魔法少女 リリカルなのはStS,EX 作:ラナ・テスタメント
「……本当にいいの?」
夜の神庭家道場。そこで、少しばかりの躊躇いを含んだ声が響く。神庭アサギ、彼女の声が。それに息子たる神庭シオンはこくりと頷いた。
夜の帳が落ちて、もはや深夜である。鈴虫の声が辺りに静かな音を澄み渡らせていた。
アサギは一度だけ瞑目すると、また”得物”を取り出す。後ろを向くシオンへと、それを向けて――でも、やっぱり出来なかった。得物を引っ込める。
「やっぱり、ダメ……ダメだよ、シオン君」
「あのね、母さん」
「ママって呼んでくれなきゃ、嫌」
「……母さん」
シオンはため息を吐きながら、アサギを振り向く。しかし、アサギはそれでもイヤイヤと首を振った。何かに追い立てられるような切望する想いが、その目に映る。シオンはそんなアサギを、じとーと半眼でみつめた。
「母さん。頼むから、早くしてよ」
「出来ない……出来ないよ! だって私達母子なんだよ!?」
「母子だから頼んでるんだろ」
切羽詰まったように、ついには叫んだアサギにシオンは頭痛を覚える。そして半眼になったままの目で、アサギを見据えた。
「母さん」
「……嫌。嫌だよぅ」
「だ・か・ら……!」
いい加減、勘忍袋の緒が切れたか。シオンは完全に後ろを振り向き、そのまま口を開いた。彼女を諭す為に! それは――!
「”髪を切る”だけで、何でそんなに嫌がるのさ!」
「だって〜〜!」
たまらず叫んだシオンにアサギはハサミを片手にだう〜〜と、涙を流した。それを見て、シオンは再度ため息を吐いてうなだれる。
事の起こりは単純な事だった。
いい加減、前髪がうっとーしくなり……それに”いろいろ”あったので、気分を入れ替える為と決意を新たにする為に髪を切ろうとしたのだが。
それを母、アサギに頼んだのが間違いだった。彼女はシオンが髪を切ると聞いて、目に見えて狼狽。散髪に大反対したのである。その理由はと言うと――。
「だって……しーちゃん、可愛いかったのに、このまま髪を伸ばしたらシオン君、しーちゃんみたいになると思って――」
……そう言って差し出された写真を奪取出来なかった事を、シオンはいつまでも悔やみ続けるだろう。後、みもりには話しをつけねばなるまい。
ともあれその後、アサギをなんとか説得。彼女が髪を切る事で合意を得たのだが。事、ここに至って嫌がったと言う訳である。
どんだけぐだぐだだよと言いたくなるが、ぐっと我慢。シオンは片手を差し出した。
「……もういい。自分で切るから」
「だ、だめだよ……! 形が悪くなっちゃうよ!」
「なら、みもりかティアナ辺りに頼んで――」
「それだけは絶対に嫌!」
ならどうすればいいと言うのか。自分より背が低いアサギがう〜〜と、自分を涙目で上目使いに睨んでいるのを見て、シオンはまたため息を吐く。
とにもかくにも、このままでは話しも進まない。明日の出発までにやっておきたい事は他にもあるのだから。
「う〜〜!」
「……はぁ」
長い夜になりそうだなぁと、シオンは一人頷くとアサギに向き直る。
そして説得を開始した。なおこの後、説得が完了するまでに更に一時間を要する事になったのは言うまでもない事だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「――のは、なのは」
「ん……」
誰から声が掛けられる。それを聞きながら、高町なのはは少しだけ目を開けた。
そこに映るのは仏頂面の青年、伊織タカトだった。なのはを見下ろしている。
「なのは、いい加減起きろ。貴様、確か今日は朝早いとか言って無かったか?」
「ん〜〜?」
なんだ夢かぁ……。
彼がそこに居る訳が無い。自分を起こしに来る訳が無い。現実の自分達は敵同士だから。だからこそ、夢だと彼女は思う。
なら、何してもいいやとも。
そう思うなり、なのはへら〜〜と寝ぼけた顔で、タカトに笑いかけた。
「……黒い王子様が〜〜キスしてくれたら起きる〜〜」
「……ほぉ」
ぴくり、と。その言葉を聞くなり、タカトのコメカミに怒りマークが浮かんだように見えた。
あれ、と思う間も無くタカトはなのはの傍に顔を寄せると、”優しく”彼女に告げた。
「いいだろう。ならば、存分にキスさせてやろう」
「え、ほん――」
「ただし」
言うなり、なのはのベッドにある敷き布団をタカトは引っ掴む! そして、そのまま彼女を投げ転がした。
「にゃっ!?」
「床と、な」
ごろごろと転がる音と共に、なのはの悲鳴が響き渡る。床で顔でも打ったのか、鼻を押さえながら、なのはは涙目となって起き上がった。
「……ひ、ひどいよぉ〜〜。タカト君……」
「黙れ、やかましい。いつまでも起きない貴様が悪い。”折角起こしに来てやったのにな”」
タカトが呆れたように言って、次の瞬間、なのははピシリと固まった。
朝、朝である。そして、ここは高町家のなのはの部屋。そこに、何故に彼がいるのか。
敷き布団を手に持ったタカトに、なのははゆっくりと振り向いた。
「……タカト君。なんでここに?」
「む? ああ、昨日は俺の誤解のせいで結構遅くに貴様達を帰したろう? 流石に悪いと思ってな。一人一人起こしてる真っ最中と言う訳だ」
堂々と彼は言ってのける。なのはは呆然として、やがて重々しいため息を吐いた。
昨夜、彼女達は妙な勘違いをした彼に必死にそれは違うと説明していたのだが。それが終わったのは何と夜中の事であった。
晩御飯まで世話になりながら夜を徹して行われた説明。そこまでして、漸く誤解は解けたのだが、気付けば夜中の二時だったのだ。
なんで彼はこう、微妙に常識が無いのか。
がっくりと脱力したなのはに、タカトが不思議そうに首を傾げる。
「なんだ? どうかしたか?」
「ううん。タカト君はタカト君なんだなぁて思っただけ。ちなみに、これ不法侵入なんだけど」
「なんだそれは。食ったら美味いのか」
ようは知った事では無いと言いたいのか。なのははタカトの言葉に、がっくりと肩を落とした。
そんな彼女に、タカトは肩を竦めると窓に目を向ける。
「さて。ではな、なのは」
「え? あ、うん。タカト君、気をつけて――」
「それは要らない。俺とお前は既に敵同士なのだから。余計な気遣いをするな」
「あ……」
気をつけて。そのたった一言さえも彼は許さなかった。なのはに向けた目は既に感情が失せている。
つまり、敵として既になのはを認識していた。
それに気付いて、またタカトの台詞に、なのはは目に見えて傷ついたように見えて――それをタカトは全て無視した。顔を逸らすと縮地で去ろうとして。
「……誰だ?」
「え?」
いきなりそう言い放つなり、振り向いた。その視線は、なのはに向けられてはいない。真っ直ぐに”開いた扉”へと注がれていた。
そして、そこには大柄な男性が扉に背を預けて居た。こちらを興味深そうに見ている。彼は――。
「お父、さん……?」
「やぁ、なのは。おはよう。そちらはボーイフレンドかな? だったら紹介して欲しいな」
なのはの呆然とした声に飄々として答える。彼女の父、高町士郎が、そこに居た。タカトを悠然と見据えて、そこに。なのはが答えようとして。
「いや、違うな。俺は、彼女の”敵”だ。いつか必ず戦う約束を持つな」
「……そうか、予想した中で最悪の答えだよ」
言うなり、士郎の視界はモノクロへと変化した。
御神流奥義之歩法『神速』。
自らの時間感覚を引き伸ばして高速移動を行う歩法である。それを発動した御神の剣士の視界はモノクロに変化し、相手の動きはスローモーションになると言う。
そのモノクロの世界で士郎は手に持つ二刀で、タカトに襲い掛かり――直後、タカトが笑った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
−閃!−
なのはがそれに気付いたのは、全てが終わった後だった。父、高町士郎の二刀がタカトへと振り放たれた後。
呆然とした彼女をよそに、二人の男は視線を交差する。タカトは感情の失せた微笑みと共に空となった視線で士郎を見つめ。士郎は、そんなタカトに額から汗を一筋流した。
「あ……! お、お父さん!?」
漸く我に返って、なのはが悲鳴じみた声を上げる。しかし、二人は気付いていないかのように正面から見合った。
「もういいか?」
「……ああ、構わないよ」
何のやり取りなのか、タカトの言葉に士郎は剣を下げる。そして、タカトは彼に背を向けた。
「それではな、なのは。俺と戦うまで達者でいろ、ではな」
「あ、タカト君! 待っ――!」
当然、彼は待たなかった。なのはを無視して、縮地で消える。そんなあまりにも勝手な真似をしたタカトに、なのははもぅと口を尖らせて。
「なのは。彼は止めておきなさい」
「え……」
そう、士郎から告げられた。一瞬、何を言われたか分からずに目を丸くする彼女に士郎は構わず続ける。
「今の一撃。素人なら何があったか分からずに死んでいる。玄人なら、自分が斬られている事には気付いて、でも死んでいただろう。達人なら少しの挙動で躱したかもしれない」
「な、なら。タカト君は……?」
「”あれは人間じゃない”」
士郎はきっぱりと断言する。一瞬、何を言われたか分からずに呆然としたなのはに士郎は掌を広げて見せた。
「……見てごらん。冷や汗だ。さっきの一撃、僕は本気で斬るつもりで放った。奥義まで使ってね。しかし、彼は微動だにしなかった。僕が外した……いや、”外されたんだ”。わざとじゃなく、本能的に彼と殺し合う事を恐れてね。分かるかい? この意味が?」
「…………」
それは、つまり。
なのはは、士郎の言葉に固唾を飲んだ。その意味を、彼女はよく知っているから。
伊織タカトと言う存在の異常性を。けど、でも。
「それに、彼は遠くを見据え過ぎてる。女の子じゃ、ついて行けない世界を見ている……そんな気がするな」
それも知ってる。ただ自分の家族を取り戻す為に、世界全てに喧嘩を売った青年。それは家族の為じゃなく、あくまでも彼自身の我欲(エゴ)。幸せを喪失ってしまったが故に他者の幸せを守ると言う彼自身ですら気付いていない想いの果てに彼はそうなった。でも、いや――だからこそ。
「だから、なのは――」
「いいの、お父さん」
心底心配しているのだろう。優しく言ってくれる士郎に、なのはは首を振る。そして、微笑んだまま彼に頷いた。
「もう決めたの。タカト君とは必ず戦うって。それは、約束だから」
「……なのは」
それでも心配そうな父に、なのははもう一度頷いてみせる。士郎は少しばかり呆然として、やがてふっと笑った。踵を返す。
「そうか。なら、僕からは何も言えないな。なのは、彼は多分並大抵じゃないぞ? 勝てるかい?」
「――勝つよ」
なのはは迷わず断言する。その言葉には、溢れんばかりの決意があった。想いがあった。
「勝つ為の努力もするし、勝つ為に頑張る。そして、必ず勝つよ。いつだって、そうして来たから」
「そうか」
それだけ。それだけ笑って士郎は頷くと、そのまま部屋を出て階下に降りた。その背を見ながら、なのはも頷く。
まずはレイジングハートのロスト・ウェポン化。それを行った上で、なのはには考えている事があった。
シャイニング・ブラスターモード。通称、ブラスター”S”。
ロスト・ウェポン化したレイジングハートなら可能かもしれない、彼女が考えた最終戦闘形態。
完成すれば、あるいはタカトと互するかもしれない。
あるいは、凌駕できるかもしれない――。
それは予感か。なのはは、窓に目を向ける。もう去って行った彼に想いを馳せた。
勝つよ。絶対に――。
そう、なのはは心の中だけでタカトに宣言する。
現在、午前5時半。最初の段階たるロスト・ウェポン化を開始する為のチーム集合まで、後一時間半となっていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そんななのはが決意を新たにしている頃、神庭家には複数の少女達の姿があった。
スバルに、ティアナとキャロの三人、それにN2Rの面々を加えた一同達が。
勝手知ったる人の家とばかりに、彼女達は神庭家の廊下を歩く。これだけの人数が一斉に歩ける廊下と言うのはそれだけで凄まじいものがあった。
「……しっかし、いつの間にかここもセーフハウス状態になってるよな」
「そっすね〜〜」
苦笑を浮かべるノーヴェにウェンディも同意する。最初に神庭家に世話になって以来、ついついこの家に泊まり込む事が多くなってしまったのだ。
まぁ、やたらめったらと大きい家ではあるし、部屋も余っている上に家主であるアサギは心良く泊めてくれるので、甘えてしまったのだが。
「ふむ。だが、ここの風呂とは別れがたいな」
うむうむと頷くは、N2Rでは2番の年長――外見だけ見れば1番の年下なのだが――な、チンクである。
神庭家の風呂は何と庭に湧いた露天風呂。しかも温泉である。それだけでは無く、彼女は日本家屋の落ち着いた雰囲気が気に入っていた。そんな風に頷く彼女にギンガが苦笑する。
「でも、チンク。私達は今日から別の所よ?」
「分かっている。だから、少しでも早く装備を受け取って帰って来ればいい」
そんなギンガの台詞に、チンクは事も無げに言う。一応は余所様の家なのだが、帰って来ると言わしめる辺りが神庭家らしかった。
そんな彼女達に薄く微笑みながら、ディエチが前に出る。先頭を歩くティアナに追い付いた。
「でもその前に、シオンを連れて行かなきゃね」
「そうね、その通りだわ。でも、あのバカは……!」
そんなディエチにティアナはどんよりとした目を向ける。そして。
「どこに居るってのよ!? 集合時間まで後十分よ、十分!」
「あ、あはは……」
「テ、ティアさん。落ち着いて……」
そんな叫びに、隣でスバルが頬をかきながら苦笑して、キャロが宥め始めた。ちなみにエリオも姿を見せない。どうやら、シオンにくっついているようなのだが。
「ったくもー。朝から全く姿現さないし……」
「まぁまぁ、ティア。さっき念話入ったし、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない!」
きっとティアナはスバルに睨みを効かせる。その瞳は明確に、こう言っていた。甘やかすなと。
それにスバルはたじろぎながらも、いつものように笑顔を浮かべて。
「おー。悪い悪い、遅くなったな」
「すみません!」
そんな、ここ二ヶ月で聞き慣れた声が響いた。ティアナは直ぐさま声の方向に振り向き叫ぼうとして。
「あんた! 何処行ってた……の……?」
「いや、ちょっと道場によ――て、どした? 皆固まって?」
その場に居る女性陣が皆揃って凍り付く。シオンを見て、だ。ただ一人、エリオだけがシオンに苦笑する。
シオンがそんな一同に首を傾げていると、一早く硬直から脱っしたスバルがシオンを震える指で差した。そのまま、問う。
「えっと、シオン……? だよね?」
「ん? そりゃ、そうだよ……て、ああ。こいつのせいか」
そんなスバルの反応にシオンは漸く理解すると、自分の頭に手をやる。一同に、ニヤリと笑いかけた。
「似合うか?」
そう言う彼の髪が朝の秋風に吹かれる。その髪は、相当に短くなっていた。
シオンは髪を切って、まるで別人のように、そこに居た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ふ〜〜ん。じゃあやっぱり、はやてちゃんの所にもフェイトちゃんの所にも来たんだ? タカト君」
「……うん、来たよ、彼は――来なくていいのに」
「……ほんまにな」
グノーシス月本部『月夜』。そこで、苦笑するなのはにフェイトとはやてはどんよりとした目を向けた。案の定と言うべきかやはりと言うか、タカトは彼女達も起こしに来たらしい。
……なのはの時と同じく騒動をきっちり巻き起こしたようだが。
何故かムスッとしたクロノや、主と同じくどんよりとした目のヴォルケン・リッターの面々を見ると、何やらエライ事をしたのは間違いないが。なのははあえて聞かない事にした。
『月夜』のブリーフィング・ルームには彼女達とロングアーチ一同、グノーシス出向組、そして、トウヤが集まっている。だが。
「スバル達、遅いなぁ……」
「そうだね」
なのはが心配そうに呟き、フェイトもそれに同意した。集合時間まで、後五分。なのに神庭家に昨日泊まり込んだ面々はまだ顔を見せていなかった。
一応、十分程前に念話で連絡を取ってはいたので大丈夫とは思うのだが。そう思っていると、ブリーフィングルームの扉が開いた。
「すみませ〜〜ん!」
「遅くなりました!」
謝罪の言葉と共に、雪崩込んで来る少年、少女達。遅れていたスバル達であった。そんな彼女達に苦笑しながら、なのはは一言言おうとして。
「すんません。なのは先生! フェイト先生! はやて先生!」
「……シオン君?」
自分達の所に来て頭を下げる彼女達に、なのは達は目を丸くした。正確には一番前の、シオンに。
シオンは髪をばっさりと切って、短髪になっていたのである。一瞬、別人と見間違えた程だ。
元々、はやてよりちょっと短い程度の髪だったのが数センチ程度短く切られていた。それにより、若干男の子っぽさが出ている。ただ髪を切っただけなのに、雰囲気がかなり変わってしまったシオンに、なのは達はぽかんとする。そんな彼女達の反応に、シオンは苦笑した。
「……似合いませんかね? これ」
「え? う、ううん! そんな事無いよ!」
「うん、ちゃんと似合ってる。けど」
「なんや、いきなりやったからなぁ」
そんなシオンの台詞に、三人は慌てて否定する。いきなり過ぎて、流石にびっくりしたのだろう。
後ろでスバル達も苦笑していた。かく言う彼女達も、今のシオンを見て騒いだのだから。シオンは『男が髪切ったくらいで、騒ぐ事かよ』とは言ったのだが、その髪を切っただけで雰囲気ががらりと変わったのでバカに出来ない。
シオンはとりあえず、なのは達を宥めると視線を別方向に向ける。その視線の向こうにはトウヤが居た。彼はシオンに気付くと苦笑し、近付いて来る。
「髪を切ったのかね……ふぅむ、しーちゃん化計画にこれは遅れが出てしまうね」
「うん。そーいう事言いそうな奴らが増えそうってのも髪を切った理由だけどねー」
軽口に軽口を返してやる。すると、トウヤはふっと笑って頭に手を置いて来た。そのまま撫でられる。
「はは。もう、大丈夫のようだね? まぁ、あいつがお前を放っておく訳が無いとは思っていたがね」
「……やっぱり、あれはトウヤ兄ぃの差し金か。てか、頭撫でんなよ。恥ずかしい」
疑問に思っていた事に遠回りな解答を示され、シオンは取り敢えず手を払いのけた。
やはりと言うべきか何と言うべきか、昨日タカトが自分の元に来たのは偶然では無かったのである。
あれはトウヤの段取りだったのだ。
どうやってかは分からないが、タカトに連絡を取って事の次第でも伝えたか。シオンは知らない事だが、トウヤはアースラチームに『あれを誰の弟だと思っている?』と言う言葉を残している。”あれ”とはシオンだけで無くタカトまで含まれていた訳であった。
謎が一つ解け、しかしムスッとしたシオンにトウヤは苦笑を続け、また頭に手を置いた。
……今度はシオンも手を払いのけ無かった。この素直に弟を手助けしない、素直じゃない異母長兄を。そして。
「……さて、ではちょうど時間だね。席に着きたまえ、皆。ブリーフィングを始めるとしよう」
それぞれの場所に向かう――力を手にする為の、旅路のブリーフィングが始まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ストラの次元航行艦。現在、この艦は次元潜航の真っ最中である。
……結局、彼、タカトはこの艦の名前を調べる事をしなかった。何故なら、名前を知ると愛着が湧いてしまうから。
この艦は、既に乗り捨てる事が決定している。何故なら向こうに着いた後は身軽になる為にこの航行艦は不要となるのだから。だから、名前を彼は調べ無い。ただ一度の共でしか無いのだから。そして。
「……さて、本局も抜けたか。後はミッドチルダに着くだけだな」
次元座標を打ち込んだ艦は自動航行で進んでいる。その中でタカトは今は亡き艦長の席を避けて立っていた。
別に何らかの感情を抱いていた訳でも無い。ただ、そこに座るのだけは妙な忌避感を彼は抱いていた。座ってはならない気がしたのだ。そこにだけは。
そう思いを馳せていると、いきなり艦が妙な振動を起こした。
……これは?
そう疑問を抱いた直後、艦が一斉にアラートを上げる。
「ぬ? なんだ……?」
即座にウィンドウを展開し、状況を調べる。そして、タカトは顔を強めた。
展開されたウィンドウには、艦の現在の状況が知らされている。それは、一つの事実を示していた。
「……次元封鎖されていて、これ以上は航行不能……? しかし、これはストラの――」
そこまで言って、タカトは気付く。今、艦の航行を妨げた次元封鎖はストラのものでは無い事に。それは、”時空管理局が張った次元封鎖であったから”。
考えてみれば、当たり前だ。本局決戦で敗北した管理局側が、ストラの侵攻を恐れ無い筈が無い。ならば、次元封鎖するのは当たり前であった。しかも、タカトが使っている艦はストラの艦である。尚更、通す訳が無かった。
状況に気付いて、タカトは操舵席に座る。すぐに次元座標を打ち込んで艦を操作しようとしたが――。
「……間に合わんか」
タカトは聞こえる艦の軋みの音に歯噛みした。元々、艦の操舵には専門の資格がいる程に難しいものだ。それを、いくらなんでもタカトが即座に操舵出来る訳が無い。結果として、艦は次元封鎖結界に無理矢理押し入ろうとして、今にも自壊しそうだった。
……このままでは、ダメか。
それだけをタカトは悟るなり、右手を掲げる。そこには666の幾何学模様が生み出す魔法陣が現れていて――!
−煌!−
直後、タカトが乗った次元航行艦は光に包まれた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
第九管理内世界、軌道拘置所。重犯罪――しかも、管理局の捜査に否定的な者が収監される事で有名な拘置所である。
更に、ここはある重犯罪者を収監している事で有名であった。
だが、この管理局とストラの戦闘が激化している中で唯一平和を保っていたこの場所に、今、一つの衝撃が走っていた。
局員達が慌ただしく拘置所内を走り回る。彼等はあるいは収監している囚人に呼び掛け、あるいは自らを守る為にバリアジャケットを展開していた。
その表情は誰もが悲壮に歪んでいる。それはそうだろう、たった今齎(もたら)されたたった一つの報。それがあまりにも絶望的なものだったから。
どこからともなく現れた次元航行艦が、この軌道拘置所に突っ込んで来ると言う信じがたい状況。それが今、この軌道拘置所を襲っている現実であった。
「くそ……っ! どこの航行艦だ! この拘置所に突っ込んで来る馬鹿野郎は!?」
「船籍不明! おそらくはストラの艦と……!」
「くそったれ!」
二佐である所長は苛立ちを隠そうともしない。腹立ち紛れに机を殴りつけた。
「い、いかがしますか……?」
「全囚人の安全を確保! どれだけ重犯罪者だろうが人命は人命だ! 誰一人死なすな! 勿論、局員達も死ぬ事は許さん!」
「は、はい!」
所長の咆哮のごとき命令に、局員は慌てて飛び出す。それを確認して、彼も突っ込んで来る航行艦に備える為に動き出そうとした。
《所長!?》
直後、いきなり念話で叫ばれ、動きを停止された。ぐっと奥歯を噛むと、すぐに念話に答える。
「なんだ! どうかしたのか!」
《艦が! 急に速度を上げて! もう――!》
念話は、そこまでだった。何故なら、それ所では無くなったから。
−撃!−
最初に所長が感じたのは衝撃だった。ただの衝撃では無い。それは大柄な所長を浮かばせるほどの衝撃であった。そして――。
−軋!−
−裂!−
−破!−
一気に視界が反転し、目茶苦茶に飛ばされる!
件の航行艦が突っ込んだ事に気付いたのは、全ての衝撃が収まった後だった。
所長は床の上に倒れている。衝撃で転がされたのである。
そこで一つ呻き、咳込むと、所長は立ち上がるなり、そのまま叫んだ。
「突っ込んで来た馬鹿共を全員逮捕しろォ!」
その叫びは通信を介して、軌道拘置所の全てに届いた。
しかし、所長は知らない。その艦に居る人間はたった一人である事を。
……たった一人で全てを敵に回して、なお勝利を掴める致命的な化け物がいる事を。彼は知らなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ぬぅ……! 何処だここは……?」
その所長が言う所である馬鹿たるタカトは艦の外に這い出る。何らかの設備に突っ込んだか――残念ながら、ミッドチルダでは無いようだが。
ともかく本局に突っ込まなかった事だけは感謝してもいいかも知れない。そして、辺りを見渡して。
−撃!−
突如放たれた射撃魔法を拳の一打で消滅させた。だが、それを皮切りに数千の射砲撃が襲い掛かる。それを前にしてタカトはしかし、ただ悠然と拳を持ち上げた。
−撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃−
−撃!−
ただ殴りつける。それだけ、それだけで全ての射撃が霧散して行く!
続いて放たれた射撃魔法も全く意に介さず蹴散らして行った。それも平然とした顔でやってのけるのである。
射撃魔法を放つ面々は顔を青ざめさせ、タカトはそんな彼等に射撃魔法を殴りつけながら、左手の指を上げた。
「天破水迅」
−閃!−
ぽつりと告げられる一言。それは、彼等に取って死刑宣告に他ならなかった。
一瞬にして水糸が、辺りに迅り抜ける! 同時に悲鳴が数百人分上がった。射撃魔法が停まる。
たった一撃。それだけで、その場に居た全員は身体中を切り裂かれ、倒された。
タカトはそれを見ながら平然と歩くと、近くに居た射撃魔法を放っていた男の襟首をひっ掴み、持ち上げる。そこで、漸くタカトは彼等が管理局員である事に気付いた。だが、まぁどうでもいいかと割り切ると局員に尋ねる。
「一つ聞きたい。ここは何処だ?」
「がっ……。あ……」
タカトの問い。しかし、彼は答えられない。当然と言える。彼の手は途中から切断されていたから。激痛と戦う彼に問答する余裕はあるまい。
タカトはふむと頷くと彼を適当な所に投げ捨てる。
そして周りを見渡すが、全員、切り刻まれており、まともに尋問も出来そうに無かった。
しまったなとタカトは思ったが、直後にそれは杞憂に終わった事を悟る。
通路らしき所から、局員らしき人物が次々と現れて来たからだ。彼等はデバイスを片手にタカトへと突っ込んで来ていた。
「サービス精神旺盛だな? 一つだけ聞くが」
−閃!−
再び迅る水糸が彼等を襲う! それは、やはりと言うべきか一瞬で彼等を切り刻んで見せた。だが、数人は拘束するに留まる。タカトは拘束した彼等にこそ、続きを告げた。
「軍隊式の拷問は好きか?」
そんな、地獄から響いたが如き声を彼等は聞いて。数分後、その場に絶叫が響いた。
この時、彼はここの場所も何も知らなかったのだが――もう一つ、知らない事があった。
ここに彼の旧友が居る事を。かつてJS事件と呼ばれ、ミッドチルダを震撼させた事件の張本人が居る事を。タカトは知らなかった――。
(中編に続く)
はい、第四十八話前編でした。早速やらかすタカト(笑)
基本的に神庭家の男共はどいつもこいつもトラブルメイカーです。うん、管理局上層部の方の胃がマッハでry(笑)
では、次回もお楽しみにー。