「さて」
と、僕を見ながら『ボク』は言った。
「少しだけ答えあわせをしようか」
「……答えあわせ」
「そう。『ボク』の正体とか、目的とか。聞きたいこと、あるだろう?」
『ボク』の言う通り。
聞きたいことは、幾つかあった。
だから、それを聞き出すために、どうにか僕の貧弱な語彙で奴が情報を話すように誘導しようと思っていたのだけれど、どうやらそういう努力は必要ないらしい。杞憂を抱いていたという訳で、何となく安心したくなるが――そうもいかない。思い出せ、奴の今までの言動を、行動を。
『ボク』を相手にした時には、安心なんて絶対にしてはいけない。今までの教訓を無駄にするな。
そう自分に言い聞かせながら、僕は手始めに、
「……じゃあ、まず、『ボク』の正体から、よろしく」
と、言葉を放った。
それを聞いた『ボク』は「おっけー」と指で丸を作りながら言うと、答えを出す。
「今まで散々『ボク』は『僕』の裏だー、って言ってきたけど、実際のところ、その言い方にはほんのすこーしだけ、語弊があるんだよね」
……コイツ。
今更、何を言っているんだ?
何度も、何度も、それを言い続けていたじゃあないか。『ボク』は僕の裏だと、裏だから、君の考えていることは分かるし、君の本質も分かっていると、何度も何度もそう言って、僕を苦しめ続けてきたじゃないか。それなのに、どうして今になって、それを否定する?
そもそも、今までそんな風に言い続けていた理由は何なんだ?
「裏ということに変わりはないんだけど……あ、ココ、一応注意しておいた方がいいと思うよ」
「……は?」
そんな風に考えていた時に、『ボク』が突然、頭を指差しながら言ったことで、ますます意味が分からなくなってきた。
……分からなくなってきたけれど、思考放棄はしない。してはいけない。
奴の言葉がそのままの意味で飛んでくるのは滅多にない。大抵、全く違う、予想外の意味を持っている――先ほどの「『ボク』は『僕』の裏だ」発言とかが良い例だ――そのため、今の発言だって、何か違う意味を持っていると考えた方が賢いだろう。
賢いのだけれど……僕は『ボク』語を全くと言っていいほど理解していないため、その発言に隠された正しい意味を理解することが出来ない。多分、どれだけ努力しても無理だと思う。本人以外に、奴の言葉を理解出来る生物は存在しないと思われる。
ならば、僕はいったい、どうするのが最善なのか。
ここまで来れば、答えは一つしかあるまい。
「…………」
無視するという選択は論外だ。なら、もう奴の言葉を信じるしかない。
僕は奴の言葉を鵜呑みにして、僕の頭部に飛んでくる、或いは襲ってくるかもしれないモノに対して最善の注意を払うことにした――今の僕はどうやら能力が使えず、不老不死でもない、つまりはただの人間と変わらない状態のようなので、今までの戦闘では避けれていた攻撃でも、今の僕ではかわせないのだけれど。
とはいえ、注意を払わずに死にでもしたら、死んでも死にきれない。
そんなくだらない理由で死んでたまるか。
「心構えは出来たのかな?」
わざわざ確認を取ってくるなんて、珍しいな、と思いつつ、僕は頷いた。
「じゃあ、正解発表といこう。『ボク』の正体は、
――
と、こう言えば、分かりやすいかな?」
「……ッ!?」
ズキンと、頭が痛む。
身体の内から、何かが這い上がってくるような感覚。
頭がイタイ、気持ちがワルイ。思わず左手で頭を押さえ、右手で口元を覆い、その場に踞る。
そして理解した――先ほど『ボク』が放った言葉の意味を。なるほど、確かにこの痛みは、吐き気は、心構えをしていなかったら、とても常人が耐えられるようなものではない。今まで、何度も何度もとんでもない痛みを経験してきた僕だってこの有り様なのだから。
……まぁ、それでも、何とか耐えられるレベルだ。大丈夫、問題はない。それよりも、奴の言葉の意味について考えよう。
えぇーっと、何て言ってたっけ――なんか、“とーほーぷろじぇくと”とか言ってた気が…………。
「……あ」
記憶の再生を別の言葉に言い換えるとするなら、それは“情報の氾濫”と言えるだろう。
あまりに多すぎる
出来上がって読み直してから「絶対違うなコレ……」と思ってた。だって、あの自由研究、ネットも何も見ていなかったから。自分の頭だけで考察して、多分そうなるんじゃないかなー、といった妄想を文に表したのがあの自由研究だったのだから。
だから、違うなと思っていた。
思っていたけれど、どうやら、あながち間違ってもいなかったらしい。
全てを思い出す。あの超古代都市も、遥か昔の諏訪の国も、妖怪の住む山も、竹取物語も、妖怪と人間のどちらも受け入れる寺の住職の結末も、生気を吸う妖怪桜も、月面で繰り広げられた妖怪と月人の戦争も、吸血鬼が起こした異変も、亡霊が起こした異変も、月からの逃亡者が起こした異変も、二柱の神と一人の少女関連の一件も、地上側のリベンジが果たされた第二次月面戦争も、とある寺の住職を救うために奮闘した妖怪たちも。
その先、神霊関連のことも、“
全部が全部、“東方project”という作品のストーリーだったということを。
忘れていた、消し去っていた全ての記憶が戻る。その情報量は莫大だった――生物の、僕の一度に受け取れる情報量を、越えてしまうくらいには。
――――痛い。
痛い痛いいたいいたいイタイイタイ。
――――気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ちワルイ気持ちワルイキモチワルイキモチワルイ。
「……ぐ、ぅぅぁッ!」
……痛い、けど。気持ち悪い、けど。
耐えろ。堪えろ。踏み留まれ。ここで
――だから、頭痛を、吐き気を押さえ込んで、ふらふらとしながらも立ち上がり、僕は、『ボク』の姿を視界に入れた。全てを終わらせるために、前を向いた。無理やり挑発的な笑みを浮かべることも忘れない。
「……へぇ」
そんな僕を見て、『ボク』もにやりと笑みを浮かべる。
「解説してあげるよ。さっきの言葉が、どういう意味か」
「……そりゃ、どうも」
「どういたしまして」
必要性を感じない会話を挟んでから、『ボク』は本題に入った。
「もう少し、分かりやすくいこう――パラレルワールドって、知ってるよね」
「……勿論」
パラレルワールド。
確か、ある世界から分岐して、それに並行して存在する別の世界のことを指す――要するに「あの時ああしていたらああなったかも……」とか「この時こうしていればこうなったかも……」という風に考えた時の“こうなったかも”に当たる世界のことである。
……それとなんの関係があるのだ?
「いや、パラレルワールドそのものとは関係ないんだけど、つまり『僕』と『ボク』の関係は、それによく似ているって言いたいのさ――纏めてしまうと、『僕』は“現代に生きていた黒橋 想也”で、『ボク』は“東方projectの世界に生きていた黒橋 想也”だってこと。違う世界の黒橋 想也だと、まぁそういうことだね」
「……違う世界の、僕?」
パラレルワールドは異世界や四次元とは違い、僕らの宇宙と同一の次元を持つ……らしい。
その理論で行くと、現代は三次元で、“東方project”は二次元な訳だから――なるほど。確かにパラレルワールドに似てはいるけれど、パラレルワールドではない。
違う次元が云々とか、そういう話になってくる。
「……どうして、違う次元にも“黒橋 想也”が居るんだよ」
「いやいや、何言ってんの。次元を越えて存在しているのが“黒橋 想也”だけなワケないだろう? 世界中の全ての生物は、同じ姿で、しかし全く違う性格、或いは全く同じ性格で、全ての次元、全ての世界に存在している。“黒橋 想也”もその内の一人に過ぎず、『僕』も、『ボク』も、全次元、全世界に存在する“黒橋 想也”の内のたった二人でしかない」
「…………」
頭が痛い。二重の意味で。
吐き気もする。同じく、二重の意味で。
「いっやー、それにしても、あの時はビックリしたなぁ。“
「……“役割”?」
「そう、“役割”、『ボク』が最終的に目指していたもの――教えてあげるよ」
僕が「教えてくれ」と言う前に、『ボク』は言った。
「『ボク』の役割、目的は、……アリキタリダケド、幻想郷ノ破壊、だよ」
◆◆◆
纏めると、こうなる。
【『ボク』の正体は、“東方projectの世界に生きていた黒橋 想也”。奴の目的は、幻想郷を完全に破壊すること】
――よかった、と。
自分で「『ボク』の前で安心しちゃいけない」とか言っておきながらも、想也はそう思った。
当然ながら、それは『ボク』の目的が想也にとってどうでもいいことだったから、とか、そんな訳ではない。今の想也は、一番にどうにかしなければいけない問題は何か? と聞かれれば、それは「『ボク』の幻想郷の破壊を止めること」だと自信を持って言える。
だって、幻想郷には、彼の大事な人たちが居るから。
どうでもいいわけがない。
では、どうして想也が安心しているのか、というと。
それは、『ボク』の正体が“東方projectの世界に生きていた黒橋 想也”だったから――より具体的に述べるなら、『ボク』は結局、想也と
「さて、全てを知った『僕』は、いったいどうするおつもりなのかな?」
へらへらと、いつものように笑いながら想也に質問を投げ掛ける『ボク』。
それに対し、質問を投げ掛けられた想也はというと――無表情だった。
無表情で、語り始める。
「僕は、幻想郷の皆と、ずっと笑っていたいと思ってたんだ」
現代で生きていた時は、叶わない夢だった。
けれど、この“東方project”の世界に来て、彼の夢は叶った。自分よりも『異常』な者たちの存在。それは、彼の『異常』を隠すには十分で――だからこそ、想也が胸に抱き続けていたその夢は叶ったのだ。沢山の人や、妖怪たちと一緒に、とても些細なことでも笑顔になれた。
想也は、“東方project”の世界での生活に幸せを感じていたのだ。
「……でも」
やっぱり、駄目なんだよ――想也はそう続ける。
「だって、この世界は“東方project”という世界だから」
“東方project”という世界は、それだけで、成り立っている。
東方紅魔郷、東方妖々夢、東方永夜抄、東方風神録、東方地霊殿、東方星蓮船、東方神霊廟、東方輝針城と。その他のストーリーも合わさって、“東方project”は“東方project”だけで綺麗に纏まっている。
そこに、綺麗に纏まっているところに、想也は無理やり介入してしまった――その世界のストーリーを無茶苦茶にかき回し、最早数えきれない位、様々なことを変えてきてしまった。
それは当然、許されることではない。
……だから。
「だから僕は、この世界に存在してはいけない」
――それが、黒橋 想也の出した結論だった。
「へぇー……ん、で?」
その結論を聞いた『ボク』は、想也に問いかけた。
「それで、『僕』はどうするつもりなのかな?」
「『ボク』を道連れに、この世界から消える」
「どうやって? 君にはもう、何もないんだぜ?」
能力もない。
不老不死でもない。
身体能力は、現代に居た頃と変わらないレベル。
当然、霊力も使えないし、妖力も神力も使えない。
そんな状態の黒橋 想也に、いったい何が出来るというのだろうか?
……一つだけ。
たった一つだけ、方法がある。
「出来るよ――この舌を噛みきれば、僕は死ぬ。僕と『ボク』は一心同体だから、二人纏めて死亡だ」
ズコッ、と。
『ボク』は、まるでアニメのように転びかけた。
「……『僕』がそこまで馬鹿だとは、流石の『ボク』も思ってなかった」
「どうして?」
「……え、マジで知らねぇの? 舌を噛みきったところで死ねないの」
「そっちこそ、知らないの?
そう呟く想也を見て、『ボク』はたらりと冷や汗を流す。
「……あ」
「気付いた、かな?」
舌を噛み切ると死ぬことが出来るというけれど、どうして死ねるのか、という理由を知っている者はあまり多くないかもしれない。現に想也自身も、高校一年生の頃、気まぐれで調べた時に初めて本当の“舌を噛み切ったら死ねる理由”を知ったくらいなのだから――。
――どうして、舌を噛み切ると死ねるのか。
その死因は、出血死でもなく、痛みによるショック死でもなく――噛み切った舌が気道に詰まったことによる、『窒息死』である。
「ちょ、ちょっと待――!?」
「じゃ、さよなら」
『ボク』の制止の声には聞く耳も持たず、『ボク』が何かをする前に、想也は思い切り、自分の舌を噛んだ。
一度目は痛かっただけだったので、二度目、三度目――と繰り返し、そして、四度目。想也は見事に、自分の舌を噛み切ることに成功した。
その舌は、これまた見事に想也の気道を塞ぎ、それによって呼吸が出来なくなった想也は、その場でごろんと横になって、幻想郷で出来た沢山の友人たちの顔を、自分が好意を抱いている少女の顔を思い浮かべながら、目を瞑った。
そして。
(――ごめんなさい。そして、ありがとう、ございました)
謝罪と、感謝の言葉を心の中で呟いた数秒後。
――特に奇跡が起きる訳でもなく、黒橋 想也は死んだ。
幻想郷を破壊することを目的としていた『ボク』を道連れに、彼はようやく、この世界から消えたのだった。
目を閉じ、友人たちの顔を思い出していた時――とある人物の顔が浮かんだ時、想也は疑問を覚えた。
姫崎 陽炎。
あんなキャラクターは、“東方project”に存在していたか?
――していない。想也の知っている中では、あんなキャラクターはこの世界に存在なんてしていない……ならば、彼女はいったい、何者なのだ?
原作に存在していない彼女は、いったい何者なのだ?
(…………!)
思い出す。
彼女と初めて遭遇する前に考えたことを、思い出す。
そして、そのあとにあったこと――それらを全て思い出して。ばらばらだったピースが、今ようやく、一つになろうとしていた。
(……まさか、この世界は――――)
――――特に奇跡が起こる訳でもなく、黒橋 想也は死んだ。