──きゃあああああ!──
「エリゼ……!?」
旧校舎の入口を入って直ぐのフロア内。エリゼの姿を探しに中へと訪れていたリィンは今、突然地下から聞こえたその悲鳴に動揺の色を隠せないでいた。焦りをあらわにしながら昇降機のある部屋まで駆け出し、その後を成り行きで彼に同行していた二年生のクロウとⅠ組のパトリックという珍しい組み合わせが続く。
リィン達が部屋に入った同じタイミングで地下からは昇降機が到着し、三人はそれに乗るとエリゼの悲鳴が聞こえてきた地下へと降下を始める。第一層、二層、三層を過ぎ、昇降機は此度出現した第四層で停止した。
四層へ降り立ち、三人は目の前の光景を視界に捉えて唖然とする。眼前には巨大な騎士人形、そしてその下方には意識を失って倒れているエリゼの姿。三人の焦りは頂点へと達した。
「エリゼーーーーーー!」
騎士人形がエリゼに向かって大剣を振り上げる。リィンは叫ぶが、彼女が意識を取り戻すことはない。双方の距離を考えてもここから間に合うとは到底思えなかった。彼らの脳裏を絶望が過る。
絶体絶命の窮地、そして騎士人形が振り上げた大剣の動きを止めた正にその時。突如としてリィンの身に異変が起きる。
「オオオオオ……ッ!」
リィンは自身の胸を押さえ、上体を反らしながら突然咆哮を上げた。場の空気はチリチリと肌を焼くような錯覚を起こすほどの変容を見せ、彼の黒髪は徐々に銀色へ、ラベンダー色だった瞳も燃えるような灼眼へと変色していた。リィンの後方で一連の変化を見ていたクロウとパトリックも驚きと動揺を隠せない。
リィンが突然にして上げた咆哮も、数秒で収まりを見せる事となる。しかしクロウ達が向ける視線の先、そこにいる彼は今までの心優しい彼ではなかった。赤黒いオーラをその身に纏いながら、獰猛な瞳で騎士人形を見詰めている。その両手には、鞘から抜刀していた一振りの太刀を握り締めて。
「シャアアアアアッ!」
直後、覚醒したリィンは瞬く間に騎士人形へと詰め寄った。
ーーーーーーーー
旧校舎地下第四層。変容を見せたリィンと騎士人形による刀と大剣の応酬が繰り広げられる中、天井の梁からその様子を眺める存在が二つ。一つはエリゼが旧校舎に入る一因となったセリーヌだった。眼前で行われている戦いを興味深げに見詰め、何かを見定めようとしている。
そして、もう一つの存在である彼はセリーヌの横で胡座をかき、彼女と同じようにその戦いを傍観していた。首まで伸びた紅い髪に、戦いを見詰めている真紅の瞳。腰に下げられた刀は彼の扱う流派に必要不可欠な得物。そう、グランである。彼はリィン達が旧校舎に入る以前にエリゼを見つけていたのだが、声を掛けようとしたところをセリーヌに止められてしまい、念のために気配を隠しながら彼女の後を追って現在に至るというわけである。
「なるほど、あの時感じた正体はこれか」
先々月、五月に行われた実技テストの際にリィンから感じていた妙な気配。突如目の前でその姿を変えたリィンを見て、漸く合点がいったとグランは声を漏らしていた。その隣ではセリーヌが手を出すなとしきりに念を押しており、リィンの様子を見ながら同時に彼の動向にも注意を向けている。
そしてグランとセリーヌが向ける視線の先、リィンと騎士人形の戦いはリィンに戦況が傾きながら未だ火花を散らしていた。騎士人形の動きが決して遅い訳ではないのだが、変容したリィンの速度は異常とも言える速さ。加えて一太刀の威力がこれまでの比ではないほどに高く、巨大な甲冑とも互角以上の戦いを繰り広げられるほどに彼の身体能力が向上しているようだった。しかし騎士人形も余程頑丈なのか、リィンの太刀による攻撃に体勢を大きく崩すことなく応戦する。
このままの戦況の流れであれば、恐らくリィンの勝ちが濃厚だ。疲労による能力の低下も考えられなくもないが、その前に騎士人形の方が保ちそうもない。大剣による一撃はリィンに全て回避され、逆にリィンの太刀による一閃は全てその甲冑に当てられている。取り返しのつかない事態に陥る前に助太刀に入る事を決めていたグランだが、気を失っているエリゼも騎士人形の攻撃対象からは既に外れているため、現状で彼も余り心配していないようだった。しかし、リィンの優勢のまま終わると思われた戦いはここで変化をむかえる。
──オオオオオ……ッ!──
戦いの最中、リィンはまたしても上体を反らすと胸に手を当てながら唐突に叫んだ。現在彼の体の主導権を握っているのは、彼の内に眠っていた獣じみた存在。ならば今度はリィン本人がその存在を抑え込もうとしているのか。眺めているグランはそのような印象を突然の異変から感じ取るが、その考えは正しかった。上体を反らしたリィンの髪は元の黒髪に、瞳もラベンダー色へと徐々に戻ってきている。纏っていた赤黒いオーラも消失し、息を切らし始めるリィンからは普段の穏やかな雰囲気が漂い出していた。
「へぇ、どうやら抑え込む事は出来るみたいね」
「その口振りからすると、あの力の正体を知っているみたいだな」
「さあ、どうかしら?」
元の姿へ戻ったリィンを見て満足げに声を漏らすセリーヌを横目に、グランは彼女へ向けて訝しげな視線を送る。当のセリーヌは何処吹く風で彼の視線を受け流すと、助太刀に入ったクロウの援護を受けながら再び騎士人形を相手にするリィンの姿を眺めていた。まともに返答をもらえなかったグランは少し不満げなようではあるが、彼女と同じく目下で繰り広げられている激闘に視線を移して戦闘の行方を見詰める。その視線は先のセリーヌのように、何かを見定めようとしている類いのものであった。
「(寧ろ興味深いのはここから、か……)」
グランの視線は、リィンの後方から双銃による援護射撃を行っているクロウの姿に固定されていた。
ーーーーーーーー
──ったく、こんな修羅場は一年前に卒業したはずだっつうの──
数分、或いは数十分にも感じた激闘の果て。一人と一匹の見下ろす先では勝者であるリィンとクロウの姿があった。巻き込まれた形になったクロウは勘弁してほしいと言った様子で息を切らし、同じような状態のリィンと二人、倒れている騎士人形へと視線を移している。
巨大な騎士人形との戦闘は、何故かARCUSを所持していたクロウとリィンが戦術リンクを上手く繋げ、結果的に辛くも二人に軍配が上がった。戦闘中に残りのメンバーであるパトリックがエリゼを安全な場所へと移動させていたため巻き込まれる事もなく、一連の騒動は無事に解決する。
そして、意識を取り戻したエリゼの元へリィンとクロウが駆け寄っていく中、その様子を天井の梁から眺めていたグランはどこか納得していない表情を浮かべながら考え事をしていた。
「(オレの見当違いだったか……まあ、別にどうでもいいんだが)……さて、随分と遅い到着だったな」
思考を切り替え、クロウに向けていた視線を外したグランは上の階から下降してきた昇降機へとその顔を向ける。そこにはエリゼを探していたⅦ組の皆に加え、彼らの担任であるサラ。同じく協力していたと思われるトワ、アンゼリカ、ジョルジュの二年生組の姿も見えた。リィン達の元に駆け寄った皆はそれぞれ安堵の表情を浮かべており、エリゼの無事を喜んでいるようだ。約一名エリゼに怪しい視線を向けている者も中にはいたが。
そんな中、一人出るタイミングを逃してしまったグランはどうしようかと頭を悩ませていた。今飛び出したところで気まずくなるのは目に見えているわけであり、出来ればこのまま皆が去った後にこっそりと旧校舎を抜け出すのがベストだと思い至る。と言うわけで彼はこのままリィン達が立ち去るまで待とうと彼は考えたわけなのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。
──えっ!?──
「あら、見つかったみたいね」
まるで他人事のように話すセリーヌの視線の先では、驚きの表情を浮かべて天井を見上げているエマの姿が見える。どうやら彼女はセリーヌの気配を察知して見上げたようだが、まさかグランまでがいるとは思わず驚いているのだろう。彼女の驚きの声にリィン達他のメンバーも揃って天井を見上げ、同様の反応を見せている。
しかしこの状況、グランには堪ったものではない。強制的に皆の前に降りなくてはいけないだけでなく、何故こんなところにいるのか。又は、いたのなら何故助けなかったのか等色々と問い詰められる事が容易に想像できるからだ。
「お、おう」
行き詰まったこの状況下、額に汗を滲ませたグランは何となく右手を挙げてみる。リィン達から返ってきたのは揃ってジト目、厳しい反応であった。
グランは一人大きくため息を吐くと、隣で他人事のように鼻歌を歌っているセリーヌへ鋭い視線を向ける。元はと言えばエリゼを見つけた時に声を掛けようとしたのを止めたのは彼女であり、グランにそこまで非はない。本来ならこのような事態に陥ることなく終わっていたのだから。
「どうせなら気配も消しとけっての」
「じゃあ逆に聞くけど、気配ってどうやったら消せるの?」
「は、反省してねぇ……」
所謂開き直りである。そっぽを向いたセリーヌにグランは頭を抱えると、再度下を見下ろした。ここでじっとしていたところで状況を切り抜ける事など無理だと分かっている。どうせなら彼女も巻き込んでやろうと、彼はセリーヌの首根っこを掴むとその場から飛び降りた。猫が悲鳴を上げるという珍しい光景が広がる中、常人なら自殺行為のそれは真下にいるリィン達も驚いているようだ。
直後に難なく着地を決めたグランを目の前に、一同の顔は唖然としていた。
「良かったなリィン、嬢ちゃんが無事で」
「ニャア」
グランが笑顔でリィンに声を掛ける中、彼の手にぶら下がったセリーヌはあくまで普通の猫を演じ続けている。リィンはグランの声に苦笑いで返し、他のメンバーは彼の行動に呆れているが、そんな最中エマは大量の冷や汗をかいていた。セリーヌがボロを出さないか内心ハラハラなのだろう。そして予想通りというか、グランの掴んでいるセリーヌを見たエリゼは思い出したように声を上げた。
「そうでした。わたし、この猫を追ってここまで来てしまって……」
「ほうほう。だそうだが、どういうわけだ?」
「……ニャア」
エリゼの言葉を受けて掴んでいるセリーヌに問い掛けるグランだが、やはり彼女はシラを切った。猫に聞いてもしょうがないだろうとリィン達がグランに突っ込みを入れ、エマも大袈裟なリアクションで彼らに賛同してセリーヌの話題からはすぐに外れる。グランも仕返しは十分だったのか、これ以上話を広げる事はなかった。
あとはリィンとクロウが相手にした騎士人形についてなのだが、この事は後日調べるということに決め、エリゼの体調も考慮した上で一先ず旧校舎を出ようと一同は昇降機に向かって歩き始める。
そしてこの時、アリサがアンゼリカの魔の手からエリゼを守っている様子を遠目に見ていたグランは、そんな彼女達へ同じように視線を向けているリィンに気付く。セリーヌを掴んでいた手を放した後に、彼の傍へ近寄ってその肩を軽く叩いた。
「どうしたんだ?」
「リィン。妹の事、大事にしてやれよ」
オレが言える事じゃないが、と後に続けたグランはリィンをその場に残して先に昇降機へと向かった。彼の言葉に思うところがあったリィンはその表情を曇らせるが、グランに言葉を返す事なく同じく昇降機へと向かう。自分がどうこう言えるものではないと理解しているからだ。
そして、グランとリィンが言葉を交わしている姿を後ろから見ていたエマは一人、何食わぬ顔で足元に隠れていたセリーヌを見下ろす。その視線は鋭く、彼女は明らかに怒りの感情をあらわにさせていた。
「……後でグランさんと一緒に詳しく聞かせてもらいます」
「……ニャア」
この期に及んで、セリーヌは未だに普通の猫を続けていた。
ーーーーーーーー
翌日の早朝、トリスタ駅のロビーにはⅦ組の皆が集まっていた。二年生組からは代表でトワが顔を覗かせており、リィンを先頭に十一人が向ける視線の先には昨日士官学院を訪れたエリゼの姿が見える。この時間は帝都行きの列車が出る事になっており、リィン達はエリゼの見送りに来ているというわけだ。
列車の時間までリィンとエリゼが他愛もない会話を行っている中、ふと落ち込んだ素振りを見せた彼女の頭をリィンが撫でている。その光景を後ろから見ていた他のメンバーは様々な思いを抱くが、アリサとエマの言葉に皆の意見が殆ど集約されていた。
「はぁ。妹さんにとはいえ、あんな事を平然とやるんだから……」
「あはは……あんな風にさりげなく頭を撫でるとか反則ですよね。八葉一刀流って一体何なんでしょうか」
「……なんとなしにオレまで馬鹿にされてないか?」
リィンの朴念仁振りにグランまで巻き込まれた形だが、彼の行動にも同じように当てはまる事があるのだろう。エマの呟く後ろではトワとラウラが頭を縦に振っていたりする。
そしてとうとう列車の時間を告げる場内アナウンスが流れ、エリゼは名残惜しそうな表情でリィンの顔を見上げていた。そんな彼女に心配をかけまいと、リィンは笑顔で語る。
「昨日の一件で、少しずつだけど前に進めているんだって事が実感出来た。だから心配しないでくれ。いつになるかは分からないけど……必ず、エリゼが納得するような答えを出してみせるからさ」
「リィン兄様……」
彼の声に対し、エリゼの顔は晴れやかとまではいかないが、不安といった様子は感じられなかった。それでも心配しなくて大丈夫と言われたところで、彼女も多少の心配事は残っている。主に女性関係的な面でだが。
そんなエリゼの心境を察したのかそうでないのか、後ろで会話を聞いていたグランは二人の傍へと近寄った。リィンの横に並んだグランは先ほどの彼と同じように、エリゼの頭に軽く手を置いている。
「あ……」
「大丈夫だ嬢ちゃん。嬢ちゃんの大好きな兄様にはオレ達がついてるんだ、心配すんな」
エリゼの不安感を払拭しようとして行った事なのではあろうが、やはりグランとリィンの二人には何か共通点があるようだ。エリゼもリィンに似た温もりを頭に置かれた手から感じ取り、少し呆気にとられている。
一見、グランの取ったそれは他人の妹を気に掛ける実に思いやりのある行動だ。しかし今回はそのやり方に問題があり、こうなると彼はもう標的を免れないだろう。
「はぁ、相手がエリゼさんで良かったと思った方がいいんでしょうか?」
「全く、普段はだらしがないのにこういう時に……」
「あはは……」
頭を抱えながらエマとラウラが話す近くでは、エリオットが彼女達の様子に思わず苦笑いを浮かべていた。ユーシス達他の男性陣は微笑ましいといった様子で一連の光景を眺め、それぞれが温かい眼差しを向けている。
そしてそんな彼らの後ろでは、グランがエリゼの頭に手を置いている様子を、複雑な表情を浮かべて見詰めるトワの姿があった。恥ずかしそうに顔を赤くするエリゼに対して笑みを浮かべているグランを視界に捉えた彼女は、少しだけ頬を膨らましてロビーの床へと視線を落とす。
「……グラン君のバカ」
トールズ士官学院の生徒会長は、意外と嫉妬深かった。
やっと自由行動日が終わった……次回は実技テストから入ります。
そして会長がちょっとしか出ていない……これでいいのかメインヒロインなのに。