紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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時代の傑物

 

 

 

「うぅ……ドキドキする……」

 

 

 七月二十九日木曜日、午前の帝都ヘイムダル。ヘイムダル駅前のトラム乗り場から発進した導力トラムの中、そこではどこか落ち着かない様子のトワが座席に腰を下ろし、緊張の面持ちで顔を俯かせていた。彼女の隣にはグランも同じく座席に座っており、緊張した様子の彼女を視界の端に捉えて苦笑を浮かべている。

 三日前、夏至祭初日の帝都で発生したテロリストによる襲撃事件。マーテル公園で催されていた園遊会、そこへ出席していたアルフィン皇女を拐かす事を目的にしたテロリスト達。その目的を確実に達成する為に陽動として各所で暴動や異常事態を発生させ、その一つとして襲撃を受けたのがドライケルス広場。陽動によって混乱に陥ったドライケルス広場だったが、当時現場にいたトワによる迅速な避難誘導で人的被害は一つも無く、テロリストの主目的である皇女誘拐もグランやリィン達Ⅶ組の働きにより防ぐ事が出来た。

 本日、Ⅶ組は帝都での特別実習の最終日なのだが、此度の襲撃事件のお礼を言いたいからと、オリヴァルトやアルフィンにバルフレイム宮へ呼ばれている。そして広場で避難誘導を行ったトワもその功績を称えられ、同じくバルフレイム宮へと招待された。この時間士官学院は授業の真っ最中だが、彼女が帝都にいるのはそのためだ。グランがトワを駅へ迎えに訪れ、二人は現在ドライケルス広場へ向かう途中である。

 

 

「ね、ねぇグラン君。私可笑しいところとか無いかな?」

 

 

「……」

 

 

「グラン君?」

 

 

「ああ、そうですね……顔に米粒ついてますよ」

 

 

「はわわわ……! ど、どこどこ!?」

 

 

 不安そうに顔を見上げてくるトワへ、グランは顔を向ける事なく上の空で声を返していた。そんな彼の言葉を本気にした彼女は大慌てで自身の顔を触りながら、グランが話した米粒を必死に探している。

 しかしトワの顔の何処を見てもそんなものなど一つもついておらず、彼女が慌て始めるその様子に気付いたグランは直後に言い辛そうに話した。

 

 

「あー……嘘です」

 

 

「え……も、もう~グラン君!」

 

 

 グランの言葉を本気にしていたトワは大変ご立腹で、表情をむすっとさせながら彼の顔を睨んで突然唸り始めた。そんな彼女の視線を受けたグランはいつも通りの反応で、怒っている筈のトワの顔を見ては笑みをこぼしている。端から見れば二人は仲睦まじい学生達であり、彼らの近くの席へ座っている老年の夫婦も微笑ましそうにグランとトワの会話を聞いていた。

 緊張で固くなっていたトワの表情も、グランが上の空で話した一言によって多少の和らぎを見せている。本人にその様な意図は全く無かったが、結果的には功を奏したと言ったところか。

 

 

「はは、怒ってる会長も可愛いですよ……っ!?」

 

 

「もう、グラン君ったら……あれ? グラン君どうしたの?」

 

 

「い、いや。何でも無いです」

 

 

「そう? 変なグラン君」

 

 

 ふと、恥ずかし気もなくトワの事をからかうように話したグランが顔を背け、彼の態度が変わった事によりトワは僅かに首を傾げる。彼女が問い返すもグランはよそよそしい態度で誤魔化すのみで、結局何故グランの態度が変わったのかは分からず。トワはそんな彼を不思議そうに見詰めていた。

 そしてこの時、グランは首を傾げるトワを眺めながら先日の出来事を思い返していた。鉄道憲兵隊司令所内の救護室、そこで彼女と交わした会話の一部始終を。

 

 

──いいんだよ、甘えても。女の人に甘えるのはね、男の子の特権なんだから──

 

 

「(駄目だな。薄々分かってはいたが……)」

 

 

 瞳を伏せ、クオンの姿と重なりそうになるトワを一度視界から外す。この場でクオンの事を思い出し、不安や悲しみの感情をトワに悟られて心配をかけないように。

 グランは元々、トワに僅かながら想いを寄せていた。自身の生い立ちやこれから歩む道を考慮して、それを意識しないように無理矢理気持ちを抑え込んでいただけで。それはクオンの事を思い出していない時に抱いた想いではあるが、彼は今回の出来事によってトワの事をより意識してしまう事となる。

 グラン自身が抱えていた弱さを、それは恥じるものではなく大切なものだとトワは受け入れてくれた。それは彼が愛していたクオンという少女の持つ価値観と同類であった為、グランがトワを意識してしまう原因となった。違うとは分かっていても、頭が勝手に彼女をクオンの姿と重ねるのだ。

 そしてグラン本人は気付いていないが、彼がトワに弱さを見せた当時の状況が何よりも一番大きかった。心が弱った人間というのは、無意識の内に近くにある優しさに甘えてしまうものだ。勿論それが彼女の事を意識してしまう一つの要因になったのは、根本でグランがトワに対して好意を抱いているというのが前提ではあるが。

 

 

「(クオンは、今のオレをどう思ってるんだろうな……)」

 

 

「どうしたの?」

 

 

 暫くグランが物思いに耽っていると、それを疑問に思ったトワが小首を傾げて声を掛ける。グランはそんなトワを視界に捉えて笑みをこぼした後、何でもないと返して話の話題を彼女へと振った。

 乗客の体を揺らしながら、導力トラムはドライケルス広場へ向けて走行する。そのトラム内で隣り合わせに座って楽しそうに会話を続ける二人の姿は、周囲からは仲の良い恋人同士の様に見えるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 緋の帝都ヘイムダル。その呼び名の由来は緋の色に染まった帝都の建築様式にあるが、中でも最たる建造物と言えばやはり皇城バルフレイム宮だろう。エレボニアを統べるユーゲント皇帝陛下、国を運営する帝国政府の主要機関等が集う巨大な城は、正にエレボニア帝国の象徴と言っても過言ではない。

 そして現在、そのバルフレイム宮内にある大広間の中央にはグランを除くリィン達Ⅶ組と担任教官のサラが集まっていた。更に彼らの前にはオリヴァルトを初め彼の妹であるアルフィン、彼女の双子の弟、中性的な顔立ちの金髪の少年セドリックと帝国の至宝とも言われる二人も姿を見せている。アルフィンの傍にはリィンの妹であるエリゼ、更にはマキアスの父レーグニッツ帝都知事の姿もあった。

 此度の夏至祭で起きた襲撃事件の解決と現場の収拾に貢献したリィン達は、そのお礼を改めて行いたいと、今こうして皇族である彼らに呼ばれている。そして先程までオリヴァルト達から感謝の言葉を受けていたⅦ組の面々は、その身を引き締めながらも各々笑顔を見せており、ある程度の緊張は和らいでいるようだった。そんな彼らに向けて、レーグニッツ知事は笑顔を見せながら話す。

 

 

「かなり変則的ではあったが、今回の特別実習も無事終了した。各々帝都での実習を糧に、これからもより一層精進に努めてもらいたい」

 

 

「了解です」

 

 

「……とは言え、君達はまだ士官学院の一生徒に過ぎない。あくまで学生としての生活も重要だ。今この時にしか出来ない事を第一に、それぞれ悔いの無いよう精一杯やるといい。その考えはきっと、ルーファス卿やイリーナ会長も同じだろう」

 

 

「父さん……」

 

 

 常任理事の三人には、Ⅶ組を運営する上でそれぞれ思惑がある。Ⅶ組という新設クラスに求めるもの、士官学院全体に対しての考えで方向性の違いは多々あるだろう。しかし、それでも三人の考えで共通するものはある。

 実技テストや特別実習という新たなカリキュラムをこなしながらも、リィン達にはそれぞれ学生としての生活を大切にしてもらいたい。学生である今しか出来ない事を、自分達のやりたい事を、悔いの無いようやりきって欲しい。そういった思いは、レーグニッツ知事を初めルーファスやイリーナも持っている。常任理事の一人でもある知事本人からその言葉を聞いて、リィン達の肩の荷も少しは下りたことだろう。

 今回の特別実習はこれで終了した。後はトリスタに帰ってレポートの最終仕上げを行うのみなのだが、まだこの場にメンバー全員が揃っていないため各々待つ事になる。そしてリィン達がオリヴァルトらと暫し談笑をしていると、予定の時刻に少し遅れてグランとトワの二人がクレアに連れられて到着した。

 

 

「お揃いのようですね。グランさんとトワさんのお二方をお連れしました」

 

 

「悪い、少し遅れたか?」

 

 

「もー! グラン君がガルニエ地区に寄り道なんてするから!」

 

 

 軍服姿のクレアに連れられ、笑顔のグランと少し頬を膨らませたトワの二人が一同の前に姿を現す。表情をむすっとさせながらトワが話すそれは、間違いなくグランが歓楽街であるガルニエ地区へ寄り道をした事による遅刻を表していた。Ⅶ組メンバーはその様子を見てため息を吐き、他の者達は苦笑を浮かべている。

 クレアが広間をあとにする中、オリヴァルトにアルフィン、セドリックの皇族三人が不意にグランとトワの前へ歩み寄った。先日の事件解決に対するグランやトワの働きに改めて感謝の意を、という事だろう。その顔に笑顔を見せながらオリヴァルトが口を開く。

 

 

「グランハルト=オルランド君、ならびにトワ=ハーシェル君。先日の襲撃事件では本当によくやってくれた。特にグラン君、妹のアルフィンやエリゼ君についてはとても感謝しているよ」

 

 

「僕からもお礼を言わせてください。グランハルトさん、この度は姉を助けていただき本当にありがとうございました。トワさんも、ドライケルス広場における混乱の収拾ご苦労様でした」

 

 

「はわわわ……!? そ、その……勿体無いお言葉です」

 

 

「殿下達にお怪我が無くて何よりでしたよ……って、会長何顔真っ赤になってるんですか」

 

 

「だ、だってオリヴァルト殿下やセドリック殿下から直々にお言葉を頂戴したんだよ? 今でもまだ信じられないというか、恐れ多いというか……」

 

 

「……そうですか」

 

 

 どこか嬉しそうに頬を赤く染め、顔を俯かせるトワを見ながら面白くないといった様子のグラン。そんな彼の様子に後ろに立つリィン達が気付く事は無かったが、グランの正面に立つオリヴァルトはその僅かな変化と理由までもを見抜く。何やら急に前髪を掻き上げて嬉しそうにしていた。

 

 

「ハッハッハ……グラン君も中々可愛い反応をするじゃないか。これは、兄弟共々無意識の内に罪深い事をしてしまったかな?」

 

 

「ほう……それ以上は宣戦布告と捉えるが?」

 

 

「……グラン君、君うちのミュラーと話が合うと思うよ」

 

 

 からかわれたグランはオリヴァルトを鋭い眼光で睨み付け、その視線を受けたオリヴァルトは力なく項垂れる。そんな二人の会話に周囲はどう反応をしたら良いか分からず、ただただ苦笑を漏らすのみ。結局、アルフィンが兄のオリヴァルトに代わって謝罪をする事によってその場は収まった。

 

 

「はぁ、お兄様ったら……グランさん、この度は本当にありがとうございました」

 

 

「私からもお礼を言わせてください。本当に、ありがとうございました」

 

 

 アルフィンとエリゼが軽く頭を下げ、グランが二人からの礼を受け取った事で皆がこの場に集まった目的を終える。そしてサラとトワ、リィン達Ⅶ組はこれからバルフレイム宮を出てトリスタの街へと帰路に着く予定なのだが、直ぐにこの場をあとにする事は敵わなかった。

 それは、彼らが会話を終えた直後に一同の耳へと聞こえたある人物の声が原因だった。

 

 

「どうやらお集まりの様ですな」

 

 

 厳格な雰囲気を孕んだ声が広間へと響き渡る。リィン達がその声に驚きの表情を浮かべる中、コツコツと足音を鳴らしながらその人物は彼らの前へ現れた。精悍な顔付きのその男は、ここエレボニア帝国で現在宰相の地位に君臨するギリアス=オズボーンその人である。

 オズボーンは先程までレーグニッツ知事と共にセドリックと会っていたようで、彼は皇族であるオリヴァルト達へ軽く会釈をした後、リィン達の前へと歩み寄った。

 

 

「して、諸君らがトールズ士官学院のⅦ組か」

 

 

「は、初めまして、閣下」

 

 

「その、お会い出来て光栄です」

 

 

 アリサとエリオット、声は出さないがトワを含めてリィン達は皆オズボーン宰相の放つオーラに気圧されている。そんな中、サラは敵意のこもった目でオズボーンの姿を捉え、グランは表情をそれほど変えずに彼の顔を見ていた。

 そしてサラの視線に気付いたのか、オズボーンは顔を彼女の方へと向ける。

 

 

「久しいな、遊撃士」

 

 

「ええ、その節は大変お世話になりました」

 

 

 笑みを浮かべて話すオズボーンとは対照的に、どこか含みのある声でサラは腕を組みながら瞳を伏せて返す。彼女がこの様な態度を取るのは帝国において遊撃士の活動が衰退した事と関係があるのだが、現状でその事を知るのはこの場でオズボーンとオリヴァルト、あとはグランの三名しかいない。当然リィン達がその理由を知るはずもなく、彼らはサラの態度に疑問を抱きながら視線を彼女からオズボーンへと移した。

 そして、オズボーンの視線はトワの隣に立つグランへと向けられる。

 

 

「顔を合わすのはこれが二度目か。依頼の件は礼を言うぞ、紅の剣聖」

 

 

「それなりの額は要求させてもらうけどな。しっかし、相変わらず評判悪いぞアンタ」

 

 

「フ、何のことかな……そして、隣にいるのが……」

 

 

 オズボーンの視線はグランの隣に立つトワへと移り、厳格な顔で見下ろされた彼女はグランの服の袖を握りながら僅かに震えていた。怖じ気づいた彼女は聞こえるか聞こえないかという小さな声で自己紹介をし、反応を窺うかのようにオズボーンの顔を見上げる。

 直後、トワの姿を隠すようにグランが前へ体を出した。

 

 

「あんまりうちの会長を恐がらせないでもらいたいんだが」

 

 

「フフ、これは失礼。何、来月の通商会議に同行するという学生がどの様な顔かと思ってな」

 

 

「同行……どういう事だ?」

 

 

「直に士官学院へ通達がある、詳細はその時に聞くといい」

 

 

 怪訝な顔を浮かべるグランに、オズボーンは詳しく答える事なく視線を再びリィン達へと移す。次に彼の口から出た言葉、それは先日の事件解決への貢献を労うものだった。その圧倒的な雰囲気にリィン達は萎縮しながらも各々が返事を返し、オズボーンによる彼らへの労いは終わる。

 そしてオリヴァルト達に断りを入れてその場を立ち去ろうとしたオズボーンは、最後にリィン達へ激励の言葉を贈った。

 

 

「諸君らも、どうか健やかに。強き絆を育み、鋼の意志と肉体を養ってほしい──これからの、激動の時代に備えてな」

 

 

 その場の誰もが、オズボーンの放った言葉に声一つ返す事が出来ない。それ程までに、彼の言葉には有無を言わさぬ迫力が伴っていた。そして同時にリィン達は思う。鉄血宰相ギリアス=オズボーン、彼は間違いなく、この時代が生んだ傑物の一人であると。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 帝都の中央を走るヴァンクール通り。その道を走行していた導力トラムがヘイムダル駅前で停車すると、トラムの中からはバルフレイム宮へ行っていたリィン達の姿が次々と現れる。彼らはそのまま駅内へと入り、これから列車に乗ってトリスタへと帰還する途中だ。

 そして、そんな彼らの様子を空から眺めていた青い鳥が一羽。その鳥はヘイムダル駅へ入るリィン達一同、その最後尾をトワと隣り合わせに歩くグランの姿を瞳に移していた。

 

 

「全く、あれだけの機械人形を用意したというのに、あんな短時間で片付けるなんて……危うくあの子が捕まるところだったわね。でも……ふふ、本当に惚れ惚れする光景だったわ」

 

 

 どこか聞いた事のあるその女性の声は、何と空中を羽ばたく青い鳥が発していた。幻聴の類いでは無いだろう、何せトリスタにもセリーヌという喋る猫がいるのだから。勿論セリーヌの場合は特殊な事情があるのだが、もしかしたらこの鳥も彼女と同類か、或いは何かしらの共通点があるのかもしれない。

 ふと、歩みを止めたグランが上空を見上げた。そして見間違いでなければ、今確かに彼の瞳は青い鳥を認識している。

 

 

「あら、気付かれちゃったわね。ふふ……良いかしら、グランハルト。貴方の事を諦めたつもりは無い。必ず、貴方を私だけのものにしてみせるわ」

 

 

 そう言い残し、青い鳥は一層羽ばたくと帝都の空へ消えていった。




今話で第四章は終わりでしょうか。次回から五章のレグラム、クロスベル編へ入る予定です。と言ってもその前に夏期休暇の話を入れようと思っていますが。中間テストで十位以内に入れなかったグランを慰めようと、会長が言ってしまった『一つだけお願いを聞いてあげる』という内容になります。あ~あ、会長そんな事言っちゃうから大変な事に。

そして前回の一件でグランがツンデレに目覚めつつあるようです。皇族から感謝されて顔真っ赤なトワ会長を見て拗ねちゃうなんて序の口、『べ、別に会長のためじゃないんだからねっ!』何て事も……気持ち悪いですね、ごめんなさい。

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