最後に願い、掴んだモノ   作:六花

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前章
その終わりは


 雪のキャンパスに赤が映える。

 降り積もった雪を溶かしながら燃えている赤と、白い大地に倒れ伏した幾つもの赤黒い人だったモノたち。そして大地の静寂を打ち壊し、幾種もの赤を描いた張本人もまた、より赤い色を身にまとっていた。

 彼女は朦朧とした意識で考えていた。何故こうなってしまったのだろう。道を、歩むと決めた道を踏み外したのはいつだったのか。

 考えても考えても答えは見つかるとは思えなかった。否、答えは最初から分かっていたはずだった。ただそれを認める事は彼女の全てを否定する事で。見たくないから目を塞ぎ、聞きたくないから耳を塞いでいたに過ぎない。その結果がこれだ。

 

「……バカ、みたい」

『まったくです』

 

 何とか絞り出した自嘲の声にかえる返答。ここまで一緒に飛んできた愛機にさえ同意された。よほどの大馬鹿者だと呆れたのだろう。

 

『ですが、貴女は()のマスターです。共に空を翔けた事、貴女の杖となれた事。何一つとして後悔する事はありません』

 

 あぁ、と掠れた声が彼女から漏れた。枯れたと思っていた涙が零れ落ちる。

 主の歪み、分からない子ではないだろうに。こんなに思いを寄せていてくれたのに。

 もはや飛べない事がここに来て口惜しい。この任務を言い渡された時、全て覚悟してきたはずなのに。なのに、今になって。

 

『マスター? 後悔しているのですか?』

 

 彼女は首を横に振る事でそれを否定する。愛機にはそれが主の強がりだとすぐに理解できたが、一度点滅するにとどめ主の言動を見守る。

 彼女はひび割れ砕けていないのが可笑しな程に大破している愛機に、かろうじて動く指を這わせる。

 愛機以上に彼女は酷い有様だった。片足は切断を何とか免れたがもはや足の役目を果たしてはいない。止血の為か傷口は焼かれ、痛々しい。聞き腕の関節は正反対に折れ曲がり、折れた肋骨は内臓を深く傷つけて。傷付いていない個所が無いほどに、彼女はボロボロだった。

 死は彼女のすぐ真後ろまで迫っている。

 

『……死ぬのは、怖くなかった。失う事の方がもっと怖かった。なのに、何でだろうね。……いまは』

 

 もはや空気を吸う音しか出さなくなった喉の代わりに、彼女は念話を使って愛機に語りかける。

 

『死にたく、ないなぁ』

 

 愛機に。親友達に。もう会う事が叶わない家族と友人達に。愛されていたのだろう。今更そう思って、確かめる術は失われていると知ってさらに涙が溢れる。

 しかし心は生きたくても、体は逝こうとしていた。逆らう事が出来ず、彼女は目を閉じた。だが――

 

「これは必然なのか」

 

 声が聞こえた。尽きるを待つばかりの彼女の耳に声が聞こえた。

 薄らと目を開ける。思ったよりも視界が狭くて、片目は潰れたのだったと思いだした。意外としぶとい体をしているのか、それとも目を閉じて僅かしか時間がたっていないのか、彼女にも愛機にも判断はつかなかった。

 視界に映ったのは一匹の白い熊だった。ただまるで崩れる直前の石像のように、罅のようなものがはしり、耳や尾、爪といった細部は欠けていたが。

 熊は訝しげに彼女と愛機を見つめると、何か納得が言ったようにぶつぶつと呟いていた。

 

「娘は生きたいと見える」

『……な、に?』

 

 白熊の()()瞳が彼女を射抜く。その瞳は喜んでいるようでもあり、哀しんでいるようでもあった。

 

 

 

 

 その出会いは必然だったのだろうか?

 それともただの偶然であったのだろうか?

 

 何にせよ、ただ一つ言える事があるのならば。それは双方とも()()()()()()と言う事だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 崩れゆく己の体。漸く眠れると思うと嬉しくなったが、代償になったこの娘達を思うと素直に喜ぶ事は出来なかった。白熊は様々な感情を浮かべる()()瞳を細め、先程まで瀕死だったとは思えないほど回復した娘を見やる。

 

「結局、叶えられなかった。何のためにこんな姿になってまで生きたのか。……お前は叶えられるだろうか?」

 

 もう一度、あと一度。そう願い生き続けて……今はもう休みたかった。結局は無駄な時間を過ごしただけだったのかもしれないが、もっと苦しみの中死ぬものとばかり思っていたのにもかかわらず、最期の時に心穏やかでいれたのはこの上ない僥倖なのだろう。

 穏やかに眠り続ける娘に腕を伸ばす。太い丸太のような腕で優しく撫でてやれば微笑みが浮かぶ。その腕がさらさらと朽ち果てて塵と化し娘の上にかかろうとも、白熊だったはずのそれは撫でる事を辞めない。

 

「行く道は険しく、帰る道は無く。進むしかないその中で、停滞してしまった私()は朽ち果てた。お前は朽ちてはくれるなよ。曲がってもいい。歪んでもいい。ただ、折れてはくれるな」

 

 もはや頭部だけを残したそれは謳うように紡いでいく。それは、人の侵してはならない禁忌を犯した者として、これから禁忌を冒すものへせめてもの手向けの言葉。赤い宝石だけがその言葉を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギシリと雪を深く踏み込んだ音と捜査班の人間の呼吸音だけが耳に届いた。

 

「こんな所に……」

「……なのは」

 

 管理外世界でロストロギア回収に当たっていた高町なのはが任務中に消息を絶った。その連絡がフェイト・テスタロッサと八神はやての下に届いたのは三日前。捜査担当にアースラがあてられ、二人も捜査に加わった。管理局の中で嫌われている二人だ。様々な思惑が働いて捜査に加わるのは想像以上に容易だった

 

「最後の魔力観測点はここだ。ここを起点に捜査を開始する。捜査対象者達が行方知れずになったのは何らかの外敵要因も考えられている。単独行動は絶対に避ける事。以上だ。始めてくれ」

 

 はい、というその返事と共に辺りに魔力が広り、幾つもの班が四方へと散って行った。

 

「……さぁ、僕らも行こう」

「今行きます」

「了解です。()()()()()執務官」

 

 呆然と動こうとしない二人に声をかける。返事は酷く暗い。執務官――クロノ・ハラオウンは思わず溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 次元航行艦アースラ。その艦長席でリンディ・ハラオウンもまた、溜息を吐いていた。

 

「艦長、しっかりして下さい」

「なのはちゃん……でしたっけ? 目を掛けていたのは分かりますが今は」

「えぇ、分かっているわ御免なさいね」

 

 そうは言ったもののリンディの心は晴れる事は無い。数奇な運命に翻弄された才ある子。それが高町なのはに抱いた感想だった。

 六年前の「P・T事件」及び「闇の書事件」。何度その担当が自分であったのなら良かったと思った事か。自意過剰というわけではないが、自分が担当していたらなのは、フェイト、はやての三人の境遇を幾つかは向上できただろうに。巡り合わせが悪かったのだと笑ったなのはを見て、リンディは己の不甲斐無さを怨んだという。

 

『ねぇ、なのはちゃん。良ければうちの子に……』

『その言葉は、フェイトちゃんに言ってあげて下さい。きっと喜びます』

『だけど』

『私はフェイトちゃんに家族の、母親の温もりを教えられません。フェイトちゃんには母親の愛情が必要なんです』

『……なのはちゃんは必要じゃ無いの?』

『……。ちゃんと貰いました。もう会えないけど、ちゃんと残ってます』

 

 歪んだ子供だった。優しい子供だった。今から四年半前――彼女と出会って半年後――、交わした会話は今でも思い出せた。

 管理局の闇に翻弄された彼女。失ったものがあまりに多くて彼女に残ったのはほんの僅かなものだけで。それを守る為に自ら進んで深い闇へと沈んだ彼女。生きている可能性は限りなく低い。せめて遺体だけでも。リンディが捜査を受けた理由がそこにあった。

 

 

 

 

 

 茶色い猫を見つけ思わず抱き上げてしまった。何処か大切な親友に似ていて、雪の中寂しそうに青い瞳ではやてを見たから。

 

「お前も独りなんか?」

 

 にー、と愛らしい鳴き声を上げて猫ははやての腕の中大人しくしている。

 雪の中から遺体が見つかった。現地協力者と、局員のものだ。その遺体の中に探し求めた影が無い事を祈りながら、金糸を揺らし埋もれた遺体の回収をしている友人を手伝う為に近づいた。

 

「はやて。どうしたの?」

 

 それ。と腕の中の猫を指差され、拾ったとだけ答え杖に魔力を流す。己の騎士の資質を借りて魔力を炎へと変換、辺りの雪を舐めるように這わせ溶かして行く。それを見て辺りの局員が手を止め休憩を始める。

 

「それ、シグナムのだよね」

「ちょっと借りた」

「うん」

 

 言葉は少ない。ぼーっと雪が溶ける様を眺めていると、ふとフェイトが呟いた。

 

「見つかるといいけど」

「せやね」

 

 そう返事はしても何となくではあるが、もう二度と彼女に会えないと二人は思っていた。生き急ぐように、何時の日も伸ばした手をすり抜けていた高町なのは。今まではなんて事ないようにひょっこり帰って来ていたが、いつそのまま手の届かないところまで逝ってしまうのか不安でならなかった。消息不明の連絡は、ついにその日が来たのだと二人に伝えていた。

 

「……ちょっと相談があるんだけど」

 

 珍しい。そうはやては思う。基本的にフェイトは色々な事を家に溜め込んでいくタイプだ。例外があるのならなのはただ一人。はやてもフェイトの深くまでは踏み込めないし、踏み込ませてもらえない。なのはの影響だろうか?

 

「ハラオウン提督……ううん。リンディさんからうちの子にならないかって誘われてるんだ。もう四年かな?」

「……そうか」

「本当はなのはにも声を掛けてたらしいんだけど」

「受けんかったやろな。なのはちゃんは“高町”で居たかったと思う」

 

 高町の姓は彼女に残った数少ないものの一つだ。別に変えることなく子になる事も出来ただろうが、彼女はそれを認めなかっただろう。頑固だから。

 かき抱いた猫が身じろぐ。しゃがんで下ろしてやれば何処かへと歩き出した。時折二人を振り返り足を止まる様は付いて来て欲しいようで、辺りの雪がある程度溶けたのを確認して魔力を止め、猫の後ろを二人で追いかける。休憩していた局員が動き出すのを視界の端で見届けた。

 歩きながら話を戻す。

 

「フェイトちゃんはそれを受けるんか?」

「受けよう、と思ってる」

「なのはちゃんが喜ぶね」

 

 足を止めたフェイトの目じりから涙がこぼれる。そういえばフェイトはなのはが居なきゃ駄目だったんだな、なんて漠然と思いながらはやてはフェイトの涙を拭う。

 フェイトの事件を担当した人々は、お世辞にも良い人とは言えないと噂に聞いていた。はやて自身も一度だけ闇の書が暴走する前に会っているが、鼻持ちならない性格の提督だった。もっともその暴走に巻き込まれて大怪我を負い前線から身を引いたらしい。その際今までやっていた事もばれて査問に掛けられたとも聞いていた。罪悪感はあまり感じない。彼こそがなのはを管理局に縛りつけた張本人だから。それを知った時はやては、思わず身動きできなくなればよかったと過激な事を考えて、猛省した記憶がある。

 本当の良い人であるリンディ・ハラオウンに出会うまで、フェイトがどんな辛い思いをしたのかは想像に難くない。避難や罵倒、蔑みで傷付いたフェイトを癒したのは、何時だって高町なのはだった。高町なのは無くして、フェイト・テスタロッサは成り立たないんだった。

 

「そ、うだよね。なのはは、喜んで、くれるよね?」

 

 そう言ってなんとか笑みを浮かべたフェイトは歩みを再開する。かつてあったなのはへの依存は欠片は残っているだろうが、フェイトの足を止めるほど大きくはないようだった。六年という月日は偉大だ。

 フェイトの依存をなのはに伝えた時、なのはが言っていた事をはやては思い出す。

 

『いつかきっと一人で歩けるよ。私なんかよりずっと、フェイトちゃんは強いんだから』

 

 フェイトはなのはのその信頼にきちんと答えていた。思わず涙があふれるのを我慢してはやては歩を進めた。

 

 

 

 

 

 歩きながら色々と話した。

 フェイトが執務官を目指す事。今のままでは――犯罪者(の娘)であり、プロジェクトFの成功例である事を踏まえると――難しいかもしれないが、リンディの後見と、ハラオウンの姓を持てばそれも可能となるだろうと。リンディもそれを認め応援してくれるという事。

 現在聖王教会に保護されている守護騎士と相談して、管理局を辞める事。だが歩くロストロギアと呼ばれるはやては、ただでは辞めさせてもらえない。そこで聖王教会にはやても世話になりながら、リインフォースの残した魔導を大切にして生きたいという事。

 どちらもなのはが居たらしなかった事。フェイトの依存の解消も、はやての覚悟も。皮肉としか言いようがない。

 

 猫の歩みが止まる。そこは他の雪の降り積もった大地とは何処か違う。何よりもその地には間違えるはずもない親友の魔力残滓が辛うじて感じられた。まるで見つけてもらうのを待っていたかのように、二人がその魔力に気付いた途端、それは霧散してしまい二度と感じる事が出来なかった。

 二人は弾かれた様に駆け出して手で直接雪をかいた。魔法を使う事など思い浮かぶ余裕もない。

 そして見つけた。見つけてしまった。

 蹲った二人から嗚咽が漏れる。分かっていたが、実際に見るのはまた別なのだと理解する。二人を探していたクロノが後ろから駆けつけたのにも気が付かずに二人は泣き続けた。

 

 

 

 赤く染まった雪の中、赤い宝石は砕け散り、赤くなった防護服(バリアジャケット)を纏って、高町なのはは其処にいた。

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか茶色い猫は居なくなっていた。

 




『決して穏やかなものではなかった』


どうも初めまして。
そしてここまで読んでくださってありがとうございました。

※ 10/8 微修正・誤字脱字訂正

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