IS〈イノウエ シンカイ〉   作:七思

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第2話 朝日の下で

 ―――ピピピピ。ピピピピ。ピピピピ。ピピピピ―――

 

「……む……」

 

 ベッドの上、布団の中から手だけを伸ばした体勢で、もぞりと体を動かす。聞き慣れた電子音を発する目覚まし時計を手探りで見付け、その頭にあるボタンを軽く押した。

 

 ―――ピピピピ。ピピピピ。ピピカチッ。

 

「………………………朝か」

 

 独り言を呟いて、ベッドから這い出る。まだ寝ぼけている脳を目覚めさせるために、大きく伸びをした。

 

「くうううぅぅ…………ふぁ」

 

 涙の滲む目でカーテンの方を見ると、隙間から差し込む光はなかなかの明るさだった。今朝の天気は晴れのようだ。

 

「……さて」

 

 手早くジャージに着替えると一階に降りて、コーヒーに注いだミネラルウォーターを一気に飲み干す。眠っている間に消費した水分を補給すると、玄関脇に置いてある竹刀袋を持ち上げた。ズシリとかなりの重さを感じるが、それも最近では気にならない。

 

 ―――よし。いい感じだ。

 

 何気ない仕草に、違和感がない。いつも通りのことをいつも通りにできて、いつも通りに感じる。それはつまり、体調は万全ってことだ。

 

「……うし、行くかっ」

 

 準備体操を済ませると、竹刀袋を背負うように引っ掛けて、走り出す。始めはゆっくりと、次第にペースを上げて。

 全身で感じる、朝の空気が心地良い。速くなっていく呼吸と鼓動を一定に保つように、歩調に合わせて息を吸い、吐き出す。

 

 ―――そうしてしばらく走っていると、長い黒髪を靡かせながら走る、白いジャージの少女を見付けた。その細い背中に追い付いて、声を掛ける。

 

「よう、シン。おはよう」

「………」

 

 俺の挨拶に一瞥をくれただけで返事もせずに走り続けるこの少女の名は、井上真改。

 重要文化財に指定されるほどの大業物を鍛え上げた、江戸時代の刀工と同じ名前である。彼女の親が一体何を考えて娘にそんな名前を付けたのかはわからないが、この寡黙で質実剛健を地で行く少女には似合っているように思うし、本人も気に入っているらしい。

 

「相変わらず無口だなぁ、挨拶くらいはしたほうがいいと思うぜ」

「………」

 

 初めて出会ってからの十年間、何度も言い続けて来たことだが、いまだにこいつから「おはよう」と言われたことはない。

 変わらない幼なじみの様子に苦笑を浮かべて、結構なペースで走り続ける少女の隣に並ぶ。

 

 真改は、俺こと織斑一夏の幼なじみであり、俺は彼女のことを「シン」と呼んでいる。

 

 背は最近ようやく追い抜いたが、俺との差はまだほんの少しだ。同年代の少女の中では高めである。

 体つきは華奢だが、猫科の猛獣のような瞬発力を秘めている。ダッシュやジャンプなんかは、男のアスリートにだって負けはしない。

 朝日を受けて輝く、腰まで真っ直ぐに伸びた綺麗な黒髪を本人は邪魔に思っているが、彼女の妹達により、いまだに切られることなく良く手入れされている。シン本人は髪については何もしないので、面倒を見るのが大変だと、楽しそうにボヤかれたことが何回かある。

 整った顔立ちに、刃のような鋭い眼差しが印象的で、十分美少女と言える容姿なのだが、その寡黙に過ぎる性格からか浮いた話は全く聞かない。

 

 そんな、どこか浮き世離れしたような雰囲気の、不思議な女の子。

 

「俺達ももう受験だな。俺は藍越(あいえつ)学園を受けるつもりなんだけど、シンはどうするんだ?」

「……IS学園……」

 

 正直答えが返ってくるとは思ってなかったが、答えの内容そのものはそれほど意外なものではない。IS学園は女子に非常に人気があり、剣士として並外れた技量を持つシンが、それを活かすためにIS操縦者を目指すのは自然な流れだろう。

 

「IS学園?すごいな、シンは。剣もめちゃくちゃ強いし、シンならきっと受かるよ」

「………」

 

 ―――そう、シンは強い。

 俺は小学生の時に学んでいた剣術を一旦は辞めたものの、中学生になってから改めて剣道部に入った。俺と千冬姉にはシンとはまた違った事情で両親がいないが、第一回モンド・グロッソ優勝者である千冬姉のおかげで、経済的にはかなり恵まれている。

 いずれ自分の力で金を稼げるようになるために卒業後の就職率が高い藍越学園を受験するが、今は自分の目的のために、千冬姉に甘えさせて貰って、竹刀や防具代なんかを出してもらっている。

 人一倍鍛錬に打ち込んで来た自負はあるが、才能にも恵まれていたのだろう。去年と今年、剣道の全国大会で二連覇を果たし、高校生相手でもそうそう負けはしない。

 

 それでも、シンにはまるでかなわない。毎日のように打ち合いをしているが、まだ一度も勝てていない。

 けど、いつか絶対に負かしてやる。シンは千冬姉と並ぶ、俺の目標の一つなのだ。

 

「人気あるもんな、IS学園。やっぱり女の子は、みんなあそこを目指すもんなのか?」

「………」

 

 やっぱり返事をしないシンに一方的に話し掛けながら、陸上選手もびっくりなスピードで走り続けるシンに付いて行く。その顔にはうっすらと汗をかいているが、息は少しも乱れていない。まったく、こんな細っこい体のどこにそんなスタミナがあるんだか。いつものことながら、呆れてしまう。

 

(しかし……IS学園、か……)

 

 俺の目標であり、憧れでもあるシンが、世界最強の兵器であるISを学ぶため、IS学園を受験する。

 嬉しくないわけではない。シンが自分の望みを話してくれることなど、滅多にないのだから。

 

 ―――だが。

 

(どんどん遠くに行っちまうなぁ)

 

 ISは、どういうわけか女性にしか反応しない。男である俺には、どう足掻いたところで動かせはしない。

 

 世界を変えるほどの最強の力、それを俺は、決して手に出来ないのだ。

 

(シンを守るって大口叩いといて、情けねえなぁ……)

 

 追い続けた目標が、絶対に手の届かないモノとなった。目標は高い方が良いとは言うが、何事にも限度ってものがある。

 

 だがそれでも、諦めるつもりはない。シンがIS学園を目指すのは、予想していなかったわけではないし、なによりも―――

 

 ―――その程度で折れるほど、柔な決意をしたつもりもない。

 

(……どっちにしろ、まずは剣で追い付かなきゃ話にならない。ISがどうとか悩んでたら、足元がお留守になっちまう)

 

 俺は俺にやれることをやるだけだ、その内希望も見えてくるさ、と、自分でも楽天的と思うことを考えていたら、ふと、シンがどこか上の空なことに気付いた。心なし、表情もいつもより険しい。

 1ミリ未満の、本当に僅かな変化なんだが、十年も付き合いがあればそれくらいは分かるようになる。

 

「シン?おい、シン!!」

「……っ!」

 

 心配になって顔を覗き込むと、珍しく驚いたようなするシン。

 

 ―――ちょっと可愛い、と思ったのは秘密だ。基本大人しいんだが、あんまり弄り過ぎると静かにキレるからな、こいつは。そして本気で怒ると、千冬姉よりもコワイのだ。

 

 まあそんなことは置いといて。シンが鍛錬に集中してないなんて珍しい。もしかしたら、どこか体の調子が悪いのかもしれない。

 

「大丈夫か?どうしたんだよ、突然ぼーっとして。なんか顔色も悪いし、今日はもう切り上げて―――」

「……無用……」

 

 心配はいらない、ということだろうか。シンはほとんど喋らないし、喋ってもかなり短いが、それだけで大体の意味は通じる言葉を口にする。

 一言で足りる場面でしか話さないとも言うが。

 

 とにかく、ふるふると頭を振ってから顔を上げると、すうっ、とシンの意識が走ることに向けられた。いつもの様子に戻ったシンは、

 

「……競争……」

 

 と呟くと、突然ダッシュを開始する。

 

「……へ?」

 

 一瞬呆ける俺。そして今の言葉を、三秒ほど経ってようやく頭が理解した。

 

「……て、おいちょっと待て、卑怯だぞシン―――!!」

 

 とんでもない加速で一気にトップスピードに達したシンは、減速せずに角を曲がって行った。目的地はおそらく、いつもの公園だろう。そこで素振りをしてから再び走って帰る、というのが、いつもの朝の流れである。

 若干フライング気味に走りだしたシンを慌てて追い掛けながら、俺の顔は自然と笑っていた。

 

 ―――剣の技量では足下にも及ばないが、純粋な体力勝負で女の子に負けるなど、男の意地(プライド)が許さない。

 

(絶対に、勝つ!!)

 

 いいぜ、面白い。受けて立ってやる。体も大分温まって来た、ここはひとつ、全力勝負といこうじゃないか―――!

 

 

 

――――――――――

 

 

 

(498、499、500、501、502、……)

 

 シンとの競争のゴール、名前も知らない小さな公園に着いた俺達は、それぞれが背負っていた竹刀袋から木刀を取り出し、素振りを始めた。

 先ほどの競争は、僅差でシンが勝った。シンはフライングしたからな、同時に走り出してれば俺が勝ってた、と男らしくない言い訳はしない。しないったらしない。

 

(……562……イカンイカン、余計なことを考えるな。集中だ、集中)

 

 切れかけた集中を繋ぎ留め、手の中の木の感触に意識を向ける。

 俺が使っている素振り用の木刀は特注品で、長いうえに芯に鉛が仕込んであり、かなり重い。これを使い始めたころはふらついていたが、慣れた今は普通に振れるようになった。

 ……部活の仲間が俺を化け物でも見るような目で見るようにもなった。

 

(622、623、624、625、626、……)

 

 黙々と素振りを続けながら、ちらりとシンを見る。

 シンが使っているのは普通の木刀だが、女の子の細腕、それも片腕で振るには十分重いはずだ。だがその切っ先には微塵もブレはなく、見事な剣閃を描いている。

 

 対して俺の木刀は、ほんの少しではあるが、切っ先が揺れている。相手を「倒す」ことが目的じゃない剣道の試合では、これでもどうにか通用するだろう。

 だが真剣を扱った時、この僅かな切っ先の揺れが、切れ味を大きく鈍らせる。木刀であっても、相手の身体の芯まで衝撃を通すには、刀身に込めた力を真っ直ぐに打ち込まなければならないのだ。それが、俺には出来ていない。

 

 素振り一つとってみても、技量の違いがこれほどはっきり出る。シンに追い付くのは、まだ遥か先のことになるだろう。

 

(704、705、706、707、708、……)

 

 木刀を握る掌に汗をかき、柄を滑らせる。

 だが、問題ない。正しく握り正しく振れば、手に握る力を入れるのは一瞬だけでいい。むしろこの汗のおかげで、正しい握りと振り、そして力を入れるべき一瞬が分かりやすくなった。

 

 ―――失敗してれば、木刀はとうにすっぽ抜けてる。そうなってないってことは、今のところ上手くいってるってことだ。後はこの感覚を身体に刻み付けるために、ただひたすら繰り返すだけだ。

 

(……800、801、802、803、804、……)

 

 一振りごとに鋭く息を吐き出し、必殺の意思を込める。

 素振りをする際には剣の軌跡や足運びだけでなく、一振りに込める気迫こそが重要だ。どんなに上手いフェイントも、そこに殺気がなければ達人相手には容易く見切られる。

 命を懸けた遣り取りでは、お互いの体力、技術、そして精神が勝敗を分けるのだ―――というのが、シンからの受け売りである。

 

(908、909、910、911、912、……)

 

 両腕はもうパンパンで、握力も限界が近い。歯を食いしばりながら素振りをする俺とは対照的に、シンは相変わらずの無表情だ。

 

 ―――いや。良く見ると、その口元が、ほんの少しだけ緩んでいる。

 

 十年の付き合いがある俺でも、どうにか分かる程度の表情の変化。これがシンの笑顔であり、彼女が笑うのは剣の稽古をする時と、彼女が育てている花壇の世話をする時くらいだ。

 無口・無表情・無愛想の三拍子が揃っているのが、井上真改という少女なのである。

 

「……1000!ぶはぁっ!どうだ、ようやくこいつを千回振ったぞ!!」

「……次は二千……」

「ド(スパルタ)ですね真改さん!?」

 

 この特注品の木刀を千回振ることは、シンからの課題である。数ヶ月前にこの木刀を作ったとき、シンは感触を確かめるように一回振ると、ぼそりと、

 

「……千回振れ……」

 

 と言ったのである。

 正気かコイツとも最初は思ったが、いざ始めてみると振れる回数がみるみるうちに増えていって、同時に腕も引き締まって行った。

 そして今日、念願の課題達成と相成ったわけだが、真改先生は褒めるどころかさらなる課題を出して来やがった。

 

(この調子で、一万回振れとか言い出さねぇだろうな……)

 

 シンなら言いかねない。彼女は割と精神論者なのである。

 

「さてと、もういい時間だし、そろそろ戻ろうぜ」

「……応……」

 

 俺はこれから帰ってシャワーを浴び、朝食を作って食べ、学校に行く準備をしなくちゃならない。

 シンは料理はしないし出来ないが、毎朝花壇の手入れをしている。彼女が住む孤児院の花壇はそれなりの広さがあって見事な花が咲いており、近所では評判になっている。

 当然、手入れにはそれなりに時間が掛かるので、あまり帰るのが遅くなると学校に間に合わなくなるのだ。

 

「よい、しょっと」

 

 疲労からかいつも以上に重く感じる木刀を竹刀袋にしまうと、背中に背負って走り出す。息は多少荒いが、来たときよりも速いくらいのペースでしばらく走り、いつもの場所でくるりとシンの方を向き、

 

「じゃあ、また学校でな」

「………」

 

 いつもの別れの挨拶をして、それぞれの家に帰って行った。

 

 

 

 ―――さあて。今日も一日、頑張りますか―――

 

 

 

 




再開にあたり、一つ宣言をさせていただきます。
物語後半で、本編に真改以外のリンクスも登場させる予定です。誰かはまだ秘密ですが。

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