは呆然と、声に出せない程の衝撃を受けて、問う。
黄金の、仮面。
神の名、真名を持ち得た存在。
何より”天使事件”を、あの忌まわしい事件を起こした人物――そんな人物は、一人しか居なかった。震える唇で、シオンはその名を呼ぶ。
「シェピロ・アルカイド……生きて、やがったのか……!」
「そう! 全世界にたった四人しか現存しない。”ランクEX”! それが、”あの人”さ!」
絶叫するように、紫苑が吠える! それを聞きながら、シオンはぐっと息と共に、その意味を飲み込んだ。
天使事件を、ある存在と共に引き起こした人物。それが、シェピロ・アルカイドと言う存在であった。彼が生きていると言う事はつまり。
「また、やろうってか? ”俺を使って神の降誕とやらを!?”」
紫苑が最初に会った時にシオンを殺せないと言った意味を、シオンは卒然と理解した。
シェピロが再び神の降誕を自分を使って行おうとするならば、殺す事を禁じる筈である。シオンの叫びに、しかし紫苑はただ笑う。
「さぁね。ただ、貴方を殺す事を僕は禁じられただけだよ。後は知らない――だけど、僕はそれが納得いかないんだ。僕が居るのに、何故、貴方を必要とするのか……?」
――笑いが、消えた。人形じみた無表情な顔となった紫苑に、シオンは押し黙る。
紫苑は構わず、無表情なままで続ける。一歩を、シオンに向かって前に踏み出した。
「僕が居る、僕が居るんだ。なのに何故、貴方をあの人は求めるのか? ……僕はそれが納得出来ない。だから、あの人の命を裏切って貴方を殺す事にしたのさ……そうすれば、あの人は僕を見てくれる――」
「…………」
歌うように、唄うように、詩うように。
そう言いながら歩く紫苑に、シオンは気圧されたように、後退した。
あの人は僕を見てくれる――。
そう言う紫苑に何かを感じてしまって……。
更に紫苑は、前に進む。シオンはまた、後退した。
紫苑はそれを見ながら刀を構える。同時にくすりと笑い、表情を取り戻した。すっと刀を差し向ける。
「あんまり後退しないほうがいいんじゃないかな? ……背後を見るといいよ、時間を十秒だけあげるからさ」
「――――!?」
その台詞にシオンは反射的に振り向いた。視界に、”彼女”が飛び込む。
教室の床に、仰向けになって転がされた、彼女――姫野、みもりが。
目を閉じて、ぐったりと動かない。一瞬、最悪の事態を想像して悲鳴を上げかけるが、よく見れば、そんな事にはなっていなかった。
ゆっくりとだが、呼吸をしている。それを確認して、シオンは安堵の息を吐いた。薬か何かで眠らされているのか、起きる気配は無い。
「十秒経ったよ」
紫苑の言葉に、シオンは後ろ髪を引かれる思いで、しかしすぐに向き直る。
その先で、紫苑は鈍く光る刀の切っ先を、自分から背後のみもりへとすっと動かして突き付けていた。
「……貴方はみもりを見捨てて逃げたりしないよね? 多分だけど。そうなったら僕はみもりを貴方の刀技で殺すよ? 少し楽しみだと思わない? 何せ、貴方の姿をした僕に、みもりは貴方の技で殺されるんだ。彼女はどう思うかな? 泣くと思う?」
「――――」
シオンは、答えなかった――答える気にもならかった。代わりに。
−ブレイド−
自分だけの、鍵となる言葉を。
−オン−
解き放つ。
心が冷え冷えと冴えて行く。怒りが過ぎて、逆に頭が澄み渡っているのだ……歯車が、噛み合う。ゆっくりと目を閉じた。
その閉じられた瞼(まぶた)の奥で広がるのは自分だけの世界、悠久の青空を仰ぐ草原、自分の心象風景であった。
その真ん中に古風に晒され、静かに地面へと突き立つ柄も鍔も黒塗りの日本刀。ただ刀身のみが鮮やかな銀の光を放つ、その刀へと、シオンは歩いて行く。
歩いて行きながら、紫苑へと呟いた。
「お前を出し抜く方法なんだが……あと一つだけあってよ」
「……?」
シオンが呟くようにして告げた台詞に、紫苑が怪訝そうに眉をひそめた、その瞬間!
−閃!−
なんの挙動も無しに再びイクスが、紫苑へと真っ直ぐに投げられる!
射刀術。まるでダーツを投げるかのように、真っ直ぐに投げられた技をそう呼ぶ。
いきなり投げられ、自分へと向かい来るイクスに、しかし紫苑は嘲るように笑った。
二度、同じ手は通じないと言った筈だよ――!
胸中叫びながら、紫苑は横に一歩を踏み出して体を翻した。それだけで、イクスの進行方向から外れる。
下手に防御せずに、避ける事で隙を最小限にしたのだ。そして、紫苑の見る先でシオンがこちらに駆けて来る――!
終わりだ……。
静かに、そう思いながら左手に持つ刀を振り上げる。無手での格闘術がシオンにあったとしても、所詮は付け焼き刃である。自分の刀術に敵う筈が無い。そう、紫苑は確信していた。
そして、それは概(おおむ)ね間違いでは無い――だが。
こちらへと刀を振り上げる紫苑を、醒めた目で見据えながらシオンは右手を開いた。
そして心象風景の中で、シオンは突き立った刀に辿り着く。
……今だけでいい。
静かに、刀へと語りかける。
今だけで、いい。だから。
ゆっくりと手を伸ばす。柄を、握りしめた。目を見開く!
お前を、抜かせてくれ――――!
−ブレイド(刀を)−
−オン(抜く)−
叫びと共に、刀を引き抜いた――同時、開いた右手の掌から、”それ”が生える。刀の、柄頭が!
シオンは迷わず左手で掴み、引き抜く!
−戟!−
直後、紫苑が縦に振るった刀は、シオンが引き抜きざまに横に振るった刀とぶつかり、シオンは更に前進しながら、”紫苑の刀を縦に斬り流す”。
−閃!−
……な……。
斬り流され、体を崩された体勢で、紫苑は呆然となる。視界に映るシオンは、手に持つ刀を翻している最中だった。
ひどく、その光景がゆっくりと映る。
柄も、鍔も、漆黒。ただ、その刀身のみが銀。刀身に浮かぶ鮮やかな乱れ刃紋が印象的だった。
それを、翻した姿勢でこちらを見据えるシオンの目が、激烈極まる殺気が、紫苑に突き刺さる――!
「うぁああああ!?」
−斬!ー
魅入られたように固まった紫苑が、ついには悲鳴を上げて、その場から飛びすさった……それでも、完全には躱せなかった。
肩口を浅く斬られ、鮮血が舞う。後ろに退きながら、それでも信じられないと紫苑は目を見張った。
刀を緩やかに引き戻し、構えるシオンを。五年もの間、全く握らなかったくせに、刀を構えるシオンは、まるで一枚絵のように美しく映っていた。
シオンは無言。刀を抜いた事も、振るった事にも何も言わずに、ただ紫苑に刀をすっと腰溜めに構えると、迅雷の速度で駆け出す!
視認すらも霞む速度で踏み込むシオンに、紫苑は漸く我に返った。同じく前に踏み込み、横薙ぎへと刀を振るう――!
−閃!−
−裂!−
−戟!−
放たれた紫苑の斬撃は、同じように放たれたシオンの斬撃とぶつかり合った。鋼が絡み合うような音が響き、つぃんと言う音を最後に二つの刀は弾き合う。そのまま、二人は止まらなかった。
円を描くように踏み込みながら相手を斬り倒さんと再び放たれる斬撃!
それが、幾度も、幾度も重なり合う!
−閃!−
一撃。
−裂!−
十撃。
−斬!−
百撃!
互いの身体を求め合い放たれる刀は互いに弾き合う! その中で、紫苑は最初こそ、まだ余裕の笑いを浮かべていた。
……いかな手段を用いたか刀を手にしたようだが、それでも向こうは五年ものブランクがある。自分には敵う筈が無い、と――だが、それが十を超えた辺りで笑顔は曇り、百を超えた段階で、笑顔は完全に消え去って、代わりに焦燥が紫苑の顔を支配した。
五年。五年もの間、彼は刀を握る事もしなかった筈である。それが何故、何故!
「何故!? 僕に追いつける! オリジナル・シオン!?」
「――お前だからだ」
−戟!−
再び互いに、互いの斬撃を斬り流し、紫苑の問いにシオンは答える。
……僕、だから……? っ――――!?
一瞬言われている意味を理解出来なかった紫苑だが、すぐにその答えの意味に思い当たり、顔が強張る。つまり、シオンは。
「僕から……! 僕からかつての自分の刀技を思い出したって言うのか!?」
「元々は俺の技だ。それを何度も目の前で振るわれて、斬り付けられりゃあ、嫌でも思い出すに決まってんだろうが!」
有り得ない!
紫苑の胸中は、そう叫ぶ。だが、目の前のシオンの技がそれを否定する。
−戟!−
−破!−
再び放たれた刀は再び互いを斬り流し、互いを傷付ける事無く過ぎる。
紫苑がその結果に歯噛せん程に凄絶にシオンを睨んで刀を振り、だがシオンは変わらず無表情のまま刀を振る!
刀を振るう二人のシオン。二人の間に、すでに溝は無い。ここに至り、両者は完全に拮抗した。
――だが。
−閃!−
振るわれ、重なり、再び斬り流される二人の刀。しかし、そこに変化が起きていた。
紫苑の方が、僅かに遅れたのだ。
……?
それに、紫苑の顔が怪訝に染まる。
――ただ、一つの違いがあった。
振るわれ、振るわれ続ける刀。しかし徐々に、だが確かに紫苑の方が僅かに遅れる。その遅れは段々と、しかし数を重ねる程に浮き彫りとなっていった。
紫苑の斬撃が遅くなっているのか? ……否、違う!
――この時、神庭シオンは。
”速くなっているのだ、”シオンの斬撃が!
――十数年に渡って、自らに課していた、”不殺”と言う名の枷を、完全に。
ひゅっと、シオンの口から鋭い呼気が放たれる。同時に手に持つ刀が翻り、肩に背が押し当てられた。
紫苑を静かに見据える――直後、今までに無い程の悪寒が紫苑を突き抜けた。それは、かつて自分を殺し尽くした存在と同種の殺気。伊織タカトと同じ、他者を完全に殺し尽くすと言う決意の元に放たれる殺気!
激烈極まる殺気を叩き付けたシオンの刀が僅かな震えを放った。否、違う。そうでは無い。震えたのは刀では無い。……空間が、世界が震えたのだ。
恐れるように、畏れるように、怖れるように!
シオンの、斬撃に――!
――外していたのである。
−斬−
その斬撃は、見る事が敵わなかった。
ただ、紫苑が見たのは、刀を振り終えたシオンの姿だった。
一瞬だけ間が空く。そして、紫苑の身体を斜めに赤い線が走った。
……血だ。あまりにも速過ぎる斬撃が、遅れて傷を走らせたのである。
紫苑は何かを言おうとして、でもそれも叶わないままに、自らが生んだ血溜まりに沈んだ。
刀を振り終え、残心するシオンがゆっくりと身を起こす。その息は、ただ荒い。その息のまま、紫苑を見据えて告げる。
「お前を出し抜く三つめの手はな……」
紫苑の大きく見開かれた目を、しっかりとシオンは見る。ぐっと息を飲み、荒げた息を整えた。続きを、告げる。
「みもりを助けるためなら、刀を抜く事だろうが、人一人くらい殺す事だろうが、何だってやってやるって事だったんだけどよ――相手が人形だってんなら、そんなに思い詰める事も無かったな……」
ふぅと安堵の息を吐く。そしてシオンは弾かれたように、みもりへと視線を移した。みもりには、人型のアウト・フレームとなったイクスが脇にしゃがみ込んでいる。
「イクス! みもりは――!?」
【案じるな、無事だ。ただ、眠らされているだけだろう】
イクスの答えに、シオンは漸く完全に安堵の息を吐き切った。そんなシオンに苦笑し、イクスは視線をその手に持つ刀に移した。……少しだけ、淋しそうな笑いが零れる。
【抜いたんだな。それを】
「……ああ」
シオンはこくりと頷く。そして、左手に握る刀を見つめた。
シオンの右手から突如として現れたこの刀。これこそが、神庭家の至宝たる刀であった。
銘(な)は、無い。この刀を代々継いだ者が、自分で考えた銘を、その時に与える事が決められているからであった。
……シオンは、それを決めていない。と言うより、つい先日自分がこの刀を継いでいる事を知ったばかりなのだ。
初めて自分の心象風景に入った、あの時に。じろりと、イクスを睨む。
「……まさか、あの事件の後に勝手に継承されていたなんてな」
【そう睨むな。俺は殆ど無関係だ】
イクスが肩を竦める、シオンは、ため息を吐いた。
この刀、どうも五年前の事件の直後で、意識を失ったシオンになんと勝手に継承させたらしい。
進めたのは母、アサギとの事だが、異母兄二人もかなり怪しい所であった。
この刀を継承すると、刀と魂は融合し、継承者ならぬ所有者は、自らの中からこの刀を取り出せる。……あまりにも、不可思議な現象だ。この刀、そもそもの由来が不明と来てる。神(世界)の魂が、そのまま刀となった代物らしいのだが……。
そう考えると、この刀も立派にロストロギアである。何の能力も無い、ただ絶対に壊れず、傷付かないと言うだけなのだが。シオンはもう一度息を吐きながら、笑顔を浮かべて。
「まさか……最後の手段が正攻法とは……ね……」
「【っ――――!?】」
響いたそんな声に、ぎょっと固まる。すぐに振り返ると、そこに彼は居た。紫苑が、”立ち上がって!”
「しかも、刀を抜いて……僕を、斬る、か……」
「お、前……それは!?」
苦々しく語り掛けてくる紫苑に、シオンが目を大きく見開きながら指を差す。その指が示す紫苑の身体には、”黒のバブル”がごぽごぽと溢れていた。
アンラマンユ。因子が――!
シオンとイクスは漸く悟る。紫苑の再生能力の理由を。つまり因子が理由だった訳だ。これで、あの再生能力にも合点がいった。どうりで、いくら致命的なダメージを喰らわせようと復活する筈である。
シオンはぐっと息を飲んで、紫苑の台詞を思い出していた。あの人に救って貰ったと。つまり――。
「……そいつを、奴から感染させられたって訳か!」
「……僕の身体は……人間と一緒の……有機物で構成されているけど、ね……魂が無いから、第二段階に至らない限りは、意思を保っていられる訳さ……」
にぃ、と紫苑の口端が吊り上がる。ゆっくりと刀を構えた。まだ、戦う積もりである。シオンはそれを確認するなり、同じく刀を構え、イクスに声を掛けた。
「イクス、悪ぃ。みもりを連れて外に出ててくれ!」
【な……! だがお前一人を置いて……!】
「イクスっ!」
シオンの台詞に、反論しようとするイクスだが、シオンはそれを遮るように大声を上げる。そして、一言を告げた。
「頼む……こいつとの決着は、俺一人で付けさせてくれ」
それは、懇願であった。イクスはそれに、しばし黙り込む。シオンの背中を見つめて。やがて、ふっと笑うと、背を向けた。みもりを担ぎ、ゆっくりと納得する。
そうか、こう言う気持ちなのだな。弟子に――。
【……死ぬなよ】
「誰に聞いてる積もりだ? アンタの弟子だぞ?」
一人立ちされる、と言う気持ちは。
納得と共に去来するのは、ひどく寂しい想いだった。イクスはそれをゆっくりと噛み締めると、みもりを担いだまま窓から外に出る。飛行魔法で、結界の外に飛んで行った。
それを気配で察しながら、シオンは前を見続ける。身体中から因子を溢れさせ、零し、それでも笑う紫苑を。紫苑は、笑いながら刀を構えてシオンへと語り掛けて来る。前へと、歩を進めた。
「刀を使えるようになったとしても……僕を殺せるようになったとしても。これで漸く、僕と互角に戦えるっていうだけの意味にしか、ならないよ」
「本気でそう思ってやがるのか?」
シオンはそれに対し、心持ち後退りしながら問い掛ける。紫苑は、無理矢理に笑みを浮かべた。
「勿論さ。それで、僕が勝つんだ! あの人のために!」
あの人のため――。
そう言う紫苑に、シオンは目を細める。
あの人のため――。
そんな紫苑が、重なる。かつての自分、ルシアのためと、タカトを追い掛け続けていた自分に。
あの人のため――。
最も愚かだった、かつての自分に! 苛立ちに任せて、床に足を叩き付ける。教室の床を、ブチ壊した。
「あの人のため――あの人のため、あの人のため……あの人のためかぁ!」
嘲るように繰り返し、叫ぶ! そんな紫苑を、見ていられなくて……そんな、”かつての自分”を許せなくて!
紫苑も刀をシオンへと向けながら叫ぶ。
「そうさ! 僕はあの人のために存在している! あの人のための、あの人だけの! あの人が必要とする殺戮者だっ!」
そんな紫苑が、自分と重なる! シオンは凄まじい形相で、紫苑に……かつての自分に吠えた。
「そう言った台詞を聞いてっと、ムカついてくるんだ……! 来いよォ!」
叫びと共に、二人は同時に前に出た。刹那に、互いを間合いに入れる――!
「「壱ノ太刀――!」」
そして引き出すのも、また互いに同じ技。居合の構えから、刀を一気に振り放つ!
「「絶影!!」」
−裂!−
−破!−
真っ正面から、視認すら叶わぬ斬撃がぶつかり合う!
それは互いの空間の中心点で、その威力を炸裂させ――場が持たなかった。
行き場を無くした斬撃の余剰エネルギーが、真下に突き抜ける!
それにより床に亀裂が走り、教室が完全に陥没して落ちて行った。
ここに、二人のシオン。
『刀刃の後継』の戦いは、最終局面を迎える――!
(後編に続く)
はい、第四十三話中編2でした。
紫苑の正体はロストロギアの人形だったと言うオチ。
魂学系技術のロストロギアとなりますな。
では次回、紫苑と決着!
お楽しみにです。
ではではー。