女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第81話

仮に目の前にいる妹が本当にカオリさんさんだったとして、その実力は如何ほどのものなのか。

先ほど、僅かだがその太刀筋を見ている。何も違和感はなかった。素人臭さはない。かと言って達人のそれでもない。

俺がよく知っているアキの動きと遜色はなかった。

 

知らねばならない。俺の勝利は殺すことではないが、だからと言って受けに回れば分が悪いのは目に見た。だから先手を取って斬りかかる。今、アキは俺の刀を苦も無く受け止め、鍔迫り合いとなった。間近で見る顔には笑みが浮かんでいる。薄い笑み。似つかわしくないその表情。

 

僅かに顔をしかめた俺に対し、アキは力を込めて弾き返した。

張り合うことなく受け入れる。大きく背後に跳んだ俺をアキは追いかけてくる。

一歩だけ後ろに下がり、振り上げられた刀を間一髪のところで避ける。予想以上の風圧が頬を撫でた。

 

「いくわよ」

 

妙な喜色を声音に湛えて、アキは再び斬りかかって来る。

繰り出される一太刀一太刀に万力の如き力が籠っている。真面に受ければその瞬間勝負が決するだろう。基本は躱す。無理なものは受け流す。

そうして瞬きも許されない猛攻を凌いだ後、アキは僅かに息を荒げていて、悔し気な眼差しで俺を睨みつけていた。

 

「ふふっ……」

 

アキは笑う。

距離を取ることもせず、一時の疲労感を滲ませながら。

 

「さすが。でもまだまだこれから――」

 

何かを言い切る前に刀を振った。

慌てたように後退するアキ。距離を取るにしては必要以上の動きだった。無駄が多く隙だらけ。試しに追撃してみれば、同じような動きばかりする。

 

こちらの攻撃に対して、一つ一つの対応は辛うじて及第点ぐらいはあった。しかし致命的に次への行動が遅い。

攻め手に回らなければならないと言う意識はあるのだろう。どうにかしてと言う内心が透けて見えるようだ。けれども出来ない。やり方は知ってはいる。しかし出来ずにいる。知識でしか知らないことをやろうとしても、身体がうまく動かないのだろう。

 

カオリさんの生い立ちを考えるに、剣術の経験があるとは考えにくい。もしかしたら知識では知っているかもしれない。アキの記憶を共有しているのなら、より具体的な知識として彼女の中にあるかもしれない。だが見るのとするのとでは天と地ほども違う。そもそもからして、剣術以前に基本的な運動すら満足に出来ていなかった可能性が高い。

 

故に対応力に欠けている。俺はそう判断した。そして主導権を渡してはならないとも思った。

アキの、カオリさんの一番の脅威はその膂力(りょりょく)だ。今までの攻防でそれを理解した。がむしゃらに攻め立てられれば、技のいらない力押しであれば、対応力など必要なく圧倒することが出来る。

 

強みを活かされては敵わない。ならば俺のすべきことは一つだけ。

徹底的に相手の土俵を避けること。七の太刀はおろか三の太刀も使わず、それでいて可能な限り軽傷でアキを拘束するにはそれしかない。

 

いくら難しかろうとそれしか道がないのなら突き進む。幸いにして、すでに道筋は見えている。

元よりアキは待つのが苦手で攻めるのを好んでいた。それ故に受けの技術は拙いものだった。記憶の共有。あるのかないのか知らないが、弱みを突くとすればそこしかない。

 

母上と言う共通の師を持つ者同士、今のアキの動きは読みやすい。例えるなら教科書通りの動き。以前のアキなら絶対にそんな動きはしていなかった。

 

攻撃の合間、反撃の糸口を探る際、アキの動きはどうしても一瞬止まる。数ある知識から目当ての物を掬い出す時間。この場、この状況において、それが正しいのか吟味する一瞬の間。

戦いの最中、その一瞬は致命的にすぎる。

 

数合の打ち合いの後、やはり一瞬止まったアキの腹に蹴りをくわえる。

この一撃は想像もしていなかったようで、アキの身体はくの字に曲がり、苦痛に顔が歪んだ。

次の一撃は確実に当たる。その確信を胸に、瞬時に峰へと持ち替えた刀で手首を狙いに行った。

手首を折れば刀を握れない。しばらくの間利き腕を使えなくすればそれで十分だろう。

 

手加減はしなかった。

腕を狙った一撃。俺の腕力では死ぬはずもない。確実に当たると思っていたから次の行動など考えてもいない。

まさかそれが空を切り、瞠目の内に刀が風を切る音がする。

反射的にしゃがんで躱した。ちらりと頭上を見ると憎々しげな顔と目が合った。

 

「反撃よ……!」

 

アキの猛攻が始まる。

後先考えていない攻撃。遮二無二とも言える。一振り一振りの隙が大きく、辛うじて攻勢が維持されているのは化け物染みた腕力のおかげだった。

 

「こんなものじゃ……っ!」

 

時折零れる呟きは、想像の自分と現実の自分の乖離に苦しんでいるように思えた。

理想通りに動けるなら誰も苦労しない。想像の中ではみんなヒーローだ。現実はそうじゃないと言うだけで。

 

攻勢は徐々に緩やかになっていく。

綱渡りをさせられた。それも一山越えて息を吐く。ついでに言葉も吐いた。

 

「まだやりますか?」

 

「……っ」

 

あえての挑発。

今の今までそうとは思っていなかったが一連の言動を鑑みるに、カオリさんも中々プライドが高そうで、この一言が挑発になるのは予想できた。

予想通り攻撃が激しくなる。それと同時に彼女自身の体力も消耗していく。疲れれば疲れただけ動きは鈍くなるだろう。それを狙っていく。

 

我ながら消極的だと思う。だがそれをしなければならない理由があった。彼女の攻撃を躱しながら考える。

先ほど、確実に当たると思いながらも空を切ったあの一撃。

まさか躱されるとは思っていなかった。今も信じられない気持ちでいる。

隙は作った。体勢も崩させていた。動揺し切っていたはず。あの状況で冷静に対処できるほどの判断力もないはずだ。

なのに躱された。もっと正確に言うなら腕だけが動いていた。まるでそこだけ別の意思が宿ったように。

 

……アキ、なのか? それとも……?

 

最悪を想定するなら、利き腕を折るだけでは足りないかもしれない。次が控えている可能性がある。

することを定め、これ見よがしに身体を沈める。カオリさんからは距離を取ろうとする動作に見えたのだろう。逃がさないとばかりに大股で一歩近づいてくる。

それを見とめた瞬間、力の方向を後ろではなく前へと移す。まさか懐に飛び込んでくるとは思ってもみなかったカオリさんは、予想外の事態を前に全ての動きが止まる。

 

持っている刀ごとその手を掴み、柄で鳩尾を殴打する。

カオリさんの口から空気が漏れた。頭の上から苦悶の声がする。

 

力を込めてそのまま押し倒す。

仰向けに倒れたカオリさんから刀を奪おうとするが、がっしりと握りしめられた拳は岩のように固くてびくともしない。

 

一瞬の内に見切りをつけ、即座に距離を取る。素手だろうと掴まれたらその時点で敗北する。

カオリさんは離れた俺を追う素振りを見せず、腹部を抑えて苦痛に呻いている。

 

「いったぁ……」

 

痛みで顔を歪めながら上体を起こす。そこから立ち上がろうとはしなかった。

根本的なところで舐められている。それを如実に感じるが、じゃあその隙を突くかと言えばしなかった。ただただ様子を見る。今下手に動けば命取りになると直感が訴えていた。

 

「……そっか、私じゃ無理か」

 

どこか気怠気にカオリさんは呟く。

前髪を掻き上げて虚空を見つめる。

 

「悲しいわ……。折角……でも、しょうがないわね」

 

溜息が聞こえた。それから、ゆっくりと立ち上がっていく。

ただ立ち上がるだけなのに、必要以上に時間をかけるその様子は、どこをどう見ても隙だらけ。思わず身体が動きそうになる。今なら制圧できる。今ならできる。間違いなく出来るはず――――。

 

その誘惑を抑え込む。今飛び込めば俺は死ぬ。ただの直感。根拠はない。しかし肌で感じる。冷や汗が流れる。先代剣聖と同じかそれ以上の威圧感。

 

「あー……これだけは言わせてくれ」

 

息をするのも辛いほどの重苦しい空気の中、それはどこか間の抜けた調子で口を開く。

 

「あたしは悪くない」

 

一瞬の後、アキの姿をしたそれは目の前に立っていて、何をする間もなく刀が振り下ろされる。

死の予感に条件反射で身体が動いた。ほんのわずか身を引いた直後、地面が爆発したような衝撃を受け、吹き飛ばされて転がる。

あまりの衝撃にすぐに起き上がることが出来ず、何とか顔を上げれば土煙が舞っていて、その向こうから声が聞こえる。

 

「悪いのはそっちだからな」

 

悠然と近づいてくる妹らしき何か。その足元に出来上がったクレーター。

束の間呆然として、歯を食いしばる。刀を握り締めて立ち上がった。

勝たねばならない。それを胸に期して。


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