魔法の森。
鬱蒼と生い茂る木々、異常な進化を遂げた植物たち。
その場所は幻想郷に置いても特殊な場所であった。
魔法の森に群生する化け物茸が出す瘴気の漂うその森は、幻想郷の住人でさえ滅多に足を踏み入れることはない。
まともな人間が足を踏み入れれば、たちまち体を壊すほどだ。
幻想郷の大多数を占める妖怪ですら好んで近寄らないような、そんな場所である。
こんな辺境に居るのは余程の物好きか、魔法の森に適応出来た者たちくらいのものだろう。
そのような場所で、ふよふよとのんきに宙を飛んでいる妖精がいた。
「うー……大ちゃんどこだ―?」
彼女の名は、チルノ。
背中にある大妖精とはまた違う氷の結晶に見える羽は、彼女が氷の妖精であることを示していた。
そして何を隠そう誠隆が踏みつぶした大妖精の親友というのは、このチルノのことである。
その後、無事復活したらしいチルノは、どうやら友達である大妖精とはぐれ、魔法の森を彷徨っている最中のようだった。
キョロキョロと辺りを見渡すチルノは、親友の名前を呼びながら森をどんどん進んで行く。
「まったくもー。大ちゃんも迷子だなんて仕方がないなー」
遊んでいる最中、ふと目を離した瞬間にいなくなってしまった親友に、チルノはやれやれとため息を吐いた。
チルノは妖精の中でもずば抜けた強い力を有しているため、弱い妖怪や幽霊程度ならどうとでもなるのだが親友の大妖精には、もちろんそんな強い力はない。
奥手で恥ずかしがりの大妖精。そんな彼女を守るのはいつもチルノの役目だった。
故にチルノは早く見つけて合流したいのだが、魔法の森は広大で見つけるのが一苦労だった。
木が邪魔をして上空から探すことも出来ず、捜索は難航していたのである。
「大ちゃん大丈夫かな……この森、魔女も住んでるって大ちゃん言ってたし」
もし大妖精が、この森に住むという魔法使いに悪さでもされていたら。
あくまで一つの可能性だが、それを抜きにしても他の何らかの事情で大妖精が身動きが取れない状態にある可能性だって考えられるのだ。
大妖精は、助けを求めているかもしれない。
少しオーバーに考え過ぎだとは理解しながらも居ても立ってもいられなくなったチルノは、何か手がかりでもないかと周囲を注意深く探索しはじめた丁度その時だった。
木々の隙間から妖精が一体飛び出してきたのだ。
何処か慌てた様子の妖精だったが、チルノはそれに気付かずに妖精に声をかけた。
「ねーねー、アンタちょっといい? 大ちゃん見なかったーって、うわぁ!」
チルノが話し終わる前に、凄まじい勢いで飛び去っていく妖精。
ぶつかりそうになったチルノは、唖然としたまま妖精が飛び去っていた方向を眺めていた。
「な、なんだよー! アタイの話くらい聞いてくれたっていいじゃんかー!」
姿も見えない妖精にプリプリ文句を言いながら、チルノは妖精が来た方向を見る。
細かいことはあまり気にしない性格のチルノだが、先ほどの妖精の異常とも言える慌てようは流石に気になった。
飛んできた方角に何かあるのだろうか。
ふと興味が沸いたチルノは、妖精が出来た方に歩み寄るとひょいと覗き込む。
すると、そこには意外なものがあった。
「……壺?」
チルノが中にすっぽり入ってしまえるくらいの大きな壺が一つ、台の上にポツンと置いてあった。
それも長年そこに放置されていたのだろうか、装飾は砕けてしまっており表面はひびだらけ。
かろうじて原型をとどめているような状態の壺は、見るも無残な姿だった。
周辺を見る限り壺はどうやら、ここに祀ってあったようだ。
とは言え誰も手入れをしていなかったらしく、周囲には小さな祠のようなものがあったようだが、それも木が腐れて崩れてしまっている。
祀ってあるということは、この場所か壺自体に何らかの意味があるのだろう。
こんな時、本来であれば綺麗に補修してもう一度正しく祀るのが正しいのかもしれない。
だがそれはあくまで人間の考えであり、妖精のチルノからしてみればそんな汚い壺なんて全くもってどうでも良かった。
むしろ面白いものが見れるかもしれないと、少し期待していただけに拍子抜けも良いところ。
既に大妖精のことが頭から抜け落ちていることにも気が付かずチルノは地団駄を踏んだ。
「期待させるだけ期待させておいてこれだけなんて詐欺だー! アタイを騙そうなんて許すまじ壺!」
壺に対して勝手に怒りだしたチルノは、何を思ったか頭上に手を上げる。
すると、どうしたことだろう。
周囲をたまたま飛んでいた羽虫が、急に空中で凍りつき落下してしまったのだ。
それだけではない。植物や水溜りまでもが凍りついていく。
冷気を操る程度の能力。
氷の妖精であるチルノの持つ力であった。
それからチルノを中心にして気温が急激に低下し始めたかと思えば、空気中の水分が凍って小さな氷の結晶が生まれ渦を巻き始める。
その渦は次第に勢いを増し、チルノの姿が見えなくなるほど巨大に膨れ上がる。
姿の見えないチルノが、得意気に鼻を鳴らした。
「ふふーん、アタイのとっておきをお見舞いするんだから!」
チルノの元気な声と共に渦が弾けるように掻き消える。
するとチルノの周囲には、壺と同程度の大きさの氷塊が幾つも浮遊しているではないか。
そう。チルノは腹いせに壺を砕いてしまうつもりなのだ。
いつもであれば、大妖精辺りがチルノを止めに入るのであろう。しかし今現在、彼女はこの場所にはいない。
もはや、壺に助かる道はなかった。
ニンマリと笑みを浮かべたチルノは、頭上に上げた手を勢い良く振り下ろした。
「ぶっ壊れろー!」
壺に殺到する氷塊。
砕けるような音と共に土埃が舞う。
崩壊寸前だった壺は、押しつぶされてひとたまりもないだろう。
チルノは、そう確信した。そのつもりだった。チルノじゃない誰が見てもそう思うだろう。
壺は助からないはずだった。
しかし、土埃が晴れるのを見ていたチルノは目の前の光景に言葉を失った。
「え? あれー? 何で?」
何故かそこには大きな壺が、そのままの姿で存在していたのだ。
放った氷塊の方が、砕け散り周囲に散らばっている。
チルノは目を疑った。まさかこんな結果になるとは、流石に予想していなかったからだ。
どういうことなのか理解できないチルノは、駆け足で壺に近寄った。
壺の表面には元々あったひび割れはあるが、それ以上の大きな損傷は見受けられない。
確かにぶつけたはずだ。チルノは、首を傾げる。
チルノと壺の距離はおよそ五メートル程度。
当てるつもりにだったにも関わらず、こんな至近距離で外すなんてありえない。
「これ、どうなってるんだろ……って、あ、あれれ?」
ふと壺を注意深く見ていたチルノは、その異変に気がついた。
壺が左右に揺れているのだ。
台が不安定になったとか、そういうことではない。
まるで生きているかのように動き始めた壺は、徐々にその激しさを増し始める。
これには、流石のチルノも怖くなった。
もしかしたら、起こしてはいけないものを目覚めさせてしまったのか。
こんな辺鄙な場所に祀ってあるのだ。実は、ろくでもない祟り神だったりしたのかもしれない。
逃げなくては。そう思い立ってチルノは後ずさる。
そんなチルノに反応するかのように壺の蓋が開いた。
それはまるで、チルノを逃がすまいとしているかのように。
その瞬間、体中を今まで体験したこともないような感覚が走った。
途端にチルノは震えが止まらなくなる。
理解出来ない感覚。分からない。チルノはそれが何なのか知らなかった。
だが、それは妖精なのだから至極当然だった。
『死』なんて感じても妖精には理解出来るはずはないのだ。
「うわぁ! うわぁー!」
あまりの恐怖に、チルノは一目散にその場から飛び出る。
怖い、怖い、怖い。
一刻も早くあの壺から逃げなくては、と。
妖精であるチルノは、死んだとしても直ぐに生き返ることが出来る。
だからこそ妖精というのはある程度、無謀な行動も出来るのだ。
そんな絶対的な終わりが無いはずのチルノが、これほどまでに恐れてしまう存在。
チルノ自身、何故ここまで恐れてしまうのか理解していなかった。
こんな経験は、チルノにも初めてだった。
だが理屈じゃなく本能的な部分で、逃げなくてはとチルノは感じ取っていたのだ。
しかし、そんなチルノの逃避も徒労に終わる。
「な、何で? 壺が遠くにならないよ!?」
どれだけ飛んでも、壺は常にチルノの真後ろにあった。
そもそも周りの景色が、少しも変わっていない。
もう、既に手遅れだったのである。
チルノは、とっくの昔に壺に捕らえられていたのだ。
どうあがいても無駄だと分かると、チルノは体の力が抜けて地面に落下する。
「や、やめろぉ……」
チルノ必死に来るなと手を動かす。
しかし、壺はチルノを待ってはくれなかった。
突然、壺が横に倒れたかと思えばその口が途端に大きく広がったのだ。
それはまるで、大口を開けて獲物を一飲みにしようとしている怪物。
いや、あながちそれも間違いではないのかもしれない。
そんな時、不意に壺の中が目に入ったチルノは、その中の光景に更に血の気が引いた。
そこには大量の妖精たちの姿。
大中小関係なく様々な姿の妖精たちが、身動き一つせずまるで死んだように眠っているのだ。
一体何が起こっているのか、チルノには分からなかった。
だが難しいことは分からないチルノにも、これが異変に匹敵しうるものだとは理解出来ていた。
そしてもう少しすれば、これはきっと異変に昇華するということも。
もはや、チルノがそれを誰かに伝える術は存在しないが。
「ごめんね、大ちゃん。もう守ってあげられないや……」
ふと、大事な友達の姿がチルノの頭をよぎる。
唯一の救いといえば、壺の中の見える範囲に大妖精がいなかったということだ。
きっと無事なのだ。良かった。
そうチルノが安堵すると同時に、壺は容赦なくチルノを飲み込んだ。
…
「うーん、いい天気だなー」
誠隆は、空を見上げながら一つ背伸びをした。
雲ひとつ無い快晴。6月だが、それほど日差しも強くない何とも過ごしやすい午後。
まだ昼食を取っていなかった誠隆は、こんな日は外で食べるのもいいかもしれないと呑気に思案していた。
「ちょっと誠隆さん。まだ全然運び終わってないんだから、さっさと動きなさいよね。小妖精だって小さい体で頑張ってるんだから」
「へいへーい」
しかし、ジト目で睨んでくる霊夢によって誠隆は直ぐに現実に引き戻される。
それくらい許して欲しかった。この現実を前にすれば誰だってそうする。
ため息を吐きながら、誠隆はそれに視線を向けた。
その眼前にはあるのは、まるで罪人を絶対に逃すまいと主張するかのようにそびえ立つ、牢獄の壁のようなガラクタの山。
それ全て、魔理沙の売り物なのである。
博麗神社で目にした程度は、まだ序の口だったのだ。
意識が戻って初めて全体を見た時、誠隆は言葉を失った。
収集癖か何かは知らないが、魔理沙のこれはもはや異常である。
今はそんな気が遠くなるほどの大量な売り物を仕分ける作業を手伝っているところだった。
ちなみに、そこにあるのは大半が使い物にならないような品ばかり。
しかし、魔理沙が見つける物の中には大変珍しい逸品も稀にあるようで、それらしいものを見つけ出して一つ一つ分けるのに誠隆は大変苦労していた。
とは言え、これだけの物があるとどれがガラクタでどれに価値があるのか判断するのも難しい。
誠隆にはゴミにしか見えないようなものでも、幻想郷では重宝するようなものも中にはあるのだ。
そんなわけで誠隆は指示を仰ぐため適当にガラクタの山から一つ、なんだかよく分からない緑色をしたテニスボールサイズの球体を拾い上げた。
「うぇ……これ、なんだかネバネバしてる」
緑色の球体は粘液をまとっており、少し柔らかく何故か生暖かい。
用途不明のそれは、何だか不気味だ。
正直何処かに投げ捨てたい所だが、そういう訳にもいかないので幾つか転がっていた同じものを拾い上げてついでに運ぶ。
と、運ぶ最中、何処からかダルそうな全くやる気のない声が聞こえてきた。
誠隆は、ため息を吐くと呆れたような視線を声がする方へ向けた。
「なあ、香霖……帰っていいか?」
「ダメだよ魔理沙。まさかコレほどの荷物、僕達に押し付けて行くつもりなんじゃないだろうね」
「よくわかったな。その通りだぜ」
「その場合、不要物の回収ってことで処理代として逆にお金を貰うけどそれでもいいかい?」
「えー……ちぇ分かったよー」
そこに居たのは、この肉体労働の元凶である霧雨魔理沙。
その傍らには、ダレている魔理沙を叱るメガネをかけた青年が一人いた。
彼の名前は、森近霖之助。
魔法の森の入り口にある道具屋『香霖堂』の店主だ。
魔理沙の昔からの知り合いらしく、その彼が魔理沙のガラクタを買い取ってくれるようで、誠隆は簡単な自己紹介だけ済ませて現在はガラクタの査定真っ最中だった。
なんでも霖之助には見ただけで道具の名称と用途が分かるという便利な能力があるらしく、魔理沙の持ってきた用途不明のガラクタも彼に聞けば大抵分かるらしい。
誠隆は、分からない品は彼に指示を仰いでいた。
因みに、霖之助の能力を持ってしても使い方までは分からないらしく、外の世界のものもよく流れ着くが使えないことが多いそうだ。
その辺は、外来人である誠隆が分かる範囲で逐一説明しながら査定していた。
「霖之助さん、これなんです?」
「ああ、珍しいのがあったね。それは触手の卵だよ」
「いい!? き、気色悪っ!?」
魔理沙が去った後、霖之助に球体について尋ねた誠隆は思わぬ返答に一瞬で血の気が引いた。
緑色の球体は、どうやらとんでもないゲテモノだったしい。
確かに言われて見ると、卵に見えないこともない。
それにしても、触手まで居るとは幻想郷は本当にネタに事欠かなかった。
「でも、結構高い値で売れるんだよねそれ」
「へ、へー……実は食べると美味しいとか?」
「いや、それはどうだろう……僕は死んでも食べたくないかな。まあ、世の中には知らない方がいいこともあるし聞かないほうがいいよ」
霖之助は、苦笑いをしている。
ろくでもない事に使われているのは、なんとなく理解したので深くは詮索しないことにした。
とりあえず下手に動かすと生まれてきそうな気がしたので、誠隆はそっと売れるものを置いておく場所に並べておいた。
気を取り直して次の品物に向かうと、途中に白物家電が山のように積まれている箇所があった。
冷蔵庫、洗濯機、エアコンなど今では見かけないような古い型のものばかりがところ狭しと並んでいる。
魔理沙も良く一人でこれだけの多種多様なものを集めたものだと、誠隆は呆れを通り越して関心してしまった。
「それはそうと誠隆くん。これが食べ物を温めるものだってことは分かるんだけど、どうすれば使えるんだい?」
「あーそれは電子レンジですね。まあ、電気がないので使えませんけど」
「そうかい……」
それを聞いて霖之助は落胆する。
外の世界から流れ着くものは沢山あるようなのだが、特に幻想郷で用途不明ものといえば電化製品の類らしい。
霖之助はその用途が理解出来るので、映像が見れたり、遠くの人と会話出来たり、音楽が聞けたりするなんて分かってしまうので興味が尽きないようだ。
しかし、そのほとんどが年代物で何処かに破棄されていたのか破損している物ばかり。つまり粗大ゴミである。
「うーん、電化製品とか言ったか……ここにあるのは大半が使えないんだね」
「それを動かす電気が通ってないですからね」
「残念だ、ホントに。動いてるところ見たかったなぁ」
本当に悔しそうに、うなだれる霖之助。
もしかしたらどれか一つくらい動くものもあるかもしれないが、家庭用電源がない幻想郷ではそれを確かめる術はない。
ただの電気ならどうにかなるかもしれないが、それを流した瞬間大惨事だ。
残念だが霖之助には、諦めて貰うしかなかった。
「……まあいいさ、まだ他にも珍しいものは沢山あるしね。例えばこの熊の置物」
霖之助が手にしているのは、誠隆が博麗神社で見た何の変哲もない熊の置物だった。
他にも刀やら棺桶やら珍しいものがあったはずだが、霖之助はただの置物であるそれを何を思って珍しいと思ったのか。
それのどの辺りが珍しいのか。誠隆には皆目検討がつかなかった。
「えーと、それただの置物ですよね?」
「一見するとただの置き物だ。うーん、そうだね君なら大丈夫だろう。ただし、魔理沙や霊夢には内緒にしておいてくれよ?」
霖之助は周囲に誰もいないことを確認すると、誠隆の耳元で呟いた。
「これ、緋緋色金って金属で作られてるんだ」
誠隆は、霖之助の一言に耳を疑った。
緋緋色金といえば、伝説上の金属ではないか。
日本でもよく武器の素材としてゲームやら物語やらで出てくる有名な存在。
何かの間違いじゃないかと、誠隆は霖之助を見るが顔が本気だ。
「ひ、緋緋色金ってもしかしなくても、あの伝説の金属ですよね……?」
「外の世界でも知られているんだね。そうだよ」
「何で、熊が緋緋色金製なんです?」
「予想だけど、何処かの誰かが緋緋色金だということを隠すためにこういったどうでも良い物にしておいたんじゃないかな。で、隠したはいいけど忘れ去られてたとか。まあ、僕の目を欺くことは出来なかったみたいだけど」
「実在したんだ……」
「確かに大半がガラクタなんだけど、魔理沙はこうやって本当に凄いものを時々見つけてくるんだよ。ただ、本人は気がついてないけどね」
なるほど、確かにこれならば霖之助が魔理沙のどうでもいいガラクタを買い取ると言ったのも頷ける。
大量に要らないものを買い取っても、それに見合うだけの利益がちゃんと出る。
誠隆自身、霖之助が魔理沙と親しいとは言えゴミ同然の品を買い取っている行為を疑問に思っていたのだが、ようやく納得出来た。
「意外と策士ですね……」
「はてさて何のことやら。まあ、今回は家を修理するらしいし多少上乗せするさ」
メガネを上げながらほくほく顔で、大事そうに熊の置物を店内に運んでゆく霖之助。
その後姿を誠隆は呆れながら見送っていると、不意に肩を叩かれた。
振り向くと、そこにいたのは小妖精だ。
頑張って働いていたのか煤だらけになっている彼女は、両手で持ち手のついた鞄を持っている。
何の用だろうか。
小妖精は言葉を話せないので彼女が何か行動をするまで待っていると、手に持っていた鞄を誠隆に差し出してきた。
誠隆は、流れでそのまま鞄を受け取る。
鞄自体は小さいが意外と重い。見た目は何の変哲もない鞄だ。
小妖精はと言うと誠隆の肩に乗ると、興味津々と言った風に鞄を持つ手元を覗きこんでいる。
どうやら小妖精は、誠隆にこれを開けて欲しくて持ってきたらしい。
誠隆は苦笑しながら、鞄を地面に置くとかかっていたロックを外して開いた。
その意外な中身に、誠隆は目を丸くした。
「えーと、これは……銃? モデルガンかな……?」
なんと中にあったのは、拳銃だった。
銃を手に持つと、ずっしりと重みがある。
素材はプラスチックやメッキではなく、もちろん金属製。
かなり精巧に作られており、グリップはまるで使い込まれているかのように色あせている。
そして、銃からほのかに感じられる硝煙の匂いだと思われる香り。
これは、恐らく実銃と思われる。
誠隆自身、本物を見たことがないので確証はないがここは幻想郷なのだ。
別に実銃の一つや二つあってもおかしくはない。
「しかも、これってピースメーカーじゃないか」
それにその銃、誠隆は見覚えがあった。
コルト・シングルアクション・アーミー。通称ピースメーカー。
西部開拓時代に頻繁に使用されていた、リボルバー式拳銃だ。
西部劇などでも劇中によく登場する有名な拳銃で、西部を征服した銃とも言われる。
そして何より、誠隆にはこの銃に思い入れがあった。
何を隠そうこの銃こそ父親が一番好きだった銃であり、誠隆の持つお守りの原型である『.45ロングコルト弾』を使用できる拳銃だからである。
さらに、このピースメーカーは騎兵向けのキャバルリーモデル。ピースメーカーの数あるバリエーションの中で最も父親が好きだったモデルだった。
「これ、何処にあったのちっちゃん?」
「(ぴっ)」
「って、店内から持ってきちゃダメだよ……」
何処にあったかと小妖精に聞けば、どうやら銃は香霖堂の店内に置いてあったらしい。
魔理沙のガラクタの中にあったならばこっそり拝借して護身用にでもしようかと誠隆は思ったが、流石に香霖堂の商品を持ち出す訳にはいかない。
銃を鞄にしまうと、誠隆は店内に足を踏み入れた。
中は霖之助が商品になると判断した魔理沙が持ってきたガラクタのせいで、足の踏み場もない状態だ。
霖之助を探すと、店のカウンターで先ほどの熊の置物を丁寧に磨いている。
誠隆は霖之助に歩み寄った。
「あの、霖之助さん」
「ん? 何だい誠隆くん」
「これなんですけど」
「えーと。……それは」
声をかけられた霖之助は熊から目を離すと、誠隆の手にある箱を見て目を丸くした。
誠隆は、霖之助の反応に首を傾げる。
どうも鞄を店内から持ちだされたのを、驚いた反応ではないようだった。
では、霖之助は一体何に対して驚いたのだろうか。その表情からは何も読み取れなかった。
「誠隆くん、それは何処から?」
「え? えーと、ちっちゃんが店内から勝手に持ちだした見たいなんですけど」
「そうか。中は見れたかい?」
「は、はい。拳銃が入ってましたね」
「ふむ」
霖之助は押し黙る。
勝手に持ちだされたことを、怒っているのか。
それにしては、誠隆は霖之助から怒気は感じられなかった。
当の本人はと言うと、黙ったまま深く考えこんでいるようで微動だにしない。
もしくは、見てはいけないものだったのか。
なんせ、これは銃。人間を簡単に殺してしまえる武器なのだ。
日本では銃刀法で一般人の拳銃の所持は許されないが、ここは幻想郷。
日本の法律の外にあるのだから、持っていても別に犯罪にはならないが、危険なものであることに変わりはない。
ベタベタだが『見たなぁー?』的な展開は流石に勘弁して欲しかった。
とりあえず、勝手に触ったことを謝っておいた方がいいのかもしれない。
誠隆は、そう判断して霖之助に頭を下げた。
「勝手に持ちだしてすみません。ほら、ちっちゃんも謝って?」
「(ぺこっ)」
「……ん? ああ、いや盗むつもりで持っていったわけじゃないみたいだし構わないよ」
誠隆の言葉でようやく思考の海から帰ってきたのか、霖之助は笑顔でひらひらと手を振る。
霖之助は、誠隆が差し出したままだった鞄を受け取ると背後にあった棚に置いた。
「一応、人間には危険な代物だからね。そういうのを悪用する人もいるし見られて少し驚いたんだ」
「あ、そうなんですか」
「まあ、正直妖怪には豆鉄砲より役に立たない代物なんだけどね。ほら、鬼とかには豆有効だし」
「あー節分の鬼は外、福は内ってやつですかー……本当に豆って鬼に有効なんですか?」
「うん、かなりね。鬼は幻想郷でも並みの妖怪でも全く歯がたたないほど強いけど、豆は有効だよ」
「なるほど」
霖之助の驚き方は少し普通ではなかった気がしたが、確かめようもないので誠隆も納得する。
それにしても、やはりと言うか妖怪に対人用の銃が通用しないらしい。
かすり傷すら与えられないのではないだろうか。
見切って避けるなんて芸当をやってしまえるのかもしれない。
それはそれで見てみたい気もするが。
「それにしても誠隆くんも、こういう銃とか好きなのかい?」
「へ?」
「こういうのが好きな友達がいてね。君もそうなのかなと」
「まあ、オレも男なんで嫌いじゃないです。オレが知ってるのはその鞄に入ってる銃くらいですけど」
「へえ、それは奇遇だね。どうだい? これ僕は特に興味ないしあんまり役に立たないかもしれないけど護身用ってことで格安で譲ってもいいけど」
「え? えー……」
唐突な霖之助の申し出に誠隆は少し心惹かれるものがあった。
外の世界では持つことの出来ない実銃。
男なら誰だって一度くらいは憧れるだろう。
妖怪には全く意味はないとは言え、何も無いよりはマシかもしれない。
だが、外の世界の住人である誠隆にはなんとなく抵抗感もあり、安易に持って良い物でもないので悩んでしまう。
「と、とりあえず保留ってことでいいですか?」
「構わないよ。君みたいなある意味特殊な環境にいるような人間にしか売るつもりはないから気が向いたらいつでも来るといい」
恐らく幻想郷で一番安全であろう博麗神社に居るので直ぐに必要と言うわけでもない。
惜しい気もするが、銃社会でもない平和な国に生まれた誠隆には簡単に人の命を奪う代物を手にする度胸はまだなかった。
これから先、もっと危険な目に遭うようなら考えよう。
今はそれで良いと誠隆は思うことにした。
「さて、少しゆっくりしすぎたかな」
「あ、本当だ……しまったなぁ」
「(ぺしぺし)」
「ちっちゃん、ごめんごめん。ほら急ごうか」
霖之助は立ち上がると、出口に向かって進んで行く。
外にはまだ大量の荷物が待っているのだ。早く終わらせなければ日が暮れてしまう。
小妖精にも、まるで急かすかのように頭を叩かれた。
誠隆は流石にほったらかしにしすぎた霊夢や魔理沙にこの後何を言われるかを考えて、憂鬱になりながら小走りでその後に続いた。