魔法少女 リリカルなのはStS,EX 作:ラナ・テスタメント
さわさわと秋の風が枝を揺らす。それを彼の背後に見ながら、神庭シオンは呆然としていた。
あまりに唐突に現れた彼、伊織タカトに。彼は薄く微笑みながら、シオンを見る。その微笑みは、何故か妙に”優しく”て――。
タカ兄ぃが、”優しく”……?
思わず疑問符を浮かべるシオン。その微笑みに、何故かぞくりと悪寒を感じて。直後、その視界が黒く覆われた。
「っ!?」
−撃!−
身体が動いたのはまぐれだった。
慌てて身体を起こしたシオンの頭があった部分をタカトの足が打ち抜く。その踏み付けは、容赦無く神社の敷石を踏み砕いていた。
「なん――!?」
何がなんだか分からずに、目を丸くしながら振り返るシオン。が、次の瞬間、シオンが見たものは踏み放った足を軸足にして突き蹴りを放ったタカトだった。それは迷う事無くシオンの鳩尾を打ち抜く!
−撃!−
「ごっ、ふ……!」
胃袋をまるごとひっくり返すような衝撃が突き抜け、更にシオンの身体は後ろへと弾き飛ばされる。その後ろは、当然階段であった。一瞬の浮遊感をシオンは覚え――タカトはその場でトンボを切った。宙にあるシオンへと前に回転しながら突っ込む! 忘我の境で見たのは、頭上から振り落ちる踵!
−破!−
打ち降ろされた踵は頭に直撃。シオンを真下に叩き落とした。悲鳴を上げる間すら無く、石作りの階段に危険な音を立たせながらシオンは落とされ、一回バウンドしながら、階段を転げ落ちた。
「あ、ぐ……!」
転げて、転げて――石畳の踊場にまでシオンは転げて、漸く止まった。全身くまなく痛めつけられ、喘ぐ。
そんなシオンを階段に難無く着地したタカトは静かに見据えて、ゆっくり下りて来た。何も喋らずに。
シオンはやがて激しく咳込むと無理矢理立ち上がった。全身痛くて、立ち上がるのも億劫(おっくう)だったが、まさか寝たままと言う訳にもいかない。ぎろりとタカトを睨みつける。
「なにを、しやがんだ……!? タカ兄ぃ!?」
当然と言えば、当然の疑問をシオンはタカトに叩きつける。いきなり踏み付けられ、蹴られ、転がされたのだ。文句の一つも言いたくなろうというものである。
タカトはそんな自分を睨みつけるシオンを変わらぬ目で見据えた。口を開く――。
「八つ当たりだ」
「……は?」
シオン自身が望み問うた答え。しかし、それを聞いたシオンは思わず盛大に疑問符を浮かべていた。タカトを怪訝そうに見るが、彼は構わず続けた。
「昨日、少々ムカつく事があってな。で、苛々して当たれる対象が無いか探していた訳だが――そしたらまぁ、いかにも不様な顔をしたヘタレを見掛けたのでな。八つ当たりに肉質サンドバックにして殴ろうかと」
「……八つ当たり?」
「うむ」
何故か胸を張ってタカトは答える。そんな彼を呆然と見ながら、シオンは震える指でタカトを差した。
「……その、俺に説教とかしに来た訳じゃなくて……?」
「何故俺がそんな真似をせねばならない?」
逆に聞かれた。再びシオンは我を忘れる。タカトは呆然としたシオンに歩み寄って――。
「ちなみに、まだ八つ当たりは終わっとらん訳だが」
「……え?」
−撃!−
我に返った時には、もう遅かった。横っ面にタカトの右拳が突き刺さり、今度は階段から横の林に吹き飛ばされる!
「ぐ……!」
−撃−
林に投げ出された身体を受け止めてくれたのは大層巨きな樹であった。
凄まじい痛みが背中を突き抜け、息が出来なくなる。
だが当然、八つ当たりと言って憚らないタカトは構わなかった。林に歩いて入り、一歩で間合いを詰めた。拳が、シオンを襲う! ……しかも、一発では無かった。
−撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃・撃−
「が! うっ!」
「ふむ、殴りやすいな。流石、肉質サンドバック」
樹に押し付けられたまま、シオンは殴られまくる! 両腕を上げて防ごうとしても、それも腕を流されて封じられ、開いた空間から拳が顔面に突き刺さった。
なん、で……?
殴られながら、シオンは呆然とそう思う。なんで今、自分はぶん殴られているのか。凄まじく理不尽極まり無い理由で。
−撃!−
顔面に拳が叩き込まれる。意識がそれで持っていかれそうになるが、続いて入った反対の拳がそれを許さなかった。
あえて意識を刈り取らずに殴る。そんな真似をタカトは続ける。 おそらくはシオンを痛めつける、それだけで。
理不尽だった、理不尽過ぎた。
なんで、こんな目に合わなければならないのか分からなかった。
イクスがいなくなって辛いのに、淋しいのに、なんで八つ当たりに殴られなければならないのか。
分からない、分からない……が、腹が立った。目茶苦茶、腹が立った……! だから!
「っざけんなぁあぁぁぁああああああ!」
「む?」
殴られながらタカトをギョロリと睨み、渾身の力で殴り返す!
だが、それはタカトがただ後ろに下がるだけで空を切った。拳を躱したタカトは、しかし不満そうな顔でシオンを見る。
「こら、殴り返すな。肉質サンドバック。サンドバックはサンドバックらしく殴られろ」
「ふざけてろや……! このクソ兄貴……!」
怒りで凄まじい形相になりながら、シオンはタカトに吠える。唇を切ったか、ぺっと血を吐き出した。
「あーキレた。キレました。クソッタレぼけ兄貴にボクキレました」
「口調がおかしくなっとるぞ?」
「どやかましいわ!? 誰のせいだと思ってやがる! 取り敢えずは……!」
言いながら踏み込む。拳を持ち上げ、固く握り締めた。
……何故拳を構える? 殴るために決まっている! この、クソッタレ兄貴を!
「そのスカした面(つら)、殴らせろやぁあああ!」
叫びながら、拳を放った。狙いは当然、顔面!
シオンの拳は真っ直ぐにタカトの顔、中心点に突き込まれ、しかし当たる直前に顔を逸らされるだけで拳は再び空を切った。更に今度はクロスカウンターで、シオンの顔面に拳が突き刺さる!
−撃!−
「百年早い」
「っう……!? っせぇえ!」
カウンターを綺麗に決められ、一瞬だけ怯むもののシオンは諦めずにタカトに襲い掛かる!
そんなシオンに、タカトは少しだけ笑い。
「たわけ」
−撃!−
「がうっ!?」
その顔に再びカウンターを叩き込んだ。それでも諦めずにシオンはタカトに突き進み、しばし打撃音が静寂な神社に木霊する事になったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「あだだだ……!」
あれから1時間後、シオンの姿は再び石段の一番上にあった。ズタボロになった姿で。
あの後も悲惨だった。殴り返した拳は全部空を切り、代わりとばかりに顔面には好き放題拳を入れられた。
結局、シオンが気絶するまでその妙な殴り合いは続き、こうしている訳だが。ちなみに気絶した後、速攻で起こされた。
中指を手首まで反らすという気付け方で。下手に殴られるより遥かに痛い事は言うまでも無い。ともあれ、これでシオンは跳ね起きたのだった。そして――。
「ふむ、すっきりした」
「……そりゃあ、あんだけ殴りゃあすっきりもするだろうよ……!」
妙に清々しい笑顔なクソッタレ兄貴こと、タカトにシオンは憮然とする。
結局、一発も殴り返せなかった。それに腹が立ってしょうが無い。そんな風にふて腐れるシオンにタカトは笑った。
「まぁ、そう言うな。ほら、これをやろう」
「ん?」
ひょいっと放られたものをシオンは思わず受け取る。それはキンキンに冷えたコーラであった。これで顔を冷やせと言う意味か。取り敢えず、殴られまくった頬に缶を押し付けた。
「あぁ……ひやっこ〜〜い」
思わずほお擦りしたくなる。ふにゃ〜〜と崩れた顔となるシオンにタカトは呆れたような顔となった。
「何に使ってもお前の自由だが、温くなったコーラほどマズイものは無いぞ」
「……分かってますよーだ。へん」
べーと、タカトに舌を出すと、シオンはブルトップを開けようとする。それに、タカトが薄く笑った。
「ちなみに、そのコーラだが――」
「うん?」
いきなりの台詞に、シオンはキョトンとなる。タカトの笑いは深くなり、目が細められた。
……嫌な予感がする。シオンはその笑いに妙な悪寒を覚え、だが既に遅かった。
無意識に指はブルトップを開け、それを完全に見届け、タカトは続きを告げた。
「――よく振ってある。気をつけろ」
「て、ぶわぁ!?」
直後、どんだけ振られたのか、缶から噴水もかくやとばかりにコーラが吹き出すと、シオンの顔面に直撃した。
「ぐぉおお! 冷たっ!? 染みる! べとべとするぅ……!」
「カカカ……八つ当たりが終わったなど、誰が言った?」
騒ぐシオンを自分はアクエリアスを取り出して飲みながら愉快そうに笑う。やがて、ぐっしょりとコーラで濡れたシオンはべたつく身体で立ち上がった。
「う、ふふ……! お兄様ぁ……? 素敵なコーラをありがとーございますコンチクショウ。ですので、お礼に――」
「ぬ?」
ゆらりとオーラが漂いそうな顔でシオンはタカトに笑う。タカトは怪訝そうな顔となって。
「くらえ! 愛の抱擁! コーラ付き!」
「ぬぉ……!」
いきなりシオンが飛び掛かる! タカトは珍しく焦りながら、それを回避した。
脇を通り過ぎたシオンは階段に舌打ちしながら着地。今度は上段になったタカトにじりじりにじり寄る。
「ふ、ふ、ふ……! お兄様ぁ? どうして愚弟めの愛の抱擁を躱すので……?」
「貴様……! 血迷ったか……!」
不気味な笑いを浮かべながら近寄るシオンに、心底嫌そうな顔でタカトは警戒しながら後退る。
流石に服がべた付くのは嫌なのだろう。タカトにしてはこの逆襲を読めなかったのは珍しいミスと言える。
逆にアドバンテージを得たシオンはこれ以上ない程の笑顔でタカトに笑い掛けた。
「さぁ、お兄様。一緒にべたべたになりましょうや……死なばもろともに!」
「ちぃ……!」
叫びながら飛び掛かるシオンに、殴れず――殴った手がべた付くからだ――まぁ、いかずに蹴りを放つ。
だが、シオンは異常な俊敏さでそれをかい潜りながらタカトの懐に飛び込んだ。
「とったぁ!」
「ぬぉおお……! 貴様ぁああああ!?」
鳩尾目掛けてダイブを敢行し、見事成功。ぐわしっと背中に手を回し抱き付く。当然、シオンの身体に染み付いたコーラがタカトの服にも染み付いた。
「ぐぉおおおお……! べたべたする! 離れろたわけ!」
「はン! 嫌なこった! もっと染み付けてやる! ぐりぐりぃ!」
「ぬぅあぁああ……! 気軽に洗濯出来ぬのに、貴重な私服がぁ……!」
こうしてささやかな復讐にシオンは成功しつつ、後できっちり殴られ、兄弟喧嘩は終わったのであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「この、たわけが……!」
「元を正せばあんたのせいだろ! 自業自得だ!」
恨めし気なタカトの言葉に、シオンは叫び返しながら桶に汲んだ水を頭から被った。
あの後、この神社の巫女さんに騒いでいる所を見付かる事となり、お説教を一発喰らった後で裏の井戸を借りたのだ。
巫女さんは『風呂も沸かせますよ? 入ります?』と、言って来たが、流石にそれは憚られたので丁重に断った。
「にしても、タカ兄ぃ。知り合い?」
代用としてはなんだがバリアジャケットを纏う。取り敢えずはこれで、濡れた服のままでは無くなった……B・Jを解くとまた濡れねずみだが。ともあれ、気になった事を尋ねてみた。
先の巫女さんだが、タカトと顔見知りのような態度だったのだ。それが気になったのだが。タカトはそんなシオンの問いに一瞬だけ疑問符を浮かべた。
「……? ああ。そうか、お前はまだ――」
「?」
「いや、なんでも無い。まぁ、知り合いだな」
何か妙に気になる態度で答える。どんな知り合いなのか聞きたくなったが、タカトはそれを遮るかのように、井戸から離れた。当然、彼もB・Jを展開している。
そして、神社の裏手の縁側に座った。ついて来たシオンに笑う。
「まぁ、何はともあれ。お前も大分すっきりしたろう?」
「は? そりゃあ、コーラ塗れだったし……」
「そうじゃない」
苦笑する。それに、シオンは疑問符を浮かべ――やがて、あっと声を上げた。
そう言えば、自分が落ち込んでいた事を今更思い出したのだ。
「あー。……タカ兄ぃ? これを狙ってたのか?」
「八つ当たりと言うのも本当だがな」
ばつが悪そうな顔となるシオンに、タカトは笑いを再び苦笑に変えた。そのままシオンを見る目を細める。
「負けたか。アルトスに」
「……何であいつの名前知ってるのとか、戦ってるの知ってるのやら、ツッコミ入れたいけど……まぁ、いいや。うん、負けた」
「そうか」
素直にシオンは頷く。頷きながら、自分自身、思ったよりアルトスに敗北した事を受け入れている自分に気付いた。
その返答に、タカトは息を漏らす。そのまま睨めつけるようにシオンを見ながら頷いた。
「何故負けたか、分かるか? 技術的とかそう言ったものでは無いぞ?」
タカトからの突然の問い掛け。今さっきの自分なら分からなかったろうそれに、シオンはこくりと頷いた。
今の自分なら分かる。あの時、アルトスに完敗した理由に。我知らず苦笑してしまう。
「……俺は、ぐだぐだ考え過ぎていたんだな」
空を見上げる。そして、昨日のアルトスとの戦いをシオンは反芻した。
なんで?
その想いだけが先立って、戦いに集中出来なかった。
なんで?
そう問うて、答えて欲しくて。
……戦いたくなくて。
それが自分から集中力を奪い、迷わせた。
迷った太刀筋ほど、鈍くなるものは無い。
自分は、誰よりそれを知っている筈なのに――。
そんな鈍った刀技で戦うなんて。勝てる筈が無かった。負けるべくして、負ける戦いであったのだ。
それが、今のシオンにはよく分かった。タカトと何も考えずに喧嘩した、今ならば。
憑き物が落ちたようにすっきりとした顔のシオンは微苦笑する。まさか喧嘩して立ち直ると思わなかったのだ。タカトはそんなシオンに鷹揚に頷いて見せた。
「そう言う事だな。考え無しもどうかと思うが、考え過ぎも良くない。特にお前のような単純思考な奴はな。それが見つけられただけでも殴られた価値はあったろう?」
「かー! よく言うよ。殴った本人が言うこっちゃねぇ……!」
しかも半分は本当に八つ当たりだと言うのだからタチが悪い。嘆息しながら、半眼でシオンはタカトを睨んで。
「取り敢えず、礼は言っとくよ。ありがとさん」
「……なんだ、貴様。殴られて礼を言うなど気持ち悪い奴だな」
憮然とした顔で頭をシオンは下げた。一瞬だけ呆然として、しかしタカトもやり返すように悪態をつく。
そんなタカトにぬかせと呟き、シオンはタカトに笑ってみせた。……なんとなく、今のがタカトの照れ隠しに近いものだと理解出来たから。そして、しばらく風に吹かれて。
「なぁ、タカ兄ぃ」
「なんだ?」
唐突に声を掛ける。返答は即座に返って来た。それに一瞬だけ気圧されたかのように黙り込み、だがシオンは意を決すると聞くべきことを聞く事にした。
どうしても聞かねばならない事を。今の彼なら答えてくれると思ったから。だから。
「イクスをなんで、俺に預けたんだ?」
長年の疑問を、シオンは迷わずにタカトに放った。それを聞いたタカトは、無表情にシオンの眼を真っ直ぐに居抜き――やがて、ぽつりと呟いた。たった一言を。
「……俺では、ダメだったからだ」
それだけをタカトはシオンに告げた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「ダメ、だった……?」
「ああ」
あまりに意外過ぎる答えに呆然となる。そんなシオンに、タカトは頷いた。苦笑しながら空に視線を向けると、懐かし気に笑った。
「それ、どう言う――」
「あいつは自ら己の担い手を選ぶ」
遮るかのように、タカトはシオンの疑問に言葉を重ねる。まるでいつかの自分のように、苦笑した。それすらも懐かしいと思いながら続ける。
「あいつの真名を、シオン、お前は知っているか?」
「いや、イク――……アルトスにも言われたよ。『俺の真名を探せ』って……」
「俺は、その試練すら受けられなかった」
そう言ったタカトが何故か淋し気に見えたのは、気のせいか。シオンはタカトの言葉を聞きながら、なんとなくそう思う。タカトは続ける。
「当時、俺はカリバー・フォームまでは発動出来た」
「うん。なんとなく覚えてる」
こくりとシオンはタカトの言葉に頷く。当時、シオンは八歳だったが、それでもタカトとトウヤが並んで黄金の剣と白銀の槍を手に持つ姿は目に焼き付けていた……だが。
「そこまでだったんだ、俺は」
「……え?」
次に放たれたタカトの台詞に、シオンは今度こそ言葉を忘れた。果たして、それはどう意味なのか。シオンが問う前にタカトは苦笑しながら続けた。
「EX。事象概念超越未知存在。俺が、兄者が――クロスが、シェピロが辿り着いた領域。『神殺し』にして、『カミコロシ』……この意味をシオン、お前は知ってるな?」
「…………」
タカトから紡がれた、まるで詩のような問い掛け。それに、シオンは思わず思い出していた。
『天使事件』の結末を。
カミを己が身に降誕させられ、タカトとトウヤの二人が自分を助け出してくれたあの事件を。
その時、シオンは見ていたから。EXと化したタカトと、擬似EXを発動させたトウヤを。
”二人を敵に回し、殺されたカミの目で見ていたから”。それを、忘れる筈が無い。だから。
「……ああ」
長い沈黙を挟んで、シオンは頷いた。タカトはそれを見て、笑う。その返答に満足したのか、そのまま続けた。
「全てにして万物の理由、『概念』を破壊、無視、超越してしまえる存在。故にそれが神だろうと、カミだろうと、一切の介入を赦さず、逆に殺し尽くしてしまうチカラ――だがそれは結局、孤独なチカラでしか無い。兄者の擬似EXは別にしてな」
「タカ兄ぃ……?」
「俺が本来の意味でEXに目覚めたのは十年前、『グノーシス事件』の時だ」
懐かし気に語るタカトは、シオンが思わず上げた声にも構わず続けた。
――何故だろう? そんな異母兄が、泣いているように見えるのは。
「あの時、俺はEXのチカラを手に入れて、リンカーコアを破損し、”傷”を受け――イクスを受け入れられなくなった」
「……どう、いう……?」
”傷”。再び出た言葉も気になるが、その後の言葉の方こそを今は聞くべきだとシオンは思う。タカトはシオンに笑って見せると、言葉にならなかった問いに答えた。
「あいつはユニゾンデバイスだ。だが、ユニゾンは”介入”にはならないか?」
「っ――――!?」
そんな、あっさりと答えるタカトに、シオンは絶句した。つまりは、そう言う事なのだ。
EX。事象概念超越未知存在。その名の由来でもある事象概念超越現象。
”全て”の概念による介入を完全に”殺し尽くす”チカラ。そんなチカラに区別などあろう筈も無い。ユニゾンなぞ、以っての外であった。
絶句し、固まるシオンにタカトは苦笑する。
「つまりはそう言う事だ。完全なユニゾンなぞすると、イクス自体を滅ぼす事になる。発動出来てユニゾン・アームド形態くらいだが、そんなもの、飼い殺しに過ぎない……俺はイクスを手放す外無かった」
「だ、だからって! 他に方法も――!」
「ない。絶対にな。俺は、”お前のような存在じゃないんだ”」
タカトは容赦無く告げる。その最後の言葉に引っ掛かるものがあったが、シオンは首を横に振った。
「俺のようなって……! そりゃ、俺はEXじゃないさ! EXになれる訳が無い! だからってイクスを押し付けるような真似をしなくたって――!」
「違うな、シオン。それには二つの間違いがある。一つはイクス自身がお前を望んでいた事。俺はあくまでも借り初めの主でしかなかった。そしてもう一つ、お前は必ず”俺と兄者”に追い付く」
反論すらをも封殺して、タカトはシオンの言葉を切って捨てる。シオンは混乱し、頭を抱えた。
「訳、分かんねぇよ……」
「今は分からなくていい。いずれ知る事になるのだから。差し当たっては俺が聞く事は一つだけだ。シオン、”お前はどうする?” ”何がしたい?”」
弱々しく呟いたシオンの台詞を拾い上げて、タカトは問う。シオンは一度だけ目を閉じた。
考えなくてはならない事がいっぱいある。
やらなくてはならない事は山程ある。
だが今、”シオンがやりたい事は――”。
「……イクスを、アルトスを、ぶん殴る」
正直に心の奥底からの欲求を、タカトに叩き付けた。変わらぬタカトの表情に、挑むかのようにシオンは続ける。
「あのバァッカには散々いいようにやられたからな……取り敢えずは一発ぶん殴ってやらにゃあ気が済まない。その上で、あの馬鹿を取り戻す!」
−発!−
最後の言葉を拳を放ちながら、シオンは告げる。その拳をことも無げに受け止めつつ、タカトは笑った。シオンも笑いながら続ける。
「そんで、おっちゃんや、アンタとの因縁も。全部、全部に決着付けてやる……!」
「潔(いさぎよ)い解答だ。……いいだろう、気に入った!」
拳を払い除けながら、タカトは吠える。逆に拳を突き込んで来た。それを何とか両手で受けながら、シオンは聞く。
「まずはアルトスだ。アレを超えて、ようやくお前は俺達の背中に追い付く。次は無尽刀……そして、全てを超えたのならば、”貴様を俺の敵としてやる”」
それはどう言う意味か――シオンは悟るなり、背筋にゾッとする感覚を受けた。
悪寒では無い。一種、快感に近い感情であった。
今、タカトはこう言ったのだ。”シオンを認める”、と。
ずっとずっと、追い付きたかった背中の主が、シオンを対等と認めると、そう言ったのだ。
身体が震える。恐怖か、あるいは、歓喜によるものか。自分でもそれは分からなかった。だが。
「俺の前に立つ事が出来るか? シオン」
言うなり、タカトは踵を返すと、そのまま境内を下りる階段に歩いて行った。シオンはしばし呆然としながら、口元に手で触れる。
……笑っていた。
自分は、これ以上無い程笑っていた。
「前に、立てるか、だと? ……上等じゃねぇか……! タカ兄ぃ!」
そんなタカトに、シオンは吠えた。未だに背中しか見せない、そんな兄に、シオンは親指をおっ立てて下に向ける。
「アンタが言った道、全部、全部だ! まとめて踏破してやる! そして、アンタの前に立ってやる! アンタを、超えてやるっ!」
その背中に並ぶ事を夢見た。
肩を並べて歩く事に憧れた。
でも、今は違う。その背中を、肩を、追い越して前を歩く。それが、今の。
「忘れんなよ、タカ兄ぃ! 約束だ! アンタを俺は必ず超えてやる! 首洗って待ってろ!」
シオンの精一杯の宣言。タカトは聞こえたか――ただ片手のみを上げて階段を下りた。それを最後までシオンは見続ける。
もう、その瞳にはどこにも迷いなんて無く、ただ誇らしさだけが、そこにはあった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「首洗って待ってろ!」
そんなシオンの台詞にタカトは苦笑しながら階段を下りた。小指を持ち上げる。
「……また、約束が増えたか」
最近、妙に約束ばかりをしているような気がする。その筆頭はなのはな訳だが。
苦笑し、そのまま小指を持ち上げたままタカトは階段を下り続けて。
「む?」
階段を上がって来る一同と目が合った。向こうも同時に気付いたのだろう、半ば呆然としたままこちらを見上げている。
アースラ一同。彼女達が、そこに居た。
おそらくシオンを捜しにでも来たか。つくづく彼女達とは縁があるなと苦笑して、タカトはそのまま階段を下りた。
「タカト、君……?」
なんで、ここに? と問いたいのだろう。先頭のなのはが目を丸くして名を呼ぶ。タカトはそれに目を細めながら、階段の上を顎でしゃくった。
「シオンなら上に居る。一丁前に落ち込んでいたが、今は大丈夫だろう」
「え? え?」
「やはり男は殴り合いで分かり合うものだな……一方的に殴ったのは俺だが」
もう何が何だか分からない。一同例外無く疑問符を浮かべる中で、タカトは構わず上を指差した。
「行かんでいいのか?」
「え? あ、はい!」
思わずスバルが頷き、ティアナ達と階段を駆け上がる。それを見送って、タカトは続けて残った一同に目を向けた。
なのはを始めとして、フェイト、はやて、シグナム、ヴィータに。
「お前達は行かんのか?」
「ええと……よく分からないんだけど、タカト君が、シオン君を立ち直らせてくれたんだよね? ならもう大丈夫かなって」
なのはがこくりと頷いてそう言う。それにタカトは答えず、残った四人にも目を向ける。四人も同意見なのか、頷きのみを返した。
「……まぁ、いいか」
タカトはそんな一同の反応に肩を竦める。階段を下り始め――その前に、なのはが声を掛けて来た。
「あの、ね。タカト君。これからどこ行くの?」
ひょっとしたら、その問いには深い意味は無かったのかもしれない。単純に根無し草なタカトを案じて出た問いだったのかもしれない。
だが、タカトは正直に答えた。これから行く先を。
「ミッドチルダに向かう」
そう、あっさりと答えた。一瞬、何を言われたのか分からずに、呆然となのはがなるが、タカトは構わない。そのまま続ける。
「昨日、ストラの航行艦に襲撃を掛けてな。その時に得た情報だが――何やら、ミッドチルダを完全に殲滅する腹積もりらしいな、奴達は」
「な、ん……!?」
その言葉に、なのはだけでなくその場に居た一同全員が絶句した。
ミッドチルダを殲滅? 不可能、可能かどうかは置いておいて、その行いはナンセンス極まり無い。そんな事をする必要がどこにあると言うのか。
そんな、絶句してしまった一同に構わず、タカトは続ける。
「あんな世界、滅びようがどうしようが、俺には関係無いがな。……あの世界にはユーノと、ヴィヴィオが居る」
「あ……」
「捨ては出来ん。何より、あの二人が悲しむ顔は見たく無いしな。そう言う訳で、俺は地球から離れる。そして、次こそは敵同士だ」
「っ――――!」
まるで、なのは達に何も告げさせないかのようにタカトは容赦無く告げる。なのは達は質問する事すら出来ずにただ聞く羽目となった。
最後の敵同士と言う言葉に、流石になのはは反論しようとして。しかし、タカトはそれを読んでいたようになのはに目を向けた。
「――なのは」
「は、はい!」
思わず、声に出して答える。タカトは鷹揚に頷いた。
「ユーノとヴィヴィオは俺が守ってやる。だから、お前はここでせいぜい強くなっておけ……俺を追い掛けてミッドチルダに来ようなぞ思うなよ?」
「で、でも……!」
「俺が信用出来んのは分からんでも無いがな。それでも、今回はこう言おう。なのは、俺を信じろ」
「っ――!」
その言葉に、なのはは悲痛に顔を歪めた。タカトにぽつりと呟く。
「ひきょう、だよ。こんな時に、そんな事言うなんて」
「卑怯だろうが何だろうが言わねばな。それで、どうだ? 俺を信じるか?」
それには、なのは自身凄まじい葛藤があった。ユーノを、ヴィヴィオを、人に託していいものか。出来得るならば、自分で行きたい。そう思う。
だが、目の前の存在はそれを許しはしない。そもそも、なのは達にはミッドチルダへの渡航手段が無いのだ。
どうしようも、出来ない。だから。
「――信じるよ」
その言葉を告げるには、なのは自身、血の吐くような思いが必要だった。顔を伏せて、ぐっと堪えるように頷く。
「ユーノ君を、ヴィヴィオを……ミッドチルダの皆を、お願い」
「ミッドチルダの皆と付けたか。が、いいだろう。心得た。任せておけ」
そんななのはに苦笑しながらタカトも頷く。そして、はやて達にも視線を向けた。
「貴様達もそれでいいか?」
「……私達には今、どうこう出来んしな。なのはちゃんが信じる言うたんや。私が口を挟めるような問題ちゃうやろ」
「私としては口惜しいがな。伊織、お前に任せよう」
「……ふん」
はやてが苦笑気味に、シグナムが悔し気に、ヴィータに至ってはまともな返事をせずに答える。だが、彼女達も一応の納得はしたのだろう。
反論は無かった。ただ一人、彼女を除いて。
「私は、反対」
そう、フェイトだけはタカトに反対した。彼を真っ直ぐに見据えながら告げる。
「あなたが、皆を守ってくれるなんて信用出来ない……シオンみたいに”信頼”出来ない」
それは、いつかシオンに告げられた言葉。
”信じて頼る”。
その意味を持つ言葉を、フェイトはタカトに出来なかった。
「ならどうする? ついて来る気か? 言っておくが、俺がミッドに行く方法は奪取したストラの艦を使ってだ。当然、お前を乗せて行くつもりは無い」
「なら、なんで私の意見なんて聞こうとするの?」
そのフェイトの台詞に、タカトは若干身を固くした。思っても見なかった台詞なのだろう。考えてみれば、タカトが彼女達にそれを聞く事事態おかしい事なのだから。タカトは、嘆息してそっぽを向いた。
「……別に他意は無い。聞いてみたかっただけだ」
「そう」
フェイトも全く感情を見せずに頷く。そして、そのままタカトに告げた。
「なら、勝手にしたらいい。私はあなたを信頼なんてしない。でも」
「そこから先を言う必要は無い。お前は俺を信頼しないのだろう? なら、俺には何も頼むな。あの世界は俺が勝手に守る。それでいい」
フェイトの言葉を遮ってタカトは告げる。それにしばし迷い、彼女は無言で頷いた。彼はそんなフェイトに微笑みながら踵を返す。
「ではな。お前達の娘の事は任せろ。……しかし、ミッドチルダの法整備は大したものだな。”まさか女同士で結婚出来るとは”」
「「……え?」」
「お前達、結婚しているんだろう? 何を隠す必要がある? 娘までいるくせに」
「「……え?」」
タカトはなのはとフェイトに向かって、そんな事を言う。何やら、大いなる誤解をタカトがしている事に一同は気付いた。だが、構わずタカトは続ける。
「流石第一管理内世界。進んでいるものだ」
「ちょ――ちょっと待って! タカト君!」
「そ、そうだよ! 待って!」
「む?」
本気で茫然自失としていた二人だが、はっと我に返ると同時に叫ぶ。だが、タカトはそんな彼女達を無視した。自分の体内時計を確認する。
「もう、こんな時間か。晩飯の用意もいるし……アホのせいで洗濯もせねばならん。と、言う訳でさらばだ」
「わー! ダメダメ! 行かないで!」
「そうだよ! ちゃんと! 私達の話しを聞いて!」
がしっと必死に二人はタカトにしがみつく。流石にこう、アレな関係と勘違いされたままのは――特に、なのはは嫌なのか、タカトでさえも怯むほどの圧力で袖を握り締めていた。そんな彼女達に、タカトはむぅと唸り。
「……と、言われても惚気話(のろけばなし)なんぞ聞かされるのも嫌なんだが」
「「だから、そこから違うの!」」
「ならば、八神も入れて三人でか? 凄まじい倒錯っぷりだな」
「ちょっ! 待った! 私も!? なんでそうなるんや!?」
「むむぅ? なら、そこの二人も含めてなのか――ぬ? しかし、お前達、幼女は犯罪にならんのか?」
「ま、待て伊織! 何故私達まで含める!?」
「そうだそうだ! ん? てか、お前……今、あたしの事、なんつった?」
「いや、幼女だろう?」
「だ、だだだだ、誰が幼女だてめぇ!? グラーフアイゼンの落ちない汚れにすんぞ!?」
「――いや、幼女だろう?」
「全く同じ台詞じゃねぇかぁぁあああああ!?」
「タカト君! 話し逸らさないで! ちゃんと――」
「いや、だから――」
……結局、なのは達はタカトの誤解をこの場では解く事が叶わず、何故か彼が占領したと言うストラの次元航行艦に上がり込み、晩御飯までご馳走になりながらタカトに続けて説明して。その誤解が解けるまで、真夜中まで掛かってしまったそうであったとさ。
(第四十八話に続く)
次回予告
「シオンとタカトはそれぞれの目的の地へと旅立つ」
「EU、イギリスへと着いたシオンの前に現れたのは懐かしい人物だった」
「一方、ミッドチルダへと向かうタカトは厄介なトラブルに巻き込まれる」
「その最中に出会ったのは、かつての旧友であった」
「次回、第四十八話『旧き友よ』」
「少年と青年は、それぞれの再会を果たす」