紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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古代遺物《アーティファクト》の存在

 

 

 

Lux solis medicuri eum(陽光よ彼を癒せ)

 

 

 エマが声を発した後、グランが横になっているベッドを中心に突然温かな淡い蒼光がテントの中を覆い始めた。その光は数秒にも満たないもので、直ぐに消えるとそこにはグランの体に両手をかざしたエマの姿がある。彼女はかざしていた手を離して一呼吸置くと、瞳を伏せたグランの顔へと視線を移した。

 

 

「どうですか?」

 

 

「……」

 

 

「グランさん?」

 

 

 エマがグランに問いかけるも、彼が返答する事はなかった。しかしグランの意識が無い訳でも、彼が寝ている訳でもない。目を伏せた瞼はピクピクと動き、エマが声を発する度に耳は動いている。

 では何故グランが無言を貫くのかという話になるのだが、実のところエマ自身はその理由に心当たりがあった。ため息をついた後、彼女は困ったように笑みを浮かべながらグランに声を掛ける。

 

 

「しょうがありませんね……お願い、聞いてあげますよ」

 

 

「マジか!」

 

 

「やっぱりその事で無視してたんですか……」

 

 

 突然勢いよくベッドから起き上がったグランを見て彼女は再度ため息をつく。エマを見詰めるグランの瞳はそれはもうキラキラと輝いており、何か期待した様子でエマを……というよりは、彼女の胸を凝視していた。

 彼女が言っているグランが頼んだお願いとは、先の眼鏡を外してどうこうの一件ではない。その後で思い出したようにグランが追加したもう一つのお願い事である。彼は右手の感覚を確認するためにという口実で、いつもの如くセクハラを発揮してしまった。

 

 

──委員長、ちょっと胸貸してくれ──

 

 

──む、胸ですか!? そ、それって一体どういう……──

 

 

──右手の感覚に少し違和感があってな。委員長の胸でも触れば何か分かると思うんだが──

 

 

 分かるのは年齢に比べて余りにも大きい双丘の柔らかな感触だけである。右手の感覚というよりは明らかにそちら目当てのグラン、仮に本当に感覚を確かめるにしてもその方法は無いだろう。エマは彼の言葉に顔を真っ赤に染め上げるとお願いを断固拒否し、グランが拗ねて無言になるという先程の場面に繋がるわけだ。

 キラキラと目を輝かせるグランに改めて出来ないとエマが告げると、またしても彼は拗ねた表情を浮かべてベッドに潜り込む。そんなグランを見ながらエマは苦笑いを浮かべ、椅子から立ち上がると彼に向かって声を上げた。

 

 

「本当にこの子は……明後日になれば、右腕も満足に動かせると思います。その代わり、今日明日は絶対に無理に動かさない事──いいですか?」

 

 

「……」

 

 

「はぁ……少し遅いですけど、グランさんの朝御飯を持って来ますから。待ってて下さい」

 

 

 ベッドの中に潜り込んでいるグランへそう告げて、エマはグランの朝食を受け取りに行くため退室する。そして彼女の姿が見えなくなって、グランはベッドから脱け出すとテントの扉へ視線を向けた。徐々に足音は遠ざかっていき、彼はエマがテントから離れた事を確認する。その後に彼女の座っていた椅子へと視線を移し、数分前にエマが見せた笑顔を思い起こしながらグランは笑みをこぼした。

 

 

「何とか元気は出たみたいだな……ったく、気を遣うなんてガラでもない事するもんじゃないな」

 

 

 エマとの話の中で、グランなりに彼女へ気を遣っていたらしい。若干口説いているともとれるような内容もあったが、事実エマの心は少しだけ救われているのだから間違ってはいないだろう。後半の胸を貸してくれというのは余計ではあったが。

 グランは椅子から視線を外すと、首や体の各関節を動かしながら今の状態を確かめていた。先の会話で出ていた右手の感覚とやらも、握っては開いてを繰り返しており特に問題は無いように見える。しかしそれはあくまで外見的な判断であり、本人の感じるところではやはり多少の違和感があるようだ。

 顔をしかめ、傍に立て掛けていた刀を手に取ると左の腰へと下げる。直後に重心を僅かばかり下へ落とすと、柄に右手を当てて抜刀の構えをとった。刹那、グランの目の前を鋭い一閃が走る。

 

 

「っく!?」

 

 

 表情を歪ませ、右腕を押さえながらグランはその場で膝をつく。抜刀した刀は辛うじて彼の手の内に収まっていたが、やがて握力の無くなった手から滑り落ちて床の上へと転がった。

 右腕を走る鈍い痛みに耐えながら、彼は右の掌に意識を集中させる。動かそうとする度に多少の痛みが伴うものの、痛覚があるという事は感覚が正常に働いている証拠であり、本人が思っていたほど状態も悪くないようでエマの言っていた通り明後日には問題なく刀を使えるだろうというのがグランの感想だった。

 徐々に右腕の痛みも弱まってきたのか、グランは床に落下した刀を左手で拾うと腰にある鞘へ納めてベッドの上へと向かう。ベッド側に刀を立て掛け、腰を下ろして一つため息をついた後、彼は屋内の天井を見上げた。

 

 

「しっかし、あれが委員長の力か……右腕以外は殆ど痛みが無いところを見ると、本当大したもんだな」

 

 

 ベッドへ横になっていた時に感じた、エマの手から放たれた温かな光を思い出して感心したようにグランは呟く。実際刀を振るった後の今も右腕以外に痛みという痛みは感じず、完治とまではいかないが右腕さえ使わなければ戦闘にも参加できる状態にまで回復している。とは言え刀を使えない時点で戦力ダウンは避けられず、リィン達が怪我人を前衛に参加させるはずもないので参加出来ても後方支援、先のエマの物言いなら恐らくは大人しくしているしかないだろうが。

 

 

「泰斗流と無手の型、素手での戦闘も見直しておく必要があるか……ま、それはさておきだ」

 

 

 今後の戦闘における課題点を上げた後、グランは思考を切り替える。彼が次に考えを巡らせたのは、突然集落に侵入した魔獣……ライノサイダーの事だ。直ぐに仕留めた三体は昨日夕暮れの草原で見掛けた魔獣と大差無い大きさではあったが、残りの二体はそれと比べても頑丈で大き過ぎる。そして、魔獣達は揃いも揃って異常なまでの興奮を見せていた。

 原因を特定するには余りにも情報が少ない……だが、グランはこの時既に確信に近いある推測を立てていた。

 

 

「(魔獣が攻めてくる直前に聴こえた笛のような音……ケルディックの時もそうだが、明らかに人の手が加わっていると見て間違いないか)」

 

 

 始めての実習にて、窃盗犯の捜索の際にルナリア自然公園へ入って二度耳にした笛の音。いずれもその後に魔獣が現れ、自分達の行く手を阻んだ事をグランは思い出していた。それと同じような事が今回も起きた……確かに偶然にしては不自然すぎる。

 しかし、ただ笛の音が聴こえたからといって魔獣が凶暴化するなどとは普通思わない。もしそうであれば士官学院の放課後、吹奏楽部の演奏中はトリスタ一帯が大変な事になっているだろう。

 普通の人間であればここで行き詰まって考えるのを止めてしまうのだが、グランはそこから更に繋げる事が出来た。士官学院に来る以前に辿った道で、先の件を可能にするものが存在している事を彼は知っていたから。

 

 

「(七耀教会の人間ほど詳しくないから物の特定までは出来ない。だが、大方それと見て間違い無いだろう……厄介な物が絡んできやがったな)」

 

 

 頭を抱えた彼の脳裏に過っていたのは、一つの存在だった。

 ゼムリア文明の遥か昔、現在の人の手では創作するのは不可能と言われる物が何者かによって造られる。今では殆どがその機能を失ってはいるが、中には強大な力を未だ有している物もあり、人の手で扱うには余る存在であった。空の女神(エイドス)の信仰で知られる七耀教会はこれを危険な物と判断し、今の世では人の手に渡る前に、或いは人が所有している事が分かれば現地に赴いて回収を続けている。

 人はそれを『古代遺物(アーティファクト)』と呼び、それこそがルナリア自然公園や今回の一件を可能にする代物だった。

 

 

「(ま、結局誰が何の目的でやってるのかは分からないわけだが……どうせ今日の実習には参加させてもらえないだろうしな、ついでに少し調べてみるか)」

 

 

「グランさん、シーダちゃんがミルク粥を作ってくれたそうですよ」

 

 

 グランが今日の予定を決めたところで扉が開き、彼が扉へ視線を移すとそこには笑顔を浮かべたエマが立っていた。彼女がテント内に入り、その後ろにはミルク粥の入った容器を乗せたトレイを持つシーダが続く。グランは左手を挙げて二人を迎い入れると、どこかよそよそしいシーダからトレイを受け取って遅めの朝食にありついた。

 

 

「甘いのは少し苦手なんだが……これは結構美味いな」

 

 

「ほ、本当ですか!?」

 

 

「ふふ。良かったですね、シーダちゃん」

 

 

 辛党のグランには少々物足りないようだが、味付け自体は丁寧に加えられており、美味しそうにミルク粥を食す彼を見てシーダは嬉しそうに手を合わせ、その様子を横目にエマは頬を弛めている。

 直に容器は空になり、グランは両手を合わせて頭を下げると空の容器をトレイに乗せて、それをシーダに渡した。彼女の頭に手を置いた後、立て掛けていた刀を手に取って立ち上がる。

 そして扉へ向かおうとしたグランだったが、はいどうぞと彼女が通すはずがない。顔をしかめたエマが彼の左腕を掴んでその動きを制した。

 

 

「こら、何処に行こうとしてるんですか」

 

 

「いや……ちょっとゼンダー門までな。魔獣の事で気になる点が見つかった」

 

 

「さっきの……リィンさん達が帰ってくるまで待てませんか?」

 

 

「昼までには終わる。それに委員長、どっちにしろ実習には参加させてくれないだろ?」

 

 

「当たり前です。グランさんは怪我人なんですから……それに、一人で行動させるわけにはいきません」

 

 

 エマは口元をへの時に曲げ、人差し指をピンと立てる。二人の傍で会話を耳にしていたシーダも同意見のようで、エマの言葉に終始頷いていた。

 二対一……グランにとっては余りにも不利な状況ではあったが、ふと彼は思い付く。これならば、エマも認めてくれるだろうと。

 

 

「──そんじゃ、委員長も一緒にゼンダー門に行くか?」

 

 

「……はい?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 ノルド高原南部に広がる草原地帯。その中央付近で、グランとエマを除いたリィン達四人は八体の魔獣と向き合っていた。空中を泳ぐかのように浮遊する七体の魚型魔獣の中心には、群れのボスの如く佇む同型の巨大な魔獣が周囲に放電しながら左右合わせて六つの目を光らせている。

 数では明らかに魔獣に優位があるだろう。しかし、その差を埋める術をリィン達は持っている。四人が武器を構えて直ぐ、彼らの腰に下がっているホルダー内のARCUS(アークス)が淡い光を放った。

 

 

「弐ノ型──疾風!」

 

 

 戦術リンクを繋げて直ぐ、刀を構えたリィンが駆ける。大型魔獣の左に展開する四体へ向け、風の如き速さで接近。彼と交差した魔獣達は揃って斬撃を浴び、息絶えたのか草原の上へと落下した。

 四体を仕留めたリィンは刀を振り抜いた反動により、大型魔獣の正面で背を向けたまま動きを止める。そして隙を見せた彼を魔獣達が放っておくはずがない。

 電撃を浴びせんとばかりに魔獣達はその体に雷を纏い、リィンへ向けて放電の準備を始めていた。だが、リィン達もその程度は予測している。大型魔獣の右、取り巻きの三体へは既にガイウスが接近しており、頭上で槍を旋回させながら三体を視界に捉えていた。

 

 

「竜巻よ、凪ぎ払え!」

 

 

 ガイウスは旋回させていた槍を止めて目の前に一閃。その直後、突如として発生した上昇気流は轟音を伴いながら風の奔流となって周囲を巻き込み始め、三体の魔獣は為す術なく宙へと打ち上げられる。強烈な風の刃にその身を切り刻まれて絶命、風の奔流が収まると魔獣達は力なく地面へと落下した。

 残るは雷を放とうとしている大型魔獣一体のみ。今まさに放電しそうな状態ではあるが、その魔獣にすらも四人は攻撃の暇を与えない。

 魔獣の後方に回り込んでいたユーシスが騎士剣による三連突きを放ち、止めとばかりに横凪ぎの一振りを雷を纏う体へと叩き込んだ。魔獣は奇声を上げ、体に纏っていた雷も直後に拡散する。そしてそれを合図にリィン、ガイウス、ユーシスの三人は大きく後退した。直後にARCUS(アークス)を駆動していたアリサが動く。

 

 

「これで……終わり!」

 

 

 空中で硬直している魔獣の真下から突然鋭利な巨石が出現。岩はその胴を捉えて貫き、直後に役目を終えたとばかりに消滅する。

 アリサによる地属性のアーツは魔獣に致命的とも言えるダメージを与えていた。浮遊していた体はゆっくりと草原に降り、終始揺れていた尾ひれも動きを止める。六つの目も光を失っており、最早虫の息だ。

 しかし魔獣の静止を確認したからか、割りとスムーズに手配魔獣を片付ける事が出来たとアリサ、ユーシス、ガイウスの三人は直後に構えを解いた。しかし、戦闘の終了と判断するには少しばかり早い。魔獣の体が僅かに動く。

 

 

「まだだ!」

 

 

 いち早く気付いたリィンが声を上げるも間に合わず、魔獣の体から発生した電撃が周囲に放出される。電撃を浴びた四人は痺れによって思うように体が動かせず、技を放った魔獣の隙につけ入って攻勢へと移る事は出来なかった。

 魔獣は再び空中に浮遊し、またしても放電の準備を始める。四人は一斉にARCUS(アークス)を駆動させるが、このタイミングではアーツよりも先に魔獣の電撃が放たれるだろう。

 駆動終了まで後十秒、しかし魔獣は既に充填を完了したのか電撃をバチバチと体に纏い始めた。このままでは電撃を凌げないと敗戦が濃厚になる。それは全滅を意味し、四人の命が脅かされる結果を生む。

 ARCUS(アークス)を駆動するリィン達の額を冷や汗が流れた。後五秒、しかし魔獣は直ぐに電撃を放つだろう。一か八か、四人が危険な状況に追い込まれたその時だった。

 

 

──白き刃よ……お願い──

 

 

 リィン達四人の目の前を突然、光によって形成された四本の巨大な剣が通過した。大剣はそのまま魔獣の体を貫き、直後に拡散してその役目を終える。予想だにしない一撃を浴びた魔獣は纏っていた電撃を失い、その巨体を草原に打ち付けて動きも完全に停止していた。四人は魔獣の停止を確認すると、ARCUS(アークス)の駆動を解除してそれぞれ得物を納める。

 

 

「今のは……」

 

 

「何が起きたのかしら……」

 

 

 助かったとはいえ、ガイウスとアリサは突然の出来事に明らかな戸惑いを見せていた。一方でリィンとユーシスは先の現象を目撃した事があり、まさかと顔を驚かせている。そして四人の視線は、一斉に大剣が向かってきた方向へと移った。

 

 

──背中の感触が……柔らかいぞー!──

 

 

──いいですから! 早くゼンダー門に向かって下さい!──

 

 

「あれ……グランと委員長だよな?」

 

 

「ま、まさかね……」

 

 

「あれだけの怪我をしておいて……呆れたやつだ」

 

 

「フフ、助かったのだから良しとしよう」

 

 

 リィンとアリサは顔を引きつらせ、ユーシスは呆れた表情を浮かべ、ガイウスは微笑みながら馬に乗って走り去る二人の後ろ姿を見つめている。結果的に、手配魔獣の退治はA班全員の力で達成することとなった。

 

 

 


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