紅の剣聖の軌跡   作:いちご亭ミルク

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西ゼムリア通商会議

 

 

 

 七耀歴1204年8月31日。時計の針が十三時を廻り、遂にその時が訪れる。各国代表は本日午後より執り行われる西ゼムリア通商会議の為、再びオルキスタワー入口へと集結した。導力カメラのフラッシュが焚き乱れる中、彼らは各国より派遣された軍人や親衛隊、クロスベル警察の警備の元、此度の通商会議提案者であるディーター=クロイスを先頭に続々とタワー内部へ足を踏み入れる。

 帝国政府の護衛として訪れたグランも又、彼らと同様に。余りにも高すぎるそのタワーを見上げて首の可動域限界を迎えた後、入口へ視線を戻して内部へと向かう。

 

 

「昨日は何やら一人で動き回っていたようだが、満足のいく結果だったかな?」

 

 

「残念ながら不十分だ。アンタの所の書記官に邪魔されてな」

 

 

「さて、私には何を言っているのかが分からないが」

 

 

 含みのある笑みを浮かべるオズボーンを横目に、グランは内心腹立たしさを増しながら彼の後ろに控えるレクターへとその視線を移した。視線を浴びた当の本人も何処吹く風と、態とらしくグランから目を逸らす。

 契約である以上、彼らの護衛を放棄する事は出来ない上、任務を疎かにする事も自らの信用に関わる。グランが個人的な感情で今回の仕事に対して手を抜くなどという事は無いが、本心ではオズボーンを狙う帝国解放戦線にエールを送りたかった。但しそれは、トワへの脅威が一切ない事が前提ではあるが。

 

 

「(クソ親父に警告は入れた。黒月(ヘイユエ)の連中にも昨晩情報は流した。後は、テロリストがどのタイミングで事を仕掛けるか、だが……)」

 

 

 此度予測されるテロリスト襲撃に備え、打てるだけの手を彼は尽くした。テロリスト襲撃などという事態が起こらないのが最も望まれる事だが、それを願ったところで敵が諦めるわけでもなく。だからこそ、グランは自らの出来る全てを尽くした。

 当初は只の仕事として請け負った。いつもの様に護衛対象を護り、敵対する者がいればその場で葬れば良いと。しかし今は違う。

 この会場を、そこにいる護衛対象を、何としてでも護り抜く。その身を脅かす存在の登場すら認めない、今出来る最善を求めて立ち回る。そこには一分の脅威すら許さず、そこに一縷の気の緩みも無い。

 

 

「(何れにせよ、会長に指一本触れさせるつもりはない)」

 

 

 全ては、ただ一人の少女の為に。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 通商会議が行なわれる数刻前。クロスベル市港湾区に位置する、黒月(ヘイユエ)貿易公司。その事務所内にて、東方系の衣装を見にまとった一人の青年が椅子に腰掛け、デスクへ置かれた文書らしき物を静かに見詰めていた。赤紫の髪に、一見人の良さそうな容姿をしているその男は眼鏡を指で一度持ち上げると、置かれた文書を手にして何度も読んだその内容を目で追い始める。

 

 

———反移民政策派の連中に、竜の影が確認された。全てを鬼に狩られたくなければ、足元へ目を凝らしておけ。奴らが地上に上がるまで、そう猶予は無いぞ———

 

 

「これは、我々を利用する気満々ですね」

 

 

 男……ツァオ=リーは密書を再びデスクへ置き、やれやれと首を横に振る。ツァオというこの男は、黒月(ヘイユエ)貿易公司の社長を務め、様々な思惑を受けてこのクロスベルに居を構える類い稀な才覚を持つ人物。故に、その密書の意図を既に理解していた。

 静かに佇むその顔の裏では、送り主の思惑を含め様々な考察が行なわれる。突然送り付けられた密書の内容は、一見情報提供のようでありながら、その実警告を意味しているもの。この密書に記された言葉の意味、送り主の目的、また自分達はどう動くべきか。様々な推測を繰り返し、それも全ては向かわせている調査の報告を持って判断する事だと、ツァオは思考に耽っていた頭を休めて背もたれに身体を預けた。

 そして程なくして、室内には扉をノックする音が響く。彼が入室を促すとその声に応えた人物が扉を開き、そこには彼同様東方系の衣服を着用した男が現れた。

 

 

「調査の結果、確かに街の数カ所へ猟兵の仕業と思しき痕跡が確認されました。既に潜入しているものと思われます」

 

 

「そうですか、ご苦労様です。であれば、これと同等の情報を赤い星座が有している事は確かでしょう。その情報元も、当然彼なのでしょうが」

 

 

「紅の剣聖は、何故情報を流したのでしょうか?」

 

 

 ふと、部下は目の前に座るツァオへ問い掛ける。話の中で話題に上がった密書の差出人……紅の剣聖が何故このような手段を用いたのか。互いに警戒対象として探り合う中で、敢えて敵に塩を送る形で打って出た彼の思惑がよく分からない。少なくとも、その情報を流さずにいれば、損をするのは黒月(ヘイユエ)の人間だ。彼にとっても都合はいいだろうに。

 部下の疑問を受け、ツァオは表情を変える事なく淡々と語る。紅の剣聖がそうするに至った理由と、自身の考える彼に対する推測を。

 

 

「彼が外部勢力へ情報を流す際の理由は主に二つです。情報による錯乱を狙うか、動きを誘導して利用するか。今回はどうやら後者の様です」

 

 

「と、言いますと?」

 

 

「紅の剣聖の護衛は、その安全性が最も評価されています。取り分け今回の場合は、その安全という点を重視しているのかと。つまり此度の通商会議において、彼はテロリスト達をオルキスタワー内部へ招くつもりが無い。事前に排除する事を目的にしているわけです。その役目が、我々だという事でしょう」

 

 

「その為の情報ですか……もし、我々が彼の意に反した場合は?」

 

 

「当然、その場合は同様の誘いに乗った赤い星座によって排除されるでしょう。仮にもし彼らが動かなかった場合は、紅の剣聖が全て対処を行なう。密書の内容から見ても、テロリストの動きは把握しているようですし……何れにしても、我々には何一つ残らないでしょうね」

 

 

 お手上げだと、ツァオは話を終えると両手を挙げて首を横に振った。紅の剣聖の狙い、またそれによってどういった結果がもたらされるのか。何れにしても、意に反した場合の結果は黒月(ヘイユエ)の人間にはデメリットの方が多い。とどのつまり、彼らの答えは決まっているようなものだ。部下の人間も、ツァオの話でその事を察した。

 

 

「なるほど。我々には、選択肢が一つしかないと」

 

 

「正解です。いやはや、よくもまあこれだけ合理的に物事を考えられるものです。此方としては知らずに横取りされていた方がまだ諦めがつくのですが。全く、掌の上で踊らされるというのは、余り気分のいいものではないですねぇ」

 

 

 笑顔で返すツァオの視線は、密書の内容へと向けられた。その視線には、彼に対する最大級の讃美と苛立ちを乗せて。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「今のところは特に動き無し、か」

 

 

 オルキスタワー内部にて。国際会議場の様子を、ガラス越しに見下ろしながらグランが呟く。

 現在彼が立つ場所はオルキスタワー三十六階、各国代表の控え室が設けられたエリアの通路。外側はガラス張りで市内を一望する事が出来、内側もガラス張りでカーテンを開けると下階の国際会議場内部を見下ろす事が出来る仕様となっている。

 通商会議開始後、約一時間が経過したが、今のところ各勢力に目立った動きは無い。とは言え会議もこれから折り返し地点に入る段階で、まだまだ気を緩ませる事は出来ないだろう。このまま何も無ければ苦労はしないと、儚い望みを脳裏に過ぎらせてグランは視線を通路外側の市街地方面へと向けた。

 高さ二百アージュを超える地点からの眺めは圧巻だ。人々が点となって市内を流れる様は、人一人が如何に小さな存在かというのを表している。市内の全てを手の中に収められるほどの遠近差は、鳥が空から地上を見下ろす感覚に近い。屋内の為風を感じることは出来ないが、この景色だけでも十分な価値があるだろう。

 そんな風に、グランが外の景色を眺めている最中。不意に彼へ声を投げかける者がいた。特務支援課の面々だ。

 

 

「よう、グラン」

 

 

「お疲れ様です、ランディ兄さんに皆さんも。いやー、しかし中々いい景色ですね。おまけに各国のお偉いさんを見下ろせる機会なんてのはそう無いですから、何だか胸がスッとします」

 

 

 グランの声に、この場を訪れたロイド達も同様に外の景色へ視線を向け、同感だと語る。流石に後半部分の方は同意し辛かったのか、誰からもコメントが無く。仮にも西ゼムリア各国の首脳へ向けた発言だ、彼らも滅多なことは言えない。

 

 

「ここに居るという事は、何とかタワーの警備に潜り込めましたか」

 

 

「ああ、何とかね。ただ、グランに謝らないといけない事が……」

 

 

「分かっていますよ……警察と警備隊が、オレの案に乗らなかったんでしょう?」

 

 

 ロイドの申し訳なさそうな表情に、事を察したグランは苦笑気味に返した。特務支援課に託していた警備態勢見直しの案は、様々な事情によって受理されない形になってしまったが、そもそもの話、グランはそうなるだろうと踏んでいたようだ。受け入れられればそれに越したことはないが、現状では提案として投げかける事に意味があったようで。

 

 

「へぇ、分かってたのかい?」

 

 

「まあ、半分は諦めていましたから。現実的な脅威を伝えるという意味での案でもありましたし、特務支援課が応援に来ている現状だけでも、此方としては頼もしいです」

 

 

 ワジの声に応え、グランは改めて特務支援課の面々を見渡す。先日このクロスベルを混乱に陥れた教団事件と呼ばれる大事件、その解決に最も貢献したとされる彼らが現場にいる事はグラン自身も非常に有り難かった。テロリストという脅威に対抗する手段として、揃えられるのならば戦力は幾らでもあった方がいい。

 ふと、グランは特務支援課の面々を見渡す中で、見慣れない一人の少女と目が合った。昨日共に行動した際のメンバーの中にその姿は無く、水色の髪を棚引かせるその小柄な少女は、明らかにグランよりも年下だ。彼の視線を受けた少女は前へ出ると、淡々と自己紹介を始める。

 

 

「皆さんから話は聞いています……初めまして、ティオ=プラトーです。別件で一時的に支援課から離れていましたが、昨夜より合流となりました。よろしくお願いします」

 

 

「此方こそ。グランハルト=オルランドです、見知り置きを」

 

 

 差し出されたその手に、グランも手を差し出して握手を交わす。ティオと名乗った少女は年下だとは思ったが、彼もトワという前例があった為、あくまで仕事上の対等な立場で接した。流石に初対面の女性にいきなり年齢を尋ねるというのは不躾な上、仕事の都合で関わっているのだ。幼い見た目というだけで彼女に対しての接し方が他と変わるというのは、責める程の事ではないにしても、あまり褒められた事ではない。

 握手を終え、両者が手を離したところでティオの視線がグランの腰へと移る。正確には、彼女の視線はグランの腰に下げたホルダーへと向けられていた。

 

 

「その、そちらのホルダーにあるのは……」

 

 

「ああ、これですか。オレが通っている士官学院で運用試験中の、新型戦術オーブメントARCUSです。貴女ならご存知なのでは?」

 

 

「エプスタインが帝国のラインフォルト社と共同開発したという……なるほど、そうでしたか」

 

 

 オーブメントの名を聞き、納得した様子でティオは頷いた。どうやら彼女はエプスタイン財団に関係のある人物なのか、ARCUSについても把握していたようだ。その視線は、興味深そうにグランの手にあるARCUSへと注がれている。

 しかし、彼へ向けられていた視線はティオのものだけでは無く。支援課メンバーは全員が同様の視線をARCUSへと向けている。そんな中、ロイドは自身が持つ戦術オーブメントのエニグマⅡを手に持ち、比較するようにその視線を交互にそれぞれの戦術オーブメントへと動かしていた。

 

 

「そう言えば、エニグマⅡとは随分違うみたいだな」

 

 

「はい、試験的に特殊な機能が組み込まれていると聞きます。確か戦術リンク機能、でしたか。連携相手の動きが手に取るように分かるとか」

 

 

「それはまた……随分便利な機能ね」

 

 

「私達にも欲しいですね、それ」

 

 

 ティオの説明に、少し驚いた様子のエリィとノエルは依然として興味深げにARCUSへ視線を送る。特務支援課の人間としても、戦闘面において強力な恩恵を持つ新型オーブメントというのは是非とも手に入れたい代物だろう。開発と運用に関わっているのが帝国でなければ、今後の入手にも期待は持てそうだが。

 

 

「オレには過ぎた代物ですが、これがなければ迎えられなかった出逢いもある。ARCUSには結構感謝してるんですよ」

 

 

 支援課一同の視線の先、グランは自身の手にあるARCUSを感慨深そうに見詰めていた。彼にとっては未だ数ヶ月の学院生活だが、そこには新たに得た人との繋がりや、何物にも変えがたい日々がある。そして、それはきっと、これからも続いていくと信じて。そんな数ヶ月の記憶を脳裏に過ぎらせた後、グランはARCUSをホルダーへと戻した。

 グランの言葉に、彼らもそれが何を指しているのかを何となく察していた中。ふと思い出した様にワジが声を上げる。

 

 

「そう言えば、グラン君の通っている士官学院はあのオリヴァルト皇子が理事長と聞いたけど」

 

 

「ええ、屈辱的な事に。オレから言わせれば、あの学院における唯一の汚点ですね」

 

 

「ハハ。しかし、グランと同じところに振り分けられたガキ共はさぞかし大変だろうな……特に女の子達は」

 

 

「そ、そうね」

 

 

「何となく想像出来ました」

 

 

 ランディの私感には、この短期間で既に被害を被っているエリィとノエルの二人が思わず同意し、肩を落とす。実際のところ、グランと同じⅦ組の少女達は現在進行形で迷惑しているのでその私感に間違いは無い。問題は、それが士官学院全体にまで及んでいるという事だが。

 そして中でも一番と言っていいくらいに被害を受けている人物について、当事者のグランは何の悪びれもなく語る。

 

 

「いやぁ流石にエリィさんの胸には負けますが、同じクラスにかなりデカイ子がいまして……これが全然触らせてもらえないんですよね」

 

 

「ほ、本気で言ってるんでしょうね、この子」

 

 

「その女の子の苦労が手に取るように分かりますね……」

 

 

 ガクリと肩を落とすグランの姿を、これまた肩を落としていたエリィとノエルがその顔を引きつらせながら見ていた。何故触らせてもらえると思ったのか彼の考えが全く分からないと、二人は話に出た少女に同情する。

 一人落ち込みを見せるグランの様子に、このままでは話が進展しないと踏んだのか。静かに一部始終を見ていたティオは唐突にロイドへ話を振る。

 

 

「ところでロイドさん、昨晩の件について彼に伝えておいた方がいいのでは?」

 

 

 ティオの声に、そう言えばとロイドは昨晩自分達が遭遇した出来事について話す。

 昨夜、クロスベル地下のジオフロント区画にある端末部屋にて、何者かがハッキングを行なった形跡があり、現場ではオルキスタワーの内部構成データが発見されたとの事。通商会議が開催されるタイミングという事もあり、念の為にグランへ情報を知らせておくべきだと判断した。

 話を聞いたグランは、少し考える素振りを見せた後に口を開く。

 

 

「現時点で犯人の特定には至りませんが、その利用目的についてはタイミング的にもある程度予想がつく」

 

 

「やっぱりグランもそう思うか」

 

 

「ええ。襲撃における重要な事前情報の一つとして、対象施設の構造把握は絶対です。恐らく、テロリストにも流れていると見ていいでしょう」

 

 

 こう幾つも条件が揃うと、テロリスト襲撃の可能性は更に高まる。今まで以上に用心した方がいいと、グランも彼らへ警告を促した。支援課の皆であれば、そのような事は言われずとも重々承知だろうが。

 ふと、皆が視線を国際会議場へ向け、中では代表達が次々と席を立つ姿が確認出来た。会議も中間の休憩に差し掛かったのか、談笑する姿も見受けられる。

 

 

「どうやら会議も休憩に移りそうなんで、オレは一旦ここで戻ります」

 

 

 グランはロイド達へ断りを入れると、一人昇降機のフロアへ向かうべく歩き出した。その後ろ姿を支援課の面々は視線で追い、相変わらずだったと女性二人は苦笑気味に声を漏らす。彼女達の苦労をその目で見てきた男衆は、同じく苦笑いで相槌を打っていた。

 一方で、ティオはこれまでの事を知らない為か、他のメンバーとは違い冷静に彼の後ろ姿を見詰めていた。

 

 

「彼が紅の剣聖、ですか」

 

 

「何だ、ティオすけもグランの事を知ってんのか?」

 

 

「はい、噂程度ですが。その話では、財団の幹部が彼に護衛を依頼した事があるとか」

 

 

 意外そうな表情を見せるランディに対し、ティオは頷いた。彼女は以前に仕事仲間から人伝に話を聞き、名前だけは知っていたようだ。そして、その噂話の内容を思い出しながら、彼女は瞳を伏せると一呼吸置いて再度口を開く。

 

 

「ですが、その噂も余りアテにはならないようですね……今日初めて彼と会いましたが、とても噂の内容とは雰囲気が一致しないというか」

 

 

「因みにどんな噂なんだい?」

 

 

「それは……やめておきましょう。私の話で皆さんに、彼への悪印象を植え付けるのは不本意ですから」

 

 

 ワジの問いに対し、ティオは首を横に振るとその話題を畳んだ。そんな彼女の言葉に、ロイド達がそれ以上の疑問を投げかける事は無かった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

「現時点では、特に変化は無いようだな」

 

 

 オルキスタワー三十五階に用意された、帝国政府宰相の控え室。その内部では、ガラス張りになった部屋の側壁から景色を眺めるオズボーンの姿があった。表情は至って静かなものだが、終始厳格な雰囲気を醸し出しているその空気には、何人も近寄り難い。

 そして、彼が声を向けた先。部屋の中央に設置されたソファーへ腰を下ろしているのは、護衛として部屋に待機しているグランだった。彼は背を向けたまま振り返る事なく、オズボーンへ向けて発言した。

 

 

「今のところはな。ただ、会議の後半も気は抜けないだろう。奴らは必ず来る」

 

 

「来てもらわねば困る……と言いたいところだが、そちらにとっては都合が悪かろう。だからと言ってどうする事も出来んが」

 

 

「その点については既に手を打った。出来ればクロスベル側にもう二、三手戦力を期待したかったが、結局はアンタと大統領の二人勝ちだ。これが今のクロスベルの限界だろう」

 

 

「それは重畳、引き続き頑張りたまえ。それと、先程ロックスミス大統領から伝言を頼まれてな。何やら挨拶したいそうだが」

 

 

 一連の話の中で気を良くしたか。オズボーンは笑みをこぼすと、頼まれていたという言伝をグランへ伝えた。

 カルバード共和国の大統領、サミュエル=ロックスミスからの誘い。グランにとっては単身で猟兵稼業を始めてから何度も世話になっている存在の為、当然無視は出来ない。個人的にそういった恩がある以上、用事の無い今は出向くべきだろう。

 

 

「挨拶なら昨日済ませているはずだが……了解した、今から向かう」

 

 

 グランは部屋を退室し、ロックスミスの待つ控え室へと向かう。

 宰相に用意されていた部屋の場所が、オルキスタワーの左側面奥。ロックスミスに用意されている部屋の場所はオルキスタワー右側面奥に位置する為、それぞれの移動距離は他の代表に用意されている部屋よりも長い。タワー内部の対照位置に部屋を用意しているのは、帝国と共和国の関係性を表しているかの様である。

 目的の場所へ到着したグランは、扉前で立つ人物へと近寄る。どうやら共和国軍より大統領に同行している将校の男のようだ。

 

 

「グランハルト殿、お疲れ様です。大統領閣下がお待ちです」

 

 

 グランは将校の男の敬礼に応え、男がその場を下がった後に扉へ手を掛ける。中にいるであろう彼へ向け、断りを入れつつ扉を開いた。

 

 

「失礼します、閣下」

 

 

「おーグラン君、来てくれたか」

 

 

 中にいた人物は、鼻下から伸びる口髭を整えたふくよかな体格の男だった。齢六十を超えた年齢を思わせない壮健さと朗らかさ、人の良さを思わせるその姿は、大統領の様な威厳さとはかけ離れた一般的な容姿をしている。

 だが、間違いなくその男は大国家を束ねる党首であり、此度カルバードより訪れた代表の一人。カルバード共和国現国家元首、サミュエル=ロックスミス大統領その人である。

 

 

「昨日は簡単な挨拶しか出来ず、申し訳ありません。どの様なご用件で?」

 

 

「いや何、昨日は形式的な挨拶だけだったのでな。君と世間話でも、と思ったのだよ」

 

 

 オズボーンとは対照的に、その口調からも親しみやすさを思わせる。グラン自身も先のオズボーンとの受け応え時とは正反対の口調で、丁寧な物言いだ。仕事上の恩がある、というのも理由の一つだが、そもそも国家の首脳クラス相手に不作法なのがどうかしている。無論、彼にもそうしたくなる理由があるのだろうが。

 ロックスミスは自身が座っているソファーの正面に来るようグランへ促すと、彼が座ったのを確認して早速話へと移った。

 

 

「帝国の士官学校に通っているようだが、調子はどうかね?」

 

 

「以前と比べると退屈な生活というのは否めませんが……それなりに楽しんでいます」

 

 

「そうか、それは重畳。君の年なら本来は学校に通う年齢だろう、今までの苦労を忘れて十二分に楽しむ事だ」

 

 

 世間話の話題は、グランの通う士官学院について。

 相手の身近な話題から徐々に懐へ探りを入れていく話法は、情報収集において必須のスキルだ。更に彼のように親しみやすい雰囲気を醸し出した人物であれば尚の事、それは強力な武器となる。流石にグランが気付いていないはずも無いので、言葉選びに気を付けながらの受け応えとなってしまう。元々大統領に対して探りを入れに来た訳ではなく、単に呼ばれた身である以上、下手な情報を漏らさない様に注意を向けるのは仕方がない。彼が何を聞きたがっているのかは、グランにも大方予測出来ていたが。

 

 

「しかし、宰相殿が羨ましい。グラン君が帝国にいる間は、彼も身の安全が保証されている様なものだ。共和国の学校に君が通っていれば、私も護衛を頼めたものを……今からでも転校してはどうかね?」

 

 

「ハハ、恐縮です。共和国の方では、反移民政策派の連中が未だに抵抗を続けているようですね」

 

 

「困った事にな。彼らにも理解してもらえる日が来ると良いのだが……」

 

 

 やれやれと首を横に振るロックスミスの言葉には、嘘をつけ、と突っ込みたくなる気持ちを抑えてグランも苦笑を漏らす。

 

 

「君が帝国にいる間は、此方としても中々依頼を頼み辛くてなぁ。グラン君は学校を卒業したら、以前の仕事に復帰するのだろう?」

 

 

「先の事なので、はっきりとは……ただ、暫く帝国でやらなければいけない事が出来たので、仕事に復帰しても今まで通りとはいきそうにないですね」

 

 

「そうか、既に先約が……うーむ、ますます宰相殿が羨ましいな」

 

 

 困った様子で額に手を当てるロックスミスの姿に、グランも相変わらずな御仁だとその身振り素振りに先程から苦笑を隠せない。おまけに予定にしている今後の帝国での活動を口に滑らせたのは、先手を打たれる前に断っておく口実とする為なので致し方なし。ただ、先の問いが純粋にその情報を聞き出す為のものであったならば、ロックスミスの思うツボではあるが。

 本当に食えない性格だと、その老獪さに感心しながら。グランが未だ苦笑を浮かべる中、彼から遂に予想していた質問が飛ぶ。

 

 

「そう言えば、今回の通商会議の警備について独自に手を打ったそうだが、状況はどうだね?」

 

 

「正直なところ、厳しいと言わざるを得ません。現状のクロスベルでは、考え得る全てを実行しても二手……三手は足りません」

 

 

「そうかそうか、やはりそうだろうな。君の口からそれが聞けて安心したよ」

 

 

 ロックスミスはこの対話の中で一番の笑顔を浮かべ、深く頷いた。知りたかったのはやはりそこかと、オズボーンと同様にその件について確認をしてきた彼へはグランも感服せざるを得ない。であれば、此度の彼の用事も終わったと見ていいだろう。

 グランは退席するべくその場を立ち上がった。

 

 

「私はそろそろこれで。閣下の事ですから、彼らもここに呼んでいるんでしょう?」

 

 

「グラン君にはお見通しだったか。何、クロスベルで起きた問題は共和国の問題でもある。事件を解決した彼らには、勲章の一つや労いの言葉でも掛けてやらんとな」

 

 

 これからこの場へ訪れる者達へ同情の念を抱きながら、グランは入口へと向かった。途中、この場へ残り彼らのフォローへ回ってもいいとも考えてみたが、とって食うような事はされないだろうと考え結局後にする事に。本心としてはここを早く去りたいという気持ちが強かった為だ。

 グランは扉を開き、ロックスミスへ頭を下げた後にドアノブへと手を掛けた。

 

 

「そうそう。共和国の士官学校への転校、真剣に考えておいてくれたまえよ」

 

 

 扉を閉める最中。中から聞こえてきたその声にため息をつき、将校と苦笑気味の顔を合わせてからその場を後にするグランだった。

 

 

 

ーーーーーーーー

 

 

 

 オルキスタワー三十四階に位置する休憩室。憩いの場として設けられたその部屋は広々としており、ガラス張りの壁からは高層ビル特有の絶景も見渡せる。休憩用のソファーやテーブルが設置され、各種飲料を揃えた販売機もある。通商会議が小休止に入った今も、会議関係者や記者の人間達が寛ぎ、話に花を咲かせていた。

 そんな休憩室の一画、ガラス張りの壁沿いに設置された椅子の一つにトワが座っていた。彼女は先程まで会議資料の整理や記録、各所への連絡に明け暮れていたが、その余りの仕事振りに随行団のスタッフ達が堪らず休憩を促した為、仕方無くこうしているわけだ。と言っても、学生の彼女には同年代の話し相手もいなければ顔見知りがいるはずもなく。一人寂しく、休憩が終わるまで待つだけの時間となっている。

 これだったら仕事をしていた方が余程良いと、現在周囲で楽しそうに会話を行なっている人々を見渡し、トワはため息を一つ。気が付けば、その手は無意識に腰へと下げたホルダーに伸び、膝の上でARCUSを持っていた。

 

 

「グラン君、きっとお仕事で忙しいよね……」

 

 

 落ち込んだ様子でARCUSを見詰める彼女は、今も上の階で任務中のグランを想い、更に肩を落とした。クロスベルの地へ訪れてから彼に対しての心配事は多々あるが、本人も中々話そうとしてくれない。何かいい方法はないかと仕事の片手間に考えてはみたものの、そう簡単に思いつくはずもなく。今のところ、トワは何も出来ずにいる。

 そんな風にグランに対して心配が尽きずにいる彼女だったが、どうやら他人の事ばかり心配する彼女でも、感情の我慢に限界はあるらしい。その気持ち以上に今は寂しさに耐えられないのか、これまた無意識にグランへの通信を繋げてしまった。周囲の楽しそうな状況も引き金になったのだろう。トワも慌てた様子で通信を切ろうとするが、なんとワンコール目で彼が出てしまった。

 

 

《はい、此方グランハルト》

 

 

「と、突然ごめんね。お仕事中なのに」

 

 

《会長でしたか……構わないですよ。どうかしましたか?》

 

 

 その声を聞いた途端、寂しさで押しつぶされそうになっていた彼女の心が和らいだ。仕事中の彼へ繋げてしまった罪悪感はあるが、それに勝る勢いで同時に幸福感も増して。本当なら自らに責を問わなければいけないが、今回はそんな自分を大目に見て許す事にした。

 ただ、ついうっかりと繋げてしまった通信の為、トワも何を話していいのか分からず。

 

 

「えっとね、特に用事は無いんだけど……何だか、急にグラン君の声が聞きたくなっちゃって」

 

 

《何ですか、それ》

 

 

 自分でも何を言っているのかよく分からない言い訳に、通信先のグランは笑い声を漏らす。そんな彼にトワも釣られて笑顔をこぼし、落ち込んでいた表情にも綻びが見え始める。気が付けばぶら下げていた両脚を揺らしながら、彼女は自然と言葉を紡いでいた。

 

 

「今のところは、特に問題無さそう?」

 

 

《はい、このまま何も起きないのが一番なんですけどね。会長の方は、仕事順調ですか?》

 

 

「うん。割り当てられてた仕事が思ったより早く片付いちゃったから、他の人の仕事を回してもらってたんだけど……休憩して来なさいって気を遣われちゃって」

 

 

《そりゃあ本職の人間も形無しですね。いやー、会長が周りのスタッフを嘲笑ってる顔が目に浮かびますよ》

 

 

「そ、そんな顔してないもん!」

 

 

 グランからの失礼な言いがかりには、トワも思わず頬を膨らませた。彼女も揶揄われているのだろうと理解してはいるが、ついムキになってしまう。彼の前ではなるべく良き先輩でありたいと思っていても、つい。それは、同期のアンゼリカやクロウ、ジョルジュにも見せない彼女自身の自然な姿である。

 

 

《くくっ、冗談ですって。そんなに頬を膨らませてたら突つかれますよ?》

 

 

「もう、人聞き悪いんだから……」

 

 

 楽しげに話すグランへ、呆れ半分でトワも返事を返す。そしてそんな中、彼女は今の彼の言葉に何か引っかかると疑問を抱いた。グランは今、確かに自分の表情の変化について話していたのだ。丸で、こちらの様子を見ているかのように。

 まさかとは思いながらも、トワは周囲の様子を見渡す。その何か期待をしているかのような眼差しは、直ぐに休憩室入口付近の販売機へと固定された。販売機の影からは、何やら紅い髪が揺れる姿が見え隠れしている。

 

 

「あっ……!」

 

 

「いやー、会長の喜怒哀楽を遠目に眺めるってのも悪くないですね……隣、いいですか?」

 

 

 本当に居たと、トワは歩み寄ってきたグランに驚きながらその姿を見上げる。彼はいつもの様に人懐っこい笑顔を浮かべながら、何の悪びれもなく隣への相席を求めた。一瞬彼女も頷きそうになったが、それでは手玉に取られている様で悔しいのも事実だ。いつも揶揄われている身としては、せめて少しでも抵抗を見せなければ、と。

 そんな、可愛らしい反抗心を抱きながら。彼女は頬を膨らませると、その顔をグランから背けた。

 

 

「……遠目に見てる方が楽しいんでしょ?」

 

 

「うーん、流石に揶揄い過ぎたか……すみません、会長が可愛くてつい」

 

 

「もう……グラン君も休憩に来たの?」

 

 

「はい。上は性格悪い人間ばかりで、いい加減話に疲れまして……」

 

 

 そして申し訳なさそうに頭を下げるグランを見て直ぐに許してしまうあたり、彼女の意地悪を出来ない優しさがその対応から滲み出ている。グランもそんなトワの性格を知ってか、彼女の相席許可を待つまでも無く隣へと座った。

 折角こうして休憩時間に出会えたのだから、何か会話が弾むような話のネタになるものはないだろうかと。グランの為にという建前で思考を巡らし、本音は彼女自身がこの時を楽しんでいるというのは内緒で。結局は、今自分達がいる場所についての話題しかなかったが。

 

 

「それにしても……オルキスタワー、凄い建物だよね」

 

 

「急激な発展を続けるクロスベルの新たな象徴として、これ以上のものはないでしょう。景色も中々の物ですし……一般に開放されれば、屋上なんかは人気スポットになりそうですね」

 

 

「この階から見える景色も十分凄いけど……でも、屋上かぁ。最上階から見える景色はもっと凄いのかな? 一度でいいから見てみたいよね」

 

 

 背後に広がるガラス越しの雄大な景観に、これ以上の感動が屋上にあるのだろうかとトワは考えながら笑顔を浮かべる。流石に仕事中にそんな想いは叶わず、通商会議が終われば直ぐに帝国へと帰還する為、ただの願望となるのは彼女も承知の上で語っているのだが。

 しかし、彼女が見たいと言うのなら。グランも動かない道理が無く。

 

 

「会長が見たいのなら、オレの方から———」

 

 

「……グラン君?」

 

 

 何かを告げようとして、不意に言葉に詰まる彼をトワは不思議そうに見詰めていた。グランの表情は微動だにせず、その視線はトワへ向いているものの、意識は全く別の方向へと向かっていた。

 そしてこの時、グランの脳裏にはある光景が過っていた。不意に入口の扉が開き、そこから突如として現れた正体不明の機械人形による銃乱射が行なわれ、隣に座るトワの表情が恐怖に染まっていく様を。自身の身に何が起きているのか、それを冷静に考える余裕もない程焦燥感に駆られるそれは、既視感と似て非なるもの。丸で、その場面に出会した事があるかのようなリアルさ。

 

 

「会長、下がれ———!」

 

 

 この正体不明の焦りに対する動揺を抑えながら。グランはトワを庇うように入口へ向けて立ち上がり、唐突に叫ぶのだった。

 




帝国解放戦線「あの、トワとかいう少女には一切触れるつもり無いんですが」

同志達……諦めろ(無慈悲

六章閑話、グランと保養地ミシュラムへ同行するのは誰?

  • トワ会長
  • ラウラ
  • エマ

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