ゼロの少女と食べる男 作:零牙
半年以上も更新せず申し訳ありませんでした。
春から夏と秋を飛ばして既に冬……
『月1詐欺』というより最早『季1詐欺』でしょうか……
皆さんに忘れ去られてないと良いんですが……
「――そしたらボルトさん、そんな身動きも取れない状態なのにこう言ったんです。 ――『勝敗は最後の最後まで分からない』」
『おぉ~!』
厨房にどよめきが満ちる。
時刻は昼食から半時程経過している。
あと一時程でそろそろ夕食の仕込み等を始めなければならない。
本来ならば空いた時間を思い思いに過ごすコックやメイド達が、今日は厨房に詰め掛けている。
――椅子に座る者、壁に寄り掛かる者。
――飲み物を手にする者、軽食を取る者。
一様にリラックスしつつも軽く興奮しながら注目しているのは、ここトリステインでは珍しい黒髪の少女。
近年希に見る一大騒動となった、『貴族対平民の決闘』。
その騒動の中心人物の1人であり決闘を目撃した唯一の平民――『シエスタ』。
彼女は今厨房の一角で空の木箱の上に立ち、事のあらましから決闘の流れを語っている。
余談だが彼女の語りは今まで2度中断されている。
ボルトの勝利を伝えた直後に請われて決闘の話を話し始めたが、そこへ食堂のテーブルの片付けを終えたメイド達が戻ってきた。
そこでもう一度始めから話し始めたのだが、暫くすると他の場所で仕事をしていた平民が噂を聞きつけ厨房に押し掛けた。
恐らく魔法学院で働く平民の殆どがこの厨房にいると言っても過言ではないだろう。
残念ながら衛兵等どうしても抜けられない者達は涙を呑んだが。
「――そのゴーレムが突き出したレイピアを蹴ったんですが、逸れただけでボルトさんの顔にそのレイピアが向かって……」
本来は料理に使用するのであろう木製の串を手にしたシエスタは、その切先を自分の顔に向ける。
「えぇ!?」
「おいおい……」
何度目か分からないどよめき。
それが静まり皆の視線が集まるのを待ち、シエスタは続ける。
「その向かってくるレイピアをボルトさんはこうしたんです……!」
そして一拍置いて、ゆっくりと近付く串を大口を開けて――咥えた。
「おぉ!」
「えぇ……」
「そりゃあ無理だろう!」
「シエスタァ~? 別に脚色する事ないのよ?」
「ほ、本当ですよぉ!」
驚きと疑念の声の中、シエスタは大声で真実だと訴える。
以降ボルトの反撃――皿、巨大な板、窓に関しては同様の遣り取りが繰り返された。
そしてナイフを使っての攻撃、これをシエスタは態々用意していたナイフを使って演じた。
もちろん細かい軌跡は記憶してはいなかったので詳細は適当だったが、しかし聴衆は歓声を上げる。
「――そして最後のゴーレムのナイフで弾いて、相手の首筋にこう……!」
――『平民が貴族に決闘で勝った決定的瞬間』。
その再現を目にした瞬間、厨房が拍手喝采で満たされる。
あちこちでグラスやコップがやや強めに高い音を立ててぶつかり、その衝撃で中身が持ち手に降りかかるが誰もそんな些事は気にもしない。
そんな喧騒の中、シエスタは申し訳なさそうに零す。
「本当はこの時、降参した貴族の方が何かおっしゃってたんですが……」
離れた場所で呟かれた言葉。
シエスタにはよく聞き取れなかったのだ。
だが思わぬ所から解答が得られる。
「――『
食堂に通じる入り口から聞こえたその声を耳にした途端、シエスタの顔が一気に青ざめる。
全身が震えだし膝から崩れ落ちそうにもなっていた。
そのシエスタのただならぬ様子に厨房中の人間が振り向き、そして息を飲んだ。
それもその筈、つい今し方まで『ボルトに負けた貴族』として散々話のネタにしていたその本人が立っていたのだ。
「シエスタ――だったかな、良かった。 少し前に厨房に向かったと聞いて、もう居ないかもと思っていたから」
そう言いながら金髪の貴族の少年――ギーシュが無造作に足を前に進めた瞬間、その場に居た全員が動いた。
男達はギーシュの行く手を阻む壁のように横に並ぶ。
女達はシエスタを隠すようにその周囲に立つ。
そしてマルトーは無言で踏み出しギーシュと対峙する。
「……これはこれは、貴族様が厨房なんぞに何か御用ですかい?」
怒りと少しの恐れが篭もった低い声に、ギーシュは苦笑しながら答える。
「……君達が考えているような事は一切しないよ。 そこのシエスタと少し話したいだけだ」
「……」
それでも変わらない態度のマルトーに、ギーシュは懐から薔薇を模した杖を取り出す。
「っ!?」
一瞬身構えるマルトーに杖が向けられた。
――その持ち手をマルトーの前にして。
「その証拠に杖は預けるよ。 そして『彼女に一切危害は加えない』と始祖ブリミルと女王陛下に誓おう!」
2、3度手にした杖とギーシュの顔とで視線を往復させた後、マルトーは硬い表情のまま杖を握り締めそれでも道を譲る。
それを見て男達も決してギーシュから視線を外さないまま左右に分かれて道を開ける。
女達も心配そうな表情のままそれでもゆっくりとシエスタの背後へと移動する。
そして血の気を失って怯え、木箱から降りる事すら忘れてしまったシエスタの前に立つ。
厨房中の視線を浴びながら、軽く深呼吸をした後にギーシュは予定通り行動に移る。
――そしてその場に居合わせた者は、『
ACT-19 名前
「――へぇ、ギーシュの奴ちゃんと謝ったんだ……」
厨房裏の中庭に幾つか用意してあるテーブル。
そこでシエスタの淹れてくれたお茶を飲みながら呟くルイズ。
「はい、始めは私もびっくりしちゃって暫くおろおろしちゃったんですけど……その間もその後も、私が謝罪を受け入れるまでずっと頭を下げられたままだったんですよ」
「ふーん……そう、少しは見直したわ」
そうは言うがルイズからしてみればマイナスが多少ゼロに近付いたにすぎないが。
「そうね。 人前で謝罪するなんて、貴族は滅多にやらないからそこは素直に感心しても良いと思うわ」
隣に座るキュルケもカップを片手に同意する。
そんなキュルケをルイズは横目で睨む。
「……そうよね、他人を散々馬鹿にしておいて謝罪もしない人間も居るんだし……」
「ふ~ん……でも何度も授業で爆発を起こして、謝罪どころか非を認めない人間もいるみたいよ?」
「くっ……」
澄ました表情で返すキュルケとは対照的に苦々しく顔を歪める。
そんな2人に苦笑しながら、シエスタはキュルケの隣の少女に声を掛ける。
「ミス・タバサ、お茶のおかわりはいかがですか?」
「ん……お願い」
本を読みながらカップを差し出すタバサ。
それを受け取りながらシエスタは隣のテーブルにも声を掛ける。
「ボルトさんはいかがですか?」
「……頼む」
1人テーブルに座るボルトから、嬉しそうにカップを受け取るシエスタ。
ボルトだけが違うテーブルなのには理由があった。
当初ボルトもルイズ達と同じテーブルに着こうとした。
「あんたみたいに図体でかいのが座ったらテーブルが狭くなるじゃない! 向こうに移りなさいよ!」
本来なら1人もしくは2人がお茶を飲むくらいが目的の小さな円形のテーブル。
ルイズとタバサが小柄なのを考慮しても3人は確かに手狭だ。
さらにボルトが同席するのは無理がある。
隣のルイズが追い払ったのは自然な流れだ。
ボルトは特に不平不満は口にせず席を移動した。
「あ、ボルトさん、今夜お時間はございますか?」
新しく淹れたお茶を差し出しながらシエスタがボルトに尋ねる。
「えぇっ!?」
「えっ♪」
「……」
シエスタの唐突な発言に、ルイズは驚いて、そしてキュルケは何故か楽しそうに声を上げる。
タバサも手元の本から顔を上げシエスタに視線を移す。
「……えぇ!? いや、違いますよ!? そういう意味ではありませんよ!?」
そんな彼女達の反応に自分の言葉がどう勘違いされたか悟り、シエスタは慌てて否定する。
「マルトーさんがボルトさんの祝勝会を開きたいので、是非顔を出して欲しいとの事だそうです」
『なんだ……』
ルイズの安堵の声とキュルケの落胆の声が重なる。
「『夜の賄いを賄いと思えない程豪華にするぜ!』って張り切ってました! ……あ、ボルトさんには取って置きのお酒をご馳走するとも」
「ほぅ……」
お茶菓子代わりにボルトのテーブルに転がっているネジを見ながらのシエスタの言葉に、ボルトは笑みを浮かべる。
そして隣のテーブルのルイズに視線を移す。
「……」
「……な、何よ急にこっち見て」
意味ありげなボルトの視線に、ルイズがうろたえる。
「……一応『ゴシュジンサマ』の許可を貰おうと思ってな」
「……いちいち気に障る言い方しないでよね。 ――別に構わないわよ、わたしも予定はないから頼みたい事もないし……」
「――だそうだ」
「良かった! ありがとうございます! じゃあ夕食の時間に厨房に――」
嬉しそうに話すシエスタの背後で呟く声と興味深げな表情。
先の言葉に興味を持ったのはボルトだけではなかった。
「ふ~ん、『取って置き』ねぇ……」
「……豪華」
キュルケとタバサがお互いに顔を見合わせ、その後2人してシエスタの方へ身を乗り出す。
「……ねぇシエスタ。 その祝勝会に私達も参加させてもらえないかしら?」
「――えぇっと、それは……」
貴族の言葉は多少の無茶でも応えるシエスタでも、これには思わず言いよどむ。
平民が日頃抱える鬱憤の大部分は貴族が原因である。
そんな溜まりに溜まった鬱憤の解消に今回の『祝勝会』程最適な物は無い。
貴族に対する不平不満が愚痴や悪口等となって吐き出されるだろう。
だがそんな場に貴族が居れば鬱憤の解消どころか溜まる一方だ。
「私達は、無理矢理押し掛けた祝勝会で無礼だ不敬だなんて言葉を口にする程野暮じゃないわよ?」
「……」
苦笑しながら続けるキュルケの隣でタバサも無言で肯定する。
「こんな言い方は貴族の私が言うのは卑怯かもしれないけど――」
乗り出していた体を戻し再び椅子に腰を下ろす。
そして微笑みながら軽く見上げるようにして、困惑の表情のシエスタに続ける。
「――ボルトを応援した同じ『仲間』じゃない。 私達も彼の勝利をお祝いしたいのよ」
「――その言い方は確かに卑怯ですね……」
シエスタは困惑の表情のまま、しかし嬉しそうに溜め息を漏らす。
「……分かりました、マルトーさんにお願いしてみます」
「十分よ。 ありがとう!」
「……ありがとう」
「わっ、わたしも行くわよ!」
忘れられては困ると、1人蚊帳の外だったルイズが慌てて割って入る。
「……今日はダエグの日。 大丈夫?」
そろそろお茶会も終わろうという時。
タバサが何かに気付き、シエスタに尋ねる。
「あぁっ!? そう言えば……」
「忘れてた。 厨房は忙しいんじゃない?」
ルイズとキュルケも慌ててシエスタに確認する。
『ダエグ』とは、1週間を構成する8つの曜日の内の呼び方の1つ。
タバサの心配は『ダエグ』の翌日が『虚無』だという事。
ハルケギニアでは『虚無の日』は休日であり、ここトリステイン魔法学院でも授業はない。
街に行く為に通常より早く起きたり、ゆっくり昼近くまで寝ている生徒もいる。
その為朝食・昼食は時間を定めずに、食べたい者だけが好きな時間に食堂で予め用意された軽食を取るようになっている。
その反面『虚無』の前日の『ダエグ』の夕食はいつもより少し豪勢だ。
何より翌日の休日の事を思い、食が進む生徒達の対応にコックやメイドは追われる事になる。
「そんな忙しい中祝勝会を催しても大丈夫なのか」というタバサの心配だった。
「――それがですね、先程先生方から『ほとんどの生徒が体調不良を訴えているので、夕食は明日と同じ方法で』とお話がありまして……」
その言葉にボルト以外の頭には、広場での惨事が浮かぶ。
「ふ~ん、アレぐらいでだらしないわね」
「ミス・ヴァリエール、アレは仕方ないと思いますよ? 初めて見た時は私も驚きましたから……」
「……まぁそれだけじゃないと思うけどね」
「……」
「ん? 何よキュルケ、何か言った?」
「別に何も。 良いんじゃない? お陰でこうやってのんびりお茶できたんだから」
――そう、本来ならば今は昼食後の授業の時間である。
ところがどの教室でもほとんどの生徒が体調不良を訴え授業どころではなくなってしまった。
結局午後の授業は全て中止、全員が自室待機となった。
しかしルイズ達は自室ではなく厨房へ足を運んだ。
ギーシュは『謝罪する』とは言ったが、やはりシエスタの安否が気になったのだ。
ボルトを伴って足早に厨房に押し掛けたルイズ達にシエスタは驚きながらも自身の無事を伝える。
安堵しつつも事の詳細を求めたルイズ達に、シエスタは話ついでに中庭でのお茶会を申し出た。
それが冒頭の内容なのだった。
「それではボルトさん、夕食の時間に! ……ミス・ツェルプストーにミス・タバサ、あまり期待しないでくださいよ?」
「大丈夫よ、駄目で元々なお願いなんだから」
「……」
キュルケの隣でタバサも無言で同意する。
その横をルイズは通り過ぎ、ボルトの座るテーブルに向かう。
ボルトの前に置かれたカップにはまだ湯気の立つお茶が残っており、テーブルの上にも5、6個のネジが転がっていた。
「ちょっと! 早く部屋に戻るわよ、一応自室待機って言われてるんだから!」
そうルイズに急かされ、ボルトはお茶を一気に飲み干す。
そして右手で散らばったネジをかき集め、纏めて口の中へ放り込む。
ボリ
ゴリ
ボリ
「……あんたのその悪食、なんとかならないの?」
最早見慣れた光景ではあるが、ルイズは渋面をつくって呟く。
「……ん~?」
そんな光景を目にして、キュルケが少し考え込む。
「……ねぇルイズ」
そんな言葉が後方から聞こえ、ルイズの体は硬直する。
キュルケがこんな問い掛けをする時、その内容はルイズに不利益・不快感を与える物がほとんどだからだ。
キュルケ本人がそうと意識するしないに関わらず。
「……なによ」
嫌な予感を抱えながらゆっくりと振り向くルイズにキュルケは真顔で問い掛ける。
「――あなた、ボルトの事名前で呼んでないの?」
キュルケの言葉を聞いて、シエスタとタバサもルイズへと視線を移す。
ルイズの返答を待つ3人分の無言の圧力にルイズは焦りながら、しかし即答できない。
――『あんたなんか……』
――『ねぇ、……』
――『この馬鹿使い魔っ!』
――『ちょっとあんた!』
――『今わたしがこいつと……』
(……あれ……呼んだ事なかったっけ……)
必死に衝撃的過ぎた昨日の出会いから思い出すが、そんな場面が浮かんでこない。
「あぁ~ほら、あの時よあの時! 決闘の時に負けそうに――と言うよりも殺されそうになった時に!」
――『ボルトォーっ!』
ボルトの首にゴーレムが持つ剣が刺さるかに見えた時。
確かにそう叫んでいた。
「そうね、確かに私達も聞いたわ。 ……ってルイズ、あなたまさかあの時だけって言うんじゃないでしょうね……?」
……心なしか3人の視線が非難じみてきた気がする。
「――そ、それにしても何か使い魔なんかに気安すぎるんじゃないの、キュルケ!?」
「あら、友人相手なら気安いのも当然でしょ?」
露骨な話題転換だったが、キュルケは心外だと言わんばかりの表情で答える。
「ゆ、友人!? そんなのいつからよ!?」
「今日の昼食前、あなたが来るちょっと前によ」
確かに2人が食堂前で話していたのを思い出す。
あっさりと即答され、慌てて矛先を変える。
「えぇ~っと、ほら! タバサもまだ呼んでないじゃない!」
「……ルイズ、ボルトは誰の使い魔なのよ……」
苦し紛れの言葉に呆れるキュルケ。
しかしそれを聞いて、隣のタバサがルイズからその後ろに座るボルトに視線を移す。
『サングラス』で見えはしないが、それでもその奥のボルトの目をしかと見据える。
「――ボルト」
そう呼びかけ、今度は側に立つシエスタに視線を移す。
自然とキュルケとルイズの視線も集まる。
「わ、私ですか!? 私は今朝からずっと名前でお呼びしてますよ!? ――ですよね、ボルトさん!」
「……あぁ」
シエスタの確認の投げ掛けにボルトの短い肯定の言葉。
そうして全員の視線が振り出しに――ルイズに戻る。
「……あの……えぇっと……あぅ……」
――明らかに自分の反応を楽しんでいるキュルケ。
――微かに非難するような冷たい視線のタバサ。
――悲しそうにそして心配そうに見守るシエスタ。
戸惑いながらも振り向いた先には座ったままのボルト。
『サングラス』付きの無表情で、考えが全く読めない。
ルイズにとって、身近な男性というのは父親を除けばたった1人。
――それは親が決めてしまった婚約者。
しかし相手は10も年上、しかも6才の時に会った以降顔を合わせた記憶はほとんどない。
ボルトを召喚してまだたったの2日――正確には1日半くらいか。
だがその時間は今までで最も濃密な物と言っても過言ではないだろう。
――泣いて怒って喜んで。
――叱って叫んで感謝して。
『今まで誰も知る事のなかった自分の胸中や表情を、この男だけが知っている』
恋愛感情の有無は別として、意識するなというのは不可能だろう。
そんな赤面物の事実に拍車を掛けるのが、キュルケのあの一言。
――つまり『死が2人を分かつまで』よ? ある意味伴侶みたいな物でしょ、貴女の場合は特にね?――
「……っ!?」
朱に染まった顔を隠す為に思わず俯いてしまう。
しかし2,3度頭を振ると、僅かに赤みを残しながら勢い良く顔を上げる。
(……ただ名前を呼ぶだけよ、それだけじゃない!)
そして静かに深呼吸。
幾分気分が落ち着き、多少険の無くなった表情で再びボルトと顔を合わせる。
すると先程は気付かなかったが、彼の口元が微かに歪んでいる。
……どうやら目の前の使い魔はこの状況を楽しんでいるらしい。
その事実に苛立ちが募るが、何とか無視して再び深呼吸。
そして睨むような形相でボルトと相対し大きく息を吸う。
「――ボッ! ……ボル…………ト…………」
――緊張かそれとも羞恥か、或いは両方の為か。
その真っ赤に染まった顔を即座に伏せてしまった。
だが尻すぼみになりながらも確かにルイズはボルトの名を呼んだ。
俯いたルイズには知りようもなかったが。
――シエスタは嬉しそうな。
――キュルケは楽しそうな。
――タバサは穏やかな。
そんな表情をそれぞれが浮かべていた。
暫しの沈黙の後、ルイズの耳に誰かが椅子から立ち上がる音が飛び込む。
位置からしてそれは呼ばれた当の本人であるボルトと分かる。
「……」
無言のまま歩き出すボルト。
名を呼ばれたというのに何の反応も返さない事に、ルイズの内に先程までの緊張と羞恥に加え怒りまでもが混ざり合う。
ずっと握り締めていた手を震わせながら、横を通り過ぎようとする足音にそのごちゃ混ぜになった感情を爆発させようとした。
――その直前。
振り上げようとしていたルイズの頭に何かが乗せられる。
それは決して重くはなく、不快ではない微かな温もりと確かな大きさを持っていた。
「……先に戻るぞ」
通り過ぎる足音と共に、頭に在った感触は一瞬撫でるように動き離れて行く。
「――『ルイズ』――」
そんな言葉を彼女の耳に残しながら。
思わず離れていった感触を捕えるように両手で押さえながら、視線で足音を追い掛ける。
歩いていく使い魔の大きな背を見ながらふと思う。
――自分は初めて彼に名を呼ばれたのではないか?
「ぁ……」
知らず足が動き出し、いつの間にかボルトを追いかけていた。
「あ……! あんたには子供扱いするなって今朝も言ったわよ!? 大体平民が貴族の髪を触っても良いと思ってるのっ!? そもそもそんなグローブみたいなの付けたままだと髪が乱れちゃうじゃない! それから――」
そうまくし立てながらボルトと共にルイズは中庭を去って行った。
慌しかった彼女達の退席にも関わらず、残された3人は和やかな雰囲気の中でその場は解散となった。
それぞれが夜の宴を心待ちにしながら……。
――『虚無』の前日とは思えない程静まりかえった女子寮。
その廊下を意図せずにだが靴音を響かせ歩くのは、学院長オールド・オスマンの秘書を務めるミス・ロングビル。
彼女にしては珍しく女子寮に居る理由は、オールド・オスマンからの伝言を伝える事だ。
――『昼に起きた騒動の詳細を聞きたいので、虚無の曜日に学院長室に来て欲しい』。
急遽中止になってしまった授業の調整等で忙しく、午後にルイズとその使い魔の彼にオスマンからの伝言を伝える事はできなかった。
夕食時には中階にある職員用の席からそれとなく気にはしていたが、あの傍目にもよく分かる主従は現れなかった。
(……という事は他の生徒達と同様に部屋で軽食を取ったのでしょう)
そう判断して現在彼女の部屋の前に辿り着いた。
扉をノックしようとして右手を持ち上げ、しかし動きを止める。
そして無言で耳を扉に近づけて中の様子を窺う。
(……)
何も聞こえない。
しかしロングビルは杖を取り出し呪文を唱える。
――魔法には『音を消す』という効果を持つ物がある。
音とは空気の振動であり、その振動が耳へと伝わる事で『音』として認識される。
『風』の系統である魔法『
自分を対象とすれば周囲からの音は聞こえなくなり周囲の喧騒に悩まされずにすむ。
この時『サイレント』は自分が発する音も消してしまう。
人知れず潜んでいる場合なら良いだろうが、例えば2人以上で居る時には不向きな魔法だ。
何故なら『お互いの声』も相手に届かなくなってしまう。
――そんな場合に使われるのが『
『風』と『土』の2つの系統を組み合わせたライン魔法である。
術者が存在する部屋の壁・天井・床に『サイレント』と同じ効果を付与する事ができる。
これなら静かに、そして密かに会話をする事ができる。
……だが難点が無い訳ではない。
「――『ディテクトマジック』」
ロングビルが杖を軽く振ると光の粉がルイズの部屋の扉に向かって舞う。
その光が舞い落ちる様子を少しの間じっと見ていたがやがて溜め息混じりに呟く。
「――反応無し。 本当に不在のようですね……」
――『
魔法やメイジやマジックアイテム等、魔法に関わる物に広く反応する魔法である。
魔力に反応する為に、主に魔法がかかっているかどうかの判別に用いられる。
先の『サウンドプルーフ』は扉も部屋の一部と認識され効果を付与される。
しかし壁・天井・床と違い、扉は部屋の一部であると同時に独立した1つの物体でもある。
故に部屋の外からの『ディテクトマジック』に反応してしまう。
例え部屋の中から何も音がしなくても『サウンドプルーフ』が使用されている事が分かれば、中に居る人間が聞かれたくない会話をしていると公言しているに等しい。
……つまり今現在『部屋の主が外に居る者に、聞かれては困る話や行為をしている』可能性は低いという事だ。
「居ないのでしたら仕方ありませんね……ここでただ待つのも愚策でしょうし、出直しましょう」
軽い溜め息と共にそう呟く。
「彼女達には申し訳ないですが、明日時間の空いた時に学院長室に行ってもらいましょうか」
そうして踵を返す途中で、廊下の窓から彼女がよく知る建物が目に入る。
それは学院長室や宝物庫、図書館や食堂が存在するトリステイン魔法学院の中心に位置する本塔。
左右を見渡し誰も居ない事を確認すると、その常日頃優美な曲線を描いている口元を歪ませる。
「――折角学院長本人が御目付役を解除しくれたんだ、ちょっと寄り道がてら下見でもしておこうかねぇ」
そう呟くと、無人の廊下を急ぎ足で移動する。
その速度は間違い無く来た時よりも速い。
――だが先程高らかに鳴り響いていた靴音はせず、無音のまま彼女は風のように姿を消した。
相も変わらず展開が遅いです……
作成中に話が膨らみ、予定とは違う内容になってしまいました。
年内にもう1回更新出来たら良いなぁ……とは思っています。
気が向いたらで構いませんので、ご意見・ご感想を頂ければ幸いです。