最後に願い、掴んだモノ   作:六花

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紫と白を抱えて

 目を覚ましたはやてはベッドの上に見慣れた姿を確認して微笑んだ。喉元に手をやりくすぐってやれば嬉しそうに喉が鳴った。

 

「おはよう、ラプス」

「おはよう。はやて」

 

 季節は流れもう秋が始まろうとしていた。

 

 

「今日の朝御飯は……」

「卵がそろそろ危なそうだから、卵料理でいいんじゃないかな?」

「ん。そうしよか」

 

 そう言ってはやてはフライパンを取りだす。冷蔵庫から卵とついでにハム。目玉焼きの様だ。付け合わせのキャベツを千切りにし始めたはやての隣で、ラプスは魔法を使用しながら味噌汁を作る。

 

 人間と猫が協力して朝食を作る。何とも奇妙な光景だが、この家では最早お馴染みなった光景だ。

 ラプスと暮らすようになってからおおよそ半年。ラプスは常にはやての傍に居た。家の中は勿論、買い物に行くときも、図書館に行く時も、病院に行く時でさえラプスははやての傍に居た。自身()が入れない場所では他の人の邪魔にならないような場所ではやてを待ち、はやてを憐れみや物珍しさで見て傷つける人間が居れば追い払う。

 そんなラプスの猫らしからぬ行動のおかげで、ご近所の間では“とっても賢い八神さん家のラプスちゃん”と名高い。子供達に至っては、ラプスを見かけただけで集まってくる程の人気者である。

 それらに付随するように、はやてもよく気にかけられるようになった。元々、両親が事故死した時から気に掛けられていたようだが、切っ掛けがなかなか掴めなかったのだろう。同年代の子供達の無邪気や、大人の同情の視線もあって、はやてにとってまだ付き合いにくくはあったが、ラプスが追い払う事もあり以前と比べて話しやすくなった。

 

 傍に居たと言っても、今日までずっと一緒だった訳ではない。ラプスがあの日言った様に、ラプスにはどうしてもやらなければならない事がある。魔力の提供でだいぶ本調子を戻した頃から、ラプスは半月に一度程度の割合ではやての傍を離れる事があった。大体三日前後でラプスは帰ってくる。

 初めて“用事”を済ませて帰ってきた時は傷だらけで、はやては寿命が縮まる思いをした。どんな用事があったのか聞いてもラプスは答えてくれず、何度か出かけては怪我をして帰ってくる事があった。怪我をした理由が無茶だとしったはやてがレイと共に叱る事もあった。だが、ラプスは必ずはやての所に帰って来てくれた。

 怪我をしないという約束は守らなかったが、必ず帰ってくるという約束だけは守ってくれたのだ。

 

 そして今日も。

 

 

 きれいに焼けた目玉焼きをそれぞれの皿に乗せ一つ頷く。はやてがラプスの方を見れば、出来た味噌汁を桜色の光に包まれたお玉で掬いわけていた。何時見ても魔法は便利だと思う。

 リビングに移動し、いただきます、と二人が言った瞬間。コトンと小さな音を立てて赤い宝石がテーブルの上に落ちてきた。

 

「あれ? お帰りレイ。今回は早いんやね」

『ただ今戻りました』

 

 何処か疲れたような言葉が返って来て、はやては更に首を傾ける。レイは床で食べていたラプスの下に飛んでいき何事かを念話で伝えている。その証拠にレイが明滅を繰り返していた。

 指向性念話を使われるとはやてには内容を知る方法が無い。目の前で内緒話をされるのは、仲間外れにされた気がして少しだけ悲しい。そんなはやてに気がついたのかラプスが膝の上に飛び乗って額を擦りつけてきた。元人間……らしいのだが、その様は猫以外の何ものでもない。

 それとなくそう言った時のラプスの落ち込み様は、それはもう凄まじかった。レイに、本人はまだ人間としての矜持があるのであまり触れないであげて下さいとまで言わしめたのだ。ラプスが言うには、体の姿形に精神が引き摺られて緩やかに猫らしくなって来ているらしい。閑話休題。

 

 はやての傍にラプスが居続けるのとは反対に、半身だというレイがラプスの傍に居る事は少なかった。半身だからこそ、ラプスの身動きが取れない今、多次元世界を飛び回っている為だ。レイが帰ってくる時は、有益な情報が手に入ったか、ラプスでなければいけない事が起きて彼女を呼びに来たかの二つに一つ。今回はラプスの反応を見るにどうやら後者の様だった。

 はやては心の中で広がる寂しさを無視し、箸を止めて膝の上の温もりに手を伸ばした。

 

「……はやて」

「うん。わかっとる。気をつけてな」

 

 朝食の後片付けをして直ぐに、ラプスは転移魔法を使用して出かけてしまった。

 

 

 

 

 

 とある雪の降る山中。

 寒い。無意識に呟いていた言葉に、半身から即座に突っ込みが入る。

 

『雪が降っていますからね。当たり前です』

 

 視界一杯に広がる白と音も無く降り積もる白に、赤い幻影を見てラプスはきつく瞼を閉じた。いくら毛皮に覆われていようと寒いものは寒かったが、無意識で呟いたのはその意味では無かった。閉じられた瞼の下、青の瞳が湛えているであろう感情は容易に想像できたが、レイは只黙して主の言葉を待った。半身であるレイの言葉ではラプスを癒す事は出来ない。

 

「…………帰りは自力で帰るから、はやてをよろしくね、レイジングハート」

 

 やがて何時も通りの、否。何時もより少しだけ険しい色をした青い瞳が瞼の下から現れた。

 そして今までと同じ言葉を伝える。

 

『All right, my master.』

 

 それに同じく、いつもの言葉を返して彼女は転移した。

 

 

 

 何度目を閉じても赤の幻視は残っていた。頭を振っても、爪で自身を引っ掻いても消える事は無い。新雪を踏む足音を聞きながら、幻視を意識しないようにラプスは山裾の森を歩む。

 意識しない様にしているにも拘らず、幻影は否応なしに視界に入りこんで来る。

 

『自分だけ生き残った』『悪魔が』『犯罪者を庇うバケモノめ』

 

 赤の幻影はラプスに語りかけてくる。罵りの、侮蔑を含んだ言葉。かつての世界で常に付きまとった陰口だから、別に気にするような事ではなかった。

 思わず足を止めてしまったのは、その声の中に聞き覚えのある声があったからだ。他の言葉が漠然とした内容と声なのに、その声達だけがやけに饒舌にはっきりと聞こえた。

 

『君が私の目の前に立ち塞がらなかったら、私は母さんを失わずに済んだ。母さんに捨てられることも無かった』

『もっと早く来てくれていたら、あの子達が悲しい事をせずに済んだのに。あの子だってあんな事をしなかったし、消えずに済んだ』

 

 止めて欲しい。他の誰に言われようと耐える事が出来る。けど、その二人は。その二人からだけは耐えられない。

 

『全部、貴女の所為だ』

 

 同じ言葉が二人から呟かれた。

 そうだとも。それ以外の理由などありはしない。あの二人から大切な愛しい家族を奪ったのは他でもない私だ。その言葉を否定など出来なかった。

 歩みを止めたラプスに雪が積もる。俯いて地面を見つめ、耳と尾が項垂れる。足が震える。立っていられなくて雪の中に埋もれる様に突っ伏した。四肢が冷えてゆく。それよりももっと心の奥が冷たい。

 幻聴だと分かっている。視界の端に捉える事が出来た紫の光が見せ聞かせているのだ。分かっているのにこんなにも心が冷えてゆくのは何故だろう。

 

『…………人殺し……』

『……その手で“私”にさわらんといて』

「もうやめて! ……お願い、だから……もう」

 

 掠れる声で停止を促せば、最早赤以外見えなかった視界が元の色を取り戻し、懐かしい大切な友人の声も途切れた。 

 雪に埋まった体を無理やり起こせば、先程よりも弱く光る紫色の光点が目と鼻の先にあった。

 

「“ケウス”」

 

 便宜上付けた名を呼べば紫の光はふっと掻き消えた。元の場所に帰ったのだろう。

 隙さえあれば、あれはラプスに潜む闇を暴こうとする。特にはやてから離れるとすぐに行動を起こす。ケウスがナハトを食っているのか、その逆なのかは分からないが、“闇の書”は未だ目覚めていない以上この行動はケウスの独断だと思える。

 ラプスとレイの予想が外れていなければ、ケウスはレウムを求めているらしい。その理由は分からないが、レウム所持者にちょっかいをかけてくる。自身と同じ所まで沈めたいのかも知れない。だが沈んでやる気はラプスには毛頭なかった。

 立ちあがり、すっかり冷えた体を震わせて雪を払う。あれの戯言につきあう為ではない。ここにはやる事があって来たのだ。

 猫の方が歩きやすいが、半年後に控えた事件もある。そろそろ慣れておかなければ、いざという時に困る。久しぶりにリンカーコアの抑制制御を完全放棄する。コアが脈動するのを感じて、ラプスは術式を組みあげ、発動させた。

 

 

 

 

 

 雪道を歩く彼女は不安でならなかった。主のひいては教え子の為とはいえ、あの二人が本当の親子になれる時が来るのか分からない。そんな状態で自身が消滅するのが本当に正しいのか。悩み続けた末の結論だったのに。

 

「悩むのは悪い事じゃないよ」

 

 聞こえた声に驚く事無く顔を上げる。此方を見つめている者が居る事にはずっと気が付いていた。魔導師としては大きな魔力がある事を、野生の勘は強い存在が近くに居る事を、ずっと彼女に伝えていたから。

 

「やっと顔を見せてくれたんですね。私に何か用でしょうか?」

 

 森の中に厚手の白いローブを纏う人影。フードを被っているが、顔を隠すような被り方ではない為、表情は容易に窺えた。

 フードの隙間からのぞく髪は亜麻色、僅かに隙間から零れた部分から察するにかなり長い様だ。右目は閉じられているが、左目は赤みを帯びた青――つまり青に近い紫――であることから右も同色だと推察できた。歳は恐らく十五、六。他の同年代と比べると、だいぶ大人びた様子の、何処か異質な雰囲気を纏った女の子だった。

 

「悪いのは、悩んだまま止まる事」

 

 それは彼女にではなく、まるで自身に言い聞かせる様な言葉だった。

 この少女は何を知っているのだろう。彼女はじっと少女を見つめる。

 

「……用、ね。確かにありますよ。提案と言った方が適切でしょうが」

 

 この時まで彼女は、この森で主と教え子達以外に会った事はなかった。()、初めて出会う他者に警戒を解く事はありえない。彼女は返事をせずに、次の言葉を待つ。

 

「…………“アリシア・テスタロッサ”」

 

 中々次の言葉を発しない娘に此方から問いただそうと思い始めた時、先程とは低い声でその名は呟かれた。その内容を認識すれば、黒い外套の下で尻尾と耳の毛が逆立った。

 思わず声を荒げて飛び出そうとした体を、本能が押さえつける。勝てないから。少なく見積もったとしても少女のランクはSオーバー。もしかしたら主に並ぶかも知れない。

 背筋を冷たいものが流れて行く。もう幾ばくも無いとは言え、消滅するのと消されるのでは意味が違う。出来れば穏便に事を済ませたい。

 突っ掛かりたい衝動を抑える彼女のそんな心を見透かしたように、少女は薄らと笑みを浮かべる。そしておどけた様に言い放った。

 

「フェイト・テスタロッサは……失敗作?」

 

 我慢、出来なかった。

 

 

 

 杖は庭園に置いて来てしまった。掌に小さなスフィアを形成し放る。初撃はあっさりと()()()()()。感情に任せた制御も何もない唯の魔力弾では当然だろう。少女から距離を取る為に雪の降る森を走りながら彼女は思考する。

 (デバイス)をセットアップした様子は見受けられなかった為、恐らく無手。受けずに避けた事を考えれば、防御が不得手か、僅かでも魔力を惜しんだか。防護服(バリアジャケット)の展開も無かったことから後者と予測。ローブの下に元々着ていた場合は……考えたくも無かった。

 

 自身のものではない魔力を感じて、地面を強く蹴り枝に飛び乗る。どさっと音を立てて枝に積もった雪が落ちるのに構わず、飛び乗った衝撃でしなった枝が元に戻ろうとする反動を糧に別の枝へと飛び移る。飛び移る際今まで走っていた個所を見れば、ピンクの帯状魔法陣が木から木へ、その間を塞ように張られていた。帯状魔法陣はその場所だけではなく、彼女を中心に閉じ込める円を描く様に張り巡らされていく。

 地面は封鎖されましたか。内心呟いて空へ視線を向ける。空まで封鎖する気は無い様で、雪を降らせる厚い雲が遮られる事無く見る事が出来た。だからと言って障害物の無い開けた空へ飛ぼうなどとは思わなかった。

 飛び移ろうとしていた先の枝に、一瞬ピンク色の魔力光が確認できて彼女は身を捻る。捻りながら形成した小さな魔力弾で枝を撃ち抜けば、舞い散る白に交じってピンクの拘束網(ネットバインド)が霧散する。交戦してから一度も攻撃魔法を見ない事、使用される魔法が捕獲のものばかりである事を考慮すると、少女は彼女を無傷で捕らえたいらしい。

 そんなハンデを少女が負って尚、彼女が勝つのは難しかった。

 

 別に勝つ必要は無い。そもそも攻撃するつもりだって無かった。だが、愛おしい教え子を貶されて黙っていられる程、彼女は温厚では無かっただけで。

 形成し放りだしたスフィアは自動的に攻撃を繰り出すだけで、妨害になればいい方。杖が無いのは厳しい。伸びてきたピンクの鎖(チェーンバインド)を避けながら、少女の位置を探り出す。

 勝てないとしても、現状守りに入ればどうせいつかは捕まる。ならば貶された分だけでも“返して”おきたかった。

 

 彼女が一矢報いようと行動方針を変えた頃、少女は大きめの木に寄りかかりながら乱れた息を整えていた。口の端から鮮血が零れ落ち、白い雪が覆う地面と、同じく雪の様に白いローブに赤い紋様を描く。その文様を地面のものは踏みにじり、ローブのものは再構成する事で掻き消す。

 口元の血を手の甲で乱暴に拭い考える。

 万全なら負ける事は無い。だが今は。本当に久しぶりに“まともな姿(人間状態)”を取った今は。思考はきちんと働くが、その思い通り体も魔法も動いてくれなかった。彼女が放った自動スフィアを潰しただけで、自身のリンカーコアを通して捕獲用の魔法を使っただけで吐血(これ)だ。何時もの姿(獣状態)だとなんて事は無いのに。人の姿の何と制限の多い事か。

 これ以上の戦闘はあの子に心配を掛ける。早く、終わらせよう。

 制限が厳しいこの体と、こんな状況を引き起こした原因に舌打ちをしながら、彼女が近づいてくるのを感じて少女は気を張りなおした。

 

 

 

 光輪が木々の合間を縫う。その数三つ。教え子の色より少しだけ淡い黄色をしたそれは少女が寄り掛かっていた木を輪切りにして、飛び退いた少女を追尾する。横に飛び退いた少女は着地するのと同時に光輪の軌道を()()する。そのままバク転に移行し魔法を発動させた。

 金属同士がぶつかった様な音が響く。三つの光輪の穴を貫くチェーンバインドに少女の技量の高さを見て、彼女は思わず苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「何故です! これほどの魔導師がいったい私に何の用だと言うんですか!」

 

 少女は優秀な魔導師だ。対峙してそう思う。保有魔力の大きさに任せた力任せではなく、それに振り回されるでもなく、きちんと制御している。少しばかり魔力量が多いものに見られる驕りも怠慢も無い、洗練された魔法だ。彼女は知っている。このレベルの魔法を使えるようになるには、いくら天性の才があろうとも努力なしでは不可能だと。

 だからこそ理解できない。数少ない“本物の優秀な魔導師”であろう少女が何故教え子の事を失敗作と呼んだのか。態々、彼女を挑発した理由が分からなかった。

 

 枝の上で問う彼女に少女は答えない。ガチガチと耳障りな音を立てる光輪と鎖を一瞥し、彼女へ向けてバインドを放つ。

 舌打ちし枝から飛び降りる事でバインドをかわした彼女は、棒立ちの少女へ肉迫する。あまり好ましくは無かったが爪で引っ掻くように少女めがけて振り下ろす。勿論魔力付与をして強化済みだ。少女は避けずにそれを円形盾(ラウンドシールド)で受ける。そして光輪を留めていたチェーンバインドを解除した。自由になった光輪は組み合っている二人目がけて加速した。

 それに気が付かない彼女ではない。飛行魔法を使い避けようとした時、殴りかかった右手が動かない事を知る。盾は盾でも拘束盾(ホールディングシールド)だった。

 近づく光輪。何時もの彼女ならば発動したそれを掻き消すくらいできた。そう(デバイス)があれば。

 今、彼女は杖を持っていない。右手はシールドに噛まれ動かせず、左手は新しく発動されたチェーンバインドで拘束された。彼女は駄目元でバリアタイプの魔法を構成しようとして失敗した。いつの間にか右足首に絡みついていたバインドらしき何かが魔力構築を妨げたのだが、それを彼女が知る筈も無く。自身の放った光輪に意識を刈り取られたのだった。

 

 倒れた彼女を見下ろして少女は溜息を吐く。そして不意に虚空を睨みつける。そこにさっき消えた筈の紫光が浮いていた。まるで嘲笑うかのように点滅するその光にさらに溜息を吐いた。

 ブラフなんて今までした事が無かったから油断していた。人の体に勝手に入り込んで喧嘩を売るのは止めて欲しい。今は何とかなったから良いものの、これが管理局員の前等になれば洒落にならない。

 今度こそ消えたのを確認して帰ったらしっかり言い聞かせる事を決める。そして少女は倒れた彼女に浮遊魔法を掛けた。

 

 

 

 

 

 彼女が意識を取り戻した時、そこは暖かな小屋の中だった。庭園から離れた場所にある、誰も使っていなかった筈の小屋。廃屋だったはずのそこは、まるで出来たばかりの様に綺麗な状態だった。

 ベッドから見える位置にある窓から外を窺えば、吹雪になっていた。起こした体が想像より楽で首を傾げた。僅かに治療魔法の痕跡を感じられた。

 

「ここは……どうして?」

「私達が綺麗にしたからね」

 

 声のした方向を見れば白いローブはそのままにフードを被っていない少女が居た。右目は閉じられていない。予想に反した、混じりけのない青い瞳に射抜かれる。思わず身構えた彼女に少女は苦笑を零した。

 

「まぁ、いきなり挑発した私が悪かったんだけど……。まず、貴女の教え子を失敗作と言った事を謝ります」

 

 申し訳ありませんでした。そう言って頭を下げる少女に、毒気が抜ける。固まる彼女をよそに少女は言葉を続ける。

 

「提案があるのは嘘ではありません。…………見たくはありませんか? 貴女の大切な主と教え子の未来を」

 

 どう言う事か。そう問おうとした声は、少女が左の掌に出現させた“白い光”を見た瞬間喉の奥に引っ掛かり出てこなかった。

 光は赤ん坊の小指先程に小さい。にも拘らず、その保有魔力は目の前の少女や自分の主よりも大きい。はっきり言って異常だ。

 

「貴女に一度だけチャンスを。私が出来るのはそれだけ」

「……それは?」

 

 目が離せないまま聞き返す。次元世界を滅ぼすまではいかないが、この地方の山々を吹き飛ばす事は出来る程度の魔力量。封印処理でもされていたのか今まで微塵も気が付かなかったソレ。小屋に結界が張られていなかったら、主はこれを這ってでも求めただろう。

 

「見た通り、純魔力の集合体。名称不明の品だから、私達は“(albus)”って呼んでる」

「それで、一体何を?」

 

「貴女を、貴女が望む時間まで眠らせる。起きるのは貴女が望んだ時。だけどたった一度だけ」

「…………私の命を、預けろと?」

 

 それを聞いて少女は微笑む。白い光を握りこんで何処かへ仕舞い込み、話が早いのは嫌いじゃないと呟いてさらに続ける。

 

「私が言えるのは、近い未来に貴女の教え子が、母と自分の悲しい真実を知るという事」

「それは!」

 

 口を挟んだ彼女の口元に指を当て遮ると、少女は話を続ける。ベッドの横に会った椅子に腰かけて、何処か遠くを見て何か思っている様だった。何時の間にか、少女の口調は随分と親しみを帯びたものへと変化していた。

 

「色んな人が後悔する。沢山の想いが交差して、母の心を変えるかもしれない。その想いの一つに、貴女も居る」

「……だから、提案を?」

 

 こくりと一つ頷かれて、彼女は思案した。そして一つ疑問が生まれる。

 

「大体の目的は把握しました。しかし一つ分からない事がります。貴女は何故、あの子とマスターを思って下さるのですか。二人と知り合いなのでしょうか?」

 

 言っておきながらそれは無いと彼女は判断する。教え子は知り合いが出来たとしたら必ず報告するだろう。教え子の使い魔もそうだ。また主にしても、愛娘の為に身を削っている状態だ。知り合いを作る様な事はしないはず。あったとしたら技術者あたりだろう。

 想像に反して少女は首を縦に振った。

 

「母親と二度程、あった事がある。多分覚えていないだろうけど。娘は、アリシアになら……事故の後に、ね」

 

 遺体を見たと? 問いかけに返事は返らず、少女は曖昧に笑うだけだった。

 

 

 

 ここ暫く重かった体が僅かに軽くなるのを感じて、女は使い魔の消滅を知った。やっと口煩い余計なものが居なくなった。そう思うと、あの失敗作が泣いている姿が脳裏をよぎる。それを女は(かぶり)を振る事で掻き消した。

 あんな失敗作の為に考える余裕は無いのだ。全てはあの子の為。“約束”を守る為に。

 

 ふと視線を感じて窓を見た。

 茶色い猫が女を見ている。古い必要無いと仕舞った記憶が声をあげる。思い出して! そう叫ぶ。

 だが何か思い出さなければいけない気がしたが、思い出す事は叶わない。

 

 女の困惑を余所に猫は身を翻して雪の中へとその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 おかえり。心配したんよ? そう言って抱きしめるはやての頬に額をすりすり。

 

「ちょぉ、くすぐったいわ。止めてラプス」

 

 言って尚止めないラプスを引き剥がす。

 両脇に手を入れて持ち上げられたラプスに、今までと違う個所を見つけてはやては聞いた。

 

「ん? なんや、ここだけ白い」

 

 背中に比べれば薄いと言え、ちゃんと茶色をしていた首下からお腹の毛皮。首の付け根より少し下――人間で言う所の、鎖骨より少しだけ下――の一部分が真っ白になっていたのだ。まるでツキノワグマの模様だ。

 そこに触れようとすれば、ラプスは身を捩ってかわす。

 

「ごめん。ここは暫く触らないで」

「あ、そうなん。ごめんな」

「ううん。十日くらいで安定する筈だから」

 

 今回は早いんやね。なにして来たん?

 二日ぶりのラプスを堪能しながら、夕飯のメニューを聞く様な軽さではやては聞いた。

 あの日ラプスが死ぬほど苦しんだ日以降、はやては少しだけ変わった。話してくれるまで待つ。から、それとなく話を促してみる。といった具合に、知りえる機会を逃さぬようになった。

 再び腕の中に収まったラプスは、少しだけ考えて事実を述べた。

 

「山猫と、雪の降る森で鬼ごっこしたり、お話したり、かな」

「えぇな。私もラプスと鬼ごっこしたいわ」

『なら、すれば宜しいのでは?』

「……いたの?」

 

 あんまりな半身の言葉にレイが撃沈する。そんな二人のやり取りにはやては声をあげて笑った。

 テーブルの上にある鎖の巻きついた本を視界の端に収めながら、ラプスははやてにとって嬉しい提案をした。

 

「レイの言う通りって言う訳じゃないけど、久しぶりにしようか。異世界での夜間飛行」

「ほんま!?」

『あ、駄目ですよ。マスターは帰ってきたばっか……!』

 

 主を思って制止を掛けたレイは、ラプスの煩い、と言う一言とチェーンバインドで撃ち落とされる。落ちた上にクッションを落としてやれば、くぐもった音声でマスタ~とラプスを呼ぶ。勿論無視されるが。

 

「レイの言う通り、疲れてるならまた今度でも……」

「はやて」

 

 半身に対してより、ずっと優しい声で名を呼ぶ。そうすればはやては黙り込んでしまう。

 

「私がはやてと飛びたいの。ね」

 

 そんな言葉を囁かれては、はやては否とは言えなかった。

 

 

 

 

 

 転移した先の無人世界で、はやてとラプス、レイは満足するまで夜間飛行を続けた。

 

『だいぶ、上達しましたね』

「うん。デバイス無しの自力飛行でここまで飛べたらもう大丈夫」

『後は、身を守る術をですかね』

 

 疲れて眠ったはやての傍で、二人は話をしていた。暖かい場所を選んだとはいえ普段着で寝ているはやてを起こさない様に、気温調節機能付きの結界を張り、転移魔法を準備する。結界に覆われている家から出るのは簡単だが、入るのにはコツがいる。組み上げるのは結構大変なのだ。はやてに魔法を察知されない様に組み上げなければならないから、尚の事、時間と労力がかかる。

 ラプスと一緒に住んでいるからだろうか。はやては魔法が使用されるのに酷く敏感だ。例の隠蔽・偽装(ワンタッチ)結界にさえ、先月の末に気付かれた。約五カ月“で”気が付かれてしまった。

 魔法の行使に敏感と言うよりも、ラプスの魔力に敏感なのだとその時理解できた。

 

 一時間以上かけて転移魔法を組み立てたレイは、はやての傍に近づくとラプスに一言掛けて転移魔法を発動させて帰った。

 

 残されたのは一匹と一冊。

 睨む視線に答える様に、本が薄らと紫色に発光する。浮かび上がる様に本から離れた紫色の光は、ラプスの周りを回り始める。

 

「ケウス」

 

 そう呼んでやれば回るのを止め、言葉の続きを待つかのように、明滅を繰り返す。まるで久しぶりに構ってもらえた子供の様な動作だ。真実、“この”光は子供だ。雪の中ラプスを惑わせたり、勝手に体を使ったりした“あれら”とは別なのだ。

 その理由を知っているからこそラプスは目の前の光を叱りはしなかった。紫の光に前足を伸ばし、意識を本の中へと潜らせた。

 

 

 

 暗い、何処までも暗く深い縦穴の中。行く手を塞ぐように張り巡らされる鎖を潜りながら、ラプスは一か所を目指した。

 最奥の一歩手前。落とし蓋が落とされた様に、道が塞がれている個所までやってきた。隙間から覗けた奥、そこには鎖に縛られた女性が眠っている。塞いでいるもの()の上には一匹の大蛇と、その周りを埋め尽くす程の蛇の群れ。良く見れば大蛇の黒い体表は半分以上の範囲が紫色に変色している。周りの群れの蛇も黒いものと、紫色のもの、マーブル模様と様々だ。しかし大蛇を含んだどの蛇もまどろんでいる様だった。

 ラプスはそんな蛇たちの中央、大蛇が守る様に絡んでいるソレに近づく。

 

 1㎝ほどの正方形。蓋に備え付けられた台座の上で、妖しく紫色に光るそれはラプスが近づいてきた事に気が付くと、くるくると回転する。

 

『……それで本当に私の邪魔をしない?』

 

 くるり。ラプスの声なき声に一回転する事で答える。

 

『総意として見ていいんだよね』

 

 さらに回る。どうやら会話をしている様だった。ラプスが溜息を吐くのを見るとソレは一際光を強め、小さな小さな紫色の粒を作り出す。

 ラプスが粒を取り込むのを確認して、ソレは満足したように光を和らげる。

 

『約束は守ってね。(violaceus)

 

 背を向けてそこから離れようとして、一度振り返ってソレに言葉を掛けた。先程より妖しさを増した光に目を瞑り、意識を本の中から引き揚げた。

 

 

 

 

 吐き気がするほど重い体を引き摺って、はやてのベッドへと潜り込む事に成功したラプス。はやての温もりを感じて、これを守る為なら安いものかと、自身の体調不良を受け入れた。

 

 翌朝。お腹の一円玉ほどの範囲が紫色になっている事を指摘されたラプスは、性格の悪い奴に塗られた、とはやてに言い訳し、徹底的に洗われる事になる。

 

 

 

 




『始まりへと向かおう』


ここまで読んで下さりありがとうございます。
次回から、無印に入ります。……たぶん。

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