抜けがらでも、見つからないよりは見つかった方が良いだろう。あの世界の心残りはきちんと役目を果たしてくれたようだ。その証拠に繋がっているように感じていた心の重みが無くなった。これで本当にもう戻れないと、二度と失いたくなくて“身を粉にしてまで守り続けた彼女達”にもう会えないのだと改めて実感して、こぼすまいと決めたはずの涙が溢れてきた。
何もかも失ったなのはに残ったのは、友人二名とその家族、高町の姓に魔導、そして魔導の杖だけだった。それらすべてを両手で抱き締めるのは難しかったが、その身に宿った魔導と愛機だけは決して離すまいと握りしめた。そして友人達を失わない為に、愛機と共に空を翔け、魔導と命を掛け続けた。また失う事はなのはにとって死以上に恐れる事だった。
満足だった。愛されていたと自覚さえしなければ、あの世界で見つかったのは抜けがらなどではなく本当の高町なのはの遺体だっただろう。だけど自覚してしまった。死を恐れてしまった。そのとき彼女の心は折れたのだ。蓋をして鎖で縛り鍵を掛け、その上に新たな覚悟で一本の柱を立てた。鍵も鎖もすぐに壊れ、柱だけが感情を押し留めていたのに。血で塗れるとも、傷付いても折れる事が無かった柱は、愛情を自覚した途端、脆くも折れ砕けた。
皆に会いたい。全て失う前に戻りたい。愛されていたにも拘らず、それを自覚できずにいた自分を叱り飛ばしたい。死にたくない。おいて逝かれた。おいて逝ってしまう。悔しい、悲しい。
青い瞳はそんななのはの心を読み取っていた。折れた心に甘言は容易く沁み渡り、離すまいと決めていた二人の手を自ら離してしまった。信念さえ、役には立たなかった。
結果。なのははこの世界にいる。何が不屈の魔導師か。最後の最期で、その心は折れてしまった。
『大丈夫です。他の誰が何と言おうと、私は貴女を良く知っている。その心の強さは私が良く知っています』
心を読んだかのような愛機の励ましに、頷く事で返事をする。
そうだ。そうだった。まだこの身に残ったモノがある。醜く足掻いて最期に掴み取ったモノがある。人の括りから片足踏み外してはいるが、“高町なのは”はここに居る。
ここはなのはが望んだ世界じゃない。ここでは自身はただの異物。帰る場所もない。行くあてもない。だけど、自身にはまだ空を飛ぶ力がある。
先の“レウム”所持者の言はレイジングハートが届けてくれた。決して折れてくれるな、と。ならばもう一度頑張ってみよう。一度砕けた心で何処までできるかは分からない。だけど『この世界の未来』を『元いたあの世界』にしない為にも。
「もう一度、私と空を飛んでくれる? レイジングハート」
『勿論です。この身砕けて尚貴方の傍に』
砕けた柱の欠片と溢れた思いを混ぜてもう一度柱を作る。簡単には折れないよう、砕けないよう、今度はちゃんとうまく飛ぼう。
青い目に新たな覚悟を宿して、なのはは大地を蹴った。
桜がほころび始める春先。春は出会いと別れの季節だなんて言うけれど、悲しい別れはあっても出会いなんて一つもないと諦めきっている少女が一人。
八神はやて七歳。長い入院生活から解放されたのがおおよそ半月前。ヘルパーが居るとは言っても一人で居る家は広い。それに三日前にヘルパーも辞めてしまった。身の回りの事が出来過ぎたのか、ヘルパーの信じられないモノを見るような眼ははやてには辛すぎた。だからこれで良かったのだと独り笑ったのが二日前。新しいヘルパーが来るまで時間がかかると言われたのが昨日の事。
三日目の今日、はやては独りの寂しさに押し潰されそうになっていた。少し前までは両親と三人――はやての足が不自由な事を除けば――普通の温かな家族だったのに。父の友人とやらの援助には感謝しているが姿くらい見せてもいいんじゃないかとは思う。
「お前も独りなんか?」
人恋しい。嫌悪の視線を向けられようが、同じ家の中に温もりを感じる事が出来たのだ。それも無くなってしまっては、はやては寂しくてしょうがなかった。だからだろうか。病院の帰り道、薄汚れた猫に話しかけてしまったのは。
青い瞳ではやてをじっと見つめていたその猫は、はやてが声を掛けると寄ってきて膝の上に飛び乗った。
「人懐っこい子やね。一緒に来るか?」
言葉を理解しているのか猫は一つ鳴くと飛び降りて、はやての横を歩き始めた。
猫は玄関まで付いてきたが、そこから中には入ろうとしなかった。前足をおずおずと差し出しては弾かれる様に引っ込める。人間のような動きをする猫に思わず噴き出してしたはやては悪くないはずだ。
「ごめんな。どうぞお入り」
笑ったはやてを恨めしそうに睨む猫。本の中の妖怪や怪物の様に、もしかしたら家主が招き入れなければ入れないのかもしれない。そう思って声を掛けて見れば、さっきまでの逡巡は何処へ行ったのかあっさりと家の中に入ってきた。膝を叩いて呼び、飛び乗った猫を抱きあげる。
本当にこの猫は普通の猫じゃないのかもしれない。だけどそれでも、はやては良かった。悪魔の類なら食べられてしまうが、そうなったらきっと、両親の下に行けるだろうから。少なくとも独りで家に居なくて済むだろうから。
「行った先でも独りでした……なんてなったら、立ち直り利かなくなりそうや」
馬鹿らしいと笑いながら抱き上げた猫を見る。視線が、あった。
「……よう見たら、目の色ちょっと違うんやね」
。同じ青い瞳でも右が綺麗な青なのに対して、左は紫がかった青色だ。青に魅入られて逸らせない視線。じっと見つめるはやてに猫は何を思ったのか、ふいと目を閉じてしまった。
すやすやと眠る子供を見る。風呂に入れられ綺麗になった猫と夕食を食べた後、はやては寂しさを埋めるように猫を可愛がった。はしゃいで疲れ、眠った子供。ベッドの上から音もなく飛び降りて、電気を消す為にスイッチめがけて跳躍。右前足でスイッチをOFFにして、綺麗に着地した。何処か得意げそうにした猫は、急に俯いた。どうやら我に返ったらしい。
暗くなった室内を猫の青い目が見渡す。不思議とはやてと戯れて居た時よりも青が濃い。一つの本が視界に入った時、猫は見渡すのを止め本を見つめ続ける。鎖で厳重に封じられ、表紙には剣十字。かつて『夜天の魔導書』と呼ばれた書のなれの果て。
普段なら最優先事項となる筈のその本も、今夜に限って優先順位は低い。仕方がないから一睨みだけして、ベットに再び上がり眠る子供を覗きこむ。そして気付かれない様に最低限まで抑え込んだリンカーコアに魔力を通した。
確かめるべき事が、やらねばならない事がある。それに“タマ”は御免だ。
何時の間に眠ったのか、はやては夢の中に居た。夢だと分かる夢――つまるところ明晰夢の中――ではやては自由に走り回っていた。もう会えない、顔も薄らとしか思い出せない両親と、今日会ったばかりの猫と一緒に居る幸せな夢の中に居た。
「もうちょっと
自分の足で立った瞬間に気が付いてしまった。気が付いたら自分は車椅子に座りそれを眺めていた。まるで暗闇の中テレビを見ているよう。
「立って、家族と……あんな風になれたらなぁ」
『なれるよ』
動かない足。治る事は諦めている。叶わないから夢で、だからこそ夢で見て居たかった。願望が口を吐いて出た。返事を期待したわけではないただの独り言だが、頭の中に返事が響く。
『家族も出来るし、歩けるようになる』
「そんなん信じられへん」
声の主は意外と近くに居た。今日拾った青い目が特徴的な茶色い猫。夢だと分かっているからか、はやてはそんなに驚かなかった。
「石田先生は頑張ってくとる。せやけどこの足は動かない。ずっと、このまま……」
『諦めてるんだね』
「……」
『……奇跡の一端……貴方は魔法を信じる?』
なに? と俯いていた顔をあげれば青い瞳がはやてを射抜く。夕方は猫が遮った青がはやての心を暴いていく。どうしようもなく不安になっていく。震える体を抱きしめて思う。コレハイッタイナンダロウ?
『
猫はそう言うと闇の中へと同化していった。
やるべき事を終えたから闇の奥へと進んで行く。猫は内心かなり怯えていた。怖がらせてしまった、嫌われたかもしれない。何も知らぬ猫で彼女の傍に居られたらどれ程良かったか。だけど“最悪”を避けるためにも、やると決めたのだ。戻る道は既にない。
『随分震えているようですが大丈夫ですか?』
赤い宝石が猫の傍に現れた。大切な半身は頼みごとをして地球には居ない。精神リンクを通じて双方の情報交換を行う。ここは既に彼女の夢だった。
「大丈夫、それよりもそっちの首尾は?」
『時期が時期ですからね。一応、幾つか予防線は張っておきました。まぁ上々といった所ですか』
「そう」
赤い宝石の言葉に猫は深く頷くと、言葉を続ける。尻尾が左右に揺れている。きっとマルチタスクで色々と考えているのだろう。
「こっちは順調……たぶんね」
『信じてもらえませんでしたか?』
「それ以前かな。魔力足りないし、不安定過ぎて念話も安定して使えない。夢の中なら何とか使えるんだけどね」
やっぱりコア制御中に強制転移なんてするんじゃなかった。そう呟いて猫は俯いた。
『あの場合仕方ないかと。もし見つかって確保でもされたら、“生きるロストロギア”は速攻で封印されて永久氷結世界行き決定です。あるいは実験台になりますね』
「少なくともそこで停滞にする事になるよね」
こうやって生きているのは嬉しいし、もう一度チャンスが与えられたのは嬉しいが、弊害はかなり大きい。管理局や、“レウム”を望むものに見つかるのは何としてでも避けたい。こそこそと動かざるをえない状況では満足に布石も打てない。
訂正しておけば別に彼女は隠れやすいから猫の姿をしているわけではない。“レウム”――正確には“カエルレウム”――の所持者になった反動の様なものだ。さらに加えるなら、彼女が魔力制御している理由の一つでもある。
「この世界に来てからだいぶ経つけど、ちょっと転移魔法使ったくらいでこんなに不安定になるなんて思いもしなかった」
『まぁ、リンカーコア制御と保有魔力を誤魔化す為の術式もありましたし仕方ないかと』
「分かってはいるんだけどね。まぁ暫くは彼女の傍で猫生活かな」
そう言って猫は――猫の姿をしている“逆行者・高町なのは”はそういえばと顔をあげる。
「ここの
自嘲の言葉を落とした主に、赤い宝石は無言で寄り添う。なのははそんな半身の優しさに微笑んで、額を赤い宝石に擦りつける。猫状態での癖の様なものだ。
『rapsblüten……菜の花ですか』
毛並みに埋もれながら言われて頷く。この世界に“高町なのは”が居る以上、異物である自身が“なのは”とは名乗れない。だけど亡き両親からもらった名前だから捨てたくない。そんな考えの下捻り出した名前。
『では、状況により私もそう呼ばせていただきますね。マスター』
暗く深い夢の中、一匹と一機はずっと寄り添っていた。
「……夢?」
翌朝。
眩しくて目を覚ましたはやてが見たのは、カーテンの裾を咥えて引っ張っている猫の姿だった。普通よりは少し大きめとはいえ猫は猫。全身の力を使って開けているのだろう、疲れましたと言わんばかりにその場にへたり込む。猫はほんの少し気を整えたのか再び立ち上がり、反対側のカーテンを開けに掛る。そうして部屋のカーテンをすべて開け終えて、ベッドの上に飛び乗った。
あまりにも意外すぎる事に直面したからか、はやては硬直が抜けきれない。そんなはやてに猫は一際大きな声で鳴く。まるでそれは「おはよう」と言っているようで、
「……おは、よう」
普通に、ごく普通に返してしまった。それを聞いた猫は満足そうに小さく鳴いて部屋の扉へと向かう。昨晩は誰も見る事が無かった跳躍を披露し、自力と気合でドアノブを捻って流れるような動作で外へ出て行った。はやては内心10点等とふざけている自分を殴りながら、ほかの部屋のカーテンを開けに行ったのかもしれないと当たりを付ける。
「アレ、ほんとに猫か? やっぱり妖怪の類じゃ……」
呆然とつぶやいて、漸く再起動が終了する。開け放たれたドアに向かって叫ぶ。
「ちょっ! 待って、ラプス!」
自然と口を吐いて出たそれ。夢の中での出来事がフラッシュバックする。青い瞳を思い出して背筋が泡立った。体を抱きしめる。そこで鳴き声が聞こえて反射的に顔をあげた。
青い瞳が心配そうにはやてを見ていた。震えが止まる。
「ラプス?」
名を呼べば近づいて来て、伸ばした手に擦り寄る。そこに、夢で見た青い苛烈さは欠片も感じられない。やっぱり夢だったのだろうか。だけどそれなら、なぜラプスと呼んで来るのだろう?
偶然とは思いたくなかった。何かがきっと繋がっているのだろう。切り離して考えてはいけない。そうはやての勘は告げる。少しだけ胸の奥が熱かった。
『もう一度飛ぶと決めた』
二度目まして。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
タグどうしようか。
『性格改変(微)』とか付けた方がいいのかな。
※ 10/8 微修正・誤字脱字訂正