紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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それぞれの思い

 

 

 

「ふふ。お目覚めはいかがでしたか、グラン様?」

 

 

 第三学生寮一階、階段前。二階から降りてきたグランは今、悪戯っぽい笑みを浮かべるシャロンを前に頭を抱えていた。トワがいきなり自分の部屋に訪れたのは、やはりこの人が原因だったんだなと。彼は大きくため息を吐いた後、シャロンの横を通り過ぎて近くに設置されたソファーへ腰を下ろす。

 グランがソファーに腰を下ろした丁度同じタイミングで、二階からトワも降りてきた。階段を降りた彼女はニコニコと笑みを浮かべているシャロンと目が合うと頬を赤く染め、視線を近くのソファーへと移す。

 

 

「うぅ~……」

 

 

 トワは突然唸り始めると、潤んだ瞳をソファーに座っているグランへ向けた。当のグランは気まずそうな表情で瞳を伏せ、その額に汗を滲ませている。グラン自身、トワに対して申し訳ない事をした自覚はあるようだ。

 彼女が部屋に訪れて椅子に座った時、既に彼は起きていた。あのような状況になってしまう前にグランが起きていれば何事もなかったはずだし、こうしてトワが恥ずかしい思いをする事もなかっただろう。突然キスをしようとした彼女も彼女だとは思うが、それでも狸寝入りをしていたグランにも多少の責はある。

 唸りながら隣に腰を下ろしたトワに向けて、グランは素直に頭を下げた。

 

 

「悪気は無かったんです、ただああしてた方が面白いかなーと思っただけで……本当にすみません」

 

 

「……はぁ。良いよ、元はと言えば私が悪かったんだし」

 

 

 反省している様子のグランを見てため息を吐いたトワは、どこか諦めたように目を伏せるとソファーの背もたれへ体を預ける。あと一歩のところで成就されなかった彼女の思い、しかしトワがグランに対して唸っていた理由はそれだけではなかった。

 恥ずかしい思いをしたのは自分が先走ってしまったから、彼女はグランの部屋で起きた先の一件を確かに己のせいだと認めている。トワにとって問題なのはその後、先の一件が過ぎた後のグランの態度だった。

 

 

「いやぁ、良かった良かった。これで会長に嫌われたらどうしようかと思いましたよ」

 

 

「(……グラン君は、私の事どう思ってるのかな?)」

 

 

 人懐っこい笑みを浮かべて顔を向けてくるグランを見ながら、トワは彼の心境について考える。それは他でもない、グランが抱くトワに対する思いについてだ。

 初めてのキスが実らなかった直後、グランの部屋では一騒動あったわけだが、その時は兎も角として、その後のグランはいつもと変わらない様子でトワに接していた。恥ずかしさで頭が混乱していた彼女にとっては助けられている部分もあったが、同時に不満でもあったらしい。女の子の顔が目の前にあったにもかかわらず、彼は何も感じなかったのかと。

 トワはグランの顔から視線を外して俯くと、直後に目を伏せる。そして自身の胸に手を当てて、先の一件を思い出した事による胸の高鳴りを感じながら、彼女はゆっくりとその瞳を開いた。

 

 

「(私はこんなにもドキドキしてる。なのにグラン君はそんな素振りを一つも見せてくれない……ねぇ、グラン君)」

 

 

 トワは再び顔を上げると、その不安げな瞳をグランの顔へ向けた。彼女の視線を受けたグランは小首を傾げると、困惑した様子でトワの顔を見詰め返している。

 そんなグランの顔を見て、トワは出しそうになった声を必死に我慢して飲み込むと再び俯き始めた。声に出す事が何よりも恐くて、彼女は瞳を閉じると心の中でグランに問う。

 

 

「(グラン君は……私の事、好き?)」

 

 

 心の中で問い掛けても、グランは何も答えてはくれない。目を開けば答えを持ち合わせた当人がそこにいる、しかし不安で埋め尽くされた彼女の心では問い掛ける事は出来なかった。

 いつの間にかトワの頬は赤みを増し、胸の高鳴りは更に加速していた。彼女はそんな自身の胸を手で抑えながら、心の中で彼に向かって再び呟く。

 

 

「(私は……私はグラン君の事が好き)」

 

 

 彼女が心の中で呟いたそれは、嘘偽りのない、紛れもない本心だった。しかし本人にその気持ちを打ち明けるのは勇気がいる事だろうし、断られたらどうしようという不安でトワが直接声に出せないのは仕方がない事だ。とは言え、結局のところは打ち明けなければ事は進まないのだが。

 ただ、現状で彼女の前に進めている点を上げるとするならば。思いもよらない出来事が起きたこの日の朝、トワ自身がグランに対して特別な感情を抱いている事を認識出来た事が、大きな一歩だと言えるだろう。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 グランとトワが学生寮の一階に降りてきて数分後。二人は早朝に吹く涼風に髪を棚引かせながら、第三学生寮の前で互いに向かい合っていた。グランにとっては本当の意味での自由行動日だが、トワにとっては生徒会の仕事があり、余り学生寮で時間を潰すわけにもいかない。生徒会の仕事があるからとトワが第三学生寮をあとにし、そんな彼女をグランがこうして見送っているわけだ。

 トワは心なしか寂しそうな表情を浮かべ、グランの顔を見上げている。そして直後に彼女は寂しい気持ちを振り払うかのように笑顔を浮かべると、グランの服の袖を軽く握った。

 

 

「それじゃ、グラン君またね」

 

 

「ええ、余り無理しないで下さいよ?」

 

 

「うん、グラン君もあんまり無理しちゃ駄目だからね?」

 

 

 服の袖を握っていた手を離し、トワはその場を振り返ると学院へ向けて歩き出した。彼女はそのまま傾斜のある道を上がり、町中へ姿を消してグランの視界からも外れる。

 トワが離れていった事を確認して、グランはふとため息を吐いた。そして彼がため息を吐いた直後、突然第三学生寮の扉が開かれる。中から出てきたのは複雑そうな表情を浮かべたシャロンで、彼女はグランの隣で立ち止まると同じように町中へ視線を向けた。

 

 

「トワ様のお気持ち……グラン様は既にお気付きになられているのではありませんか?」

 

 

「……何の事でしょうか? オレには思い当たる節がありませんけど」

 

 

「ご冗談を……リィン様ならいざ知らず、グラン様はそこまで鈍い御方ではないと思っていたのですが」

 

 

「はは……リィンも酷い言われようですね」

 

 

 飛び交う言葉の中、グランは引き合いに出されたリィンに同情しながら苦笑する。しかしシャロンの言っている事も間違ってはいないので、彼がリィンの肩を持つという事はなかったが。

 グランは町中へ向けていた目を伏せ、数秒ほど沈黙してからゆっくりとその目を開く。彼の様子を隣で見ていたシャロンはこの時、何かを決意したような彼の表情から、同時に何かを諦めているようにも感じていた。

 

 

「もしトワ会長がオレの事をそんな風に思ってくれているとしたら、そりゃあ嬉しいですよ。オレも会長の事好きですし」

 

 

「では何故あのまま口づけを交わされなかったのですか? 相思相愛でしたら、きっかけなど余り関係ありませんわ」

 

 

「(やっぱ見てたんだな)……駄目なんですよ」

 

 

「え?」

 

 

「多分、本気で好きになってしまったら駄目なんです。トワ会長にとっても、オレにとっても」

 

 

 オレの目的、知ってますよね? と直後に付け足したグランの声に、シャロンも思うところはあったが概ね納得していた。彼の目的は危険を伴う、共にいれば必ずと言っていいほど巻き込まれる危険性が高い。グランの事を好きになってしまえば、悲しむ未来は容易に想像がつくと。

 だからと言って彼の判断が最善というわけでもない。二人が特別な関係になったとしても、互いが悲しまずに済む方法もあるはずだ。だが、今のグランではその方法を見つけ出す事は出来なかった。

 

 

「友達以上恋人未満、って言うんでしょうか。きっとそれが一番なんですよ。大切な人を失う悲しみは、味わわずに済むならそれがいい……って知ったような口利くのも可笑しいんですけど」

 

 

 再度苦笑いを浮かべて、グランは一人先に学生寮の中へと戻る。その時のグランの背中は、特別実習でリィン達から大きな信頼を寄せられているとは思えないほど小さなものだった。シャロンもまた、彼女の記憶にある以前のグランとはまた違った脆さを彼の姿から感じ取る。

 グランが士官学院に入学した本当の理由。それを知る一人でもあるシャロンは、この先の彼の学院生活が良い方向に働く事を願い、トリスタの町を包み込んでいる雲一つない青空を見上げた。

 

 

「(二年前、第三柱がグラン様に施した自己暗示型の記憶封印(メモリーシール)。もしそれが今のグラン様を産み出してしまった原因だとしたら……ですが、トワ様ならきっと──)」

 

 

 シャロンはその場で両手を組むと、青空を見詰めていた瞳をそっと閉じるのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「しまった、また逃げられたか」

 

 

 士官学院旧校舎前。学生寮での朝食の時間にアリサから猛攻を受けたリィンは何とか彼女に許しを得た後、トワが早朝にポストへ入れていた生徒会の依頼に早速取り掛かっていた。現在彼は大きくため息を吐くとばつが悪そうに頭を掻き、技術棟の横に抜ける道の先を見詰めている。

 リィンが取り掛かっている依頼の内容は、写真部の部長から受けたものだった。部長曰く、部員のレックスが女子生徒を隠し撮りした写真を使い、裏で取引を行っているらしい。学院における風紀上の問題に関わり、見つかれば何らかの処分も考えられる。それを心配しての部長からの依頼であった。

 そして、リィンはこの旧校舎前でレックスと平民生徒が取引を行おうとしている場面に出くわし、彼らに話を聞こうとしたのだが、取引の証拠を見つける事も出来ずに逃げられてしまう。その理由が『水着姿のアリサちゃんがそこにいる』というレックスの嘘によって気をとられたという、何とも情けない話なのだが。

 

 

「他に人目のつかない場所と言えば──」

 

 

「水着姿のアリサって何処だ!」

 

 

 レックス達が他に取引に使いそうな場所をリィンが模索していると、突然旧校舎前にグランが駆け寄ってきた。彼の発している言葉を聞くに、リィンが騙された嘘の言葉がグランにも聞こえていたのだろう。

 リィンは近くで立ち止まったグランにそれは嘘だったらしいと告げ、彼はその場でガクリと項垂れた。

 

 

「よく考えたらこんな場所でアリサが水着姿な訳がないか……で、リィンはこんな所でなにしてんだ?」

 

 

「生徒会の依頼でさ、人を追ってるんだ」

 

 

「ふーん、因みに依頼内容は?」

 

 

 グランに内容を聞かれてリィンは少し躊躇うものの、彼ならこういう話は口外しないだろうということで大まかな依頼内容を話した。内容を聞いたグランは穏やかな話じゃないなと僅かに顔をしかめ、ぶら下げていた両腕を胸の前で組む。

 リィンはこの時、グランのリアクションに少しばかり驚いていた。普段の彼なら口外こそしないだろうが、どちらかというと似たような事を日常的に行っている彼である。責める事はなくとも、こうして否定的な反応は示さないとリィンは考えていたからだ。

 

 

「ん? どうしたんだ?」

 

 

「いや、意外だなと思ってさ。さて、そろそろ捜さないとな……グランはこの後どうするんだ?」

 

 

「ああ、旧校舎に入ろうと思ったんだが……プラン変更だ。リィン、その依頼オレにも手伝わせてくれ」

 

 

 そして更に意外な事に、グランから協力させてほしいと申し出がくる。リィンは彼に何か意図があるのだろうかと考えるが、先程の様子だと余り悪さをするようにも見えない。この申し出をどうしたものかと頭を悩ませる。

 とはいえ、考えたところでリィンには分かるはずもない。結局のところ本人に聞けば早い話で、リィンはグランに事の真意を問うことにした。

 

 

「どうしてまた手伝おうと思ったんだ?」

 

 

「どうしてかって……そりゃあ女子生徒の盗撮写真ばら撒いてるなんざ許せないだろ。それに……」

 

 

「それに?」

 

 

 首を傾げて聞き返すリィンに、グランは目つきを一段と鋭くさせて口を開く。まるで、それを手にするのは自分以外には認めないと言わんばかりに、その言葉には僅かながら怒気が含まれていた。

 

 

「女子生徒って事は、多分会長の写真も紛れてるはずだ。その写真で取引……絶対に許さん」

 

 

 リィンは理由を知ると共に、何かあれば写真部のレックスと取引相手の平民生徒を全力で守る事を決意した。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トリスタの町から士官学院の敷地に入って直ぐ、左手には学院の行事で主に使用される講堂が建っている。普段は使用されないため入り口の扉は鍵が掛けられているのだが、この日は何故か鍵が開けられていた。不思議に感じたリィンとグランは講堂の扉を開き、建物内へと足を踏み入れる。

 やはり使用予定は無いのか、講堂内は何一つ置いておらず物寂しい空間が広がっていた。そして二人は講堂の奥手にある壇上の舞台袖、左側から人の気配を二つ感じ取る。

 

 

「リィンの話じゃ、かなり危険感知能力が高いんだよな?」

 

 

「ああ、一回目は感ずかれて逃げられた。ここは逃げ道を塞ぐために、壇上と舞台袖の入口から挟み撃ちをした方が良いかもしれない」

 

 

「よし、それでいくか」

 

 

 ミッション開始。戦術リンクを繋ぐとリィンは舞台袖の表口へ、グランは壇上へ足音一つ立てずに素早く移動を始めた。壇上へ上がったグランが舞台袖に入る手前でその身を隠し、リィンは表口の前にたどり着くと扉に手を掛けてタイミングを図る。

 数秒程間を置き、リィンが扉を開いたと同時にグランも舞台袖の中へ入った。両者の目の前には唖然とした表情の生徒が二人。ニット帽を被った少年は雑誌らしきものを、もう一人の少年は一枚の写真を手にしている。取引の現場を押さえる事が出来た、証拠はバッチリだ。

 観念するしか無くなった二人は力なく項垂れる。直後にリィンがニット帽を被った少年に、グランがもう一人の平民生徒へと近づいた。

 

 

「君がレックスだな? 取引したものを渡すんだ」

 

 

「くそっ、後もう少しだったのに……」

 

 

 ニット帽を被った少年レックスは悔しそうに手に持った雑誌をリィンに渡す。どうやらそれはグラビア雑誌だったようで、ミラや他の危ない物品ではなくて良かったとリィンは安堵のため息を吐いていた。

 しかし、もう一方の空気が余り穏やかではない。平民生徒から写真を受け取ったグランが、生徒会室で仕事中のトワの姿が写ったその写真を見て僅かに闘気を放っていた。

 

 

「ほう、たかがグラビア雑誌なんかでこの写真と取引しようとしたのか……ちょっと表まで面かせ、この写真の価値を教えてやる」

 

 

「ひぃっ!」

 

 

 鋭い目つきで睨み付けるグランに対し、平民生徒は怯むように首を引っ込めていた。この後平民生徒を引きずり出そうとしたグランをリィンが必死に止めたのは言うまでもない。

 

 

 




どうしよう、話が全然進まない……今更だけど。

グランはトワ会長の気持ちに気が付いていました。それでも彼には彼の思いがあるので一線を越えないようにしています。何気に白面さんの事も出ましたが……名前は出さないよ!

次回は少し話を飛ばして旧校舎探索から入ろうと思います。アランとブリジットの件はリィンがしっかりこなしてくれた事にしよう、そうしよう!ついでにナイトハルト教官の水練も。

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