紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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第一ノ試シ

 

 

 

 リィン達が旧校舎探索を終え、散々になった後の事。ラウラは一人ギムナジウムに訪れ、練武場の中へと入っていた。彼女は部屋の中央に立つとその両手に大剣を握り締め、静かに瞳を伏せている。

 無駄な力の入っていないその悠然たる構えは、学院トップクラスの実力と噂されるに値する隙の無さだった。静寂が部屋の中を包み込み、ラウラは一息吸うとその瞳を見開く。

 大剣は彼女の脳裏でイメージされた正面の敵へと振り下ろされ、空気を切り裂く音が部屋中に響いた。間髪いれずに跳躍を行い斬り上げ、着地と同時に体を回転させるとその場で横一閃に振り抜く。初撃の前の構えに戻ると、ラウラは漸く息を吐いた。

 その時、突然拍手の音が練武場の中に響き渡る。集中し過ぎてその存在に気付けなかった彼女は音のする部屋の入口に視線を移し、そこに立っているグランの姿を視界に捉えた。

 

 

「そなたも人が悪い。そこにいたのなら声を掛けてくれても良かったのだが」

 

 

「あんまり集中してるんでな……しかし、何とも迷いのある動きだな」

 

 

「ふふ……そなたは正直だな。先程来ていたリィンとは正反対の言葉だ」

 

 

 先程の流れるようなラウラの剣捌き。それは彼女のベストではなかったようで、グランは遠目からその事を一目で見破っていた。同じくグランが訪れる前に来ていたリィンも彼女の剣筋に迷いがある事に気付いたようだが、彼は気を遣ってグランとは逆の言葉を口にしたらしい。

 ラウラは笑みを浮かべながら剣を腰の鞘に納めると、グランの元へと歩み寄り、彼に向かって苦笑を漏らしていた。見られたくないものを見られたと言わんばかりに、彼女は苦笑いでその場を誤魔化す。

 

 

「初撃の振り下ろしは遅れて、斬り上げも跳躍とタイミングが合っていない。最後に関しては少し体勢崩してただろ」

 

 

「う……そこまでストレートに言わなくても分かっている」

 

 

「まあなんだ、気を紛らわすためにやってたんだろうが……そんな状態で剣振ったって得られるものはないぞって言いたいわけだ」

 

 

「うぅ……そなたは私をいじめに来たのか?」

 

 

 容赦なく意見を口にするグランの顔を、ラウラは涙目になりながら上目遣いで見詰めていた。自分で分かっていても、ここまで突っ込まれると流石に少し落ち込んでしまうようだ。案の定グランはそんな彼女の顔を見て笑みを浮かべており、この状況だけ見ると本当にグランがラウラをいじめに来た、と思われても仕方がない。

 そんな時、落ち込んだ様子で顔を俯かせるラウラはふと頭の上に温かな感覚を覚えた。彼女が顔を上げると、そこには先程まで落ち込んだ自分の姿を笑っていたグランが頭の上に手を置いてきている。

 そして同時に突然発生した原因不明の熱。彼女の頬は赤く染まり、その体温は急激に上昇していた。現在の状況が飲み込めずラウラが呆然と立ち尽くす中、グランは彼女の腰に下げている鞘から大剣を抜くと部屋の中央へと移動した。

 

 

「迷いのある今のラウラじゃ何をやっても駄目だ。その迷いの原因を断ち切るまでは……フィーすけとの仲違いを解決するまではな」

 

 

 呆然と立っているラウラに向けて声を上げた後、グランは先程の彼女と同じ構えで大剣を片手に持つと瞳を伏せる。数秒の精神統一を終えてその瞳を開いた直後、グランが振り下ろした剣は空気を切り裂くと共にラウラの時とは一段高い音を伴った。その後に行われた斬り上げも、着地と同時に旋回して放った一閃も、そのどれもがラウラの時とは一段高い音を伴って空気を切り裂く。動きは先程のラウラとほぼ同じなのにもかかわらずだ。

 その理由はいたって簡単だった。剣を振るうスピードの違い、ラウラの時よりもグランの剣を振るう速度が速いだけ。全ての動作が完璧なタイミングで行われたからこその違い、迷いがあるか無いかでその差は生まれる。

 

 

「完成形は光の剣匠なんだろう……だから今のは通過点くらいに覚えといてくれ。迷いさえ断ち切る事ができれば、今のラウラなら造作もないはずだ」

 

 

 ラウラは現在、目の前で軽々と大剣を片手に構えて笑顔を向けてくるグランに驚きを隠せなかった。確かに実力はグランの方が遥かに高い。だが今彼が握っているのは自分の体の一部と言っても差し支えのない使い慣れたもの、少なくとも大剣の扱いは自分の方が得意だという自負があった。

 それがどうだ。彼は初めてそれを扱うはずなのに、自分より数段上を行っている。剣筋、スピード、体捌き、そのどれもが自分を上回っていた。さすがの彼女もこれには驚かざるを得ない。そしてこの時、ラウラにはグランの姿が自分のよく知る最高の剣士と重なって見えていた。

 

 

「(グランは既に、父上と同じ領域に足を踏み入れているのだな……理に至った者は武器を選ばないと言うが、グランもその域まで達しているのだろうか)」

 

 

「どうしたんだ?」

 

 

「(何故だろう。もっとグランの剣が見たい、もっとグランとこのような時を過ごしていたいと思う自分がいる……)」

 

 

 一人首を傾げるグランの顔を見ながら、突如彼女の内に芽生えた不思議な感情。それを恋だとラウラが認識することはないが、その感情が芽生えた事で物事は良い方向へと向かおうとしていた。彼女は瞳を伏せると、暗闇で佇む自分と向き合った。

 思い出せと、自身の姿に向けて訴える。決めたはずだと、目の前の自分が投げ掛けてくる。そして、ラウラの声と目の前に佇むもう一人の彼女の声は、交互に折り重なり合うように心の奥底でこだました。

 

 

──グランと同じ時を過ごすために──

 

 

──彼と対等な立場で剣を交えるために──

 

 

──そんな未来を描くために──

 

 

──ここで迷いを断ち切る決意を──

 

 

「(私は何をこんなところで迷っている……そうだ、私はグランを止めると決めたではないか)」

 

 

 グランと今日のような時間を過ごすためには、彼の目的も止めなければいけない。そのためには更に精進しなくてはならない、ここで迷っているわけにはいかないとラウラは思い至った。そして、瞳を開いた彼女の顔にはもう、先のような迷いはない。

 彼女は既に、自身が抱えているフィーとの確執を取り除く方法を以前から見つけていた。フィーの性格上中々その方法を実行出来ずにいたが、ここに来て漸く決心がついたようだ。

 

 

「そなたに感謝を。私も漸く決心がついた……フィーと、正面から向き合ってみようと思う」

 

 

「よく分からんが……何か自己解決したみたいだな」

 

 

 グランにとっては知らない間にラウラが一人で解決していたのでおいてけぼりを食らっているわけだが、笑顔を浮かべている彼女の顔を見てそのような些細な事は気にならなくなったようだ。ラウラの近くに歩み寄り、彼女が腰に下げている鞘へと剣を納める。

 自分のやるべき事は終わったと、グランはラウラの隣を横切ってそのまま練武場を去ろうとした。だが元々用があってここに訪れたのだろうと思ったラウラは、彼の後ろ姿に問い掛ける。

 

 

「そうだ、そなたは元々用があってここに訪れたのではないのか?」

 

 

「ああ、空いてたら使おうと思ったんだが……今日は止めとく。それに学院長も出掛けてるみたいだしな」

 

 

「ふむ? そうか……では、もしそなたさえよければ──」

 

 

 フィーと向き合うその場を見届けて欲しい、そう続けようとしてその声は突如鳴り響いた彼女のARCUSの呼び出し音によって遮られた。若干不満げな声を漏らしながらARCUSを手に取ったラウラは、通信先の声に耳を傾ける。

 通信はアリサからのものだった。どうやら現在学院にはリィンの妹が訪れているらしく、先程リィンが家督を継がないという話を妹にした際にその姿を見失ってしまったという。リィンの妹の姿を見ていないかというのがアリサの通信内容だった。旧校舎の探索を終えてから練武場に籠っていたラウラは当然見ていない、彼女がグランに問い掛けてみるが彼もそれらしい人物は見ていないと話す。その事を聞いた通信先のアリサは見かけたら教えて欲しいと一言告げた後に通信を切った。恐らく他のⅦ組メンバーにも確認するのだろう。

 通信を終え、心配になったラウラは当然鍛練を中止してリィンの妹を探すことに決める。横で話を聞いていたグランも、彼女の視線を受けて頷いて見せた。

 

 

「ラウラはグラウンドの方を頼む。オレはそれらしい気配がないか学院内を探ってみる」

 

 

「承知した」

 

 

 二人は顔を見合わせた直後、ギムナジウムを飛び出した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「……ここは、一体……」

 

 

 茜色の空を淡い闇が覆い始めた頃、旧校舎の地下第四層では黒を基調とした制服を纏う一人の少女が昇降機の前でフロアを見渡していた。赤みを帯びた瞼は涙を流した後なのか、少女は両目を擦ると眼前にそびえる赤い扉へと歩み寄る。

 少女の名前は、エリゼ=シュバルツァー。リィンの妹であり、現在Ⅶ組メンバー総出で探している少女本人である。兄妹喧嘩の末に、彼女は黒猫を追ってこの旧校舎内へと足を踏み入れていた。リィンとエリゼの喧嘩……正確には彼女が一人怒って立ち去ってしまったのだが、その原因の根本はリィンの出自にある。

 シュバルツァー男爵家は代々、皇帝家とも所縁のある由緒正しき家系であった。当主であるテオ=シュバルツァーも社交界に度々顔を出し、ユーシスの兄であるアルバレア公爵家のルーファスに狩りを手解きする等、名門貴族とも交流をしていた事がある。

 しかし、テオ=シュバルツァーが雪山でリィンを拾って彼を養子に迎えた十二年前、シュバルツァー男爵家はその事をゴシップとして上げられた。ユミルの当主は、出自も知れぬ浮浪児を拾った酔狂者だと。その事を境に、テオ=シュバルツァーは突然社交界に顔を出さなくなってしまう。

 ユミルに引きこもり、狩り道楽を送る毎日。リィンはそんな父の姿を前にして、こうなってしまったのが自分のせいだと思った。そして、来年十六歳になり社交界デビューを果たす妹にも同じように迷惑をかけてしまうのではないかと。だから自分はシュバルツァー男爵家を継ぐべきではないと、リィンは判断した。彼がその事をエリゼに打ち明けた後、今に至るというわけだ。

 

 

「兄様のバカ、父様と母様の気持ちも知らないで……それに、私のバカ」

 

 

 赤い扉へと歩み寄りながら、エリゼは肩まで伸びた黒髪を棚引かせて呟いた。家族の気持ちも知ろうとしない兄に向かって、怒鳴る事しか出来ない自分に向かって。

 エリゼはこれまで、兄であるリィンの事を迷惑だとかそんな風に思った事は一度もない。寧ろ彼と血の繋がりが無いことを知ってから、兄に向ける好意とはまた違った特別な感情を抱くほどリィンの事が大好きだった。だからこそ、迷惑をかけてしまうからと言った彼の言葉が許せなかったのだろう。

 この後どうしよう、と彼女は戸惑いながら目の前にそびえる赤い扉を見上げた。するとその時、突然その赤い扉から声が発せられる。

 

 

≪第四拘束解除後ノ初期化ヲ完了≫

 

 

「と、扉から声が……」

 

 

≪《起動者》候補ノ波形ヲ五十あーじゅ以内ニ確認≫

 

 

 狼狽えるエリゼにお構い無しに、赤い扉の先からは無機質な音声が流れ続けていた。彼女は得たいの知れないこの扉に対して畏れを抱き、その足を一歩二歩と後ろへ動かし始める。しかし、扉の先から声が止むことはなかった。

 

 

≪コレヨリ『第一ノ試シ』ヲ展開スル≫

 

 

 無機質なその声は止んだ。だがそれで安心したのか、エリゼは何だったんだろうと呟きながら後退していたその足を止めてしまう。直後に扉の中央にある赤い紋様が突然回転を始め、リィン達が何をやってもびくともしなかったその赤い扉は開かれる。

 扉の中から現れたのは、何かしらの金属で構成された巨大な騎士人形だった。片手にはその巨体に見合う大剣が握られており、ガシャリと足音を響かせながら腰を抜かしたエリゼの元へと近づいていく。

 一方、エリゼは突然目の前に現れた巨体な騎士の姿に腰を抜かしたまま動かなかった。恐怖のあまり、その場を動くことが出来ないのだろう。その瞳にはじんわりと涙が浮かび始めている。

 

 

「嫌……リィン兄様、助けて──」

 

 

 エリゼが涙をこぼす中、騎士人形の握る大剣は大きく上方へと振り上げられた。力なき少女に、その剣を防ぐ術はない。そして同時に、彼女の後方にある昇降機が突然上昇を始めた。彼女の唯一の逃げ場であるそれはまるで、この場に必要な役者を迎えるが如く旧校舎の一階に向かっている。

 エリゼが叫び声を上げ、無情にも騎士人形の振り上げた大剣は彼女の真横に振り下ろされた。その一撃は轟音と共に頑丈な石造りの床を粉々に砕き、近くにいたエリゼも吹き飛ばされて床の上に横たわる。気絶してしまったようで、今度こそ本当に動く事が出来ない。 

 死の宣告を告げるように、騎士人形は彼女の元へと再び近づいていく。そんな中、フロアの天井にある梁の一部からその光景を見下ろす存在がいた。

 

 

「さて、お手並み拝見といくわよ。リィン=シュバルツァー」

 

 

 リボンの括られた黒い尻尾を揺らしながら、彼女はこの場に訪れるであろう彼へと告げる。

 

 

 




エリゼ登場!ついでにオル=ガディアも登場!次回は遂にリィン兄様が覚醒します。

そして重大な事実に気が付きました。まだ自由行動日終わってない!それに日常パートなのに二話連続で会長が出ていない……でも次回はきっと出るよ!

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