IS〈イノウエ シンカイ〉   作:七思

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すっげー時間かかりました申し訳ありません。言い訳のしようもなく、私が怠けていたからなんですが。


第80話 「遊び」の基本

 万策尽きた。まさかこの作戦が失敗するとは……しかもああも呆気なく。

 どうしよう、これから。ていうかどうすんだ。放課後になって生徒会室に行ってみたが、楯無さん居ないし。ちくしょう、さては逃げやがったな。

 

(むむむ……)

 

 こうなったら、なんとか別の切り口で攻めるしかない。しかしそれが思いつかないのだ、だからこうして困り果てているわけで。

 

 ……さて。本当にどうしよう。

 

 内心で頭を抱えながら、廊下を歩いていると。

 

「い~ち~くゎ~……」

「!?」

 

 な、なんだ!? 地獄の底から漏れ出たかのような声が聞こえたぞ!? しかも俺の名前を呼んでる!?

 

「聞~いたわよぉ、一夏ぁ~……」

「うひぃ!? り、鈴っ……!?」

 

 再び声が聞こえ振り返ると、そこに居たのは鈴だった。声の迫力にも劣らぬ悪鬼の如き形相で、ユラリユラリと近付いて来る。超怖え。

 

「な、なんだよ鈴……どうしたんだ?」

「アンタ、今度のタッグマッチのペアに、四組の子を誘ってるらしいわねぇ……?」

「か、簪さんのことか? 確かにそうだけど……」

「かんざしぃ?」

 

 鈴の眉が片方、ギュイン! と上がる。顔の右側を悪鬼の面、左側を般若の面にした鈴は、ケケケケケ、と不気味な笑い声を発しながら尚も接近して来た。

 

「ああ、そう……ああそうっ! あたしがわざわざ一組まで誘いに行ってあげたのに、それをほっぽってどこの馬の骨ともわからない子を誘いに行ってたってわけね!!」

「いや、馬の骨って……簪さんは楯無さんの妹さんだぞ?」

「そんなことは関係ないのよっ!!」

 

 クワッ!! と両目を見開いて一喝する鈴。その迫力に、思わずビクリと後ずさる。

 

「「一夏」」

「一夏さん」

「!?」

 

 そんな俺のすぐ後ろから、またも声。しかも今度は三人分だ。

 呼吸が乱れかけるほどの恐怖を感じながら、竦む足を叱咤して振り返る。

 

「よ……よう、箒、セシリア、シャル」

 

 そこに居たのは、三者三様の表情を貼り付けた美少女たちだった。

 

 箒は情け容赦を捨て去った修羅の顔。

 セシリアは前髪で隠れた目の下で、三日月のようにパックリと口を開け。

 シャルは表面だけ優しげな笑顔だが、目が全く笑っていない。

 

 前門の虎後門の狼、左右は壁、上は天井下は床。

 逃げ場はなかった。

 

(ど、どうする……!? なんかわかんないけど、このままでは命が危ない気がするっ……!)

 

 前後からジリジリと間合いを詰めてくる四人に涙目になりながら、どうにか脱出できないか視線と思考を巡らせる。

 正面突破は論外。天井や床をぶち抜くわけにはいかない。つまり逃げるとすれば、左右どちらかだ。

 

(右手は教室……二組か。鈴の庭だ、ネズミが蛇の餌箱に飛び込むようなもんだな)

 

 残りは左、つまりは廊下の窓だけだ。幸い、換気のために窓は極力開けるように指示されている。最寄りの窓も全開だ。

 問題は、下の階の同じ位置の窓も開けられているのか、ということだが――

 

「い・ち・かぁ~!!」

「どういう事なのか」

「しっかりと説明を」

「してよねっ!!」

「うひぃぃぃっ!!?」

 

 最早そんなことを考えている猶予はない、一刻も早く逃げねば。

 というわけで、一か八か、窓から身を踊らせる。剣道で鍛えた握力で縁を掴み軌道修正、平仮名の「つ」を描くように降りて行く。

 

(しめたっ、開いてる!)

 

 下の階の窓の縁に着地し、膝を曲げて衝撃を殺し床に降りる。殺し切れなかった衝撃は五点着地で分散して立ち上がった。

 ……まさか本当に成功するとは。心臓がまだバクバク言ってるし。高ぶったテンションそのままに、俺はガッツポーズを決めた。

 

「しめたのに開いてるとはこれいかにっ!」

「くっっっだらないこと言ってんじゃないわよ!!」

「なんだとォーッ!?」

 

 お、追って来やがった! 確かに身軽な鈴ならできるだろうけど――って、上の階からものすっごい足音が凄まじい速度で移動している!? 階段から回り込むつもりか!

 

「待て、一夏ぁーっ!!」

「待てるかぁ!!」

 

 獣のような速さと獰猛さで襲いかかって来る鈴から逃れるため、箒たちの先回りを防ぐため、俺は全力疾走を開始した。

 

 ……良い子のみんなは、廊下を走ってはいけません。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「…………」

 

 整備室の機材を借りて打鉄弐式に繋ぎ、私は試作したプログラムのシミュレーションをしていた。プログラムの内容は、打鉄弐式の主力武装、〔山嵐〕のマルチロックオンシステムの物。

 シミュレーションの中では、放たれた四十八発のミサイルがバラバラの軌道を描きながら飛んで行き、ターゲットを粉砕した。

 

「…………」

 

 次に、移動するターゲットをロックオン、さっきと同じようにミサイルを放つ。

 するとミサイルは、バラバラと言うよりも滅茶苦茶な軌道を描き出した。ほとんどのミサイルが明後日の方向へ飛んで行く。残りはミサイル同士空中で衝突し、爆発した。結局、命中弾はゼロ。

 

「……やっぱり……ダメ……」

 

 何度作り直しても似たような結果だった。動かないターゲットには問題なく当たるけれど、動かれると途端に当たらなくなってしまう。

 軌道修正が、上手くできてないんだ。

 

(軌道を……ある程度統一する……? けどそれだと、山嵐の強みがなくなっちゃう……)

 

 山嵐の強みは、ミサイルの数と変則的な軌道の両立。どれだけたくさんのミサイルを撃っても、その全てが最短距離を飛ぶだけなら、簡単にかわされるし撃ち落とされる。どれほど複雑な軌道を描いても、一発だけならいくらでも対応できる。

 大量のミサイルを、それぞれ別の軌道で飛ばす。ターゲットの移動に応じて、リアルタイムで軌道を修正しながら。

 

 ……ISでも、データの処理が追いつかない。

 

(ロックオン時間は、これ以上伸ばせない……今でも、実戦で通用するギリギリのところなのに……。処理能力の配分を増やす……? ……ダメ、まともに動けなくなっちゃう……)

 

 山嵐のミサイルだけでなく、ISは様々な面で膨大なデータを処理し続けている。それが満足に働かなければ、戦闘どころか基本的な機動すらできない。結局、現状のスペックで処理しきれるよう、ミサイルの軌道修正プログラムを簡略化するしかない。それしか方法が思いつかなかったのだ。だからここ数日は、休み時間なんかも使ってプログラムを作ってたんだけど……いまいち進展がない。

 

(……そういえば)

 

 キーボードを叩きながら、ふと思い出す。今度のタッグマッチでペアを組もうと誘いに来た、織斑一夏のことを。

 

 彼に責任はないとは言え、彼の専用機のせいで私の打鉄弐式が未完成のままなことには変わりない。むしろ彼に責任がないからこそ、この苛立ちのやり場に困ってしまう。だから、彼にはあまり会いたくなかったのに。

 

(なんで……わざわざ)

 

 私のところに、来たんだろう。

 二回目はわかる。倉持技研からの依頼文だ。とてもじゃないけど、打鉄弐式はまだ実戦に出られる状態じゃないから断るつもりだけれど……。

 でも一回目は、まだ依頼文も来てなかった。専用機が未完成の専用機持ちなんて、ペアにするメリットはないはずなのに。そうでなくても、私は実戦経験がほとんどない。織斑くんと仲が良い他の専用機持ちたちに比べれば、明らかに見劣りする。

 

 ……なのに、なぜ?

 

(……まさか……)

 

 カタッ。キーボードを叩く指がとまる。

 ……まさか、織斑くんの目的は――

 

(わ……私……?)

 

 ぞわわっ、と、言い知れない恐怖を感じた。

 織斑一夏。世界で唯一ISを動かせる男性で、この学園で唯一の男子生徒で、あの織斑千冬先生の弟で――大変、よくモテる。

 彼に関する噂は後を絶たない。いつも大勢の女の子を引き連れている、とか。恥ずかしくなるようなセリフを平気で言い、女の子を口説いてる、とか。

 ――夜、しょっちゅう女の子を、それも毎回違う女の子を、部屋に連れ込んでいる、とか。

 

「……………………」

 

 ダラダラダラダラ。冷たい汗が、じっとりと背中に流れる。

 いやいやまさか、そんなことあるわけがない。だって私は別に可愛いわけじゃないし、美人というわけでもない。スタイルだって、そんなに良いわけじゃない。美少女揃いの代表候補生たちに囲まれている織斑くんにとって、魅力は――

 

(ハッ!? ま、まさか、眼鏡……!?)

 

 いつだったか、何かで見たことがある。男の子は、眼鏡を掛けた女の子に惹かれるという、眼鏡萌えの話を。

 いやいやいや、有り得ない。だって私のは、眼鏡に見えるけど眼鏡じゃない。空中投影型と比べて値段が安く、持ち運びその他諸々でも便利な眼鏡型ディスプレイだ。私自身は視力は悪くない。むしろ結構良いほうだと思う。

 だから私は、正確に言えば眼鏡っ娘では――いや、見た目はそんなに変わらないかも……

 

(ど、どうなんだろう……本当に眼が悪いかとか、そういうのって重要なのかな? ……って、何考えてるんだろう私、まだ織斑くんがそうだと決まったわけじゃないし……こんなこと考えるなんて、失礼な――)

「やほほ~い、かんちゃ~ん」

「ひぁぁぁぁああああっ!!!?」

 

 び、びっくりした……! 変なこと考えてたせいで、人が来たことに全然気づかなかった。

 

「はぁー、はぁー、……ふぅ……あれ……?」

 

 少し落ち着いてみると、今の声は――というより、私を「かんちゃん」なんて呼ぶ人は一人しかいない。

 

「本、音……?」

「そーだよ~、かんちゃ~ん」

 

 突然声を掛けて来た、制服の袖をかなり余らせている少女、私の幼なじみで私専属のメイドで私の数少ない友達である布仏本音は、私が大きな声を出したことに驚いたのか、目をパチクリとしていた。

 けれどそれも一瞬のことで、名前を呼ぶとすぐにいつも通りの調子に戻って、制服に隠れて見えない手をブンブンと振る。

 

「急に……話しかけないで……」

「ん~。なんか考え事してるみたいだったから、つい~」

「…………」

 

 普通考え事をしてる人は、用がない限りそっとしておくものだと思う。どうやら本音も何かしらの用があるわけではないみたいだし、本当に、つい話しかけた、という感じだった。

 

 ……私が言うのもなんだけれど。本音の独特なペースは、疲れる。

 

「かんちゃん、まだ打鉄弐式、できてない~?」

「……まだ、色々足りない。特にFCSが空っぽのまま」

「ん~。何かお手伝いしましょーか~?」

「いい……いらない」

 

 これは――打鉄弐式の完成は、私が一人でやらなきゃ意味がないこと。本音の手を借りるわけにはいかない。

 それに本音は、整備の腕前はすごいけれど、専門はどちらかと言うとハード――装甲や関節、あとスラスターとかジェネレーターとか、そういう方面だ。プログラムやシステムといったソフト方面では、私の方ができる……と思う。

 

「でも~、ほらほら~。三人寄らばMONJUの知恵とゆいますし~」

「何その妙に引っ掛かる発音」

 

 ……あれ? 今、三人って言った?

 

「ああ~、そーそー。今ね~、朧月のメンテナンスしにね~」

 

 ……待って。ちょっと待って。

 

 朧月って、確か。

 

 あの人の――

 

「いのっちと一緒に来てたんだ~」

「…………」

「…………」

「………………」

「………………」

「「………………………………」」

 

 フラフラとうろつく本音を探していたのか、その人は機材の影からひょっこり出てきて、バッチリ目が合ってしまった。

 そして数秒の沈黙。よくわからない緊張感。

 

 しばらくして、その人――IS学園ではとても有名な片腕の剣士、井上真改さんは。

 スッと、右手を差し出して来た。

 

 後になって思えば、それは無口な井上さんなりの、挨拶だったのかもしれないけれど。

 

 井上さんに対してもの凄く怖い印象しか持っていなかったこの時の私は、その僅かな動きにさえ過剰に反応した。

 

 つまり――

 

「ひ、ゃ、あああああっ……!!」

「……!?」

「おお~?」

 

 ――一目散に、逃げたのだった。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

(な、なんで!? なんで井上さんが、私のところに……!?)

 

 恐怖で半ばパニックになりながら、整備室を飛び出した私は廊下を全力疾走していた。頭の中の僅かに残った冷静な部分では、あんなことで逃げ出すなんて失礼だとわかってる。でも、忘れられないのだ。あの日見た、地獄の全てが凝縮されたかのような、禍々しい眼が。

 

(だ、ダメだ……こんなことしてたら目立っちゃう。お、落ち着いて、とにかく一旦止まろう……)

 

 けれどしばらく走って、さすがに気付いた。この歳になって廊下でダッシュするような人は、周りから奇異の眼で見られてしまう。それはかなり恥ずかしい。なのでペースを落とし、乱れた心と呼吸を落ち着けつつ止まろうとして。

 

 近くにいた人たちが、私だけを見ているのではないことに気付いてしまった。

 

(……え)

 

 なんだか猛烈に嫌な予感がして、振り返る。

 すると視線の先では、井上さんが、もの凄いスピードで――

 

(お、お、お……追って……来てるっ……!?)

 

 その走りは、テレビで見るようなスプリンターと比べても遜色ない。しかもどう見ても、私目掛けて真っ直ぐに走って来てる。

 

 うん。すっごく怖い。

 

「ひ、はっ、ひぃぃぃぃ……!」

 

 自分でもどうやって出しているのかわからないような情けない声をあげながら、限界だと思っていたスピードをさらに上げた。

 けどそれでも、井上さんのほうがずっと速い。このままじゃ、すぐに追い付かれる。

 

 そして、廊下の曲がり角に差し掛かる頃には。

 

 井上さんはもう、すぐ後ろまで来ていて――

 

「う、おおぉぉ!?」

「へ? きゃっ……!」

 

 曲がり角の向こうから、誰かが飛び出して来た。相手から見れば、私の方こそ飛び出して来たのだろうけれど。

 とにかく、今まで全力で走っていたのだから、車でなくても急には止まれない。私は反射的に目をつむり手を翳して、衝突に備えた。

 

「……あ、あれ……?」

 

 けれど予想に反して、衝撃はやってこなかった。代わりに、驚きでか少し上擦った声が聞こえてくる。

 

「あ、あっぶねぇ……危うく人を轢くところだった――て、あれ?」

 

 次いでその声は、疑問に変わり。

 

「簪……さん? 何してるんだ、一体?」

 

 そこでようやく、私は飛び出して来たのが織斑一夏くんだと気付いた。彼が無理な体勢で身体を捻りつつ、私との衝突を避けたことにも。

 質問したいのはこちらの方だけれど、今はそんなことしている余裕はない。後ろから井上さんが――って、よく見たら織斑くんもなんか追われてる!?

 

「一夏ぁぁぁぁっ!!」

「ああもう元気だな、って、シン!?」

「え!?」

 

 ああっ、追い付かれた! まあこんなことしてたら当然だけど!

 

「何してるんだ、お前まで」

「……用件……」

「ひっ……」

 

 スッと視線を動かして、井上さんが私を見る。その眼をろくに見ることができなくて、以前見たのと全然違う眼だということに、私は気付けなかった。

 

「ま、待てよ、シン。気持ちはわかるけど、ほら、簪さん怖がってるじゃないか。まずは落ち着け、な?」

「…………」

 

 織斑くんが私と井上さんの間に割って入り、何か話し掛けている。どうやら井上さんを説得(?)してくれているらしい。

 もしかしたら、助かるかもしれない――そう思った直後。

 

「はっ!? あれは、更識簪さん!?」

「ぬぁんですってぇ!?」

「まさか一夏さん、彼女と合流するために!?」

「許すまじっ!!」

「ひ、ひぃぃぃ!?」

 

 なんだかもっと怖い人たちがいる!? しかもなんでか、私が標的にされてるような!?

 

「や、ヤバい……簪さん、とりあえずここは逃げよう!」

「え、え? きゃっ!?」

 

 突然、はっしと手を掴まれて、そのまま引っ張られる。それは結構な力で、そうしてまた、私は走りだした。

 織斑くんに、手を引かれる形で。

 

「おのれ、更識簪ぃぃぃぃっ!!!」

「待てコラァァァッ!!」

「GO、チビ上さん!」

「応」

 

 お嬢様っぽい金髪縦ロールの女の子、オルコットさんが言うと、小さな……人形? が飛んで来た。……よく見てみると、井上さんにかなり似ている。アレが噂の1/6井上君人形かな。

 

「変身! 戦闘モード!」

「推参」

 

 何か突然、井上さん人形が光り出し、投げ遣りな感じのBGMが流れ出した。光もBGMもすぐに収まり、井上さん人形は……朧月(?)を展開していた。そのスラスターからターボライターみたいな光を噴出しながら、猛スピードで飛んで来る。

 右手の小さな……月光? から、爪楊枝サイズの針が飛び出して――

 

「ちくちくちくちくちく」

「あだ、あいたたた!? ちょ、それやめろ! つうかまた新機能か!」

「オーホホホ! チビ上さんは日々進化(アップデート)していましてよ!」

「あんの変態め、余計なことをっ!!」

 

 なにやら怒っている様子の織斑くんが、私の手を引いているのとは反対の手をブンブンと振り回し、井上さん人形を追い払う。いや、追い払おうとしているんだけど、井上さん人形は華麗に回避していてあまり効果がない。

 そしてそうやって手間取っている間にも、殺気立った目をした四人は距離を詰めて来ていた。

 

(ひぃっ……あ、あれ? 井上さんは……)

 

 そう、四人だ。いつの間にか、井上さんは追跡を止めていた。今はなんとも微妙な表情で、織斑くんとぶつかりかけた曲がり角に佇んでいる。

 

(でも……状況は全然、良くなってない……!)

 

 追跡者が変わっただけ、むしろ数が増えてもっと大変になっただけだ。彼女たちもかなり足が速くて、逃げ切るのは難しそう。

 そうでなくても、私はもう息が上がり始めていて、限界が近い。織斑くんに手を引かれていなければ、この場にへたり込んでしまいそうだ。

 

「待て、一夏ぁぁぁぁっ!!」

「更識さん、ちょっとオハナシしよう! ね!?」

「いい加減、止まりなさいっての!!」

「す、少しペースを落としてくださらない? レディがスカートで全力疾走だなんて、はしたな――」

「そう思うんだったら追って来んなよ!!」

 

 私はこんなに疲れているのに、織斑くんも篠ノ之さんたちも、まだまだ大丈夫そうだ。あんなに大きな声を出しながら、走っているのに。

 

(な、なんであんなに元気なの……!?)

 

 まるで子供だ。体力の限界も考えずに遊びまわって、疲れ果てて寝てしまう、小さな子供。そんなみんなの姿を見て、周りの人も呆れたように――

 

(あ……あれ……?)

 

 ――呆れたように、見ている。それは違いないけれど。

 

 けれどそれは、なんというか。

 

 上手く言葉に、できないけれど。

 

 微笑ましい光景を、見ているかのような――

 

「「「「待てぇ~~~!!」」」」

(……ああ、そうか)

 

 なんとなく、わかった。

 これは――この大騒ぎは、きっと、「いつものこと」なんだ。

 いつもいつも、こんな風に騒がしく、賑やかにしているんだ、織斑くんたちは。

 

 私は周りのことを全然見ようとしていなかったから、気付かなかったけれど。

 

 こんな、アニメみたいなドタバタは。

 

 私のすぐそばに、あったんだ――

 

 

 

「き、さ、ま、らぁ~」

「「「「「「ひいっ!?」」」」」」

 

 な、なんか今、小さいのに良く聞こえる、例えようもないほど低い声が聞こえた!?

 

「貴様等は、毎度毎度……一体どれだけ、私の手を煩わせれば気が済むんだ? ん?」

「あわ、あわわわわ……」

 

 突然みんながビクリと動きを止め、ガタガタと震え出す。この声が原因であることは明らかだった。

 その、声の主は――

 

「お、お、……織斑、先生……?」

 

 そう。

 この学園どころか、世界でも最強の存在。

 

 織斑くんのお姉さん、織斑千冬先生だった。

 

「ほぉう? 今日はまた、新たな問題児を教育中か? 織斑ぁ」

「え!? あ、いや、簪さんは違うぞちふ……織斑先生! ただ巻き込まれただけと言うか――」

「巻き込まれた? 私には、一緒になって校内を駆けずり回っていたように見えたがな?」

「いやそれは、俺が引っ張ったからで――」

「そこの馬鹿共も、更識の名前を連呼していたように聞こえたがなあ?」

「う、ぁ……」

 

 織斑くんは必死に弁明しようとするけれど、織斑先生の眼力に気圧されて、上手く話せないようだった。かく言う私も、生まれたての小鹿みたいにプルプルすることしかできない。

 

「さて。実はすぐそこに、教員室があるんだが」

「「「「「「うひぃ!?」」」」」」

「あれだけ大声を出しながら走っていたんだ、喉が渇いただろう? どれ、茶でも淹れてやろう、この私が。

 ……飲むだろう?」

「「「「「「……はい」」」」」」

 

 そうして、みんなで並んでトボトボと教員室に入って行った。

 その後の織斑先生のお説教は、思い出すのも恐ろしいほどのものだったけど。

 

 あの追いかけっこは、少しだけ。

 

 ほんの少しだけ、楽しかった、かも――

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「おつかれさま~、いのっち~」

「ごめんなさいね、真改ちゃん。こんなことさせて」

「…………」

 

 簪の追跡を止めた曲がり角で佇む真改に、本音と楯無が笑顔で声を掛ける。それに対し、真改は無言のまま振り返る。

 その眼には、僅かな困惑が浮かんでいた。

 

「実はね、本音ちゃんにお願いしてたのよ。真改ちゃんと簪ちゃんを会わせるように」

「…………」

「なんでそんなことをしたのかって言うとね。真改ちゃんと簪ちゃんに仲直りしてもらいたかったのもあるけれど……簪ちゃんに、一人で居るだけじゃわからない楽しさを知ってもらいたかったのよ」

「私は、いのっちのこともかんちゃんのことも、ず~っと見てきたからね~。なんとなく、こうなるんじゃないかな~、って」

「…………」

 

 真改は呆れたように溜め息を吐いただけで、楯無たちの策略に断りもなく使われたことについて何も言わなかった。文句はあるが、言ったところで意味はあるまい。そう判断したからである。

 

「仲直りのほうは、上手くいかなかったけど~。おりむーたちがちゃ~んと、バタバタしてくれたみたいだし~」

「ふっふっふ……そのための情報操作は完璧だったようね」

「うわー、おりむーもかんちゃんもかわいそ~」

「………………」

 

 本当に哀れだ。こんな姉と幼なじみがいては、心の休まる暇もなかろうに。

 そう思って、真改は微かに苦笑を浮かべる。

 

 ――ああ。それについては、己も人のことは言えんか。

 

「……これで簪ちゃんも、友達の良さをわかってくれるといいんだけど」

「う~ん、それはわかりませんけど~。でも――」

 

 そこで本音は、相変わらずのにへらとした笑顔を廊下の先へ向けた。

 その方向には、教員室があり。

 その中ではきっと、彼女の友人たちがうなだれながら、千冬の説教を聞いていることだろう。

 

「おりむーたちが、みんな楽しい人だってことは――わかったんじゃないですかね~」

「……ふふ、そうね」

「…………」

 

 本音の言葉に、楯無は笑顔で、真改は無表情で。

 

 それぞれ、同意した。

 

 

 




ふと気付くと、結構な話数になってまいりました。時が経つのは早いものです。
そろそろ私もアラサーになりそうですし。いやもうホント、時が経つのは早いものです。

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