トリスタの南、東西に延びる街道と街の北に進む道が交差する道の中央。そこにはため息を吐きながら西の街道へ視線を向けているグランの姿があった。ある人物の気配を感じ取った彼は学院からここまで駆けてきたようだが、どうやらその人物には逃げられてしまったらしい。グランは空を飛空している青い鳥を見上げて再度ため息を吐き、気配を探ろうと周囲の様子を見渡した。しかし、その人物の気配は僅かに感じるのみで場所の特定迄には至らず。
グランは探すのを諦め、その視線を第三学生寮に移すとそのまま帰路に着いた。そして寮の前に差し掛かったところで、彼はクロエから受け取った包みと一緒に持っていたはずの封筒が無くなっている事に気が付く。
「(落としたか……中身を確認しようと思ったんだが、まあ大した物でもないだろ)」
落とした封筒を探そうとする事もなく、グランは学生寮の扉を開いた。そしてそのまま中へ入ろうとした矢先、突然彼の後方からグランの名前を呼ぶ少女の声が聞こえてくる。声の主に気付いたグランは無意識の内に浮かべていた笑みを消すと、扉を閉めてその場を振り返った。
彼の視線の先では、トワが街中から第三学生寮に向かって息を切らしながら走ってきている。彼女は第三学生寮の前に立つグランの元へたどり着くと、膝に手をついて荒くなっている呼吸を整えた。
「はぁ、はぁ、はぁ……合ってて良かったぁ──もう~、グラン君速いよ」
「どうしたんですか、そんなに急いで」
困った様子で顔を見上げてくるトワに対し、グランも彼女が何故こんなに慌てているのかが分からず首を捻っていた。そんなグランを見るやいなやトワは不機嫌そうに背を伸ばすと、人差し指を立てて彼の額をピンと突く。
突然の事に、グランは突かれた額に包みを持っている右手を当てて呆けた表情を浮かべていた。その表情が面白かったのか彼女は途端に笑みを浮かべると、ぶら下がっているグランの左手を取って優しく両手で包み込む。そして、愛おしそうに彼の手を撫でた後、彼女は寂しげに呟いた。
「最近、グラン君の顔を見てなかったから……無理とかしてないかなって」
「別に……と言うか会長の方こそ無理してるんじゃないですか? 夜に学生会館の前を通る時、生徒会室の明かりいっつも点いてますけど」
グランは握られた手に目を向けた後、上空へ視線をそらして照れくさそうに頬を掻いていた。仄かに赤く染まった彼の頬は、空から注ぐ茜色の光によって誤魔化され、トワが気付く事はない。そして彼女にとっては心配していたつもりが逆にグランから心配されていたという事で、苦笑いを浮かべてその場を乗り切ろうとする。しかし直後に容赦なく彼の鋭い目がトワの瞳に突き刺さり、彼女は握っていた手を離すとしゅんと落ち込んだ様子で顔を俯かせた。
落ち込むトワの姿にグランは笑みをこぼすと、彼女の頭にポンと手を乗せる。頭に伝わる温もりにトワも顔を上げると、グランの手が自分の頭に置かれている事に気付いて恥ずかしそうに頬を赤く染めていた。
「こ、こら。女の子の頭に手を置いたりしたら駄目だよ……」
「オレは会長の事を小動物的な何かだと思ってるんで問題ないです」
「む、それって女の子として見てないって事?」
「冗談ですよ、冗談……で、本当にどうしたんですか?」
これ以上彼女をからかうと反撃を浴びてしまうだろうとグランは考えたのか、トワの頭から手を離して彼女が自分に訪ねてきた事の本題へと入る。トワも膨らましていた頬から空気を抜くと、思い出したような表情を浮かべて懐から封筒を取り出した。
グランは彼女からその封筒を受け取り、中に入っている紙を取り出して記されている内容に目を通す。内容の前半はクロエの予想通り、遠回しに送金を催促するものだった。そして、内容の後半に目を通している途中でグランの目が鋭いものへと変わる。
──人には越えられない壁というものが必ず存在するものです。グランハルト殿、命を無駄にしてはなりません。
「まだ催促だけの方が可愛いげがあったな……他人の限界勝手に決めんなくそったれが」
「グラン君……」
「もう見る必要もないな……そんで、会長もこの紙を見たと」
記されていた内容に、表情を僅かに歪めたグランは紙を折って封筒に戻した後、心配そうな表情で顔を見上げてきているトワへとその視線を移した。彼女の何か言いたげな顔を見て、トワも内容を見てしまったんだろうと彼は判断する。その判断は正解で、グランに問い掛けられた彼女は申し訳なさそうに頷いた。
このままトワを帰そうとしても、彼女はきっとそれを認めないだろう。内容から自分の事は殆ど知られてしまった、せめて彼女が聞きたい事だけでも話さないと帰りそうにない、とグランは思い至ってため息を吐く。
「仕方ない……どうぞ、会長の疑問に答えますよ」
グランは第三学生寮の扉を開けると、トワに入室を促した。
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第三学生寮二階、グランの自室。グランが入室を促してトワがその中へ入ると、部屋の中にあるのは彼が就寝するためのベッド、現在トワによって鍵を掛けられた秘蔵コレクションの入っている棚、そして直径五十リジュ程の丸いテーブルに椅子が一つと、おおよそ学生の部屋にしては殺風景な空間が広がっている。トワにとっては棚に鍵を掛けに来た時以来のグランの部屋となるのだが、その当初と何ら変わりない室内の風景に彼女も笑みをこぼしていた。
グランは封筒と包みをテーブルに置いて自室のベッドに腰を下ろすと、トワに椅子へ座るように声を掛け、彼女も笑顔で返しながら椅子を引く。そして彼女が椅子に座ったところで、疑問に答えるべくグランが問い掛けた。
「で、何が聞きたいんです?」
「──『紅の剣聖』グランハルト=オルランド」
「っ……!?」
「要人警護のスペシャリストとして、西ゼムリアを中心に活躍する猟兵。東方剣術の八葉一刀流を修めた若き剣聖としても知られる……ここまでは、合ってるよね?」
真剣な面持ちで淡々と語り始めたトワの言葉に、グランは驚きつつも表情を同じく真剣なものに変えて頷いた。そして、ここまではと言う事は必ずその先がある。彼の頷きを見て、トワは更に続けた。
「大陸最強の猟兵団、『赤い星座』の元部隊長。そして六年前の当時『閃光』の異名で知られていたグラン君は、何らかの理由で突然『赤い星座』を抜けた」
「……合ってますよ。それにしてもよく調べましたね、情報の出所は大方理解できますけど」
「あはは……でもね、これ以上の事は話してもらえなかったんだ。ごめんね、グラン君の事を調べたりして」
トワによる謝罪。グランの素性を調べた事に対する罪悪感からきたそれには、グランも苦笑いを浮かべるしかなかった。本当なら話す必要のない事を彼女は口にし、こうして頭を下げている。人が良いのか悪いのか分からないと、グランは苦笑しているわけだ。
調べたのが彼女でなければ、恐らく彼も謝罪を邪険に扱った事だろう。それだけトワが特別な存在になりつつあるという事実には、グランも気付いていない様だが。
「それで、謝るためだけに来たんですか? 他に聞きたい事あったんじゃ……」
「うん、本題に入るね。聞きたかったのは──」
そう言ってトワが封筒から紙を取り出し、テーブルの上にその紙を広げる。そして、グランが目を細めて紙を見詰める中、彼女は文の一節を指でなぞった。
「『命を無駄にしてはなりません。
文の一節をなぞりながら、トワは声に出してそれを読み上げた。読み続けているその表情には陰りが見え、彼女の顔は明らかに辛そうなものへと変わっている。
トワの顔を直視する事が躊躇われたのか、グランは瞳を伏せて彼女の声を聞いていた。そして直にトワは読み終え、その辛そうな表情でグランの顔を見上げる。
「これって、どういう意味かな?」
「それは……」
目を開けたグランは、辛そうにしながらも意思のこもった彼女の瞳に気持ちが揺らいでいた。正直に話すべきか否か、どうすれば良いだろうと。
彼は確かに、トワの疑問に答えると言った。しかし実のところ正直に答えるつもりなどなく、適当に誤魔化せば問題ないと考えていたため、ここにきて迷っているのだろう。迷いを生んだ原因はトワの意思の強さか、はたまたグランの意思の弱さか。そんな中、彼女が追い討ちをかける。
「ミヒュトさんにね、グラン君がいた『赤い星座』の事も少し聞いたの。副団長のシグムント=オルランド……『
「そこまで知られてたか。ったく、口の軽い情報屋だな……その通り、会長の考えている事は殆ど合ってますよ」
「じゃあ、ここに書かれてる意味って……」
「『お前じゃ父親に勝てない、だから止めておけ』要約するとそんな感じですよ、黙ってミラだけ受け取ってろっての」
不愉快そうに語るグランを見て、トワも彼と父親であるシグムントの間に何かあったのだろうと感ずる。聞きたいところではあるが、親子間の事情というのは他人には踏み入れてはならない領域であり、これ以上は今触れるべきではないと彼女は思い至った。彼の事をもっと深く知り、より理解した上でいつか聞こうと。
トワは話を戻すため、再び紙に書いてある内容について問い掛ける。
「そういえばミラで思い出したんだけど……グラン君、ノーザンブリアの教会に寄付してたんだね。この紙を見て知ったんだけど、感心しちゃった」
「契約ですよ、契約。家の掃除してもらってる代わりに払ってるだけです」
「もう、素直じゃないんだから……でもどうして寄付しようと思ったの? グラン君の性格と全然繋がらないんだけど」
「何気に失礼な事言ってくれますね……」
悪気はないであろうトワの言葉に、グランは眉をピクピク動かしながらその表情を引きつらせていた。彼の様子に首を傾げていたトワも失言に気付いたようで、慌てて頭を下げて謝っている。
グランはそんなトワの姿に笑みを浮かべると、ベッドに両手をついて後方へ体重をかけた。そして、天井を見上げながら彼女の疑問に答える。
「反面教師ってやつですよ。クソ親父と違って、オレはまっとうな人間になりたいって始めたんですけど……これがまた考えれば考えるほど惨めでして」
「どうして?」
「だってそうでしょ。意地になって張り合ってるようにしか感じない。それに、猟兵の時点でまっとうな人間じゃないですし。まあ、今更なんでノーザンブリアへの送金は続けてますけど……」
自嘲気味に笑みを浮かべる彼を見て、トワの表情に再び陰りが見え始める。そんなことはない、そう口にする事が出来なかった。そのような言葉は、きっと気休めにもならないからと。
慈善活動は実に素晴らしい行いである。恵まれない人々へ経済的な援助をし、救う事。だが、その行動事態がグランにとっては父親への対抗心を如実にあらわしているに過ぎないと感じてしまう。自分と父親は違うのだと、そう意地になっているようにしか彼には感じなかった。
「結局のところ、オレにはあの男の存在を消す以外に方法はないんですよ。それが、何よりもあいつの──」
──グランハルト、大丈夫?──
そして言葉を続けようとしたその時、トワの心配そうにしている姿がグランの中である人物と重なる。彼の視界には白い髪をしたトワの姿が映り、直後に彼女の髪は元の栗色へと戻った。それと同時に、グランを突然の頭痛が襲う。
「くっ!? 今、のは……」
「だ、大丈夫グラン君!?」
苦痛に顔を歪めて頭を抱え始めたグランの様子に、トワも慌てて近寄ると彼の体に手を添える。グランの頭痛は暫くして収まりを見せ、トワは体調を考えて今日は早く休んだ方がいいと彼をベッドに寝かした。
余程疲れが溜まっていたのか、グランは数分程で規則的な呼吸を始める。彼が寝息を立て始め、トワはグランと自分の額に手を当てて熱がない事を確認すると安堵のため息を吐いた。
「ビックリしたぁ……サラ教官とシャロンさんにも話しておかないと。それじゃあ、グラン君またね」
眠っているグランの頭を撫でた後、トワは急いで立ち上がった事で倒れてしまった椅子を片付ける。そして、制服の内ポケットからフィーに預かっていたグランのペンダントを取り出すと、ふたを開けて写真に写っている自分とそっくりな白髪の少女を見詰めた。
「(この子の事も聞こうと思ったんだけど、仕方ないか)」
トワはペンダントのふたを閉じて内ポケットに納めると、グランの部屋を退室する。そして、テーブルの上には封筒から出していた紙が広げられたまま置かれていた。
──『
今回は会長が十割出ました。いつもこれなら私も嬉しいんですけど、特別実習になると途端に出せないんですよね……
しかーし!今回の特別実習には会長も出るという……やったね!