暗闇の中で膝を抱える。念願叶った一人の時間。考えるのはやはりアキのこと。
東に向かった直後は身の安全を祈り、帰りが遅くて不安ばかりが募っていた。
ようやく帰って来たかと安心して、少し雰囲気が変わっていて、突然キスをされた。愛してるとも言われ、兄妹であることを諭しても、関係ないと聞く耳をもたない。
何がどうしてこんなことになってしまったのだろう。途方に暮れて、膝に顔を埋める。
つい最近までアキは普通の子供だった。無邪気で、元気で、腕白な、ちょっと我儘で聞かん坊だけど、それを踏まえても普通の子供だった。
仲の良い兄妹であることは自覚していた。良い兄であろうと努力して来たし、友達の少ないアキにとって、俺は数少ない遊び相手であったのは間違いない。
母上や父上の懸念通り、ちょっと仲が良すぎるところもあったが、それは家族一丸となって改善するつもりだった。友達を作らせようと言うのはその一環でもあった。
アキが生まれたその日のことをはっきりと思い出せる。腕に抱いた感触も、生まれた瞬間の泣き声も。あの日から、四六時中ずっと一緒に居た。
今世において何よりも大事にしてきたかけがえのない存在だ。それは否定しないし、愛してるかと問われれば愛してると答える。嘘偽りのない本音だ。けれど、まさか、恋愛感情を持たれているとは思いもしなかった。
一体何を間違ったのだろう。正直に言って思い当たることはないが、可能性を考えるのなら、俺の人格が影響したのかもしれない。
摩訶不思議なことに、俺には前世と呼べる記憶がある。ただの妄想、精神疾患かもしれないが、全くの別人として過ごした記憶が俺にはある。
その記憶があるから、母上のことを母さんとは呼べず、父上のことを父さんとは呼べなかった。呼べば最後、記憶の中の父と母を否定してしまう気がしたから、分けて考えなくてはいけなかった。
その結果が今である。父上との関係は悪化し、アキから恋愛感情を持たれている。母上との関係はそう悪くないと思うが、親と子の関係かと言えば疑問符がつく。母上は不器用で言葉足らずで、剣聖と言う肩書きに似合わず弱い人だ。間が悪くて肝心な時にいない。優柔不断でもある。そんなことを思っている時点で、普通の親子とは違う関係ではないだろうか。
真に家族に成り切れていなかった。言葉足らずは母上の専売特許ではあるけども、父上もそうだし、俺だってそうだった。言うべきことを言わず胸の内に隠し続け、膨れ上がった感情が歪な関係を築いてしまった。
歪な関係は歪な愛を育む。アキが実の兄を愛してしまったのは、そこに原因があるのかもしれない。
恋慕の原因はさておき、アキの想いは拒絶するしかない。考えるまでもなく決まっている。受け入れられるはずがない。
問題は断り切れるかどうか。すでに一度断ったようなものだが、アキは関係ないと言い切った。元より負けず嫌いが服を着ているような性格。諦めは人一倍悪い。
従うしかないとか言いなりだとも言っていた。男とは得てしてそういうものだと。
あれが本心なら、元より俺の言葉など届きそうにない。説得など無理だろう。理を解いても感情論で反論してくるに決まってる。平行線になり、会話そのものが破綻する。
それ故に他の手段を講じるしかないが、説得と言う方法に固執するなら、残る方法は肉体言語ただ一つ。
俺自身を賭けて手合わせする。勝てば手に入るが負ければ諦める。そういう賭け。単純な腕試しになるが、実行するにはいささか分が悪い気がした。
手段を選ばなければ勝てる。その自信がある。七の太刀を使えばいいだけだ。しかし現実問題、そんなことは出来ない。
七の太刀は使わず、三の太刀も極力使わない。間違っても殺さずに、怪我も負わせたくない。そうやって手段を選んで戦うのなら、真っ向勝負で圧倒するしかない。真っ向からやり合えば腕力の差で分が悪いのは明白。圧倒など出来ようはずもなく、下手をすれば押し切られて負ける可能性もある。だから肉体言語での説得はあまり良い手ではない。
説得は難しい。さりとて放置はできない。今晩にでも夜這いをかけられても不思議ではない。そこまでの性知識があるかどうか。そもそもアキは誰にその辺の知識を教えられたのか。やはりカオリさんか? でもカオリさんはアキが殺したとゲンさんが言っていた。本当なのか。なぜアキはカオリさんを殺したのか。東で何があったのか。
考えている内に頭がこんがらがる。
答えの出ない問いに堂々巡りになっていた。アキがカオリさんを殺したかもしれないと考えるだけで胸が苦しくなる。
悩みに悩んで、答えは出ず、一周回っていい加減癇癪の一つも起したくなってきた頃、目の前の襖が音もなく開いた。隙間から一筋の光が差し込む。
顔を上げると、ツムギちゃんとコズエちゃんが覗き込んでいる。
「……なに、してるの?」
「…………」
答えに窮して黙り込む。情けないところを見られた。
暗闇に差し込む一筋の光。俺は今、押し入れに閉じこもっていた。
「お兄さん、大丈夫? 頭おかしくない?」
「大丈夫。おかしくなんてないよ」
「嘘。絶対嘘!」
「
「おかしくないよ」
答えられないところは黙殺するが、答えれるところには答えておく。
なぜに押し入れにいるのかと聞かれても、中々答えづらい質問だった。暗闇が落ち着く瞬間と言うのは往々にしてあると思う。考え事や不安や心配、悩みなどで一杯一杯ならなおさらだ。暗闇の中で自分を見つめ直したい。だから押し入れに閉じこもる。不思議なことに、この家では客間にしか押し入れがなかったから、ツムギちゃんたちの部屋にお邪魔して閉じこもっているわけだ。
二人にしてみれば不思議でたまらないだろう。いっそ不気味かもしれない。俺だって二人の立場なら聞かずにはいられないはずだ。どうして押し入れで膝を抱えているのですか、と。
俺の奇行を目の当たりにし、困り顔で顔を見合わせる二人。
子供は可愛い。アキのことを考え、昔のことを思い出す内に、いつの間にか募っていた欲求。大した欲求ではなかった。ただ懐かしさと寂しさが募り、無意識に目の前の少女に声をかけていた。
「ツムギちゃん」
「なに?」
「おいで」
「……は?」
「こっちおいで」
ツムギちゃんを押し入れの中に誘う。おいでおいでと手で招く。
別にコズエちゃんでもよかったのだけど、最初に目に映ったのがツムギちゃんだった。
「な、なにするつもり……?」
「抱きしめたい」
「何言ってんの!?」
ツムギちゃんは絶叫する。
俺は胸の内に寂しさを募らせて手招きを続けた。
思い返すに、俺とアキは度々抱き合っていた。それこそ欠かす日はなく毎日のように。
日中、じゃれ合いながら抱き合って、夕暮れは風呂の中で抱き合って、夜は布団にくるまりながら抱き合った。
兄妹だからできたことだ。子供と子供だから出来たことだ。
もうそんなことは出来ない。したが最後、性的に餌食になりかねない。
「やったね紬ちゃん」
「は!? な、なにが?」
「つぎ、私ね」
「なにが!?」
まごまごと躊躇するツムギちゃんの背中をコズエちゃんが押す。いやいやと言う割に自分から身を屈めたツムギちゃんが目の前までやって来た。じっと顔を見つめると、視線が右に左に惑う。
気分的な問題で、正面から抱き合うよりも背後から抱きしめたかったので後ろを向いてもらった。
浴衣みたいな寝間着を着ているツムギちゃんは、屈んだ時にちょっと着崩れしていて、うなじが露わになっている。
何となく、アキを膝の上に乗せたことを思い出しながらツムギちゃんを抱きしめた。
「うぅ……」
「紬ちゃん、うれしい?」
「うれしいわけないでしょ……」
ツムギちゃんと一緒に押し入れに入って来たコズエちゃんが襖を閉めてしまったため、中は薄暗い。
目が慣れるまでの僅かな間、二人の姿は輪郭しか見えない。抱きしめる身体は妙に力が入っていたのでその頭を撫でて落ち着かせる。
「お」
「なによぅ」
「うれしそう」
「見ないでぇ……」
ツムギちゃんは俯いて両手で顔を隠してしまった。それを眺めているコズエちゃんの表情はあまり変わらない。けれども楽しそうだ。当初、悲壮感漂っていた顔とは雲泥の差がある。
胸に来るものがあって、もう片方の手をコズエちゃんに伸ばす。同じように頭を撫でた。コズエちゃんは目を細めてされるがままだった。
穏やかな時間が流れる。
本当は、この二人に両親のことを聞きたかった。東で何があったのか聞いて、アキのことを少しでも知ろうとしていた。
思い出すのも、言葉にするのも辛いだろうことは承知の上で、それでも心を鬼にして聞こうとしていた。でも、こうして面と向かって、二人のやり取りを聞いている内に、その気持ちは萎んでしまった。
わざわざ二人に聞かなくてもアキに聞けばいい。そう思ってしまえばもう駄目だ。辛いことはもう十分。幸せになってほしい。
シオンの気配が近づいてくる。
アキもそうだがシオンも入浴時間が短い。烏の行水だ。折角風呂に入ったんだからもう少しゆっくりすればいいのに。
目を閉じてツムギちゃんの肩に顎を置く。
不安、悩み、心配。様々なことが脳裏を駆け巡った。それらを見つめ直し、意を決して目を開ける。決心が鈍らないように勢いよく襖を開ければ、丁度部屋に入って来たシオンと目が合った。
「お願いがあります」
「あぁ?」
不安、悩み、心配。自分のこと、父上のこと、アキのこと。考えることは多くあり、答えの出ない問いが山のように積まれている。
いくら考えても答えは出ない。堂々巡りで不安だけが増していく。だからもう気にしないことにした。いくら考えても結果は同じ。ならばやりたいことをやりたいようにする。
無責任ともとれる思考だが、他にやりようがないのだから仕方がない。くよくよ考えても気持ちが沈むだけでいいことは一つもない。やってダメなら砕けるだけだ。砕けると言ってもアキかシオンに犯されるだけだし。
「アキと二人きりで話をさせてください。今すぐに」
シオンは飛び切り不機嫌そうな顔をしていた。
水滴の滴る前髪をかき上げて、ぷいっと横を向く。
「好きにすれば」と拗ねたような口調で呟いた。