紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

48 / 108
第四章ーー旅の終わりへーー
北方からの客人


 

 

 

 七月中旬。暑さが続く夏の盛りの前、暑すぎる事もなく過ごしやすいこの季節、士官学院の制服は殆どの生徒が夏服へと変わっていた。夏の訪れを感じさせる蝉の鳴き声が響き渡り、学院の授業でも七月に入ってから水練が開始される。

 先月の特別実習は、A班、B班とも対照的な出来映えだった。リィン達A班はノルド高原における戦争の危機を回避するという素晴らしい結果を残し、グランの負傷という不足の事態もあったが、彼の怪我は現在保健医のベアトリクスの治療により無事完治している。そしてマキアス達B班の方はと言うと、ラウラとフィーの不仲が原因で思うように結果が残せなかった。七月に入って開始された水練の授業でも幾つかの衝突があり、ラウラはフィーを相容れない存在だと口をこぼし、そんな彼女の言葉にフィーも肯定するかのように沈黙。周りのⅦ組メンバーはどうにかしてあげたくとも、最終的には自分達で何とかするしかない問題のため中々二人の和解に手が出せないでいた。

 不穏な空気が中々晴れないⅦ組の現在の状況……そして、その不穏な空気を後押しするようにグランの元へとある一報が入った。

 

 

≪叔父貴がクロスベル入りしたぞ≫

 

 

 クロスベル警察、特務支援課所属のランドルフ=オルランドから入った情報。『赤い星座』のクロスベル入り、それは士官学院で学生としての生活を楽しんでいたグランを現実へと引き戻した。

 『赤の戦鬼(オーガ・ロッソ)』はランドルフの説得を始めるだろう。そして彼が『赤い星座』に戻るか、或いは戻らないと見切りをつけて事を終わらせれば次は自分の元へ来る筈だ。思った以上に時間は早々と過ぎ去っている。楽しんでいる場合などではない、早急に目的を達成して復讐を遂げるための力を付けなければ、と。

 ランドルフからの連絡により、グランの学院生活は大幅に変化した。授業を終えていつもは学生会館のトワがいる元へと向かっていたのが、『赤い星座』のクロスベル入りを知ってから放課後はリィンに鍵を借りて旧校舎に出入りするようになる。リィン達は探索なら協力すると申し出たが、それを断ってだ。彼の急な変化にⅦ組の面々は驚き、担任であるサラもグランの行動に驚きを隠せない。名目上は旧校舎の調査と話しているため、彼にとっては貴重な放課後の時間を使っている訳であり、これにはグランを知る教官達も驚いていた。

 そして今日もまた、グランは授業を終えると椅子に掛けていた赤い制服を着用し、放課後の時間に旧校舎へと向かう。Ⅶ組の教室を退室すると本校舎をあとにし、夕刻前の未だ明るい道中を歩く中、学生会館の前に差し掛かる。彼は不意に建物の二階を見上げた。

 

 

「……そう言えば、ここ最近会長の顔を見てないな。無理してないといいが……」

 

 

 グランの口から漏れた声は、学生会館の二階で生徒会の仕事をしているであろうトワを心配するものだった。彼は生徒会の仕事を手伝っていた事もあって、トワがどれだけ多くの仕事を抱えているのかを知っている。彼女は普段から日が暮れるまで生徒会室に籠って仕事に明け暮れ、片付かなければ自室に持ち帰ってまで行うという徹底振りだ。グランでなくとも体を心配したくなるだろう。

 

 

「愛しのトワが気になるかい?」

 

 

 そんな矢先、グランの後方からは特徴的なハスキー声が聞こえてくる。彼が振り返ると、そこにはお馴染みのライダースーツを着用したアンゼリカの姿が。グランは軽く会釈をすると、再び生徒会室を見上げた。

 夏特有の心地良い涼風が二人の頬をなぞり、両者の髪を揺らす。そして忙しなく鳴き続ける蝉の声が響く中、アンゼリカはやれやれと首を振った。

 

 

「トワもグラン君の事を気にかけている。彼女が君に夢中になるのは不本意だが、彼女の悲しむ顔を見るのは忍びない。一度顔を出したらどうだい?」

 

 

「早急に目的を達成しないといけなくなりましてね。会長には十分すぎるくらい楽しい時間をもらった、オレとしてはそれで満足です」

 

 

「何をそんなに焦っているのか……全く。女の子をその気にさせておいて手放すとは、君も中々に罪な男だ」

 

 

「何がですか……それに何かアンゼリカさんにそれを言われるとムカつくんですが」

 

 

「私は手放すような事はしない。美少女は皆平等に愛しているからね」

 

 

 グランは誇らしげに語る彼女をジト目で見ながら、改めてアンゼリカのせいで昨年学院の男子達が寂しい思いをしていたという人伝に聞いた噂を思い出す。そして彼が当時の男子達に若干の同情をしていると、突然懐に納めているARCUSから呼び出し音が鳴った。

 通信先の声は担任であるサラのものだった。内容は、遠い場所からグランに会いに来た人物がいるから顔を出せというもの。彼は初め断ろうとするも、どうやらその会いに来た人物というのはかなり遠い所から訪れたらしい。それを無下にするわけにもいかず、グランは結局旧校舎へ向かう事を中止した。

 

 

「本校舎二階の談話スペースですか」

 

 

≪ええ。お土産も持ってきてるみたいだから早く来なさい≫

 

 

 通信を終え、グランはアンゼリカに事の事情を話すとその場で別れて本校舎へと戻る。そんな彼の後ろ姿を見ながら、アンゼリカは一人ため息を吐いていた。

 

 

「私のトワも、随分と険しい恋の道を選んだようだ」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 本校舎入口前の階段を昇った先、二階のすぐ近くにはソファーが並べられた談話スペースがある。昼休みや放課後の時間はそこに数名の学生達が集まって談笑などをしているのだが、今は学生ではない二人の姿があった。

 一人はⅦ組担任の戦術教官、サラ=バレスタイン。そしてもう一人は、シスター服を着た若い女性。白い長髪と肌は清楚な雰囲気を醸し出し、碧く澄んだ瞳が煌めく。見た目の年齢では学院の生徒達とそれほど離れていないだろう。二人は学生達の活気のある声を耳にしながら、世間話をしていた。

 

 

「復興の方、やっぱり難航してるの?」

 

 

「はい。自給自足が行えるようになるまでは長い年月が掛かると思います。グランハルト様の送金もあって、子供達は不自由なく過ごせていますが……」

 

 

「そう……」

 

 

 シスターの少女が落ち込んだ様子で答える中、サラもまた表情に曇りを見せて相槌を打つ。活気のある生徒達とは対照的に、暗い雰囲気を漂わせる両者。二人の話は行き詰まってしまったようで、暫しの間沈黙が流れていた。

 空気に耐えかねたサラは何か話題がないかと思考を巡らす。そんな折、二人の元に漸く目的の人物がやって来た。

 

 

「サラさん、客人ってこの人ですか?」

 

 

 サラによる連絡を受けたグランが姿を現す。サラはグランに対して右手を挙げて答えて見せ、シスターの少女は彼の姿を見るやいなや慌てた様子でその場を立ち上がった。身だしなみを整え、胸に手を当てて一呼吸置くと彼の前へと歩み寄る。

 彼女はグランの顔を視界に捉えて声を発した。高揚と、緊張と、様々な感情が入り混じった少女の声は一際高く校舎の二階に響き渡る。

 

 

「お久し振りですグランハルト様! あなた様に初めてを捧げた時から、今日という日を待ち焦がれておりましたっ!」

 

 

「──は?」

 

 

 談話スペースに周囲の生徒達の視線が集まる。口元を隠してヒソヒソと話し出し、学生達の表情は一様に赤みを増していた。グランは訳が分からず呆然とその場で棒立ち、当の本人であるシスターの少女は恥ずかしさに頬を紅潮させ、顔を伏せている。

 本校舎二階は静寂に包まれる。そして誰もがこの後のグランによる第一声に注目した。しかし、先に声を上げたのは彼ではなく、先程からニヤニヤと笑みを浮かべている女性教官。

 

 

「うっふっふ……何の事か、色々と話してもらうわよ~?」

 

 

 グランと少女の肩に手を回したサラが、玩具を見つけた子供のようなキラキラした瞳で二人をソファーへ引きずり込んだ。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「詰まり、クロエの初めてっていうのは不可抗力のキスの事で、こっちじゃないと?」

 

 

「そうですよ、あとそれはやめんか」

 

 

 数分後、グランとシスターの少女クロエから事の詳細を聞き出したサラが不満げな顔でソファーにもたれ掛かっていた。彼女の右手は握り拳を作り、人差し指と中指の間を親指が貫いたところでグランがその手を下ろす。その意味を理解したクロエは見るからに顔を真っ赤に染めて俯き、グランもただただ呆れた様子でため息を吐いている。

 突然サラが近くのソファーへ移動すると、用は終わったとばかりにそのままソファーの上で昼寝を始めた。余りに自由奔放過ぎる彼女の行動に二人は苦笑いを浮かべながら、事の本題に入る。

 

 

「で、どうしてまた遠路遥々ノーザンブリアからここまで来たんだ? と言うより何でオレがここにいると分かった?」

 

 

「グランハルト様が帰ってこないからです! 士官学院に入学していたのは驚きましたが……あと、居場所が分かったのは帝国軍の方に教えて頂いたからです」

 

 

 ソファーにもたれ掛かりながら話すグランに対し、クロエは眉をひそめて返していた。いつの間にか頬の赤みも消え、真剣な面持ちで彼の視線を受け止める。

 クロエはノーザンブリアの七耀教会に勤めるシスターだ。その過去は、二年前にグランが荒廃したノーザンブリアの地を訪れた時までに遡る。塩の杭と呼ばれる災害によって土地の大半を塩に変えられてしまったノーザンブリアは、当時も饑餓に苦しんでいた。クロエは当時塩と化した土地をさ迷っており、まさに死に向かう直前。そんな時、彼女の前に突然現れたのがグランだった。

 

 

──目の前で死なれても具合が悪い。来いよ、飯くらい奢ってやる──

 

 

「あの時は、自分よりも幼い少年に助けてやると言われた事が信じられず、本当に死んでしまったんだと思いました。今では居場所を提供して頂いて、本当に感謝しています」

 

 

「成り行きってやつだ。それにそこから教会で働く事になったのはお前自身の努力だろう。オレはきっかけを作ったまでに過ぎない、感謝なら教会の人間にでもしてやれ」

 

 

 目を伏せた後、頭を下げる彼女に向かってグランは素っ気ない態度で答えていた。目を開いたクロエは興味無さげな彼の様子にため息を吐き、尚も口を開く。初めて会ったその日から、全く変わってないなと。

 

 

「……相変わらずですね。そんな事だから上の方々が好きなようにあなたのミラを使うんです、子供達の生活分は除けていますけど」

 

 

「それについては思うところもあるが……こっちは契約して払ってるし、問題はない」

 

 

「月三回の家の掃除で一千万近くのミラってどんな契約ですか……はぁ、分かりました。私からその事については何も言いません」

 

 

 クロエは話に見切りを付けたのか、話題を終えて懐から一つの包みと封筒を取り出した。グランの前にそれを差し出し、彼も訝しげにその二つを眺めている。

 クロエが今日グランの元へ訪れたのは、その二つを渡すのが目的だったらしい。彼女は立ち上がると、包みと封筒を怪訝な顔で見ている彼に向かって笑みをこぼしながら話す。

 

 

「包みの中には、教会で暮らしている子供達からの感謝の手紙が入っています。五十枚くらい入っていると思いますが、全部読んであげて下さいね?」

 

 

「……封筒の方は何だ?」

 

 

「教会のお偉い方がグランハルト様に宛てた物のようです。ここ三ヶ月程あなたからの送金が無かったので、ご機嫌伺いか催促の内容でしょう。そちらは捨ててもらっても構いません」

 

 

「そうか、了解した」

 

 

「送金の方もお気になさらず、学院生活を楽しんで下さい。今までに送って頂いたミラがまだ沢山ありますから。それと……」

 

 

 クロエはサラが未だソファーの上でいびきをかいている事を確認すると、頬を僅かに紅潮させて一度瞳を閉じた。グランは彼女の様子に首を傾げながら包みと封筒を手にし、ソファーから立ち上がる。

 自身の胸に手を当てて、やがてクロエはその目を開いた。胸中で高鳴る鼓動を抑えながら、その顔には赤く染まった頬と温かな笑みを浮かべて。

 

 

「いつでもいいんです、一度顔を見せに帰って来て下さい。子供達も……私も待っていますから」

 

 

 失礼します、と言い残して彼女はグランに背を向けると階段を降り始める。そんな彼女の背中を見詰めながら、グランはため息を吐いた後に手に持っている包みへと視線を移して、その目を伏せた。

 

 

「(悪いな。あの家に帰るつもりは、もうないんだよ)」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 夕暮れ時、トールズ士官学院学生会館の入口前には生徒会長のトワの姿があった。彼女は目を閉じ、耳をすませて夏の薫りと音を感じ取る。

 トワが生徒会室から出てきたのは、書類整理で凝り固まった体を動かすためだ。学院内を散歩して、気分を一新しようと考えたらしい。そしてもう一つ、彼女には別の理由があった。

 

 

「グラン君、まだ学院にいるかな……」

 

 

 ここ二週間近く見ていないグランの顔。いつも授業の終わった放課後に顔を出していた彼が、突然生徒会室に姿を見せなくなった。一体彼に何があったのか、ここ最近トワはその心配ばかりで仕事が手につかないでいる。

 彼女がいつも生徒会の書類整理を行っている時、ソファーでお茶を飲んでいるグランの姿が彼女にとっての日常になっていた。そしていざ彼がいなくなると、その日常に激しく違和感を感じてしまったのだろう。日常とはそれほどまでに、個人の心理に強く働いている。

 

 

「聞きたい事、沢山あるんだけど……あっ」

 

 

 グランの姿を探そうとした矢先、トワは本校舎から出てくるグランを見つける。彼女は嬉しさを隠しきれずその表情に笑みを見せ、彼の元へと駆け寄ろうとした。そしてその時、突然強い風が士官学院に吹く。

 

 

「きゃっ……あれ?」

 

 

 スカートの下にはタイツを着用しているのでその必要は無かったのだが、トワは条件反射でスカートを押さえ、風が直ぐに止むと彼女はグランがいた本校舎の入口へと視線を移した。しかしそこには既に彼の姿はなく、トワはグランの立っていた場所まで駆け寄って周囲を見渡すが、やはりグランの姿はどこにもない。

 グランを探すのを諦めたのか、彼女は深くため息を吐いてから生徒会の仕事に戻るべく学生会館へ向かおうとした。そんな中、ふと足元に落ちている封筒を発見する。

 

 

「何だろう、これ」

 

 

 封が開けられていたため、トワは疑問に思いながら中に入っていた紙切れを取り出した。一つはクロスベルで人気を博している劇団アルカンシェルのチケット。思った以上に貴重なものだったので彼女は慌てるが、落ち着きを取り戻すともう一つの紙を取り出し、そこに記されている内容に目を通す。

 

 

──グランハルト殿、命を無駄にしてはなりません。『赤い戦鬼(オーガ・ロッソ)』の事など──

 

 

「これって……っ!」

 

 

 トワは驚きの表情を浮かべてチケットと紙を封筒に入れ直すと、急いでトリスタの町へと向かうのだった。

 

 

 




あれだけ会長おおおおお! と言っておいてまさかのちょっとしか出なかったという。ごめんなさい、次回は会長いっぱい出ますんで。

グランとノーザンブリアの関係についても次回で詳しく書く予定です。それにしてもアルカンシェルのチケット捨てるなんて……グランのバカ!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。