魔法少女 リリカルなのはStS,EX 作:ラナ・テスタメント
――ユニゾン・イン。
虚空に響き渡る、たった一つの言葉。それをその世界に居る者達は余す事無く聞く。そして沸き立つは負の象徴、アンラマンユ因子。
自分の同一存在である紫苑と対峙するシオンから、それは溢れ出ていた。
紫苑を睨む爛々と光る紅玉の瞳。それに紫苑は怖気と共に息を飲む。
《……やり過ぎた、かな? まさか自分の事より他人の事で暴走するなんてね――》
《何を言ってんだ? お前》
−カカカカ。無知ってのは怖いなぁ、兄弟−
《ッ――!?》
独り言のように呟いた念話を返されて、紫苑の瞳が揺れる。まさか、返答されるとは露程も思わなかったのだ。
まさか――ひょっとしたら、と言う自分の考えに紫苑は総毛立つ。
”有り得ない事”だ。少なくとも紫苑が知る範囲では、そんな事は。だが。
《誰が暴走なんざするかよ、お前は俺が潰す》
−カカカカカカカカカカカカ! 信じられねぇよなぁ、有り得ねぇよなぁ、分かる。分かるぜぇ? だが理不尽ってのは往々にして起きるモンなんだよ−
眼前のシオンがあっさり否定する。その憎悪と言う名の冷徹過ぎる”理性”を持って紫苑を睨み据える。
【シ、オン……?】
イクスからも戸惑うような声が上がる。それは、そうだろう。シオンは因子を、カインを顕現しておきながら理性を保っていたのだから。
直後、シオンの断たれた左腕から血の代わりに因子が溢れ出た。それは真っ直ぐに虚空を進み、あるモノに繋がる。
未だ虚空を漂っていたシオンの肘から先のイクス・カリバーンを掴んだままの左腕を。因子は傷口に繋がると、そのまま左腕を引き寄せる。そして、断たれていた左腕が接続。あっさりとくっついた。
感染者特有の現象、再生である。シオンは左手に握っていたイクスを右手に持ち替える――と、いきなり、くっついた左腕の肘の部分から更に因子が溢れた。それは一気にシオンの全身を包み込む。そして。
−轟!−
因子が柱のように突き建ち、晴れた。紫苑は身じろぎする事も出来ずにただただその光景を眺める。
有り得ない事の筈である。だがもし、仮に、”アンラマンユを完全に自身の制御下に置けたのならば?”
そして因子が晴れたその向こうで、”それ”は、現れた。
異形である。それは間違い無い。
だが、その異形は今までと明らかに違っていた。
最初に目を引くのは左腕だ。肩から手の先まで漆黒の甲冑に覆われている。その指先は凶々しい鈎爪となっていた。そして背中、まるで触手のようにのたうつ三本の尻尾。どこか剣竜を思わせる尻尾である。
どれもアヴェンジャーフォーム特有の甲冑である――否、”あった筈”か。
甲冑はそこまでしかなかったのだから。左腕と背中だけ。後はカリバーフォームを黒にしたバリアジャケットをシオンは纏っていた。そして最大の変異点。シオンの髪は、銀から染め上げられたように黒へと変わっていたのだ。まるで、タカトやトウヤのように。
アンラマンユを象徴するが如く、その髪は漆黒へと変貌していた。
シオンは、沸き立つ因子に理性を小揺るぎもさせないまま、左腕を掲げる。鈎爪を備えた左手をバッと開いて見せた。
紫苑に掌を差し向けながら、ぽつりと呟く。己の――。
《我は正しき怒りと、憎悪を持って眼前の存在を打ち砕かん》
−カカカカ、悪くねぇ、悪くねぇ! ああ兄弟、アベル・スプタマンユ! いい憎悪だ。いい怒りだ!−
シオンの念話に応えるかのように、カインが吠える。因子がそれに共鳴したが如く激しく沸き立つが、今のシオンの理性は全く揺るがない。
真っ直ぐに、紫苑を見据えままに続ける。
《ハーフ・ アヴェンジャーフォーム》
新たな姿の名前を告げた。
それは、シオンが負の感情より引きずり出した新たな姿。自らの中にあるカインと同一の思考性を持った時のみ、顕現せしめる形態。そして、それは取りも直さず一つの事実を意味する。
則ち、シオンは因子を自身の制御下に置いたと言う事を。
その力を余す事なく振るえる、と言う事を。
他でも無い。紫苑を見据える瞳がそう語っていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
……言葉が出ない。
スバル・ナカジマは宇宙空間に伸ばしたウィングロードの上に立ち尽くしながら、そう思う。
先程、担当であったストラの次元航行艦のブリッジを占拠したスバルは、シオンと紫苑の戦いを見て、慌てて、艦の外に出てシオンの元に向かった。
紫苑と対峙するシオンは明らかに冷静では無かった。まるでそこに居るだけで、紫苑に精神的に追い込まれているかのようにスバルには思えたのだ。
嫌な予感を覚え、シオンの元に急ぐ速度を上げたのだが――その悪い予感は当たってしまった。
シオンは自分の命すらも省みないような無茶を行い、瀕死の状態までになってしまったのだ。
当たって欲しく無い嫌な予感が的中してしまい、歯噛みしながらもスバルは最大速度でシオンの元に急いだ。
途中でノーヴェとも合流。そして、シオンを肉眼で見える距離まで近付いた時。”それ”は起きた。
因子、アンラマンユが再びシオンの身体から溢れ出たのだ。どういう原理か、シオンの命懸けの自爆技を受けて無傷な紫苑すらも、それには目を丸くしていた。
シオンはアヴェンジャーに近いような姿になり、理性を保ったまま、紫苑を見据えていた。
”憎悪”と言う名の理性を持って。
そんなシオンを、スバルはかつて見た事がある。
タカトを追ってアースラを飛び出した時のシオンである。あの時も、シオンは憎悪と怒りのままに動いていた。
そして、その結果は――。
《まさか、アンラマンユを完全に制御しきるなんてね……!》
《そんな事、どうでもいい。俺は、お前をぶっ潰せたらそれでいい》
あくまで、シオンは静かなままに紫苑へと語りかける。それは逆に、怒りが過ぎて冷静になってしまっている証拠であった。
そんなシオンに、スバルは想像が当たってしまった事を悟る。シオンに念話を掛けようとして。
《さっき、お前が言った台詞、忘れてねぇよな?》
《ああ、そこの彼女と、後こっちに来てるもう一人の娘を殺すって話し? うん、忘れて無いさ。なんなら今からでも――》
《もういい、黙れ》
楽し気な口調で言ってくる紫苑の念話をシオンは最後まで言わせ無い。右手のカリバーンと、左腕の鈎爪を掲げる。そして。
《スバル》
《っ――!? シ、オン……?》
突如として、念話を掛けられてスバルは飛び上がりそうになる。最初からスバルがそこに居るのに気付いていたのか。シオンは振り返らないまま、スバルに念話で話す。
《――守るから》
《え?》
《絶対に、お前も、ティアナも”俺の技”で、刀で、殺させたりなんかしないから……!》
《シオン……?》
その念話に、スバルはシオンの名を呼ぶ。紫苑に語りかけた時とは、まるで違う口調である。そこには、悲痛なまでの願いがあった。
スバルは何とは無しに悟る。シオンは今、この瞬間までも追い詰められている。
因子に、では無い。
紫苑に、そして自分の過去にだ。
心が、押し潰されんばかりにシオンは精神的に追い詰められていた。
《シオン!》
スバルは、シオンの名を叫ぶ。思っていた以上に、シオンの精神状況が良く無い事を悟ったのだ。嫌な予感がスバルの心に膨れ上がる。
《……”こいつを、殺してでも……!” 俺は、絶対に!》
《シオン! 駄目!》
《て、スバル待て!?》
シオンの台詞に、漸く嫌な予感がなんだったのかをスバルは悟る。シオンは紫苑を殺す積もりなのだ。ここで、確実に。
よく考えれば、先の戦いでもシオンはずっと殺傷設定で戦っていた。
思わず飛び出そうとするスバルを傍らのノーヴェか押さえる。そうしなければ、おそらくスバルは二人の間に割って入ろうとしただろう。
スバルはノーヴェに押さえられながらも、シオンへと向かおうとする。そして、シオンは振り向かない。眼前の紫苑をただ見据えて。
《ここで、お前は終われ……!》
《やって見せなよ》
−轟!−
二人は弾けるように飛び出す!
星々が瞬く中で、白刃と怪手は漆黒の虚空で相打った。
磁力で引かれたように二人は至近で見合い、弾かれたように刀と鈎爪は跳ね上がる。
二人のシオンの戦いが、再び始まる――。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
−戟!−
ぶつかり合う刀と、怪手、刃と鈎爪とが絡み合う。
シオンは右に体を捌き、振り上げたカリバーンを紫苑へと放つ!
−つぃん−
だが、それはあっさりと身体ごと孤を描く刀によって斬り流された。
――乱剣の型。
先の焼き直しのように、シオンのカリバーンが頭上に跳ね上がる。軌跡は延長し、シオンの首元に刃はひた走ろうとして。
−軋!−
シオンの左の鈎爪が、刃を寸前で受け止めた。火花を散らしながら刃と鈎爪は責めぎ合い、二人は再び至近で互いに視線を交わす。
《答えろ、紫苑! ”あの人”ってのは一体誰だ! 誰に何を頼まれた!?》
《僕が答えるとでも思うのかい……! だとしたら相当にお気楽だね!》
−破!−
紫苑の刀が鈎爪とぶつかり合ったまま刃を上へと翻した。人差し指の鈎爪に刃を引っ掛かけると、紫苑は半歩をシオンへと踏み込みがてら刃を跳ね上げた。
−戟!−
すると力点をずらされ、あたかも刀に弾かれるように怪手は先のカリバーンと同じくシオンの頭上へと跳ね上がる。
そして、刀はすでに紫苑の頭上で翻っていた。両の手で刀の柄を紫苑は握り締め、真っ直ぐに体重をかけながら刀を振り落とす。
――虎走りの型。
それがその型の名前であった。
《壱ノ太刀、絶影!》
−斬!−
無念無想。紫苑より放たれた刀が、袈裟に迅雷の速度を持って振り落ちる!
だが、今のシオンは鈎爪だけが武器では無い。その右手にはカリバーンが握られている――!
《絶影!》
−戟!−
縦に放たれた刀は、横に放たれたカリバーンにより、シオンの頭を割る直前に防がれた。
二つの絶影の衝撃で、空間に振動が走る。刀とカリバーンは真っ正面から鍔ぜり合い、二人は刃の向こうに映る互いを見据える。
筋力は流石にシオンの方に分があるのだろう。シオンは右手一本で紫苑の刀を受け止め切っていた。
そして相対する紫苑も流石である。刀とはその特性上、縦の衝撃に滅法強いが横の衝撃にはひたすら弱い。『折れず、曲がらず、よく斬れる』とは言うが、それは持ち手の力量に多分に依存する武器が刀というものである。デバイスである以上、刃の欠けや耐久性は相当に上がっているだろうが、普通に考えれば剣と真っ正面にぶつかり合ってただで済む筈が無い。
ならば、何故に折れる事も刃が欠ける事も無く鍔ぜり合いが成立しているのかと言うと、それは紫苑の力量に依る所が多いのだ。
紫苑は力点をずらす事で鍔ぜり合った状態で力を流しているのであった。
力のシオンと、技の紫苑。二人は今まさに拮抗していた。
シオンは鍔ぜり合いの状態から紫苑を真っ直ぐに見据える。紫苑も同じくだ。
やがて、シオンの口端が笑みの形に歪んだ。
《どうしても言う気は無ぇんだな……?》
《当然だね》
紫苑はあっさりと答える。シオンはそれに笑みを更に深くした。
まるで獣のような笑い。そして、跳ね上がられた左腕を高々と振りかぶられ――。
《言わねぇんなら……! その身体に聞いてやらぁぁぁぁ!》
−轟!−
横薙ぎに、鈎爪が振り放たれる!
紫苑はそれに半歩を振込みながら刀を振るい、カリバーンと放たれた鈎爪を同時に弾こうとして。
−戟!−
《ぐ――っ!?》
九割がてらその威力を斬り流したにも関わらず、鈎爪は刀を弾き飛ばした。いかな威力がその鈎爪には秘められていたか、紫苑はそのまま後ろへと吹き飛ばされる。
すぐに体勢を整えようとするが、シオンの獣じみた動きはなお疾い!
紫苑が体勢を整える前に肉薄し、カリバーンを振り放つ!
−撃!−
辛うじてその一撃を紫苑は斬り流すも、完全とはいかず肩口に刃が掠め、血が吹き出した。
一撃を放ったまま背後に抜けたシオンはまだ止まらない。足場を展開し、着地、紫苑へと更に跳ぶ。
背後から迫るシオンに、紫苑は無理矢理背中へと刀を振り放つものの、そんな無理な体勢で放った刀にさほどの威力はある筈も無く、シオンはカリバーンであっさり刀を弾いた。そのまま鈎爪を翻して、紫苑の背中に叩き付ける!
−撃!−
《が……っあ……!》
紫苑から苦痛の喘ぎが零れる。それに、シオンは当然構わない。カリバーンと鈎爪を振り上げる!
《絶影、双刃!》
−閃!−
−裂!−
左右から挟み込まれるように放たれる二条の絶影! カリバーンと、鈎爪から放たれたそれは迷い無く、無防備な紫苑へと叩き込まれた。
−撃!−
突撃にも等しいその一撃を受けて、紫苑の身体が盛大に跳ね上がる。虚空へと投げ出された紫苑の下を、絶影・双刃を放ったシオンは勢いのままに突き抜けた。
とった……!
シオンは今の一撃に確信する。手応えからして、致命傷となるだけの一撃であった。これならば、奴も――そう思った、直後。
《調子に乗りすぎだよ……! オリジナル・シオン!》
−閃!−
シオンの背中を袈裟に刀が一閃!
背の尾も、甲冑すらも易々と斬り裂いて刀は通り抜けた。
ばか、な……!
背に走る激痛と、再び沸き立つ因子すらも忘我して、シオンは驚愕する。そして肩越しに紫苑へと振り返って紫苑を見る。紫苑は、何と無傷であった。バリアジャケットすらも傷付いていない。”そんな筈は無い”のに。
いや、待て……。
シオンは斬撃で身体が虚空を泳ぐのも構わず、疑問符を浮かべる。そもそも、さっきカリバーンを紫苑に突き刺した筈である。鈎爪も、背中の肉を抉った筈だ。なのに、”無傷?”
【シオン!】
−兄弟? ボケッとしてる暇あるのかよ? 何なら”代わろうか?”−
《っ――――!?》
イクスと、カインの言葉に、シオンは我に返ると足場を展開。着地し、体勢を整える。
紫苑がそんなもの、悠長に待つ筈が無かった。瞬動でシオンの懐に飛び込み、下段から刀が振り上がる!
――曰く、燕尾の型。
《絶影――》
−斬!−
逆袈裟にシオンを斬り裂いて天へと突き立った刀が鈍い光を反射する。一拍遅れて、シオンの身体から血と因子が吹き出した。
《ぐっ! ……っう!》
痛みと出血に喘ぎながらも、シオンはカリバーンを振り放つ。
だが、そんな状態で放たれた斬撃なぞ、紫苑が斬り流せない筈が無い。
あっさりとカリバーンは跳ね上げられた。そして、紫苑の身体が虚空に踊る。
まるで死之舞踏(ダンス・マカブル)。
刹那に放たれた数十もの斬撃は、視認すらも間に合わせずに、シオンの身体を斬り裂く。血煙がたちどころに虚空に華となり咲いた。
《感染者だからといって絶対不死と言う訳じゃ無いだろ? 貴方は何回死ねば死ぬかな……!》
《ぐ……!》
紫苑の台詞に、シオンはぐっと呻く。確かに、いくら何でも完全に不死と言う訳ではあるまい。そうで無ければ聖域での戦いで、タカトが本気を出す事をあれ程躊躇う筈が無い。
このままでは、死ぬ――そう、”このままならば”。
シオンの口端がにぃっと吊り上がった。
《我は堕ちる。色と自らの本能に赴くままに、他者を汚しながら……!》
斬られながらシオンは聖句を呟く。それは果たして、紫苑に聞こえたかどうか。
両の腕を交差させて斬撃を受け続けながら、シオンはひたすら紫苑を睨み据える。開かれる口からは聖句が零れた。
”新たな罪”を顕現せしめる聖句を。
《侵し、犯し、冒し尽くす! その、精神(こころ)までも! 第五大罪。顕! 現……!》
《させると思うかい!?》
シオンの聖句に気付いた紫苑が、させじと勝負に出る。刀を突き出し、その身体に魔力を纏いながらシオンへと突っ込んだ。奇しくもそれは、同じ五の名を冠する技!
《伍ノ太刀! 剣魔!》
−轟!−
叫びと共に紫苑は矢となり弾けた。向かう先には未だ防御の体勢のまま動かないシオンが居る。
剣魔を持って突き出された刀はシオンの両手を弾き、無慈悲に身体の中央、心臓に突き立つ!
これで大罪スキルも使え無いと紫苑は勝利を確信して笑い。
《淫欲(ルスト)……!》
その言葉を耳元で聞いて、愕然とした。シオンの目的は最初からそこにあった。ルストを紫苑にかける事、ただそれだけを。故に、剣魔を躱さなかったのだ。
つまりそれは、この大罪ならば紫苑を倒せると確信している事に他ならない――。
次の瞬間、紫苑の視界は光に染まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
《っ――!?》
紫苑の視界に光が広がり、瞬く間に消える。その間に逃げたか、刀で突き刺した筈のシオンは何処にも居なかった。
それに、今の紫苑には他にも気にかかる事がある。
第五大罪、淫欲。シオンが発動した大罪スキルである。
まさか、さっきの光による目眩しと言う訳もあるまい。
なら、一体……?
怪訝に思いながらも紫苑は視界を素早く巡らせようとして、その必要の無い事に気付く。シオンは、真っ正面に居たのだから。
因子による効果か、すでに無傷。紫苑と対峙する形で、薄ら笑いを浮かべている。
それに何らかの罠を警戒するも、シオンは何もしない。ただ立ち尽くすだけ。
ならば……!
虎穴に入らずんば虎児を得ず。紫苑は瞬動で、シオンの懐に飛び込む。同時、孤を描く刃が頭上より振り落とされた。
−斬!−
袈裟に振られた刀は、迷い無くシオンを肩口から叩き斬る!
そして、シオンは無抵抗のまま崩れ落ち、塵となって消えた。
死んだ……?
あまりにもあっさりと消えたシオンに紫苑は思わず疑問符を浮かべた。いくらなんでも簡単に過ぎる。これは――?
−カカカカカカカ!−
《っ!?》
突如響いた笑いに、紫苑は身を固くして振り向く。そこには、先程塵となって消えた筈のシオンが居た。薄ら笑いを浮かべて紫苑を見続ける。
……それが何故か凄まじくカンに障った。
再び瞬動発動。即座にシオンの眼前に現れ、今度は逆袈裟に刀を跳ね上げる!
−閃!−
今度も結果は同じだった。シオンはあっさりと斬り捨てられ、塵となって消える。すると、その後ろに斬り捨てた筈のシオンがまた現れた。紫苑が愕然とする。
《どう言う事なんだ……!?》
幻術では無い。そもそも手応えからして違う。紫苑の手には、人を斬った感触がしっかりと残っていた。
幻術ではそんなもの、再現出来る筈も無い。故に紫苑は混乱していたのだ。
取り敢えず、眼前のシオンを斬り捨てようとして。
《何処を見てる? こっちだ》
《っ――!?》
念話が背後から掛けられた。紫苑は猛然と振り返る。
そこには、ニヤニヤと笑うシオンが居た。前にも居るのに! すると。
《こっちだ、こっち》
《どこ見てんだ?》
《お前の目はふし穴かなんかか?》
次々と念話が紫苑に掛けられていく。紫苑の周りには、いつの間にやら数十人のシオンで埋めつくされていた。
それも、その一人一人から念話が掛けられたのである。更にシオンはどんどんと増えていく。
有り得る筈が無い光景だ。だとするならば、やはり幻術か――だが。
《っ!》
−斬!−
試しに眼前のシオンを斬り捨てる。するとやはり。甲冑と肉、骨を斬った感触だけを残してシオンは塵となって消えた。
紫苑の感覚は伝える。あれは、”本物”だと。
なら、この無数のシオンは果たして何なのか。
《っ……! あぁああああ……!》
−斬!−
斬る。
−閃!−
斬る。
−裂!−
斬り捨てる!
立ち並ぶシオン”達”のこと如くを斬り捨てる! だが、シオンの数は一向に減らない。寧ろ、増えていた。
これが、淫欲の効果……!?
胸中叫びながら紫苑は呻く。いくら斬ってもシオンは減らなかった。そして紫苑はシオンを斬り捨て続け。
《あぁああああああ……! どこだ……!? 本物は何処に居る……!》
その数が万に達しようとした時、ついに吠えた。
いい加減おかしくなりそうだったのだろう。先のような余裕は何処にも無い。
それでも眼前のシオンを逆袈裟に斬り捨てて。
《――三分、て所か》
《何、が……!?》
突如として聞いた声に、紫苑は問い掛けようとして。
−破−
頭上から世界が割れる光景を見た。まるで硝子のように砕け散っていき。
《いい夢は見れたかよ?》
《ま、さか……!?》
その時点で、漸く紫苑は今の状況を理解した。やはりこの現象は幻術だったのだ。しかも分身を作るような物では無く。”幻世界を作り出し、対象の精神を取り込むタイプの!”
おそらく、幻術としては最高法の代物である。
第五大罪、淫欲。その能力を漸く紫苑は悟り、直後。
割れ、現実世界へと戻った紫苑の眼前に、本物のシオンが映る。至近で鈎爪を振りかぶり、今まさにそれが振り落とされんとしていた。
驚愕する紫苑にシオンは獣じみた笑いを浮かべる。
《満足したかよ? ”俺を散々殺せてよ……!”》
《貴方は……!?》
−撃!−
眼前のシオンから繰り出される鈎爪の轟撃!
ルストで疲弊させられた紫苑にそれを躱すだけの力は無く、鈎爪は容赦無く紫苑の胴を薙ぎ払った。
胴の肉を虚空に撒き散らし、紫苑が身体が跳ねる。それを尻目にシオンは鈎爪を振り放った姿勢で通り過ぎ、虚空を翔ける。
あの程度の傷では、倒せない事はさっきの攻防で分かっていた。再生か、何かか。だが、そんなもの”肉片一つ残さず”に消し飛ばせばどうにもなるまい。
故にシオンは顕現させる。紫苑を抹消せしめうる大罪を!
《我が怒りは世界を焼き尽くし、破壊し尽くし、殺し尽くす……!》
紫苑から離れること数十mで、シオンは振り返り、左手の掌を突き出した。すると、掌を中心に幾何学模様の紋章が生まれる。それは、シオンの異母兄、タカトの右腕にある666の魔法陣に酷似していた。
更に、紋章から前後に光の網が伸びる。それはぐるりと左手を囲うと、掌を中心にして迫り出した。
それはまるで、光で作られた砲身であった。
《眼を焼き、己を焼き、世界を焼き尽くす熾烈なる光! 第二大罪、顕現……っ!》
光で構成された砲身は、真っ直ぐに紫苑へと向けられる。紫苑は未だ鈎爪によるダメージからか、まともに動けないようだった。
ただ、シオンに憎悪の瞳を向ける!
《オリジナル・シオン!》
咆哮が響く。だが、シオンはそんなモノに一切構わない。
こちらも激烈な憎悪からなる視線を紫苑へと浴びせる。同時、砲身を中心に複数の魔法陣が展開した。転移魔法陣である。
そう、第二大罪は反物質砲である。反物質はこの世界に生まれ落ち、物質に触れた瞬間に対消滅を起こして、そのエネルギーを爆発として、顕現させてしまう。故に転移魔法による空間転移で、この世界に触れさせる前に対象空間まで転移させる必要があるのだ。
そして砲身に生まれたモノは凄まじい光を反射しながらも米粒以下のサイズしかなかった。下手に質量の大きな反物質を生み出すと、後ろのスバルやノーヴェ、それに他の仲間をも消し飛ばしかねない。
シオンは紫苑をただ見据え、そして最後の聖句を紡ぐ。紫苑を抹殺する為に!
《――噴怒(ラース)ァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァスッ……!》
−轟!−
叫びを辺りに撒き散らしながらシオンは噴怒を撃ち放つ!
それは空間転移魔法陣を潜り抜け、紫苑へと刹那に迫り――。
−ソードメイカー・ラハブ−
−我は無尽の剣に意味を見出だせず、故にただ一振りの剣を鍛ちあげる−
《な……!?》
その直前に、聞き覚えのあるキースペルとオリジナルスペルが響いた。
この、スペルは……!?
《チィィィィィィィィィィィィエストォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……!》
−斬!−
直後、世界を揺るがせる咆哮が辺りに響き渡り、世界はその刀の名が示す通りに斬り裂かれた。
斬界刀――その一撃を持って。
転移中の反物質を”世界”ごと斬り捨て、容赦無く消し飛ばし、彼は現れた、
忘れもしない紅い壮年の男性。無尽刀、アルセイオ・ハーデンが。
《お、っちゃん……!》
《いよう、坊主。随分楽しそうじゃねぇか?》
シオンの頭上、斬界刀を担いで、アルセイオはニヤリとシオンに笑って見せたのだった――。
(第四十一話に続く)
次回予告
「ハーフ・アヴェンジャーとなったシオンと紫苑の戦い。しかし、その決着に邪魔が入る」
「無尽刀、アルセイオ・ハーデンから」
「シオンは激昂し、彼に襲い掛かるが、アルセイオはそんなシオンを呆れたように見る」
「弱くなったと」
「次回、第三部『反逆編』完結! 第四十一話『舞い降りる王』」
「王たる青年は、現れる。神鎗を手にもって」