女が強い世界で剣聖の息子   作:紺南

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第79話

二人っきりで話をする。

言葉にすれば簡単で、実際に行うにしても簡単なことなのに、どうしても踏ん切りがつかずに先延ばしにしてしまった。

確かに、すべきことはたくさんあった。他に話さないといけないこともあって、考えることなんて山ほどあった。しかし、そのどれよりもまずはアキと話をすべきだった。

 

誰かと風呂に入るよりも、誰かと他愛のない話をするよりも。何よりもまずアキと話をすべきだった。

それは愛してると言われたからではなく、キスをされたからでもなく、ただ嫌な予感がしていたから。危険だと直感が訴えていたから。アキと再会した直後のあの感覚は、先代剣聖に(まみ)えた時と似ている。それから目を逸らすべきではなかった。

 

一人になって考えて、現実を直視して、ようやく踏ん切りがついた。

やると決めてからはそれ以外に正解はないと言う気すらしてくるから、都合がよすぎて笑ってしまう。

 

シオンに直談判し許しを得た直後、父上に居間に呼ばれた。行ってみれば、囲炉裏を囲むように膳が置かれている。

父上に押し切られて滞在することになったゲンさんと、支度を手伝ったアキ。久しぶりに楽しそうな顔をしている父上の三人はすでに座っていた。ツムギちゃんとコズエちゃん、シオンも空いていた場所に座らせる。

 

さてどうしようかと考えあぐねながら囲炉裏の前に立ち、視線を巡らせる。正面にいたアキは行儀よく座っていた。

歩み寄って声をかける。「話をしよう」と。

 

「いいですよ。ここで話しますか?」

 

アキは嬉しそうな顔で答えた。待ちに待ったと言う面持ちで。

 

「二人きりで話そうか」

 

「では、鍛錬場はどうでしょうか。邪魔は入りません。寒いですけど」

 

異論はなかった。

頷く俺を見てアキは立ち上がる。俺たちのやり取りを聞いて、腰を上げかけたゲンさんを視線で制止する。大丈夫だと頷いて見せた。

一応シオンに目を向けると、頬を膨らませてぶっすりと不貞腐れていた。胡坐をかいて頬杖をついている。その横にいるツムギちゃんとコズエちゃんは居心地が悪そうだ。

俺とアキの間で唐突にそんな話になったので、驚いた父上が聞いてくる。

 

「何の話? 朝ごはん出来たけど?」

 

「聞かないといけないことがあるんです」

 

「それ、今じゃないとダメ? 冷めちゃうから」

 

茶碗の中の白米から湯気が立っている。白米は久しぶりに見た。しかし食欲はそそられない。

 

「これ以上、格好悪いところは見せたくないので」

 

「格好悪い?」

 

言葉の意味を父上は解さない。

一緒に食事の支度をしていたはずだが、違和感などは覚えなかったのだろう。

それならそれでいい。分かったからと言ってそこに優劣があるわけでもない。

 

「鍛錬場なら刀が必要ですね。取ってきます」

 

「話をするだけだから、必要ないと思うけど」

 

「いえ、必要になるかもしれません」

 

「兄上次第です」とアキは言った。

そうかと俺は答えた。それ以上特に言うこともなかった。

 

 

 

 

 

空は晴れている。久しぶりの晴天の気がした。何日ぶりと言うか何十日ぶりぐらいの印象。もちろん、理屈で言えばそんなはずはない。覚えていないだけで晴れた日もそれなりにあったはずだ。

 

「寒いですね」

 

自分の手に息を吹き付けたアキは、寒い寒いと手をこすり合わせている。

横目にそれを見ながら「そうだね」と答えて、遠くに見える山々に視線を映した。記憶にあるそれよりも白く染まった山頂にすでに秋の気配はなく、肌に突き刺さる冷気も冬のそれに変わっている。ただ雪が積もっていないだけのこの鍛錬場で、アキと並んで話をする。

 

「アキ」

 

「はい」

 

微笑むアキは喜色をたたえて目を細めている。

首元には俺が編んだマフラーを巻いていた。手袋はしていない。持ってきてもいないのだろう。代わりに腰には刀が差してある。俺も杖を持っていた。

 

「何があった?」

 

「さすがに、単刀直入すぎませんか」

 

呆れたと言う気配を滲ませて「母上みたい」と呟く。肩をすくめるその仕草。表情の移り変わり。目を離さず観察する。

 

「何がと言うならたくさんありました。話すと長いですが――そう、あの子たち、(つむぎ)と梢《こずえ》は殺されかけていたところを助けまして、なぜ殺されかけていたのかと言うと、どうにも自警団の人たちは頭がおかしくてですね――――」

 

「カオリさんを殺したと聞いた」

 

話を遮って、一番聞きたかったことを聞いた。

一瞬アキの表情が消えたが、すぐに笑顔に戻る。

 

「誰から聞きましたか?」

 

「誰からだと思う?」

 

分かり切ったことを聞くなと言外に匂わす。

 

「質問に質問で答えるのは卑怯ですよ。まあ、ゲンさん以外いないですけど」

 

腕を組み、うんうんと頷くその仕草からは子供っぽさが感じられる。しかし違和感が付き纏う。取り繕った子供らしさにも思えた。

 

「確かに、殺したと言えば殺しました。でもしようがなかったんです」

 

「理由は?」

 

「あー……」とアキは言葉に詰まる。考える素振りを見せた。何かを思い出そうとしてか、こめかみを指でぐりぐり()している。

その過程で外れた視線が戻って来た時、纏う雰囲気が変わっていた。

 

「お婆が死んで自警団は暴徒と化しました。結果的にとは言え、それを率いることになったのがカオリさんです」

 

「……」

 

突然始まった語り口に耳を傾ける。

お婆と言うのが誰なのか、言われずとも察した。脳裏に浮かぶ狂気の表情。狂っている人間と関わりたくはない。だが死んだと聞けば哀れみの一つも浮かぶ。

アキがあの人のことをお婆と呼んだ。そのことへの違和感を飲み下し、無言で続きを促した。

 

「彼女はとても不幸な人生を歩んできました。すでに余命は短く、破滅願望までありました。いつも笑みを浮かべているけど、内心では怒りと憎しみが燻っていて、全てを壊してしまいたかった」

 

カオリさんのことを思い出す。彼女の声と彼女の言葉。死に誘われた記憶。

あの人の人格や行動理念について、言及するほどの接点は俺にはない。それを自分のことのように語る妹を見つめる。口元には笑みが浮かべていた。

 

「それでも善意と良心があった。関係のない人を巻き込むのはいかにも心苦しい。剣聖様に助けられたあの日のことは忘れていない。でも、それで全てが救われたわけじゃないのもまた事実。ただ生きてるだけで毎日苦しくて、子供なんて望めるはずもない。何のために生きてるのか。いっそ死んだ方が楽なんじゃ。そう思って生きてきた」

 

「……アキ?」

 

語る声に熱がこもり始めた。それを異変と捉えて声をかける。

しかしアキは止まらない。こもる熱はより激しく、俺の声など聞こえなかったように話は進んでいく。

 

「そう思ってるうちにお婆が死んでこの騒ぎ。正直に言って、自警団の、あの愚かな人たちと一緒に死ぬなんて耐えられない。私にだって選ぶ権利ぐらいあるでしょう。ましてや親玉として処刑されるなんて。止めたのに。やめろと言ったのに。誰も話を聞かない。虐殺まで始めた。子供を殺そうともしている。こんな人たちの仲間? 冗談じゃない」

 

「アキ」

 

「だから殺した」

 

始まりと同じように、話は唐突に終わる。同時にアキの顔から笑顔が消えた。怒りを押し殺した無表情だった。直前まで声にこもっていた熱は消え去り、代わりに冷酷な気配が滲み出す。

その移り変わりに内心で気圧されて、表情に出さないよう苦心しながら訊ねる。

 

「……誰を殺したと?」

 

「あの女を。兄上を誘った、忌々しい、あの女を」

 

口調の端に刺々しさが生まれる。そこにあるのは憎しみに似た激情。

 

「自警団はどうなった?」

 

「それは私の知ったことではありません」

 

「アキ」

 

「兄上はどうしてあの女狐と一緒にいるんですか?」

 

また話が飛んだ。突拍子がない。女狐と言うのがシオンさんだとしても、なぜ今それを聞くのか。

 

「シオンさんには恩がある。言ったはずだ」

 

「……あれ? シオンと言うのですか? ……ああ、いや、そうでした。今はシオンだ。そうだ。あいつ、こんなところで何やってるんだ? まーた叱られるぞ。下手したらあたしまでどやされる」

 

口調がおかしい。

違和感どころではない。

 

「アキ?」

 

「好き勝手やって、壊せばそれで済むみたいに……。尻拭いはあたしだもんなあ……気楽でいいよなあ……」

 

不安を通り越して動悸を覚える。まるで別人だった。口調から仕草まで何もかも。

 

「お前……お前は……」

 

言葉に詰まる。

目の前で起きていることが理解できない。いや、違う。考えたくないだけだ。

無理やりでも頭を働かせて考えなければならない。思いつくのは精神的な疾患。人を殺したから精神が不安定になった。きっとそうに違いない。

 

「俺が、悪かった。今は休もう」

 

どもりながら、何とかそれだけを言う。

何はともあれ休息を。ゆっくりと休ませて、それからまた話をしよう。その時はもっと慎重にしよう。母上が帰ってきてから、父上とゲンさんも交えて、みんなで。

 

「……え? 休む? なぜ?」

 

何事かを嘆き続けていたアキが、俺の言葉を受けて我に返る。態度を一変させ、心の底から分からないと首を傾げた。

 

「疲れてるだろう? 考えれば、帰ってからまだ一睡もしていない。なのに父上の手伝いまでさせて……考え足らずだった。すまない」

 

「別に疲れていませんし、そもそも私は眠りませんよ?」

 

「無理をする必要はない」

 

駄々をこね始めた子供を叱るような態度で接する。以前と同じように。そう意識して。

 

「……ああ、そうだ。兄上は知らないんですね。私は眠りませんよ? 眠る必要がないんです。だって――――」

 

アキの手が刀に触れる。ゆっくりと抜かれていく。白い鞘から露わになる白銀の刀身。――――色付きの刀。

 

「私にはこれがあるから」

 

アキの声を聞くより早く、咄嗟に目を背けた。

心臓が早鐘を打っている。一瞬だが目を奪われた。あれは元は俺が持っていた刀だ。誰よりもよく知っている。絶対にあんな色ではなかった。

 

「それ、は……」

 

「大丈夫ですよ。兄上が思っているようなことは起きません。母上のようにはなりませんから」

 

視界の外から声が届く。

何を知っていると言うのか。何故知っているのか。疑問が浮かび言葉にはならない。アキは言い募る。

 

「これはただ奪うだけ。奪いたいものを奪う。望む限り、どんなものでも」

 

わからない。もう何がなんだか。

唯一わかるのは、俺の手には余る状況だと言うことだけ。

助けを求めるべきか。しかし色の付いた刀。あれがもし母上の言っていた藤色の刀と同じものなら、今助けを呼ぶわけにはいかない。

あの刀を鞘に納めさせる。全てはそれからだ。

 

息を吸い、大きく吐く。すべきことを定めて前に向き直る。アキと目が合った。自然、アキの持つ刀を視界に収める。今のところは何ともない。しかしいつ何が起きるかは分からない。

 

「何か決心したみたいですね」

 

なぜだかアキは嬉しそうな顔をする。それだけ見れば以前と変わらない。先ほどの言動と、その手に持つ白銀の刀に目を瞑れば。

 

「当ててあげましょうか。まずはこの刀をどうにかしよう。他のことは後回し。そんなところですか? 大丈夫だと伝えたのに、疑り深いんだから」

 

そう言いながらもやはり喜んでいるように見える。

考えれば考えるほどに分からなくなる。今のアキがどういう状態なのか。やはり精神的な病なのか。それとも俺の知らない何かがあるのか。

 

「折角兄上がその気になったみたいですし、手合わせついでに遊びましょう。これを奪ったら兄上の勝ち。奪えなかったら私の勝ち。どうです?」

 

「……悪いけど、遊ぶ気分じゃない。ただそれを渡してほしい。危険なものかもしれない」

 

「これは私のものです。意地悪言わないでください」

 

「アキ」

 

「うーん……。兄上がどうしてもと言うなら……まあ、やぶさかではないですが……でもやっぱり遊びましょう。遊びたいです!」

 

子供の駄々。

そのように見える。けれども信じることが出来ない。

 

「遊ばない。言うことを聞け」

 

「兄上こそ私の言うことを聞くべきでしょう。男なんだから」

 

「アキ」

 

「あはは。余裕のない兄上も好きですよ。次は格好良い兄上が見たいです。……その杖、刀ですよね? 抜いてください」

 

左手に持った杖を握り締める。手汗が酷い。喉が渇いて言葉に詰まる。

応とも否とも言わぬ内に、アキの重心がわずかに下がる。走り出す予兆。それがわかっていて、どうすることも出来なかった。

 

「行きますよ」

 

直後、アキは駆けて来る。

抜き身の刃を振り下ろしながら。


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