紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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新たな苦悩の始まり

 

 

 

 この世界には、時に信じられないような環境で生を受けた人々が存在する。産声を上げた場所が戦場の中であったり、既に争いを終えて荒廃しきった土地であったり。親が富を得て、生まれた時から裕福な環境で育った者や、裕福とはいかないまでも争いのない平和な場所で生まれた者からしてみれば想像しがたい境遇である。そんな恵まれた環境の中でも前者に該当するラウラは今、その想像しがたい境遇に生まれたというグランの素性を聞かされていた。

 

 

「猟兵になる事が、決まっていた?」

 

 

「──そう。あの子は自分の意思に関係なく、猟兵になる事が決まっていた」

 

 

 サラによって知らされたグランの事情、ラウラは自分の耳を疑った。産まれた時から猟兵になる事が決まっていたなど、一体どんな家庭環境に生まれたらそんな理不尽な仕打ちを受けるのかとラウラは驚きを隠せない。そして同時に、彼女は一つの猟兵団を思い出してグランの素性にある仮説を立てた。

 

 

「北の猟兵……グランはもしや、ノーザンブリアの出自なのですか?」

 

 

 ノーザンブリア自治州、突然の災厄によって壊滅的な被害を受けた地域。今もそこで生活をしている人々は貧困に苦しみ、明日の食事を取る事もままならないと言われている。そんな人々のために金銭を稼ぐ集団、ノーザンブリアがかつて一国として存在した時の軍に所属していた兵士達を中心に結成された部隊は北の猟兵として有名だ。そこの出身なのではとラウラは推測した。

 

 

「あー、グランはノーザンブリアの出身じゃないわよ。あの子はまた別の特殊な部類に入るわ」

 

 

 しかしサラから返ってきた答えは違った。グランはノーザンブリアの出身ではないと。考えが外れたと自分の推測力のなさに落ち込むが、この時ラウラはほっと胸を撫で下ろしている自分がいる事に気付く。もしグランがノーザンブリアの出身であったなら、そのような過酷な場所で生まれ、生きるための手段として猟兵という道を選んだグランに自分はとんでもない目を向けていたから。そして今さらそのような安堵感を覚える自分に、ラウラは少しばかり苛立ちを覚えながらサラへ再び問い掛ける。

 

 

「では、グランは何故猟兵になる事が決まっていたのですか?」

 

 

「それは……本人から聞いてちょうだい。流石にこれ以上の事を私が話すのもね」

 

 

 一度考える素振りを見せた後、サラは再び笑顔を浮かべて困ったように首を傾げた。どうやらこれ以上、彼女にはグランの過去について話す気はないようだ。本人の知らない所でその人の過去を聞き出したり、話したりというのは元々余り誉められたことではない。ラウラもそれを察したのか、これ以上サラに問い掛ける事はなかった。そして、グランの出身に頭を悩ませるラウラへ、今度は逆にサラから質問が飛んだ。

 

 

「ところで、ラウラはどうしてそこまで猟兵を否定するのかしら? そうしなければ生活できない人達もいるって事は、あなたも分かっているわよね?」

 

 

「理解はしています。私の考えは、苦悩のない者が描くただの理想論だという事も。ですが、猟兵という存在そのものが人の義に反すると私の心がそれを許しません。どのような理由があっても、非道な行いはするべきではないと」

 

 

 境遇上、猟兵としての生活を余儀なくされる人々がいるのは仕方ないと肯定する自分と、猟兵という存在はあってはならないと否定をする自分。本来、人は皆誇り高くあれるとラウラは思っていた。境遇や身分に関係なく、人は誰しも尊ばれるべき存在だと。しかしグランやフィーの過去を知った事により、自分の中に眠っていた正反対の考えが浮上してしまう。その結果ラウラ自身、己が抱えているこの矛盾をどうしたらいいのか迷っていた。片方を認めれば、必然的にもう片方は否定する事になる。今のラウラには、どちらが正しいのか判断する事も、どちらでもない別の答えを導きだす事も出来ないでいた。明らかな悪循環に陥っているラウラ。しかし彼女の本音を聞いたサラはこの時、何故か安心したように笑みを浮かべていた。

 

 

「……良かったわ。だったら解決するのは時間の問題ね」

 

 

「──えっ?」

 

 

「ラウラにその気があるなら、一度グランやフィーと話してみなさい。きっと答えが見つかるはずよ」

 

 

 サラはそう告げると、席を立ち上がり本校舎へと向かって歩き出す。その背中を見ながらラウラは今の言葉の意味を考えるが、結局彼女にはサラの言っている事がよく分からなかった。雨によってぬかるみのできた地面へ視線を落とし、少し考えた後にラウラも立ち上がる。

 

 

「グランもフィーも、私などに話してくれるだろうか──いや、手掛かりだけでも得れた事に感謝せねば。今は一先ず、中間テストに集中しよう」

 

 

 ラウラは取り敢えずの区切りをつけると、サラと話している時からずっと心配そうに自分を見ていたアリサが待つ本校舎の中へと歩いていくのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 同じ頃、学生会館の生徒会室では急展開を迎えていた。教科書が広げられたテーブルの側、ソファーの上には瞳を潤ませたトワが仰向けに倒れている。そしてトワを覆うようにグランが上に乗り、彼女の顔の横に手をついて僅か数リジュの距離まで互いの顔を接近させていた。静まり返った部屋の中、速くなる心臓の鼓動を脳内に響かせながら頬に赤みを増したトワが声を上げる。

 

 

「──グラン君、本当にするの?」

 

 

「会長が言ったんですよ? 救護は実技の方が分かりやすいって」

 

 

 そう、このような事態になってしまったのは少し理由がある。グランに救護のいろはを教えようとして、トワが教科書に記載されている救護関連の項目をなぞりながらグランに説明をしている時。グランの性格を忘れていたトワが不意に失言をした。

 

 

──う~ん、本当は実際にやってみた方が理解しやすかったりするんだけど……マネキンがあればなぁ──

 

 

──じゃあ、会長が代わりにやったらいいですよ……そのマネキン──

 

 

──え……きゃあっ!──

 

 

 詰まりはそう言う事である。事の始まりもトワには一切落ち度などなく、グランの茶目っ気スキルが発動した結果現在の状況になってしまった。アンゼリカ辺りが目撃すればタコ殴りにされているであろうこの光景。勿論人工呼吸の建前でこのまま唇を奪うのはやり過ぎなので、流石のグランもトワの顔を暫く見た後に止めるつもりだった。つもりだったのだが……グランにとって不測の事態が起きてしまう。

 

 

「優しく……優しくだからね? 私、目を閉じてるから──」

 

 

 場の雰囲気に呑まれてしまったのか、トワがそう呟いた後に瞳を閉じ始めてしまう。そんな彼女の顔を見ている仕掛けた側のグランはこの時、頭の中が真っ白になっていた。なんちゃって、と冗談として終わらす事が出来なくなってしまったからだ。徐々に高くなるトワの胸の鼓動や呼吸音が何故か鮮明にグランの耳に入ってくる。この場にいるのは二人だけ、誰も止めに入る者などいなかった。次にどうするべきか考えが思い付かない。本当にどうしよう……と冷や汗をダラダラ流しながら本気で焦っていたグランだったが、突然彼に救世主が現れた。

 

 

──会長、リィンです……失礼します──

 

 

 不意に響いたノック音の後、リィンの声が扉越しに聞こえてきた。その声により意識の覚醒したトワとグランは直後に立ち上がり、入室してきたリィンの顔を見ながらいかにもな作り笑いを浮かべ始める。そんな二人の様子にリィンが首を傾げる中、グランは一人リィンに近寄ると彼の両手を握ってブワッと盛大に涙を流した。

 

 

「ありがとう、マジでありがとう──!」

 

 

「えっと、どうしたんだ? グランが会長の所で勉強をしているのは知ってたから、てっきり迷惑かと思ったんだけど……」

 

 

「あははは……そんな事ないよ。良かったらリィン君も一緒に勉強する?」

 

 

「はい、迷惑でなければお願いします」

 

 

 リィンは未だに涙を流しているグランと共にソファーに腰を下ろすと、向かい側に座るトワの拍手を機に中間テストに向けての勉強を始める。そして二人に勉強を教えるトワなのだが、この時の彼女の表情は、どこか落ち込んでいるように見えた。

 

 

「(何だろう、このモヤモヤした気持ち──)」

 

 

 勉強を教えながらトワはグランの顔へと視線を移し、自身の胸中に残る不思議な感情に頭を悩ませるのだった。彼女がこの感情の正体に気付くのは、もう少し先の事になる。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 《Ⅶ組》の面々が試験対策に明け暮れた翌日。六月十六日から十九日にかけて、計四日間の中間テストが開始される。教官達が用意した設問の数々に苦戦しながらも、トワとの勉強の日々が功を奏したのかグランは四日間を何とか乗り切った。時折睡魔に襲われながらも、一時限として眠らなかった事はグランにとっては称賛に値するだろう。最終日、グランが唯一得意と言ってもいい実技の問題を終えてテスト終了のチャイムが校内に鳴り響く中、試験監督を務めていた……といっても終始爆睡していたサラによる号令の後、グランは漸く終わりを迎えた中間テストの内容を思い返しながら机にうつ伏せていた。

 

 

「──終わった。応急措置で最初に意識の確認を選んだオレを盛大に誉めてやりたい……」

 

 

「へぇ、グランちゃんと答えてるじゃない。あなたの性格だとてっきり人工呼吸から入りそうなものだけど──」

 

 

「聞かんでくれアリサ。先日、その回答がどれだけ間違っているのかをこの身をもって知った次第だ」

 

 

「そ、そうなの……?」

 

 

 本当に疲れた様子で話すグランにアリサが困惑する横で、リィンはグランの健闘を讃えるために彼の背中を擦っている。その近くでは、テストの結果に満足だったのかマキアスがエマに対して自信ありげに話し、エマが困ったように笑みを浮かべ、直後にユーシスがマキアスに茶々を入れてマキアスが言い返す……という《Ⅶ組》の日常風景がそこにはあった。そしてガイウスとエリオットがリィンの元へと近寄っていく中、机にうつ伏せていたグランが不意に立ち上がる。

 

 

「さて、会長の所にでも行くか」

 

 

「はは、グランは回復が早いな……会長によろしく言っておいてくれ」

 

 

「おう、任せとけ」

 

 

「グラン、私も行く」

 

 

 リィンから伝言を預かったグランが歩き出したその時、グランと同様に机にうつ伏せていたフィーが起き上がると彼の横にぴたりと付き、二人でそのまま退室していく。教室を出ていく二人に一同は視線を移した後、その姿が見えなくなると再び各々テストの出来について話し始める。そんな中、教室の扉から視線を外さない者が一人いたのだが、それはラウラだった。彼女は席に着いたまま、二人が退室した扉の先を見詰めている。

 

 

「(目の前の果たすべき課題は終わった。今日こそ、二人に事の真意を──)」

 

 

 ラウラは席を立ち上がると、他のメンバーの視線を一度に受けながら二人の後を追うのだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 《Ⅶ組》の教室を退室したグランとフィーの二人が訪れた先、学生会館二階の生徒会室に部屋の主であるトワの姿はなかった。いずれ来るだろうとソファーに座って待つ事を選んだ二人は、部屋の中に入るとソファーへ向かって歩き始める。その時、トワが生徒会の事務仕事を行う際に使用している机の上で、グランは見覚えのある品を発見した。

 

 

「ん? これって……何だ、ここに忘れてたのか」

 

 

 机の上に置いてあったそれは、掌程もある大きめのペンダントだった。そしてそのペンダントはグランの物だったのか、グランはそれを手に取るとお手玉のように片手で上空に放ってはキャッチを繰り返している。その様子を隣で眺めていたフィーは、少し表情を落ち込ませながら口を開いた。

 

 

「グラン、それまだ持ってたんだ」

 

 

「ああ──って、フィーすけこれ知ってたのか?」

 

 

「知ってたって……団にいた頃にグランがその中にある写真を見せてくれた」

 

 

「写真……一体何の事だ?」

 

 

 フィーはこの時、グランが発した言葉に驚きの余り呆然としていた。この男は何の冗談を言っているんだと、フィーはグランからペンダントを奪い取ってその蓋を開放する。中に埋め込まれた白髪の少女が写っている写真を、グランの目の前へと突き出した。

 

 

「クオン……って言ったっけ、グランの大切な人。これでも知らないって言い張るの?」

 

 

 これでもまだはぐらかそうものなら、銃弾の一つでもぶちこんでやるとフィーは考えていた。しかし、いつまで経ってもグランから返答は来ず。イラっときたフィーは銃剣を取り出してグランの顔を見上げる。だが、そこにいたのは普段の陽気な彼ではなかった。

 

 

「だれ、だ……くっ!?」

 

 

 フィーの視界に収まったのは、明らかな動揺を見せ、瞳を揺らしながら頭を押さえているグランだった。

 

 

 




クオン……漢字にすると久遠……久遠(キュウエン)……永遠(トワ)と似てるじゃないですかやだー

……すいません、調子に乗りました。ところで中間テスト短っ!?って思われた方は申し訳ありません。導力学とか軍事学とか、私の情報処理能力では理解できませんので、勉強描写は省きました……そこ、逃げてるとか言わない。

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