魔法少女 リリカルなのはStS,EX 作:ラナ・テスタメント
グノーシス、イギリスEU支部『学院』。その施設は首都ロンドンの郊外にひっそりとある。さほどロンドンから離れている訳でも無いのに、この辺りは比較的のどかであった。
首都と言えど少し離れるだけでこのような風景が見られる。東京でも郊外に行けばわりと田舎があるものだ。
おおざっぱにシオンはそんな風に思いながら『学院』内を歩く。先頭に立つ鉄納戸良子の膨れっ面に苦笑しながらではあったが。
そんな彼女に、後ろでスバル達がおろおろしているのが手に取るように分かった。それにもシオンは苦笑を強める。
先程、初対面の時に驚きの声を上げた事を良子が拗ねているのだ。スバル達はそれを気に病んでいるのだろう。
しょうがねぇなぁと、シオンは胸中呟くと良子に追い付き、声を掛けた。
「……なぁ、ちび姉。ちっさい扱いされんのは前からだろ? スバル達は初対面だったんだし、いい加減許してやれよ」
「き、貴様……! 誰に一番怒ってると思ってるんだ!」
執り成すように言った言葉に、良子はすぐに反応。こちらをキッと睨んだ。シオンは、おや? と首を傾げて。
「……ひょっとして、俺?」
「貴様以外の誰が居る!? ちび姉と呼ぶな!」
「だって、ちび姉はちび姉だし、前からそう呼んでただろ?」
「その度に訂正しろと言っただろう! 全くお前は――!」
足を止めて、そのまま説教モードに移行。良子は、腕組みしてシオンに怒声を浴びせ掛ける。シオンは苦笑して、床に正座して聞く事にした――怒られている時に自分より視線が高いと良子が更に怒るからだ。
そんな、懐かしい気持ちになりながら久しぶりに良子の説教を聞いているシオンを見て、スバル達はちょっと呆気に取られながら、やはり微苦笑しているみもりに尋ねる。
「ねぇねぇ、みもり。シオンってさ。何で良子ちゃ――……さんの事をあんな風に呼ぶの?」
「えっと、それはですね」
危うくちゃん付けにしそうだったのを何とか堪え――以前、姉であるチンクにしてしまい、えらい怒られたからだ――堪えながら聞いたスバルの問いに、みもりは顎に手を当てて少し思案。しかし、すぐに頷くと説明を始めた。
「良子さんは、私達が小学生くらいの頃にお世話になった人なんです。……私と、シン君。ウィル君とカスミちゃんは皆、良子さんに遊んで貰ったんですよ」
みもり達が小学生低学年くらいの頃、グノーシスが二分に分かれる争いが起きた。世に言う『グノーシス事件』である。
これにより神庭家は殆どの人間が出て行き、みもりの父も表の混乱を押さえる為に家に帰れない日々が続いた。そんな彼等、彼女達の面倒を見たのが神庭アサギと個人的に友人であった鉄納戸家であり、その家の長女、良子であったのだ。
ああ見えてシオンは良子には一切頭が上がらない。あるいは義理の姉、ルシア・ラージネスと同じくらいに、であった。
そんな説明を聞きながら、ギンガがみもりの説明にちょっと頷く。
「成る程……シオン君って年上の女性に弱そうな気はしてたけど、やっぱりそうなのね」
『『……う……』』
何となしに呟いた彼女の台詞に、一斉に唸る声が三人分上がる。今更とは言え、やっぱり口に出して言われるときっついものがあった。
スバルは一つ年下、ティアナとみもりは同い年であったから。そんな一同に、漸く説教が終わったのか、シオンが立ち上がってこちらに近付いて来る。
「悪い悪い、足止まらせちまって……て、どした? スバルも、ティアナも、みもりも?」
場の空気が微妙におかしな事に気付いたのか、シオンは首を傾げる。だが、それに三人は答えなかった。それぞれそっぽを向いたり微苦笑するだけ。シオンは眉を潜めた。
「……何だよ……?」
「別に何でも無いよ」
「別に何でも無いわ」
「別に何でも無いです」
問うシオンに、それぞれ語尾だけ変えて、全く同じ事を言う。それにこそ何かあったろと、シオンは思うが、三人はやはり答えない。やがてギンガが苦笑しながら、シオンの肩を叩いた。
「シオン君……世の中気にしちゃ駄目な事があるの」
「はい?」
「今回は私が無用心な事言っちゃったのもあるけどね」
「いや、何の事言ってるんですかギンガさん……?」
「こら――! 何やってるんだ、早く来い!」
ギンガの台詞も、やはり訳が分からずにシオンは頭に疑問符を浮かべまくり、そんな一同に良子が大きな声を上げた。シオン達は、慌てて彼女に続く。
これより向かうは『学院』地下施設、その一つ一つが核弾頭並の危険物扱いとされる物が並ぶ場所。
遺失物――つまり、ロストロギア封印施設であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
『学院』は一般的には、普通の大学として知られている。意外かも知れないが、わりと普通の大学生もここには通っているのだ。これは全てのグノーシス支部に言える事ではあるのだが。
例えば、極東日本支部『企業』は何も知らないサラリーマンが働いているし、北米アメリカ支部『正義』は米ペンタゴン内にある為、軍の高官達が普通に出入りしている。
さらに言うならば、EUフランス支部は『教会』であり文字通り十字教総本山であるフランス内部の世界最小主権国家、バチカン市国”そのもの”がグノーシスの支部となっている。
だが当然、多数の十字教信者達はそんな事を知らない。木を隠すなら森の中と言う訳ではあるまいが、グノーシスはこのように、一般人からひどく近しい所で活動しているのであった。そして――。
「――てな訳で、基本的にグノーシスの施設は一般人の目に触れられないように地下に作られてるって訳だな」
『『へ〜〜〜〜』』
古びた、しかし歴史を感じる重々しい校舎に全く似つかわしく無い大きなエレベーターで地下に下りながら、通り一辺を説明したシオンに、スバル達は珍しそうな目を周りに向けながら何度も頷く。
現在、『学院』の隠しエレベーターで地下施設に向かっているのだが、シオンは毎度の事とは言え、この高速エレベーターに乗るとまるで投身自殺をしているような錯覚に襲われる。
地下150m先に下りる高速エレベーターだ。そんなもの投身自殺しているのと体感は何も変わらない。
ただ重力、慣性制御システムがある為、実際死ぬ事はおろか衝撃も感じないのだが。そんなシオンに、スバルが不思議そうな顔をした。
「でも、こんなに深くに施設を作る必要ってあるの?」
「逆だよ。そんだけ下に作らざるを得なかったんだ……もし、中のもんが暴走しても被害を最小限に出来るようにな」
シオンは苦笑すると、そのまま一同に振り向く。悪戯っぽい笑みが、そこには張り付いていた。
「よく覚えとけよ。お前達に渡されようとしてるもんは、”そう言った”もんだ。……暴走すると、取り返しの付かないって代物だ。それだけは覚悟しとけよ」
「……うん」
その言葉に、自分達が扱おうとしているものがどれだけ危険物か悟ったか、一同は顔を引き締めた。
シオンは満足そうに頷くと前を向く。同時、チンっと言う懐かしい音が鳴るとエレベーターの扉が開いた。良子が先導して、最初に中から出ながら一同に告げる。
「ようこそ、『学院』へ……そして、ここが遺失物封印区域だ」
そこは、ドーム状の場所であった。恐ろしく広い空間がドームに包まれている。しかし、中はがらんどう。たった一つ台座があるだけで、他は何も無い。そんな空間に、シオン達は入っていた。
「……これが噂に名高い『学院』の遺失物封印区域か」
「ふわぁ〜〜」
良子に先導されて、ドームの中央に歩く一同は物珍しい光景に目を奪われる。それはそうだろう。数十mに渡り、広がる地下ドームなど珍しい事この上無い。
やがて中央に到着すると、良子が台座に手を翳(かざ)した。何ごとかを呟くと台座が開き、下から何かが迫り出して来る。
「これ、どう言う……?」
「この下にロストロギアが封印されてるんだよ。で、ここからオーダーを出してロストロギアを呼び出すって訳だ――来るぞ」
それらを見て、疑問の声を漏らしたティアナに律儀に答えながら、シオンは冷や汗を一つ流した。これから出て来るものが何かを知っているが故にだ。それは遺失物にして遺失物に非ず。
『奉非神』との戦いに於いて、グノーシス――否、人間が彼等より”算奪した戦利品”だ。だからこそ、シオンは知っている。それが、いかなるものかを。そして、”それ”は出た。新たに現れた台座に載せられて出て来たもの達が。
まず最初に目についたのは、大きな三つの宝玉である。蒼、緋、紫の三色の宝玉。しかし、それはただの宝玉では有り得ない。こうして見ているだけで、凄まじいまでの圧力を感じる。
かのエネルギー結晶型ロストロギア、レリックを遥かに上回るエネルギーを秘めているのは間違い無い。
続いて目についたのは、剣であった。これもただの剣では無い。幅広の大剣は不可思議な事に、刃の向こう側が透けている。ごく薄の刃なのか、それともガラスのような透明な材質で出来ているのか判然としないが、それも通常の剣では無い。目に見えて分かる程のプレッシャーを感じる業物であった。
最後にこれまた四つの宝玉。しかし、これは前の三つの宝玉と違いえらく小ぶりであった。四つの宝玉は、それぞれ『東』『南』『西』『北』と方角を表す文字が刻んである。恐らくは四つセットのロストロギアなのだろう。他のロストロギアと比べても勝るとも劣らぬ圧力を吹き出していた。
その五つの神宝に驚いたかのように、唖然とする一同。彼女達を代表するように、シオンは生唾を飲みながら我知らずに呟く。
「かの岩より生まれし、猿神、斉天大聖、孫悟空! そして北欧神話に於いて卓越した魔術の使い手であったオーディーン、別名、鴉神(フラフナグド)! 更には、かのゼウス神を一度は敗退に追い込んだ嵐神、テュポーン! そしてニーベルンゲンの指輪でお馴染みの鋼の英雄、ジークフリートの愛剣、封竜剣バルムンク! 最後に世に言う四海竜王、東方蒼龍(東海龍王)、敖廣(ごうこう)、廣徳王。南方赤龍(南海龍王)、敖欽(ごうきん)、廣利王。西方白龍(西海龍王)、敖閏(ごうじゅん)、廣順王。北方黒龍(北海龍王)、敖順(ごうじゅん)、廣澤王。それらの龍玉達! ……すっげぇ……始めて見たよ」
『『……はい?』』
熱っぽく現れた神宝について呟くシオンに、スバル達は何事かと聞き直す。だが、シオンはそんな彼女達の疑問なぞどこ吹く風であった。良子に目を向ける。
「こいつ達を、スバル達に……」
「そうなる。どれも一級品の神奪宝だから、扱いには非常に気を配らなければならない。取り敢えず今は封印解除中だ。それが終わるまではどれも取り出せない」
「え? 封印?」
話しについていけなかったスバルだが、漸く語られた台詞を理解して今度は良子に聞き直す。彼女は頷くと、再び台座に手を翳した。神宝達が再び格納されて行く。
「第一級の超危険物だからな……最高位の封印を四層も編んでいる。これは、一層解除するのに丸一日掛かる程のものなんだ。それより、君達は今のシオンの話しを理解出来た?」
「い、いや、その……」
「全然、分からなくて……」
丁寧に説明しながら良子はスバル達に問うと、彼女達は困ったような顔を浮かべた。
当然とも言える。このロストロギアは全て”地球産”のものなのだから。当然、地球育ちな訳でも無いスバル達が、これを知る訳が無かった。納得したように良子は頷くと、シオンに振り向く。
「シオン」
「分かってるよ、ちび姉」
「ちび姉と呼ぶな!」
「……細かいなぁ。取り敢えず、後で俺も大英図書館に調べ物あるし、スバル達連れてくよ。んで、それぞれの神話のレクチャーして来る」
『『へ?』』
「よし、ならいい。ちゃんと教えるんだぞ?」
『『え?』』
自分達の全く知らない所で話しが進んで行き、スバル達は目を白黒させる。それに構わず、シオンと良子はお互いに頷き合った。やがて封印区域から出ようと踵を返して――ぞくりとシオンの背筋を悪寒が突き抜ける。
「あれ? これ……?」
「どうしたの? キャロ?」
そんなシオンを知ってか知らずか、突然キャロが不思議そうな声を上げた。自分の間近、すぐ側をゆっくりと黒い甲虫(かぶとむし)が飛んでいる。虫にしては、少々大きめだが不思議と嫌悪感を感じない。生き物と呼ぶには単純過ぎる輪郭のせいか――そんなキャロの声を聞いて、エリオが振り向く。その頃にはシオンは特級の嫌な予感に包まれていた。彼もまた振り向き、そして。
「あ、エリオ君。ここに大きな虫がね――」
そう言いながら振り返るキャロに甲虫が中央から展開。その身体が開き、中から現れたのは小さな針!
「キャロ! 逃げ――!」
「え?」
−閃−
直後、彼女の白いうなじに向けて、甲虫は針を撃ち出した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そこは一見、普通の独房であった。ジェイル・スカリエッティが入っているそこは、薄暗く簡素なベット等が置いてあるだけ。しかし、彼はそこで度々起こる”振動”をリズムにして鼻歌なんぞをそらんじていた。
今日は、朝から気分がいい。何故かと言われても困るのだが、今日のジェイルは久しぶりに機嫌が良かった。
だが彼の場合、いつ見ても口元に薄笑いを浮かべているので傍(はた)から見れば、その違いは分かるまい。何にしても、彼は気分が良かった。
それが、この軌道拘置所を特級の衝撃が襲うに当たって絶頂を迎える。彼は独房の中で、ひっくり返りながらも笑っていた。看守の一人が不気味そうに笑っていたが、知った事ではない。その看守も慌てて何処かに行き――そして帰って来なかった。
「人は賢者と愚者に分けられる。かつて君はそう言ったね?」
そんな中、唐突にジェイルは鼻歌を止め、独り言を呟き始めた。だが、それは果たして独り言と呼べるのか。誰かに話し掛けるような口調は独り言と思えない。振動がさらに強くなった。
「賢者と愚者。人が聞けば誰でも賢者の方が正しいと思うだろう。だがね、私は愚者になりたかった。賢者ならば、そもそもあんな夢を追ったりはしない。だから、私は愚者になりたかったのさ」
正しくなくともそれを夢見た。他人の事なぞ、知った事では無い。他人なんて、所詮は他人。別の生き物に過ぎない。ならば、いくら利用しようとも構わない。
だが、勘違いをしてはならない。
自分は人間を愛してる。あれだけ未知な存在はそうはいない。
骨を抜きとり、内蔵を改造して、脳髄を引きずり出し、精神――記憶までもに手を加え。
足りない。
足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない、足りない!
自分は、まだ”人間”と言う存在を説き明かしていない!
”彼”に追い付いていない!
ああ、ああ、なんて狂おしい。
ああ、ああ、なんて妬ましい。
人間――否、彼を説き明かす事が出来るなら、いくらでも愚者になろう! そう、思っていた。
「だが、私は間違っていたよ。本当の意味で愚者とはそう言った存在じゃないのさ。考えてみれば誰だって分かる。誰が好き好んで愚者になりたがる? 誰が望んで愚者になると言うんだい? そう、そこから違うのさ。愚者は最初っからとことん愚者だからこそ、愚者なのさ」
本人にその積もりは一片足りとも無かろうともその行いは愚を極め、その思想に他者は非ず、理解も出来ない。
人格として、最初っから最後まで”間違って”しまっている存在。
故に人は言うのだろう。愚か者、と。
「そう言った意味では君は極めて愚者だ。先程、航行艦がここに突っ込んで来たそうだが、そんな真似をする人間を私は一人しか思い浮かばなかったよ」
微笑む――狂気じみた笑みと共に。振動は止まる事無く強くなっていた。そして。
−撃!−
直後、ジェイルの居る独房の天井が”くり抜かれた”。まるでコルクを抜くが如く丸く円を描いて、次の瞬間にはそれが落ちて来る!
−轟!−
激音と共に大量の砂埃を立てて、落ちて来た天井。だが、それは果たして狙ったものなのか、ジェイルを綺麗に避けていた。その天井の上に立つ人間が居る。
ジェイルは砂埃なぞ、見えていないかのように無視して手を大きく広げた。それは、まるで歓迎するかのような仕種であった。そんなジェイルに、”彼”は告げる。
「久しぶりだな、ジェイル。貴様、こんな所で何をしている?」
「ああ、本当に久しぶりだ。五年振りかい? タカト」
そうやって、久しぶりに旧友達は顔を合わせた。
最初に会った時以来、会う事も無かった二人は、このように再会を果たしたのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
薄暗い独房の中で向き合う二人、伊織タカトは相も変わらぬ無愛想な顔で、対称的にジェイル・スカリエッティは薄笑いを浮かべていた。
ジェイルは、その笑みのままにタカトを上から下まで眺めると一人頷く。
「大分身長も伸びたね、今はいくらだい?」
「ここ最近は計っとらんからな。正解には分からんが180強と言った所ではないか? ……しかし、そう言う貴様は変わらんな」
「若く見られる事に関しては定評があってね」
ジェイルは年代から考えると歳は三十を超えている――あるいは四十に届くかもしれないのだが、外見からは全くそうは見えない。二十代と言われても信じてしまえそうであった。
そんな場に似つかわぬ、しかしこの二人だと納得してしまえそうな世間話を二人は交わして、やおらジェイルがにやりと笑った。
「で? 君は何しにここに来たんだい?」
「わざとじゃないぞ?」
「……私は何をしに、と聞いたのだが」
いきなりそんな事を言う辺り、とんでも無い事を彼はやらかしたのか。じーとがタカトを半眼で眺めていると、彼は諦めたように嘆息。ここに来た事情と、今の状況を大ざっぱに説明した。
それを聞き終わるなり、やはりと言うかジェイルに爆笑された。
「……くっ……! くくく……っ! いや、流石だね。君はいつも、私の考えを斜め向こうに飛び越えてくれる!」
「……素直に馬鹿めと言え」
「ならそう言おう。馬鹿だね、君は」
「死ね」
言われた通りの事を言ったら拳を振り上げられた。冗談抜きにブン殴られそうだったので、ジェイルは即座に降参とばかりに両手を上げる。タカトはふて腐れながら拳を納めた。
「……で、わざわざ私を尋ねて来た理由は?」
「ただ単純に顔を見ようと思ってな。まさか捕まっとるとも思わなんだし。そう言えばジェイル。お前、航行艦の修理は出来るか?」
「実物を見なければ何とも言えないね。まぁ、出来ると思うが?」
ここで、無理と言わない辺りが世に天才と言われる所以であろう。ジェイルの答えに、タカトはふむと頷いた。更に問い掛ける。
「なら先程言った管理局が仕掛けた次元封鎖を破壊せずに抜けられる方法は?」
「次元航行システムと、転移システムの応用。それから次元封鎖のデータがあれば出来るだろう……タカト、遠回りなのは君らしく無い。素直に私に何をさせたいか言ってくれないか?」
「そうだな、その通りだ。ならば素直に言おう。ジェイル・スカリエッティ、俺と共に来い」
ジェイルに告げられた通り、タカトは素直に告げる。ジェイルはくくっと笑った。半ば想像はしていたのだろう。だからこそ漏れた笑いだったか。
そのままの薄笑いで、ジェイルはタカトに向き直った。答えを、告げる。
「嫌だ」
はっきりと、そうとだけジェイルはタカトに告げた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…………」
あまりにも明瞭に、明確に示された答えにタカトは沈黙。暫くして、漸く口を開いた。
「……ふむ、嫌か?」
「ああ。私はここから出る積もりは無いよ、タカト。航行艦の修理くらいは手伝うが、そこから先は自分でやりたまえ」
ジェイルはあくまでも薄笑いを浮かべたまま。タカトも表情が全く変わらない。さほど気にしていないと言う事か。
少しだけ嘆息すると、そのまま次の問いを放った。
「一応、理由を聞いてもいいか?」
「別に構わないさ。有り体に言うと私は世界に飽きてしまってね……私がここに居るのは夢を追い掛け、破れたからさ。もう、その夢も無い」
ジェイルの長年の夢であった『聖王のゆりかご』。それによる力で持って、思う存分、生命を研究する。人と言う存在を説き明かす。
それはひょっとしたら誰かに”設定された夢”であったかもしれない。ジェイル自身の夢であったのか、あるいは違うのか――だが、今となってはそんな事はどうでもいい。
重要なのはただ一つ、既に『聖王のゆりかご』は消滅し、ジェイルの夢は無くなってしまったと言う事。それだけであり、それだけでしか無い。
その時点でジェイルは全ての熱意を失ってしまった。
「だからタカト、君と行く事は出来ない」
「そうか――」
「ああ、そうだとも。すまないね」
彼にしては珍しく、本当に申し訳無さそうな、しかしどこか晴々とした表情でジェイルは語り終えた。タカトに背を向けようとして。
「――本当にそうか?」
その言葉に、足を止めた。振り向く――この時、もしフェイト・T・ハラオウンや、ナンバーズの人間がジェイルを見たら驚いたかも知れない。
ジェイルのいつも浮かんでいた薄笑い。それが完全に消えていたのだから。微かな苛立ちが視線に篭る。タカトは微笑した。
「本当にそうか? ジェイル。お前の夢は終わっているのか?」
「……何が言いたいんだい?」
「俺は、お前が言ったあの言葉を忘れていない」
−君こそが、私の望んだ生命の”究極”だ。私はいつか、君に追い付こう−
その言葉を。五年前、ジェイルと出会い、別れ際に言われたその台詞を、タカトは覚えている。
”ジェイルからの、タカトへの挑戦を”。
「お前の夢が何であったのかを問うつもりは無い。それに破れたと言うのも仕方のない事なのだろう……だが、お前が世界に飽きたなんぞと言う戯言を信じるつもりは無い」
「……私が嘘を吐いてる、と?」
「あるいは自分自身ですらも気付いていないだけやもしれんがな」
あれほどの執念を込めた夢が終わる?
それも、ただ一度破れただけで?
有り得ない。他の何でも無い、タカト自身を一瞬だけでも驚かせて見せた程の夢。それがあっさりと終わる筈が無い。
「夢が終わったなぞと言う言い訳なぞいらん。お前はただ落ち込んでいただけだろう? ”お前の夢は終わってはいない”。少なくとも、俺に追い付いてはいないのだしな」
「…………」
きっぱりと言い放つタカトに、ジェイルは無言。そんな彼にタカトは手を差し出した。
「もう一度、自分で夢を描いてみてはどうだ? ジェイル・スカリエッティ。少なくとも、お前はここで終われるような、そんな繊細な人間ではあるまいよ」
「……私の夢は、人の道から外れるものであってもかい?」
「構わん。そもそも化学者にとって倫理感なぞ最も不要なものだろう? ……まぁ、それが俺の身内に危害を加えるようなモノならば、遠慮容赦呵責無しに叩き潰してやるだけだ」
そう言いながら差し出し続ける手。ジェイルは、その手をじっと眺め続ける。その手を取るか否かで迷っているのだ。何と言っても彼は一度負けた身――生まれて始めての敗北と共に夢を砕かれた身だ。逡巡(しゅんじゅん)するのは、当たり前と言える。そんなジェイルに、タカトは更に笑った。
「……実を言うとな。もう一つ、お前を確実に説得出来る手段はある」
「……一体、何を――」
「”魂学”」
そのたった一言の単語がいかような効果を持っていたか。ジェイルの身体が強張ったように固まった。
彼の脳が、その単語に反応している。まるで、ずっと求めて来たものを漸く知ったように! 固まるジェイルにタカトは続けた。
「錬金術に於いては人間は三つの要素で構成されているとされる。一つ、肉体。一つ、精神。……一つ、魂。それを説き明かす学問が、かつてアルハザードと呼ばれる世界にあった。それが則ち魂学」
「…………」
アルハザードに? だが、そんな単語をジェイルは始めて知る。あるいは聞く。どの文献にも無かった言葉だ。アルハザードの遺児にして、その知識を全て受け継いだ筈の自分が!
だが自身の奥深く、根源では、ひどく納得している自分が居た。これが答えだと。
「五年前。お前の研究を適当に見た俺は言ったな? ”一つ足りない”と。それが最後の一つだ。もし俺について来るのならば、俺が知る限りの魂学について教えてやろう」
「…………」
「どうだ?」
最後の誘い。おそらくここでジェイルが首を横に振れば、タカトはそうかと頷いてあっさり彼を諦めるだろう。それは、確信。故にこそジェイルは悟る。この”魂学”を知る機会は、今を於いて二度と無いと。だからこそ、タカトは断言したのだ。ジェイルを説得出来る確実な手段だと。……確かに、その通りだった。
それがいかなるものか、知りたい。その知識を手に入れたい! 彼の”欲”が疼き出した。かのJS事件以降、消えてしまった筈のそれが。
ジェイルはそれを自覚しながら、タカトに思い至った事を聞いてみる。
「”君”と言う存在は、その”魂学”にルーツがあると?」
「ああ、そもそも人は魂にルーツを見出だすものだ」
「魂学を知れば、君に追いつけると?」
「それについては、自分で答えを出すのだな」
あくまでもタカトのスタイルは変わらない。
その気があるならば、手を取れ。拒むのも手を取るも自由、と――タカトの手は、まだ差し出されたままだった。
「……最後に一つ。私がその魂学を知った結果として、君や君の周りに何事か起きた時、君はどうするんだい?」
「先程も言った通りだ。その時は、容赦無く叩き潰してやろう」
その言葉に一切の迷いも躊躇いも無い。ただ、既に決めていた事のみを告げる口調であった。
そんなタカトの台詞に、漸くジェイルの口元に薄笑いが戻る。手を伸ばした。
「……君は、私と話している時も、ずっと手を差し出していた――」
まるで、その手を取ると確信しているように。だから。
「そんな風に差し出された手を拒む手なんて、私は持ち合わせていないよ」
そう言って、ジェイル・スカリエッティは伊織タカトの手を握った。
ナンバー・オブ・ザ・ビースト、伊織タカト。
アンリミテッド・デザイア、ジェイル・スカリエッティ。
ある意味に於いては最悪な二人は、こうして手を組む事となった。
だが、タカトは気付いていなかった。本当に久しぶりに仲間を手に入れた事を、当人だけは知らなかった。
(第四十九話に続く)
次回予告
「突如として現れた虫達、その毒針がキャロを襲う!」
「致命的な毒を受けた彼女を救うべく、シオン達は懸命な蘇生を行う。果して、間に合うのか」
「一方、ジェイル・スカリエッティと合流したタカトは、彼の依頼を聞き、行動を開始した」
「その依頼は、管理局にとって甚だしく迷惑なものだった」
「そして――」
「次回、第四十九話『約束は、儚く散って』」
「約束を、破る。それは彼の、精一杯の謝罪」