黒橋 想也の産まれは極々平凡なものであった。
普通な親が普通に子供を作り、普通に愛情を込めて、普通に産まれた。それが黒橋 想也だ。普通で普通だったころの、黒橋 想也だ。
普通でなくなったのは彼が小学校に入学した頃ーー人との触れ合いをしていかなくてはならなくなった頃である。
彼は他人に嫌われるのが何よりも嫌だった。
『先生に嫌われるのは嫌だ』
『同級生に嫌われるのは嫌だ』
『他人に嫌われるのは嫌だ』
想也は小学一年生の際、既にそんな思考を持っていた。小学生高学年ならまだ考えられるがーー小学一年。6歳の少年が思考する内容としては……これはもう『異常』の域にある。なのだが、生憎、彼はその感情を表に出すことはなかったので、他人がこの少年は『異常』であると気が付くことはなかった。と言うのも、彼は嫌われることが一切なかったのである。
嫌われるのが嫌だった想也は、自分の意思よりも相手の意思を優先することにした。他人がこれをやりたいと言ったら了承し、これをやってと頼まれれば断ることもなく了解し……。
……そんな生活を続けていった想也は、結果的に他人から嫌われることはなくーー寧ろ好かれた。彼には友達が沢山できたし、教師からも『とても優しい子』といった若干ずれた評価をもらえたし、彼のことを好く者だって現れた。想也は成功したのだ。
ある時、とある事件が起こった。事の発端は小さな頼み事だった。
「私のネコちゃんがいなくなっちゃったの。ほら、この写真の子。想也くん、探してくれる?」
「いいよ」
同級生の友達から受けたこの依頼。こんなもの警察辺りに届けておけば簡単に済んだはずだが、想也に頼んだということは、それほどに彼は信頼されていたのだろう。幼い想也はなんとなく嬉しかった。自分は嫌われてない、自分は嫌われてない。そう確認できるから。
それからというもの、想也は学校が終わった放課後の時間を、全て猫捜索に当てた。もちろん親に心配を掛ける訳にはいかないので捜索は午後4~6時の二時間だが……。
それぐらいあれば、賢い彼は猫の足取りを簡単に追うことは可能。道端に居る人から情報収集、猫が集まりそうな場所、簡単だった。猫はすぐに見つかる。
猫はとある空き地で青年に持ち上げられていた。その青年は通りがかりの一般人で、猫が好きな人間だった。表情からしてそれがわかる。
……が、それを見て、想也が思ったことは、全く違う事であった。
(……猫を拐った人だ。倒さなくちゃ)
思ってからは早かった。その辺に落ちていたパイプを手に持ち、素早く接近すると、少し高い位置にある青年の頭部を思いきり叩いた。鈍い音が空き地に響く。不意を付かれた青年はもちろん対応することができず、一撃で地に伏す。その頭部からは血液が溢れ出す。
「……よし。やっと見つけたよ、猫ちゃん。さぁ、帰ろう」
そんなことは気にも止めずに猫を抱える想也。猫は生物的本能で『こいつはヤバイ』というのは分かっていたが、幾ら暴れても、彼から逃げ出すことはできなかった。
翌日、想也はテレビを見ていた。朝のニュースは面白い事ばかりで、勉強になるからだ。いつものように次はどんなことがあったのか、とワクワクしていると、映し出されたのは昨日の空き地。
『昨日未明、○○県○○市のとある空き地にて、頭部から血を流し倒れている○○ ○○さんが発見されました。調査の結果、凶器は近くに落ちていたパイプだと思われます。かなり危険な状態ですが、治療の結果一命を取り止めました。現場に残った足跡から、犯人は子供だと見て捜査が続けられております』
「やぁねぇあなた。すぐ近くじゃない」
「そうだな。しかも犯人は子供か……。世の中物騒なものだな。想也、気をつけて行けよ」
「うん」
想也も世の中物騒だなぁ、と呑気に構えていた。自分が悪いといった思考は全くなかったのである。
「調査の結果、貴方方のお子さまが犯人だと判明しました」
警察が黒橋宅を訪れたのは、実に五日後のことであった。
「そっ、そんな!」
「この子は優しい子なんです! そんなことしてるはずがありませ……」
「しかし、証拠は既に揃っているんです! パイプに残った指紋、現場に残った髪の毛から出たDNA、足跡から、お子さま以外考えられない!」
「ぐっ……!」
声を荒げ激怒する父親だったが、証拠を示されてしまうとどうしようもできない。特に、指紋とDNAは決定的だ。反論しようにも反論できない。
「……えぇと、僕、犯人じゃないです。悪いのはあの人なんですよ」
しかし、当の想也はケロっとしながら、普通に言い放った。警察は表情を歪める。
「……それは、どういうことなんだい? 想也くん」
「あの人は猫泥棒なんです。僕の友達が飼ってる猫の。僕は猫を助ける為にやったんですよ」
後半はあっているが、前半は全く合っていない。的外れな言い訳にいしかなり得ない。
「何を根拠に。彼は意識を取り戻した後に『野良猫を抱き抱えていた際に突然頭部を殴られ気絶した』と証言しているんだぞ」
「? それこそ何を根拠に言ってるんですか警察さん」
「……は?」
小学一年生の彼から反論が帰ってくると思ってもいなかった警察官は驚く。
「何を根拠に、と言ってるんですよ警察さん。確かに僕が嘘をついていない証拠はないけれど、逆に、あのお兄さんが嘘をついていない証拠もないでしょう? で、どちらが嘘をつきやすいか、と考えれば、それは賢い大人の方だ。……だから、僕は嘘をついていません。僕は悪くありません」
「……!」
内容は滅茶苦茶なただの言い訳に過ぎなかったが、しかし、警察官は思う。
『なんだ、この少年は。何者なんだ』と。
この若さで、その小さな身体で、一体何を考えている?
ここで警官は、初めて、一番最初に、この歪んだ少年は『異常』だと、気がついたのだ。
どれだけ反論されようと、青年を殺しかけたのは【事実】である。想也は児童相談所へ送られた。……と言っても、そう簡単にボロを出す想也ではなく、児童相談所に居る際は年相応の子供らしく振る舞ったーーというか、それが通常時の彼なので、いつものようにしていた、の方が正しいのか。
相談の際も特に異常は見当たらなかったので、『これからはやっちゃいけないよ』的な指導を受け、家に帰宅し、彼は極々普通に、学校へと登校した。
クラスメートからの目は変わっていた。
「おはよう」
返事はない。
「ねぇ、今日の宿題、やってきた?」
返事はない。
「ノート見せてくれるかな? 休んでた分取り返さなくちゃ」
返事はない。
「…………」
返事はなかった。
いよいよ中学生になる春。想也は遠くの中学に通うことを決意する。幸い、母から教えてもらった料理スキルもある為、資金さえあれば一人暮らしはできる。想也の親は快く……とはいかないが、承諾してくれた。
こうして、彼は今までのボロボロな人間関係を捨て、新たな関係を築く為に同級生が居ない中学へ入った。その歪んだ感覚を、『異常』を、そのままにして。
◆◆◆
目を覚ます。おはようございます。て、ここは何処だ。見たところ森だが。
…………。
「……懐かしい夢を見たもんだなぁ」
忘れようとも覚えていようともしていない、曖昧に思い出。今考えれば、あれは僕の早とちりが原因なんだけれど……。
「……あの人、大丈夫だったかな?」
もう会うことはないから、どーでもいいや。
「……あ、霧雨さーん!」
「おー、想也、探したぜー」
そうだった。今はとりあえず、山の上の神様に会いに行かなくちゃ。