紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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当たり前の日常を

 

 

 

 トールズ士官学院一年、特科クラスⅦ組。オリヴァルトによって明かされたⅦ組設立の真の理由。リィン達に託された思いや期待というのは、彼らの想像以上に大きなものだった。帝国の現状を変える光となる、勿論今のリィン達ではそれほどの存在になる事は出来ないだろう。

 しかし、人は前に進む事で成長する無限の可能性を秘めた生き物である。肉体的にしろ、精神的にしろ、今のリィン達にはまだまだ成長の余地があるのだ。今は出来なくとも、彼らが歩む事を止めない限り、必ず光となる日も訪れる。

 だから今はひたすらに前を、自分達の信じた道を進んでいく。そうする事で、彼らはいつの日か帝国の抱える様々な『壁』を乗り越える事が出来るだろう。

 そして、現在女学院の正門付近でラウラに話をしているグランもまた、オリヴァルトがリィン達に託そうとしている思いに気付いている。彼なりの解釈を混じえながら、ラウラは会食の場で聞くはずだった内容をグランから聞かされていた。

 

 

「今の帝国を変えるために必要なのは、Ⅶ組のような存在なんだろう。だからこそ、ラウラ達なら帝国の現状を変えてくれる……そんな期待を、あの男はしてるんだよ」

 

 

「殿下が、私達にそのような期待を……」

 

 

「まあ、あまり気負いする事も無いだろう。お前達なら必ず、あの男が思っている以上の結果を出す事が出来る筈だ。期待や思い何てものは考えずに、今はただ前へ向かって進めばいい……自分の信じる道をな」

 

 

 グランは笑みをこぼし、隣で胸に手を当てているラウラに向かってそう話した。結局は自分の人生なのだ、オリヴァルトの思いや期待何かは関係ない。自分の信じる道を進まないでどうするんだと。思いもよらない自分達へ託された大きな期待、そんな重圧に心が少しだけ弱気になっていたラウラは彼の言葉で勇気を取り戻した。

 グランの話す通り、今はひたすらに自分の信じる道を進もう。そんな風に心に決めたラウラだったが、直後に彼女はとある疑問を抱いた。

 

 

「グラン……そなたの言葉が妙に他人事に感じるのは気のせいか?」

 

 

 そう、グランは先程『お前達』と言った。彼の話を信じるのなら、オリヴァルトが期待するⅦ組にはグランもいる筈である。なのに彼の話す内容は余りにも他人事だった。

 ラウラがグランの言葉に違和感を覚える中、問われた本人は彼女の顔へ一度視線を移し、いつの間にか闇に覆われていた帝都の空を見上げる。自嘲的な笑みを浮かべたその顔は、ラウラに一抹の不安を過らせた。

 

 

「……何、大した事じゃない。あくまでオレもⅦ組の一員だと思ってる」

 

 

「ふむ……? そうか、それならば良いのだが」

 

 

 彼の返答を受けて心の奥底に何かが引っ掛かるものの、最低限求めていた答えを聞けたラウラは首を傾げながらも納得した。直後に足音を耳にした両者は振り返り、オリヴァルトとの話を終えたリィン達が歩み寄ってきている事に気付く。

 彼らを見送りに来たであろうエリゼが一同に挨拶を交わす中、彼女は何故かリィンの事を無視してその場を立ち去った。リィンに声を掛けられても無言を貫く彼女によって正門は閉じられ、リィンが一人困惑する中周りの皆は苦笑いを浮かべる。

 

 

「エリゼの嬢ちゃん何か機嫌悪かったな。リィン、お前またやらかしたのか?」

 

 

「いや、俺としても心当たりがないんだが……」

 

 

 グランに問われて困ったように頭を掻くリィンの周囲、アリサを筆頭にⅦ組の全員がため息をこぼしていた。実はオリヴァルトの話が終わった後、アルフィンが明日にマーテル公園のクリスタルガーデンで行われる園遊会のダンスの相手をリィンにお願いしたのである。結局アルフィンはリィンを相手にするのを諦めたらしいのだが、あくまで今回はという事のようだ。来年彼女はエリゼと同じく十六の年を迎え、社交界デビューをする事になるという。それまでに考えておいてほしい、それがアルフィンの妥協であった。

 一連の出来事にエリゼが機嫌を損ねるのも仕方がないと言えば仕方がないのだが、リィンに責任が無いと言えばそれも正しい。しかしリィンに自覚が全く無いという一点が、彼を悪者にする理由なのだろう。無自覚もここまで過ぎると呆れを通り越して尊敬する、とはユーシスの談である。間違っていないので誰もリィンをフォローする事は無かった。

 そんなユーシスの言葉にリィンを除く皆が苦笑を漏らす中、そろそろ宿場に戻ろうとグランが一同に向かって意見を述べる。そしてそんな折、彼らの耳にはふと聞き慣れた人物の声が聞こえてきた。

 

 

「いたいた、どうやら殿下の話は終わったみたいね」

 

 

「サラ教官……と、クレア大尉?」

 

 

「ふふ。こんばんは、Ⅶ組の皆さん」

 

 

 女学院正門前、リィンが首を傾げる視線の先。階段を上がって一同の前に現れたのは、サラとクレアという珍しい組み合わせの二人だった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「明日から行われる夏至祭。初日の各イベントに皇族の方々がご出席なされる事は皆さんもご存じかと思います」

 

 

 ヘイムダル駅、鉄道憲兵隊司令所内部。ブリーフィングルームの中では現在、クレアによる明日の夏至祭に関する説明がリィン達に向けて行われていた。

 夏至祭初日には皇族が出席する幾つかのイベントが催される事になっており、アリサ達B班が実習で担当している西側の地区では、サンクト地区のヘイムダル大聖堂にて行われるミサに皇太子のセドリック=ライゼ=アルノール。競馬場で行われる夏至賞には、セドリックの兄であるオリヴァルト皇子がそれぞれ出席をする予定。

 一方リィン達A班が担当する東地区では、マーテル公園のクリスタルガーデンで行われる園遊会にアルフィン皇女が出席する予定となっている。皇族三名がゲストとして、夏至祭初日の各イベントへと招かれているようだ。

 そして何故クレアがこのような説明をリィン達にしたかという疑問が生まれるのだが、実は鉄道憲兵隊の大尉であるクレアが当日の各所行事の見回りをⅦ組にもお願いしたいとの事。クレアの話では、先月の特別実習でA班が直面したノルド高原での戦争危機。それを引き起こしたとされるテロリスト、ギデオンと名乗った男が今回の夏至祭初日にテロを起こす可能性が高いという事らしい。

 鉄道憲兵隊と帝都憲兵隊が協力体制で厳重な警備を行う中、この広い帝都では彼らですら把握出来ていない区画が存在し、警備に穴が無いとも言い切れない。そのためⅦ組に遊軍として当日警戒に当たってもらいたい、それがクレアがリィン達に協力を願い出た理由であった。

 

 

「まあ、受けるか受けないかはあんた達の自由よ。このお姉さんの悪巧みに付き合わない場合は、夏至祭関連の依頼をレーグニッツ知事に用意してもらえるわ。にしても……遊撃士協会(ブレイサーギルド)が残っていれば手助け出来たんだろうけどねー」

 

 

「あの、サラさん? あの件に関して私達は全く関係ないのですが……」

 

 

「どうだか。あんたの所の親分と兄弟筋は今でも露骨だけど?」

 

 

 サラが半目でクレアを見ながら話し、困惑した様子で苦笑を漏らしながらクレアがサラに返すという図面が一同の目の前に広がっている。グラン以外が彼女達の会話に含まれている意味を理解する事は無かったが、彼らは目の前のやり取りを一先ず置いて話し合う事にした。

 話し合うとは言ってもリィン達の答えは既に決まっている。当然彼らがクレアの願い出を断る筈がなく、班の代表としてリィンとアリサが視線を通わせて頷いた後、リィンがクレアへ協力する旨を話した。明日の特別実習は中止になり、夏至祭の警備の協力をする事となる。

 クレアから明日の夏至祭についての細かな説明が行われ、彼女の話が終わった後リィン達はA班、B班に再度分かれてそれぞれの宿場である旧ギルド支部へと戻った。リィン達A班が今日一日の事をレポートに書き終えた頃には既に午後十一時を回っており、明日の朝も早い事から一同は二階の寝室にてそれぞれ眠りに付く。

 そして、時刻は皆が寝静まった午前零時へと進む。

 

 

「……はぁ。今日は中々眠れそうに無いな」

 

 

 旧ギルド支部二階、薄暗い寝室の中ではベッドから体を起こしたグランが表情に陰りを見せながら呟いていた。寝心地が悪いながらも就寝出来た昨日とは違い、今夜は彼にとって非常に眠り辛い事態となっている。その原因は現在隣室で眠っている人物、女学院前で合流したサラにあった。

 今から時を遡る事二年前、帝国内で突如発生した遊撃士協会襲撃事件。当時その事件の首謀者から依頼を受けて事を起こしたグランにとって、事件の被害者のサラとこの場所にいる事は思った以上に抵抗があった。

 彼女が遊撃士を辞める原因、帝国における遊撃士協会の活動が大幅に衰退した事自体は彼のせいではないが、そのきっかけを作ったのは間違いなくグランである。普段のサラの様子を見ても彼女がグランを恨んでいない事は分かるのだが、だからこそ彼は当時の事を仕事だと割り切っていながらも罪悪感に苛まれていた。

 

 

「……気分を変えるか」

 

 

 気分転換に外の風を浴びようと考えたのか、グランはベッドから抜け出してリィン達を起こさないように寝室の扉を開ける。そして彼が寝室を出た同じタイミング、隣の部屋の扉が突如として開いた。

 直後にグランが視線を向けた先、隣室から出てきたその人は彼が今一番顔を合わせたくない人物だった。

 

 

「あら、グランも眠れないの?」

 

 

 サラ=バレスタイン。かつてこの場所で遊撃士として活躍し、帝国遊撃士協会のエースとも呼ばれていた程の人物。しかしグランの目の前には、とてもそうは思えない儚げな彼女の姿があった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「あれからもう二年ですか」

 

 

「ええ、時が経つのも早いわね」

 

 

 旧ギルド支部一階、導力灯の淡い光に照らされながらカウンターにもたれ掛かっているグランとサラの二人は現在、何かを思い返すように言葉を交わしていた。どこか懐かしむように室内を見渡すサラの隣、そんな彼女の姿を見る事に躊躇われたのかグランはずっと瞳を閉じている。この時彼の姿を視界の端に捉えたサラは、グランの心境を察して僅かに笑みをこぼした。

 片や事件を起こした側の人間、片やその事件によって居場所を失った人間。常人であれば言い争いの一つや二つ起こりそうなものだが、そこは人生の先輩でもありグランの理解者でもあるサラのお陰だろう。彼女が取り乱すような事は無いため、状況とは反して静かな空間が広がっていた。

 

 

「サラさんは、今でもオレを恨んでますか?」

 

 

 ふと、グランがサラに向けて問い掛ける。瞳を開いた彼の表情はいたって普通だが、その問いの裏に後悔の念がこもっている事はサラも直ぐに感づいた。

 もしかしたら、二年前の事をグランは今でも引きずっているのかもしれない。そう思い至ったサラは、彼の体に軽く肘打ちを当ててから口を開く。

 

 

「らしくないわねぇ。あんたは恨みつらみを気にするタイプじゃないでしょうに」

 

 

「流石にこの状況下だと多少は気にしますよ……で、実際のところどうなんです?」

 

 

「んー……まあ、正直なところ最初は恨んだわ。今はもう恨んでなんか無いけど……あ、奴らは別ね」

 

 

 当時の二人は敵同士である。襲撃者のグランに対してサラが敵対心を持たない訳がなく、事件の後に段々と活動が衰退していた状況で彼女がグランへ負の感情を覚えなかった筈がない。

 だが、そう考えると一つだけ疑問に浮かぶ事がある。それはサラがトールズ士官学院に再就職した後、学院へ入学するようにと彼女がグランを誘った点だ。今でも恨んでいるのかというグランの問い、彼の質問の意図はそこにあった。

 

 

「いつか聞こうとは思ってました。事件の後のふとした偶然から付き合いが出来たとは言え、どうしてオレを士官学院へ誘ったのか。オレの目的に必要とは言いながらも、貴女が隠している本当の理由は未だに分かりません」

 

 

「……ふふ、なるほどね。あんたの目的に力を貸すっていうのとは別に、何か私に意図があると?」

 

 

「当たり前でしょう。あの日オレが目的を話して真っ向からそれを否定した貴女が、途端に協力すると言ったんです。そしていざ入学してみればフィーすけがいるわ、明らさまにオレの過去をバラそうとするわ……最初は嫌がらせで呼んだんじゃないかとも考えましたよ」

 

 

 頭を抱えながら当時の心境を話すグランの横、彼がそうなる原因を作ったサラ本人は苦笑しながらその姿を見詰めていた。

 自身の父親を討ち取るためにグランは力を求めている。そしてそれを知ったサラは当時、その目的を真っ向から否定した。どのような過程を辿っても、悲しい結末を向かえるであろうその目的。サラでなくても反対するだろう。

 しかし、彼女は途端に意を翻して協力すると言いグランを士官学院へ誘った。そして何故か、入学した後に彼にとって嫌がらせとも言える出来事がサラによって仕組まれていたのだ。そのような理解不能な行動、グランには分かり得る筈もない。

 

 

「そう思われても仕方ないわね。これはフィーにも言える事なんだけど……あんたには、年相応の時間を過ごしてもらいたかったのよ」

 

 

「年相応の時間?」

 

 

「ええ。普通に学校に行って、普通に友達をつくって、普通に楽しい毎日を過ごす。そんな当たり前の毎日を……あんた達には欠けていたものよ」

 

 

 それは、弟を心配する姉心のようなものか。微笑みながら話すサラの言葉からは、そんな心理が垣間見えていた。

 人が成人を向かえるにあたり、必ずと言っていい一つの過程がある。学校と呼ばれる勉学を教える場にて、生きていく上で必要な最低限の教養を身に付けるというもの。そしてその環境の中で人々は友と呼べる仲間を作り、教養とは別にゆっくりと豊かな心を育んでいく。教育過程を終えた頃には、ある程度の常識をそれぞれが身に付けているだろう。

 だが、フィーやグランは境遇上その過程を歩む事は敵わなかった。フィーもグランも、生まれた時の環境が普通ではなかった。

 フィーに関しては、彼女は気が付いた頃に戦場にいたのだ。遭遇したのが『猟兵王』でなければまた違った道が見えていたかもしれないが、そもそも戦災の中で普通の日常に戻るような何かが起こるなど想像がつかない。

 グランに関して言えば、彼はそもそも生まれた家系が特殊だった。生まれた時から猟兵になる事が決められていたため、普通の日常を過ごすとなると今回の生は諦めないといけない。フィーとグランに普通の日常が欠けているのは仕方が無く、だからこそサラは両者に手を差し伸べたのであろう。

 

 

「そしてその中には、あんたが求めている欠落した“何か”がきっとあると私は思ってる……これが私の本心よ」

 

 

 非日常の世界を生きてきたグランに欠けている何か、あるとすればそれは日常の中かもしれない。同時に日常を過ごす中で彼の考えも変わればそれが一番いい、そのような思惑もあってサラはグランをトールズ士官学院へと誘った。父親を討ち取るために力を求めているというその理由は一先ず置き、学院での生活が彼にとって得難い何かを与えてくれると信じて。

 そしてその成果は少なからず今のグランに顕れている。士官学院での日常は、普通というものを余り経験した事のない彼に癒しをもたらし、リィン達のような同年代の仲間も出来た。何より、仲間である彼らと共に時を過ごすというのが大きいだろう。共に喜びを分かち合い、悲しみを共有し、助け合うという毎日は彼の幼い心を確かに育んでいる。父親を討ち取るべく磨きあげてきた実力と、その過程で得た様々な人脈。それらが置き去りにしてしまった、未だ成長過程のグランハルトという少年の心を。

 

 

「……まあ、フィーすけの事は正直感謝してます。西風の団長はあいつを戦場から遠ざけたかったみたいだし、結果的に戦場と無縁と言うには難しい場所で収まりはしましたが、争いの絶えないあの場所よりは遥かにマシでしょう」

 

 

 あくまでフィーの事に関してだけ、グランはサラへ向かって頭を下げる。彼女の本心を聞いた事で自分がどれだけ思われているのかを知り、素直に感謝をするのが恥ずかしくなったというところだろう。

 そしてそうなるとからかいたくなるのがサラ=バレスタインという人間である。

 

 

「照れてる照れてる。全く素直じゃないわねぇ……もう少し自分の事に対する感謝をしなさい。こう、私のお陰でっていうエピソードとか無いの?」

 

 

「……オレは今のところサラさんに酒を飲まれたっていう最悪の思い出しか残ってないんですが──って、そう言えばそもそもそれが原因で会長にバレたんじゃないですか!」

 

 

「あっははは……そんな事もあったかしら?」

 

 

 そしてここに来てまさかの墓穴を掘ってしまったサラ。しんみりとした静かな空間は一転。色々と思い返したグランが、二階のリィン達も起きてしまうのではというほどの声を彼女に向かって上げ始める。一番の原因はグラン本人にあるため逆恨みもいいところなのだが、飲酒を容認していた身であるサラは力強く言い返す事は敵わなかった。

 結局、グランがトワに鍵を掛けられたという棚の解錠をサラが手伝うことで話がまとまったのは午前一時を回った頃である。




……漸く特別実習の二日目が終わった。そしてトワ会長が出せなくて禁断症状ががががが。

ともあれ次回会長が出ます! これで勝つる!

実はこの回、夜中の旧ギルド支部一階ではグランとリィンが話すという流れで初めは進めていたんです。そしてリィンの恥ずかし発言でグランの顔がポッと赤くなるという流れ……まで書いてアッーと叫んで書き直しました。この小説にBL成分は含まれておりません。

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