私、やってみました。CUBEを想像してプレイしました。するといくつめかの質問で、
機体のある部分から光が逆流する?
腹筋にコジマパンチが直撃しました。通勤電車の中で危うく爆笑するところでした。
昔のことを思い出した。
私たち姉妹が、まだ小さくて。
お姉ちゃんが、楯無ではなかった頃を。
ある日、私は泣いていた。大きな庭の隅っこで、小さな声で泣いていた。
ひっく。ひっく。
子供なんだから、もっと大きな声で泣き喚けばいいのに。まだ、それが許される歳なのに。
強い子だったわけじゃない。意地を張ってたわけでもない。ただ私は、良い子でいたかった。手の掛からない子でいたかった。だから一生懸命、声を殺して泣いていた。
泣いているところを、誰にも見つからないように。
心の奥では、誰かに見つけて欲しいのに。
どうしたのって、声を掛けて欲しいのに。
助けて、欲しいのに。
ひっく。ひっく。
庭を美しく彩る木々に隠れて、私は泣いていた。
見つけて欲しいのに、隠れていた。
隠れているのに、見つけて欲しかった。
きっと私は、自分でも気付かないうちに、演じていたんだ。誰にも迷惑をかけまいと、健気に耐える女の子を。
――どうしたの?
そんな時、望んでいた声をかけられた。振り向くと、そこには予想していた通りの人が居た。
――どうしたの? 簪ちゃん。なにかあったの?
問われて、私は目の前にある木を見上げて、その枝の一本を指差す。
そこには、青い風船が引っかかっていた。前日のお祭りで買ってもらった、大きな風船。それを持って庭で遊んでいたら、うっかり紐を離してしまったのだ。
そのまま飛んで行ってしまえば、諦められたかもしれない。けれど枝に引っかかり、手は届かないが目の前にあるという、中途半端な状況になってしまった。
諦めることもできず、かといって自力で取りに行くこともできない。だから、誰かの助けを求めていた。
たかが風船。単に子供特有の執着心が向いているだけで、本当に大切な物なんかじゃないのに。
それでも。泣いている私を見て、お姉ちゃんは笑顔で頷き、躊躇いもなくこう言った。
――大丈夫だよ、簪ちゃん。お姉ちゃんが、取ってきてあげるから。
え、と驚き、危ないよ、と言う間もなく。お姉ちゃんは木に飛びつき、登り始めた。木は立派な老木で、幹は太く幼い子供が登るには厳しい。でもお姉ちゃんは、一生懸命木にしがみついて登って行く。
数分して、ついに目的の枝に辿り着いた。細い枝に両手を着いて慎重に渡り、先端に引っかかった風船の紐を掴む。
――ほら、簪ちゃん! やったよ、取れたよ!
まるでそれが、宝物であるかのように。お姉ちゃんは風船を掲げて、満面の笑顔を私に向けてくれた。その姿は、幼い私にとって、まさにヒーローだった。
私が困っている時、泣いている時、いつも真っ先に駆け付けてくれる。私が我が儘を言う前に、全部察して助けてくれる。まさに、正義のヒーローそのものだった。
ありがとう、お姉ちゃん。
泣き顔を笑顔に変えて、お姉ちゃんにお礼を言う。するとお姉ちゃんは、私よりも嬉しそうな顔になって、大きく頷いた。
その時だった。
お姉ちゃんの乗る枝が、乾いた音を立てて折れたのは。
――――――――――
「…………」
過去を見ていた意識が、現在に戻る。
結局お姉ちゃんは、後遺症や傷痕の残るような怪我はしなかったけれど。それは運が良かったからで、一歩間違えれば死んでいたっておかしくなかった。
今思えば。あの日を境に、私たち姉妹の関係は、何かが狂い始めた。お姉ちゃんは今まで以上に私を守ろうとし、私は守られることを苦痛に感じつつ、甘えていた。
「……お姉ちゃん……」
ずっと、守られてきた。そんな自覚もなく、鬱陶しいと感じることさえあった。お姉ちゃんが楯無になると聞いて、ほっとした。ああ、これで自分が、この家を継ぐ必要はないんだ、と。お姉ちゃんが家のことで忙しくなれば、私に構うことも少なくなるだろう、と。
「……今まで、ごめんなさい……」
ずっと、ずっと守られてきた。私はそれを受け入れて、自分で戦うことをしてこなかった。そのクセいざ困難にぶつかれば、自分に抗う力がないことを、お姉ちゃんの過保護のせいにした。
――もう今日限り、全部終わりにする。
「……これからも、ごめんね」
私たちは、姉妹なんだ。更識の歴史だとかお役目だとか、お姉ちゃんが当主で楯無だとか、そんなことはただの言い訳。
私たちは、姉妹なんだから。お互い言いたいことを言って、やりたいことをやって、我が儘を言ってだだをこねて、時にはケンカもして。
そんな、普通の姉妹らしくすればいいんだ。
「……私、もう」
だから、まず最初に。
今まで一度も、やったことがないことをしよう。
お互いの気持ちを知るために。お互いの想いを伝え合うために。
くだらないしがらみや張ってしまった意地を全部リセットして、仕切り直すために。
「今日で……良い子、やめるから」
馬鹿みたいに。子供みたいに。
一生懸命の、姉妹喧嘩をしよう。
「行けるか? 簪さん」
「……うん。大丈夫」
大きな声で喚き散らそう。腕を振り回して暴れよう。何も考えず、ただ心のままに。
更識簪の何もかもを、一つ残らずぶつければ。
きっと、届くと思うから。
きっとまた、笑い合えると思うから。
「……行くよ、お姉ちゃん」
今日が私の、初めての公式戦。けれど自分でも予想外に、あまり緊張はしていない。
横を見ると、隣に立つ織斑くんの顔が鋭く引き締められ、精悍になっている。きっと私も、似たような感じなんだろう。
ああ、そうか。
これが、「気合いが入る」ってことなんだ。
「絶対に、負けないから――!」
――――――――――
良い姉になろうと思った。自慢の姉になろうと思った。
だから、なんでも頑張った。勉強でも運動でも、誰より一生懸命に取り組んで、誰よりも良い結果を出した。それがさも当然であるかのように、余裕を演じて、飄々と振る舞った。
喜んでもらいたくて、料理を練習した。教えてあげられるように、いくつも習い事をこなした。キレイだと言ってくれたから、もっとキレイになろうと自分を磨いた。
そうやって、ずっとずっと積み重ねてきた。気が付けば、色々な人が認めてくれて、国家が評価してくれて、世界に挑む権利まで与えてくれた。
そして、気が付けば。
望んでいた場所は、とっくに通り過ぎてしまっていた。
ある時最愛の妹は、私を恐ろしい怪物のように見ていた。
私は結局、ずっと先の未来を見据えているつもりで。
足下すら、見えていなかった。
……でも。
でも、まだ手遅れじゃない。まだ、やり直せる。
私は、まだ。
諦めていない。
「はぁーい、箒ちゃん。調子はどう?」
「万全です。今この瞬間からでも戦えます」
「頼もしいわね。これじゃあ私がすることはないかな?」
「何を言っているんですか。相手はいずれも強敵ばかり、楯無さんの力がなければとても勝ち残れません」
「……そっか。それじゃ、私も頑張らないとね」
ようやく手繰り寄せたチャンス。私を慕ってくれる後輩たちを騙すようなことまでして、ここまで来た。
箒ちゃんは気合い十分。自分が決勝まで行くこと、一夏くんたちが決勝まで来ることを微塵も疑っていない、闘志溢れる眼をしている。簪ちゃんは……本音ちゃんから聞いたところによると、緊張してはいなさそうだけど。
……いえ、本音ちゃんがそう言うんだもの。きっとそうなんだろう。
(うーん……そうなると……)
もしかしたら。
このタッグマッチの出場者で一番緊張してるの、私かもしれない。開会式で挨拶しなくちゃいけないのに……噛んだらどうしよう。
……あれ? そんなこと考えてたら、余計に緊張してきたような?
(あちゃー……こんなに緊張するの、久しぶりだわ。えーと、どうやって鎮めればいいんだっけ……?)
心拍数が上がっているのが自分でもわかる。だって鼓動が聞こえるくらい、速く大きくなっているんだもの。
視界が少しずつ暗く狭まり、音が遠ざかって行く。うーん、マズい。このままじゃ満足に戦えない。
まいったなあ。今回ばかりは、途中で負けられないんだけど。
「楯無さん」
「ん? なあに、箒ちゃん?」
「そういう時は、手の平に人と三回書いて飲み込めばいいんですよ」
「…………」
……あれ。見抜かれてる? 箒ちゃんの勘が鋭いのか、誰が見てもわかるくらい、顔に出ていたのか。
まあ、どっちにしても。
「……ぷ。あははははは!」
「ど、どうしました?」
「いえ、なんでもないっ……あはははは!」
「???」
必死に平気なフリをしていたのが馬鹿らしくなってしまった。
ちょっと冷静になって考えてみれば当然だ。これから姉妹喧嘩をしに行こうっていう時にまで、取り繕わなくてもいいじゃない。
「ふふふっ……ありがとう、箒ちゃん」
「は、はぁ……どういたしまして……?」
そう。今日の私は、ロシアの国家代表としてでも、IS学園の生徒会長としてでも、更識家当主、更識楯無としてでもなく。
簪ちゃんのお姉ちゃんとして、戦うんだ。
(うんうん、何事も考え過ぎはよくないわよね)
すぅっ、と、鼓動が鎮まっていく。箒ちゃんの不器用な気遣いのおかげで、緊張が解かれていく。
手の平に人、か。せっかくだし――
「それじゃ、箒ちゃん。書いて?」
「は!? いや、それくらい自分で――」
「ええー、けちぃー。一夏くんには二つ返事でやってあげるクセにぃー」
「そそそしょ、そんなことはしませんっ!!」
「え? ああそうね、ごめんなさい。書いてもらう方が――」
「だぁぁぁぁかぁぁぁぁらぁぁぁぁっ!!」
顔を真っ赤にして、恥ずかしがっているのか怒っているのか。素直なのか、それとも素直じゃないのか。
そんな箒ちゃんの様子は、本人は気付いてないかもしれないけど、とても楽しそうで。見ていると、力が湧いてくる。元気を分けてもらえる。
「ああ、もうっ! 楯無さん、開会式で挨拶をするのでしょう!? そろそろ行かないと間に合いませんよ!」
「あら、本当だ。それじゃ、箒ちゃん。式が終わったら、先にピットで待っててね」
「分かっています。まったく……」
膨れっ面で怒る箒ちゃんが可愛くて、もうちょっと弄くりたいところだけど。本当にそろそろ行かないとマズいので、箒ちゃんと分かれる。
開会式での挨拶。それで今日の、生徒会長としての役目はお終い。閉会式もあるけれど、そんなのは後で考えればいい。
さあ、行こう。人生初の姉妹喧嘩、その開始を告げに。
――――――――――
「――では、挨拶はこんなところで。早速対戦表を発表します! じゃじゃーん!」
楯無がバッ、と扇子を振り上げると、背後に巨大な空間投影ディスプレイが表示される。出場するペアは五組にぼっち一人なので、トーナメント表を全て確認するのに、それほど時間は掛からない。
特に、注目の二チームの名は誰もが一目で発見した。
「一回戦、第一試合……織斑一夏&更識簪vs篠ノ之箒&更識楯無……!?」
「う、うおおおおお!? いきなりの姉妹対決!? これは燃えるっ!!」
どこかから雄叫びのような歓声が聞こえたりしてくる中、その当事者の四人は全く同じことを考えていた。
――空気読めよ。
(い、一回戦第一試合で、本命と当たるとか……なんか前もこんなことあった気がするぞ……本当に、ランダムセレクトなんだろうな? 中に根性ひん曲がった人とか入ってないよな?)
(しょ、初戦からなんて……お姉ちゃんと戦うために、決勝まで行こうと思ってたのに……なんだか、せっかくの気合いが空回りする感じ……た、確かに、確実にお姉ちゃんと戦えるのは、良いかも……しれないけど……)
(ええい、よもや初戦で当たるとはっ! こ、これでは、決勝で会おうなんて思っていた私が馬鹿みたいではないか。いや、実際には言ってないからセーフ……ああそう言えば似たようなこと楯無さんに言ってしまってる!?)
(ちょ、ちょっとぉ~……確かに数は少ないから、こうなる可能性はそれなりにあったけど。でもまさか本当に来るだなんて思わないでしょ? ああもう、たっちゃんの今日の運勢は、あんまり良くなさそうね)
四人が四人、顔を引き攣らせながらトーナメント表を眺める。そんな心中を知らず、会場は早くも盛り上がっていた。
「ねえねえ、どっちが勝つと思う?」
「そりゃ会長でしょ。なんせ学園最強、実績が違うわよ実績が」
「でもでも~、織斑くんの零落白夜って、当てれば倒せるんでしょ? 案外あっさり勝っちゃったりするんじゃないかなぁ」
「まさかぁ、そんな簡単に当たるわけないじゃん。会長はもちろん、篠ノ之さんだって剣道部のエースだし、機体はあの束博士のお手製よ?」
「うーん、確かにそうなんだけど……私としては、会長の妹さんが気になるかな。今まで試合に出てないから、性能も実力も未知数だし」
わいわい。がやがや。
騒ぎつつ、トーナメント表の残る組み合わせも確認していく生徒たち。
一回戦第二試合は、凰鈴音&セシリア・オルコットvsシャルロット・デュノア&ラウラ・ボーデヴィッヒ。二年生のフォルテ・サファイアと三年生のダリル・ケイシーのタッグは第一試合側のシード、一回戦の敗者と井上真改の即席タッグは第二試合側のシードだ。
真改のパートナーが空欄になっているのを見て、織斑千冬は席を立った。まさか生徒や来賓が大勢居るこの場所で笑い転げるわけにはいかないからだ。内心では必死に笑いを堪えていながら、表面上は誰が見ても真顔そのもの。鋼の自制心の為せる技であった。
「そ……それでは、選手の皆さんは、それぞれのピットへ移動してください! 試合開始は三十分後、全力を出し切れるよう、しっかりウォーミングアップをすること! 解散!」
なんとか正気を取り戻した楯無の合図で、生徒たちは一斉に移動する。来賓――各国の政府や軍関係者、IS関連企業の者たちも、目当てとなる者の試合がどのアリーナで行われるのかをチェックし、素早く移動を始めた。
――――――――――
「…………」
第三アリーナのBピット。そこが今回、真改の控え室に設定された部屋であった。
「…………」
普段は機体の調整やら意見交換やらをする生徒たちで姦しいこの場所も、一人しか居ないのでは、しかもその一人が真改とあっては静かなものだ。何度も訪れている筈なのに、こうも様子が違うのではまるで見知らぬ場所であるかのように錯覚する。
そんな小さなことですら、緊張を呼ぶ要因となり。
そして真改にとって、緊張とは精神を研ぎ澄ませ力を高めるものである。戦闘に限ってのことではあるが。
「……く……」
心臓が一つ鼓動するたび、大きく早くなっていく。
それはまさに、自身を鼓舞する戦太鼓だ。この音が途切れぬ限り、己はいつまでも戦い続けるだろう――
「……く、く……」
――ああ、全く。己の「病気」も、随分悪化したようだ。
そんなことを思いながら、真改は笑みを浮かべる。もし今ここに一夏たちが居れば、冷や汗を流しつつ苦笑を浮かべるだろう。
そんな、まだ自分のパートナーが決まってもいないのに既に気合いMAXな真改であった。
が。その気合いに水を差すように、プシュー、と気の抜けた音が鳴る。ピットの入口が開いた音である。
……本来ならば一夏が密かに感動するような機械的な重低音が鳴る筈なのだが、ある少女が開ける時だけこのような音になる。IS学園七不思議の一つと言える怪奇現象だ。
「あろ~。本音ちゃんで~すよ~」
「…………」
せっかく高めた気分を急降下させられ、真改は微妙な顔をした。ピットは関係者以外――つまりはこの大会において機体の整備担当を依頼された生徒以外は入れないのだが。
思い出してみれば、真改はその整備担当を、本音に依頼していたのであった。
「お~っす、いのっち~。本音ちゃんのお出ましだ~い」
「………………」
真改が微妙な顔をしたのは、本音のテンションが真改のそれと真逆であったからだけではなく。お前こんなところで何やってんだ、と思ったからでもあった。
「…………」
「んん~? だいじょぶだいじょぶ~、へーきへーき~」
「…………」
幼なじみは放っておいていいのか。お前の助けを必要としているのではないのか。
無言の問いかけに、本音は笑顔で答える。
「…………」
「まあ~、かんちゃんにはおりむーがついてるし~。私はむしろお邪魔虫なんだよね~」
「…………」
簪は初めての戦闘だ、お前が傍に居てやれば心強いのではないか。
暗に、自分を心配しているのならそれは無用だ、ということだったが、そう返されては何も言えない。真改は黙って、本音の心遣いを受け入れることにした。
「それに~、もともとかんちゃんは整備とか得意だったし~。整備課のおねーさんたちも、おりむーのおかげで協力的だし~。私は居なくても平気なんだよね~」
「…………」
そして自分が必要とされなくなることを、こんなにも嬉しそうに語る本音を、真改は心から尊敬していた。
絶対に顔には出さないが。
「…………」
「ん。で、いのっち~。朧月、だいじょぶ~? どこか悪いとこない~?」
「…………」
「ふむふむ~、さすが社長作ですな~。よきかなよきかな~」
「……………………」
本音の問いに首を振って答える真改に、本音は満足そうに頷く。それに対し真改は、やはり微妙な顔をした。
機体の製作だけでなく、整備の技術も申し分ないのだが。
それでもあの会社は、手放しに信頼してはいけない気がする。
「あ、そういえばね~。優勝タッグだけど~、いのっちとかんちゃんに賭けたよ~」
突然、本音が懐から紙切れを二枚取り出し、両手に持ってヒラヒラと振る。今回の大会では優勝タッグを予想し食券を賭ける賭博が生徒会主催教師公認で行われるのだが、その券のようだ。真改の並外れた動体視力は、揺れる紙の片方に自分の名前が記されているのを確認した。
「……倍率は……?」
「えっとね~、いのっちが一番下~。んで、次がかんちゃんとおりむー」
「……く……」
パートナーが決まっていないという状況は、やはり誰の目にも相当な不利と映るようだ。それは紛れもない事実であり、真改としても大穴が優勝するという展開は嫌いではないので、むしろ喜ばしいことのようだが。
「すごいよ~、どっちが当たっても今年はウハウハだよ~。遊んで暮らせるよ~」
「…………」
万馬券とはいかないまでも、かなりの高配当だ。しかも結構な枚数を買っている。本音はギャンブルをやってはいけないタイプだと、真改は確信した。
本来ならば友人として苦言を呈さなければならないところだが、今回ばかりは黙認する。なにせその券は、当たる可能性が大いにあるのだから。
「……取り分……」
「んん~? ええっとね~、そーだね~。いのっちのご飯に、毎日三食とも、一品おかずが追加されます~」
「……乗った……」
こういった遣り取りも、楽しいものだ。そして緊張とはまた違う形で、自分を高めてくれる。勝利に対し報酬が与えられるとなれば、一層気合いが入るのは当然だ。
「ふっふっふ~。食堂のスイーツコンプ、前からやりたかったんだよね~。夢が叶う~♪」
「…………」
あのラインナップを全部食うのか……。
メニュー表一冊を埋め尽くす大量のスイーツ群を思い出し、真改は胸焼けしそうな気分になった。ちなみに、真改が好きなのは鮭を初めとする焼き魚である。甘味一色になりかけた思考を数々の新鮮な魚介類に置き換えることでどうにか正気を保ち、戦意を維持する。
助太刀に来たのか邪魔しに来たのかよく分からない本音に、真改は苦笑を浮かべた。だが、このマイペースさが、真改に思い出させてくれる。己が戦い以外のことも楽しめる、人間なのだと。
(……まったく……)
長く戦い続けた真改にも初めての、不思議な感覚だった。
闘志は十分に漲っている。なのに心は穏やかなまま、微かな乱れもない。今ならば、かつてないほどの剣を振るうことが出来るだろう。
「いのっち、楽しそうだね~」
「…………」
その言葉を、犬歯を剥き出して笑うことで肯定する。闘争の喜びだけは隠すつもりが全くない真改に、今度は本音が苦笑を浮かべた。
その時である。
どこか遠くで轟音が鳴り響き。アリーナが――否、学園全体が、凄まじい衝撃に揺れたのは。
「きゃっ……!?」
「っ!」
バランスを崩した本音を咄嗟に支えた直後、ピット内の照明が消え、瞬時に赤色に照らし出される。非常事態を素早く、明確に伝えるための警報。
赤く染め上げられた部屋と、真改の直感。その二つが導き出す答はただ一つ。
――敵だ。
「い……いのっち……」
「…………」
不安げに見上げてくる本音に、首を横に振って答える。
本音は否定して欲しかったのだろうが、真改には事の重大さを誤魔化すことは出来なかった。
今、IS学園は。
襲撃を受けているのだ。
「ど、どうしよう……?」
「…………」
困惑する本音とは対照的に、真改は、素早く思考を切り換える。
闘争の為の、灼熱の思考から。
殺し合いの為の、絶対零度の思考に。
その変わりように、本音は悲しくなる。真改があんなにも楽しみにしていた勝負が潰され、穢らわしいモノに置き換えられてしまった。
「……………っ」
「……?」
だが。
布仏本音は、それで心折れるほど弱くはない。状況が変わってしまったのなら、それに併せて対応を変えるだけだ。
「わ、私……観客の人、の……避難とか~、手伝ってくるから……いのっちも、頑張ってね~」
「……応……」
その精一杯の強がりを、やせ我慢を、真改は見て見ぬふりをする。
本音が真改を知るように、真改も本音を知っているのだ。本音は真改のようには戦えないから、他の友人たちのようには戦えないから、支える道を選んだ。
井上真改が、いついかなる時も、全力で戦えるように。
「……うん。でも……無理は、しないでね~」
「……承知……」
「それじゃ……やくそく~」
本音は小指を立てた右手を持ち上げ、真改に差し出した。一瞬きょとんとした真改も、すぐに意図を察して右手を出す。
本音は嬉しそうに笑いながら、お互いの小指を絡めた。
「ゆ~びき~りげ~んま~んう~そつ~いた~らは~りせんぼ~んの~ます~」
「…………」
「ゆ~び、」
「切った……」
「!」
流石の本音も、まさか真改が応えてくれるとは思っていなかった。驚く本音の顔を見て、真改はしてやったり、という笑みを浮かべる。
「……てひひ~」
「…………」
僅かに残っていた不安も拭われた。真改は勝負を邪魔されたことで怒ってはいるが、冷静だ。必ず無事に帰って来る。
後は本音が、自らの役目を果たすだけだ。
「それでは~、布仏本音と、井上真改~」
「……出撃する……」
二人並んで、ピットを出る。途端に、悲鳴や怒号が耳に届いた。観客席はかなりの混乱に陥っているようだ、例え直接の攻撃を受けなくても、怪我人が出る可能性は高い。
ピットに続く廊下、分厚い壁に囲まれたこの場所にすらこうも明確に伝わるのだ。観客席や出口周辺は、最早理性の入り込む余地などないだろう。
それでも、やるのだ。出来ることを精一杯に。それが、本音の決めたことだから。
「…………」
「……うん」
目を閉じて、深呼吸。その数秒で覚悟を決め、目を開ける。その本音の姿を見て一つ頷き、真改は朧月を展開、廊下を一気に飛び抜けて行った。
見送った本音は十六夜を展開し、走り出す。生徒会役員として、被害を最小限に食い止めるために。
――――――――――
『……始まったようね』
「ん」
突然の襲撃を受け、各アリーナが黒煙を上げるIS学園。その上空、青い空にぽつんと一つ、黒い影が浮かんでいる。
『初陣だけど……大丈夫? 緊張してない?』
「平気」
『そう、良かった。まあ、あなたには訳ない任務だけど、気をつけて』
「了解」
影は、黒い装甲を身に纏った少女だった。整った顔には表情がなく、はっきりと発音される声には抑揚がない。
人として何かが足りていない、機械的な少女だった。
『無事帰還することが最優先よ。もし危ないと思ったら、迷わず、指示を待たずに逃げなさい。重要な任務ではあるけれど、あなたの身には代えられないのだから』
「ん。気をつける」
『よろしい。それじゃあ、行ってらっしゃい』
「ん」
少女は最後に作戦目標を見直し、自身の認識に誤りがないことを確認する。それを終え、一つ頷き。
「〔
獲物に襲い掛かる、隼の如く。
IS学園へ向けて、一直線に落ちて行った。
次回からようやくバトルです。長かった……