「──却下。いいからさっさと実習の準備なさい」
八月二十八日、土曜日の早朝。珍しく目を覚ましているサラは自室のベッドに腰掛け、どこか疲れた様子で目の前の人物にそう告げていた。今日から開始される予定の特別実習の準備で各所方面と連絡や手続きを行った疲れか、起きているとはいえその目は今にも閉じそうである。
そしてそんなサラが声を上げた先、彼女の前に立っている人物はフィーだった。フィーはサラの返事に不満げな様子で、その表情も普段の彼女とは打って変わって真剣なもの。何かの了承を得るためにここへ来たフィーは、諦めずに再度同じ内容を口にする。
「私もクロスベルに行く」
「だーかーらー、ダメって言ってんでしょうが。何を急に我が儘言い出すの」
再びフィーが口にしたその言葉に、サラは悩ましげな様子で頭を抱えながら否認する。実は先程から何度もフィーは同じ内容を話しているのだが、その悉くをサラが却下して認めない構図が広がっていた。
本日より始まる五度目の特別実習。三日前に行われた実技テストの後、A班はラウラの故郷でもあるレグラム、B班は帝国西部にあるジュライ特区へ赴く事がⅦ組メンバーに告げられた。そして二日間の実習を終えた後には、クロスベルとの国境でもある帝国東部のガレリア要塞へ訪れる旨も説明され、同時にA班はリィン、ユーシス、ガイウス、ラウラ、エマ、ミリアムの六人。B班はアリサ、フィー、エリオット、マキアス、クロウの五人というメンバーの振り分けも発表される。
しかし、ここで一つ皆の脳裏に疑問が浮かび上がった。そう、グランの名前だけが双方の班のどちらにも無いことだ。当然ながらリィン達はその疑問をサラへ投げ掛けるが、トワを含め彼らは返ってきた言葉に驚きを見せる。
──今回グランは実習メンバーから外してるのよ。一応A班に同行してもらうけど、別の仕事を頼んでるから。それと……ガレリア要塞に向かう当日、グランはトワと一緒にクロスベルへ行く予定よ──
リィン達へ唐突に告げられた、グランのクロスベル行き。彼が実習メンバーから外れる事に皆は一様に驚きを見せ、同じくグランがクロスベルへ同行する事を知らなかったトワも目を丸くしていた。直後にグランはそんなに優秀だっただろうかというエリオットの呟きが漏れ、額に青筋を立てたグランが彼へ拳骨をお見舞いしたのは余談だが。
ただ、特別実習の説明が行われた時にはフィーもその内容に異論は唱えなかった。特別実習の班分けにしても、グランのクロスベル行きにしても彼女が反対する理由は無かったし、そもそも決定事項、何かしら異論があったとしても覆される事は滅多にない。
では、何故フィーがここまでクロスベルへ行きたいと頑なに懇願するのかという話になる。
「グランはクロスベルへ遊びに行く訳じゃないのよ。第一、あんたこの前グランと一緒にクロスベルへ遊びに行ったでしょう?」
「そうじゃない……昨日、サラの部屋の前で話を聞いてた」
「っ!? 全く……迂闊だったか」
どうしてこうもフィーが食い下がるのか疑問に思っていたサラは、彼女から返ってきた言葉で漸く理解した。フィーがクロスベル行きを志願する理由、それは昨日の夜遅くにこの部屋で交わされていたサラとグランの会話の内容にある。
特別実習前夜、恐らくはクロスベルから帰還するまで顔を合わせる事が無いだろうという理由でサラはグランを自室に呼び出した。そして行った会話の内容は、グランがA班へ同行してレグラムに行った時の頼み事と、クロスベルへ向かった際の注意点について。
──クロスベルに着いても、『赤い星座』には絶対にちょっかい出すんじゃないわよ。あくまで与えられた任務を遂行する事に専念なさい──
──無理な相談ですよ……まあ、五体満足で帰ってこれるように努力はしてみます──
──ったく……分かったわ。ただし、もう二度とフィーが悲しむような選択はしないでちょうだい──
──……絶対とは言い切れません。でも、仮にオレがいなくなったとしても、今のフィーすけなら大丈夫でしょう──
──っ!? グラン……──
「グラン、クロスベルで決着をつける気なんだと思う」
「……そうかもしれないわね」
昨晩の会話を耳にしてフィーが出した結論は、クロスベルの地でグランが父親と決着をつける気でいるというもの。彼女の言葉に否定的な意見を返さないあたり、サラも考えている事は同じなのだろう。
五月にグランとクロスベルへ訪れた際、フィーは彼が何故三年前に西風の旅団を脱けたのか、その理由を直接問い質した。そしてその時に理由を聞かされ、グランが父親に敗れれば赤い星座へ戻らなければいけない事を知っている。フィーがクロスベルへ同行したいと懇願する理由も、理解できないわけではない。
「……で、付いていったとしてあんたに何が出来んの?」
「っ……それは、まだ考えてない」
そう、例えフィーがグランに同行したとしても、彼女に出来る事はあまりにも少ない。精々グランの傍を離れず、訪れるかもしれない別れの時に怯える事くらいだ。サラがフィーの意見を受け入れないのは、決して彼女を苛めているわけでも、手続きが面倒なわけでもない。付いていったところでフィーが自身の無力さに打ちひしがれる事が分かっているからこそ、サラも彼女のクロスベル行きを了承しないのである。
目の前で表情を落ち込ませるフィーにサラも心を痛めるが、やはり彼女のクロスベル行きを認める事は出来ない。だからこそ、せめてフィーに気持ちの整理をつける時間を与えようと、彼女に一つの提案をした。
「私の方から伝えとくから、あんたもA班に同行しなさい。レグラムの実習の間に、ちゃんと考えを整理しておく事」
「……分かった」
力ない声で返事をした後、フィーは実習の準備を行うべくサラの部屋を退室する。そんな彼女の落ち込んだ後ろ姿を眺めていたサラの表情は、なんともやりきれないものだった。どうにかしてあげたいと思うものの、何もする事の出来ない自分に僅かな苛立ちを覚える。
腰掛けていたベッドへ仰向けになり、サラはため息混じりに呟く。
「全く……問題児ばかり抱えると、教官ってのはやりがいがあり過ぎて困るわね」
また一つ新しい仕事が増えたと、彼女は愚痴をこぼしつつARCUSで数人へ連絡をした後、一時の微睡みに身を任せるのだった。
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第三学生寮一階。管理人でもあるシャロンが使用している部屋の扉の前では現在、実習の準備を終えたラウラが一人立ち尽くしていた。その表情は明るく、これから向かう実習先のレグラムは故郷という事もあり、数ヵ月ぶりとなる帰省に彼女もどこか嬉しそうである。
そんなラウラがシャロンの部屋の前で立っている理由、それは朝の弱いグランを起こすためだった。彼女にとっては誰よりも特別な意味を持つ今回の実習、列車の時間に遅れて乗り逃がした等という事があってはならない。高確率で寝坊するグランを、予め起こして遅刻のリスクを排除しようというわけだ。
「シャロン殿と同室とはいえ、やはり心配だからな。しかしなんだ、その……妙に気恥ずかしいのは何故だろうか?」
ラウラは扉を前にして僅かな胸の高鳴りを覚えながら、一度、二度とノックをする。しかし部屋の中からは応答がなく、グランはともかくあの完璧メイドのシャロンですらまだ寝ているのだろうかと彼女は疑問を抱く。
そしてそんな風にラウラが首を傾げていると、突然部屋の中から話し声が聞こえ始めた。
──シャロンさん、お願いですから自分でさせてください──
──弟の世話を焼くのは姉の務めですわ。さあさあ、ご遠慮なさらず──
──いや、だから勝手に脱がさないでくれと何度も──
「なんだ、グランも起きているのではないか……グラン、起きているのならば返事をしてくれてもよ──」
中に二人がいる事を知り、ノックに返事を返してくれなかった彼へ多少の不満を感じつつラウラは扉を開いた。そして中にいるであろうグランへ向かって声を上げる中、ふと彼女の声が止む。直後にラウラの表情は固まり、顔を真っ赤にしながら部屋の中へ向けていた視線をそらした。
彼女がそんな反応を見せてしまうのも当然だった。何故なら部屋の中では、夏服をはだけさせて上半身が露出した下着姿のグラン。そしてグランの傍には、彼が履いていたズボンを脱がしている格好のシャロンが片膝を着いた姿が。
「ば、ばばば馬鹿者! 学生寮で一体何をしているのだ!」
「ああ、ラウラか。おはようさん」
「おはようございます、ラウラ様」
「お、おはよう……ではない! そなた、学生寮でそのような不埒な事を……!」
割りと普通に二人が挨拶を交わしてきたのでラウラも思わず頭を下げたが、直ぐに我に返った彼女は再び頬を紅潮させ、震えながらグランへ人差し指を突き付ける。しかしそんなラウラの姿を見ていたグランとシャロンは、顔を見合わせた直後に悪戯な笑みを浮かべ、ラウラの正面へと詰め寄った。
頭が混乱したラウラには気付けないが、第三者が二人の顔を見れば即座にこう思うだろう。ああ、これは弄りがいのある玩具を見つけた時の顔だと。
「ほう……“そのような”とはどのような事を言ってるんだ?」
「ふふ、わたくしも気になりますわ」
「いや、それは、その……取り敢えずそなたは服を着て下を履いてくれると……」
「ほら、いいから言ってみろ」
「どうかお聞かせくださいませ」
現在裸に近い格好で詰め寄るグランは最早犯罪としか言えないが、シャロンまで悪乗りをして詰め寄ってくるため、ラウラも彼の格好を指摘する声が小さくなっていた。尚も二人の攻めを受け続ける彼女は段々とその顔に赤みを増し、頭の中もごちゃごちゃになって訳が分からなくなっている様子だ。
そして追い詰められたラウラは耐えきれず、遂にその一言を声に出そうとしていた。
「だ、だから、そ、その……男女の行うあ、あれと言うと──」
「ラウラじゃない。シャロンの部屋の前でどうしたの?」
間一髪だった。二階から降りてきたアリサが部屋の前で立ち尽くすラウラに声を掛け、彼女の姿に気づいたラウラは涙を浮かべながら抱き付く。アリサは突然の事に理解が追い付かなかったが、部屋の中から聞こえてくる声で直ぐに状況を理解した。
──くっ、もう少しで言質取れたってのに……──
──まだまだチャンスはございますわ。グラン様、そう落ち込まずに──
「ア、アリサ……そなたに感謝を……!」
「よしよし、あとで私からキツく言っておくから……」
アリサに頭を撫でられながら、彼女の腕に抱かれてラウラは涙ながらに思う。もう二度と、グランを起こしには行かないと。
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それぞれの準備が整い、トリスタ駅のロビーにはⅦ組全員が集まっていた。A班、B班の面々は互いに実習の健闘を祈った後、列車の時間が僅かに早いB班のメンバーが先に駅の改札を抜けていく。
ロビーに残された姿は、A班の実質的なリーダーでもあるリィンに、今回の実習先が故郷でもあるラウラ。今から楽しみでしょうがないのか一人はしゃいでいるミリアムに、彼女の横で頭を抱えているユーシス。どこか落ち込んだ様子のフィーに、そんな彼女の姿を見て心配そうな表情のエマ。最後にメンバーからは除外されているが、彼らと同行する予定のグランを含めた計七名である。
「良かったぁ、間に合ったみたい」
A班一同が十分後に訪れる列車を待つ中、突然の声と共に駅のロビーへ一人の少女が駆け込んでくる。皆が向けた視線の先にいるその少女はトワの姿で、各々が挨拶を交わすとそれに応えながら彼女はグランの傍へと近付いていく。
グランが笑顔で手を挙げる姿に微笑みながら、トワは彼の傍で立ち止まった。
「いよいよ明後日ですけど……クロスベルへ向かう準備、進んでますか?」
「うん、グラン君のおかげでバッチリだよ。でも、グラン君も大変だねぇ……
「ええ、今回個人的に大分借りが出来ましたから。後々利用されるのも癪なんで、今の内に貸し借り無しにしておこうかと」
通商会議を控えた二人は、他愛もない会話を交わしながらその顔に笑顔を咲かせていた。
トワにとっては一人だと思っていたクロスベル行き。グランも同行すると知ってから嬉しさを隠しきれないのか、この様に毎日笑顔を見せていたりする。グランの事情を知っているフィーは対照的に、二人の会話を耳にしてその表情に陰りを見せるが、そんな事をトワが知るよしもなく。フィーの傍に立っているエマはますます彼女の事を心配そうに見ていた。
「グラン君はケルディックで合流する事になると思うけど、あんまり遅れると宰相閣下やオリヴァルト殿下をお待たせしちゃうから気を付けてね?」
「待たせてりゃいいんですよ。あんな人使い荒いオッサンや変態くらい」
「もう、またそんな事言って。本人の前で失礼な事言わないか心配だよ……」
グランの言動に先行きが不安でしょうがないといった様子のトワだが、この様子ではクロスベルでの彼女の精神的疲労が溜まる一方になりそうだと、会話を聞いていた周囲の皆はトワに若干の同情をしているようだった。所々から苦笑が漏れ、ミリアム一人だけが終始楽しそうに笑っている。
やがて列車が到着する予定時刻を迎え、アナウンスと共にホームから列車のブレーキ音が響いた。
「列車が到着したか……それじゃあ二日後にケルディックで」
「うん、お手伝い頑張ってね」
グランはホームへ向かう前に別れを告げ、トワは彼の手を取ると両手で包み込みながら実習先での無事を祈った。彼女が手を離した後、グランは振り返ると改札へ向けて歩き出す。
そしてその時だった。改札を抜けようとしたリィン達の向かいから、スーツを着用した赤い髪の青年が姿を現す。
「あっ、レクターだ! こんなところでどうしたのさ?」
「おお、元気そうじゃねぇか。学院生どもに迷惑かけずにやれてるか?」
ミリアムの頭を撫でている男の名は、レクター=アランドール。帝国政府に属する情報局という機関の一人であり、ミリアムの同僚として、
先々月の実習で当時B班だったラウラとフィー、意識を失っていたグランも顔を合わせていないが、ノルドでの戦争回避に尽力した際にリィン達は彼と会っていたりする。
「ま、こんなんだけど精々仲良くしてやってくれ」
「は、はい……」
突然の彼の登場にリィン達も困惑した様子を隠しきれず、受け答えもどこかぎこちない。口調も軽く、親しみやすい様に感じるが、そこは情報局の人間という認識が邪魔をしているのだろう。
あまり歓迎されている感じがしないとレクターは苦笑を漏らした後、リィン達の後方に立っているグランの元へと歩み寄った。
「しっかし、漸くご対面と言ったところだナァ。ノルドの件は世話になったゼェ、紅の剣聖」
「そりゃどうも。最近クロスベルでこそこそかぎ回ってるらしいが、なんだ……この時期にテロリストの情報でも寄越しに来たか?」
「っ!? ハハ……末恐ろしいガキだぜ、ったく。紫電にしてもそうだが、お前さん達
「お断りだ。さっさとサラさんに情報渡して帰るんだな」
勧誘に耳を傾ける事なく、グランは一人改札をあとにする。彼の後ろを戸惑いながらリィン達が続き、ロビーにはレクターとトワの姿が残った。若干気まずい雰囲気を感じながらもトワが頭を下げ、レクターも陽気な返事を返して彼女の横を通り過ぎる。
そしてそんな中、もう一人の人物がロビーの中へと現れた。
「グランに一言言い忘れてた……って、げげ。嫌な顔があるじゃない」
「どいつもこいつも手厳しいぜ……ほらよ、先月帝都に現れたテロリスト達のデータだ」
「っと……やけに気が利くじゃない」
ロビーに入ってきたサラは、レクターが放り投げたデータ端末を掴むと彼へ鋭い視線を浴びせていた。レクターは頭を掻きながら溜め息をこぼし、直後にトワを連れてロビーを立ち去ろうとする彼女へ伝えておく事があると声を掛ける。
疑問に思ったサラが振り向いた先、レクターが告げたのは鉄道憲兵隊のクレア=リーヴェルトからの伝言だった。
「
「ふーん……あの子が言ってたのと同じわけか」
クレアからの伝言に彼女も驚くだろうと踏んでいたレクターだったが、思ったよりも反応を示さないサラに対して彼は僅かに疑問を覚える。そして今度はサラがクレアに伝言があると告げ、次に話したその内容に流石のレクターも驚きを見せた。
「聞いたかどうか知らないけど、昨晩グランから預かってた伝言よ。『通商会議当日、国境付近の警備を固めておけ。特に列車砲は厳重に』だそうよ」
「!? なるほどナァ……こりゃあ、紅の剣聖をクロスベルに行かせたオッサンの判断は正解らしいな」
「? 何の事よ?」
「いや、こっちの都合だ……じゃあな、
意味深な言葉を呟いたレクターは、怪訝な表情を浮かべるサラを残してトリスタ駅をあとにするのだった。
予定していたより全然進まなかった! 執筆遅れたのはスマホゲームに夢中になっていたためです。ゆるドラ面白い。
フィーはグランのクロスベル行きと赤い星座の事を知って絶賛落ち込み中です。そのため緊急措置として実習メンバーを急遽入れ替え……あんちゃんは尊い犠牲になったんや。
対照的に会長は嬉しさ全開といった感じですね。ただクロスベルで高い壁が待ち受けている事を彼女ほまだ知らないという……頑張れ会長!
言葉攻めされて顔真っ赤なラウラ可愛い。セクハラ全開のグランはよくやった……でも後で会長からお仕置きを受けてね!