朝。普段と変わらぬ時間に起き、鍛錬のためにグラウンドに出ると、そこには先客が二人居た。
内一人はいい。己の幼なじみであり昨年の剣道大会で全国優勝した、篠ノ之箒。彼女は努力家だ、全国大会優勝という成績が才能に頼ったものなどではなく、たゆまぬ鍛錬によりそこに辿り着いたことは間違いない。たとえ入学の翌日からでも、こうして早朝の鍛錬を欠かすことはないだろう。
問題は、もう一人。
「…………」
「…………」
「…………」
「「「……………………」」」
見て分かるほどに特大のタンコブを頭のこさえた少年、織斑一夏である。
「……おはよう、シン」
「…………」
「……そんな目で見るなよ……」
「………………」
――さて。こんな時間からこうしてここに居る。まさか自宅から来たわけではあるまい。ならばこのIS学園の寮に泊まったということだ。
この、IS学園の寮の、いずれかの部屋に。
「……おはよう、真改」
「…………」
「そ、そんな目で見るなっ、確かに一夏を殴ったのは私だが、それには相応の理由がある!」
「………………」
己の記憶では、寮には現在、使える空き部屋はない。年々増えつつある生徒数に対応するため、寮の増築や新しい寮の建設をしているそうだが、それらが完成するのはもうしばらく先の予定だ。
今の部屋数に余裕はない。一夏のために部屋を割くことは厳しいだろう。
別に倉庫の隅にでも押し込めておけば良いとは思うが、一夏は世界に一人だけの、ISを動かせる男だ。その希少価値からすれば、あまりぞんざいな扱いはしたくない……かもしれん。
「…………」
「だ、だからそんな目で見るなって! 俺だって昨日いきなり言われたんだ、好きで箒と同部屋になったんじゃない!」
「な、なにぃ!? 一夏、それはどういう意味だっ!?」
「うおおおっ!? ちょ、やめろ、木刀を振り回すなよ危ないだろっ!!」
「………………」
学園、そして世界中のIS研究機関からすれば、一夏を失うことはなんとしても避けなければならない。自宅から学園に通わせるなど危険なだけで、利点は少ない。ならば無理矢理にでも、寮に入れてしまった方が良い。
……と、己なりに経緯を想像してはみたが。たとえこれが正解だとしても――
「だ、大体お前は! 男女が同じ部屋で生活するというのに、デリカシーがなさ過ぎるのだっ!!」
「同じ部屋って……昔は道場の合宿とかで、似たようなことしてただろ」
「いつの話をしているんだっ!」
「……………………」
百歩譲って一人部屋が用意出来なかったのだとしても、選りに選って箒と同部屋か。部屋の都合が付くまで、一夏の命があればいいがな。
「そんなことよりも、早く始めようぜ。時間がもったいな――」
「そそそ、そんなこととはなんだァーっ!!」
「ああもう、何をそんなに怒ってるんだよっ!? わけわかんねえぞ!」
「う、うるさいうるさいうるさぁーいっ!!」
「………………はあ………………」
なおも言い合いを続ける二人に、思わず溜め息が漏れた。まったく、朝早くから元気なことだ。
――――――――――
なんとか無事に鍛錬を終え、己は食堂で朝食を取っていた。一夏、箒とも合流し、それぞれの朝食を載せた盆を手に、席に着く。
「これうまいな」
「…………」
「…………」
たくあんをポリポリと噛み飲み込んでから、一夏が呟く。このたくあんが旨いというその言葉には全面的に賛成だが、十五歳の少年としてその嗜好はどうなんだ。他に旨いモノはいくらでもあるだろう、このIS学園には。
「すごいな。スーパーには置いてないぞ、こんなたくあん。これ一切れだけでご飯三杯はイケる」
「…………」
「…………」
そんな年齢不相応なことをしみじみと言うのは構わんが、己としてはたくあんの感想よりも頭のタンコブについての説明が聞きたいところだ。大体想像はつくがな。
……大方、予想外の事態でも起きたのだろう。箒の裸体を拝むことになったとか、箒の下着を手にすることになったとか、箒に対し失礼な言動が言動があったとか。そんな馬鹿なと思うなかれ、この少年ならば有り得ることなのだ。
そんな風に、昨夜何があったのかを考察していると――
「お、織斑くん、隣いいかなっ?」
「へ?」
突然、三人の女子が声を掛けてきた。
「ああ……別にいいけど」
少々呆気にとられながらも肯定の返事をする一夏。箒が更に不機嫌な顔になった。無論一夏は気付かないが。
「織斑くんって、篠ノ之さんと井上さんと仲がいいの?」
「篠ノ之さんと同じ部屋だって聞いたけど……」
「井上さんとは、昨日も一緒にご飯食べてたよね」
「ああ、まあ、二人とも幼なじみだし」
一夏が言った瞬間、周囲から驚きの声が聞こえた。
……かなり遠くからも聞こえたぞ。どれだけ聞き耳を立てているんだ。
「幼なじみ? それって――」
「何をちんたらやっている! 無駄な時間をかけるな、HRに遅刻した者はグラウンドを十周させるぞ!!」
IS学園のグラウンドは一周五キロ、十周で五十キロ。走れないわけではないが、走っている内に二時間目の授業が終わってしまう。それは避けたいところだ。
……仕方ない、日替わり定食をもう少しじっくり味わいたかったが、そうも言っていられないようだ。明日からは時間配分を考えることにしよう。
――――――――――
「皆さんもご存知だと思いますが、ISは宇宙での作業を想定して作られています。宇宙空間には空気がありませんから、宇宙服だとほんのちょっとの穴が開いただけでも致命的です。なのにISは見ての通り、装甲で全身を覆っているわけではありません。そうすると動きにくくなってしまうからです。
そこでISは、操縦者の全身を装甲ではなく特殊なエネルギーバリアーで包んでいます。これが
宇宙ゴミとは、空気の存在しない宇宙で無限に加速した金属片などのことで、人類の宇宙進出において大きな障害だ。巨大な宇宙船が、宇宙ゴミとなったネジ一つで破壊されることすらあるのだ。そして爆散した宇宙船がさらに大量の宇宙ゴミとなり、その宇宙ゴミがさらに宇宙ゴミを増やし――あっと言う間に、地球の周辺は埋め尽くされるだろう。
……これもまた、人類の負の遺産、か。
ともかく、その宇宙ゴミをものともせず宇宙ゴミを増やすこともないISは、宇宙服としてまさに理想的といえる。そして同時に、戦闘服としても。
「先生、その皮膜装甲なんですけど、本当に大丈夫なんですか? 入試でISに乗った時は、そんなのがある感じはなかったんですけど……」
「ああなるほど。確かに、頑丈な服だと知ってはいても、「そこにある」という実感がないと不安になりますよね。う~ん……そうですね。例えばみなさんはブラジャーをしていますよね。良いブラジャーほど、身に着けている感覚は小さいものです。つまり身に着けている感覚がない皮膜装甲は、最高級のブラジャーをさらに上回るものだということで――」
そこで、山田先生と一夏の目があった。途端に赤くなる山田先生。
「え、えっと、いや、その、織斑君はしていませんよね。わ、わからないですね、この例え。
あは、あははは……」
「そ、そうですね。ちょ~っと分かりにくいかな、あは、あははは……」
「…………」
ちなみに己もわからん。サラシ派だからな。片腕だけで巻くのは初めは大変だったが、慣れてしまえばどうということはない。
クラスに唯一の男子生徒を意識してか、女子たちが微妙な雰囲気を出し始める。
「んんっ! 山田先生、授業の続きを」
「は、はいっ! すいません!」
このままでは授業が進まないと察してか、千冬さんが咳払いで再開を促す。次いでギロリと教室を見回すと、生徒たちは先のことを忘れて授業へと意識を向けた。
「そ、それともう一つ大事なことは、IS、正確にはそのコアには、意識のようなものがあります。操縦者がそのISのことを理解していくにつれ、ISも操縦者のクセや考え方、気持ちなどを理解してくれるんです」
――ほう。
「どんな競技でも、チームワークはとても重要です。そしてチームワークで重要なのは、チーム全体が分かり合い、一つになることです。そしてISもそのチームの一員であり、皆さんのパートナーなんです」
――それは、ネクストにはなかった特性だ。
リンクスはAMSによってネクストと繋がり、自分の体のように操る。ネクストからもリンクスに情報が送られてくるが、それは機体損傷や周囲の状況などであり、ネクスト自体の意志はその中に含まれていない。そもそもそんなものなどないからだ。
ネクストは絶大な破壊をもたらす兵器であり、同時に、どこまで行っても兵器でしかないのだ。
――キーンコーンカーンコーン――
授業終了の鐘。山田先生の説明により己はかつての愛機のことを思い出していたが、他のクラスメイトたちはそうではなかった。「お互いを理解し合うなんて恋人みたい」というズレた発想が生まれ、それについて話が盛り上がった結果一夏にその矛先が向いたのだ。
「織斑君織斑君!」
「ちょっと訊きたいことがあるんだけどさっ!」
「織斑君ってさ、彼女いる?いないよね?やー実は私もいなくって!」
なんだこの活力は、一体どこから湧いてくるんだ。
己の目の前の席に座る一夏に押し寄せる女子たちは、続けざまに質問を投げ掛けている。一夏がそれに答える間もなく質問が変わるので、いたずらに時間が過ぎているだけだ。
が、そこでとある少女が、千冬さんの家での様子について質問をした。その質問に、あれほどやかましかった少女たちが一瞬静かになり。
その隙に、それに答えようとした一夏の頭に、出席簿が振り下ろされる。
パァンッ!
「授業の時間だ、席に着け」
「……はい……」
ドスの効いた声に、自分の席に逃げ帰るクラスメイトたち。それを見てから、凄まじい眼力で一夏を見下ろした。
――ヨケイナコトヲイウナヨ。
――モチロンデゴザイマス、オネエサマ。
……そんな遣り取りが聞こえた気がしたが、気がしただけだろう。
「ところで織斑。お前の専用機だが、少し待て」
「へ?」
「特別製を用意しているのだが、少々特別にし過ぎたようだ。調整に時間が掛かっている」
「と、特別製? どういう――」
「せ、専用機!? 国家代表候補生でもないのに!?」
「やっぱり、世界唯一の男のIS操縦者だから……」
「政府からの支援があるってこと? それにしても、いいなあ、専用機」
自分に、専用機が与えられる。その意味に気付いた、一夏の気配が、変わる。
刃のように、鋭く。
「ふん……とりあえずは、分かっているようだな。ISの中心であるコア、467機しかないそれを与えられるということの意味が。ISコアは、製作者である篠ノ之束以外には造れず、その篠ノ之束も今はコアを造っていない。つまりコアは、これ以上は増えないということだ。世界人口約70億、単純に考えれば女性は35億人。それに対して、僅かに467機。その内の一機を、お前に与える」
「……はい」
「だがこれは、主にデータ収集を目的としたものだ。世界で唯一、ISを動かせる男。ある意味IS自体よりも希少なこの存在が、他の男とどう違うのか。またその男に対し、ISはどんな反応を示すのか。政府はそれが知りたいだけだ。井上と違い、実力を認められたわけではない。自惚れるなよ」
「……はい、分かってます」
現実の厳しさと汚さを突きつけられた一夏は、それでもまったく怯まなかった。
一夏は大切なものを守るために、強大な「力」を欲している。その「力」が、手に入る。
だが一夏の声にあるのは、喜びではなかった。
――決意だ。与えられた「力」に頼るのではなく、それを振るうに値する強者に成ると、そう新たに誓いを立てた声だ。
今の一夏がどんな顔をしているのか、己の席からは見えない。一夏の横に座る女子の顔が赤いので大体想像が付くが。
「……あの、先生。ISの製作者の篠ノ之束博士って……もしかして、篠ノ之箒さんの関係者ですか?」
「そうだ、篠ノ之箒は篠ノ之束の妹だ」
ちらりと箒を見ると、見るからに不機嫌そうな顔。だがそれに気付かず、教室は途端に騒然となった。
「ええええっ!? 篠ノ之束博士の妹って……それってすごいっ!!」
「ねえねえ篠ノ之さん、篠ノ之博士ってどんな人なの!?」
「篠ノ之さん、篠ノ之博士から何か特別なこととか教えられてるのっ!? 今度私にも教えてよっ!」
クラスメイトたちが興奮した様子で箒に殺到する。
箒の我慢は、早くも限界を迎えた。
「あの人は関係ないっ!!!」
突然の大声。それがまるで悲鳴のように聞こえたのは、己だけだろうか。
「……大声を出してすまない。だが、私とあの人は違う人間だ。ISを造ることなんか出来ないし、ISの秘密を知っているわけでもない」
「「「「「「…………」」」」」」
そう言って、箒は窓の外に顔を向ける。その背中からは、明らかな拒絶の意志が見て取れる。
流石にそれ以上箒に詰め寄る者はおらず、皆自分の席に戻った。
「落ち着いたようだな。では、授業を始めるか。山田先生、号令を」
「は、はいっ!」
そうして授業が開始されるが、一夏はいまいち身が入っていない様子だ。先ほどの箒の様子が気になっているのか。
(……ふむ……)
……大して役に立てるとも思えんが、また、話を聞いてみるか。
――――――――――
「ふふふ……安心しましたわ、あなたに専用機が与えられて。負けを、機体の性能差のせいにされてはかないませんから」
昼休みになるや、セシリアが一夏に話し掛けてきた。まったくもってどうでも良いのだが、話し始める前にまず前髪をかきあげ、その後腰に手を当てる姿勢を取るのはこの少女の癖なのかなんなのか。
「訓練機だろうが専用機だろうが、使いこなせなきゃ意味ないだろ。性能以前の問題だろうが」
「あら、よく分かってらっしゃいますわね。そう、ISで大事なのは、ISとのシンクロ。イギリスの代表候補生であるわたくしは、わたくしの専用機と完璧にシンクロしています。IS初心者のあなたには、万に一つも勝ち目はありませんのよ?」
自信に満ち満ちた、セシリアの声と表情。
自分が負けるなど、有り得ない。それを心から信じ切っているのが良く分かる。
そんな挑発を、おそらくは無自覚の内に行ったセシリアに対し、一夏は――
「関係ねぇよ。俺は強くならなきゃならないんだ。勝っても負けても経験は積める。強くなれる」
セシリアを睨み付ける。
そこに敵意は欠片も無く、悪意は微塵も無く、殺意など有ろう筈もなく。
「悪いが、俺の糧になってもらうぜ――セシリア・オルコット」
ただ純粋な、「戦意」だけがあった。
「くっ……! あ、あなた――」
「おーい、箒ぃ。飯食いに行こうぜ」
その戦意を霧散させ、がらりと態度を入れ替えた一夏。呼ばれた箒は無視を決め込んでいるが、セシリアは先ほどの授業でのことを思い出したのか、今度は箒に話し掛けた。
「そういえばあなた、篠ノ之博士の妹なんですってね」
……その話題を振るとは、こいつには学習能力がないのか?
「妹というだけだ」
案の定、箒はセシリアを射殺さんばかりに睨み付けている。その眼力に気圧されたのか、セシリアは小さく呻いて一歩退いた。
「……ま……まあ。どちらにしても、このクラスで代表にふさわしいのはわたくし、セシリア・オルコットであるということをお忘れなく」
ぱさっと髪を払い、立ち去っていくセシリア。どう見ても箒に怯んで逃げたようにしか見えない。
一夏はその姿をなにやら呆れたような顔で見送ってから、再び箒に声を掛けた。
「箒、飯食いに行こうぜ」
「…………」
「早くしないと、席が埋まっちまうぞ」
「………………」
箒は頑なに沈黙を続ける。一夏の顔を見ようともしない。
そんな箒を心配してか、一夏は周りを見回して、
「おーい。誰か一緒に行かないか?」
「はい、行きますっ!」
「ほ~い、行くよ〜。ちょっと待って〜」
「私も!」
己も立ち上がり、二人の下へ歩いて行った。だが箒は、やはり頷こうとはしない。
「……私はいい」
「まあそう言うなって。ほら、立て立て。行くぞ」
「私はいいと言っている!」
「けど飯は食いに行くんだろ? ならみんなで食った方が美味いし楽しいだろ」
「一人の方が落ち着いて食べられるっ」
どうしても立とうとしない箒に、一夏もしびれを切らした。箒の手を取り、引っ張って強引に立たせた。
「な、何をする! 離せっ!」
「食堂に着いたらな」
「い、今離せ! ええいっ――」
「おっ?」
箒が空いている手で一夏の手を取り、素早く捻る。相手が捻られた手を反射的に返そうとする力を利用しての投げを仕掛けたのだ。
「――おっと」
しかし一夏は、箒の力に逆らおうとせず、むしろ逆に利用してぐるりと回り、箒の手を外した。
曲芸じみたその動きに、教室は一瞬静かになり。次の瞬間、わっと歓声が上がる。
「す、すごいすごいっ!」
「何今の、どうやったの!?」
「思ったより軽く跳べたな。腕上げたなあ、箒」
「う、うるさい! 嫌みのつもりか!?」
「なんでそうなるんだよ。……ほら、行こうぜ」
「くっ……何度言えば――」
「手首、ちょっと痛いんだけど」
「……うっ」
「な。一緒に行こうぜ、箒」
「………………分かった、行く。だから、もう手を離せ」
「よし、決まりだな。んじゃ、行こうぜ」
なんとも強引な。それで貸しをチャラにするとでも言うつもりか知らんが、お前が無理矢理誘わなければ、こんなことにはならなかったろうに。
「さあさあ、ご・は・んー!」
「お待たせ〜、準備おっけ〜」
「ふ、ふふ……ついに、織斑君とご飯に……!」
「…………」
さて、学食に行くか。盛り上がりつつあるクラスメイトたちに、もみくちゃにされん内にな。
――――――――――
六人でぞろぞろと学食に来たはいいが、かなり混雑している。これはしばらく待たねばならんかと思ったが、奇跡的に空いていた四人掛けのテーブルを二つ発見し、それらをくっつけて席に着いた。
「「「いただきます」」」
「いただきま〜す」
「……いただきます」
「……いただきます……」
食事を始めてすぐに、己たちについて来た少女の一人――己のルームメイトである本音が話し掛けてきた。
「む〜、やっといのっちとご飯食べられるよ〜。朝いのっち、すぐいなくなっちゃうんだもん〜」
「…………」
鍛錬から部屋に戻りシャワーを浴び終わっても、本音は寝ていた。一応揺り起こしてから出てきたのだが、本音は不満だったらしい。
「いのっちって、おりむーと仲いいんだね〜。学校が同じだったの〜?」
「……幼なじみ……」
「おお〜、やっぱいのっちはすごいね〜」
何がだ。それと状況から判断したがおりむーとは一夏のことでいいのか。そしてその手が完全に隠れている袖でどうして箸が持てる。
「じゃあさ〜、小さいころのおりむーって、どんな感じだったの〜?」
「……変わらない……」
鯖の塩焼きを口に運びつつ答える。
本音の友人と思われる二人も一夏の昔に興味があるようだが、己と話すのは気が引けるのか。質問はほとんど本音任せだ。
本音は食事の間を上手く突いて質問してくるので、答え易い。話し上手や聞き上手とはどこか違う、話しやすい独特の雰囲気を持っている。
そんな本音との会話を、ほんの少しだけ楽しく思いながら食事を進めていると――
「ねえ。君が織斑一夏君でしょ?」
突如現れた少女が一夏に話し掛けて来た。リボンの色から判断するに、三年生だ。優しげな笑顔を浮かべて一夏にISの教示を買って出ているようだが、下心が透けて見える。
だがそういったことに疎い(というか鈍い)一夏は気付かず、その申し出を受けようとしていた。
そんな一夏の様子に、箒の眉がピクリと跳ね上がる。誘われた時はああして嫌がって見せたが、あの時は束さんの話があった直後だったので、ただ恥ずかしがっていただけだろう。本心では、一緒に食事をしたかった筈。
しかしそんな箒の心の機微を、一夏に悟れと言うのは無理がある。仕方ない、追い払うか、と考えて、三年生に向ける視線に力を込めようとしたら――
「――結構です。一夏には私が教えますから。先輩の手を煩わせるまでもありません」
(……ほう……)
不機嫌そうではありながら、箒が名乗りを上げた。本音と二人の少女も、突如始まった修羅場(?)に興味津々である。
「教えるって……あなた、一年でしょ?自分の勉強で手一杯なんじゃない?」
「……私は、篠ノ之箒と言います」
「……え?」
「この名が何を意味するか、当然分かりますよね?」
自分からそれを言うとは。勢いに流されたとは言え、成長したな、箒。
「そ、そうなんだ。それなら、私より適任よね……」
さらに付け足された箒の睨みにより、すごすごと引き下がって行く三年生。そしてそれを残念そうに見送る一夏。お前は本当に馬鹿だな。
「……というわけで。一夏、ISについて教えてやろう」
「……あの、箒さん?ちょっと話について行けないんだけど」
「私が、お前に、ISについて、教えてやると、言っている」
「……あのー」
「不満か?」
「いや、そんなことはないけど」
「……ふん。なら、少しは嬉しそうにしたらどうだ」
……あとは、その態度さえ直ればな。根は優しい少女なのだが。
「放課後、空けておけ」
「え?」
「剣道場に来い。お前の腕が鈍っていないか、見てやる」
「へ?ISのことを教えてくれるんじゃ――」
「見てやる」
「……お、おう」
さて、これで己の放課後の予定は決まったな。箒が六年前からどれだけ上達しているか興味もある。
だが今は、午後の授業に備えて昼食をとることに専念するとしよう。
「なんか、面白そうなことになったね〜、いのっち〜」
「私も見に行こうかなー」
「そだねー」
「…………」
そして、彼女たちの予定も決まったようである。
――――――――――
「ハァァッ!」
「ゼェイッ!」
裂帛の気合い。
竹刀がぶつかり合う音。
四本の足は時に食らい付くようにしっかりと床を踏みしめ、時に滑るように軽やかに床を蹴る。
二人の剣舞が始まってから、十分。
試合は白熱していた。
初めは興味本位で集まって来た観客たちも、今では予想を遥かに上回るその内容に見入っている。
「……二人とも、すごい……」
「さすが、全国大会優勝者なだけはあるわね……」
剣道場を貸してくれた剣道部員は、二人を知っているようだ。箒は有望な新入部員候補として目を付けていたのだろうが、男子である一夏のことも知っているのは、一夏が中学二年生の時と合わせて二連覇の偉業を果たしているからだろう。
「せぇっ!はぁっ!」
「おおおおっ!!」
二十分が経過し、流石に二人とも疲れてきた。当然だ、いくら体力があろうと、人間が全力で動き続けられる時間は長くない。
バッと、二人が小さく距離を取る。両の竹刀の先端が僅かに触れ合う、一足一刀の間合い。
広い剣道場に、二人の荒い息遣いだけが響く。
その音が、同時に消え。
二人が、同時に動き出す。
――決着は、一瞬。
「小手ェェェェッ!!」
箒が鋭く小手を放つ。一夏はそれを、腕を竹刀ごと振り上げてかわした。
――上段、面打ちの構え。
「フッ!」
「っ!」
箒の反応は速かった。
空振りした竹刀の切っ先をくるりと回し、頭の上に翳す。振り下ろされる竹刀と面との間に、防御を滑り込ませる。
素晴らしい反応だが、しかしそれこそが一夏の狙いだった。
一夏が膝を畳み、腰を低く落とす。振り上げた竹刀を、両手を巧みに使い梃子の原理で引き寄せて。
――振り下ろすように、横に薙いだ。
「胴オオォォォッ!」
――パァンッ!!
……勝負有り、だな。
「……見事……」
「きゃあああーっ!織斑君カッコいい!」
「篠ノ之さんもすごいねー!」
「おお〜、おりむー強〜い。何やってるのか全然見えなかった~」
「…………」
観客たちが爆発し、口々に両者を称える。
剣道もいいものだな。人殺しの業である己の剣では、こうは人の心を掴めまい。
「っくは!ゼェッ、ゼェッ、……ふう……強いな、箒」
「はあ、はあ、一夏こそ、はあ、更に腕を上げたようだな。……私の、負けだ」
面をとった二人の顔は晴れやかだ。言葉に出来ずとも剣で語る、そんな在り方が、不器用な幼なじみたちには似合っていた。
「全国大会のあとも、稽古は続けていたようだな」
「ああ、剣道部は引退しちまったけどな。シンと一緒に、よくやってたぜ」
――そこで己の名を出すな馬鹿者がっ!!
「何ィッ!?」
クワッ!と箒が己を見る。その目は裏切り者を見る目だった。
「真改、お前もかっ……!!」
「……!?」
待て、落ち着け箒。お前が考えているようなことは何もなかった。ある筈がないだろう。
「ふ……ふふふ……そうかそうか。よし真改、私にも一つ稽古をつけてくれ」
しかし箒に己の思いは届かない。一夏が持っていた竹刀を引ったくり、己に向けて突き出した。
「さあ、剣を取れ真改っ!」
「……はあ……」
思わず溜め息が漏れるのも仕方ない。こうなった箒は人の話を聞かないのだ。無闇に煽る観客たちもいるしな。
「では防具は――っと、そうだな、私が着けてやるから、更衣室の――」
「……無用……」
防具を着ければ動きが鈍る。片腕しかなく、非力な己にはその足枷はなかなかに重い。
どうせ竹刀だ、当たったところで死にはしない、そういう判断による言葉だったのだが――
「ほう……私如きが相手では、防具など必要ないと?」
「……!?」
――しくじった。箒は更に怒気を強め、そろそろ気炎が目に見える領域である。
これ以上は余計なことを言わない方が良いな。気は進まんが、さっさと済ませるとしよう。
「いのっち〜、がんば〜」
「…………」
気の抜ける声援を寄越す本音に軽く手を振って応え、箒の前に立つ。渡された竹刀の感触を確かめつつ、全身に意識を巡らせる。
そして、試合開始の掛け声が響いた。
――――――――――
結果から言うと、理不尽な怒りに任せて荒い攻撃を繰り出してくる箒に圧勝し、勢い余って一夏も叩きのめした。八つ当たりだった。
一夏と激闘を演じた箒は剣道部員から称賛され、観戦していたクラスメイトたちにも少しは馴染めたようである。
問題はその後で、翌日から己のファンを名乗る者が現れ出したのだ。箒を倒した姿が格好良かったとかなんとか。別に何をするというわけではないのだが、やたらと熱い視線を己に浴びせてくる。
――何故だ。こういった役割は、一夏のものではなかったのか。
「……不可解……」
ロ「ふう、今日も一日大変だった。さあ、リリ雪姫の居る小屋に戻るとしよう」
兄「……く……ぷ、ぶわはははははっ!!ひーっひひひひ!」
王「……うるさいぞ、ロイ・ザーランド。それに笑い方が下品だ」
兄「いやだって、旦那のあの格好!あっはっはっは、GA最強のリンクスが、ぷぷ、あんなファンシーなっ!」
ロ「……ごほん。さあ、小屋に着いたぞ。ただいまー、リリ雪姫」
リ「お帰りなさいませ、小人様。今日も一日、お疲れ様でした」
兄「……すっげー棒読みだな、お姫さん」
王「貴様、リリウムを愚弄するか。どうやら命が惜しくないと見える」
兄「つーか小人様ってなんだよ。なんかおかしくないか?」
王「リリウムは謙虚の娘だからな。溢れ出るお淑やかさが、劇中であってもつい言葉に出てしまうのだ」
兄「…………」
ロ「そうだ、リリ雪姫。森の小鳥たちから、嫌な噂を聞いたんだ。なんでも女王が、あなたの命を狙っているらしい」
リ「まあ、なんということでしょう。私はこの森で、静かに暮らせればそれで良いのに」
ロ「とにかく、この小屋にも女王の手下が来るかもしれない。私以外の誰が来ても、小屋の扉を開けてはいけないよ」
リ「はい、分かりました、小人様」
王「むう、心配だな。リリウムは純粋過ぎる、人を疑うということを知らぬ。実際に誰かが来れば、簡単に扉を開けてしまいそうだ」
兄「いや、これ演劇だからな?開けなきゃ話が進まないからな?」
王「ロイ・ザーランド、貴様あ!リリウムが危ない目に遭っても構わんと言うか!?」
兄「あーもー、面倒なジジイだな、コイツ……」
ロ「……む、朝か。今日も良く寝た。さて、リリ雪姫。仕事に行ってくるよ」
リ「はい。お気をつけください、小人様。あなたの帰還を、お待ちしております」
王「おのれローディー、リリウムに帰りを迎えられるだと……!?それは私だけの特権だぞ!」
兄「これはアンタが書いた脚本だろうが」
王「おのれ……おのれええええ!リンクスも!企業の連中も!!リリウムに近付こうとする者は、皆死ねばいい!」
兄「……おーい、爺さーん?戻って来ーい」