IS〈イノウエ シンカイ〉   作:七思

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ああ、正月休みが終わってしまった……
でもまだ体と脳が休みモードです。長期休みの欠点ですね。


第25話 天才

「アナトリアの傭兵。お前も知ってるだろう?」

「…………」

 

 当然知っている。彼を知らないリンクスなどいない。

 

 現在世界規模で行われている戦争――リンクス戦争。

 アナトリアの傭兵はこの戦争で多くのリンクスを討ち倒し、伝説的な活躍をしているリンクスである。

 

 ……だが、突然どうした。

 

「彼が元レイヴンであるのは有名な話だが、最近分かったことがあってな」

「…………」

「彼はどうやら、国家解体戦争の時、私が仕留め損ねたレイヴンのようなんだ」

「……!」

 

 アナトリアの傭兵がレイヴン時代にいくつもの伝説を生み出していたことは知っていたが、その伝説は伊達ではないらしい。

 ……よもや、ノーマルで「彼女」と戦い、生き残るとは。

 

「彼はレイヴンからリンクスになったわけだが、AMS適性は低いと聞いている。お前よりもな」

「…………」

「だが彼は、現実としていくつもの戦功を立てている。アナトリアがただのコロニーでありながらこの戦争に参加出来ているのは、彼が居るからだ」

「…………」

「劣悪なAMS適性で、何故そこまで戦えるのか? それこそが、お前の求める答えではないか?」

「…………」

 

 伸び悩む己を、「彼女」なりに気にかけてくれているのだろう。急に話し掛けてきた「彼女」の意図は分かったが、しかし己の求める答えには繋がらない。

 

 ――アナトリアの傭兵は、レイヴンとしての「才能」があった。その戦いの才能こが、AMS適性を補うほどの彼の力なのだろう。

 

「……後ろ向きなヤツだな。女々しいぞ、真改」

「…………」

 

 据わった目で己を睨む「彼女」。何も言っていないのに、どうして己の考えていることが分かるのだろうか。

 

「……なぜ私は、彼だけは倒せなかったのか。あの時は分からなかったが、今なら分かる」

「…………」

 

 聴く者を惹き付ける凛とした声色で、諭すように、語り始める。

 

「……彼には強い「信念」があった。この私を、分厚い装甲越しに怯ませるほどの、「信念」が」

「……信念……」

「それが私の踏み込みを甘くさせた。装甲は切り裂けたが、その奥にいる彼には、僅かに届かなかった。……つまりは、気圧されたんだ」

「…………」

 

 気圧されただと?

 まさか、「彼女」が、戦場で?

 それも、高がノーマルに――高が、レイヴンに。

 

「彼の戦いぶりを見て、ようやく分かった。……守りたいものが、あるのだろうな」

「…………」

「才能などではない。揺るぎない「信念」こそが、彼を強者たらしめている」

「…………」

「……お前はどうだ、真改。お前には「信念」はあるか?」

「…………」

 

 ある。

 己の心に、常に在り続けているもの。

 

 己が、追い求めているもの。

 

「……言っておくが、私に追い付くことが信念だ、などとは言うなよ」

「……!」

「……図星か。まったく……」

 

 はあ、と溜め息を吐く「彼女」。

 ……心底呆れているようだった。

 

「お前が目標としてくれているのは光栄だがな。信念とは自身の中に秘めるモノだ。私に求めるな」

「…………」

 

 だが、それでは己には信念などないということになる。「彼女」に追い付く、それだけしか己にはない。

 

 ……そんな様だから、己の剣は、こんなにも軽いのか。

 

「お前はまだまだ強くなる。どんな試練も、お前なら乗り越えられる」

「…………」

「今はまだ、私でいい。だがいつか、お前は私を超えるだろう」

「…………」

 

 そんなことは有り得ないと、思ってしまう。「彼女」を追い掛けていながら、しかし決して追い付けはしないと、心のどこかで諦めている。

 

 ――なんたる、惰弱さか。

 

「お前が私よりも強くなり、共に背中を預けて戦える日が来たら、その時は――」

「…………」

 

 こんな己を、何故「彼女」は気にかけてくれるのか。

 己などに、一体何を期待しているのか。

 

 ……それが己には、どうしても、分からない。

 

「聴かせてくれ。お前を強くした、お前の「信念」を。

 

 

 

 ――その先に在る、お前の「答え」を」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「むにい〜……あ」

「………………」

 

 目が覚めたら、腹の上に馬乗りになった本音が、己の頬を左右に引っ張っていた。

 

 ………………なんだ、この状況。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……お、おはよ〜、いのっち」

「…………」

 

 とりあえず、ぐわしと本音の顔を鷲掴んで放り投げる。きゃ〜、と気の抜けた悲鳴を上げて飛んでいく本音。

 

 ……なんなんだ、一体。

 

「いや〜、いのっちの寝顔がかわいかったから、つい〜」

「…………」

 

 本音が何か言ってるが無視。

 起き上がり、寝間着代わりの浴衣を脱いで着替える。今日は初日とは真逆の、一日かけてのISの各種装備試験運用だ。集合時間に遅れればなにをされるか分かったものではない。

 

「ほらほらいのっち、座って〜」

「…………」

 

 本音に促され、正座する。朝の恒例となった、左腕の傷を隠す包帯である。

 

「……なるほど、真改の包帯は、お前が巻いていたのか」

「いのっち、こういうの無頓着だからね〜。女の子なのに〜」

「……勲章……」

「「……はあ〜……」」

 

 己の言葉に深い溜め息を吐く二人。

 ……そんなに呆れられることを言ったか、己は。

 

「完成〜」

「ほう、上手いものだな」

「毎朝やってるからね〜」

「…………」

「なるほど。じゃあ、朝食に行くか。……遅刻したらどんな目にあわされるか分からん」

「ごはん〜。楽しみ〜」

「…………」

 

 確かに、昨日の食事は大変美味だった。朝食に期待してしまうのも無理からぬことである。

 

「じゃ〜、しゅっぱ〜つ!」

「……寝癖くらいは直していけ」

「おお~?」

「…………」

 

 というわけで、食堂となる広間に向かう。臨海学校の二日目は、こうして始まった。

 広間では周囲が今日行われる試験運用や食事の美味さについて話しているなか、己はまるで別のことを考えていた。

 

 ……何故、二日も続いて、「彼女」の夢を見たのか。

 それが一体、なにを意味しているのか。

 

 ……ただの偶然、己の思い過ごしなら、それに越したことはないのだが。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 そして場面はIS試験用のビーチに移る。周囲が切り立った崖に囲まれたここから海に出るには一旦潜り、海中のトンネルから出る必要があるという念の入りようである。

 ……いや、天然の構造であって、決して誰かが作ったというわけではないのだが。

 

「班分けと班毎のテストの内容は把握しているな? 専用機持ちにはそれぞれの専用装備が送られて来ているはずだ、確認しろ。……では、準備しろ。限られた時間を有効に使えよ」

「はい!」

 

 千冬さんの号令に従い、各自散開。班ごとの持ち場につき、準備を始める。

 

「篠ノ之、お前はちょっとこっちに来い」

「? はい」

 

 己が如月重工から送られて来た装備の点検をしていると、箒が千冬さんに呼び止められた。

 

「突然だが、お前には今日から――」

「ち~~~ちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっ!!」

 

 ………………頭痛がした。

 

 声のした方を見ると、砂塵を派手に巻き上げながら突撃して来る人影が。

 青と白のワンピース、頭には機会仕掛けの兎の耳。常人の理解の範疇を超えた格好をした人影。

 己の頭痛の原因はただ一つ。その人影の正体が――

 

「……束」

 

 ――ISの開発者、ただ一人で世界を変えた天才、己が最も苦手とする人物、篠ノ之束だということだ。

 関係者以外立ち入り禁止なのだが、そんなことはお構い無しに、この人は堂々と臨海学校に乱入してきた。

 

「おっひさー! んもう、会いたかったよちーちゃん! さあ、再会を祝して熱いハグをしぷぁ!?」

 

 千冬さんのアイアンクローが炸裂、束さんの顔に指が食い込むほどの剛力で締め上げる。

 

「うるさいぞ、束」

「ぐぬぬぬ……相変わらず容赦のないアイアンクローだねっ」

 

 しかし束さんは万力の如きその握力からするりと抜け出し、何事もなかったかのように箒の方を向く。

 

「やあ!」

「……どうも」

 

 極めて友好的な束さんとは真逆に、箒はすごく嫌そうな顔をしていた。

 

「えへへ、久しぶりだね。こうして会うのは何年ぶりかなぁ。おっきくなったね、箒ちゃん。特におっp」がんっ!

「殴りますよ」

「な、殴ってから言ったぁ……。し、しかも日本刀の鞘で叩いた! ひどい! こぶができちゃうよ!」

 

 箒が日本刀を持ち歩いていることには誰一人突っ込むことはなく、ただポカンと二人の遣り取りを眺めていた。

 そんな皆を代表して、山田先生が束さんに声を掛ける。

 

「え、えっと。すいません、この合宿は関係者以外――」

「んん? 珍妙奇天烈なことを言うね。ISの関係者というなら、一番はこの私をおいて他にいないよ」

「えっ、あっ、はいっ。そ、そうですね……」

 

 秒殺だった。相変わらず人の話を聞かない御仁である。

 

「おい束。自己紹介くらいしろ。うちの生徒たちが困っている」

「えー、めんどくさいなぁ。私、面倒は嫌いなんだよね」

「そうか。では私が二度と面倒なことをしなくていいようにしてやろうか。物理的に」

「私が天才の束さんだよ、はろー。終わり」

 

 ……己が言うことではないが、ひどい自己紹介であった。

 しかしその名前を知らない者などここにはいない。周囲がにわかに騒がしくなった。

 

「し、篠ノ之……」

「束……? それって……」

「まさか、篠ノ之束博士?」

「あの人が……?」

「……やっぱり天才って、変人なのね……」

 

 その意見には同意だが、しかし彼女は天才でも変人でもない。

 

 ……超天才であり、超変人なのだ。

 

「はぁ……。もう少しまともに出来んのか、お前は。そら一年、手が止まっているぞ。こいつのことは無視してテストを続けろ」

「こいつだなんて、ひどいなぁ。らぶりぃ束さんと呼んでいいよ?」

「うるさい黙れ」

 

 飽くまでも調子を崩さない束さんと、心底うんざりしたような様子の千冬さん。

 世界で最も有名な二人が旧知の間柄であるということに驚いている面々を置いて、箒がおずおずと束さんに話し掛ける。

 

「……それで、なんで姉さんがここに?」

 

 箒に話しかけられたことだ妹大好きな束さんの目がキラーンと光り(本当に光った。人間か?)、芝居がかった動きで大空を指差す。

 

「うっふっふっ。今日は箒ちゃんのために、プレゼントを用意したのだよ! さあ、大空をご覧あれっ!!」

 

 大声で告げられたその言葉に、集まった全員が空を見る。すると――

 

ズドーンッ!!

「のわあ!?」

 

 砂浜が揺れるほどの勢いで、金属の塊――巨大な機械のニンジンが落下してきた。間を置かずにそれが開き、その中身を皆に見せ付ける。

 そこにあったものは――

 

「こ、これは……!?」

「じゃじゃじゃ、じゃーん! これが、これがっ、これが!! 箒ちゃんの専用機だよ!!」

「……私、の……専用機……?」

「そう! その名も〔紅椿(あかつばき)〕! 全スペックが現行ISを上回る、束さんお手製のISだよ!!」

 

 陽光を受けて輝く、真紅の装甲。

 両腰に佩いた、日本刀型の近接ブレード。

 全スペックが現行機を上回る――事実上、最強のIS。

 

「さあ! 箒ちゃん、さっそく一次移行を始めようか! 私が補佐するからすぐに終わるよん♪」

「ちょ、ちょっと待ってください! いきなり専用機と言われても……」

「んん? 箒ちゃん、欲しくないの? 専用機だよ? それも、とびっきりでぶっちぎりの。紅椿なら、どんな相手にも負けないよ?

 ……いっくんと、一緒に戦えるよ?」

「な……!?」

「ほらほら~、遠慮なんか必要ナシ! ババーンと乗って、ガガーンとやっちゃおう! ね!」

「う……」

 

 強引に、半ば押し付けるように紅椿を箒に勧める束さん。しかし、それは効果的だった。

 無人機の件、そして学年別トーナメントの敗北により、箒は「力」を求めている。

 その「力」が、意図していなかった形とはいえ、手に入る。一夏と特に深く関わる者たちの中で唯一専用機を待たないこともあって、惹かれることだろう。

 

「……そ、それでは……お願いします」

「堅いよ〜、箒ちゃん。実の姉妹なんだし、「お姉ちゃん♪」とか、そんな感じに――」

「…………」

 

 束さんの言葉に、箒は反応らしい反応を示さない。ただ心奪われたように、紅椿を見上げ続けている。

 そんな箒を束さんはあまり気にした様子もなく、紅椿の一次移行を始める。空中投影型のディスプレイを六枚呼び出し、膨大なデータをなんでもないように処理していく。

 瞬く間にフィッティングが終わり、箒の体に合わせて紅椿のサイズの微調整が行われる。予めある程度のデータが入力されていたのだろう、白式のような大きな形態変化はなかった。

 

 一次移行が終わるまでの間、その様子を眺めていると――

 

「専用機、って……篠ノ之さんに? 身内ってだけで?」

「特に優秀ってわけでもないのに……なんか、ずるいよね」

 

 己と同じように眺めていた者からの、嫉妬を含んだ言葉。

 それを拾い、意外にも束さんが鋭く反応する。

 

「おやおや、歴史の勉強をしたことがないのかな? 有史以来、世界が平等であったことなど一度もないよ」

「…………」

 

 その通り。世界は、いつだって不平等だ。

 

 例えば、運。

 例えば、生まれ。

 例えば――才能。

 

「……いのっち」

「……?」

 

 突然、本音が俺の手を包み込む。

 そしていつの間にか握り締めていた拳を、優しくほぐしていった。

 

 見れば己の手の平には、爪が食い込んだのだろう、うっすらと血が滲んでいた。

 

 ……それほどまでに、強く握り締めていたのか。

 

「…………」

「…………」

 

 本音は何も言わず、悲しそうな目で己の手を見詰めている。

 

「……いのっち、どうしたの〜? 昨日から、なにかおかしいよ〜……?」

「…………」

 

 本当に、昨日からどうもおかしい。昨夜の酒の席然り、こんな些細な言葉にも、異常なほどに反応してしまう。

 

 本当に、おかしい。

 

 「彼女」の、夢を見てから。

 

「よーし、あとはほっといても自動ですぐに終わるよ。……あ、いっくん。白式見せて。束さんは興味津々なのだよ」

「え、あ。はい」

 

 どうやら紅椿の方は終わったらしい。

 束さんに促された一夏が白式を展開し、束さんはすぐさま機体のデータを確認し始める。

 

「ん〜? これはこれは。ほほうほうほう。見たことないフラグメントマップだねぇ。どういうことだろ? いっくんが男の子なことと関係あるのかな?」

 

 ちなみにフラグメントマップというのは、ISのコアが操縦者に合わせて独自に発展していく、その道筋のことである。人間で言う遺伝子にあたるものだ。

 

「束さん、そのことなんだけど。どうして男の俺がISを使えるんですか?」

「ん? ん〜……どうしてだろうね。私にもさっぱりぱりだよ。ナノ単位まで分解すればわかる気がするんだけど、していい?」

「……いい訳ないでしょ……」

「にゃはは、そう言うと思ったよん。んー、まあ、わかんないならわかんないでいいんだけどねー。そもそもISって自己進化するように作ったし、こういうこともあるよ。あっはっはっ」

 

 ……ふむ、束さんなら何か知っていると思っていたが、あてが外れたか。

 しかしISの製作者である束さんにも分からないとは、一夏はどれだけイレギュラーな存在なのか。

 

「……ちなみに、白式、後付装備が出来ないんですけど、なんでですか?」

「そりゃ、私がそう設定したからだよん」

「え……ええっ!? 白式って束さんが作ったんですか!?」

「うん、そーだよ。って言っても欠陥機としてポイされてたのをもらって動くようにいじっただけだけどねー。そしたら、なんと! 第一形態から単一仕様能力が使えるようになったのさ! でねー、なんかねー、元々そういう機体らしいよ? 日本が開発してたのは」

「馬鹿者。機密事項をべらべら喋るな」

 

 手加減抜きで、千冬さんが束さんの頭を叩く。

 ……しかし、白式には束さんが手を加えていたのか。道理で、随分尖った性能だと思ったが。

 

「あいたたた……もう、ちーちゃんったら、そんなに恥ずかしがんなくてもいいのにねー。……さてと、他には……あー! しーちゃん!」

「…………」

 

 ……まずい、見つかった。

 

「もー、相変わらず無口だなあ、しーちゃんは。声くらい掛けてくれたっていいじゃないのさー」

「…………」

「ねーねー、しーちゃんのISも見せてよ。どんなの乗ってるのか、束さん興味あるなー」

「…………」

 

 見せない。絶対見せない。碌な事にならないのは目に見えている。断固拒否させてもらう。

 

「いーじゃん、見せてよ〜」

「…………」

「しーちゃーん?」

「…………」

「……しーちゃ〜〜ん?」

「…………」

「……良いではないか、良いではないか~」

「……………………」

 

 謎の歩方で接近を図ってくる束さんを間合いに入れないよう、距離を取る。

 周りから見れば特におかしなところのない、ただ普通に後退っているだけに見えるだろうが、かなり本気の見切りで間合いを図っていた。

 

 ……この人は近付けるととてつもなく厄介なので、決して間合いに入れないことが己の唯一の対処法なのだ。

 

 しかし今日の束さんはやけにしつこい。早く諦めてもらいたいのだが――と思っていると、鮮やかな金髪が束さんに近付いて行く。

 

「あ、あのっ! わたくし、イギリス代表候補生のセシリア・オルコットと申します! 篠ノ之束博士のご高名はかねがね承っておりますっ。もしよければ、わたくしのISを見ていただけないでしょうか!?」

 

 キラキラと目を輝かせたセシリアだった。有名人である束さんを前にして興奮しているようだった。

 

 だが――

 

「はあ? 誰だよ君は。金髪は私の知り合いにいないんだよ。そもそも今は箒ちゃんとちーちゃんといっくんとしーちゃんと数年ぶりの再会なんだよ。空気読んでよ」

「え、あの……」

「うるさいなあ。あっち行きなよ」

「う……」

 

 声、口調、表情、目線、態度……いずれも絶対零度の反応を受けて、セシリアがたじろぐ。

 

 そう、束さんは人格に多大な問題があり、その内の一つがこれだ。彼女は箒、一夏、千冬さん、そして己以外の人間は、心底どうでもいいのだ。

 本人を含めた五人以外の全人類が滅びたところで、何も感じないのではないか――そう思わせるほどに。

 

 それを受け、セシリアは見るからに落ち込んだ様子で引き下がる。……涙目であった。

 

「……こっちはまだ終わらないのですか?」

「んー、もう終わるんじゃないかな。ほらできたー!」

 

 箒が訊ねると、セシリアに対するものとはまるで違う態度で答える束さん。

 

「んじゃ、試運転といこうか! まずは飛んでみて、箒ちゃんのイメージ通りに動くはずだよ」

「ええ……それでは試してみます」

 

 紅椿に連結されたケーブル類が外れていく。

 箒は瞼を閉じて意識を集中させると、次の瞬間に紅椿は凄まじい速度で飛翔した。

 

「うわっ……!?」

「……速い……!」

 

 加速の余波で衝撃波が発生し、爆発的に砂が巻き上がる。

 よろめく本音を支えながら空を見上げると、二百メートルもの上空まで一瞬で飛び上がっていた。

 

「どうどう? すっごい速いでしょ? 加速もそうだけど、最高速もぶっちぎりだよ!」

「は、はい……」

 

 朧月がオープン・チャネルでの会話を拾った。どうやら束さんもISを装備しているらしい。

 ……だとすると、束さんのISはいったいどれほどの代物なのだろうか。

 

「次は刀使ってよー! 右のが〔雨月(あまづき)〕で、左のが〔空裂(からわれ)〕ね。それじゃ、武器特性のデータ送るよん」

 

 武器データを受け、箒はしゅらんと二本同時に刀を抜き取る。二刀流は見た目よりも遥かに難易度の高い技術なのだが、そこは流石と言うべきか。

 

「はいはーい、束センセーの説明ターイム♪ どっちの刀も、もちろんただの刀じゃありませーん! 雨月は集中攻撃用の武器で、打突に合わせて刃部分からエネルギー刃を放出、あっという間に敵を蜂の巣に! する武器だよ〜。射程距離は、まあアサルトライフルくらいだね。スナイパーライフルの間合いでは届かないけど、紅椿の機動性ならモウマンタイ!」

 

 その解説を受け、箒は右腕を左肩まで持ち上げ、構えた。

 篠ノ之剣術流二刀型・盾刃(じゅうじん)の構え。刀を受ける力で肩の軸を動かし反撃に転じるという、守りの型である。

 そこから刺突を放つと同時、紅椿の周囲に赤色のレーザー光がいくつもの球体として現れ、順番に光の弾丸となって空を駆け、漂っていた雲を穴だらけにした。

 

「次は空裂ねー。こっちは範囲攻撃に優れた武器だよん。斬撃に合わせて帯状の攻性エネルギーをぶつけるんだよー。振った範囲に自動で展開するから超便利。そいじゃこれ撃ち落としてみてね、ほーいっと」

 

 言うなり、紅椿が入っていた巨大ニンジンから十六連装ミサイルポッドが飛び出し、一斉射撃を行った。

 

「れっつごー、箒ちゃーん!」

「やれる……! この紅椿ならっ!」

 

 箒は一回転しながら、空裂を横薙に振るう。すると赤色のレーザーが帯状に広がり、全てのミサイルを一瞬で撃墜した。

 

「……!」

 

 圧倒的と言う他ない、凄まじい性能。

 全スペックが現行機を上回る――その言葉に偽りはないようだった。

 その光景に、砂浜に集まっている生徒たち全員が魅了され、言葉を失う。真紅の装甲を身に纏った箒は威風堂々と空に佇み、収まっていく爆煙を見ていた。

 

「やれる……やれるぞ、これなら……!」

 

 高揚した面持ちで、刀の柄を握り締める箒。

 

 ――その顔には、覚えがあった。

 

 

 

『正規リンクスへの昇格、まずはおめでとうと言っておこう。……そしてこれが、今日から君のものになるネクスト――』

 

 

 

「……っ」

「……!」

 

 知らず、また右手を握り締めていた。しかし今度は、爪が手の平に食い込むことはなかった。

 

 己が右手を握り締めるより速く、本音が己の右手を、指を絡めるように握っていたからだ。

 

 ぎしり、と骨の軋むような音がしたが、本音は呻き声すら漏らさなかった。相当痛かった筈だが、いつもと変わらぬ眠そうな顔で、己ににへら、と笑い掛ける。

 

「……てひひ、いのっちの手、冷たくて気持ちいい〜」

「……すまん……」

「んん〜。なんのことかね〜?」

「…………」

 

 ……本当に、昨日から、己はおかしい。

 

 手をほどき、首から提がる指輪を握る。

 今はこれが、朧月が己の機体だ。

 あの機体は――「彼女」のパーツを受け継いだネクストは、もう、存在しない。

 

「たっ、た、大変です! お、おお織斑先生っ!!」

 

 山田先生の慌てた声。彼女が慌てているのはいつものことだが、しかし今回はいつも以上の慌てようだった。

 

「……山田先生、どうしました?」

「こ、こっ、これをっ!」

 

 山田先生が千冬さんに小型端末にを渡すと、その画面を見た千冬さんの表情が曇る。

 

「……特命任務レベルA、現時刻より対策を始められたし……」

「そ、それが、その……」

「……ここでは生徒たちに聞こえるな。詳細は後で」

「は、はい」

「専用機持ちは?」

「ひ、一人欠席していますが、それ以外は」

 

 小さな声でそこまで話し、それからは軍用の暗号手話で遣り取りを始めた。周囲の生徒に内容を知られないようにだろう。

 

「そ、そ、それでは、私は他の先生たちにも連絡してきますのでっ」

「了解した。……全員、注目っ!!」

 

 山田先生が走り去ると、千冬さんはパンパンと手を叩いて注意を引き付ける。

 

「現時刻より、IS学園教員は特殊任務行動へと移る。今日のテスト稼働は中止。各班、機材を片付けて旅館に戻れ。連絡があるまで各自室内待機すること。以上だ!」

「え……?」

「ちゅ、中止? なんで? 特殊任務行動って……」

「状況が全然わかんないんだけど……」

 

 不測の事態に、周囲がにわかに騒がしくなる。それを千冬さんが一喝して鎮めた。

 

「とっとと戻れ! 以後、許可無く室外に出たものは我々で身柄を拘束する! いいな!!」

「「「は、はいっ!!」」」

 

 怒号と言えるほどのその声に、怯えた様子で片付けを始めた。

 

 ……空気が変わった。かつて慣れ親しんだ、戦場の空気に。

 

「専用機持ちは全員集合しろ! 織斑、井上、オルコット、デュノア、ボーデヴィッヒ、凰! ……それと、篠ノ之も来い」

「はい!」

 

 箒が気合いに満ちた返事をする。緊急事態に相応しい、緊張感のある表情だったが、どことなく浮ついた気配が隠し切れていなかった。

 

「…………」

 

 箒は専用機持ちになった。

 ここ数ヶ月の間に学園で起きた、二つの事件。一夏が命を危険に晒してどうにか収めたその事件において、箒は無力だった。

 

 だが、今回は違う。今の箒には、紅椿という力がある。もう、無力ではない。

 

 ――一夏の、力になれる。

 

(……なにも、なければいいが……)

 

 嫌な予感がする。

 漠然とした不安を抱えながら、己は千冬さんの下に歩いて行き――

 

「……いのっち」

 

 ――本音に、声を掛けられた。

 

「……?」

 

 常のものではない、不安の滲んだ声と表情。

 

「……大丈夫?」

「…………」

 

 ……分からない。

 箒の様子も気になるが、己自身も通常の精神状態とは言い難い。

 何かが起きる――そんな、なんの根拠もない確信が、己の心を覆い尽くしていた。

 

 

 

――――――――――

 

 

 

「……いのっち……」

 

 待機を命じられて、本音は他の生徒たち同様、自分に割り振られた部屋で大人しくしていた。

 皆は突然の事態に対して様々な憶測を飛ばし合っていたが、いつもならそれに混ざるはずの本音は沈んだ顔で部屋の隅に座っていた。

 

「……大丈夫……だよね〜……?」

 

 本音がこうまで沈み込んでいる理由はただ一つ。ルームメイトである親友、井上真改のことである。

 

「…………」

 

 昨日のバスの中で、真改は泣いていた。一体どんな夢を見ていたのか本音には分からないし、真改に訊くことも出来なかった。

 

 そして真改の強さを知っている本音には、真改が涙を流す理由など見当もつかなかった。

 ただ、想像を絶するような悲しみがあったのだろう――それだけが、本音に考えられる唯一の理由だった。

 

「……いのっち……」

 

 そして、今朝。

 本音が真改よりも先に起きた――そんな明らかな異常事態にも、真改は気付かなかった。それほどまでに、真改の様子は普通ではなかった。

 

「……私……」

 

 本音が珍しく早く起きた理由。

 真改が珍しく寝過ごした理由。

 

 ――うなされていたのだ。あの、井上真改が。

 

 苦しそうな、悲しそうな顔で、真改は眠っていた。呻き声こそ上げていなかったが、普段は身じろぎすらせずに眠る真改の気配を感じて本音が目を覚まし、真改を起こしたのだ。

 

 ……真改の寝顔が可愛かったからなど、大嘘だった。

 

「……私……いのっちに、なにもしてあげられないのかな〜……」

 

 本当に大変なのは親友の方なのに、今にも泣き出してしまいそうで、そんな自分が心底情けなくて、本音は抱えた膝に顔をうずめた。

 

「……無理、しないでね〜……」

 

 ひどく、嫌な予感がする。

 みんなは、無事に帰って来るだろうか。

 真改は、無茶なことをしないだろうか。

 そんな心配は勿論ある。だが、何よりも――

 

 ――次に会った時。真改は、自分の知る真改でなくなっているような、気がして――

 

「……そんなこと、ないよね〜……」

 

 様子のおかしかった真改。

 本音が知らない、真改の悲しみ。

 今日の真改は、怖かった。

 

 まるでなにかに……いや、自分自身に怒っているようで。抑えようとしてはいたようだが、本音には隠しきれていなかった。

 それだけの強い怒りは、真改を変えてしまうのではないか。

 

「…………」

 

 思い出すのは、先月のこと。

 ラウラがまだ真改を敵視し、戦いを挑んだ時のこと。

 ラウラに投げ飛ばされた本音を庇い、しかしその本音ごとラウラが真改を撃とうとした時のこと。

 

 ――真改が、あのラウラの動きを止めるほどの殺気を放った時のこと。

 

 あの時、本音は真改に抱えられていたのだ。当然、真改の顔を見ていた。

 

 ほんの一瞬だったけれど。

 

 その、殺意一色に染め上げられた顔を。

 

「…………」

 

 あれが真改の本性だとは思わない。不器用だけど優しくて、素っ気ないけどお世話焼きで、鈍ちんだけどお節介。それが本音の知る、本音が信じる井上真改だった。

 

 けれどあの、殺気の塊のような姿も、真改の一面であることも確かだった。

 

「……帰って、来てね……」

 

 無事に、帰って来て欲しい。

 命だけでなく、心も無事なままで。

 

 またあの、無表情の下に優しさを隠した顔を見たかった。

 

「……帰って、来るよね……?」

 

 友達の涙も、怒った顔も、悲しそうな顔も、傷付いた姿も、見たくはなかった。

 

 だから、どうか無事に帰って来て欲しい。

 

 膝を抱えて、浴衣の裾を強く握り締めて、気を抜けば零れてしまいそうな涙を必死にこらえて、ただそれだけを祈り続ける。

 

 ――そうしていないと、正体の分からない不安に押し潰されてしまいそうだった。

 

「……いのっち……!」

 

 縋るような、弱々しいその声を。

 

 聴く者は、誰もいなかった。

 

 

 

 




 事件解決のため出動する専用機持ち一同。その中には、深い苦悩を抱える真改の姿があった。

 戦いに臨む彼女の力になるべく、送られて来る装備と通信。
 軍レベルの回線封鎖もなんのその、仮の社員を守るため、世界の平和のため、なにより自分の楽しみのため、あの男が立ち上がる。

「やあやあ井上君、今度の装備はちょっとスゴいよっ!!」

 ――次回っ!! 「天災vs変態」!! お楽しみにっ!!



 ……あれ? シリアスにならない気が……

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