……うふふ。
己とセシリアの試合当日、その放課後。
一体どういうわけか観客席の八割近くが埋まっている第三アリーナのAピットに行くと、そこには一夏、箒、本音、山田先生、千冬さん、そしてスーツ姿の見知らぬ男が一人、集まっていた。
「やあやあはじめまして、僕が如月重工の社長、如月だ。君が井上君だね? 今日はよろしく頼むよ」
「…………」
やたらと馴れ馴れしい態度で話し掛けてくるスーツの男――如月社長に無言を返す。どうにも苦手な人種だ。
格好は、何処にでも居そうなサラリーマンなのだが。背は高いが身体は細く、鍛えたことなどないのだろう。顔立ちはそれなりに整ってはいるが、その顔に浮かべる笑みがなんとも不吉だ。
……流石は如月重工。姿だけで己に冷や汗をかかせるとは、数々の噂、伊達ではなかったか。
「ふむ。相手をしてくれるのはイギリス代表候補生、セシリア・オルコット君か。申し分ないね」
「…………」
「今回のデータ収集は君のテストも兼ねているからね。もし入試での戦いぶりがまぐれなようだったら、この話はご破算だ。頑張ってくれたまえよ」
初耳であるその言葉を聞き、千冬さんが口を挟む。顔には焦りというよりも、僅かではあるが怒りが滲んでいる。
「待って下さい、社長。そんな話は聞いていませんが?」
「うん? 言ってなかったかな? まあ、今言ったからいいだろう」
睨み付ける千冬さんの眼力をものともしない。この男、なよなよした外見に似合わず相当な胆力だ。
「なにせ僕らは技術者、戦闘に関しては素人だ。井上君の実力は見ただけじゃ分からないからねえ。だから僕らにも分かるように、ちゃんとしたデータがいるんだよ」
なるほど、話は分かった。そのちゃんとしたデータとやらの内容が如月重工の眼鏡にかなわなかったのなら、確かにこの話はなかったことにするべきだ。仮のテストパイロットというただでさえ不安定な立場に、さらに余計な事情まで付け足されては、お互い満足な働きなど出来はしないからな。
「さて、続けるよ。今回井上君には、IS学園の訓練機、打鉄を使ってオルコット君と戦ってもらう。データ収集のためのプログラムを入れてる以外は普通の打鉄だから、安心してくれていいよ」
「どこが普通だよ。左腕が付いてないじゃねぇか」
一夏が不機嫌そうな顔で言う。言葉通り、己のために用意された打鉄は、左腕部分の装甲が取り外されていた。
「え? だって要らないでしょ?」
「――てめえ」
まあ確かに要らんが。己では動かせないうえ中身が入ってないクセに弾が当たるとシールドエネルギーが減りそれでいて重量だけはしっかりあるから、むしろ邪魔なくらいだ。
だが一夏はその発言が気に入らないようで、如月社長を睨み付けている。千冬さんに気付かれ叱られているが、そうでなければ殴りかかっていたかも知れないほどの怒りようだ。
――まだ、引き摺っているのか。
「武装は君が好きに選んでくれていいよ。僕らからの要求は、君が全力で戦うことだけだからね」
「…………」
「別に勝てとは言わないよ。たとえ負けたとしても、内容次第では採用させてもらう。まあ、僕はあまり、心配していないけどねえ」
負けてもいいと言われれば多少は気が楽になるのが人情である。だがデータ収集のためとはいえ、これは試合だ。ならば当然、勝ちに行く。
「さて、そろそろだねえ。井上君、準備を始めてくれたまえ」
「……承知……」
言われて、IS学園の白い制服を脱ぐ。ISスーツは予め制服の下に着ているのだが――しかしこの、所謂スクール水着のようなデザインはどうにかならんのか。機能性は申し分ないが、それを完全に打ち消しかねないほどの要素だ。
……顔に出ないと言うだけで、己にも羞恥心くらいはあるのだがな。
「…………」
「「「……っ」」」
袖が無いせいで、普段は夏でも長袖の服を着ることで隠している左腕が顕わになる。二の腕の中間から下がなく、失われた部分の上から鎖骨と脇までを醜い疵痕に覆われたその左腕を見て、箒と本音、山田先生が息を飲んだ。
如月社長は全く気にした様子はなく、千冬さんは顔を僅かにしかめただけに留め。
――そして、一夏は。
「…………っ」
「…………」
自らが犯した罪を見せ付けられたような顔で、しかし決して目を逸らそうとはしない。
たとえどれだけ重くとも、その罪を背負うと決めているのだ、この少年は。
(……馬鹿者が……)
打鉄を起動し、武装を選ぶ。運び込まれたコンテナの中には打鉄用の武装が各種取り揃えられているが、これは己の戦闘データを得るための試合。ならば徹底的に、己らしく戦わせてもらう。
ISの武装や弾薬を格納している
長く、間合いの広いモノ。
短く、取り回しに優れたモノ。
重く、威力の高いモノ。
軽く、素早く振れるモノ。
厚く、頑丈なモノ。
薄く、切れ味鋭いモノ。
広く、盾代わりになるモノ。
細く、先の尖ったモノ。
そして打鉄の標準装備である、日本刀に似た形のモノ。
それらの得物を、空いた拡張領域に次々納めて行く。
「うふふ……君も大概だねえ、井上君。これは期待出来そうだ」
「…………」
如月社長が何か言っているが無視する。打鉄の調子を確かめ、不備がないことを確認。流石はIS学園の整備班、優秀だ。
確認を終えて、歩き出す。
――一夏の下へ。
「……シン……」
「…………」
――そんな顔をするな。
泣きそうな顔で己を見る一夏の前に跪く。ISを装着している今では、それで目線の高さが合った。
鋼よりなお硬い金属に覆われた右の拳を、その眼前に突き付ける。
「俺……」
「……良く、見ておけ……」
何かを言おうとする一夏を遮り、告げる。
生身であろうとISであろうと変わらない、己の寄る辺、己の在り方。
そして――
「……己の、剣を……」
「……ああ。見ててやるから、負けんじゃねえぞ、シン」
「……ほざけ……」
ゴツン、と。いつかもやったように、拳を打ち合わせる。そんなに勢い良く打てば痛かろうに、一夏は不敵な笑みを浮かべていた。
その顔を見て、ようやく意識が戦いに切り替わる。これから戦うのは己だと言うのに、お前が心配させてどうするのだ。
――全く。手の掛かる幼なじみを持つと、苦労する。
思わず口元に浮かんでしまった笑みを、誰にも見られなかったのは、幸いだった。
――――――――――
「……はあ。このわたくしを相手に訓練機で挑もうなんて、馬鹿にしていますの?」
「…………」
不満は察するが、これしかないんだ、仕方なかろう。
ピットを出て飛び上がった己を待っていたセシリアが、優雅な仕草で腰に手を当てる。ISという鎧を纏っていながら、この少女の輝きは微塵も陰ることはない。生まれついての貴族、民衆を照らし導く者の光だ。
「まあ、そんな機体で逃げずに来たことは褒めてさしあげますわ。それが蛮勇でなければ良いのですけど」
「…………」
「あなたの都合に快く付き合ってあげるわたくしの優しさに少しでも感謝しているのなら、わたくしの引き立て役になるくらいには頑張って下さいな」
「…………」
自信の現れなのか、自分の存在に誇りを持っているのか。セシリアの語り口は、いつも熱を持っている。
大半の者にとって、その態度は傲慢と映るだろう。そしてその多くは、彼女を快くは思うまい。
だがその在り様は、かつての己の仲間と、どこか似ていた。
「……あなた、本当に無口ですわね……」
「……話すのは、苦手だ……」
どうにも憎めない少女に、返事をする。己自身どうかと思うほどの無口ぶりを「苦手」の一言で済ませたことに、セシリアは一つ溜め息を吐いた。
そして気を取り直して大仰な仕草でぐるりと観客席を見渡す。
「ふふ、わたくしの勇姿を一目見ようと、こんなにも人が集まりました。あなたはそんな剣一本で、わたくしにどんな芸を見せてくれるのかしら?」
セシリアの問に、彼女に剣の切っ先を向け、力を込めた視線と共に、答える。
「……寄って、斬る……」
――そうだ。相手が誰であろうと、それこそ神であろうと。
己には、井上真改には、もとより――
「……他に、能がない……」
「――いいでしょう。なら、踊りなさい。わたくし、セシリア・オルコットと、ブルー・ティアーズの奏でる
――いいだろう、
華のない、無骨な剣舞でよろしければ、一曲お相手仕る――!
――――――――――
セシリアの持つ、全長ニメートルを超える長大なレーザーライフル〔スターライトmkⅢ〕の銃口から閃光が放たれる。
片足を半歩引き、体を開いて回避。狙いを外れたレーザーが、アリーナを覆う遮断シールドに当たる。観客席から悲鳴が聞こえたが、今はそちらに割く意識の持ち合わせはない。
「あら、わたくしの初撃をかわすだなんて、なかなかの反応ですわね」
「…………」
セシリアは己に銃口を向けたまま余裕に満ちた口調で言うが、そこに油断はない。
セシリアの専用機はブルー・ティアーズ。中距離以上での射撃戦に特化しているらしいその機体を操る彼女は、自分で言った通り、射撃には自信があるのだろう。その自分の銃撃を初見で完全に回避した己を、油断ならない相手と判断したようだ。
「ですがそれも、いつまで続くかしら?」
「……っ!」
射撃、射撃、射撃。雲霞の如く押し寄せる、閃光の槍衾。
スラスターを噴かし、まずは回避に専念する。
セシリアの武装、スターライトmkⅢは、その巨大さに見合った威力を誇る。山田先生との戦いでやったような装甲任せの突撃ではこちらが保たない。
加えて、弾速も驚異的だ。打鉄は防御力重視のバランス型であり、機動力はそれほど高くはない。近付くには被弾を覚悟せねばなるまいが、その被弾を少しでも減らすためにはセシリアの「クセ」を掴む必要がある。
上下左右に小刻みに動き、セシリアにせわしなく狙いを付けさせる。その際の銃口の動き、目の動き、姿勢などを詳細に観察する。クセを掴むことが出来れば、射撃に先んじて反応することも不可能ではない。
「ええい、ちょこまかとっ……!」
「っ……!」
一向に当たらないことに流石に焦りが出てきたのか、セシリアの射撃に乱れが生じる。
――好機。スラスターを全開にし、突撃を仕掛ける。
「こ、この……!」
上下左右だけだった機動に前後の動きが加わり、照準の修正が出来ていない。
最短距離を真っ直ぐ進んでいるだけだが、当たらない。
それを見てセシリアが後退しようとするが、もう遅い。間合いまであと一息だ、このまま踏み込み、まずは銃を破壊する。
だが、ブレードを握る右手に力を込めた瞬間――
「――ふふっ」
「っ――!?」
――セシリアの顔に浮かぶ、笑みに気付いた。
「お行きなさいっ! ブルー・ティアーズ!」
(……なに……!?)
瞬間、四方から浴びせられる閃光。打鉄のシールドエネルギーが大きく削られる。
状況も分からないまま突撃を続けるのはまずい、一旦距離を取らねば。
「ふふ……驚きまして? これがブルー・ティアーズの真の武装、これこそが本来、ブルー・ティアーズと呼ばれるもの。この機体は、ブルー・ティアーズを搭載した実験機として同じ名前を与えられているにすぎませんの」
(……自立機動兵器……!)
セシリアの周囲に浮かぶ、四機の砲台。フィン状のパーツに直接レーザーの銃口が開いたそれらが、狩人に従う忠実な猟犬のように己を狙っている。先の閃光は、己を取り囲んだあれらが一斉に撃ち出したものだろう。
……成る程、己はまんまと罠にかかった獲物、というわけか。
「先ほどの動きには驚きましたが、このブルー・ティアーズを起動した以上、同じようには行きませんわよ?」
「…………」
流石にスターライトmkⅢと同等の威力はないだろうが、銃口の数は五倍になった。そしてあれだけの射撃技術だ、大抵の相手は容易く仕留められるだろう。
「ここからが本当の始まりですわ。全方位からの波状攻撃を、どれだけ凌ぎ続けられるでしょうね。せいぜい、わたくしを楽しませてくださいな」
「…………」
オーケストラの指揮者のように、セシリアが高々と銃を掲げる。
それを受け、ブルー・ティアーズが多角的な直線機動で己に近付いて来た。
囲まれるのはまずい。包囲を逃れるべく、己はスラスターを噴かした。
――――――――――
「シン……!」
シンが操る打鉄を囲もうと、四機のビットが動く。シンもアリーナ内を縦横無尽に動き回りビットに囲まれるのを防いでいるが、それでも五対一だ。
ビットのうち何機かはシンの背後や頭上、足下といった、ハイパーセンサーで見えていても反応が遅れる「死角」に入っている。
今もまた、死角から放たれたレーザーが装甲を掠めて行った。
――このままじゃ、ジリ貧だ。
「くそ、あいつ、強い……!」
シンも何度かブレードを投げつけて反撃しているが、当たらない。FCSの恩恵を受けられない投擲では、高速で動き回るISは捉えられない。
そして投擲の隙を突いて、セシリアが持つ巨大な銃からレーザーが放たれる。その一撃はすんでのところでかわせたが、無理な回避で体勢が崩れた。
――そして、ついに。
「やばい、囲まれた……!」
「真改っ……!」
いよいよ激しさを増す、閃光の雨。シンは絶えずスラスターを噴かし続けているが、巧みな射撃でどうしても包囲を抜けられずにいる。
「畜生、まるでなぶり殺しじゃねぇかよ……!」
――セシリアは、強い。あのシンが、こうも一方的にやられている。
なら俺は、そのシンに十年経ってもまるでかなわない俺は、本当に強くなれるのか――?
「くそっ……!」
追い掛け続けた親友が、まるで歯が立たずに傷付いていく姿を見ていられず、思わず俯いてしまう。
――パァンッ!
「何をしている、馬鹿者」
「ち、千冬姉……?」
思わずそう呼んでしまい、しまった、と思うがしかし、頭に二度目の衝撃は来なかった。
「アイツはお前になんと言った?」
「……それ、は……」
『……よく、見ておけ……』
『……己の、剣を……』
「そうだ、ならば目を逸らすな。アイツの、真改の戦う姿を、一瞬たりとも逃さず目に焼き付けろ。
……それが、今のお前の役目だ、一夏」
「千冬姉……」
そう言う千冬姉も、シンから目を離さない。箒も山田先生も、決してシンから目を離そうとしない。
「それに〜、いのっちが負けるって、決まったわけじゃないよ〜?」
「え……?」
間延びした声は、シンのルームメイトである布仏本音――のほほんさんのものだった。
彼女は袖に隠れた手で、苛烈な猛攻を避け続けているシンを指差した。
「ほら〜。いのっち、さっきから一回も当たってないよ〜?」
「……!」
――そういえば。
危ない場面は何度もあったし、掠ることも多かったが、最初の一斉射撃以外、直撃は一度もない。
「きっといのっちは今、チャンスを待ってるんだよ。一発逆転の、チャンスを」
「のほほんさん……」
「だから〜。おりむーも、いのっちのこと信じてあげよ〜?」
「っ!!」
……なんてこった。俺だけが、シンのことを信じてなかったってのか?
「ようやく気付いたか、大馬鹿者め。お前は一体、十年間も、アイツの何を見てきたんだ?」
そうだ、シンはいつだって、黙って道を切り開いてきた。
俺を守って左腕を失くした時も、一切泣き言を言わず、片腕で剣を扱う鍛錬を始めた。そんなシンだから、俺が憧れ、千冬姉も認めたんだ。
そのシンが、この程度のピンチを乗り越えられない筈がない。
――そうだ、心配することなんか何もない。俺はただ、シンの勝利を信じればいい。
「ははっ」
思わず笑いが漏れる。まったく、自分が情けない。親友のことを、信じていなかっただなんて。
ばちん、と、両手で頬を張って気合いを入れる。体を反らして限界まで息を吸い、腹筋に力を込めて。
親友が、必死に戦っている。ただ見ていることが耐えられないなら、やることは一つだけだ。
轟音が鳴り響くアリーナに、届くとは思えない。それでも、言わないと。
――だって、それが応援ってものなんだから。
「いっけぇぇぇぇっ!!シィィィィィンっ!!」
――――――――――
(……馬鹿者が……)
ハイパーセンサーが拾った幼なじみの声援に、思わず苦笑しそうになる。それほどまでに、今の己は窮地に見えるのか。
確かに一方的に攻められてはいるが、よく見ればわかる。焦っているのは、己よりむしろセシリアのほうだ。
「そんな、どうして……!?」
――当たらないのか。
理由は簡単だ。イギリスの代表候補生であるセシリアは戦闘経験も豊富だろうが、その相手は自分と同じISだ。
つまりは、一対一なのである。
そしてその相手も当然一対一の戦いを多く経験しており、だからこそブルー・ティアーズによる死角からの攻撃は効果的だった。唯一の敵が目の前にいる以上、死角から撃たれることなどないのだから。
だが己は違う。リンクスとして戦場を駆けていた頃は、一対一の戦闘などほとんどなかった。それこそ、前から撃たれる方が稀なほどだ。
だから、見える。たとえ死角に回り込もうと、その動きを察知し、攻撃に対応できる。
機動力の問題でビットを追い切ることは出来ず、反撃も出来ていないが、その問題も今、解決する。
「……っ」
ビットが一機、己の背後を取った。今度こそと、セシリアがビットに指示を出す。
――ロックオン。
銃口からレーザーを放たんとするその瞬間に、己は後ろ手にブレードを投げた。回転しながら飛翔する刃がビットを貫き、爆散させる。
「なぁっ!?」
驚愕するセシリア。投げただけのブレードが当たるわけがないと、心のどこかで思っていたのだろう。
それも仕方ない。そう思わせるために、外れると分かっていながら、今までブレードを投げ続けていたのだから。
確かにFCSによるロックオンが出来ない投擲攻撃では、高速かつ変幻自在な機動力を持つISは捉え切れない。だが逆に言えば、止まってさえいれば当てることも出来るということだ。
――例えば。射撃体勢に入り、発射する直前のビットとか。
セシリアがビットを操作するには、多大な意識を割く必要があることには気付いていた。四機もの自立機動兵器を同時に操るのだ、並大抵の集中で出来ることではない。
だから命中率を上げるため、発射の瞬間、ビットの動きを止めて安定させることにも気付いた。
そこでその、煌びやかな外見とは裏腹な堅実さを利用させてもらった。攻撃を回避し続けることでセシリアの焦りを呼び、故意に隙を作ることでビットを背後に誘い込んだ。セシリアは自ら罠に飛び込んだとも知らず、必中を期してビットを空中に固定する。
セシリアはISの死角を熟知している。どこから撃てば最も反応が遅れるか、身体が覚えている。そしてその狭い範囲に正確にビットを送り込む高い技術が仇となり、己にビットがどこに来るのかを教えることになった。
――あとはそこに目掛けてブレードを投げれば、ビットは射竦められたように動きを止め、貫かれる。
(……借りは、返した……)
では、反撃開始と行こう。
「……っ!」
「な、くっ、ブルー・ティアーズ!」
突撃してくる己を迎え撃つべくビットに指示を出すが、驚愕により集中が切れたのか、ビットの動きは明らかに精彩を欠いていた。
これならば、問題なく追える。ブレードを振るい、あるいは投げ、全てのビットを切り捨てた。
「そ、そんな……!」
スラスターを全開にし、セシリアに向け一直線に加速する。セシリアも距離を取るべく後退するが、先に加速していた己の方が速い。
一足一刀の間合いに踏み込む直前、セシリアが動く。
「お生憎様、ブルー・ティアーズは六機あってよ!」
――それがどうした。同じような手が二度通じるとでも思ったか。
セシリアのスカート状のアーマーから突起が外れ二機のビットとなり、それらから放たれたミサイルが己を目掛けて飛んで来る。
己は脚部のスラスターを上へ、背部のスラスターを下へそれぞれ噴かす。前方宙返りをするように大きく回転し、直近で放たれたミサイルを回避した。
「な――」
驚愕の連続でか、セシリアはその動きを止めた。
致命的な隙。ようやく訪れた好機を最大限に活かすべく、前宙で頭が頂点に来た瞬間、ブレードを長く重い大太刀へと持ち替える。回転の勢いを余さず刀身に載せ、セシリアの頭を目掛け、振り下ろした。
――が。
「う……あああぁぁっ!!」
「っ……!?」
――防がれた。渾身の唐竹割りは、セシリアが掲げたスターライトmkⅢの銃床を切断しただけだった。
衝撃までは防げず、アリーナの地表へと落ちて行くが、ダメージはあるまい。スターライトmkⅢも、射撃精度は落ちるかもしれないが、撃つこと自体には影響はないだろう。むしろ中途半端に離れたこの距離では、取り回しが良くなっただけだ。
……まさか、狙ってやったわけではあるまい。そんな冷静さは、セシリアに残されていなかった。
では何故、こんなことになった? ただの偶然、己の不運か?
――それこそ、まさかだ。この結果は、己が招いたモノではなく、セシリアが引き寄せたモノ。
追い詰められ、最後の一手もかわされて。
それでもなお、諦めず。見栄も体裁も捨て去って、持っていた武器を振り上げた。
その執念、飾った敗北よりも泥臭い勝利を望む心が、己の一撃を防いだのだ。
「……く……」
自然と、唇が吊り上がる。
機体の性能で劣り、技術でも劣る。そんな己が勝つには、精神の弱さを突くしかないと思っていた。
――なんという浅慮。セシリアに、そんなモノは無い。
若いながらも。未熟ながらも。この少女は既に、戦士の心を持っている。
ならば精神の弱さを突こうなどという、腑抜けた考えでいた己が後れを取るのは当たり前だ。
勝つ方法は、心の弱さを突くのではなく。
強い心を、さらに上回り。
真っ向から、叩き潰す――!
「……いざ……!」
大太刀を逆手に持ち、全推力を下に向ける。狙いは、仰向けに横たわりながらも己へと銃口を向ける、強敵。
「隙だらけ、ですわ……!」
持ち上げられたレーザーライフルの照準は、完全に己を捉えている。
構わない。己にも打鉄にも、もう余力は残っていないのだ。この機を逃せば、どちらにせよ後はない。
そしてそれは、セシリアも同じ。ここで退くなど、一体どうして出来ようか――!
(……一撃だけでいい……)
銃口に光が集まる。
警告、危険。
(……耐えて見せろ、打鉄……!)
「ハアアアァァッ!!」
「オオオオォォッ!!」
そして己は、閃光に飲み込まれ。
「……終止……」
セシリアの胸に、大太刀を突き立てた。
――――――――――
『試合終了。勝者、井上真改』
アナウンスを聞き、茫然としました。
――負けた?このわたくしが?
井上さんの最後の一撃、打鉄の全重量にスラスターの推力と重力を加えたその一撃は、確かにわたくしのブルー・ティアーズの絶対防御を発動させ、シールドエネルギーを枯渇させるだけの威力はあったでしょう。
ですがそれは、あの落下の勢いを維持出来たらの話です。
最後の瞬間、わたくしは確かに、井上さんにスターライトmkⅢの銃口を向けました。この銃の威力は、井上さんも見ています。ボロボロの打鉄で受けきれるかは、賭けだったはず。
なら回避するか、そうでなくとも多少は怯んで、スラスターの勢いを弱めるだろうと思っていたのに。
――なのに、彼女はほんの僅かも怯まなかった。光を放つ銃口から、顔を背けることさえしなかったのです。
(……強い、ですわね)
ISが機能を停止し、解除されていきます。背中に土の冷たさを感じ、わたくしは自分の敗北を実感しました。
(……負けて……しまいましたのね)
負けるわけには、いかなかったのに。
たとえどんな勝負でも、それがISによるものなら――わたくしは、負けるわけにはいかなかったのに。
オルコットの名を、家を守るために。わたくしは、勝ち続けなければ、ならなかったのに――
そのために、努力をしました。勉強も訓練も必死にこなして、祖国の代表候補生となり、IS学園に首席で入学しました。
――けれど。訓練機に乗った、片腕という大きなハンデを持つ、ISについては素人と大差がない少女に、負けてしまいました。
この報せをうけたら、イギリス政府はどう思うでしょう。見込み違いだったと、わたくしから代表候補生の立場を剥奪するでしょうか?
もし、そうなったら。
わたくしはどうやって、〔オルコット〕を守ればいいのでしょう――?
(……無様、ですわね……)
アリーナを包む歓声が、ひどく遠く聞こえます。代表候補生を破った一年生の女の子を称える歓声が、わたくしが受けなければならなかった歓声が、とても、とても遠く感じます。
(このアリーナが、こんなに、広かっただなんて……)
わたくしを守るISが消えて、自分がとてもちっぽけな存在になってしまったかのように錯覚しました。あるいはそれは、錯覚ではなかったのかもしれませんが。
(……あ、れ……?)
ふと、わたくしは自分が涙を流していることに気付きました。
負けた悔しさ、ではありません。
なにか大事なものを失くしてしまったかのような、そんな悲しみを感じたからです。
(失くした、だなんて……自分では何も持っていない、与えられた物で着飾っていただけですのに)
……もういいです。今日はもう、疲れました。
明日からどうなるのか、そんなわたくしの未来ですらも、今はどうでもいいんです。
だから今は、眠らせて下さい。
――なのに。
ざりっと、わたくしのすぐ近くから、土を踏む音が聞こえました。
今このアリーナの中に居るのは、わたくしを除けば一人だけ。敗者のせめてもの礼儀として、わたくしに勝った女の子の顔を見ようと、鉛のように重い瞼を開けます。
「……井上さん」
「…………」
そこにいたのはやはり、わたくしを倒した少女。とても無口で、片腕の無い女の子。
ISを解除した井上さんが、倒れているわたくしを見下ろすように、そこに立っていました。
「……わたくしを、笑いに来たのですか? あれだけのことを言っておいて負けた、このわたくしを……」
「……
小さく首を振り、井上さんがわたくしの言葉を否定します。
では、いったいなにを……?
「……セシリア・オルコット……」
わたくしを真っ直ぐに見詰めて。話すのが苦手な井上さんが、しかしこれだけは伝えなくてはならないと、その眼で語って。
「……お前に、勝てたことを――」
「――誇りに思う」
――衝撃、でした。
あれだけ強かった井上さんが、与えられただけのわたくしと違い、全てを自分の力で手に入れて来たであろう彼女が。
わたくしに勝ったことを、誇ってくれているのです。
――わたくしに勝つこと、それ自体に価値があったと、そう言ってくれたのです。
嘘を言っているのではないと、嘘を言えるような人ではないと、簡単に分かります。
無口だから、ではありません。
井上さんは、こんなにも真っ直ぐに。
わたくしを、イギリスの代表候補生でも、オルコットの当主でもない、セシリアという一人の人間を、見てくれているのですから。
「…………」
無言のままに差し出された手を、思わず取ります。
ごつごつと固く、冷たく、大きな、岩のような手。女の子らしい柔らかさも、暖かさも、繊細さも、全て失ってしまった手。
けれどもその手は、わたくしが知るどんな手よりも、綺麗で貴く見えました。
露出の多いISスーツを着ているせいで顕わになった、左腕の惨い傷跡も、きっととても大切なものを守ったための結果だと、なんの根拠もなく確信しました。
わたくしの手をしっかりと掴んだ井上さんが、その細腕からは想像も付かないほど力強く、わたくしを引き起こします。
「あ……」
「…………」
疲労で足に力が入らずふらついたわたくしを、井上さんは優しく抱き留めてくれました。
眼から、ポロポロと涙が零れます。先ほどの、悲しさから流れたものではありません。嬉しくて、わたくしをわたくしとして見てくれることが嬉しくて、その上でわたくしを認めてくれることが嬉しくて、溢れてしまった涙です。
「井上さん、かっこいい――!」
「オルコットさんもすごかった! 感動したよ!」
「ああもう、なんで二人とも一組なのよっ!? どっちかよこせー!」
さっきまであんなに遠かった歓声が、今はこんなにも近い。
そしてその中には、敗者であるわたくしを称えてくれる声も多くあることに気付きました。
(……わたくしが気付かなかっただけなのね。オルコットを守るためと、プライドや虚勢、そんなもので自分を覆って、なにも見えなくなっていた……)
それを、この人は気付かせてくれた。
言葉ではなく、行動で。口で語らずとも、その眼で。
そして――たった一言に込めた、その、想いで。
「……?」
わたくしが笑みを浮かべながら涙を流していることを不思議に思ったのか、井上さんがキョトンとした顔をしました。
(そんな可愛い顔も出来るんですのね)
思わずくすりと笑いが漏れて、自分がどんな顔をしているのか気付いたのか、井上さんはまた無表情に戻ってしまいます。
それがまた可愛らしくて、けれどちょっと残念で。
「……ありがとうございます、井上さん」
「…………」
突然わたくしに感謝されて、井上さんが怪訝そうな顔をします。きっとこの人は、今日わたくしを救ってくれたことに、ずっと気付かないのでしょう。
それならそれで構いません。知られてしまうのも、なんだか恥ずかしい気がしますし。
ですがわたくしも、これだけは、貴女に伝えないと。
「……わたくしも」
「……?」
「……わたくしも。貴女と戦えたこと、誇りに思います――真改さん」
「…………」
それは、そうであって欲しいという心が見せた、錯覚かもしれませんが。
真改さんが、ほんの少しだけ。
嬉しそうに笑ったような――そんな気がしました。
――――――――――
「いやあ、お見事お見事! 文句無しに合格だよ井上君っ!!」
「…………」
セシリアとの試合を終え、一夏たちの待つAピットに戻った己を出迎えたのは、如月社長のものすごく嬉しそうな声だった。
「うんうん、実に良いデータが取れたよ! いやあ楽しみだなあ、どんな機体が出来上がるのかなあっ!!」
「…………」
なんだろう、如月社長のやる気に比例するように、凄まじく嫌な予感がするんだが。
「こうしちゃいられない、僕は早速社に戻るよ! みんな喜ぶぞぉ、今日は徹夜だ!!」
夏休みに突入した小学生のようにはしゃぎながら、嵐のように去っていく如月社長。不安が加速度的に強くなっていく。
「よう、シン。お疲れさん」
「流石だな、真改。素晴らしい試合だった」
「いのっちかっこ良かったよ〜。どうしたらそんなに強くなれるの〜?」
友人たちが口々に労ってくれる。帰りを出迎えてくれる仲間がいるというのは、良いものだ。
「おめでとうございます、井上さん! やっぱり強いですねっ、私、感動しました!」
「とりあえず、おめでとうと言っておこう。今日はもう部屋に戻って休め。明日も授業は通常通りだ、寝過ごして遅刻するなよ」
「…………」
流石に疲れたので、お言葉に甘えさせてもらい、今日はもう部屋に戻ろう。己が踵を返すと、本音がトコトコとついて来た。
「帰り道で倒れたりすんなよ?」
「…………」
そこまで軟弱な鍛え方はしていない。
余計なことを言う一夏を睨みつけ、仕返しをしてやることにした。
「……お前の声……」
「へ?」
「……届いたぞ……」
「……んなっ!?」
羞恥からか、顔を真っ赤にする一夏。それを見た箒が急にうるさくなったが、今はそれに付き合う余裕はない。
とにかく、戻って寝よう。明日からまた、覚えなければならないことが山ほどあるのだから。
真改の戦闘力について。
生身は千冬さんにも劣らない超人レベルですが、ISではまだまだです。本作の設定として、真改は努力の人なので、ネクストとは勝手の違うISはかなり下手。でも訓練を繰り返し経験を積めば、AC史上トップクラスのブレーダーとしての実力を……。