紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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読者の皆様、ブラックコーヒーの貯蔵は充分か……嘘です、ごめんなさい。会長成分補充の回です。甘党の人は個人で砂糖を用意してください。


会議室の中で

 

 

 

 トールズ士官学院、本校舎一階右翼。教官室と学院長室を通り過ぎた先、最奥に位置する一部屋には白と緑の制服が混じった十人程の男女の学生達が集まっていた。楕円状に繋がったテーブルには何枚かの紙が椅子の配置されている前にそれぞれ置かれ、テーブルの側で集まっている学生達の中心にはトワが立っている。彼女は眉を八の字に曲げ、明らかに困った様子で学生達と話していた。

 

 

「書記の子が風邪で休んじゃったし……うーん、どうしようかな……」

 

 

「会議を延期するわけにもいきませんし、書記なら俺がついでにやりますよ」

 

 

「それはありがたいんだけど……」

 

 

 どうやら部屋の中に集まっている学生達は生徒会の者達らしく、今から行おうとしている会議に必要な書記を務める人間が風邪で休んでしまいそれが原因で皆は困っているようだ。男子の平民生徒の提案にトワがどうしようかと頭を悩ませるが、結局は自分が書記をする事に決めて皆にその旨を話す。学生達は会長にやらせるわけにはいかないとトワの話に反対し、トワもこれくらいなら負担にならないから大丈夫だと引かない。最終的には皆が彼女の押しに屈し、その提案を受け入れる事に。それぞれが席に座り、トワも奥の席に移動して腰を下ろす。そして早速会議を始めようとトワが話し出したその時、ガラガラと部屋のドアが開かれた。

 

 

「やっと見つけた、会長何やってんですか」

 

 

「グラン君!?」

 

 

 グランが突然現れ、部屋の中に入るとドアを閉めてトワの元へと近寄っていく。室内はざわめき出し、トワも驚いた様子でその場に立ち上がると彼の歩いてくる姿を見ていた。どうしてあの問題児が、という男子生徒の呟きが聞こえてきたり、女子生徒達が一様に胸を隠したりする様はグランが学院で何をやらかしたのかが非常に気になるところではある。しかしそんな事には目もくれず、グランは困った表情を浮かべ始めるトワの元へ辿り着いた。

 

 

「もう~、入ってきちゃ駄目だよ! 今から会議が始まるんだから」

 

 

「あー、それで生徒会の連中が集まってる訳か……何だったらついでだし、手伝う事とかあります?」

 

 

「手伝う事って──あっ、そうだ!」

 

 

 グランの提案を受け、顎に手を当てて考え始めたと思えば突然何か思い付いたようにニコリと笑みを浮かべるトワ。そんな彼女を見てグランは首を傾げ、近くで二人の会話を聞いていた貴族の生徒はまさかと顔を驚かせている。そして、その貴族生徒の危惧していた事は的中した。

 

 

「会議の書記、グラン君にお願いしちゃおっかな」

 

 

「……書記?」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 生徒会の会議は、学院の行事や活動の取り決め、学生達が有意義に過ごせるためのアイデアを出し合うといったものだった。途切れることなく次から次へと出される議題を、トワが周りの意見を採り入れながら巧みに捌いていく事で会議は終始スムーズに運ばれる。そのせいでグランは休む暇なく会議の内容を記す羽目になるのだが、部屋の中に流れる真剣な空気もあってか真面目に受け持った仕事をこなしていた。予定では二時間だった会議も、トワの手腕が発揮されたのか一時間で終えることとなる。トワが会議の終了を告げると学生達は皆資料を手に持って退室していき、その場に残ったのはブラックボードに書かれている会議の内容を見ながらノートに写すグランと、その様子を隣で嬉しそうに眺めているトワの二人だけ。そして最後の一行を書き終えたのか、グランはペンを置くと突然テーブルの上にうつ伏せになった。

 

 

「舐めてた、書記の仕事マジで舐めてた……」

 

 

「ふふ、グラン君お疲れ様」

 

 

 書記の仕事が想像以上に辛かったのか、グランはうつ伏せになったまま微動だにしない。そんなグランを微笑みながら見ていたトワは労いの言葉を掛けた後に席を立ち、自然と彼の頭を撫でていた。まるで割れ物を扱うかのように。そっと、包み込むように撫でるその優しい手つきは、グランの心の奥底に残っていた懐かしい記憶を引き出していた。

 

 

「(久しぶりの感覚だな……と言ってもいつの事かは思い出せないが)」

 

 

 頭に感じる心地よさに意識を向けながら、やがてグランの手は彼の頭を撫でているトワの手へと無意識の内に伸びていた。互いの手は触れ合い、両者の頬は僅かに赤みが増す。トワはグランの手が触れた事で自身の体温が上昇していくのを感じながら、撫でていたその手を止めた。

 

 

「ごめんね、嫌だった?」

 

 

「そんな事ないですよ。ただ──」

 

 

「ただ?」

 

 

「いつもフィーすけの頭を撫でていたから、自分がこうされるのが少し不思議な感じで……」

 

 

 触れていたグランの手は離れ、どこか悲しそうに話している彼を見て何か思うところがあったのか、トワは止めていた手を動かしてグランの頭を撫でていた。グランも再びその心地よさに身を委ね、徐々に重たくなってきた瞼に抗うことなく瞳を閉じ、視界の端に映っていたトワの顔も見えなくなる。やがて規則性のある呼吸音が聞こえ出すとトワは一度手を離し、グランに寄り添うように椅子を近づけてから腰を下ろして、スヤスヤと眠っている彼の頭を再び撫で始めていた。

 

 

「グラン君、普段は楽しそうにして隠してるけど……昔に何かあったんだよね? 倒れる程の出来事なんて、私には想像もつかないけど……」

 

 

 心配そうに話すトワの声に、眠っているグランが答えることはない。勿論トワはそんな事を分かっているし、グランが起きていたとしても答えてもらえるとも思っていなかった。だからこそ、彼女は今の自分に出来る事を考え、現在行動に移している。それがたとえ、グランに嫌われる事になるとしても。

 

 

「昔のグラン君に何があったの? 私ね、君の事をもっと知りたい……グラン君の力になってあげたい」

 

 

「スー、スー……」

 

 

「だからね、私決めたんだ……グラン君の事をもっと知ろうって」

 

 

 グランの頭を撫でていた手は彼の顔の輪郭をなぞり、そのまま頬へと添えられる。まるで我が子を愛する母親のように、その母性溢れる慈愛の笑みはグランの顔に向けられていた。

 

 

「大丈夫だよ、グラン君──私が必ず助けてあげるから」

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 トリスタの町は夕刻を迎え、士官学院の空は既に茜色へと染まっていた。会議室で睡魔に襲われたグランは未だに熟睡中で、その隣ではトワがペンを片手に書類整理を行っている。休まずに行うと流石に彼女も疲れるので、所々で休憩を入れてはグランの寝顔を見て愛おしそうに彼の頭を撫でていた。そして丁度区切りがついたのか、トワはペンを置くと席を立ち、その際に発生したガチャリという音でグランを起こしていない事を確認。その後にお茶を入れるために離れた場所にあるポットへ向かって歩き出す。余程疲れが溜まっていたのかただの天然か、途中何もない所でつまづいて転けたりもするが幸い湯呑みを割ることはなく。トワはその場に立ち上がると痛そうに鼻を擦っていた。

 

 

「うぅ……鼻が痛い」

 

 

 目には若干の涙を浮かべながらお茶を入れ終わると、グランの隣に戻って再び腰を下ろす。お茶を一口啜った後、トワは未だに寝息を立てているグランの頭へと手を伸ばした。

 

 

「もう、グラン君ったら本当によく寝るんだから……まぁ、そのお陰でこうして可愛い寝顔を見れてるわけだけど……」

 

 

「──むっ、可愛いとは心外な」

 

 

「お、起きてたのグラン君!?」

 

 

「はい、トワ会長がそこで転んでいた辺りから」

 

 

 どうやら先程トワが席を立った時の音でグランは目を覚ましていたらしく、半目を開きながらトワの驚いている顔をニヤニヤと眺めていた。まさか自分の醜態を見られていたなんて、とトワが恥ずかしさで顔を真っ赤に染める中、グランはうつ伏せていた体を起こすとトワの頭を撫で返す。

 

 

「こ、こら! 女の子の頭を簡単に撫でたりしたら駄目なんだよ!」

 

 

「女の子の部分を男の子に変えてそのまま返します。それに可愛いとか男がどんだけ傷付くと思ってるんですか」

 

 

「うぐ、言い返せない……」

 

 

 グランが正論でトワを言い負かす事が出来るのは、恐らくこれが最初で最後だろう。グゥの音も出ないトワはされるがまま、グランに頭を撫でられている。大変愉快そうに笑っているグランは、そんなトワのしゅんとした姿を暫く眺めて満足したのか、彼女の頭を撫でていた手を離すと自身の懐から包みを取り出した。そう、町の雑貨屋で購入したトワへのプレゼントである。

 

 

「ほい、トワ会長への日頃の感謝」

 

 

「ふえ?」

 

 

「ハッハッハッ……いやー、その顔が見れただけでも満足満足」

 

 

 突然グランからプレゼントを渡されるという不意打ちに、トワは顔をキョトンとさせていた。受け取った包みを暫く見詰めた後、漸くその意味を理解したのか大慌てでその包みを落としかける。トワは何とか落ち着きを取り戻すと、物凄く困った表情でグランの顔に視線を移した。

 

 

「そんな、グラン君悪いよ……」

 

 

「勉強を見てもらっているお礼と日頃の労いを込めてのプレゼントです。と言うか受け取ってもらえないと泣きますよ?」

 

 

「本当にいいの?」

 

 

「迷惑でなければ」

 

 

「そっか……えへへ、ありがとうグラン君」

 

 

 とても嬉しそうに包みを胸に抱き寄せるトワを見て、この喜んでいる姿を見れただけでも千二百ミラ以上の価値があるとグランも満足に笑っていた。直後に開けていいかと聞いてくるトワに、恥ずかしいから帰って開けてくれと答えたグランだが無情にも包みは破られる。さっきの仕返しとばかりに、トワは悪戯っぽい笑みを浮かべながら包みの中にある物を取り出した。現れたボトル型のお守りを透明な袋から出し、キャップを外してそれを鼻へと近付ける。

 

 

「う~ん、良い匂い……何だか疲れが抜けていく感じがする」

 

 

「女の子はアロマとか好きかな、と思いまして」

 

 

「うん、とっても嬉しい。本当にありがとね、グラン君」

 

 

 フローラルボトルは概ね好評のようで、周囲にアロマの良い香りを漂わせながらトワは笑顔を浮かべている。グランのプレゼントで活力が湧いたのか、トワはフローラルボトルを一旦テーブルに置くと、最後の一仕事だと意気込んでペンをその手に握り締めた。その様子を傍で見ていたグランも、書類の一部を抜き取ると自分の前に置いて同じくテーブルに置いていたペンを取る。

 

 

「もう夕暮れですし、オレも手伝います。お礼はトワ会長の笑顔ということで」

 

 

「もう、グラン君ったら……それじゃあお願いしちゃってもいいかな?」

 

 

 グランの提案を受けたトワは頬に赤みを増しながら返し、彼の頷く様子を確認すると目の前にある書類に向かってペンを走らせる。グランも同じく目の前の書類に視線を移し、書類整理に入った。因みにこの時のグランの書類整理が思ったよりも手際がよく、これから何度もトワから生徒会の仕事の手伝いを頼まれるきっかけになったとか何とか。

 

 

 


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