霞・スミカ視点
その日。
《ミッション完了だ》
ストレイドのオペレータ、霞・スミカは本日の仕事を無事に終えたことを相棒へと伝えた。
その相棒、ストレイドのこなしたミッション内容はほぼ完璧だ。本来ならここで更に一言二言、褒め言葉でも付け加えるところなのだが……彼女は決してそうはしなかった。
それどころか彼女の声色からは、何やら含みのあるものが感じられるまである。その理由は……
《……『アレ』の真似事か?》
スミカの言葉に、ストレイドのリンクスは答えない。
そう。ここ最近……と言うか何時からか、ストレイドは戦場の敵を極力傷つけなくなっていた。
正確に言うならば、基本的な攻撃箇所をコア部分以外に集中させているとでも言うのか。
間違いなく、ネームレスの影響である。
何やら噂によると、ネームレスの出る戦場では死傷者が出にくいらしく、スミカが見た幾つかの映像からも、怪物が故意的にそうなるよう仕向けていることは明らかだった。
アレは基本的に、他人に対して優しい。彼女等の初見での邂逅時、即座に襲い掛かって来なかったことからも、その性質が読み取れもしたのだが……
《精々上手くやることだ》
彼女は忠告する。
ネームレスは優しくとも、決して甘いという訳ではないと。アレはどんな時も気を抜いていない。
それこそ、どんな雑魚にもだ。対ネクストだろうが、対ノーマル部隊だろうが、相対した者には殆ど隙を見せていないのだ。スミカの集めた資料映像から分析したネームレスの動きは……
敵対した場合、最も面倒なタイプのソレであった。
敵を無力化した後ですら、その存在を常に気に掛けるしたたかさ。それを持ち合わせているからこそ、そのスタイルで成り立っているとも言えるのだろう。
アレは自分がどんなに強大な力を持っていようとも、それに慢心することなどない。
相手も一人の人間だということを強く意識し、戦場では常に周囲を警戒し続けているのだ。
逆転と言うものが、どんなに小さなところから起こるか分からない。それを分かっている様な……
《……》
だんまりを決め込むストレイドに、彼女は小さくため息を吐く。まぁ何時もの事ではあるのだが。
彼女の相棒は、感情が非常に読み取りにくい。無口なうえに無表情。彼が感情を爆発させたことなど、出会ってから一度も……
……。いや、一度、ある。
あれが爆発と言ってよいものなのかどうかは定かではないが。
ネームレスがミラージュと戦闘をこなした時の流出映像を、二人して見た時のことだ。
スミカ自身としては、あの怪物達の戦いに冷や汗を流し、その化け物具合に恐怖心すら抱いたものだが……その時、彼女の相棒はと言うと。
笑っていた。
それこそ、誰の目に見ても分かる位には、とてもとても素敵な笑顔だった。
……初めての事態だった。先の通り、ストレイドのリンクスは出会ってからほぼずっと無口・無表情であり、多少の感情表現が表に出ることすら稀であったのだから。
《なぁ。お前は……》
どうしたいんだ?
スミカは喉まで出かかった言葉を引っ込めた。
あの時の……笑っていた時の彼の顔。あれは、子供が『良い大人』に憧れる様な表情だった。
もしくは、何か凄いモノを目の当たりにした時のような、輝いた人間の顔。
きっとあの時、彼にとってネームレスは……その『とてつもない何か』に見えていたのだろう。
それこそ、その行動に対して真似をし始めるくらいの、余程の衝撃だったに違いない。
……それは、きっと良いことのはずだ。模倣先がミラージュでは無かったのなら尚更に。
何せこれはある意味で、彼が初めて、本当の意味で自分で『選んだ』行動だろうから。
ネームレスの存在が、彼の人間らしさのようなモノを取り戻す第一歩になってくれると言うのなら。彼が人並みの考えや、感情と言うものに目覚めてくれると言うのなら、それは歓迎すべきではあるだろう。
しかし。
《……まぁ、良い》
それはネームレスがある意味で手本となる様なものだ。
彼女は思う。ストレイドのリンクスは天才だ。いや、この男には天才と言う言葉すら生ぬるいと。
当然本人には告げないが、彼女の出会ってきた中でもそれこそぶっちぎりの『才』を放っている。
だが、それでも彼は怪物達とは違う。アレを完璧に模倣するには、どうしても足りない物がある。
故に、怪物の真似をすることは危険が伴う。
スミカは、ストレイドのリンクスが何時か、どこかで足元を掬われないか不安だった。
それに加えて……いや、こちらの方がメインだ。彼女の本当に心配していることは。
ネームレスのリンクスが、何か良からぬことをしでかした場合。
その時……彼女の相棒はどの様な選択をするのだろうか。
先の通り、ネームレスがストレイドの手本となっていた場合、ともすれば間違った道に彼は歩みを進めてしまうのではないか。スミカはそのことが些か気がかりだった。
とは言え、彼女の心配し過ぎと言う可能性も当然存在しているが。
《早く戻れ。とっとと帰還するぞ》
……これは、『奴ら』と少し話を進める必要があるか。指示を出す最中、スミカはそう決断する。
彼女がこうまでして頭を悩ませている原因の一つ……いや、それこそ原因か。
それからつい最近メッセージが送られてきているのだ。件名・内容共に、どうしても見逃すことの出来ないメール。
一体何を考えているのかは定かでは無いが、その内容をストレイドのリンクスに知らせる前に、まずは自分自身でことの顛末を確認する必要があるだろう……
相棒の輸送機への帰還を待つ最中、スミカはこれから先の出来事に思いを馳せていた。
――――――――
――――
――
後日。霞・スミカは自室のPC端末を前に、ヘッドセットを装着した状態で待機していた。
目的は遠く離れているとある人物との対話である。
既に今日、この時刻に連絡を取り合うことは確認してあるはずなので、後は相手が出るだけなのだが……何やら少し遅れているらしい。オペレータらしき人物からは待機を命じられている状況だ。
かくして……ようやく通信が出来る状態になったらしい。
《こんばんは。霞・スミカ。元気にしていたか?俺は元気だ》
ヘッドセットからは聞き覚えのある男の声がこだました。
飄々としているようでその実、芯の通った……相も変わらず、スミカの癪に障る声である。
そんな、初っ端から不愉快な挨拶を決められた彼女は、思わずして悪態をついてしまう。
《相変わらず腹の立つ》
《俺の知り合いからこの挨拶でいけばバッチリだと教わったんだが》
《誰だその阿呆は》
《本来、阿呆と真逆を行くような男なんだがな。本人がよければ今度紹介しよう》
スミカは「要らん」と吐き捨てると、その応答先である『怪物』に対して質問をぶつけた。
《で、何だ。『あの』メッセージは?》
《ほう、無事に届いていたか。いやはや、ラインアーク側に頼んでおいて正解だった》
スミカは舌打ちをする。
ラインアーク……もとい、この怪物からスミカの元に届いていたメッセージ。
それは来たるべきラインアーク戦において、ストレイドの協力を願うものであった。
……何とも、怪しげな。これがまず最初にスミカの抱いた感想である。
ラインアーク所属のネクスト機は今現在、ネームレス、ホワイト・グリントの二機。
相対する者達が如何に強者であろうと、その戦力としては決して引けを取るものではないはずだ。
それなのに今現在、経済難であるラインアークが多額の報酬を支払ってまでストレイドを雇おうとするその魂胆。大方この怪物の入れ知恵なのだろうが……スミカはその真意を知りたかった。
《質問に答えろ。お前、どういうつもりだ》
《どういうも何も。そのままの意味だ。ストレイドにご協力願えないかと思ってな》
《アイツが使えると?》
《ああ。最高にな》
アイツも随分と買われているものだ、とスミカは鼻を鳴らした。
そもそも、前々から気になっていたことがある。何故かは知らないが、この男は以前から……それこそ、出会った時からストレイドの事を一目置いていた。
この男をして、一体何がそこまで強者だと言わしめるのか、彼女が興味を持つのも当然と言えた。
《そう言えば貴様の他に。オーメル……企業連からもメッセージが届いていたな》
《逆側の依頼か? 件名は、ホワイト・グリント及びネームレスの撃破とでも言ったところか》
《良く知っているな、お前は。何でも分かるのか?》
《フッ……まさか》
……この反応。当たらずとも遠からず、と言ったところか。
どちらにせよ、この世界における情報は必要とあらば大概が怪物に流れ出る可能性が大きい。
まぁ、昨今までその存在すら認知されなかった者達だ。情報操作の類はお手の物だろう。
《こう見えて、俺も色々と考えているんだよ。「どうすれば上手く行くのだろう?」とな。しかし実際どの方法が正解なのかは、その時になるまでは分からんだろう。まぁ、当然、取れる対策は取っているつもりではあったが》
《ハッ。お前は試験か何かでも受けるつもりか?》
《言い得て妙だな。で、だ……頭を悩ませていた俺は閃いた訳だ。「今回は既に試験をパスしたことにすればよい」と。満点合格なのか、ラインギリギリなのかは分からんが……少なくとも今回においては。ストレイドさえ此方に引き込めれば、》
《赤点は回避できると。つまり、お前はそう言いたい訳だ》
スミカにはこの男の真意が読めなかった。
実に回りくどい言い方で、何かを秘匿していることはあからさまである……が、恐らく。
要約すると先にスミカが答えたとおりだろう。どう進むのがベストな結果を生み出すのかは分からんが、ストレイドが味方に付きさえすれば最悪にはならない。そう言いたいのだ……だからこそ。
《良い加減にしろ》
苛立ちが募る。
《お前の言葉は矛盾している。「その時まで正解が分からない」と発言しておきながら、次の瞬間には「今回は既にパスしたことにする」などと……誰でも違和感を感じるはずだ》
《今、重要なのはそこじゃない》
《ああそうだろう。だが言わせてもらうぞ……今のお前は、何時にも増して気味が悪い。私からすれば違和感だらけの、『理解できない何か』だ。お前は何だ? 未来でも見えているのか?》
《だと良かったんだがな。残念ながら上手く行くのは稀だ》
彼女の言いたいことは最もだ。実際、怪物の言葉は非常に理解し難いモノであり……
今までの話を言い換えるならば、『既にパスした試験を、より良い結果(点数)を求めて解く』。
ストレイドという道具を使って、これを行おうとしている訳である。
しかしこの口ぶりからだと、その試験の詳しい内容(問題)は恐らく分かっていない。
当然だろう。そんなことが分かれば誰も苦労はしない。
未来がまるまる、全部分かっていることになるのだから。だが、この怪物の違和感は……
《『分かっているのに、分かっていない』。今、私がお前から受けた印象はコレだ》
スミカのこの言葉に、怪物は少しの間口を噤んだ。
彼女自身、自分の言葉に少々の違和感を抱きながら発言しているのだ。ネームレスのリンクスも少し考えるところ位はあるのだろう……ヘッドセット越しに怪物は小さく溜め息を吐くと。
ようやく――――
《俺も、ストレイドだったよ》
――――…………。
《……ふ、ざけるなよ》
《いやァ。あの時はお互い大変だったな》
《……お前は本当に得体が知れん。これまで聞いてきた冗談の中でも、最大級に気持ちが悪い》
《ククク……すまんな。こういう事も偶には喋りたくなる》
『こういう事』……冗談にしては、本当に気味が悪すぎる。
スミカは怪物がその事を口出したその時、不覚にもその身が総毛だった。し、今でも鳥肌が立ちっぱなしである。この感情、一種のおぞましさすら含まれていると言っても良い。
お陰で、今日はこれ以上この男の謎に突っかかる気力すら無くなりかけている。
《アイツは……お前を、見ている》
《……?ストレイドが、か》
《ああ。話す気は無かったが……お前が、アイツの何だ、その》
《隣に居るのか?》
スミカの言葉を遮るようにして、ネームレスのリンクスが口を開く。
《そういう意味ではない》
《ではどう言う?》
《……もう良い。ただ、この先アイツが何かをしでかした時、お前の力を貸せ。それで良いなら今回の話、アイツに通しておいてやる。実際どうするのかは分からんがな》
《『シリエジオ』との共闘か。その時は頼むぞ、旧レオーネ社の元エース》
当然のごとくスミカ自身も通行止め役に入っているところが、些か笑える。
言ってしまってはなんだが、彼女自身はリンクスとして現役を退いて久しいし、今更上手く機体を動かせるかどうかは分からない。が、まぁ、この怪物となら『そうなった』自身の相棒を止められる可能性は高いだろう。
そもそも、ネームレス自身がよからぬことをしないのが一番なのだが……まぁ無理だ。
事情を説明して素直に聞き入れるとも思えない訳であるし。だったら多少なりとも相手の飲みやすい条件を提示するのがまだマシだ。
《ふん。まぁ、敵同士になることも十分にありえる。その時は首を洗って待っていろよ、貴様》
《恐ろしい事を言うな。ストレイドのリンクスには俺から「是非ともよろしく頼む」と言……》
《話はついたな。味方ならまた連絡を入れる》
《おいおい決まったら早いn》
半ば強制的に通話を切断する……全く。本当ならもっと色々聞くはずだったのだが。
我ながら早計だったかと少し反省するスミカ。
いや、しかしあれ以上続けていたとしても奴に関する有益な情報が得られるとは到底思えなかった訳であるし。精神衛生上あの怪物との通話は早めに切り上げるに越したことは無い。
しかし……
「奴が、ストレイド……」
スミカには、この言葉がどうにも引っかかって頭の中から離れない。
そんなはずなどある訳がない。ある訳がないのだが……もし本当に『そう』なら。
「ハッ。馬鹿馬鹿しい」
スミカはヘッドセットを取り外すと、デスクに投げ捨てるようにして置いた。
そうだ。あまりに荒唐無稽な話だ。第一、彼女の知るストレイドのリンクスはあんなに喋らない。
加え、彼女の相棒はどこか可愛げもある訳であるし……全くの別人だ。
「……」
それでも、スミカは考える。あの言葉の真意を。
冗談にしては……その時の雰囲気が重すぎた。あの言葉を現実的に解釈した場合、どうなるのか。
考えられるのはやはり、ストレイドのリンクスと怪物が、何かしらの関係性にあるということ。
怪物=ストレイド。となると、その逆になることも当然ありえる。つまり。
ストレイドのリンクスが、怪物の『組織』と何かしらの関係がある可能性が出てきたと言える。
スミカが出会った頃から、彼の素性・過去は一切不明だったし、本人すらも分かっていない。
しかし『組織』との関連性があるなら、その抹消された情報についても納得がいく。
そもそも、ストレイドのリンクスは……色々な意味で『ネクスト機への適性』が高すぎた。
身体が特に弄られて居ないところを見るに、彼は怪物達の成り損ないなのか。いや、それとも。
「っ!」
そこで突然、彼女の自室の扉が開いた。
思考に没頭し無警戒な状況であっただけに、スミカの身体がピクリと小さく跳ねる。
何だ?と、イラつきながらそこへ視線をやると……扉を開けたのは彼女の良く知る男。
ストレイドのリンクスだ。
「何だ。いつからそこに居た」
「……」
「……ああ。まぁ、やはり、お前は奴とは違うな。間違ってもああはなってくれるな」
「……」
無口な彼を見てうんうんと頷くスミカ。
この反応だけでも、どれほど彼女がネームレスのリンクスを毛嫌いしているかが分かるというもの。さて、しかしながら。このタイミングで扉を開けたと言う事は、だ。
「聞いていたか」
その言葉に、男はコクリと頷いた……扉の外からとは。何とも獣じみた聴覚だ。
スミカはヘッドセットを利用していた為、通常ならその会話音声が聞こえるはずなどないのだが。
この反応。所々聞こえていなかったにしろ、大概の話の流れは理解できているはずだ。
と、なれば。
「さて、どうする」
スミカは尋ねた。まだ、時間はある。今ここで答えを出さずとも良いが……延ばし過ぎはNGだ。
準備期間含め、早めに決定するにこしたことは無い。
ラインアーク戦に出るのか、出ないのか。出るとしたらどの陣営につくのか。
場合によっては、この先の身の振り方も考えなければならないだろう。
「お前が選べ」
そう。これは彼の物語でもあるのだから。どんな『答え』かは、自分で決めるべきだ。
今回の更新はここまでです。
一回書いた話を全部書き直したりしているので遅くなりますが、許して下さいまし。