想也の心に入り込んださとりが最初に見たモノは、映像だった。
“黒橋 想也”が今まで生きた中で見てきた、彼の記憶。それが心の中で渦巻いていた。
――――『犯人はお子さん以外考えられない!』『僕はやってません』『お前って聖人みたいな奴だよな』『君の勇気に感動したからだよ!』『貴方、大丈夫?』『妾は姫崎 陽炎!』『勝ちたい』『ひっ、こ、来ないでくださいっ』『それでいいよね』『椛に男が出来るとは!』『まるで前から私のことを知っているような風ですね』『僕には個性的な友達が沢山居るんだ』『久しぶりね』『村紗ッ、大丈夫ですか!』『私は多々良 小傘、よろしくね!』『何で発動しないんだよッ!』『望んでやってるんじゃあ、ないんだけれど』『ばいばい、元気でね!』『そもそも転生って何ですか転生って!』『貴方は、本当に黒橋 想也なんですか?』『あ、あぁ、お、ねぇ、さま……』『死んじゃうんだよ、皆!』『ごめんなさい』『私の方でも調べておくわ』『やってみろよ、終わらせてみろよ、その手で』『想也なんて大ッ嫌い!!』『私に繋がりなんて、最初から無かったんだ』『無茶なんてしてないよ』『私のd漉な、想yさん……』『お久しぶりです、黒橋くん』『これがお前の全力かい? 想也』『というwk出、助懸n来……た!』『今度あんたの裏が出てきて、幻想郷に害を及ぼすようなら、私たちはあんたごと、あいつを消すわ』『来るなッ!』『どうして、そんなこと言うの、お兄さん……?』『想也ァァァァァァッ!!』『大好き文ちゃんですよー♪』『――頷いて、ください。お願い、だから……!!』『僕が今すべきことを全て終わらせたら、僕を殺してほしんだよ、妹紅』『私とあの子で、どうしてこんなに差があるんですか!?』『僕と、ずっと友達で居てください』『私は想也さんとずっと一緒にいるんですそうじゃなくちゃ駄目なんですねぇ想也さんねぇねぇねぇねぇ!?』『――【文が僕に好意を抱いている事実】を、反対に』――――。
想也の記憶が、その時その瞬間に想也が抱いていた感情が、一気にさとりへ流れ込んでくる。
あまりに多すぎる感情を一気に感じ取り、黒橋 想也という人間が数億年に渡って抱いてきた感情の全てを一気に感じ取り――さとりは、激しい頭痛に襲われる。それは今まで味わったどの頭痛よりも激しく、耐えきれずに、さとりはその頭痛から逃げるようにその場に座り込んだ。
けれど、そんな悪足掻き同然のことをしたところで、頭痛からは逃げられない。
「ぐ、ぅぅうぅ、あ、うぅ……あぁぁぁッ!!」
呻きながらも脳内では冷静に状況を分析する――忌むべき“力”についてだった。
正直なところ、さとりはこの“力”を得るための代償である『永遠に心を読み続ける』縛りはかなり軽いモノだと思っていた――確かに一見、それなら今までの生活となんら変わりはないし、そうなるとその選択は、『覚り妖怪』にとってメリットしかないように感じられる。だからさとりが、その縛りが軽いモノであると思ってしまったのは仕方のないことだった。
大体の者はそう思う。
それが当然で、それが必然で。
そうあるべきなのが『覚り妖怪』だ。
そう思って、そう考えて。“力”を得る為の選択をして、そして永遠に苦しみ続けるのが、『覚り妖怪』という種族のあるべき姿であり、つまり必然性である――さとりの場合は、“力”が欲しかったからその選択をした訳ではないため、そちらを選んだ理由に関しては彼女は例外なのだけれど――だから。
だからこそ、強く繰り返そう。さとりがそう思ってしまったのは、仕方のないことであったことを。
――しかし。
しかし、だ。仕方のないことであるとはいえ、それでも、そんな考えは甘すぎた。
さとりが何よりも自分の身を大事にしたかったのならば、『覚り妖怪』としての自分に無理やり逆らってでも、代償にしてはあまりに軽すぎるように思える『永遠に心を読み続ける』という縛りの恐ろしさを考察し続けるべきだったし、そうでないにしても、この“力”のことに関しては、もっと早く考えておくべきだった。
代償に思えないソレは、どうしようもないほど
もっと早く、気付いておくべきだったのだ。
他人の心の中に入り込むということは、他人の考えていることの全てを一気に見るということだ。
幾ら『覚り妖怪』だからと言って、彼らは他人の心を常に全て掌握している訳じゃない。相手の心を覗こうと、全神経を心を読むことに使いでもしない限り、読めているのは精々四分の一程度だ――それだけでも、彼らは相手の考えていることから、抱いている感情から、かなり大きい影響を受けている。
そんな彼らが、他人の心の全てを一気に見てしまった場合、どうなるのか。
その答えの例が今のさとりだった。
いっそ死んだ方がマシだ、とさえ思える程に激しすぎる頭痛に見舞われ、苦しみ続ける――それこそ、“もう心を読むのは嫌だ!”と思ってしまう程に、苦しみ続ける。
「あっ……あぁ、あぁぁぁぁ、ぐっ、あぁァぁァァァッ!!」
それでも彼女の
彼女がどれだけ苦しんでも、彼女がどれだけ嫌がっても、少年の“記憶”は自動的にさとりの中に流れ込んでくる。
『こんな方法しか思い付かなかったんだ、ごめん』
『…………』
『…………』
『……想也』
『……何かな、妹紅』
『ありがと』
『!』
『感謝するようなことじゃないけど、一応言っとく』
『……そっか』
『じゃあ、さよなら』
『うん、塵一つ残さないようにやっちゃって』
『――大嫌いだったよ』
「――――ッ!?」
その言葉を最後に映像が途切れ、同時に、さとりを襲っていた激しい頭痛もピタリと終わる。
途切れた直後はいったい何が起きたのか分からなかったが、数秒して、さとりは理解する――映像が、頭痛が途切れた理由が、“黒橋 想也”の記憶がそこで終わっていたから、であるということを。
それを理解したさとりは、ならば私はここからどうすればよいのだろうと思いながらも立ち上がり、辺りを見渡す――あれだけ沢山の記憶に溢れていた筈なのに、いつの間にか辺りは何もない、ただただ真っ黒な空間と化していた。
「……え、っと……」
頭を抑えながら立ち上がり、直後、さとりは後ろを向いた。何かがあるかもしれないと、直感的に思ったからだ。
――的中。先程、辺りを見渡した時は確かに無かったはずなのに、どういう訳か、さとりの向いた方には“光”があった。黒くて、真っ黒で、真っ黒すぎて、真っ暗すぎるこの空間に、目映い“光”が差し込んでいた。“光”は、この空間をあっという間に、光溢れる空間に変えていく…………。
◆◆◆
黒橋 想也の思い描く、“理想の世界”
例えばそれは、こんな風に始まる。
「――起きなよ、想也! 朝!」
「……あと五分……」
「そう言って、昨日遅刻しかけたじゃん!」
「うわぁ! 耳元で叫ばないでよ妹紅!」
その“世界”では、藤原 妹紅は想也の妹という立場で。
「ほら、愛しの小傘ちゃんが来てくれてるから」
「想也くん、私だよ、小傘」
「おはようマイハニー。今日も可愛いね」
「私との違いがハッキリとしすぎてない? 腹立つよ」
その“世界”では、多々良 小傘は想也の彼女という立場で。
「おはよう、黒橋くん。今日も小傘ちゃんと妹紅さんに起こされたんですか。……歳上として、恥ずかしくないんですか?」
「可愛いマイハニーが起こしに来てくれるんだから恥ずかしい訳がないじゃないか」
その“世界”では、東風谷 早苗は想也の親友という立場で。
「おはよう、想也」
「おう、想也! 昨日のお前、覚醒してたな!」
「そうね。確かにスゴかったわ。あんた、あんなにあのゲーム上手かったっけ?」
「ハッハッハ! 練習の成果が現れたんだよ!」
その“世界”では、博麗 霊夢と霧雨 魔理沙は想也の悪友という立場で。
「おっはようございます想也くん! 今日も部活動頑張りましょう!」
「頑張るつもりですけど、頼むんで僕の部活内での扱いなんとかしてくださいよ、文センパイ」
「そうはいっても、君は弄りがいがありますからねぇ……」
「勘弁してくださいよっ!」
その“世界”では、射命丸 文は想也の部活内での先輩という立場で。
「おはよう、みんな!」
『おはよう!』
その“世界”では、黒橋 想也は少し変だけど不思議な魅力のある素晴らしい人間、という『設定』で……。
それが、黒橋 想也が望む理想の世界だった。
何もかもが自分に都合の良いように回っていく、想也にとっては天国のような、素晴らしい世界――古明地 さとりは“光”の中で、少年のそんな理想を見た。どれだけ足掻こうとも絶対に叶うことのない儚い夢を、吹けば壊れてしまう幻を見た。
……そしてその先に、そんな世界をじっと見つめる少年の姿を見つけた。
「はは。ははは。はははははははははは」
少年は笑っていた。
狂ったように、けたけたと笑っていた――笑っていたけれど、少年は同時に泣いていた。
ぽたぽたと、大粒の涙を流しながらも、しかしそれを拭おうともせずに、少年は、想也は笑い続けていた。心底楽しそうに、心底悲しそうに、想也は笑い続け、泣き続ける。彼のそんな姿は、妖怪であるさとりが見ても『異常』だった。
「――――」
声をかけようと口を開いたまま、さとりは硬直した。言葉が出てこなかったのだ。
あんな状態の想也にどんな言葉を放てばよいのか――分からない。答えが見当たらない。
「ははははは……、……?」
さとりがその場で口をぱくぱくさせていると、笑い続けていた想也が、突然その笑いを止め、ゆっくりと、さとりの方を向いた。そしてさとりを視界に入れると、再びけたけたと笑いながら、さとりの方に歩いてきた――声だけ聞けば、確かに笑っているように聞こえるけれど、そこに今の彼の表情が加わると、その解釈は少々苦しくなる。
彼の今の表情は、笑っていないのだから。
もう全部嫌だ、死にたい――そんな想いが感じ取れる表情をしているのだから。
「……はは、またかよ」
歩きながらも、想也は呟く。
「はははは、また
その手に剣を握ったまま、想也は言う。
「ははははははは――いつまで繰り返せばいいんだよ!」
想也は
横に飛んだことで一撃目をかわしたさとりに襲いかかったのは、急所を狙う鋭い突き。
「ッ!」
それも避けるには避けたが、格闘戦の経験が少ないさとりは、ここで大きく体勢を崩してしまう――今まで何度も戦って、特に格闘戦を多く経験してきた想也にとっては、これは最大のチャンスに他ならない。
想也は握っていた剣を放り出すと、右手の辺りに短剣を出現させる。それを強く握りしめると、そのまま力強く踏み込み、さとりを押し倒した。強かに背中を打ち付けたことで生じた激痛に、さとりは思わず顔をしかめる。
そんなさとりに。
苦しそうにしているさとりに、しかし一切の容赦なく、想也はその手に握りしめた短剣を、さとりの心臓めがけて勢いよく降り下ろした。
◆◆◆
いつまで経っても痛みがこないことを疑問に思ったさとりは、閉じていた目をゆっくりと開く。まず彼女の視界に映ったのは、自身の眼前でぴたりと止まっている鋭い刃だった。
続いて映ったのは、先程までけたけたと笑いながら、しかし同時に大粒の涙を流していた『異常』な少年の姿。彼の今の表情は、笑っていて、同時に泣いてもいた先程までとは打って変わり、たった一つ。普通の生き物と変わりない、
その表情から読み取れるのは、彼が困惑しているということ。
さとりの顔を見て、動揺しているということ。
「……なんで、そんな顔するんだよ」
そのままの表情で、想也は叫んだ。
「……きみは、古明地 さとりの形をした
想也の脳裏に、先程までの出来事がフラッシュバックする。
博麗 霊夢の、霧雨 魔理沙の、東風谷 早苗の、十六夜 咲夜の、レミリア・スカーレットの、フランドール・スカーレットの、八雲 紫の、射命丸 文の、藤原 妹紅の、多々良 小傘の。友人の姿をした何かが、無表情で自分を殺そうと向かってくる、そんな光景がフラッシュバックする。
今、自分の視界に映っている古明地 さとりも、それらと同じだと思ったのに。
だからこそ、自分は強い殺意を持って、攻撃を仕掛けたのに。
何故、目の前の少女は苦痛に顔を歪める、自分を怖がるような表情を見せる――あたかも感情を持っているかのように振る舞う?
――想也に分からないその答えは、けれど、とても簡単な答えだった。
「……私は、古明地 さとりですから」
「――は?」
さとりの姿をした“人形”が何故表情を見せるのか、その理由を考察するのに全ての思考を回していた想也は、さとりの放ったその『答え』を、『答え』として受けとることが出来なかった――いや、仮に想也が、考察のために全ての思考を使っていなかったとして、それでも彼は、さとりが放った『答え』の意味を、理解することは出来なかっただろう。
前述のとおり想也は、今自分の目の前に居る古明地 さとりを“古明地 さとりの姿を模した人形”だと信じて疑っていない――だからこそ理由の考察に全ての思考がいっていた――“人形”と決めつけている目の前の少女が、紛れもない古明地 さとり本人であるという可能性を微塵も考えていない。
だから想也は、
殺意すら抱く。
「ふざけんなッ。“人形”の癖に、さとりの真似をすんなよッ!」
そんな強い殺意に身を委ね、止めていた刃をさとりに降り下ろそうとするが、想也の腕は彼の意思に反し、決してさとりを刺そうとはしない――それどころか、さとりから刃を遠ざけた。
今の想也にとって、さとりを刺すことは簡単なことのはずだ。先程までの“人形”たちにやったことと同じことをやればいい。その手に強く握りしめている刃をあと数十センチも降ろせば、それで済むことだった……それなのに。何で、どうして、自分のこの両腕はそれをしない? 目の前で古明地 さとりの真似をする“人形”を刺すことを拒む?
こいつはただの偽物なのに、こんなにこいつのことを憎く思っているはずなのに、どうして?
彼がいくら考えても、理由は分からない。それ以前に考えることもままならない。
どうすることも出来ず、想也はさとりを睨み続けたまま、その体勢で硬直する――そんな、酷く困惑している彼の頬に、さとりは自分の両手を伸ばした。
頬に触れられた途端、硬直していた想也はびくんと身体を震わせ、その手から逃れようとするが、さとりはその前に想也の頬を両手で優しく包み込むと、にっこりと微笑んで、口を開く。
「皆が、待っていますよ」
「ッ!?」
“皆”――その言葉に、想也は反応した。
「“皆”、って……」
「はい。霊夢さんも、魔理沙さんも、東風谷さんも、レミリアさんも、フランドールさんも、十六夜さんも、その他の貴方の知り合いも、勿論私――古明地 さとりも。皆、貴方が帰ってくるのを待っています……きっと、貴方が好意を抱いている小傘さんという方だって待ってます。……だから」
「……っ」
さとりは、想也の頬を包んでいた両手で、今度は想也の手を握った。
彼女がその時浮かべていた笑顔は、今まで想也が見たさとりのどの笑顔よりも、輝いていた。
「皆のところへ帰りましょう、想也。……一緒に!」
――想也の脳裏に、この世界で出来た沢山の友人たちの姿が浮かぶ。
彼らが、彼女らが、元の世界で歪みきっていた自分を、受け入れてくれた。それどころか、一部の人たちは、臆病で、卑怯で、最低で、『異常』な自分を好きになってくれた。
そんな彼らが、彼女らが、今も自分を待ってくれている。
これだけ面倒をかけても、それでも自分を嫌いにならず、それどころか助けてくれている。
今更ながら、思う――自分は幸せなんだと。
そして、こうも思う。
「……ごめん。やっぱり、駄目だ」
「……え?」
想也の言葉を聞いて、さとりはきょとんとする。
「さっきはごめん、痛かったと思う。本当にごめん――そして、ありがとう。さとりのお陰で、僕はようやく気付くことが出来たよ。じゃあ……さよなら」
「え、ちょ、ちょっと待ってください、想也。貴方は、何を……!?」
言いかけて、さとりはその場から消えた。……というよりは、
残ったのは、やるべきことを残した者だけ。
「おつかれさん。じゃあ、最終章だ――いってみようか、『僕』?」
「……そうだね」
次回、最終回。