東方事反録   作:静乱

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肆.願い

「――ごめんなさい」

 

「はぁ? ふざけてんの?」

 

 言われて、想也は下げていた頭部を上げる。頭部を上げたことで視界も上に移動した。それにより、新たに想也の視界に映ったのは、妹紅が呆れたかのような表情で、()()を見つめている光景だった。

 

「謝った程度で許してもらえないってのは分かってるんでしょ? じゃあなんで謝るの? 腹立つんだけど」

 

 冷たい声色でそう言い放つ妹紅。先程までひらひらとさせていた手は強く握りしめられており、その拳には、凄まじい熱気を放つ業火が宿っていた。音を立てて燃えるその炎は、今にでも近辺を焼き尽くすことが出来るだろう。その気になれば、それほどのものを想也だけに向けることだって可能なはずだ――というか、既に放たれていた。

 フランドールの持つ“禁忌”――『レーヴァテイン』にも劣らない業火は、既に想也へと向けられており、それが物凄い勢いで想也に迫っていく。

 

「……ふざけてなんか、ないよ。大真面目だ」

 

 呟きながら、想也は能力を行使することで、妹紅から放たれた業火をかき消した。小さく、妹紅が舌打ちをしていたのを聞き逃さなかった想也だが、別に聞き逃していたとしても、全く問題はない。指摘したところで、妹紅を更に苛立たせてしまうだけである。

 

「大真面目、ねぇ。……こんな要らないところで真面目になって、一番大切な時に、真面目にならないんじゃあ、ただの無能って奴だよ」

 

 溜め息を吐きながら妹紅は言う。

 

「そうだね、僕は無能だよ。ちょっとしたことで調子に乗って、大事なところで何も出来なくて、嫌なことから逃げ続ける。たまに何かやったかと思えば、人を傷つけたり。正しく無能だね」

 

 開き直った返答。それもやはり、妹紅を腹立たせる原因になる。

 妹紅は()()()()()()が大嫌いだった。何か失敗をした時にそうやって言い訳して、自分の失敗を正当化しようとする奴――遥か昔、まだ妹紅が人間であった時。貴族としての暮らしをしていた時に、よく見かけた。自分はそういう大人にはならない、と心に誓った。

 つまり“反面教師”という奴だが……まさか、復讐の対象までもが、そんな人間だったとは。妹紅は落胆する。

 

「……とはいえ、無能なりにも考えがあるもんでね。無能には無能の真面目さってのがあるんだよ、妹紅」

 

 あぁ、苛々する。

 苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々苛々。

 

「どーでもいい。分かってる? 私さ、結構苛々してるんだよ。この前の続き、やっていいよね?」

 

 当然、答えなど聞いてはいない。

 想也が質問への回答をする前に、妹紅は地面を強く蹴り、大きく腕を振りかぶる。その腕には業火が発生、近くに居るだけでもその熱で物を燃やすことが出来るその業火に、少しでも触れてしまえば、触れた部分はもう、使い物にならなくなるだろう。勿論、不老不死である想也が食らったならば、暫く待てば回復はするが、当然痛みは感じる訳だから、苦しめる分には十分過ぎる。

 妹紅の体験した苦痛のほんの一部を経験するには、十分過ぎる。

 

「――死ね」

 

 思わず口に出しながらも。

 妹紅は、振りかぶった両腕を勢いよく降り下ろした。

 

「……っ」

 

 それを、全てを燃やし尽くす業火を、想也は、右手だけで受け止める。

 触れた瞬間、業火は想也の腕を伝い、全身をも燃やし尽くそうとするが、その進行を、想也は能力を行使することで阻止する。既に火の付いた箇所には凄まじい激痛が走っており、もう感覚すら無くなっていたが、今の想也にとっては、そんなことは些細なことだ。腕が何度無くなろうが、一瞬で()()ことが出来るのだから――ならば今は、多少のダメージを気にするよりも、もっと別のことを考えるべきだろう。

 

 だから、言う。

 

「あのね、妹紅」

 

 口に出すと同時、想也から見て右の方向から、妹紅の蹴りが迫る。その蹴りも、先程の攻撃と同様、業火を纏っていた。殺すつもりで掛かってきているのがよく分かる。

 想也は『事実を反対にする程度の能力』で自身の右側に強固な壁を創造。一歩も動くことなく、妹紅の蹴りを回避した。小さく舌打ちをしながらも、今度は逆側から、妹紅は蹴りを放つ。その蹴りが迫るのを視界に入れながらも、想也はそれを防御しようとする様子はない――その蹴りが当たる前に、()()からだ。

 

 

 

 

「僕は、もうすぐ消えるんだ」

 

「……はぁ?」

 

 ぴたり、と。

 妹紅の脚が止まった。

 

「……消えるって、どういうこと? 何、ドッキリ?」

 

 先程までの口調とは、明らかに様子が違う。

 妹紅は、動揺している――復讐の対象から放たれた“消える”という言葉に、動揺している。

 当然のことだった。先述した通り、妹紅は想也に復讐をするためだけに今までを生きてきたのだから……やっと憎しみを向けるべき対象に出会えて、もうすぐで復讐を遂げられるというところでの突然過ぎる“消える”という発言は、あまりにも衝撃的なのだった。それを『冗談に決まっている』と考えても、それでも、動揺を抑えることが出来ない。

 

「……ドッキリでも、冗談でも、ないよ。消えるっていうのは、真実を言ったまでだ」

 

 ゆっくりとした口調で、想也は続ける。

 

「僕は、『黒橋 想也』と呼ばれている人格は、もうすぐ消えて。新たに、そうではない人格が、『僕』へと、『ボク』へとなる。訳が分からないかもしれないけれど、これは嘘でもなんでもない、事実なんだ」

 

「……本当に、訳が分からないね。分かった、それ、口から出任せの嘘なんでしょ?」

 

 想也の、あまりにも真剣な面持ちに、妹紅は、『まさか、本当のことなんじゃないだろうか』という思考が脳裏を過る。

 瞬間、彼女の心の中で突然、ハッキリと形を持った感情が浮上し、懸命に自己主張を始めた。妹紅以外の人物にも届きそうなその主張は、あっという間に妹紅の全身に響き渡る。“嫌だ”という感情が、妹紅の中で響き渡る。その影響だろう、気付いたときには、「口から出任せなんでしょ?」という言葉が発せられていた。

 無意識に、言葉は続く。

 

「だって、想也は、卑怯ものだもんね。どうせ今日も、偶々此処に来ちゃって、偶々私に会っちゃったんでしょ――だから、怒ってる私から逃げるために、適当な嘘を言って、私を動揺させようとしている。そうなんでしょ?」

 

 頷いて欲しかった。

 頷いてくれなくちゃ駄目だった。

 頷いてくれないと、()()()()なってしまうから。

 

 黒橋 想也が今消えたら、漸く復讐を果たせると思っていた今消えてしまったら、可笑しくなってしまう自信があったから……今でも、十分可笑しくなってしまった自覚はあったから、何考えてるんだ、なんて、その時は笑っていたけれど、本当に、可笑しくなってしまうことが分かってしまったから。

 だから、お願い。

 

「頷いて。頷いてよ。頷けよ。頷いてくれよ。――頷いて、ください。お願い、だから……!」

 

 頭を下げて、願った。

 復讐をするべき相手に、屈辱を感じながらも、それでも、深く、頭を下げた。

 なんなら、願いをなんでも聞いてやってもいい――復讐を止める、とか、そんなもの以外なら、例え“抱かせろ”だとか、“これから全裸で生活しろ”だとか、そんな恥辱的な要望でも構わない。

 だから。

 頷いてください。お願いします。

 妹紅は、想也にそう願う。

 

 

 

 けれど。

 望んだ未来は、訪れない。

 黒橋 想也の発言は全て真実。彼はまもなく、自身の裏に身体を乗っ取られ、消える――それが、真実なのだ。今まで自分を偽ってばかりだった少年は、しかし今回、自分を偽らなかった。正直に、今、自分に起ころうとしていることを、妹紅に話したのだ。

 

 だから、彼は首を振る。

 

「ごめん。僕は、本当に消えるんだよ」

 

 それが真実だから、と、想也は続ける。

 妹紅の、最初で最後の願いを、断った。

 

「だから、だからさ。その前に」

 

 そして、おこがましいことに。

 

「僕が今、終わらせるべきことを、全て終わらせたら」

 

 妹紅からの願いを、断った癖に。

 

 

「僕を、殺してほしいんだよ。妹紅」

 

 

 自分自身の願いを、突き付けたのだった。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「どこ、行ってたのよ!?」

 

 叫び声と共に、乾いた音が響き渡った。

 その声と音は、永遠亭全域に届いたらしい。後日、別室で兎たちと戯れていた因幡ていによると、「滅茶苦茶ビックリした。折角のんびりしてたのに、アレのせいでそんな空気は掻き消されたよ。兎たちと部屋の隅っこで震えてた。あー、怖かったっ。やめてほしいもんだねぇ」とのこと。その後、声の主、博麗 霊夢にボコボコにされた訳だが……まぁ、それはどうでもいいことだろう。

 視点を戻す。

 場所は、永遠亭、応接間。

 その場所にて、霊夢は、想也の右頬に容赦のない平手打ちを放っていた。

 

「外には出るなって、言ったでしょ!? 確かに、結界を貼った程度であんたを一人にした私にも責任はあるけど、それにしたって……!」

 

 ぬえが博麗神社に忍び込んだあの時、霊夢は人里に住む住人たちの頼みで妖怪退治に出ていた。

 想也の件があるため、本当なら断るつもりだったのだが、あまりにもその妖怪の被害が多く、人里の住民は毎日怯えて過ごしているらしい――泣きながら頼まれた霊夢は、断りきることも出来ず、仕方なくその依頼を受けたのだ。強力な結界を貼って退治に向かった霊夢だったが、強力、といっても、ぬえレベルの妖怪なら簡単、とはいかないまでも解くことの出来るモノである。侵入を許してしまった訳だ。

 結界が破られたことは陰陽玉に知らされるため、破られたのはすぐ分かった。早く向かおうと妖怪にラッシュをかけるが、その妖怪も中々に実力のあったため、多少、苦戦してしまった。それでもかなりの早さで退治し、急ぎ神社に戻ったが、そこは既にもぬけの殻。焦って探すが、中々見つからず、見つかったのはつい先程――霊夢が永遠亭に探しに来た時だった。

 その瞬間、これまでに募った想也への怒りと、油断した自分への怒りが爆発し、平手打ちを放ったのだ。

 

 一切の遠慮もなく放たれたソレは、かなり痛かっただろう。しかし、想也はそれに怯む様子もなく、言う。

 

「ごめんなさい。まぁでも、僕が仮に、神社から出ていなかったとしても、それはそれで問題でした。神社がボロボロになるよりはよかったでしょう――勘弁してください」

 

 真っ直ぐと目を見て言われ、霊夢の方が少し後退する。

 これまでの想也なら、霊夢が平手打ちでもしたものなら、無言でうつむき始めていただろうから、てっきり霊夢は、今回もそうなのだろうと思っていたのだけれど、予想に反し、想也は言葉を返してきた。良いことなのだけれど、かなり不自然にも思える――いつもの想也とは、違う。

 

「……また、侵食が進んだの?」

 

「はい。本当にもう、時間がありません」

 

「……そう」

 

 あまりにも早すぎる。

 未だに、想也を救う方法は見つかってはいない……それどころか、その方法を見つけるためのヒントすら見つかっていない状況だ。準備する時間のことも考えると、どう前向きに考えても、時間がない。霊夢は歯を食いしばり、小さく拳を握りしめながらも、一先ず博麗神社に帰るよう、想也を説得するべく、息を吸い。

 

 

 声を出そうとした瞬間、口を塞がれた。

 

「もが……!?」

 

「神社には帰りません。一先ず、とか、言っている暇もない――だから、ここでさよならです。博麗さん」

 

「……っ!? ちょ、待ちなさ……っ」

 

 霊夢の声が届く前に、想也の姿は消えた。

 想也の立っていた場所には、「もし『ボク』が現れたら、その時はお願いします」とだけ記された紙だけが、残されていた。

 

 

 

 

 

 

 


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